ワクワクしながら異世界に降り立った瞬間、ゴッチは何かにバックリと頭を飲み込まれていた
「いきなり生臭ぇ!」
口が長細い。鋭利でギラギラと光る牙がある。口の長さのわりに舌が短い。解る事なんてその程度だ
牙がゴッチの首を噛み切ろうとするので、寸での所で指を差し込んで阻止した。頭を銜え込んでくれた生臭い奴が、ぶんぶんと首を振ってゴッチの頭をもぎ取ろうとしてくるので、ゴッチは豪腕を駆使し、力ずくでその顎を開かせた
「何だよ、恐竜か? あぁん?」
赤茶色の肌をしたそれは、幼い頃博物館に飾ってあった恐竜の絵と似ていた。ラプターだ
ゴッチによって無理やりに顎を開かされ、ギャーギャー鳴いている姿は、どうにも間抜けだった。ゴッチは忌々しげに舌打ちすると、恐竜の顎を握り締めたまま、腕を振り回す
「うがぁらッ!」
恐竜は前傾姿勢だったが、それでも全長はゴッチと同じぐらいである。決して軽くはない
が、ゴッチにしてみればたいした重量ではない。宙を舞わせ、盛大に地面に叩きつけた。握り締められた顎を含め、全身の骨を粉砕された恐竜は、血を吐いて動かなくなった
『ゴッチ、無事か?』
「テツコか。こんなモン、猫にじゃれ付かれたのと変わんねぇぜ。生臭いのは勘弁だがな」
『ここは森のようだね。霧が出ていて地形データが取り難い。うん? 川があるようだ。生臭いのが気になるなら洗ってきたらどうだ?』
コガラシがふよふよと辺りを飛び回る。確かに、森のようだった。人の手が加えられていない植物を見るのは、ゴッチは初めてだ
水音のする方へとゆっくり歩きながら、ゴッチは呟いた
「何か、体が軽いな。空気が上手いから気分が良い」
『川が見えたな』
「ほ? そうなのか。霧が深くて、解らん」
『念の為に、毒素等が無いか調べてみよう』
「早くしてくれ。正直、さっきの恐竜野郎の生臭い唾液が気持ち悪くて堪らんぜ」
ゴッチにも、川が視認出来る位置に来た。コガラシがふよふよと水の上まで飛んでいくのを、ゴッチは見守った
『問題ないようだ。…………ん?』
ゴッチが川の水に手を伸ばそうとした時だ。水の中から、巨大な影が跳ねて出る
『ゴッチ、魚だ。これは凄い、こんな巨大な淡水魚が居るとは。君の二倍くらいの体長だぞ』
バクリと、ゴッチの頭は再び飲み込まれていた。しかもその口内の生臭さは、先ほどの恐竜の比ではない
「またかよ! どうなってんだよ、この森はよォーーッ!」
ゴッチは怒りに任せて大量の電気を放出した
――
『…………一通り調べたが、この魚にも解る範囲では危険な物質は無いな。恐らく食用に出来る』
「そうかい、それじゃもし食うに困ったら、川に電気流せば良い訳だ」
『未知の毒物等が無ければね。しかし、その漁獲方法はマナーが悪いぞ』
「釣りは趣味じゃないんだ」
コガラシの向こう側で、テツコがクスクス笑った気がした。ゴッチは座り込んで、今後の話をしようとコガラシを引き寄せる
情報の再確認がしたかった。湿り気を帯びた、枯れ草交じりの土の上で、ゴッチは唸りながら頭を掻いた
「それで、メイア3の居所は全く見当もつかねぇのか?」
『メイア3稼働中のシグナルを感知することはできる。だが、そのシグナルが何処から発信されているのかは全く解らないんだ。しかし断片的な情報なら得ている。ジェファソン博士がメイア3とギリギリまで通信を行っていた時に得た情報だが…………。まず彼女は、それなりに大規模な人類の生活圏に居ると思われる』
「ほぉ、それならもしかして、大分楽になるんじゃねぇか?」
『恐らくはね。そして『ラグランローラー』、『アシラ』と言う単語。通信が断絶寸前で聞き取り難かったらしく、こちらは多少なりとも齟齬が出る可能性がある。加えて、何を指す単語かも不明だ。街か、人か、或いはモンスターかも知れない』
「何もないより遥かに良いぜ。兎にも角にも、“誰か”か“何か”を見つけなきゃ話が始まらん訳か」
ゴッチは近くに落ちていた枯れ枝を握り締めて、放電した。ブスブスと煙を吹き、直ぐに枯れ枝は燃え始める
魚を焼く準備だ。ゴッチは、霧が晴れない内は動く心算はない
「腹は減ってないが、食える時に食っておかねぇとな」
『何とか森を抜けて意思疎通が可能なレベルの知能を持った生物を探してくれ。コガラシには翻訳機能もついているから、言語等の心配はしなくて良いよ』
「そりゃ頼りになる。宜しく頼むぜ、テツコ。ついでに一つ質問なんだが」
『何?』
「メイア3にも同じような翻訳機能が装備されていると考えて良いのか?」
『肯定だよ、ゴッチ』
――
その後丸焼きにした魚をゴッチが余す所なく完食するのを見て、テツコは全く納得行かないと不満げな声音で言った
どう見たって、魚の方がゴッチよりも大きい。非常識だ、とブツブツ言うテツコは、確かに科学者らしかった
丸三日歩く内に、森を抜けていた。どうやらワープしていきなり遭遇した恐竜と魚が特別らしく、殆どの虫や動物はゴッチを見ると逃げ出して、襲ってきたりはしなかった
『一日以上風呂に入れないと言うのは辛そうだな。私だったら汗が気になってしょうがないと思う』
そういうテツコは、どうやら日常生活にコガラシの端末を伴っているようで、何時声を掛けても返事が返ってくる
テツコが全力でサポートするのだと言ったら、どうやら本当に全力らしい。睡眠を取る時のみ、SBファルコンか他の研究員が代わって、ゴッチのサポートをする段取りであった
