第4話『第一次世界大戦勃発』
今は1914年8月、第一次世界大戦真っ盛り。
アルベルト・ゲーリングは御年19歳。
プロイセン王国第1近衛師団第1歩兵連隊に少尉として、配属された。
いわゆる『士官候補生』だ。
この第1近衛歩兵連隊は代々、王族の男子が形式的に中尉として配属される部隊である。
いわば『お飾り』のようなもの。
大抵のプロイセン王族の皇太子達は、名誉中尉の称号を持っている。
俺は第一次大戦勃発に伴い、少尉としてプロイセン王国高級士官学校からこの第1近衛歩兵連隊に配属された。
兵科は情報科である。
何故かと言うと、情報将校であれば前線に送られる可能性が低いと思ったからだ。
まぁ、実際には前線にいる訳だが……。
そもそも何故、第一次世界大戦が勃発したか?
経緯を簡単に話そうと思う。
時代は欧米列強が覇権を争う1900年代。
そんな中、ドイツ帝国は1890年、ロシアとの同盟関係を破棄。
その理由は――領土拡大を狙ったドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の『3B政策』
これは、ベルリン・ビザンティウム(イスタンブール)・バクダードという3つの都市を鉄道で結ぶというものだった。
一方、大英帝国もケープタウン・カイロ・カルタッタ(コルカタ)を鉄道で結ぶ『3C政策』を狙っていた。
両者の政策は当然ながら衝突、外交関係は劣悪なものとなった。
そしてそこに台頭するのが、ロシア帝国だ。
ロシア帝国はバルカン半島・中東・極東における『南下政策』を実施。
この主な目的は『不凍港』の確保ですが、ドイツ・イギリスにとっては好ましくない政策でした。
そして1878年、ロシア帝国は『露土戦争』でオスマン帝国に勝利。
ロシア帝国は多額の賠償金、領土、そしてバルカン半島における確固たる地位を獲得する。
勿論、英独は焦った。
そこで先手を打ったのがドイツだった。
ドイツは自国を除く列強6ヶ国をベルリンに招き、『ベルリン会議』を開催する。
『ベルリン会議』における主な議題は、『露土戦争』で締結された『サン・ステファノ条約』の破棄。
これは成功し、ロシアはバルカン半島における南下政策を断念せざるを得なくなってしまう。
そこで始まったのが、『日露戦争』だった。
『ベルリン条約』によってバルカン半島の南下政策が困難になったと判断したロシアは、その矛先を極東に向けたのだ。
しかし結果は――引き分け。
それは貧乏国日本にとっては“敗北”に等しいものだった。
そして、それはロシア帝国にとっても同様だ。
極東の小国に負けずとも勝てなかったロシア帝国の権威は失墜。
他の列強諸国や衛星国は、対露姿勢を強硬なものとする。
そして、極東における南下政策が失敗したロシアは、その矛先を再びバルカン半島に向けた。
しかしこの時、バルカン半島を狙っていたのはロシアだけではない。
ドイツやオーストリアもまた、ここを狙っていた。
当然、両者は対立。
板挟みとなったバルカン半島では泥沼の民族紛争が勃発。
第一次・第二次と2度に渡って『バルカン戦争』は繰り広げられた。
そこに繋がってくるのが、『サラエボ事件』だ。
『サラエボ事件』はフランツ・フェルディナント皇太子夫妻がボスニア州都サラエボを視察中、セルビア人青年によって暗殺されたという事件だ。
この背景にあるのが、『大セルビア主義』だった。
バルカン戦争によって多くの領土を獲得したセルビアは、拡大を続けていた。
一方、ボスニアはこのセルビアや他の南スラヴ諸国との統一を望んでいた。
そんな中、その想いが強過ぎたのが、このセルビア人青年だった。
――セルビアはもっと強く、もっと大きくならねばならない。
これが『大セルビア主義』――すなわち民族統一主義、拡張主義である。
