一週間もの間、ルーク・フランシスカは気を張り詰めたまま過ごした
それと言うのも、ゴッチのせいだ。ヨーンの責任者、ゼナックにゴッチ・バベルについての情報収集を頼んだ時に、ルークはゴッチとの関係を上手く言い表す単語を思いつく事が出来ず、「同志だ」
等と軽々しく言ってしまっていた。雷を操る魔術師、と言う異世界での設定と、外見的特徴も含めて
そこへ、アナリアで暴れまわったというファルコンなる雷の魔術師の登場だ。ゴッチ、ファルコン、似ても似つかない名前だが、魔術師などそうそう都合よくいる筈が無い。しかも、ルークの話した黒服の男のそれと、伝わってくるファルコンの外見的特徴は、全く同じなのだ。当然、ゼナック側としても、ルークの探すゴッチと、アナリアで暴れたファルコンを同一視する
するとルークは、アナリアに明確な敵対行動を取った魔術師と同志と言うことになってしまう。ゼナックは静観の構えだったが、ルークは穏やかでは居られなかった
雷の魔術師ファルコンの話が伝わってきたその日に、ルークがヨーンから逃げ出さなかったのには訳がある
と、言うか、実を言えば脱出の準備はしていた。しかし、メノーの存在がそれを押し留めた
「大丈夫です、そういう事にはなりません、ルーク様」
メノーの事を、か弱い少女だと侮っていた面が、ルークにはあった。逃げ出す前に偶然にもメノーと遭遇したルークは、話すべきではないと理解しつつも、メノーが相手ならばどうとでもなると踏んで、簡単な事情を説明してしまった
雷の魔術師ファルコンが、恐らくルークの探し人であること。それを聞いたメノーがルークに返したのは、平素と変わらない、顔を伏せての微笑だった
「ルーク様にはお話します。このヨーンは既に、アナリアでありながらアナリアに従う地では御座いません」
「意味は……聞かないほうが良いのかな、こういう時」
何を意味するか、理解できないルークではない。積極的に異世界に溶け込もうと努めるルークだ。ある程度、世情を知っている
メノーの言葉を信じたルークは、警戒こそしたが、ヨーンへの残留を決定した。ファルコンは待ったを掛けなかった。最悪の場合は、邪魔者を全員切り倒して逃げ出せばいいと言う乱暴な考えが根底にあった
そして、警戒し続ける一週間。ヨーンの町に傷だらけの騎士達が十数騎ほど転がり込んできて、ルークの、その警戒は、漸くは解かれることになる
――
ヨーンを治めるゼナックは総白髪の老人である。目は細く、肌の皴は深く、背は低い
疲れ果てたようなイメージがあった。性格は温厚で寛大だったが、何処か全て諦めているような、そんな寛大さだった
ルークは、ゼナックからの呼び出しを受けて、彼の執務室へと訪れた。ゼナックは多忙で、ルークを呼び出すと言うことは殆ど無い。ルークは、緊張する。最悪、ここで大立ち回りと言う事も有り得た
「フランシスカ殿、よく参られた。…………うん? これはまた、随分と気合を入れて来られたなぁ」
ルークが執務室の扉を叩き、入室を許可された後、最初に掛けられた言葉がこれであった。ゼナックは苦笑気味で、ルークの警戒心を柔らかく解そうとしている
ルークは完全装備だった。鎧を着込み、剣を佩き、少女と見紛う顔立ちなりに、物々しい立ち姿であろうとしていた
「(隣室に伏兵があるような気配は無い…………と、思う、多分)」
ルークはゼナックに一礼して、まずは部屋の隅々に視線をめぐらせた。ゼナックが窓の前に立っている以外では、険しい顔をした騎士が一人、居るだけだ
騎士は眼光鋭くルークを見返した。体を清めたばかりなのか、黒髪が妙に湿っている騎士は、身形こそ小奇麗にしていたが、激しく疲労している。頬には、完治していない刀傷があった