とは言っても、テツコが寝る時間ならばゴッチが寝ても可笑しくない時間だったので、その場合の仕事は何かあった時の為の警戒だったが
「そうでもない。ピクシーアメーバってのはタフでな、発汗による体温調節なんて要らねーんだ」
『本当か? 汗は掻かないのか』
「俺は電気を放出してんだぜ。純粋な人類みたいに四十度ちょいでへばってたら、とても生きていけねーだろ。それに風呂の事で文句言ったってよ。……よくよく考えりゃ、コガラシに“歯磨き機能”なんて物が付いてる時点で、サバイバルやる身分としちゃ贅沢だろ」
『歯磨き機能は毒物対策さ。事前にコガラシで歯磨きを行っておけば、胃腸に取り込んでから効き始めるタイプの毒をある程度中和できるんだよ』
テツコは軽口を言い返したかと思うと、興味深いと言って黙り込んだ。汗が苦手だと言う彼女は蛇で変温動物だが、身体的特徴に蛇の部分が殆どないなら、生理現象も人間に近いに違いない
と、ゴッチは思う事にする。ゴッチはゴッチで外見は丸きりただの人間だが、細胞は極めて乾燥に強いピクシーアメーバの物だった。アメーバらしくはないが
「しかし、いったい何処まで歩きゃ良いのやら」
ゴッチは、欠伸をと伸びを同時に行った。彼の目の前には、何処までも続く草原があった
今まで、空の色や足元の雑草に注意を払ったことは無い。空は何時も大体灰色だったし、注意を払えるほどの植物が無かったと言うこともあるが
ここの空は見たことも無いような美しい青色をしているし、植物は無駄に活力があって自己主張が激しかった
口ではげんなりした風を装ったが、ゴッチは内心感動していた。少しだけ
『こういう風景を見るのは、生まれて初めてだ。昨日までの森も当然初見だったけど、私はこちらの方が好きかも知れない』
「……そうだな、俺もこっちの方が好みかも知れねぇや。それに、ボスも多分こっちのが好きだろうよ」
『ファルコンが?』
「だってよ、のびのびと空を飛んでるじゃねぇか、鳥が。エアカーなんて一台も走ってないから、ボス、きっと羨ましがるぜ」
『はは、……確かにそうだ』
そうやって笑いあっていると、唐突にテツコが訝しげな声を上げた
コガラシがふよふよ移動して、先ほどゴッチが示した鳥に注目する
『ゴッチ、あの鳥…………大きい! こっちに来るぞ!』
「何? ……うぉぉ?! 本当にでけぇッ!」
鳥は近くに居たように見えたのに、その実遥か遠くに居たようだった
鳥のサイズが大きすぎたので、見誤った。全長八メートルはある
銀色の鶏冠を持った、黒色の鳥だ。両翼を広げてこちらに突っこんでくる様など、まるで空に蓋をするような威圧感であった
「殺る気か、鳥の分際で!」
ゴッチは転がって逃げる。先ほどまで立っていた地面は、突撃してきた巨鳥の爪で深く抉れていた
コガラシがふよふよ浮いて距離を取る。コガラシはある程度なら自動で修復が可能だが、壊れてしまえばそれまでだ。ゴッチの喧嘩に巻き込まれてしまったら、目も当てられない
「糞が、殺ったらぁな! テツコ、取り敢えずボコるが、文句ないな!」
『出来れば取り押さえてくれ』
「はぁ?」
『この前読んだ小説に、人語を解する大きな鳥が登場したんだ』
「…………わぁーったよ」
鳥が高く舞い上がって反転し、再び突撃してくる
もう一度、爪。今度はゴッチも、逃げようとはしない
「チャー・シュー・メエェェーンッッ!」
飛び込んでくる巨鳥に向かって、タイミングを合わせて跳躍した
いい具合に巨鳥の頭が目の前に来る。ゴッチは奇天烈な掛け声と共に、巨鳥の頭に回し蹴りを叩き込んだ
「グギャッ! ギャァ!」
「おぉっと逃げんな!」
ゴッチ、華麗に着地。よろめいて泣き喚き、しかしそれでも飛び上がろうとする巨鳥に、すかさず飛び掛る
銀の鶏冠を引っ掴むと力任せに地面に叩きつけた。ゴッチと巨鳥、体長の差は歴然としているのに、圧倒的に小さい筈のゴッチが、圧倒的な暴力を駆使して巨鳥にキツイ一撃を食らわせていた
「さぁ、大人しくしな、焼き鳥にしちまうぜ。テツコ! かなりでかいが、どうだ!」
『脳波測定を行わなければ判らない!』
遠くのコガラシから、テツコの大声が聞こえてきた
「そうかい、じゃぁ、とっととやってくれや」
巨鳥の頭に馬乗りになったゴッチが、強烈な電流を流した
――
『結論から言えば、会話を可能とする程の知能は無かった。意思疎通が出来たとしても賢いワンちゃんレベルだよ』
テツコが残念そうに言うので、電流でぐったりとした巨鳥は結局焼き鳥にされた
『うん? そんな物を持ち込んでいたのか?』
「ボスから譲ってもらった特別製でね、探知機にゃかからねーのさ」
テツコの、軽く責めるような口調を受け流しながら、ゴッチは懐から取り出したナイフの刃を撫ぜた
柄に隼のエンブレムの入った大振りのナイフだ。テツコにしてみれば、持ち込んで欲しくない持ち物であったらしい
この巨鳥も毒はないと言うので少し切り取ってみたが、癖のある味でゴッチの好みではなかった。ゴッチは嫌な顔をして口の中の肉を吐き出すと、大きな焼き鳥をマジマジ見詰める
「あん? 何だ、こりゃ。……矢って奴か?」
『原始的な武器だな。しかし、ジェファソン博士の言う“異世界の人間”の痕跡だ。ちょっと興味がある、抜いてくれないか』
右の翼に刺さっていた矢を引き抜いて、コガラシの前に差し出した
『矢…だな、別段可笑しな事は無い。ただの矢だ』
「満足か?」
『あぁ、ありがとう』
