「ファルコン、私は正直、ブラックバレー氏の事が得意ではないのだけど、そこの所解ってくれているかな?」
ファルコンは今追い詰められている。別にそれは良い。今までの人生、追い詰められたことは幾度もある。原因は色々で、結果も様々だったが、最後には切り抜けてきた。そうなるように、常に備えるのがファルコンだった
だが今回のコレは、普段のそれとはベクトルが違う。ファルコンは今、テツコと二人きりでほぼ密着状態にある
女子トイレの個室である。切羽詰った状態のテツコに無理やり引きずり込まれたのだ。今までの人生……いや、鳥生の中でも、女子トイレの中で詰問されるなど無かった事だ。あって堪るか
「そもそも、重要な案件だと言うから付いてきたのに、テンコーロブティックに放り込まれたかと思えば直後にブラックバレー氏と会食なんて……。何だ、このドレス。私の年収がカッ飛ぶ代物だ」
「似合っているぜ、テツコ。お前の為にデザインされたようなドレスだ」
「あぁ、ありがとうファルコン。だが私はドレスに縁遠い女だよ。余り嬉しくないね」
「む? テツコ、静かに」
かつかつと言うハイヒールが床を叩く音にファルコンはよく反応した。無理もない
アウトロー始めて二十年。様々な悪事に手を染めた。しょっ引かれた事も一度や二度ではない
だが、痴漢として豚箱にぶち込まれるのは絶対に御免である
足音はトイレの入口付近で止まり、直ぐに遠ざかっていく。どうやら、鏡を見に来ただけのようだ
ファルコンは羽でわさわさと己の頭を撫で、安堵の溜息を誤魔化す
「……向こうはお前に興味津々だ。もう大分昔の、エア・トレインの再設計の事、何処からか聞き付けたようでな」
「ブラックバレー氏が、私を取り込みたがっていると?」
「さぁ? でも楽しんでるように見える」
テツコは米神を揉みほぐしている。ここ暫く、ストレスを溜め込んでいた。普段理性的なテツコが堪らずファルコンを女子トイレに引きずり込むぐらいだから、その追い込まれ具合も知れようと言う物
ファルコンだってその事は承知している。テツコに対して怒りを向ける気になれないのは、彼女が職務とゴッチに対して極めて献身的なのと、そのストレスを鑑みてしまったからだ
「まぁ……なんだ、気の持ちようだろう。マクシミリアンとて、そう強引な男じゃあない。……何をするにもな。話してみれば意外になんて事は無いかも知れんぜ」
「……まるでブラックバレー氏を擁護するような物言いだね。ファルコンはもう完全に取り込まれてしまったようだ」
「テツコ、こりゃただのアドバイスだ」
テツコは難しい顔で大きなため息を吐いた。艶やかな光沢を持った黒いドレスが余程気に入らないらしく、しきりに身体のそこかしこを引っ掻いている
遠くを見るような目をするテツコ。出よう、と小さく呟くのを聞いてファルコンが感じた安堵は、ここ一年の内で最大の物である
女子トイレ付近に人気が無いのを確認し、ファルコンはテツコの腕を引っ掴んで驚くほどのスピードで外に出た。風のような速さだった
「……幾つもの事を同時にやる人種だ。彼に取り込まれて、彼の都合で何かしたとしても、彼の別の都合で何時の間にか排除されて不思議ではない。ファルコンやゴッチとは違う。私はブラックバレー氏を信用出来ない」
「やけに警戒するな。奴と何かあったのか?」
「いや、特には。でも、私の勘だよ」
勘か
理屈じゃねー物は、理屈じゃ納得させられんのだよなぁ
ファルコンは、苦笑いした
――
テツコは溜息と共に入口の扉をくぐる
豪華なレストラン、とか、そういう物にテツコはあまり興味がない。その必要であれば栄養剤だけで一月過ごせる鉄の女だ
だから壁がどんな材質だろうと、床に何の素材のマットが敷いてあろうと、シャンデリアの装飾がどれほど眩かろうと、評価する言葉を持っていなかった
だが、清潔に磨きあげられているのは、純粋に良い。別に来たくは無かったが
貸し切りにされた、きらきら眩い高級レストランの真ん中で、テツコの悩みの種が優雅に待ち構えている
「二人とも戻ったか。エッツィが待ちかねているぞ」