そんな思想を持つ青年は、ボスニアを軍事占領し続けるオーストリアを討つべしと考え、その親玉とも言える皇太子暗殺を実行に移したのだ。
激怒したオーストリア帝国はセルビアに権利を侵害する要求を突きつける。
しかし受け入れないとセルビアは拒否。
そこでオーストリアはセルビアに宣戦布告。
これにロシアはボスニア併合によって結ばれていた『セルビア独立』の約束が破られたと反応を示し、セルビア支援に動き出す。
1914年7月31日、ロシア皇帝ニコライ2世は総動員令を布告。
これに対し、オーストリアを支持していたドイツが反応。
1914年8月1日、ドイツは仏露に宣戦布告。
ここに第一次世界大戦は幕を開けたのだ。
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1914年8月1日。
ドイツ軍は『シュリーフェン・プラン』を発動させた。
これはドイツ帝国軍のアルフレート・フォン・シュリーフェンが考案した軍事計画である。
計画はまず、全力でフランスに侵攻して独仏戦争を早期終結させる。
次にフランスに差し向けた軍を反転させ、ロシアにぶつけるというものだ。
しかしこの計画には無理があった。
この計画は、敵の戦力を過小評価していたのだ。
列強の一国であるフランスの軍は精強であり、また要塞も強固だった。
そして、日露戦争で弱体化していたとはいえ、ロシア帝国はまだまだ強かった。
ドイツ軍はフランスを中々落とせず、『二正面作戦』を強いられてしまうのだ。
俺は今、そんなクソ喰らえな計画に基いて行動している。
西部戦線の一翼を担うドイツ帝国第2軍は、あの『リエージュの戦い』にこの近衛第1師団を投入したのだ。
やや史実と異なっているような気がする。
その理由は一重に、『MP18』短機関銃が早期配備されたせいだろう。
その原因は俺にある。
プロイセン王国幼年士官学校で俺が提案した『短機関銃』のコンセプトとその銃設計図が学校長のお眼鏡に適い、ドイツ帝国陸軍上層部に回したのだ。
そして陸軍は、『短機関銃』のコンセプトをベルクマン社に打診する。
しかしこの頃、MP18を生み出した『サブマシンガンの父』こと、ヒューゴ・シュマイザーはベルクマン社内には居なかった。
だがベルクマン社では、既に短機関銃の研究開発が活発だった。
ほぼ完成型に近い設計図を受け取ったベルクマン社はなんなくMP18を完成させてしまう。
この結果、俺も特許料という恩恵に預かることができて嬉しかった。
しかしこのピッケルハウベ……角の付いた帽子……。
見栄えもそこそこ、敵兵の標的になることこの上ない。
角は騎兵によるサーベルの打撃に対して、歩兵を保護する役割を持っている。
まぁ、騎兵が戦場に居ない訳ではないが……無駄だ。
冷蔵庫で冷やされてる宝くじ並に無駄だ。
それにこのピッケルハウベ、高価な牛革を何枚も使っているのだが、如何せん防弾性が無い。
つまり、身を護れない。
ヘルメットなんて大抵そんなものだから、と納得したいのは山々だけど、これじゃあなぁ……。
ピッケルハウべがシュタールヘルム(鉄兜)に更新されるのは、残念ながら2年後の1916年のことである。
近衛連隊となると、さらに掛かるだろう。
実は幼年学校時代、俺はこのピッケルハウベが無駄だという事を述べている。
しかしお堅いプロイセン軍人は決まって首を振らない。
だからMP18とピッケルハウベという、おかしな組み合わせがここに実現していた。
そして戦いは始まる。
戦場となるのは、ベルギーはリエージュ。
ベルギーにおける交通の要衝であり、フランス侵攻を目論むドイツ軍には必要不可欠な地点である。
リエージュには堡塁が計12個、環状に築かれていた。
これこそが『リエージュ要塞』である。