「……にしてもでけぇ鳥だぜ。しかもでけぇだけで不味いし、良い所がねぇや」
ナイフをクルクルと掌で回転させながら、ゴッチは銀色の鶏冠に近づいた
他の部分は全て焼け爛れてしまっているのに、鶏冠だけは今も鈍く輝いている。ゴッチは、うーむ、と唸った
『どうするんだい?』
「こう言うのが高く売れるんだぜ、きっと。フカヒレみたいな感じで」
『……そうかな。まぁ、私からしてみれば、異世界の怪鳥の鶏冠と言う事で少々無理をしてでも手に入れたい代物だが』
「持って帰るか?」
『そう言うのは禁止されているんだ。破ると研究が出来なくなるかも知れないし、遠慮するよ』
銀色の鶏冠は非常に硬かった。ゴッチは器用にそれを巨鳥の頭から切り離すと、ぶんぶん振り回す
懐かしい感じがした。巨鳥の鶏冠は、よく敵対した相手の頭を殴り飛ばすのに使用した鉄パイプの如く手に馴染んだ
『……その比喩だと解り難いよ、ゴッチ』
「脂っこいな、この鳥野郎。ナイフの手入れは怠れんなぁ」
――
『アレは……人だよ、ゴッチ。かなり古臭い感じがするが、民家らしき物も見える。村だ』
「うおぉ! 俄然ワクワクしてきたぁーッ!」
『一直線に当て所無く進んで村を見つけるなんて、凄い幸運だ』
テツコが、遥か遠方に村落らしき物を確認した時、ゴッチの気分は一瞬で高揚した
ゴッチのサバイバリティは人類から見ても亜人から見てもかなりのレベルにあったが、それでも彼は人が密集する都市で育った。こういう言い方をするとゴッチが怒るだろうとテツコは予測したので口には出さなかったが、矢張り人恋しさがあったのだ
わざわざクラウチングスタートの体制になって、勢い付けて走り出す
ゴッチは風になった。低速浮遊モードのコガラシではそれほど速く飛べない。あっと言う間に引き離して、あっという間に村落に到達していた
「おい、其処のお前」
ゴッチは取り敢えずと言った風情で、一番最初に出会った村の男に声を掛けた
まだら模様の奇妙なデザインの布を頭に巻いている。まぁ、異世界なのだから、ゴッチの服装のセンスと合う筈が無い
ゴッチは無遠慮に男に歩み寄って、しげしげと観察した。下から見上げてみたり、上から見下ろしてみたり、じろじろじろじろと嘗め回すように見て、漸く満足した
ゆったりとした服装と頭に巻いた布で体格が解りにくかったが、まだ少年だった
「ふーん? 見た感じ普通の……ヒューマンだな。異世界の人間って言っても、変わりゃしないのか」
ゴッチの無遠慮な視線に晒されて羞恥を覚えたのか、少年が早口で何事か言った
しかし、解らない。予想通り、言語は違うようである
『当たり前だよ。同じだったら、寧ろ可笑しい』
コガラシがステルスモードでゴッチの背後から現れた。そのままゴッチが何か言う前に、スーツの中に潜り込む
『コガラシが見つかって騒ぎになる可能性もあるだろう? 適当な場所に骨伝導スピーカーを取り付けるから、少し我慢してくれ』
胸元がチクリとした
『よし、ゴッチ、良い子だ。泣かなかったな。それでは対人用の翻訳プログラムを起動するよ』
「(餓鬼か、俺は)」
――
暫くは、少年一人を勝手に喚かせておいた。その内に、段々と言葉が解るようになってくる
言葉が解ると言うよりは、言いたい事が解ると言ったほうが近い。細かいことは考えてはいけない
言葉は大体翻訳されてきたが、ゴッチの態度に不審な物を感じたのか、少年の態度はすっかり刺々しくなってしまっていた
「テツコ、そろそろどうだ」
『OKだ。私達の世界に、非常に似通った言語のデータがあったよ。偶然とは思えないが、まぁ良い。これを応用できる。このデータは、ゴッチに投入しているナノマシンともリンクさせておくから、直ぐにコガラシの翻訳機能は要らなくなるだろう』
「よし、お前、俺の言葉が解るか?」
急に問われた少年は、流石に眉を怒らせた
「あんた、人の事散々無視してそれは無いんじゃないか? 幾らなんでも」
「あぁ、いや、済まん。馬鹿にしてる心算は無いぜ。かなり遠くの方から来たんでな。自前の言葉で通じるかどうか解らなかったんだ」
『ゴッチ、もうほんの少しで良いからゆっくり喋ってくれ。翻訳が追いつかない』
「旅をしてきたのか? 珍しいな! 内乱が長引いてるせいで、ここ数年旅をしようなんて奴は居ないのに」
目をまん丸に広げて、少年は心底驚いたように言った
目の色が、綺麗な黒であった。白紙に墨を落としたような深い色で、その闇色が興奮を帯びてゴッチを見詰めていた
内乱が起こっているのか、と言うテツコの呟きを胸に留めながら、ゴッチは右手を差し出す
「俺はゴッチ。名前だ」
「俺はグルナーだ。これ、知ってるぞ。海の向こうの、ランディの挨拶だろう?」
「はっはっは、さぁ?」
「そっかぁ、あんたランディから来たんだ。向こうじゃ、そう言う変な格好が普通なのか?」
「“変な格好”?」
ゴッチの米神がピクリと動く。ゴッチのスーツは、SBファルコンのお下がりである
自分が馬鹿にされるのは気に入らないが、SBファルコンを馬鹿にされるのも、まぁ気に入らなかった。そして気に入らないと思えば、誰が相手でも容赦しないのがゴッチだ。
テツコはそれを咎める。コガラシが懐でブルブル震えて、テツコが呆れたような口調で言う
『君だって最初このグルナーと言う少年を見たとき、“変な格好だ”と思ったんじゃないのか?』
ゴッチは笑ってごまかした
「……俺はそのランディって所よりも遠くから来たのさ」
「更に遠く?」