三人で座るには些か大きい円卓で、髪をオールバックにしたマクシミリアンは悠々とグラスを揺らしていた
傍らに控える料理人エッツィが、子牛の丸焼きの前で大ぶりのナイフを構えながらにこやかに会釈する。ファルコンが肩を竦めるのと対照的に、テツコは愛想笑いした
子牛の丸焼きは、とてもではないがマクシミリアンとファルコンとテツコ、三人で消費しきれる量ではない
無駄な事を好まないテツコだ。愛想笑いするしか無いと言う物
「化粧を直すのが苦手でして」
「君はそんなに気を使わずとも、微かな彩りだけで十二分に素敵だ」
「ははは……」
ファルコンとテツコが席に着くと、マクシミリアンはエッツィに向かって尊大に頷いた。エッツィは畏まって一礼し、慣れた手つきで子牛の丸焼きにワインを振りかける
エッツィが鉛色の棒を強く擦り合わせると、火花が飛んで子牛の丸焼きが炎に包まれた。大きな銀皿の上で艶のある子牛の肉を炎がぬらぬらと撫でる
添えてあった香草が燃えて独特の香りが広がった。食欲をそそる強い臭いだ
「一度丁寧に焼き上げた子牛にジュベールペッパーを添え、モトラオワインのオリバをふりかけてまた、焼くのです」
「んん、鮮やかな手並みだ、エッツィ。……アナライア、と言う国の高級料理だそうだ。確かにこの香りは悪くない」
意地悪な顔でマクシミリアンは微笑む。何を考えているのか解らない邪悪な笑顔から、冷徹さが滲んでいる。目を細めてワイングラスを傾ける様は、ゾッとする程の色男振りであった
「アナライア……?」
「少し、その国に興味があった。調べ物をするついでに、食文化等もな。どうだファルコン、こういうのは」
「うん? 俺は食うさ、鶏肉以外なら大抵は」
どうでも良さそうに言うファルコンに、マクシミリアンは親しげに笑って見せる
「そういう事ではない。ワインだ」
「?」
「この前私の執務室で呑ませたろう? あれもモトラオのオリバだ。随分気に入っていた様だったから、こういうやり方ではなく、そのまま呑む方が好みだったかと思ってな」
「へぇ。いや、呑むのはそれで良し。牛を丸焼きにするのは、これはこれで良し。色々使い方があるもんだ。まずは」
ファルコンはエッツィを顎でしゃくる
「味を見てみんとな。シェフ、テーブルマナーは勘弁しといてくれ」
かしこまりました、と丁寧に応え、エッツィは子牛の丸焼きから素早く二切れ切り離し、ファルコンの皿に盛る
ファルコンは笑った。マクシミリアンの言う通り、鮮やかな手並みだ。何でもかんでも綺麗に解体してしまえそうな鋭さであった
その時、入り口の方から何者かの大声が聞こえて、場にいる全員がぐる、と視線を回す
大声ではあったが、怒鳴りつけるような声音ではない。居丈高に相手を封じ込める、「黙れ」の一言だ
厨房の方から、タキシードに身を包んだ犬の亜人が早歩きに現れて、マクシミリアンに会釈する
「当ててやる、お前の大嫌いな、火の点いたダイナマイトみたいな奴が来たのだろう」
「はい、いえ、マクシミリアン様。別にどうと言うことも御座いません。そのままお食事をお楽しみください」
耳をコミカルに震わせてニコニコ笑う犬の亜人に、入り口の方に控えていた部下が耳打ちする
「……成程。紹介状は? そうか、無いか」
首を横に振る部下。犬の亜人は腰元に手をやって、一撫でした。変な仕草だ
ファルコンが首を傾げた。妙な印象を、犬の亜人から受けた
「……アイツは?」
「私の元部下だ」
ファルコンの目の前で、犬の亜人はにこやかな笑顔から一変し、凶悪な形相で唸った
「私が呼びに行くまで、ゲロ臭い口を閉じて大人しくしていろと伝えるんだ。お聞きして頂けないようなら……送って差し上げろ、二度と戻ってこれない所にな」
「元部下、ね。あぁ、納得だよ」
やれやれと首を振って見せるファルコンに対し、マクシミリアンは満足げに笑っている
平然とこういうやり取りをしてしまうのが、全く嫌なのだ。テツコは面倒事は避けて進むタイプだ
