ゴッチは、何をしていた訳でもない。ロベリンド護国衆が設営した天幕の内の一つで、面倒くさげに欠伸をゴロゴロ寝転がっていた
その横では、レッドが神経質にギターの手入れをしている。独り言でも、だぜだぜ言っていた
ロベリンド護国衆の戦士が声を上げたのは、ゴッチの体内時計で十二時をやや過ぎた頃合である。「敵襲!」と言う怒声が、三度鳴り響いた。夜営陣地に対して、入り口が外側を向いているゴッチの天幕は、こういう時周囲の状況を把握するのに都合が良い
空気がざわめき始める。天幕入り口の分厚い布を摘み上げて、ゴッチはもう一つ、欠伸した
「敵だ? おー、早ぇよあいつ等。それに、ドイツもコイツも良い面してるじゃねぇか」
硬く、鋭く強張った表情。ロベリンド護国衆は、常には無い殺気を撒き散らしている。背筋に寒気が走るような、人間味を失くした顔付きだ
素晴らしい表情だ、と何故か思った。ゴッチにとって、胡散臭い宗教団体以外の何者でもないロベリンド護国衆は、確かにレッドの言うとおり、戦闘に関してはプロフェッショナルの集団だった
突然の事態にも関わらず、バースの号令で終結した彼らは、各々既に臨戦態勢を整え終えていた。バースの槍の元で、十五名が一糸乱れぬ隊伍を組んでいる
「げ、死霊兵だ! ガランレイに先手を打たれただぜ!」
ギターケースを担いでレッドが喚いた。内容は深刻だったが、レッド自身は何時ものような軽い雰囲気だった。ゴッチは顎を撫でさすって、少し考える
夜営陣地の中心にある焚火を背にして、ロベリンド護国衆は隊列を整えた。些か見え難くはあったが、暗闇の中を腐った死体が走ってくるのが解る
暗中での乱戦になっては、絶対的に不利とバースは判断したのだろう。畏れることなく威風堂々バースは歩を進めて、陣の先頭に立った
「ケ、何時もは良い子ちゃんぶって優等生面してる癖によ。中々男前だぜ」
「兄弟、ティトの所に」
「大丈夫だろ、見ろよアレ」
槍を構えた護国衆達の陣形は、猛然と突撃する死体の群れを当然のように受け止めた。勢いを押しとどめたかと思うと、次の瞬間には切り込み返す
正に一蹴であった。当然のことだが死霊兵の特徴も理解しているらしく、冷静に、腐敗した肉体を引き摺り倒し、首を落としていく。物の数では無かった
「任せといて良いんじゃねーか」
「いや、兄弟、あのなぁー」
ゴッチはもう一度欠伸して、改めて横になる。レッドが頭を掻いて、困り顔になった
びぃ、と布を引き裂く音がした。ゴッチが視線を向けてみると、入り口と反対側の布が引き裂かれて、月明かりが差し込んでいる
腐敗臭を撒き散らしながら、死霊兵が飛び掛ってきた。寝ぼけ眼のゴッチは咄嗟に蹴りを放つが、体勢が悪い為か威力が無い。死霊兵を押し返せず、ガブ、と、肩を一噛みされる
死霊兵の顎力は、全く恐るべき物だった。なんとその牙は、ゴッチのスーツを貫通したのである
「いぃぃってぇぇぇぇぇぇーッッ!!!」
「あぁーもー! 態々奇襲に来といて、アレだけしか居ない訳無いんだぜ」
レッドがぶつぶつ言いながら、ギターケースを振り被って死霊兵を張り倒した
――
「レッド殿! 敵は如何ほどか!」
「ティトじゃないからそこまで読み取れないんだけど……」
円陣を組みつつ四方八方から襲い掛かる死霊兵を打ち倒しながら、バースが叫んだ
円陣のすぐ近くで、ゴッチに護衛されながら、レッドは片膝を着いてうんうん唸っている。周囲を蒼い光が飛び回って、小さな風を起こしていた
「取り囲まれてる、数え切れねぇー! こいつぁ駄目だぜ!」
「長は? まだ御自分の天幕にいらっしゃるか!」
「多分な! ゼドガンも一緒だろ?」
「よし、下がるぞ!」
バースが大声で号令した。一斉に移動を開始する護国衆に、死霊兵が追い縋る
「兄弟!」
「俺かよ! あーったくよぉー!」