「まぁそれは置いとこうや。で、ここまで来たのは良いんだが、かなり長い間彷徨ってたせいで自分が何処に居るのか解らないんだ。地名とか、教えてくれんか。出来れば地図も見たい」
まずは地名。そして地図。そうだよな、とコガラシに向かって問う
『それがベターだね。問題は、地図の概念があるかどうかだが』
スーツの中で、コガラシの裸電球がピンク色に光った
「解った、長の所まで案内するよ。何かワクワクするなぁ。久しぶりだもんな」
「へっへ、助かるぜ」
ふと、何気ない仕草で、銀の鶏冠で肩をトントンと叩く
それがグルナーの目に止まった。グルナーは、急に唸りだした
「うん? それ、どっかで見た事があるような……?」
「どっかで……? そりゃ、見てても可笑しくないな。さっきやたらでかい鳥が襲ってきたもんだから、返り討ちにして鶏冠を剥ぎ取ってやったのよ」
「でっかい鳥? 返り討ちにした?」
ゴッチは、自分が今まで一直線に進んできた方向を指差す
広い空と、草原は、どこまでも変わらない。焼き鳥にした巨鳥の残骸は、そう遠くない筈であった
「真っ直ぐにずっと行きゃ、でかい焼き鳥が見つかる筈だぜ」
「えぇーッ?! 本当かよ!」
「何だよ、いきなり。五月蝿い奴だな」
グルナーが、いきなり飛び上がって大はしゃぎし始めた
――
「いやぁ、只今見に行かせた者が帰ってまいりました。どうやら真実のようで」
「疑ってたのか?」
「いや、も、申し訳ございません。決してそのような訳では」
村の長、と言う物は、外見はともかくとして、中身は大抵年寄りだと相場が決まっている物だ。と、ゴッチは信じていた
しかしこのイニエの村は、別段そうでもない。黒い髪に黒い瞳の、矢張りまだら模様の布を頭に巻いた村長は、まだ三十歳前らしい。ゴッチは椅子に座りながら、少々不満げな顔をする
グルナーに散々銀の鶏冠を見せびらかすと、ゴッチはイニエの村長の家まで案内された。途中で目に止まった村人は大抵黒い髪と黒い目をしていたが、これは村の特徴なのかそれとも“異世界”の特徴なのか迷う所だ
銀の鶏冠を見せて大騒ぎしたのはグルナーだけではなかった。イニエの村長は、それこそ椅子から飛び上がった
「そんなに大層な鳥にゃぁ見えなかったが、どうやら大層な鳥だったらしいな」
「は、はぁ。……害獣、凶鳥でございます。村の者ではどうにもならなかった憎い鳥でして」
「ほぉ、そーかい。この村じゃあのでかい鳥を崇め奉ってるんです、なんて言われたら、どうしようかと思ったぜ」
「とんでもない! 奴はエピノアと言う鳥でして、被害や住み着いた場所によっては討伐賞金すら掛けられる化物です。しかしこんな辺境には冒険者や狩人など訪れませんので、先日王都の騎士団に討伐してくれるよう男手を走らせたばかりでした」
最も、反乱軍との戦に掛かりきりで、騎士団が来てくださるかも解らない状況ですが。流石にあれだけの大きさとなると、生半な人数では歯が立ちませんので
話はゴッチが思っていたより大袈裟だった。ゴッチ達の世界では、見掛けはあまり当てにならない。ゴッチは仕事が仕事だけに他人を強いか弱いかで測るが、でかいから強い、小さいから弱い、と言う輩はあまり見たことがなかった
だからエピノアと言う鳥にも、大層な物は感じなかった。あんな鳥は、SBファルコンなら遭遇した瞬間に八つ裂きであった
『ゴッチ、亜人の中でも肉体派の君やファルコンと比べてどうする。それより今この人、“王都”と言ったろう。情報を集めるなら、規模の大きい街の方が良いね』
テツコの言うとおりだと、ゴッチも思った
「よう、村長」
「は、はい?!」
「…………なんだよ、そんなビクビクするんじゃねーって。何もしねーから」
「いえ、はぁ、その……」
村長は冷や汗をかいていた。ビビッているのは解った。恐怖の対象が自分だと言うのもよく解る
ゴッチだって、SBファルコンに真剣に怒られたら、この村長のようになってしまう。ビビるのは悪い事じゃねーやと自分に言い聞かせた
「その、件のエピノアなのですが、丸焼きにされていたとの事で。火を起こすのに何か使用した痕跡はなく、只人には無理な仕業、もしかしてゴッチ様は、魔術師でいらっしゃるのかと」
「魔術師……?」
ゴッチの口端が引きつって、ひっひっひと気持ちの悪い笑いが出てきた
村長は顔を青くして引き下がる。ゴッチの態度は、誰が見ても気持ち悪かった
『はっはっは、でもゴッチ、そういうことにしておいた方が都合が良いかも知れない』
「(でも魔術師ってお前、うっひっひ、この俺が? お笑い種だぜ)」
『この世界の一般市民は、君のように電撃を放出したりしないんだよ、きっとね』
ゴッチは気持ち悪い笑いを収めて、村長に向き直った
「まぁ、そんなモンかな。お前さんの考える魔術師ってのがどんなのかは知らねーが、概ねその通りだと思うぜ」
「おぉ……。矢張りそうでしたか。このイニエの村に魔術師の方がいらっしゃったのは、私の知る限りでは初めてでございます。私自身、魔術師の方とお話させて頂くのは初めてでして」
「俺も見た事ねーやな」
「……? あぁ、ご自分以外の、という事でございましたか。流石に魔術の素養のある方となると本当に一握りと聞き及びますから、それも無理ございません」
「はっはっは」
『興味はあるんだが……ゴッチ、話が逸れているよ』 コガラシがブルブル震えた
「まぁそんな事はどうでも良い。それより村長、俺はその“王都”って奴に行きたいんだが、ここいらの地理には明るくなくてな」