歳は三十か、若しくはそれの少し前。何時も、何か諦めたように苦笑するゼナックとは対照的に、疲労していても、気力に満ちていた
「ゼナック殿の厚情、恩義に感じています。ゼナック殿に呼ばれたならば、私に否はありません」
ルークは朗らかだった。ゼナックの事を、と言うか、アナリアに属するヨーンの事を警戒していたが、感謝しているのも本心だった
ゼナックは頷くと、椅子を示した。ルークはゼナックの近くまで歩を進め、さりげなく黒髪の騎士を見やる
勇ましい釣り目をしていた。あまり遠慮というものをしておらず、ゼナックの態度も何処か、騎士に気を使っているように感じられる
ゼナックと対等の立場か、ゼナック個人にとって重要な人物か。どちらにせよ、二人とも立っているのに、自分だけが座るなど、ルークには考えられない事である
椅子に座らず、笑い掛けるルークに対し、騎士は目を細めた後、力強く頷いた。愛想笑いの気配が無い。正直な顔面だった
「ホーク様、こちら、ルーク・フランシスカ殿と申します。海を越えたランディよりも遠い、ロベルトマリンと言う地の出身で、今は人を探しているのだとか」
「初めまして、ルーク・フランシスカです。…………失礼ですが、貴方の御名前を伺っても?」
騎士が身じろぎする。ふわ、と甘い匂いがした
ルークは、騎士の髪型が気になっていた。騎士は所謂オールバックの髪型だったが、自然とその髪型になった訳ではないだろう
その疑問が解けた。果実の汁である。特定の果実の汁を整髪料として用いるのを、ルークはヨーン領主館の侍女達から聞き及んでいた
「ゼナック、良いのか?」
「構いませぬ」
「そうか、では。私はホーク・マグダラだ。私の名を聞いた事は?」
ルークは硬直する。ホーク・マグダラ。マグダラと言えば、広大な北方辺境領を納める武家の筈だ
そしてホークは、現北方辺境領主、オーゼン・マグダラの唯一の息子。本来、ここに居てはならない人物である
何せ、北方辺境領マグダラ家は、つい数日前に、アナリア王国と一戦構えたばかりなのだから
「それは……少々、驚きました。ホーク殿の威名は聞き及んでおります。お会い出来て、光栄です」
「ルークで良いか? ルークと呼ぼう」
ルークは漸くメノーの言葉を、腹の底から信じる心算になった
もしこの騎士が本物のホーク・マグダラであったならば、アナリア王国の敵である。それをゼナックが平然と館に置き、しかも丁寧に応対するとあれば
ヨーンは、アナリア王国の反抗勢力だ
――
――
ゼナックからホークを紹介されたその日に、何かあったと言う訳ではなかった。しかし、アナリアと敵対するホークを平然と館に置き、それを自分に隠すことなく教えた。これは自分に何らかのリアクションを迫っているのだと、ルークは考えた
ファルコンは出来るだけ深い関係を持つな、とだけ言った。分が悪ければ、折角取り付けたゼナックの支援を切り捨てる事も視野に入れているようであった
「おはよう御座います、ホーク殿」
「うむ」
早朝は陽光の恩恵が乏しく、些か肌寒い。ルークは常の軽装で水場へと向かう
其処には先客が居た。ホークだった。下着だけで、硬く鍛えられた肉体を晒すホークは、痺れるほど冷たい水を頭から豪快に被っている
ホークの起床は、ヨーン領主館の誰よりも早い。侍女や下働きの者達よりも少し早めに起き出して、練兵場で剣を振っている
ホークが意図しての事なのか、ルークとホークは、鉢合わせになることが多い。大抵は直属の部下達を連れていたが、こうして朝早くに会うときは、二人きりであった
「三日で、完全に復調されたようですね」
「あぁ。不自由なく用を足せて、体を清めることが出来、しかも周囲を警戒せずに眠れる。全く有難い」
「それは違いありません」