ゴッチは台詞とは裏腹に、嬉々とした表情で死霊兵の群れに飛び込んだ。当然死霊兵達は、一斉に群がってくる
ばちん、と、一瞬黄色い閃光が走ったら、その後はもう地獄だ
地面に四肢を着けて、獣のような唸り声を上げたゴッチは、全方位に遠慮なしの放電を行った。目を焼く閃光が数え切れない程の死霊兵を撃ち抜き、消し炭に変えていく。バースが後ろを振り返って、おぉ、と唸り声を上げた
一気に嫌な臭いが立ち込める。レッドは飛び上がってゴッチを褒め称えた
「うっひょー! 流石兄弟! 半端じゃねぇだぜ! パねぇ! パねぇ!」
「ったりめぇだろ! オラ、とっとと行くぞ!」
ティトの天幕は、ゴッチ達のそれよりも、ある程度離れた場所に設置されていた。それも地べたにそのまま設置されたのではなく、木材の足場を組み立てて、その上に、である。長に相応しい特別扱いだ
そこでバースとゼドガンの二人組みが護衛を行っていた。バースはゼドガンの人柄を深く信頼しているようだった。兵を率いなければならないと言う理由があったとは言え、ティトの護衛を任せきりにして死霊兵と戦闘を行ったことから、それが感じられる
散発的に襲い掛かってくる死霊兵を打ち倒しつつ、ロベリンド護国衆は走ってゆく。ゴッチとレッドは、その殿を護った。護った、と言っても、何かするほど死霊兵が襲ってきたわけでもないが
ティトの天幕まで到達すると、其処には荒い息を吐きながら槍を構えるティトと、大剣にべっとり張り付いた血糊を振り払うゼドガンが居た
周囲には、死霊兵の残骸が積まれている。どれもこれも二分割にされていて、ゼドガンの一撃である事が伺えた
全て一撃か、と護国衆の兵士が感嘆の溜息を漏らした
「うん……。状況から察するに、容易に撃退出来るような規模ではないみたいだな」
「その通りだ、ゼドガン殿。良くぞ長を護ってくれた」
「無事を喜ぶのは後にしとけ。奴ら、どんどん着やがるぞ」
天幕の影から飛び出してきた死霊兵が、ティトに襲い掛かる。ゴッチが飛び込んで、爪先で死霊兵の顎を蹴り上げた
ふわ、と持ち上がった死霊兵の身体に、ゼドガンが大剣を振るった。神速の踏み込みであった
上半身だけでビクビクと這いずる死霊兵の首を踏み砕き、ゴッチは声を上げた
「イカしてらぁ!」
「褒め言葉だな?」
ティトが槍を杖にして、踏ん張る
「バース、みなは?!」
「一人も欠けておりません」
「逃げられなさそうな感じ! この期に及んでは、遺跡に切り込むよ!」
「従いまする」
「レッド様、力を貸して」
レッドが腕組みして、感慨深く頷く
「オッケーだぜ! ティトも、段々貫禄が出てきたなぁー」
「のんびりしてる場合か、手札があるならとっとと切れや!」
――
その後、何を思ったのかギターを掻き鳴らして歌い始めたレッドの周囲に、光の壁が出現した。光の壁はレッドのシャウトと共に巨大化し、半径十メートルほどを包み込む円陣になった
奇跡のマジカルソングだぜ、などとレッドは茶化していたが、そのマジカルソングの威力が発揮されるまでの四十秒間、ヒイコラ言いながらレッドを護衛した面々は苦り顔である
しかし、完成してしまえばそれは全く凄まじい物であった。光の壁は触れた死霊兵を尽く塵に返して、一掃してしまったのだ
効力が続いている間は死霊兵は手出しできない、と堂々語るレッドは、なるほど、魔術師であった
そこからは駆け足での強行軍である。最早目前、と言うところにまで迫っては居た物の、ある程度の距離はあった。一時間かそこいら走り続けて、漸く到着した目的地は、森林を越えた先に存在する絶壁であった
一行は、一部を除き荒い息を吐きながら、緊張した面持ちで其処を見詰める
「ここだぜ、ここ、ここ。この洞窟。コレが入り口だぜ」
「正にダンジョンって感じだな」
「ワクワクする?」
