第3話『士官学校の変わり者と危ないお友達』
こんにちは、アルベルト・ゲーリングです。
突然ですが、友達が出来ました。
彼の名はフリードリヒ・カール・フォン・エーベルシュタイン。
俺とは1歳年上で、幼年学校では先輩に当たる。
「アルベルト! アルベルト!」
と叫びながら、エーベルシュタインは俺の所に歩み寄ってきた。
ありえないくらいテンションが高い。
「アルベルト! お前が話してた『戦車』の話、感動したよ。
まぁ皆は“変人”とか“死ねばいいのに”とか言ってたけど」
……マジでか!?
俺、「変人」とか「死ねばいいのに」とか思われてんの?
「まぁ俺もちょっとはそう思うけど、それでも俺達は親友さ」
いや……それ慰めになってないよ……。
むしろ心、抉られたよ。
俺のか弱いチキンハートがズタズタだよ……。
「?」
屈託のない笑顔でこちらを見るエーベルシュタイン。
彼は後にSS(親衛隊)大将となる人物だ。
そして同時に、あの“ラインハルト・ハイドリヒ”をSSのヒムラーに引き寄せる人物でもある。
いわば、ユダヤ人にとっての“死亡フラグ”だ。
あの金髪の小僧……もとい、金髪の野獣は危険過ぎる。
最初はこのエーベルシュタインを通じて接触しようとも考えたが、
半ユダヤ人疑惑の掛けられている俺が近付こうものなら、粛清される気がしてならいない。
何しろ、あのハイドリヒも最初は反ユダヤ人疑惑が掛けられていたのだ。
結局、それは事実無根のことだったが、そのせいで彼は陰湿な少年時代を過ごす羽目になった。
もし、そんな過去を思い出す羽目になったと八つ当たりでもされたら、堪ったものではない。
とりあえず、ハイドリヒの件は放置する。
「それにしても、『戦車』なんてどうやって思い付いたんだ?」
「あぁ、まあ……“ホルトトラクター”の話を聞いたからさ」
ホルトトラクターとは、アメリカのホルト社が開発した履帯式トラックだ。
当時としては革新的な『無限軌道』を最初に実用化したトラックで、
各国はこのホルトトラックを参考に戦車開発を推進した。
そうして誕生したのが、イギリスのマークⅠ戦車。
フランスのシュナイダーCA1戦車。
そしてドイツのA7V突撃戦車だ。
しかし俺が提案したのは、その発展型ともいえるルノーFT-17だ。
いわゆる『戦車』としての形を最初に完成させた車輛である。
完成は1917年で、その先進性から各国でライセンス生産された。
その一方、ドイツは立ち遅れていた。
最初の戦車であるA7Vが実戦配備されたのは1917年10月。
一方、英仏は既に戦車を実戦配備させ、塹壕戦を変えていた。
国力差、技術差はあるとはいえ、この戦車がもう少し早く完成していれば、戦局はやや違っていたかもしれない。
だが、機動力・火力は黎明期の菱形戦車には欠如していた。
その一方、フランス軍が開発したルノーFT-17は戦車の完成形である。
初期の菱形戦車よりも整備性・輸送性に優れ、何より次世代の指標だった。
開発ノウハウを付けておくだけでも、後々の戦車開発に貢献することだろう。
また、俺が提案したのはそれだけではない。
短機関銃のMP18。
対仏戦でしのぎを削った浸透戦術。
そして――航空機だ。
航空機については、積極的に推したのは雷撃機だ。
ただ、雷撃といえば海軍なので、お門違いと一蹴されてしまったが。
それらの中で、もっとも注目されたのがMP18短機関銃だった。
世界初の短機関銃MP18は、まさに新時代の兵器だった。
1918年3月、ドイツ帝国軍は鎮静化した東部戦線から西部戦線へと主戦場を移し、一大攻勢を画策していた。
それが1918年春季攻勢――『カイザー攻勢』である。
重砲、A7V戦車、浸透戦術、そしてMP18はその力を如何なく発揮した。
特に目覚ましい戦果を挙げたのが、MP18短機関銃であった。
MP18はこのカイザー攻勢において、ドイツ帝国軍の突撃歩兵――『シュトース・トルッペン』に配備されていた。
そしてそのシュトース・トルッペンの戦果は驚異的なものだった。
浸透戦術も併用し、西部戦線に築かれた塹壕群を次々と制圧。
無論、彼らはMP18を装備していた。
MP18は、歩兵一人に機関銃並――というよりその通りなのだが――の火力を持たせ、尚且つ機動力も保つ優れた兵器だったのだ。
MP18の戦果もあり、ドイツ軍は60キロという空前の前進を見せた。