場違いなのだ。この二人とテーブルを囲んで食事をしているのがそもそも可笑しい。嫌なものを嫌だと拒否してしまえる程子供ではないテツコは、目を閉じてため息を吐くしかなかった
「では、そろそろ次の準備を……」
「いや、エッツィ、良い、そこに居ろ。その方が手間が省ける」
「え?」
どぉん、と轟音を立てて、レストランの入口の扉が吹っ飛んだ。脚を振り抜いた状態で、スプライトスーツを着込んだインテリメガネとしか言いようの無い男が、詰まらなそうにレストラン内部を見渡している
猛禽のような目付きの男だ。黒縁のメガネが必死に視線の鋭さを和らげようとしているが、却って凶悪さを強調している。テツコは頭を抱えて呻いた。また変なのが来た
「遅くなった」
「ミーシャ、紹介状を持たせたろう」
「ここに来る途中、間違ってストリートギャングの盗難車と一緒に燃やしてしまった」
「……キュラー、悪いが許してやってくれ」
「マクシミリアン様が仰るなら」
手櫛で髪を整えながら、ミーシャはずんずんと歩いてくる。犬の亜人、キュラーはニコニコ笑顔に青筋を浮かべながらも、マクシミリアンに抑えられて引き下がる
ファルコンは、ミーシャの事を知っているようだった。軽く手を上げるファルコンに、ミーシャは頷いてみせた
「マックス、助かった。あの無能どもでは追い掛けきれなかったに違いない」
冷たく言うミーシャは料理には目もくれず、エッツィに何かを差し出した。写真だった
「……!」
写真を見たエッツィは絶句する。ミーシャはそれを見ながら、全く自然な動作でマクシミリアンの使っていたフォークを奪い取る
声を上げる間もなかった。特にテツコは、目で追うことすら出来なかった。ミーシャは鈍く光るフォークを、エッツィの左腋に突きこんでいた
「ごぁぁぁっ?!」
当然、エッツィは悲鳴を上げる。テツコは目を白黒させた。何をしている、この男は
ファルコンは動揺していない。何時ものようにやれやれと肩を竦めているだけだ。マクシミリアンも、何事も無いかのようにワイングラスを揺らしている
「二年前、警察官ロムルス・グリンフィールドの息子ホライルを惨殺した時、お前は笑いながら彼の脚に十二本のナイフを刺し込んで、「ツイストを踊らせてやる」と言ったらしいな」
「な、ば」
「ほら、遠慮せずにお前も踊れ。動ける内にステップを踏むんだ」
消音器付きの拳銃を引き抜いて、矢張り詰まらなそうにミーシャは言う。一発、エッツィの右太股に。間をおかずもう一発、今度は左足の甲に
声にならない悲鳴を上げるエッツィ。その肩を、ミーシャは凄まじい力で掴んでいた。倒れこむことも出来ない
「どうした、ほら、踊れ」
もう二発ずつ、ミーシャは左右の足に撃ち込む。パシュン、と言う間抜けな音が連続で響いた。テツコは唖然としている
「オイ、血が飛ぶだろうが、本当に踊らせるなよ。俺のスーツは特注品なんだ」
「……ミスタ・ファルコン、もう済む」
「あぁ、ったく、マクシミリアン、お前の周りにゃコイツみてぇなのしか居ねぇのか」
「お前がそれを言うか」
惨めに涙と鼻水を垂らし、掠れた悲鳴を上げるエッツィ。ミーシャはエッツィの肩を解放し、がくがく震えるその膝に、踵を振り降ろす
メコ、と言う音は、およそ人体が発する音ではない。テツコはもう何もいう気になれなかった
エッツィ、エッツィよ、とマクシミリアンは本当に嬉しそうに笑う。エッツィの不幸が、苦痛に歪み、恐怖に震える顔を見るのが、楽しくてたまらないのだ
「この私が、本当にお前のような無能を拾い上げると思っていたのか?」
倒れ伏すエッツィの手から、先程子牛の肉を切り分けたナイフを蹴り飛ばし、ミーシャは概ね満足、と言った風に頷いた
「目標はナイフで武装していたため已むを得ず射殺だ」
エッツィが叫ぶよりも早く、もう一度だけ、パシュンと鳴る
「キュラー、後で別の者がそのゴミを引き取りに来る。片付けて置け」
「何故脳味噌があの世まで逝っちまってるジャンキーから命令されなければならないのか理解に苦しみますが、他のお客様に不愉快な思いをさせる訳にも参りませんので、そうさせて頂きましょう。……次はないぞ」