「前にも一度入ったんだっつーの」
絶壁には、一箇所、ぽっかり穴が開いていた。陰鬱な空気が漂う、嫌な気配のする洞窟だ
夜と言うこともあって、その嫌な気配が助長されてしまっている。魔物が大口開けて待ち構えているようにすら、ゴッチには見えた
ゼドガンが、魔物の大口に歩み寄って、しかし手前で立ち止まる。眉を顰めたかと思うと、背負っていた大剣を抜き放ち、縦に振り下ろした
ピタリと、その大剣が空中で静止した。ゼドガンが止めた様には、見えない。その次の瞬間、ゼドガンの大剣は、強力な反発を受けて、弾き返されていた
「何だこれは。全く、面白い事や初めて見る事が立て続けに起こって、退屈する暇が無いな」
ゼドガンが大剣を背に収め、苦笑いする
「えー、ほれ、アレだろう。ファンタジーに在りがちな、結界とかそういうのだ」
「……間違っては居ないけれど、ふぁんたじーって、何?」
「あん? 何だよ、何の心算だ?」
物珍しそうに洞窟の入り口を眺めるゴッチを、ティトがやんわりと押し退けた
ロベリンド護国衆の中で、最も疲労しているのがこのティトだ。ひ弱な足手纏いと言っても間違いではないティトに、ゴッチは訝しげな視線を向ける
「ティトの槍は、ロベリンド護国衆が世界に誇る神秘の槍なんだぜ。曰くも在って霊験あらたかな宝物なんだけど、取り敢えず便利な槍って覚えとけば間違ってないだぜ」
「レッド殿……その言い様は幾らなんでも」
ぎゃーこら言う間に、ティトは迷わず洞窟へと近付いていく。槍の穂先を地面に向けた後、奇妙な呪文を唱えると共に、それを突き出した
強風が吹きぬけて、ゴッチは目を細める。それが収まった後には、矢張り眠たそうな半開きの目を擦るティトが居た
「え? 今ので終わりか?」
「良いじゃない、何事も無くて万々歳ってモンだぜ、兄弟」
「いやぁ、ゴッチではないが、俺としても何か一悶着ある物だと」
正直言えば、拍子抜けだったが
腕組みしながらゼドガンが言えば、それは起こった
洞窟入り口から妙に生暖かい風が吹いたかと思うと、一行の周囲を護っていた光の壁が、前触れも無く消滅してしまったのである
全員の視線がレッドに集まる。レッドは、頭を掻き毟る
「え、いや、ちょ! ガランレイだぜ、俺のマジカルソングが、よどんだ魔力に掻き消されちまった! バカー! ゼドガンが不吉な事言うからだぜ!」
「俺のせいか?」
ゴッチは首だけで振り向いた。暗闇の森の中を、凄まじい速度で接近してくる複数の影がある
「来てるぞ」
「やっべぇーだぜ!」
「……別によぉ、奴らをぶっ潰せっつーんだったら、俺がここで足止めをやってやらん事もねーが」
「足止めに戦力を割きすぎては、本末転倒だろう」
え? とゴッチは驚いたような顔をした。バースから、遠まわしとは言えゴッチを認めるような台詞を面と向かって言われるとは、思っていなかったのだ
バースが槍を掲げる。護国衆達が顔を見合わせて、素早く隊列を組んだ
バースは洞窟入り口に背を向けて、硬い声音で言った
「我らで入り口を死守します。中に何があるか解らぬ以上、背から追われる訳には行かぬ。レッド殿、どうか、どうか長をお頼み申す」
「そりゃ言われなくとも面倒みるけど」
「ならば安心だ。……まぁ、元々我々は、こういう時の為に来たのだ。囮か、陽動か、それがこの事態になった所で、大差ない故な」
「バース……」
青い顔でティトが呼ぶ。バースはドン、と自分の胸を叩いて、存在しない右耳に手を添えた
「ご心配召されるな。長の声は、このバースの右耳、絶対に聞き逃しませんので」
唇を噛むティトの背中を、ゴッチは平手で張った
「ケ、とっとと片付けてやろうや。お前が急げば、こいつらも助かるか解らんぜ」
ティトは大きく息を吸い込んで、バースに背を向けた。洞窟へと向かって走り出していた
「必ず戻るよ!」