「はい、グルナーから聞いております。海の向こうのランディよりも、更に遠いところからいらっしゃったとか」
「地図があったら見せてくれよ。そうすりゃ、後はどうにでもするからよ」
そのくらいお安い御用です、と村長はにこやかに言った
『優しそうな若者で良かったな。……うん? もしかして私の方が若いのかな』
ゴッチは声を抑えて笑った。年齢と言うなら、どちらかと言えばテツコの方が若いだろう
テツコ・シロイシ。冷徹な雰囲気から、蛇女にして鋼の女に見えていたが、妙に素直な所もあるのだな、とゴッチは漏らす
『どういう意味だい?』
「(うっひゃっひゃっひゃ。他人の態度をそのまま受け取るなって事だ。普段の俺だったら、エピノアとか言うでかい鳥の討伐報酬をこの村長に強請ってる所だぜ。村長だってそのぐらいの予想は出来てたろうさ。俺が金を出せと言い出さないから、内心ほっとしてんじゃねーか? 大体、俺が自分の事を魔術師って事にしてなきゃ、ここまでへいこらしてねーと思うぜ)」
『捻くれてるな』
「(馬鹿言うなよ。俺みたいに真正直な奴は早々居ないぞ)」
『ふふ、アンダーグラウンドでは、だろう?』
村長が、一枚の羊皮紙らしき物を差し出してきた。ゴッチが居た世界では既に使う者など居なくなっており、テツコが辛うじてその材質の情報を知っているだけだった
羊皮紙とくれば高価である、とテツコは言った。地図をそのまま寄越せと言っても、村長は渋るだろう
『胸元に持ってきてくれ。……よし、OKだ。地図を撮影したよ。この文字も矢張りデータにある…………。アナリア王国、首都、……アーリア、か』
「(サンキュー。頼りになるな)」
『あまり詳細な地図ではないから、私なら見て覚えるだけでも問題ないが、一応保険としてね』
テツコのサポート手腕が光る。テツコの作成したコガラシに、抜け目はない
つまり万全って事だろう。ゴッチは地図を村長に返却すると、椅子から立ち上がる
「もうよろしいので?」
「覚えたぜ。十分だ」
「覚えたとは……流石に魔術師殿」
ゴッチは明るく笑って見せた。朗らかな笑い声は、とてもゴッチには似合わず、テツコは身震いした程だ
村長の家を出たら、すぐさま王都アーリアに向けて出発する心算である。疲れなどゴッチにはない。くどいようだが、放電単細胞生物ピクシーアメーバの特筆すべき長所は、無類のタフネスと回復力なのだから
「そうだ、村長。『ラグランローラー』、若しくは『アシラ』って単語に覚えはないか?」
くるりと振り返ったゴッチの問いに、村長は黒い瞳をぱちぱちとさせた
「ラグランローラーに、アシラ…ですか。アシラ、と言うのは存じません。しかしローラーの意味であればお教えします」
「ローラーってぇのか。一つの単語じゃなかったんだな」
「ローラーは称号です。街や村において比類なき貢献を続ける戦士に、その地の責任者から送られます」
「街や村単位?」
「そうです。この村を例えに使うのなら、村長である私が任命した者がローラー。戦士に送る称号な訳ですから、貢献の内容はまぁ、武力である事が殆どです。街や村において、最も強い戦士に送られる称号、と言い換えても大体間違っていないと思います。自警団かそれに類する組織に所属する戦士が専らですね」
「成る程。ラグランローラーは、ラグランってぇ所で一番強い奴って意味か」
「はい。『どこそこの誰々』と言う称号ですから、軍に所属する兵士の方々はローラーにはなれません。命令が下れば、類敏に拠点を変える事も在り得る職業ですから」
勉強になったぜ、とゴッチは村長に頭を下げた。村長は、慌てて首を振った
「それじゃぁよ、あれこれ聞いてばかりで悪いが、ラグランってのは何処にあるか、知ってるか?」
「……さぁ、私も早々村を離れられない役柄ですので、余り世のことを知っている訳ではないのです。申し訳ありませんが、記憶にない」
「まぁ……いーやな。自分で探すわ。村長、助かったぜ、色々と」
恐縮してカクカク頭を垂れる村長を尻目に、ゴッチは今度こそ家を後にした
収穫はあった。二つのキーワードの内一つはネタが割れた。しかもそれは、捜索対象であるメイア3の居場所の核心に迫る物だった
初めの内は三ヶ月じゃ済みそうにないと思って居たが、これはもしかすると予想以上に早く決着するかもしれない
ゴッチはニヤリと笑う。
『ここで解らずとも、王都なら解るだろうね、ラグランと言う地名の事も。街や村であるならば』
「アシラってぇのは解らんが、ラグランとか言うのが解ればこっちは別段必要な情報でもねーな」
『大きな進展だった。冒険開始早々、幸先が良い』
きょとんとした。テツコがするには、冒険と言うのは少々子供っぽい表現のような気がした
冒険。男なら心惹かれる言葉だ。冒険してんだな、とゴッチは笑い始める
小さな村では、旅人と言うのは好奇の視線の集まるものだ。まだら模様の布を頭に巻いた連中に笑顔を安売りしながら、ゴッチは村の出口に着く
子供が飛び出してきて、ゴッチのスラックスを掴んだ。荒い息で現れたのは、グルナーだった
『この子は……。ゴッチ、懐かれたのかい?』
「グルナーっつったか。どうした?」
ゴッチはグルナーの背中を三度叩いた。グルナーが咳き込んで、平静を取り戻す
全力疾走してきたのか、頬を赤く上気させ、グルナーは額の汗を拭った
「どうしたって、ゴッチ、もう行くのか?」