「ほんの数日前は、追い手を気にして、大便の場にすら苦心していたと言うのにな。痕跡を残す訳にも行かぬから」
ルークはマクシミリアンの命令で参加したRM国統合軍の特別訓練キャンプを思い出した。特殊部隊間から選りすぐられた精鋭千人の内、五分の四を脱落させる恐ろしい訓練だ。本来は参加する資格すらないルークだったが、マクシミリアンの命令に否と答えられる筈は無い。当然のように脱落した
その中には、山中での活動も当然あった。自らが追われる側のシチュエーションで行われたその訓練の事は、ルークは出来れば思い出したくなかった
「解ります。特に山は酷い」
「見掛けには寄らんな。君も経験が?」
「体中に泥と木の葉を塗り付けて逃げました」
「辛かったろう。いや、私の部下は終始泣き言を言っていたからな」
水を救い上げて顔を洗うルークは、終いに金髪を掻き上げた。ホークは布切れを肩に掛け、釣り目を細めて苦笑していた
ルークは少し、目線を下げる。ホークは謹厳な男で、部下との接し方が、所々マクシミリアンに似ている気がする
頬を掻いて、ルークはホークを見遣った
「同じ苦境の中で、泣き言も漏らさず歯を食いしばって耐える者達が居ましたので。辛かったですが、辛くはありませんでした。仲間がいればこそ、ですね」
「どうにも、君は清々しい。私もそう思う。己のみが苦しいのだ等と勘違いして、弱音を吐いてはいけない」
「……申し訳ありません、急に変な事を言い出してしまって」
赤くなったルークに、ホークは言った。若いのに大した物だ。世辞で機嫌を取ろうとする男でないのは、数日の付き合いで十分解る
「君の探している者達が、その仲間か? メイアスリー、アシラ、それに……雷の魔術師、ファルコンと言ったな。ゴッチ・バベルと、どちらが正しいのだ?」
どき、とした。ルークは困ったように笑う
無理に取り繕う必要は無い筈だった。目の前のホークは、アナリアと敵対している。そしてアナリアと敵対しているからこそ、こんな話を振ったのだ
どう、答えるべきだろうか。少しでも相手にとって不利な事を言うのは避けたい
僅かでも怪しさを感じさせれば、剣を抜く事を厭わないだろう、ホークは。怪しくとも上手く使い回そうとマクシミリアンとは、決定的に違う
「いえ、確かに、同じ目的を持つ者同士ではあります。でも、ゴッチ・バベルは私の事を知らないのです」
「事情がありそうだ」
「これ以上は、見逃して頂けませんか」
「構わない。…………君も感付いているだろうが、アナリアに組する者でないのなら、私は気にしない。それに、君と魔術師ファルコンが同志だというのなら、私は君達に恩がある」
ホークは大仰に一つ、頷くと、服と一緒に転がしてあった皮袋に手を突っ込み、無色の液体を髪に撫で付ける。手早く髪を整えていくところを、ルークは黙ってみていた
アーリアでゴッチが起こした騒ぎの事であるのは、間違いない。簡単に自分の心情を悟らせる男ではないから、何処まで本気なのかは解らないが
ん、とホークが、何か思い立ったようにルークを振り返る。二歩、歩み寄ってきたホークは、ルークよりも頭二つ分背が高い。圧倒的に見下ろされていた
「君はゼナックと……メノー様の大事な客人だが、何もせずに持成しを受けるだけ、と言うのも心苦しいのではないか?」
「はい、仰るとおりです。ですので、未熟なりに、可能な限りのお手伝いをさせて貰っています」
「君は謙虚だな。ゼナックは、君の事を絶賛していた。君がよければ、で構わない。今日一日、私と部下達に付き合わないか」
着せた恩に、まるで拘らないように振舞わせようとするのは、ホークの性格ゆえか。しかし、その考えはルークにとっても好ましかった。何より、既に約束は取り付けてあるのだ