「行って来る。バース殿、武運を祈る」
ティトを追って、ゴッチ、レッド、ゼドガンも走り出した。ゴッチは何ともいえない複雑な顔をして、小さく舌打ちした
「柄じゃねぇよなぁ」
「良いんじゃないか。俺はこういうの、好きだぞ」
ゼドガンが大剣の柄を握りながら答えた
「お前が好きでもなぁ」
「俺もこういうの好きだぜ、兄弟!」
「お前はどうでもいいや」
――
「トップは俺が……先頭は俺が取る。最後尾はゼドガンだ。文句ねぇだろ」
速度をぐんぐん上げて先頭に踊り出たゴッチは、ティトの長い髪をぐしゃぐしゃに掻き回して言った
反論は出なかった。スーツをはためかせながら、ゴッチは拳を握った
道は一直線だった。以前ゴッチとダージリンが通った道よりも、遥かに綺麗に舗装されている。どうやら、これが本当の本道らしい
「千里眼ってのが使えるんだろ? きっちり索敵しろよな!」
「解ってるよ! 早速来た!」
「どっからだ?!」
道は一本道だ。壁で光を放つ不思議な石のお陰で、奥のほうまで見渡せるが、敵の姿は無い
ティトが顎を上げて、上を見る。違和感を感じさせる大穴が、そこには開いていた
「上ぇー!」
ティトの絶叫と、敵の出現はほぼ同時だった。鉄の剣と盾を持った古めかしい骸骨が、上から落下してきた
骸骨の戦士たぁ、また在りがちなモンスターだぜ、ゴッチは跳躍し、ドロップキックを敢行する
「ダッシャァァァァーッ!」
骸骨は盾を突き出して防御したが、ゴッチのドロップキックは防御の上から骸骨を叩き潰した
腕と肋の骨を粉砕して、バラバラに吹っ飛ばす。ゴッチはゴロゴロと前転すると、ケ、と嘲笑一つ残して何事も無かったかのように走り続ける
「まだ来る!」
ガシャン、ガシャン、ガシャン、と骨を鳴らしながら、何体もの骸骨戦士が前方の通路に降ってくる
後ろを顧みれば、そこにも骸骨戦士は出現していた。ゼドガンは涼しい顔でそれを一瞥し、無視して走り続ける
「どうする、兄弟」
「骨とダンスして楽しむキチガイはいねぇだろ」
「だよなぁ」
ゴッチは剣を振り被る骸骨戦士に、今度はショルダータックルをお見舞いした
群れ成す骸骨達に、突撃する戦車ゴッチ号。ショルダータックは骸骨を弾き飛ばしたりはせず、そのまま玉突き事故のように次の骸骨、また次の骸骨を巻き込み、巨大な塊になって強引に前進を続ける
「ぬぁぁぁ」
呆れ返るほどの、全く見事な力技であった。ゴッチの蹴り足が舗装された床に亀裂を入れる度、塊は猛烈に押し込まれていく
やがて通路は終わり、大きな広間へとゴッチは侵入した。当然、ごちゃごちゃした骸骨の塊を押しながら
しかし止まらない。まだ止まらない。一塊になった骸骨達と共に広間の壁に激突して、そこで漸く前進を止める。ゴッチは拳を引き寄せて、眩い雷光を纏わせた
「腐った肉がついてねぇだけ、まだ可愛げがあるぜ、手前等はよ」
塊に突き刺さる拳。稲妻が走って、破裂音が鳴り響く。骸骨達は木っ端微塵になって、四方八方に飛び散った
手の埃を叩き落として、ゴッチは居住いを正した。背後を追随してきたティトはポカンと間抜けな顔をしていた
「レッド、俺が切り倒しても良いのだが、後ろの連中はどうにか出来ないか?」
「任せとくだぜ。ちょちょいのちょいさぁ」
ガションガションと音の成る通路を振り返って、レッドはポケットから茶色い布袋を取り出した
口を開いて逆さまに振れば、錆色の粉が床に撒き散らされる。レッドがそこに掌を置いて鼻歌を歌えば、なんと粉末は白く燃え上がった
後には、ガラスの粉のように変質した粉末が光と共に漂うだけだ。通路を追ってきていた骸骨の集団は、膝を着いて動きを止める。どうやら、近付けないらしい
「まぁ、丸一日は持つだぜ」
「全く、便利な奴だぜ、お前はよ」
「俺ってば出来る男だから。へっへへ」
