第9話『騎士アルベルト』
1918年5月、ドイツはポツダム離宮。
ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世から召還された俺は、結構なビビり様だった。
当然と言えば当然だろう。何しろ、兄ヘルマンを使って妻アウグステ・ヴィクトリア皇后に接触したのだ。下心見え見えというか、何というか……。
それに、モルトケの件もある。
戦局転換のきっかけとなった『マルヌの戦い』における身分偽造は、自分の名を使われたヴィルヘルム2世にしてみれば不愉快極まりない筈だ。
処刑なんてことは、十分にあり得るだろう。
1918年4月に締結された『パリ講和会議』以降、ドイツ帝国における皇帝の権威は失墜の一途を辿っていたが、近衛兵や司法を動かす力はまだあった。
しかしこの頃、ベルリン市内は戒厳令寸前の危険地帯と化していた。
だが宮廷の広報が発表する公式情報によると、皇帝ヴィルヘルム2世はベルリン宮で執務をこなしている筈だった。
今回の一件からすると、それはヴィルヘルム2世の身を守るための偽情報らしい。
ヴィルヘルム2世はポツダムの離宮に居るのだから。
やっぱり死亡フラグ?
そんなガクガクブルブルを体現するチキンな俺を尻目に、ヴィルヘルム2世との謁見の儀は正式なしきたりに則って、厳かに進められた。
昼下がりのポツダム離宮。
陽光が差し込む謁見の間の奥で玉座に踏ん反り返る御仁こそ、
第3代ドイツ帝国皇帝にして第8代プロイセン王国国王で在らせられるヴィルヘルム2世その人だ。
純白の軍服と複数の勲章を身に纏い、カイゼル髭が特徴的だった。
「アルベルト・ゲーリング中尉」
「はッ!!」
ヴィルヘルム2世の声とともに、俺は一歩前に出る。
顔っ面こそ尊大なプロイセン軍人風に厳格に、そしてふてぶてしく仕上げてはいるが、膝は震えっぱなしで腰は引いていた。
「予は、ここに貴官の功績を認め、ホーエンツォレルン王家勲章を授与する」
臣下から手渡された羊皮紙を手に、粛々と読み上げるヴィルヘルム2世。
第一次世界大戦中、俺は西部戦線において2機、東部戦線において4機の敵機を撃墜し、エース・パイロットになっていた。
なお、兄ヘルマンは18機の敵機を撃墜している。
史実より4機少ない戦果だったが、それも無理はなかった。
何故なら、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンやマックス・インメルマンといったエースパイロットが大戦終結まで生き残っていたからだ。
ただ、歴史の修正作用かもしれないが、ヘルマンの親友であり、エースであり、ナチス・ドイツ時代の急降下爆撃主義者であるエルンスト・ウーデットが戦死している。
この点が吉と出るのか、凶と出るのかは俺としても定かでは無かった。
リヒトホーフェンやインメルマンは、俺にとっては憧れの人だが、果たして第一次大戦以降の航空技術についていけるのだろうかと、不安にもなる。
事実、ウーデットも総撃墜機数62機のエースだったが、ヘルマン同様に極度の急降下爆撃厨だった。
ドイツ空軍の至宝となるか、老害となるか……。
そこが心配で仕方がないのだ。
「ははッ、ありがたき幸せ……」
勲章の授与式だったのかと、内心ホッとする俺。
しかし、本題はここからだった。
「して、貴官は敵機6機の撃墜記録も然ることながらMP18、戦闘機、
及び戦車といった技術分野においても類稀なる成果を残したと聞く。
その数々の功績を認め、貴官に一つ、望みを叶える権利を……授けよう」
権利? 俺は首を傾げた。
「皇帝陛下、恐れながら“権利”とは?」
「うむ。要するに、一つだけ願いを叶えてやろうと言っておるのだ」
「は……はぁ……」
俺は間の抜けた声を出した。全く状況が掴めていなかったのだ。
確かに俺は、MP18といった新兵器を提唱し、第一次世界大戦におけるドイツ帝国軍の勝利を裏で支えはしたが、これは破格の待遇だった。
「ん、どうした? 何か望みを申して見せい」
ヴィルヘルム2世に急かされた俺は、突拍子も無い望みを思い付いてしまった。
「陛下、先の大戦で我がドイツ帝国はフランスの植民地を獲得しましたね?」
「ああ。だが、それがどうかしたか?」
「仏領インドシナを大日本帝国に売却して下さい」
俺の唐突な言葉を前に、ヴィルヘルム2世は唖然としていた。
「ちゃんと理由は御座います。日本という国は、ロシアとの戦争以降、
急速に国力増強に努めてきました。かの国は、アジアの覇者となりて、
唯一無二の大帝国を築きたいと考えておるのです」
俺は淡々と語る。
「先の大戦で我が国は、莫大な負債を抱え込みました。が、ソビエトから獲得した賠償金程度ではどうしようもない。
となると、我が国は国内外の貯蓄した資産を放出し、売り払う他ないのです」
「しかし、だからといってフランスから勝ち取った領土を……」
「では、陛下は賠償金を返す充てがあると?」
その言葉に、ヴィルヘルム2世は沈黙した。
当然といえば当然だろう。何しろ、ベルギーへの補償金30億マルク。『パリ戦争補償基金』設立費に10億マルク。
さらに『パリ戦争補償基金』の年間運営費として、1億マルクの請求が米英より届いていた。
この戦争補償基金の運営期間が30年なので、ドイツは実質30億マルクを支払い続けなければならないのだ。
これを加えれば、ドイツ帝国が被った戦争賠償金は総額約70億マルクに上る。