ヨーンの為になる事だ。と、ホークは付け加えた。ルークは躊躇した。ホークに気に入られるのは、良い。しかし、仲良くなりすぎて、しがらみが増えるのも考え物だ
暫し悩んだ後に、結局は喜んで、と返事をした。図ったかのように慌しい足音が聞こえてくる。現れたのは、服の袖を捲り上げて、髪を縛った侍女である。早朝の業務に取り掛かる所らしい
「わ!」
侍女はほぼ裸のホークを見て硬直した。ホークは侍女を一瞥した後、大して気にも留めずルークに拳を差し出した
ルークも拳を握って、ホークのそれに打ち付ける
「よし、詳しい話は後でする。期待しているぞ、万全の準備をしてくるが良い」
「はぁ……、いえ、はい」
ホークは赤面して石像のように固まっている侍女に、服を着せるよう命じた
侍女は唾を飲み込んで、おっかなびっくりホークに服を着せ始める。プロフェッショナルとは言い難いな、とルークは思った
――
黒毛の騎馬に、北方を納める領主の長子にしては、塗装も装飾も無い地味な鉄の鎧。唯一華美であるとすれば、黒い直垂に施された金糸の鳥の刺繍のみで、実に飾り気無いのがホークだ
しかし同時に、鎧や馬ではなく中身が光るのがホークだ。この不思議な存在感は、彼の内側から滲み出る物だな、とルークは羨ましく思った
「サンケラット? ですか」
「何だ、自分が散々切り倒した魔獣どもの事も知らなかったのか?」
メノー救出の際、ルークが散々に切り倒した恐竜達の名を、サンケラットと言うらしい
確かに元来、群れを成して獲物を狩る、人間にとっても恐ろしい獣であるらしいが、ホークはそれだけではないと言った
「メノー様の事もあるが……、奴ら、活発過ぎる。群れに強力な首領が居るのかも知れん。出るらしいぞ、人の背丈の三倍ほどにもなるサンケラットが、稀にな」
「サンケラットの被害が多いのは、そのせいだと」
「これは私の勘だ。しかし、居ようが居まいが、これ以上見過ごす訳には行かん。それなりの数を討伐する必要がある」
ヨーンの領主館の中庭に、ホークの部下十四騎。聞けば先の一戦は、国境まで呼び出されたオーゼン、及びホークと少数の部下達を、アナリア王国軍が騙し討ちに襲い掛かり、相当な乱戦になったと聞く
その中でも馬を死傷させず、巧みにホークに追従してきた精鋭達がこの十四騎だ。恐らく、練度は高いのだろう
ルークは彼らの好奇心に満ちた、或いは挑戦的な視線に晒されながらも、疑問を口にする
「何故、ホーク殿が?」
「大きなサンケラットがもし居れば、それは間違いなく強い。嘆かわしい話だが、ヨーンの者達は弱兵でな」
ルークは何と言っていいか解らなかった。山賊討伐に同行した時、ルークが思ったことそのままだったのである。こちらの世界の基準が解らない以上、判断仕切れる筈もなかったが、ホークまでそう言うのであれば、恐らくは間違いなかった
しかし、胡散臭さがあった。違和感が拭いきれないでいる
視線は外さない。ルークの物言いたげな表情に気付いたホークは、更に言葉を重ねた
「幾ら大人しくしていた所で、ヨーンにホークあり、と既に知られている筈だ。何をしようとも、或いはしなくとも、何れヨーンはアナリアに攻められる。今はゼナックが上手く誤魔化しているだけだ」
ルークは咄嗟に無表情になった。動揺を外に出したくなかったのだ。それほど、拙い事である
さも当然のようにホークは言ったが、非常に都合の悪い事態だった。異世界まで出張ってきて、戦争に巻き込まれるなど、冗談ではない
ホークは平静でいる。何を考えているのか解らない。ルークは手を開いたり、握ったり、何気ない仕草で余裕を見せようとした
「貴方は……、豪胆に過ぎる。……と、私は思います。…………でも、そういう方が男らしくて良いとも思うのですけれど」