空気が緩んだところに、再びティトが声を上げる
「え」
「あん?」
「何か来てる」
「何かって……なんだよ」
「いや、その…………」
ガコン、と重たい音がした。通路から見て、広間の右奥の方からだ
例によって壁には光る石が取り付けられていて、視界は問題ない。ティトが口篭ったのが、問題だった
「敵か?」
「敵じゃない……ような」
もう一度、ガコンと音がする。すると、埃をぱらぱらと撒き散らしながら、壁の一部が床へと沈み始めた
全員、身構えた。ティトの態度は気になるが、ここは敵地だった
そして現れる、まだら色の布を頭に巻いた、黒髪の少年。ゴッチは目を擦った
グルナーだ
「あぁ! ご、ゴッチ!」
「お前確か……グルナー、だっけか? 何だお前、何でこんな所に居やがるんだ」
「ゴッチ……」
「何、お前、泣いてんの?」
「泣くか!」
グルナーは顔を真っ赤にして言い返したが、何処からどう見ても泣いていた
レッドとゼドガンがジッと見詰めてくる
「知り合いだ。……だがこんな所に居る理由は……。コイツ、本物か? 偽者とか言うオチじゃねぇだろうな」
「人間だよ。可笑しな所は何処にも無いよ」
ティトも、非常に不思議そうだった
――
路上で物乞いをする洟垂れ餓鬼も、爆発物か銃を懐に忍ばせれば、立派な脅威だ。ゴッチは覚えのある面を前にしても、安易に近寄ったりはしなかった
「ご、ご、ゴッチ?」
「寄るんじゃねぇ、そこでジッとしてろ。頭吹っ飛ばされたくなけりゃな」
グルナーの小さな身体を見下ろして、ゴッチは拳を握り締める。ゼドガンが不思議そうに唸りながら、それでも大剣に手を添えた
「お前はグルナーか?」
「そうだよ。何を言ってるんだ」
「ここがどんな場所か解ってるか」
「い、いや、知らない」
「何故ここに居やがる」
「村で使う薬草を取る為に、湿原に行ったら、化物達に襲われて、それで逃げてる内に…」
「ソイツは腐った死体か」
「そう、そうだ! ゴッチ、知ってるのか?」
「一人でここまで? ずっと?」
「いや、その、ハーセ様っていうアナリアの兵隊長の人が護ってくれたんだ。もうずっと前に逸れてしまったけど……」
ゴッチが顎で、グルナーを示した
「レッド」
「ティトの言うとおり、何も無いだぜ。至って普通のチェリーボーイさぁ」
肩を怒らせてゴッチは歩を進める。威圧的な態度に、グルナーはたじろいだ。死霊兵に散々追い掛け回されたらしい、埃にまみれた小さな身体が、強張って震えた
「止めろよ、ゴッチ、冗談だろう?」
目前にまで来たゴッチに、完璧に脅えてしまって、身を縮こまらせて萎縮する
二歩、後退りしたグルナーを、問答無用に抱きしめて、ゴッチはバンバンと背中を叩いた
「はっは! お前みたいな餓鬼が、よく生き延びた。大した男だぜ、グルナー」
耳まで朱に染めて、言葉を失う。イニエのグルナーは、まだ子供である
――
「み、ミランダローラー、本物だ……。あ、貴方の事、知ってます! ミランダ最高位の冒険者、“偉大な剣”」
「その呼ばれ方はくすぐったいな」
グルナーを加えて、レッドとティトをツートップに慎重に索敵を行いながらも急いで進む一行は、情報を交換していた
イニエから来た大人びた少年はどう考えても足手纏いだったが、捨て置いて死なせてしまったら後味が悪い。もしもの時はレッドがどうとでもすると言うので、結局連れて行く事になった
グルナーから得られた情報に、ゴッチは苦笑いする。雷の魔術師ファルコンの話は、イニエの村にまで広がっているらしい
先ほど言っていたアナリアの兵隊長、ハーセとやらが、“魔術師ファルコン”の足取りを追って、イニエに現れたというのだ
「まぁ……ゴッチは恩人だし、それにイニエの村に、“ファルコン”なんて奴は来なかった物な」