テツコは立ち上がった。ファルコンではないが、やれやれである。これ以上付き合う気にはなれない
「そちらの君、初めまして。ミハイル・バシリアだ」
「テツコ?」
自己紹介するミーシャの横をすり抜けたテツコは、トン、トン、と自分の頭を突付く
無礼は承知である。しかし無礼と言うなら、目の前で処刑なぞ見せられるのはどうなのか。テツコは怒っている
「私は暇ではないよ、ファルコン。ミスタ・ブラックバレー。茶番は程々にして欲しいな」
縦に割れた瞳をぐるぐるさせながら、テツコは扉の消失した出入口に向かって早足で歩いていく
ミーシャが、その後姿を目で追っていた
「機嫌を損ねたか……。ん、どうした、ミーシャ。彼女が気になるか?」
「そうだなマックス。お前と同じくらいには」
「ほぉ、あの石像とまで言われた堅物がな」
「ふざけるな」
子牛の丸焼きを口に放り込んで、うんうん頷いていたファルコンが、ぼんやり言う
「だから連れてきたくなかったんだぜ、俺は。マクシミリアン、テツコの機嫌はお前とミハイルで何とかしろよ」
ミーシャは黒縁メガネの位置を直しながら「約束出来ない」と冷たく言う
相変わらず、ロベルトマリンの海のような目をしていやがる、とファルコンは軽口を叩いた
ファルコンの感想として、ミハイルはマクシミリアンよりも古い付き合いだが、今こうして顔を合わせてみれば、この二人はよく似ている
マクシミリアンは自分の能力に絶対の自信がある。ナルシストの気があって、人物も恐らく自分に近しい気質の者を好む
この男の友人になれるのは、この男に似ている者だ。成程、ミハイル・バシリアなら正にその通りな訳だ
――
マクシミリアンの客、と言う肩書きは非常に有用である。代金も取らずに送迎車、しかも地面を走る方を出してくれるのだから、テツコとしては文句はない
しかし実物が無ければどうにもならないのだ。出払っている車が戻るまで後二十分程、待たなければいけない。研究所まで歩いて帰るのは無謀だ。二十分の二十倍掛けたところで着かないだろう
備え付けのソファーに座りながら上を見上げた。ビルの吹き抜け。ぼやけて見える程背の高い天井。このビルのどこかで、未だにファルコンはあの危険人物達とテーブルを囲んでいるのだろうか
誰かが近づいてくるのに気付き、居住まいを正す。直後に表情を硬直させた
「失礼する、テツコ・シロイシ博士」
ミハイル・バシリアだ。あのレストランから出てまだ十分程しかたっていない。テツコは率直に質問した
「ミハイルさんでしたか。ミスタ・ブラックバレーとのお話はもう済んだので?」
「全て。解っていた事が再確認出来たと言うだけだが。詰まり無駄だった」
「……そうですか、なにやら込み入った事情がおありのようですね」
乱暴な口調、高圧的な声音、と言うわけではなかったが、礼を払おうと言う意識がない
「君はマクシミリアン・ブラックバレーと繋がっているな?」
ミハイルが詰め寄ってきて、見下ろしながら冷たく言った
突然の詰問である。質問の意図も、内容も、よく噛み砕くことが出来ない。しかし迫力は尋常ではなかった。テツコは不快感を顕にした
警察組織かそれに準ずる何かの関係者のようだが、こんな手合いは初めて見る
「……繋がっていると言えば繋がっているよ。ブラックバレー氏はクライアントのそのまたクライアントさ」
テツコが唐突に敬語を辞めても、ミハイルは毛程も気にしていない。お互い様であるし、そもそもテツコに良い印象を持たれようと思っていないのだろう
「歳は?」
「君は警察関係者のようだけれど、何時からこんな所で尋問出来る権限を得たんだい?」
「マックスから君を借り受けた。私の仕事に付き合って貰う。クライアントのクライアントからの要請だ。無下にするのか?」
「……バカバカしい。……二十四だよ」
「性別は?」
テツコはミハイルを睨み付ける
「男に見えるのかな」
「色んな奴が居る物だ」
「私は女だ」
ミハイルは「そうか」とつぶやいて頷いた。挑発されているのか? とテツコが悩んでも、仕方ない