「おぉ、俺にもちょっと用があってな」
「実は、今凄くヤバイんだ」
グルナーが通せんぼするかのようにゴッチの前に回りこむ
「エピノアは一匹じゃなかったんだ! つがいが居たんだよ! さっきゴッチが仕留めたって言うエピノアを確認しに行った連中が襲われた!」
「つがいだぁ? あのデカブツのかよ」
「そんな冷静にしてる場合じゃないって! 片割れをやられて怒ってるんだ、村の奴が、いっぺんに三人も殺された! 怪我してる奴だって何人も居るし!」
うへぇ、とゴッチは舌を出す。面倒ごとの匂いがぷんぷんする
グルナーの黒い瞳が燃えた。人死にまで出たと言うのに、「面倒だ」と言う気配を隠そうともしないゴッチに、イライラしているようだった
「今は何処かに飛んで行ったみたいだけど、どうせ直ぐ戻ってくる。……何とかしてくれよ、倒せるんだろ」
「あんな鳥、百匹掛かってきても、俺なら全部纏めて焼き鳥だぜ」
「やってくれるのか?」
「あぁー、ったく。取り敢えず村長の所にいこうや。報告しとかなきゃいけねぇんだろ」
ゴッチは疲れたように言うと、グルナーの首根っこ持ち上げて歩き出した
グルナーがじたばた暴れる。コガラシがブルブルと振動するので、ゴッチの眉は嫌でも八の字になった
『ゴッチ、その少年は真剣だよ。必死なんだ。私からも頼む、何とかしてあげてくれないか?』
「(そりゃぁ、サクッと片が着くんなら構わねーけどよ。何か面倒くさそうな気配がするぜ)」
『それはそうなんだが……。そこを何とかなるよう、君に全力を尽くして欲しい』
ゴッチは、テツコの言葉にハッキリとした違和感を感じた
異世界の人間に肩入れするテツコの発言は、彼女の立場を鑑みれば、非常におかしい物だとゴッチには思えた
ここは異世界なのだ。ゴッチはSBファルコンから「好き勝手しろ」といわれるから好き勝手する心算だが、テツコは違う。出来る限りの干渉を禁じられているのは、聞かずとも解る
解せなかった。しかし、解せないからと言って、無碍に出来るかと言えば、どうだ
テツコの要請だ。この右も左も解らない異世界に於いて、最も信頼できる相棒の頼みである
何か変な感じがするけど、テツコが言うなら仕方ねーや。グルナーをポンと放り出して、先に走らせた
「グルナー、お前、俺が狩ったエピノアの鶏冠を持ってったまんまだろう。村長に報告したら、そいつを取って来い」
――
と、言う訳で
エピノアが二体居たと言うグルナーの報告に、村長は深刻にオロオロした
村長の家にとんぼ返りしたゴッチは、眠たそうな顔色で眺めるばかりである。立ったり座ったりを繰り返す若い村長は、正直言えばみっともなかった
「なぁ、人死にまで出て焦るのは解るが、村長がビクビクしてたって何もなんねーだろうが。もっとビッとしろよ」
「魔術師殿……そうは言いますが……」
村長は、取り敢えず椅子に座ってジッとする事にしたらしい。体が少し震えて居たが、ぐるぐる動き回るよりかは目障りではなかった
「私は正直な話、村長の任に着いてから日が浅いです。…………この村からこんな形で死人が出るなんて。今までだって色んな理由で村の者が死ぬことはありました。しかし、自分がこの村の長なのだと思うと、今回のコレは衝撃が大きいです……」
「……そんなオタオタするこっちゃねーって。グルナーが戻ったら、エピノアなんぞ丸焼きにしてお前らの晩飯にしてやらぁ」
「は、っはは。……ありがとうございます、魔術師殿」
胸元が震える。手を当てると、暫く黙り込んでいたテツコが朗報を伝えてきた
『今、簡易のレーダープログラムを組んでみた。精度も距離もそれほどではないし、レーダー更新間隔も決して自慢出来ない代物だけど、多分役に立つ』
「(マジか? やるじゃねーか、テツコ。頼りになるぜ)」
『やれやれ……』
テツコが溜息を吐き出したとき、漸くグルナーが鶏冠を持って現れた
頬が赤くて息が荒いのは相変わらずだ。暫く走り詰めだったせいか、グルナーはへたり込む
「それは、エピノアの鶏冠ですか?」
村長が尋ねる。ゴッチは、鶏冠を囮にする心算だった
殺されたつがいの鶏冠だ。エピノアもこの鶏冠を見れば、憤激して襲ってくるだろうと踏んだのである
そうすれば、今でさえ怒っているらしいのだから、逃げることはまずあるまい。もしゴッチに恐れをなして逃げ回られたら、向こうは空を飛べるのだ。追撃は難しい
しかし、向こうから掛かってきてくれるなら、話はずっと早くなる
村長が、ふむ、と首を傾げた。何か思うところがあるようだった
「……魔術師殿、エピノアの言い伝を一つ思い出したのですが」
「村長?」
「かつて伝説の狩人が、通常の三倍の巨体を持つエピノアを仕留めた時の話です。狩人は他に類を見ない強力なエピノアを討伐した記念に、その鶏冠を持ち帰りました」
グルナーが青ざめる。話の内容を知っているようだった。ゴッチは知らなかったが、何となく、ピンと来た
「それで? ……この話の流れからするとよぉ、まさかその三倍でかいエピノアってのにつがいが居て、そのつがいが鶏冠を取り戻しにきたとか言うんじゃねぇだろうな?」
「そうです、正にその通りです。もしかすると、エピノアの鶏冠には、不思議な魔術でもかかっているのではないか、と言う話でした」
ゴッチはグルナーから鶏冠をひったくる。鶏冠は未だに、銀色に輝いている
鉄ではないような気がする。硬いが、肉っぽい
しかし、ゴッチの電流では何もならなかった。切り落とした当初は大して気にしていなかったが……