充血した目をぱちぱちさせて、グルナーはペロっと舌を出した。常ならば子供ながらに実直で、正直そうな小顔が、今は冗談っぽく微笑んでいる
舗装された通路は長い年月を経て歪み、所々が段差になっていた。その段差に引っかかりそうになりながらも、小走りに着いて来るグルナーは、子犬のように見えた
「しかし、何でまたお前は、そのハーセとやらと死霊兵に追い掛け回される破目になったんだ」
「さっきも言っただろう。薬草取ってるときに襲われたんだ。薬草を売って稼いでるんだよ、イニエの村は。あんまり作物が育たないんだって。……村長が言ってた」
レッドがギターケースを背負いなおして、咳払いした。ガリガリと頭を掻きながら何か言いたげにゴッチを見る
ゴッチはレッドの肩に腕を回して、無遠慮に体重を掛けた。下品に笑って、グルナーを顎で指す。レッドは、何でもないように笑いながらも、ゴッチに耳打ちした
「だってよ、レッド。いい根性してるぜ」
「……(イニエの村ってのは……実は、アシュレイとガランレイがボー・ナルン・クルデンを討伐した時、毒気に冒されて、緑の育たない死の大地になった場所に作られたんだぜ。ガランレイとその一族が、時間を掛けて大地を癒すためにな。…………まぁ、今となっちゃ、知ってる人間なんて殆ど居ないだろうけど)」
ほぉ? とゴッチは眉を顰めた
そういえばイニエの村長も、「イニエに魔術師が来たことはない」と言っていた。当のイニエの村の長が知らなければ、他の者は尚知るまい
「(幾らなんでも、子供がこの遺跡に迷い込んで、無事で居られる訳が無いだぜ。きっと、ガランレイが魔物や罠から護っているんだ。死霊兵に襲われて、生き残ってるのがその証拠さ。……ひょっとしたらガランレイとも、まだ話し合いの余地があるかも知れない、ぜ)」
「(何故だ? ……詰まりグルナーが、ガランレイの一族の末裔だからか?)」
「(女は情が強いんだぜ。俺たち男なんかより、よっぽど優しいのさ)」
死霊兵をけしかけてくる二百年前の幽霊が優しいのだ、と言われても、ゴッチは頷けなかった
「で、ハーセってのはどうしたんだ」
「……解らない。ここに迷い込んで、その、死霊兵ってのに追いかけられて……。湖のある広い場所で、凄い怪物に襲われたんだ。そこからは、よく覚えてない……」
湖、という言葉に、グルナーを除く一行は、顔を見合わせた
「どんな怪物だ?」
「ねぇ、君、そこまでの道のり覚えてる?」
ティトがぼんやりと言う。眠たそうな目が、僅かに開かれている。被さった声に、ゴッチは肩を竦めて見せた。少し逡巡した後、グルナーはティトの質問に答えた
「何となく、なら。出鱈目に走ってきたから少し曖昧だけど。そんなに曲がり角とかは無かったと思うし」
「それでも良いよ」
ふんわりと微笑んだティトに、グルナーは赤面した
「行く宛てが出来たのは良いが」
最後尾のゼドガンが、唐突に声を放った。ゼドガンはしきりに後ろを気にしていて、その様子はゴッチもレッドも、気に掛かっていた
「急がないか。何かが着いて来ている」
「何だと?」
「姿は見えずとも、冷たい殺意が伝わる。嫌な気配だな、これは」
「ティト?」
「……私には、解らないよ。何も居ないように感じるけど」
ゼドガンの調子は相変わらずであった。追ってくる者がいる、と、信じて疑っていない
「俺には解る。武に生きるから、武を知る。相当な強者と見た」
「ティトのはセンス、ゼドガンのはスキルだぜ、兄弟。どっちも信用できる。片方が危険だと感じるなら、警戒すべきだ」
ゴッチは後ろを振り返って、真直ぐな通路を眺める。光源はあるものの大した光量ではないので、視界は驚くほどに狭い
薄暗闇が、ぞっとするほど不気味だった。歯を剥きだしにして笑うゴッチは、凶相と言って過言で無かったが、その余裕にグルナーは勇気付けられたようだ
「急ぐか。どうせ行かなきゃならねーんだ」