「何時からマックスと?」
「それは正確ではないよ。私が直接的に繋がっているのはファルコンだ。ファルコンからの仕事を受けたら、ブラックバレー氏が居た」
「何時からミスタ・ファルコンと?」
「つい最近さ。例の「異世界」の事が公表された時」
「どういった内容の仕事だ?」
「既に調べているんじゃないのか? ……守秘義務がある。君が知っていようがいまいが話せない」
「結構」
テツコは、目の前の鉄面皮を殴り飛ばしてやりたくて仕方がなくなっていた。ゴッチの気性がうつっているのかも知れない
聞こえやすい、通りの良い声で矢継ぎ早に質問してくる。様子を見ていると、本当に情報が欲しくて質問しているのかどうか激しく疑問だった。質問することが目的のようだ
「把握した。テツコ・シロイシ博士、マックスと関わりのある人間を私は民間人と思わない事にしている」
「……それで? これ以上私を怒らせたいのかな?」
「先程言った通り、仕事を手伝ってもらいたい。丁度良く君はドレスを来ている」
「?」
「三つほどパーティを回る。幾らでも美味いものが食えるだろう」
――
ゴッチから送られた(とファルコンは思っている)イーストファルコン・コロナをマクシミリアンに見せびらかしていたファルコンは、ビル受付から届けられたミハイルの置き手紙に、愕然とした
「テツコ・シロイシ博士を借りるって……、バカヤロウが、何考えてやがる」
「さぁな、人質のつもりではないか?」
「どういう事だ、何を知ってる。……いや、誰に対する人質だ?」
「ミーシャと私は盟友だが、ミーシャにとって私は必ずしも信用出来る人間ではないのだろう」
ファルコンはテツコが退出した後の、マクシミリアンとミハイルの会話を思い返す
違和感は、無い。たったの五分間、取り留め無い世間話に終始した
「……そもそも、何故今日、俺達を呼んだ? 解ってるんだろうな、テツコに何かあったら、結果的にアンタも困る」
「承知している。私も、それこそミハイルも」
――
パーティなど、ドレスなど、豪華な料理など
何一つとして、テツコの望むものではない
一つ目のパーティからして胡散臭い事極まりない人種の集まりだった
参加者は皆思い思いのタキシードで周囲には女を侍らせ、曇った眼光に貫禄を湛えている
あそこの馬面も、こちらの虎面も、堅気じゃ無い。テツコの顔は自然と引き締まった。場の女達が侮ったような視線をテツコに向けているのがまた癇に障る。自分達と気質の違う、迷い込んだ子猫のような風情のテツコを、嘲っているのだ
「困る……」
「適当な椅子に座って眼を閉じていても良い」
「それも困る」
そんな事をしたら、異様な気配の女どもに近付く事になる。何を言われるか解ったものではない。テツコとしては全く気に入らないが、ミハイルの傍に居る方がまだマシだ
でっぷりとした体型、饅頭のような頭に、不敵な笑みを貼り付けた男が歩いてくる。ミハイルに向かって、手を上げていた
「よぅ、兄弟、元気か? どうだい、仕事の調子は」
「頭を悩ませている。やらなければならない事が大過ぎて、あちらこちらを飛び回っている状態だ」
「ははは、休みを取れよ。そうだ、マルティンが新装開店だってよ。行ってみないか?」
ミハイルは笑顔を崩さない
「馬鹿言うな。お前を特殊防護処理済みの牢にぶち込んでから、一人で行く」
壁際に控えていた黒いサングラスを掛けた男が二人、大股でこちらに歩いてきた
でっぷりとした男は、手を上げてそれを制した
「あー良いから良いから、あっち行ってろ」
「お前、少し前にパナシーアから荷物を取り寄せたろう。テディベアと言う事はあるまい。中身はなんだ?」
「勘弁しろよ兄弟、俺がちょっと玩具を頼んだだけで押しかけてくんのか? 俺ってそんなに大物だったかね? 姪の誕生日だったんだ、それ以上のことはねぇ」
何時の間にか背後に気配があった。テツコは身を硬直させる。脇腹をくすぐられていた
ぎりぎりと油の切れた機械のように首を少しだけ動かす。でっぷりとした男に侍っていた女の一人だ。悪戯っぽい笑み浮かべて、テツコの身体のあちらこちらをまさぐっている