「(この鶏冠だけ無事だった理由は何だ? 魔術って奴なのか?)」
そのとき、テツコが叫んだ
『高速で接近する物体を確認!』
ゴッチが椅子から飛び起きる
『大きいぞ、恐らく、もう片方のエピノアだ!』
「おう、村長ぁ、マジできやがったらしいぜッ!」
コガラシが、ステルスモードでゴッチの懐から飛び出す
――
銀の鶏冠の不思議な魔法。本当に魔法かどうかは、ゴッチは知らない
ただ、エピノアが現れたのは確かであった。目の前に来てしまったのなら、魔法だろうが何だろうが関係ない
ぶちのめすしか無いではないか
村長の家から飛び出して、ゴッチは天空をぎょろりと睨んだ。もう直ぐ日が落ち始めるであろう空に、その巨体はあった
「え、エピノアだ! あの話は本当だったのか!」
グルナーが引き攣るように悲鳴を上げた。そのまま座り込んでしまう。腰が抜けたらしい
ゴッチは鶏冠をぶんぶん振り回して、ふん、と鼻を鳴らす。鶏冠は、もう無用だ。村長の家の扉に投げ込んだ
村は、突如現れたエピノアに、混乱していた。悲鳴を上げて走り回る村人達を邪魔臭く感じたゴッチは、怒声を上げた
「手前ら全員邪魔だぁッ! 家に閉じこもって大人しくしてろぉッ!」
雷が落ちる。比喩ではなく、ゴッチは本当に雷を落とした
轟音と共に村長の家の周囲を焼いた雷に、村人達は顔を真っ青にして逃げる。誰も彼も家に飛び込んで人っ子一人居なくなるのを確認して、ゴッチは満足そうに頷いた
村長の家の前は広場になっていた。村の中では一番広い面積だ。そして、村の外に出ている暇は無い
『ゴッチ、ここで迎撃しよう。出来る限りイニエの村への被害を軽減してくれ』
「……しゃぁねーな。村長、グルナーをしっかり捕まえて、お前も家に引っ込んでろ。邪魔ぁすんなよ」
村長が頷いて、グルナーと共に引っ込んだ
ゴッチは周囲をぐるりと見回して、エピノアを見やる
ばさばさと大きく翼をゆらめかせ、エピノアはゴッチの十歩前の位置で滞空していた。ゴッチを睨む目が、赤く燃え盛っていた
「おんや……待っててくれたのかい? 随分と……」
ゴッチがぐぐ、と伸びをした
「俺を舐めてんだな」
どんと大地を踏みしめて、肉体に閉じ込めた力を解き放った。稲妻がゴッチの体を取り巻いて、目もくらむような光を放出する
――
『雌……かな? まぁ、勘だけど』
「だから? 俺は差別しない」
『女の情は怖いぞ、ゴッチ』
エピノアが急降下してくるのを見ながら、ゴッチは気持ちの悪い笑い声を上げた
ギラギラ燃える瞳と真っ向から向かい合う。なるほど、確かに怖い
でも、俺の方が怖いんだぜ、と、全身を撓らせて右腕を引き、拳を握り締めた
エピノアは全身で突っこむ。ゴッチは右拳をぶち込む
荒事は、好きな性質だった。背筋がゾクリとする興奮にゴッチが口端を吊り上げた時、何とエピノアがバランスを崩した
「あぁ?!」
エピノアは狂っていた。目の前で殺気を撒き散らすゴッチ以外何も目に入らず、民家の屋根に翼を打ちつけてしまい、空中での制御を失ったのである
ぽかんとするゴッチの頭上を通り抜けて、エピノアは村長の家へと突っこんだ。壁を粉砕して首を突っこんだエピノアの尻尾を、ゴッチは握り締める
「鶏がぁーッ! 行儀良くしやがれ!」
乱暴に引きずり出す。そのまま背負い投げようとして、テツコから制止が掛かった
『ゴッチ、駄目だ! グルナーが!』
「はぁー?!」
何とグルナーがエピノアに銜えられていた。心底驚き、恐怖した様子で悲鳴を上げているが、驚いたのはゴッチの方である
手に、例の鶏冠を掴んでいる。アレのせいで、エピノアの不興を買ったようだった
「グルナー、鶏冠を捨てなさい! 早く!」
村長が青褪めて叫ぶ。粉砕された木の壁の下敷きにされ、血を流していた
クソッタレ、とゴッチは罵った。自分の体の何倍大きかろうと、ひょいと一投げで地べた這いずり回らせてやる自信はある
でもその時はグルナーも道連れだ。正直、別に構いはしない。でも、テツコは怒るだろうな、そんな思考が過ぎる
『ゴッチ』
「解ってるぜ」
尻尾を離して、ゴッチは跳んだ。頭をぶん殴ってグルナーを救出する
しかし拳がエピノアの横面を捉える前に、エピノアは跳んで逃げていた。グルナーごとだ
テツコが息を呑むのが解った。グルナーを人質に取られた上で、しかも飛ばれてしまったら、打つ手はない
村長が叫んでいた。ゴッチは大地を蹴って、尚も高く飛ぶ
届かない。駄目だった
エピノアは上昇を続けた。グルナーの悲鳴が辺りに響き渡った。時折ポタポタ降ってくるのは、失禁したグルナーの小便だ
ゴッチは追い掛けた。嫌な予感がした。子供を助けるなんて柄じゃないと思ったが、それでも全力で走った
予感は当った。エピノアが首を振って、勢い良くグルナーを地面に叩きつける
グルナーの叫び声が聞こえた
「嫌だぁッ!」
「届けよ畜生が!」
ゴッチが跳んだ。地面すれすれの真横への跳躍で、真っ逆様に墜落するグルナーを目指す
地面に叩きつけられる直前に、グルナーと固い大地の間に割って入った。ゴキ、と嫌な音がした
「よう、どっか折れたか?」
泥まみれになったスーツに眉を顰めて、ゴッチは言った
グルナーがのた打ち回る。右腕が曲がってはいけない方向に曲がっている
歯を食いしばって悲鳴は出していない。ビビって小便を漏らしたガキにしては、根性を見せた物である
「死んでねぇなら儲け物だな。後ちょいと俺のガッツが足りなけりゃ、あの世逝きだったぜ」