「真に見事なのは、その猶予を作り出したゼナックだ。大した人物なのだ、アレは」
ヨーンを発ってからは、ルークは意識してホークには近寄らず、ホークの手足となって騎士達を纏める者の指示を仰いだ
何処から現れたのか解らない、歳若い流れ者が、古参の者を差し置いてホークに接近しては、禍根となる。そんな事は、ルークにだって解る。ホークは何も言わない
休憩、炊飯となれば、率先して作業を行った。マクシミリアンから仕込まれた料理は、調味料や器具等の問題から、ルークとしてはとても満足行く出来では無かったが、大変好評だった
片付けも準備と同様、真っ先に動く
出発前の馬鹿話や、色町の話題にも照れながら参加した。騎士達はルークの事を、面白そうに観察していた
媚びていると言えばそうであるが、そんな風に感じさせず、全くの自然体でやってのけるのがルークの凄い所である。小さい体躯が妙に堂々としていて、なのにクルクルよく働くのだから、悪い印象を与える筈がなかった
翌日早朝には、目的地としていた小さな村へと到着した。世界を繋ぐゲートがあり、メノーが襲われた場所でもある森の北東に、その村はある
ホークが現地の詳しい話を聞きたがったからだ。地理に詳しい地の者を雇い入れて、事を円滑に運ぼうと考えるのは、至極当然であった
そこで、一つ騒ぎが起きていた。村の男が一人、畑の中で、五頭のサンケラットに食い付かれていたのである。血の赤色が、遠くからでも良く解る
静けさを破って聞くに堪えない悲鳴が上がっており、村の空気は騒然としていた。間を置かず村人達が事態を理解して飛んでくると思うが、その時は既に、男は絶命しているだろう
ホークが鋭く、傍らの騎士を呼ぶ
「カンセル!」
「はぁっ!」
なまず髭の壮年騎士が隊列から飛び出し、猛進する馬の腹をしっかりと抑えながら、弓に矢を番えた
ルークの背に、妙な寒気が走った。瞳が周囲をぐるりと見回して、すぐ傍の林の草木が不自然に揺れたのを見咎める
「私達も行こう、マルレーネ」
ルークが白馬の首筋を撫でると、マルレーネと名付けられた彼女は、カンセルの駆る騎馬とは比べ物にならない勢いで走り始めた
ホークは釣り目を少しだけ細めたが、咎めようとはしなかった。カンセルの後を追うルーク。既にカンセルは矢を二度、村の男に食らいつくサンケラットに放っており、矢の数と同じ二頭を絶命させている
三矢目をカンセルが番えたとき、ルークが見咎めた、不自然に揺れる林の草木の横を通り抜けた。その瞬間、草木の中からもう一頭、サンケラットが飛び出してくる
横目で奇襲を掛けてきたサンケラットを睨むカンセル。なまず髭がピクリと動いたが、弓矢の狙いは少しも逸れない。背後に猛然と迫るルークの存在を、感じ取っていた
銀色に鈍く光る刃が、スコン、と軽妙な音を立てた。ルークは長剣を逆手に振り下ろして、カンセルを狙うサンケラットの首を大地に縫いとめてしまった。その間に、カンセルの矢が三頭目を仕留める
残る二頭が、ルークとカンセルを威嚇した。逃げもせずに立ち向かってしまった所が、野生の生き物として致命的と言う他無かった
大地を削るように荒々しく走るマルレーネが、大きく嘶いて前足を振り上げる。威嚇を続けるサンケラットの頭蓋を、容赦なく踏み砕く
小剣を抜いていたルークは、飛び掛ってくる最後の一頭の腹に、それを抉り込ませた。ぐり、と手を捻って刃を回転させれば、容易に最後のサンケラットは動かなくなった
「見事だ! 剣や馬だけが一流ではないな!」
ルークはホークに一礼して、散々に食いつかれていた男の方へと向かった
――