各堡塁は乾壕と有刺鉄線によって守られ、機関銃や火砲が配備されている。
史実、ドイツ兵はこの機関銃掃射の前に次々と命を奪われてしまった。
そこで出番となるのが、MP18である。
第1近衛師団はこのMP18を優先的に配備されていた。
ドイツ第2軍から抽出された『ミューズ軍』に所属する我が第1近衛歩兵連隊は、
リエージュ要塞東側の堡塁制圧を下命され、順次展開中だった。
手にはMP18、腰には手榴弾。
勿論、相手はコンクリート製の堡塁に籠っている訳だから、そう易々と制圧出来るとは思っていない。
だが、史実よりは楽になることは確かだった。
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リエージュはベルギー東部、ミューズ川とウーズ川の合流地点に位置する都市である。
そんなリエージュは、ドイツ国境からは約30kmの距離にあった。
ドイツのアーヘンからブリュッセルを経由してパリに至る鉄道の中継地点であり、同時にナミュールにも鉄道が伸びていた。
町は南をアルデンヌの森に囲まれ、通行が難しかった。
しかし北と西には平原が広がり、西に行けばすぐフランス国境に到達できる。
『シュリーフェン・プラン』を忠実に実行するならば、フランス早期制圧は必須である。
ならばフランスに一日も早く到達できる道を通るのが、当然の帰結と言えた。
たとえそこに難攻不落の大要塞が横たわっていても――だ。
――“リエージュ要塞”
1880年代、フランスの工兵中将アンリ・ブリアルモンは当時、最も権威ある要塞設計家であった。
第一次大戦時、ドイツとロシアを除いた国々の要塞はその殆どが、ブリアルモンによる設計だった。
彼は1880年代、このリエージュに古くから存在する要塞の強化を推し進めた。
それが――『分派堡塁式要塞』である。
その基本設計は街を取り囲むように、環状に堡塁を配置するというものだった。
計12個の堡塁が街の中心から半径6.5なしい8kmの位置に、平均2kmの間隔で築かれた。
各堡塁は相互に火力による防御支援が可能であり、たとえ1個の堡塁が陥落したとしても、隣接する2個の堡塁がその間隙を塞ぐことができた。
まさに難攻不落。
しかし理論上はそうだが、ドイツ軍には問題無かった。
ドイツ軍はアルベルト・ゲーリング少尉が考案した『浸透戦術』により、敵陣地後方に潜り込んでいたからである。
それが『浸透戦術』の恐ろしさだった。
塹壕や堡塁といった防御陣地に潜むのだ。
敵に気付かれることなく、奇襲的突破を目指す。
それが『浸透戦術』の真髄だった。
「ゲーリング少尉! あのベルギー野郎の機銃を黙らせてこいッ!!」
「ヤー(了解)!!」
屍の山が累々と築かれてゆく中でそんな命令を下したのは、第1近衛連隊長のファーレンシルト大佐だった。
アルベルト・ゲーリング少尉は情報将校である。
しかしそんなことは関係無かった。
彼はピッケルハウベを頭に被って小奇麗な軍靴を履き、MP18を携えて突撃する。
「行け行け行けぇぇぇぇッ!!」
アルベルト率いる小隊が銃弾飛び交う戦場を突っ切り、埃を蹴立てながら、リエージュ要塞の一翼たる堡塁へと突進した。
その手には、様々な突撃用の武器が握られていた。
MP18短機関銃、MG08/09重機関銃、ルガーP08、そしてショベル。
しかしこの時点で、誰として発砲する者は居なかった。
拳銃で狙うには距離がありすぎ、短機関銃でもやや足りない。
射撃は、出来るだけ敵堡塁に近付いてから開始することになっていた。
アルベルトの小隊と堡塁の敵兵、彼らは同時に相手の姿を目に捉え、呻きとも溜め息ともつかない声を漏らした。
刹那、敵兵の重機関銃が唸りを上げた。
「突撃ッ!!」
アルベルトは爆発しかねない心臓の鼓動を抑えつつ、小隊に命令を下す。