「じゃぁ、お願いするよ、グルナー君」
「あぁ、うん、じゃない、はい……。解りました」
――
レッドとゴッチのツートップに替わって、最後尾をゼドガン。並んで歩くゴッチとレッドは、声を潜めた
ティトは、なにやらグルナーを構いたいようだった。しきりに世話を焼きたがっているように、ゴッチには見える
レッドは肩を竦めたし、ゼドガンは微笑ましそうにしているだけだ。ゴッチを見て嘔吐までした失礼な娘は、ここに至っては至極元気であった
敵の根城と言うなら、今まで以上に奇怪で面妖な場所だろうに
「流石にここまで来ると、ガランレイが恐ろしくて、大抵のお化けは入ってこれないんだぜ。兄弟に引っ付いてた奴とかな」
「ソイツは良い事を聞いたな」
「でも、兄弟がガランレイに目を付けられてるのは変わらないだぜ。独断専行は止めたほうが良い」
「…………」
ゴッチは変な顔をして、手をひらひらさせた。レッドがティトを見遣って、こちらも変な顔をする
「気を紛らわしたいんだぜ、きっと。こうしてる間にも、バース達は戦ってるから」
「お前が骸骨どもを抑えるのに使った奇妙な粉末を、入り口で使えば良かったんじゃねぇか?」
「流石に数百を数える死霊兵が相手だと、そんなに保たねぇー」
ソイツは残念な事だ、と、心にも無い事を言って、ゴッチは首を鳴らした。グルナーの些か不安な案内で進む道中、未だに敵襲は無い
拍子抜けといえば、拍子抜けである。ゴッチも、ゼドガンも、そういう顔をしている
しかし、グルナーが怪物と出会ったと言う湖の広場に出たとき、余裕の色は消え去った。上手く言い表すことの出来ない、奇妙な雰囲気があった
湖から天井までを眺めるゴッチの右肩を、レッドが突いた。ゴッチは、首を振る
「俺は知らんぜ、この場所は。この湖は?」
「コバーヌの炎じゃないだぜ。普通の湖に見える」
前、ゴッチが骨竜ボー・ナルン・クルデンと遭遇した空間は、もっと広く、今よりも更に陸地が少なかった
どうせなら、こっちで遭遇したかったぜ、とゴッチは唾を吐いた。これだけ陸地があれば、むざむざ遅れは取らなかった
「“普通の湖”?」
ティトが変な声を出して、首を傾げ、湖に近寄った。その途中、急に立ち止まったと思うと、顔を青褪めさせて直立不動になる
鳥肌を立たせていた。ゴッチ、レッド、ゼドガンの不良三人組が、揃い踏みして湖を覗き込む
肉の無い、骨だけの魚が、数え切れないほど泳ぎまわっていた。ゴッチとゼドガンの物言いたげな視線が、無遠慮にレッドに突き刺さった
当然だがゴッチは、骨の魚が泳ぎまわる奇怪な湖を、「普通」と言ってのける程無神経ではない
「え、いや、ほら。……元気な魚だぜ、やっぱ、こんぐらい泳いでないと、だぜ」
「何処が元気だ馬鹿。痩せまくりってレベルじゃねーぞ」
ふと、ゼドガンが腰を落とし、大剣の柄を握り締めた。ゴッチはそれを横目で見遣って、グルナーの首根っこを捕まえる
ティトが青褪めた顔で、槍を抱きしめるのも、見えた。今更言うまでも無い事だが、危機回避能力は別として、最も索敵能力の低いのがゴッチだ。その事が本当に少しだけ、ゴッチは不満である
「怪物が出たってのは、ここで間違いねぇんだな?」
「そ、そうだ。ハーセ様ともここではぐれてしまって」
ほぉ、それじゃ、とゴッチはグルナーを通路の方へと放り投げた。荷物扱いだった
「さっきは聞きそびれたが、どんな怪物だ?」
「いて! ……でっかい骨だ。蜥蜴の頭みたいな」
「――! ドッカァァァァァーン!」
唐突に、レッドが絶叫して、大跳躍した
湖の中から水飛沫と粉砕された魚の骨を撒き散らしながら、何かが飛び出してくる。ゴッチには見覚えのある相手だ。巨大な竜の頭蓋骨
「ボー・ナルン・クルデンだぁぁぁぁぁーッ!」