そして1918年7月、『第二次マルヌ会戦』の勃発。
開戦以来、2度目となるパリ攻略のチャンスだった。
ここを制すれば、ドイツ軍はパリの街に行軍することが出来ただろう。
残念ながら、ドイツ軍は圧倒的物量を誇る連合国軍の前に敗れたが……。
今回、俺が提案したのはそんなMP18とMP28、そしてMG08/15だった。
MG08は今年、ドイツ帝国軍が制式採用した重機関銃だ。
このMG08は『マキシム機関銃』を基に設計・開発されている。
非常に優れた機関銃で、実はこの幼年士官学校にも数挺、教材として保管されていた。
俺が提案したMG08/15とは、MG08を軽量化し、銃床&二脚構造にしたものだ。
本来なら1915年に派生型として登場するが、そこは未来の知識である。
学校長や教師に提案し、改良を加えた試作型を造って貰った。
完成品は酷く不格好だったが、対塹壕制圧力は本物だった。
何しろ重機関銃の火力と小銃の機動力を兼ね備えているのだ。
その実用性に気付かない人間は居なかった。
というよりは、ドイツ軍人だったからかもしれない。
当時、各国軍は重機関銃を大隊で何挺か、という具合に運用していた。
その一方、ドイツ帝国軍は独立した兵科として『機関銃中隊』なるものを編制、運用していた。
ドイツ人というのは先進的な技術を嗅ぎ分ける能力でもあるのだろう。
短機関銃、通商破壊戦、長距離砲などはその代表例だった。
ところがそこで分かると思うが、ドイツというのは先取りし過ぎている。
10年先を行く技術で作られた兵器も、数を揃えられなければ意味は無い。
結局の所――『戦争は数』なのだろう。
閑話休題。
結局、俺が考案したMG08/15はドイツ軍にいたく気に入られ、MG08の派生型として開発、製造されることが決定した。
来年には完成し、ドイツ帝国の各植民地に配備される予定だ。
1908年現在、アフリカの植民地はとにかく荒れていた。
ドイツ領東アフリカでは1905年から勃発した『マジ・マジ反乱』が未だに尾を引いており、各地で残党が抵抗戦を展開。
またドイツ領南西アフリカでは1904年から続く現住民族の反乱により、多数のドイツ人が犠牲となっていた。
カメルーンでは全土併合の真っ最中。
トーゴランドでも内紛は絶えなかった。
その荒れ具合はドイツ帝国が課す過酷な政策によるものに間違いは無かった。
また、ドイツ帝国植民地軍の横暴ぶりも世界が知る所だ。
現地民の制圧に強力な火力は欠かせなかった。
力による支配はドイツのみならず、列強諸国が行ってきたことだ。
そして今回、その役目を任されたのがMG08/15改め、MG08/09なのだ。
「なんでアルベルトはそんなアイデアを次々と生み出せるんだ?」
と、エーベルシュタインは目を輝かせながら訊ねる。
間違っても『前世が未来の日本人だから』とは言えない。
「エーベルシュタイン、あんまりアルベルトを困らせるなよ」
と、横から割り込むように響いてくるうら若い声。
彼の名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー。
未来のSS(親衛隊)大将であるが、
民間人虐殺、ユダヤ人迫害、強制収容所の設置と、
まるでナチスドイツの権化のような人物でもあった。
なんで俺のまわりには、危ない奴が集まるんだ……。
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6年後、アルベルト・ゲーリング18歳。
俺は現在、プロイセン王国高級士官学校に在学している。
兄ヘルマンも在校しているという、プロイセン王国最高峰の陸軍士官学校だ。
ここで俺は、プロイセン王国軍人の何たるかを教わる事となる。
残念ながら、エーベルシュタインは入学せず、ハレ大学に進んだ。
まあ少し惜しいが、ラインハルト・ハイドリヒという凶器に触れる可能性が少しばかり減ったので、これはこれで良しとする。
しかし初年度は災難ばかりだった。
教師や同級生には“変人”扱いされるわ、
久しぶりに再会した兄ヘルマンには、ボディスラムを決められるわ、
父親ハイドリヒは死んでしまうわでとにかく災難続きだった。
そして来年はついに運命の年、1914年。
第一次世界大戦の勃発の年であり、俺が士官候補生として野戦部隊に配備される年でもあった。