彼は一早く敵塹壕に潜り込むと、内部に立て籠もる敵兵相手にMP18短機関銃をぶっ放した。
MP18から解き放たれた9mmパラベラム弾は砂埃を舞い上げ、ベルギー兵の一人の左脚を撃ち砕いた。
声にならない悲鳴を上げ、ベルギー兵は地面に倒れる。
止めを刺したのは、小隊の兵士が持つショベルだった。
天高く振り上げられたショベルの切っ先は、その兵士の喉笛を切り裂いた。
まるで間欠泉が如く噴き上がる紅い血。
血飛沫が軍服に飛び散り、アルベルトは渋面を浮かべた。
「これが……戦争ってヤツか……」
朦朧とする意識。
鼻先を擽る硝煙と死体の臭い。
飛び交う怒声と悲鳴。
ごく当たり前のように平和を謳歌していたアルベルトには、想像し難い現状だった。
しかしそれは想像ではなく、現実としてそこに存在する。
「もう後戻りは出来ない……のか……」
アルベルトはMP18短機関銃を構えた。
彼は普段、悪ふざけをし、皮肉を語る男だ。
現実の全てを否定し続け、自分好みの世界を作り上げる。
そしてそれをこれまで、一つの“使命”として続けてきた。
だが、戦場が彼の価値観を変えた。
現実には想像し得ない凄惨な光景。
人が死に、人が生き延びる境目。
それは戦前ドイツでも、戦後日本でも見た事の無い光景だった。
しかし今、彼はそれを直視していた。
「これは“使命”じゃない、“運命”だ」
アルベルトは呟き、MP18の引鉄を絞って射撃する。
フルオートのMP18は断末魔の如き射撃音を迸らせながら、塹壕の敵兵に次々と銃弾を浴びせ掛けた。
残念ながら、全ては明後日の方向に飛び去った。
実際に敵兵を仕留めるのは、部下の兵士達だ。
「ドイツ野郎ッ! これでも喰らえ――」
罵声をぶちまけ、ベルギー兵の一人が手榴弾を持った右腕を振り上げる。
しかし次の瞬間、ドイツ兵が一斉射撃を開始し、その直後にベルギー兵が喉を押さえてよろめいた。
いまにも投げようとしていた手榴弾は落ち、爆発した。
爆煙が塹壕内を包み込み、ベルギー兵が吹き飛んだ。
また破片が飛散し、ベルギー兵の身体を切り裂いた。
その後、塹壕内は騒然となった。
地面や壁面には四散した人体の血肉がこびり付き、悪臭を放っていた。
誰もが一度は鼻を押さえ、その悪臭を吸い込むまいとした。
だが、次の瞬間にはそれが無駄な努力であると悟る。
彼らは銃を構え、敵兵に照準を合わせる。
それが当然の動作だった。
数時間後、堡塁は制圧された。
多大な犠牲は払ったものの、数時間程度で制圧できたのは上出来だった。
「ゲーリング少尉、見事だ」
ファーレンシルト大佐は無愛想な表情でそう言い、一枚の書類をアルベルトに手渡した。
「次の任務だが、貴官には鉄道トンネルの爆破阻止を頼みたい」
それはアーヘン=リエージュ間を繋ぐ鉄道線の一つで、ドイツ軍にとっては重要な輸送路の一つでもあった。
「堡塁の位置といい、敵戦力といい、貴官の情報収集能力は本物だ」
「はぁ……それは光栄の至りであります」
「大本営は貴官を高く評価している。MP18に浸透戦術、貴官の提案は各戦線で多大な戦果を挙げているのだ」
それは当然と言えば当然だった。
MP18は戦争の在り方を変えた兵器の一つであり、浸透戦術は塹壕戦の在り方を変えた戦術である。
先取りしたそれらの技術が実を結ばない筈が無かった。
また、アルベルトの情報収集能力も、だ。
彼の情報は全て未来の海外ソースや書籍からきているもので、これは“神”を名乗る人物から与えられたハンデの一つだった。
残念ながら制限も多く、完璧ではないが。
それでも士官学校で情報将校としての訓練を受けてきた彼は、大まかな情報から大体の予想を付ける能力を身に付けていた。
それが今回の『リエージュの戦い』で見事に当たったのである。
結果、『リエージュの戦い』は大成功の内に幕を閉じた。