ぞわ、と鳥肌がたった。その様子に笑みを深めた女は、テツコの匂いを嗅ぎながら撓垂れ掛かる
「パナシーアで何か仕事をしているか?」
「……あんな所に何があるよ。テディベアが関の山だぜ。オイ、俺はケチな男さ。だからお上と上手く行ってねぇアンタと話し合いが出来る。そうだよな?」
「あぁ、そうだ。だがお前のケチで冴えない運送業は、多くのクズどもに必要とされている。……二つ目の質問だ。アナライアから何か運んだか?」
「アナライアぁ……? 知らん、いや、本当に知らんぞ。ガッコじゃ殆ど寝て過ごしたからな、世界地図も解らねぇ。どこだ? 国外か?」
テツコ自身すらよく把握していないドレスの構造を、女は熟知している様だった。布をすり抜けた両手が太股を撫でさすったとき、テツコはとうとう激昂した
くわ、と目と口を開き、蛇の牙を見せつけて威嚇する。理知を重んずるテツコらしからぬ、必死の自衛であった。シャアアア
女は更に一枚上手だった。何と伸び上がるように身体をくねらせ、頬を寄せてきたかと思うと、舌を伸ばして牙を舐めたのである
完璧に硬直した。今までに経験したことの無い痴情だ。こんな痴女が早々居て堪るか
口内を好き勝手に舐られながら、噛み付く処までは決断しきる事が出来ず、テツコはされるがままであった。ミハイルが漸く助け舟を出す
「悪戯するのはそこまでにして貰おう。彼女はテツコ・シロイシだ。意味は解るな」
でっぷりとした男が、慌てて女を下がらせた。残念そうに指を咥えた女は、手をゆらゆら怪しげに動かし、腰を振って歩き去っていく
「…………ッ! っは、はッ、はッ、……な、何という事だ……!」
「テツコ・シロイシ博士ですかい、へぇ! 成程、兄弟、道理で強気だ。ファルコンの旦那と縒りを戻した訳か」
「私はお前の嘘が読める。知っている事を話せ。私はミスタ・ファルコンより優しいと言う事だけは保証してやる。…………あぁそうだ、彼女は体内に三つの毒を持っていて、その内一つは最高位危険薬物取扱免許の取得が必要になるほどの強力な媚薬だ。これ以上私を待たせると、お前の大事な“女神”達が、尻を振り乱して彼女に擦り寄る事になるぞ」
「そこまで脅すか! そんなピリピリすんなよ兄弟、仲良く行こうぜ、なぁ? …………アナーグの所が、密輸品をどうのこうのってのなら小耳に挟んだ。俺ん所とは関係がねぇから気にしてなかったが、あの小便野郎なら兄弟好みのマニアックなモンも扱ってるだろうよ。丁度今日、ビジネスに関する話しをしてる筈だ。シュライクの飯屋、何時もん所。最も、もう終わっちまってるかも知れねぇがな」
ミハイルは踵を返した。礼の一つも言わずにテツコの肩を抱き、そのまま出口に向かう
鼻を鳴らして、ぼそりと言った。糞狸が。ゾッとするような声だ
入り口係が丁寧にお辞儀して扉を開く。ミハイルは首だけで振り返り、でっぷりとした男の濁った瞳を見遣る
男が僅かにたじろいだのを、テツコは見逃さなかった。この、言語ではない、一睨みで相手を恐れさせる遣り口
似ている。警察とアウトローは紙一重。その事を、テツコは強く意識した
「やっぱり私のことを調べ上げているのじゃぁないか」
ミハイルは、下らない事を聞かれた、とでも言いたげに笑うことで返答とした
「はぁ…………。アナーグと言うのは、アナーグウェディングプランニングの事かな?」
「あぁ、笑えるだろう? 何がウェディングプランニングだ。“ドレスの裾”を引っ張り上げれば、禁制密輸品がボロボロ出てくるだろうよ。いずれ私がこの手で鉛玉をぶち込んでやる」
「今から向かうのかい?」
「無駄だ。先程の男、モデオールと言うが、奴からアナーグに警告が行くだろう。行ったところでも何も残っていない。如何に私の味方面をしようと、信用出来る男ではない」
「…………」
この言い様は、まるでテツコを身内扱いしているようだが
テツコは、気味の悪さを覚える。詰まらなそうなミハイルの横顔を見つめる
剥き出しの警戒心、敵意を曝け出すのは何故だ?