ルークも当然ながら応急手当の心得はある。しかし、純粋な人間にそれを施した事は、流石に無い。純粋な人間と言うのはロベルトマリンでは珍しい部類の物であるし、身近に居たマクシミリアンは、そもそも怪我をしない
たどたどしい手付きで血塗れの男を手当てしたが、間もなく男は死亡した。死体を村の者に引き渡して、剣を回収し、村の長と話し込むホークの元へと戻る
難しい顔をしたルークに、ホークはすぐ気付いた
「ルーク、あの者は」
「亡くなりました」
「……よし、君は私の後ろに居ろ」
騎士達は騎乗し、隊列を組んだままである。そちらに合流しようとしたルークを、ホークはその場に留めた。ルークが避けていた特別扱いを、ホークはここに来てやった
少し戸惑いながら、ルークはホークの後ろに控える。よくよく考えれば、ルークはホークの部下と言う訳ではない。ここでの自分は遠い異国の騎士で、在野の身である。……少し齟齬があるか
それがホークの要請に応える形で部隊に同行しているのだから、寧ろ特別扱いは当然ではなかろうか。と、ルークは思うようにした。居直れないのがルークの限界だった
「よくやった。お前達の働き、覚えておくぞ」
「はい……、ありがとう御座います」
後ろに控えはした物の、ホークと村長の会話は大部分が終了していたのか、直ぐに打ち切られた
ホークが尊大に下がってよいと告げると、村長は何度も頭を下げながら民家に消えていく。そこは、ルークが死体を預けた民家だ。葬儀の準備をするようであった
「……地の者を雇うのでしたね」
「それは止めにする」
「理由をお聞きしても宜しいですか」
「必要でなくなったからだ」
ホークは踵を返して、己の騎馬へと向かう。黒毛の騎馬のすぐ傍に、ルークのマルレーネは居た。しきりに地面を蹴っている
「名馬だな。頑強で、馬らしからぬ勇猛さを持ち、足も速い。頭が良く、主人に忠実だ。君と世話係の者以外が近付くと警戒する」
「試したのですか」
「すまなかった。……が、しかし、どんな荒馬も乗りこなす自信があったのだがな」
「…………」
誤魔化そうとしている、とルークは感じた。何故案内する者が不必要になったのか、ぐるぐると疑問が回る
しかし、藪の中に蛇が居そうな気配がした。出来れば突きたくは、無い
ルークとホークは揃って騎乗し、ホークはやがて号令した
「進発! 森に向かう!」
ホークは隊列の最後尾を行き、ルークには自分の右後ろを維持させた
「……何か、企んで居られますか?」
「変な人物だな、君は。はっきり物を言う所は面白いが、もし私が何か企んでいるとして、それを正直に話すと思うのか」
ホークは糞真面目な顔をしていた。ルークは苦笑した。苦し紛れの笑みである
目的の森は、村から然程遠くない。一時間と掛からずに、隊列は其処に到着した
朝だと言うのに、木々に光が遮られ、陰鬱とした空気が漂っている。森は全く幾つもの顔を持っている物だとルークは思った。初めて異世界に侵入した時足を付けた場所とは、全く雰囲気が違う
下馬せよ、との号令に従って、全員が馬を下りた。荷を運んでいた物が手早く数本の木の杭を準備し、槌を使用して地面に打ち込んでいく
騎馬は全て、それに繋いだ。二名がその場に残り、残りの全員で森の中に踏み入る。邪魔な荷物は、全て置いていった
踏み入る段階になっても、ルークはホークの後ろ、隊列の最後尾に居た。騎士達が声も無く抜剣する。ルークも、剣を抜いた。唯一抜かないのは、ホークだけだ
ルークの眉間の皺が深まる。ホークが何も言わないのが気になった。訓示の一つぐらいあっても良さそうな物だが
「浮かれて居ませんか。ここは危険なのでは」
「無礼な。浮かれてなど居ない」
暗いのは最初だけだった。暫し歩くと直ぐに森は開け、光の差し込む広い空間に出る。川が流れていて、サンケラットの死体が数頭、打ち捨てられている