米英への諸賠償金、戦費、国内復興費を含めれば、その額は計り知れない。
そんな状況でドイツは、フランスより勝ち得た植民地を開発する余裕は無かったのである。
「実際、仏領インドシナに有益な資源はありません。あそこは極東の僻地ですよ」
とはいうが、実際の所、仏領インドシナは石油・スズといった資源に恵まれ、石油についてはインドネシア、マレーシアに次ぐ埋蔵量を誇る。
しかし大戦の傷跡と理不尽な賠償金に苦しむドイツとしては、その仏領インドシナを開発できる余裕は残っていなかったのだ。
「だからといって日本に――」
「だからこそ、日本なのです。かの国は、資源も持たない島国であるにも関わらず、清国に勝利し、あのロシアとも互角に戦ったのです。
あの国は、エネルギーに満ち溢れております。新しいエネルギーに。
しかし、方向性を見誤っている。軍が影響力を付け、政治家から導き手としての座を奪おうとしている。
誤った方向に向かおうとしているのですよ、日本は。
可能性のある国に啓蒙を示し、我がドイツがその恩恵を勝ち得ることが出来れば……良いとは思いませんか?」
「……なるほど。かの国を予とドイツ帝国が導くか」
「皇帝陛下もご存知でありましょう。あの国の勤勉さ、手先の器用さは、このドイツに通ずる所があることを」
ヴィルヘルム2世は頷いた。「ああ、古い話だが、10年ほど前に伊藤公をこの離宮に招き寄せた時、予は伊藤公の為人に惚れた。
あの田中正平(純正調オルガン発明者)を知らんというのには、少々驚いたが……」
ヴィルヘルム2世は少し寂しそうに言った。
「日本人には、確かに我がドイツと通ずる所がある。そして日本は、新たなるエネルギーにも満ち満ちた国である。それは認めよう。
対してこちらはどうだ? 仏露に勝利したというのに、予はこんな離宮に葉隠れしておる。これでは臆病者ではないか!
予がオーストリアへの支援を確約し、予がモルトケの案を呑んだというのに、国民というのは……」
憂いのある表情を浮かべ、ヴィルヘルム2世は語る。
「我が帝国は、予の代にてその幕を閉じるであろう。
“栄枯盛衰”――日本の諺だ」
そんなヴィルヘルム2世に対し、俺はかぶりを振った。
「栄華を極めたといっても、それが永遠の衰退に繋がるとは限りません。
その気になれば、黄金時代はいくらだって訪れるものです」
「一度枯れた花が、もう一度咲き誇るとでもいうのか?」
「花は枯れても、種を残します。栄華は脈々と受け継がれるのです」
俺は話を続けた。
「これは先行投資です、皇帝陛下。日本という“栄華”への。
そのまま美しい姿を見るも、養分を吸い取ってドイツ帝国という栄華に注ぐも、陛下の御意のままに……」
なんだか銀●伝のチンケな下級貴族の言いそうな台詞だな、と俺は内心呟いた。
が、四方八方に敵を抱え、孤独だったヴィルヘルム2世には効果てきめんだった。
「宜しい。貴官の望み、叶えて遣わそう」
「御意(ヤー)」
満足そうな笑みを浮かべ、さらにヴィルヘルム2世は続ける。
「貴官の功績にはもう一つ、特典がある――“騎士”の称号だ」
騎士位、それは俺の実父かもしれないエーペンシュタインも持つ階級称号だ。
ドイツ帝国の準貴族(ユンカー)においてはもっとも低い爵位ではあったが、至上の名誉でもあった。
「騎士となった以上は、土地が必要であろう。
我が居城の一つ、オー・ケーニグスブール城を授けよう」
オー・ケーニグスブール城は、アルザス地方にあるヴィルヘルム2世の城だ。
史実では第一次大戦後、ヴェルサイユ条約に従いフランスに賠償金の肩代わりに没収されている。
「そんな、滅相もない」
「謙遜するな。貴官には、久しく有意義な時間を与えて貰った。これはその礼だ」
話の礼が城1個って……皇族って怖い。
「して、貴官は何時革命が起こると思う?」
ヴィルヘルム2世は真剣な表情で問いかけてきた。
「革命……でありますか」
「うむ。予がここに隠れ住んでおるのも、元々はヒンデンブルクめの指示でな。
なんでも、ベルリンでは統制が執れておらんから危険だというのだ。
そりゃあそうだろう。皇帝不在の帝都が、どうやって統制を執れるというのか?」
ヴィルヘルム2世は不満そうに頬を膨らませる。
「ここだけの話……これは貴官を信用しているから申す事だが、予はいざ革命が起これば、オランダへと亡命する手筈となっておるのだ」
ここだけの話とはいうものの、転生者の俺はそのことを既に知っている。
後の計画のためにも、ホーレンツォレルン家の血筋は残しておきたいと、俺は考えている。
「皇帝陛下、そのことについてお話したいのですが……」
「何をだ?」
「帝国を“転生”させるプランについてです」
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1918年7月、『ドイツ革命』は勃発した。
史実とは違い、革命の発端は首都ベルリンにおける警官とデモ隊との対立によるものだったが、その後の経緯はほぼ同じだった。
ドイツ帝国の崩壊。
ヴィルヘルム2世のオランダ亡命。
そして、議会制民主主義共和国である『ヴァイマル共和国』の誕生。
その時、アルベルト・リッター・フォン・ゲーリングは、次なる計画に向けて着々とその準備を進めている所だった。
場所はアルザス地方、オー・ケーニグスブール城。
『ゲーリング財団』の本拠地である。