ミハイルが自分の事を信用している等と想像出来るほど、テツコの頭は緩くなかった
何故だ?
――
二つ目のパーティは、意外にもマイナーバンドのライブパーティだった。それも雰囲気の明るい、テツコでも入りやすそうなパーティだったから、テツコは本気で驚いた
このミハイルと来たらどう頑張っても音楽を嗜むようには見えない。聞いたとしてもクラシックだ。ポップス? ロック? 何の冗談だ? こんな冷徹で他人を少しも信用していなさそうな男が、こんなライブパーティに参加するのだから
会場に入ったのは、都合よく一曲終わった辺りだ。大股で歩くスプライトスーツのインテリメガネと、その後に続くドレスの女は、ラフな格好の者達の中で悪目立ちする
ミハイルに気付いたステージ上のギタリストが、ぶんぶん手を振る
『シャムロック! いーらっしゃーい!』
キーンと耳障りな音が大型スピーカーから飛び出して、会場の皆が笑いながら耳を押さえる
チーム衣装なのか、真紅のジャケットが翻った。テツコは苦笑いした
「……シャムロックとは、また可愛い偽名だね」
「ミーシャと呼ばれると、困るのでね」
「何故ここに?」
ミハイルはそっぽ向いて応えない。そうする内に、ハイテンションのギタリストが冗談交じりに踊り始める
『よーし、もっとだ! もっと行こう! もっともっとー!』
「もっともっとー!!」
『空を見ろォー! 曇った空だァー! スモッグなんてフッ飛ばしちまえェェー! ボクは青空が見たいぞォーー!!』
「ジェットもー! ジェットもジェットもー!」
「イイィィヤッホォォォーー!!」
『№24! 魅惑色飛行機械!! ボクと一緒にぶっ飛べェェェェー!! だぜぇぇー!!』
「ぶっ飛べオラァー! もっともっとー!! だぜぇぇー!!」
鼓膜が破れそうな大音量での大騒ぎ。テツコは耳を押さえる。何かどっかで聞いた名前が混ざってなかったか
「こんな趣味もあったんだな!」
「なんだ?! 聞こえんぞ?!」
「こんな趣味も! あったんだな!」
ミハイルは眉を顰めた。後ろめたそうな表情だ
この男、こんな顔もするのか。テツコは意表を突かれた思いだった
いやいや、この男はマクシミリアンの同類だ。表情一つですら計算尽くの可能性もある。さも親し気に気を許しているように、或いは心情を吐露しているように見せるのは、マクシミリアンも得意じゃないか
――
「おまっとー、シャムロックー」
「久しぶりだな、リトル。皆も絶好調のようで良かった」
「あはは、良い感じだったとボクも思うよ」
楽屋裏まで、ミハイルとテツコはフリーパスだった。バンドチームとミハイルは極めて親しいようで、皆が皆気負いなく冗談を飛ばしたりしている
リトルと呼ばれたギタリストは、外見だけ見れば愛嬌のある少年だった。他のメンバーと比べて大分若い。飽くまで外見は、だが
真紅のジャケットを脱いだメンバーは、疲れを感じさせない明るさで笑い合っている。テツコが聞いていただけでもかなりの時間演奏していたような気がするが
「シャムロック、悪いけど今、師匠帰ってきてないんだ。ボクらにも師匠の行方って把握出来ないからさー……」
「……いや、良いさ。会えれば儲け物程度の考えだったしな。それより、いい演奏だったぞ」
「あんがと、うへへ」
腕組みしていた怜悧な顔つきのドラマーがテツコをに流し目を送る
「シャムロック、彼女は?」
「テツコ・シロイシ博士だ。私に協力してもらっている」
「博士、か。どうだった、知的なレディ。俺達の演奏は」
「あ、あ、テツコさん、気にしないで。コイツ目玉がぶっ飛ぶぐらい頭良いんだけど、大学の同期連中やら教師陣やらに好きなバンドチーム馬鹿にされて、それ以来テツコさんみたいなタイプの人に噛み付きまくってるんだ。無視しちゃって良いよ」
「やれやれ……、そういう訳じゃない」
リトルは好き勝手あちらこちらに飛び跳ねた頭髪をわしゃわしゃさせて、小さな丸メガネの向こう側で瞳を細める。にっこり笑顔は、テツコ好みの愛らしさだった