カンセルがその死体に近寄って、膝を着いた。その様子を伺っていたルークは、サンケラット達の死因となった傷口に違和感を覚えた
刀傷であった
「これは……?」
ホークが声を発さず手を振った。騎士達は自らが発する音を出来る限り殺して、散開する。周囲を探っていた
その場に取り残されたルークに、ホークが向き直る。何時もの真面目な、堂々とした態度だった
「君はメノー様に非常に気に入られているな」
「…………」
「別に妬んでいる訳ではない。そんな狭量ではない心算だ。私自身、君を非常に気に入っている」
「ありがとう御座います」
当り障りない台詞を返すルーク
「ルーク、ヨーンの事、どう思った」
「は? ……はい、良い町だと。治安は守られ、民衆は勤勉で、ゼナック殿の手腕の賜物でしょうね」
「そうだ。しかし同じアナリア国の内で、ヨーンのように栄える町は少ない。何故だか解るだろう。皆がゼナックのように高潔で、能力がある訳ではない」
ルークはさり気ない仕草で、腰のコガラシに手をやった
直ぐにコガラシから極細のコードが伸び、胸元にチクリと痛みが走る。コガラシが僅かに震えて、男の声をルークに届けた
『(どうしました、何か問題でも)』
「(テツコ博士か、出来ればファルコンさんをお願いします。急いで)」
『(はい? ……わかりました!)』
ルークは口元を覆った。考えている振りをしていた
「私は別段アナリアが好きと言う訳ではないが、捨て置けん。国を統治すると言う事がどういうことか、ある程度は知っている心算だ。私には、今のアナリアが酷く醜く感じられるのだ」
「それで、それが」
「さて、なんだろうな」
視線を外して、ホークは背を向けた。妖しげな雰囲気に耐えかねて、ルークは追い縋ろうとする
その時、ガサ、と草木を揺らす音が聞こえた。妙に耳に残ったそれにルークは視線を動かし、そして見た
大型のサンケラットだ。縦の長さで、四メートルはある。巨大であった
『(こちらテツコ、ルーク、状況は)』
「(アレを!)」
『(大きい!)』
「ホーク殿!」
散開した騎士達は到底間に合わない。ルークはホークに呼びかける
ホークは首だけ動かしてサンケラットを見た。ふん、と一つ息を吐くと、何と構えもせずに腕を組んだではないか
ルークは堪らず飛び出した。ホークの考えが解らなくなってしまった
何故剣を抜かない!
「失礼します!」
ルークはホークを押しのけた
大型のサンケラットは首を低くして走ってくる。その体から、血を噴出しているのに、ルークは気付いた。これも矢張り刀傷だ
何者が? 考える間もなく、肉薄してくるサンケラット
首を振り上げて、顎を開いた。足を止めたサンケラットに、ルークは剣を振る
ガリガリと奇妙な音がした。サンケラットの首を叩き落す心算の一撃は、何と受け止められていた。白刃をサンケラットの鋭い牙が噛み締めている
「しかし手負いッ」
ルークは剣を捻って振り上げる。牙の拘束を振り払って、白刃は再び朝日に煌いた
しかし、意気込んで振り下ろすより早く、サンケラットの爪がルークの頬を浅く裂いた。ルークが咄嗟に身を引かなければ、目が潰れていただろう
「ルーク! サンケラットは傷を負ってからが本物だぞ!」
「何を悠長な!」
ルークは長剣を右手で低く構え、左手で小剣を抜いた。体を撓らせて、奇妙な足運びでサンケラットに体当たりすると、下がった頭に小剣を突き込む
サンケラットの牙が、小剣の刃も噛み締めた。しかし、圧し留める力が弱い。抉るように捻りながら、そのまま押し込む。サンケラットの口内を激しく傷つけたか、牙の隙間から噴出する生臭い血液
しかし、噛み締めた牙を解けば己が直ぐに絶命すると、サンケラットは悟っているかのようだった。傷つきながらも、口を開いて逃げようとしない