「ゴッチ……痛い、あぁぁ……俺、生きてるのか……」
「ハッピーな事に生きてるよ、お前は」
「ハッピー?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃのグルナー猫の子のように持ち上げると、ゴッチはポイと放り出した
右腕に走った激痛にグルナーは声にならない悲鳴を上げたが、ゴッチは当然気にしない
グルナーの責めるような視線も、当然気にしない。何と言っても、ゴッチとエピノアの喧嘩に巻き込まれて死ぬより、断然マシな筈だからだ
「(鳥野郎が、舐めた真似してくれやがって……!)」
肩越しに振り返れば、エピノアが居た。不意を突いての奇襲らしい
だが、相手がゴッチでは、駄目だ。エピノアでは荷が重い
何時の間にか突撃を仕掛けてきていたエピノアに対し、ゴッチは全く動揺せず振り向き様の右拳を返していた
エピノアの巨躯が仰け反る。突撃の勢いは、易々と殺がれてしまう
そらもう一丁、ゴッチは飛び上がると、バレーのアタックのように身を反らせた
張り手である。パアン、と気持ちの良い音を立てて殴ると、グルンとエピノアの首が回る
エピノアが耳に煩い鳴き声を上げながら、体を震わせた。回った首がグルンと戻ってくるのに合わせて、ゴッチは再び拳を突き入れた
「歯応えねーな」
黒い体が倒れこんだ
「野生の獣なら、まぁ、解ってんな。負けたら死ぬしかねぇ。食うか食われるかしかねぇ」
エピノアはもがいていた。張り手と拳で、完全に脳が揺れていた。もがくだけで、立てなかった
ゴッチが、バチバチと稲妻を身に纏わせて歩み寄る。もがくエピノアの瞳が、ゴッチを捉える
憤激するように、エピノアは吼えた。誰が己のつがいを奪ったのか、直感で解っているようだった
エピノアの瞳を覆うように、手を添える。鷲摑みにするには、少し大きすぎる
「“何も残りゃしねぇ”。敗北するってのは、そう言う事だからよ」
日の落ちかけたイニエの村を、青白い閃光が駆け抜けた。網膜を焼きかねない激しい稲光である
ゴッチから電気が放出された時間は五秒程でしかない。その五秒で、エピノアの巨体は消し炭のように黒焦げになってしまった
目玉は炭化して消えていた。恨めしげにゴッチを睨みつけていた瞳は、もう無かった
「相当だな。俺が殺る気になった時に、敵わねぇことぐらい、本能で解ったろうに。……大したリベンジャーだぜ」
『…………』
――
一匹目のエピノアを倒した時はそうでもなかったのだが
二匹目のエピノアを倒したら、異様に感謝された。半壊した村長の家で少し休憩していたら、村の者達が何人も何人も訪れて、皆同じように礼を述べていく。ある者は嬉しそうに、ある者は少し寂しそうに
今正に襲われている、と言う所で倒した物だから、安堵感が段違いであるようだった。調子の良い奴等だと思ったが、そんな事を言ったらゴッチなんて彼らよりも余程現金な性格をしていた
「魔術師殿、本当にありがとう御座います。死んでしまった者達も、喜んでいるでしょう」
村長が、改めて、と言う感じで頭を下げた。傍らには包帯を巻いた右腕を布で吊ったグルナーが居る
「それにグルナーの治療までしていただいて。このようなやり方は知りませんでした。流石、魔術師殿は博学なお方ですね」
「はっはっは、さぁな」
『素直に受け取ったら良い。指示は私でも、処置はゴッチなんだから』
いい加減ゴッチは、気疲れしていた。精神も肉体もタフなのが売りだったが、人に礼を言われた事なんて、あまり無かった。SBファルコンに労われる時くらいである
背中が痒くなって、何だか妙に緊張してしまって、碌な物じゃないな、とゴッチは呟いた
「もう日も落ちますし、今日の所イニエの村にご滞在下さい。急ぐ旅でなければ何時までも居て頂いても構わないのですが……」
「いや、急ぎの旅だ。急ぎの旅だから、もう出るわ」
「え? いや、しかし、お疲れでは無いので?」
「あんな鳥如きじゃぁな……」
そう言って立ち上がろうとするゴッチを、村長は押しとどめる
あーだこーだと押し問答が始まる。村長は、意外にしつこかった
グルナーが苦笑した。子供らしくない笑い方だった
「グルナー、手前、ガキがいっちょまえに嫌な笑い方しやがって」
ゴッチが拳骨を降らせる
「痛ぇ! いってぇー! 怪我人だぞ、俺」
『ははは』
テツコが笑った。機嫌のよさそうな、柔らかい笑い声だった
暫く頭をさすっていたグルナーが、ふと俯く。暫く黙ったと思うと、ゴッチを見上げた
「良いじゃないか、ゴッチ、今夜ぐらい。……それにさ、結局まだ、ゴッチの話聞かせて貰ってないし」
「……今日会ったばかりの癖に何言ってんだ。大体、聞かせてやるような話は無いぜ」
「……面倒だからか?」
「おぉ、何で解ったんだ」
「ゴッチの顔見てりゃ解るよ! クソ、ここに案内するまでは猫被ってた癖に」
懐が震える
『ゴッチ、私は出来れば泊まっていって欲しいんだが。よく考えたらこちらに着て早数日。コガラシに異常が出てないか、ゴッチに点検整備をしてもらいたい』
「(グルナーが言い出した途端にコレだよ。このショタコン)」
『!!!』
一泊置いて、テツコがぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた。ゴッチはあっという間に勢いに呑まれる
結局、出発は明日と言うことで、押し切られてしまったのだった