レッドが雄叫び上げて、真紅のギターを振り被る。空気に溶けるギターケース。目にも留まらぬ速度で襲い掛かってくる骨竜を、そのギターは正確に捉えた
「ガッキィーンッ!」
哀れにもレッドは吹っ飛ばされた。勇ましいのは掛け声だけである
きりもみ回転しながら壁に叩きつけられたレッドはそのまま湖に落下し、体中を骨の魚に噛み付かれながら、悲鳴と共に這い上がってくる
「レッド様!」
頭部が歪に歪んでいるのを見て、ティトが悲鳴を上げた。頭蓋骨が陥没していたのだ
ひーひー言いながらゴッチの背後に滑り込んだレッドの身体を、青い光が取り巻いた
「いててて、パワーがダンチだ、俺じゃ無理だぜ」
「頭がその有様で、なんで生きてられるんだ?」
「うひー、頭蓋骨が逝っちゃってるだぜ。痛ぇ、回復に少し時間が要る!」
「“少し”で治るのかよ……。ったく、手間ぁ掛けさせやがって」
ゴッチが前に飛び出した。クルデンの頭蓋骨が、大口上げて突撃してきていた
気合一発拳を打ち込んで、しかしそれでも前進してくるクルデンの大顎を抑えにかかる
がっつりと組み合うゴッチ。ゼドガンとティトが得物を振り翳し、ゴッチの援護に入った
ティトが槍で突けば、強風が巻き起こってクルデンが揺らいだ。曰くつきの槍は、悪魔の矢で操られた竜にも効果があるらしい
ゼドガンの大剣がクルデンの鼻骨に食い込む。バリバリと歯を食いしばるゼドガンは、そのまま鍛え抜かれた両腕を振り切って、クルデンを押し返した
「マッハキィック!」
そこに、地をけり、空をカッ飛んで行くゴッチ。一本の棒のようにピシリと足を伸ばしきった、強烈な前蹴りが、クルデンの鼻面に炸裂した
この男に、重量比だの体格差だのと常識が通用する筈もない。クルデンは先ほどのレッドのように回転しながらふっ飛んで行く
「やるじゃねぇか、足手纏いのお嬢様って訳でもねぇんだな」
「当然だぜ。ティトは俺が育てた」
「るせー、手前はとっとと傷を治せ」
「いけない! 後ろからも何か来てるよ!」
状況が悪化する。常人なら死亡確定の蹴りを打ち込んでも、クルデンには微々たる物だ。その理不尽を相手にしながら、今度は挟撃されるのだ
叫んだティトに、ゴッチが飛ぶ。今しがた吹っ飛ばしたクルデンの大顎が、早くもティトを狙っていた。ティトを引き摺り倒して地に伏せれば、頭上をクルデンが通過していった
コイツは駄目だ。ゴッチ達の居る戦闘レベルまで、明らかに到達できていない。これ以上は無理だった
「無事だな? お前はグルナーのお守りをしろ。ここは俺らで何とかする」
「わ、解った。……無力だね」
「そうでもねぇさ、手前はマシな部類だろ。よし、行け」
怪物の威容に圧倒されて動けないグルナーは、駆け寄ったティトによって大いに安堵したようだった
ゴッチは雷光を前進に纏わせ、奇声と共にそれを爆発させる。肉体に力が漲り、視界が広まってゆく
ゼドガンが、この状況下で尚悪戯っぽく笑いながら、ゴッチの背に立った。背中合わせに語り合う何かがあった
「良い事を思いついた。俺がゴッチの背を護り、ゴッチが俺の背を護れば、無敵ではないか?」
「ケ、……しゃぁーねーな」
「素直でない奴め」
ゼドガンが背後に居るならば、と、ゴッチは目の前の空飛ぶ竜の頭蓋骨にのみ集中した。相も変わらずクルデンは自由奔放に飛び回り、こちらを窺っている
右の拳が疼いた。前は無様にも追い立てられた。ダージリンが居なければ、更にクルデンを調子付かせる結果に終わっただろう。ここで「死んでいただろう」と言わない所にゴッチの底の浅い意地がある
「…………さぁ、決着つけてやるぜ! 俺はロベルトマリンのアウトローだ! 『隼団』のゴッチ・バベルだ! ドイツもコイツも、這い蹲れ!」
クルデンが再度、大顎開いて襲い掛かる
――
後書
今回は内容無いヨー。空気回ヨー。
だらだら更新したっていいじゃない、けだものだもの