ルークが体を振り回した。右手の長剣が目にも留まらぬ銀光になって、サンケラットの首に吸い込まれていく
ド、と鈍い音を立てて、首の中ほどまで長剣が埋まった。どれ程の激痛だろうか、サンケラットが激しく身を捩る。傷口からは、当然のように大量の出血が起こった
ポンプか何かのように血を噴出する。ルークの鎧があっという間に真紅に染まった。ルークは左手の小剣を放棄して、両手で長剣の柄を握った
ズ、とルークは満身の力を込めて剣を引いた。サンケラットの首が、音を立てて宙を舞い、地に落ちる
気持ちの悪い音を立てて、輪切りにされた首からまた大量の出血が起こった。首が失った事に気付いていないかのように、サンケラットの胴体は数秒、そのままの体制を維持し、やがて倒れこんだ
「期待以上だ! ルーク、君の戦う姿は素晴らしい。私ですら、末恐ろしく感じる」
呼吸を整えて、ルークはホークを睨む。懐から布を取り出して、血に塗れた剣を拭った
「私の器量を見極めて見ないか。当然、厚遇する。君の探し物にも協力しよう。悪くはあるまい」
『(…………なるほど、ルーク、状況は把握した。周囲に反応多数。二百以上居る)』
「断れば私を殺すのですか、ホーク殿」
テツコの言葉に、ルークが視線を巡らせれば、周囲の森から続々と人影が現れた
黒い鎧で統一した兵士達だ。指揮官らしき騎士の姿も多数見受けられる。先ほど散開した騎士達も、その中に居た
「何故こんな回りくどい事を。まさか貴方が、こんな理不尽な真似をする方だとは思っていませんでした」
「その事は謝罪する。この通りだ」
ホークは目を瞑って頭を下げた。ホーク・マグダラの頭は、簡単に下げてよい頭ではない。ルークは思わず口ごもる
「しかし、君が万一アナリアと繋がっていたら困るからな。私としても悩み所だったのを、察して欲しい」
テツコの緊張した声が聞こえた。ホーク・マグダラの感性は、きっとテツコには理解し難い物に違いなかった
『(身の安全を最優先に。ここは話に乗ろう)』
「(ファルコンさんは?)」
『(事後承諾で構わない。ファルコンの嫌味も、生きていてこそだ)』
ルークは目を大きくする。彼らしくない、険しい表情である
「私はホーク殿に好感を抱いていました。ですが、囲んで武器をちらつかせれば、言いなりになる腰抜けだと思ってもらっては困ります」
「ではどうする、ルーク」
「訳の解らない物事に当っては、叩き斬ってみればはっきりする物です」
『(ルーク! 感情的になってはいけない!)』
ルークはテツコの言葉を無視して、ホークに剣を突きつけた
『(あぁ! 全く! 男と言うのは、戦いとなると、途端に自分を抑えないのだから!)』
一騎討ちが望みか、と呟いて、ホークは剣を抜いた。気配が変わった
サンケラットが迫ろうとも、重々しく終に抜かれることは無かった剣が、ルークに対して抜かれた。周りを囲む兵士達が、動揺してざわついた
「貴方のような方は、こちらの方が余程解り易い。全ては貴方の腹の内側を引きずり出してから考えさせて貰います」
「全く君は、爽やかな騎士だ」
ルークはホークに踊りかかった
ホークは全く見事で、屈強な騎士であった
しかしルークも、マクシミリアンの下で鍛えられて来た、秘蔵っ子である
互いの気が遠くなる程の長時間、一騎討ちは続いたが、最後にはルークが剣の腹でホークを打ち倒していた
ルークは周囲を取り囲まれ、槍を突きつけられた状態で、ホークに膝を折った。ホークは仰向けに倒れたまま、満足げに笑ったのであった
――
後書
胡散臭さを出そうとして胡散臭い文章を意識してみた。
実際胡散臭くなったかどうかは知らぬぅぅぅぅー!