「凄かったよ。良かった。とは言っても、普段あまりこういう音楽は聞かないから、何が凄いとかは上手く言えないのだけれど。うん、私は好きだな」
色白のドラマーは、クールに微笑んだ
「そうだ」
リトルが、ふと顔を上げる
「師匠が、何か気になる事言ってたよ。シャムロックの捜し物が見つかったって。凄く大事な用事が立て込んでて今すぐは無理だけど、近いうちに会いに行くって」
「……そうか、解った。リトル、ありがとう。感謝する」
「い、良いよー、ボクが何かした訳じゃないし。なんだよ改まっちゃって。そういうのってなんか照れるな。もー水臭い、兄弟の力になるのは、礼を言われたいからじゃないんだぜ」
「……お前はお前で恥ずかしい事を言う奴だな。……まぁ、良い。実はお前達にプレゼントがある。奴との賭けに負けてしまってな、偉く高い買い物をさせられてしまったよ」
リトルと一同は、首を傾げた
「奴って、師匠?」
「これを受け取れ」
ミハイルが懐から取り出したのは、水色のチケットだ
黒い品の良い文字が踊っている。色の割に、高級感溢れるチケットだった
チケットをおずおずと受け取ったリトルは、途端に目をキラキラさせる
「……シュワルメール婆ちゃんのコンサートチケットだ!」
「何?!」
テツコは目を剥いた。シュワルメールとは、世界中を飛び回っている評価の高いピアニストである
今年で80歳程、一度も切ったことが無いと言う豊かで艶やかな黒髪で有名だ。にっこり微笑む姿には愛らしさと色気が同時に存在し、褐色の極め細かい肌はテツコの憧れだった。もっと幼い頃は、自分もカフェオレ色の肌が良かったと本当に思っていたくらいだ
80歳の今まだ若々しく、倍の160になっても若々しいままだろう
「博士?」
訝しげなミハイルの視線を無視して、テツコは思わずリトルの後ろに回り込み、リトル達バンドメンバーと一緒になってチケットを覗き込む
「ほ、本物だ」
テツコが無意識にチケットに手を伸ばす
本能的に危険を感じ取ったリトルは、ぱっと立ち上がって距離を取った
「ん、なんだい」
「な、なんでって、だって、なんか、なんか!」
「少しぐらい良いだろう? 端っことか」
「端っこってなんだよ! 駄目だよそんなの!」
「損傷したチケットは無効だぞ……」
シュワルメールのチケットは欲しいと思っても手に入る物ではない。金額もお高いが、レアリティが違う。今ではもう、特殊なコネが無ければ手に入らない
冷静になって考えれば、例えチケットが手に入ったとしても鑑賞は無理だ。現状、テツコはゴッチのサポートから抜けられない。そのつもりも無い。今こうしてミハイルに付き合っているのは言うまでもなく不本意な事だ
テツコはイライラしてきた。あんなこと、こんなこと、努力すれば必ず成果が得られると思うほど未熟ではないが、この境遇はなんなんだ
ゴッチに、ファルコンに、マクシミリアンに、ミハイルに、あれやこれやと振り回されながら、何一つとして良い事が無い。自分は良い目を見る事が無いのか。要素が無いのか、要素が
チケット一つぐらい良いじゃないか。この苦労に見合った給料を受給していると、本当に思っているのか
テツコは大きく息を吸い込んだ
冷静になれ。自分は鋼の女とまで侮蔑された理知を重んずる蛇である
テツコが必死に自己暗示を掛けている時、ミハイルは何事も無かったかのように、場を辞そうとしていた
「では、皆。もう少し話していたいが、余り時間も無くてな。これで失礼する」
笑顔に見送られながら、ミハイルはテツコの手を引いた。テツコは遣る瀬無い気持ちになった
「……次は何処に連れていかれるんだ……」
――
後書
後書に出来るような高尚な物なんて俺の中には何一つねーよ!!
なんちて。
私的に、話を作る中でも特に難しいのは、
自分の出来の悪い脳味噌で頭良さそうなキャラを書かなきゃいけない時。
当然の如く上手くいかないから今回みたいな事になるんだよ!!
そろそろ、話全体通して、俺の限界から飛び出して、矛盾が出まくってる可能性大なので、
そういう時は、そっと教えてやってくだしぃ。