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No.31653の一覧
[0] 無題[varnodaya](2012/02/20 18:51)
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[31653] 無題
Name: varnodaya◆34f55ea5 ID:b0ede032
Date: 2012/02/20 18:51

 まだ薄暗い時間だった。昨日は遅くまでパソコンをいじっていたので頭まで薄暗く靄がかかっている。突然にチャイムが鳴って目を覚ましたのはそんな時だった。
時計の秒針の音と、冷蔵庫の稼働音しかしていない。時計を見るとまだ6時だった。チャイムの音が無気味に単調な音しかしないはずの僕の部屋に侵入してくる。
 ドアノブを回す音が聞こえた。不気味さは恐ろしさに変わっていく。
 息を殺した。誰だろう。いい予感はしない。
 ドアの向こうの誰かが咳ばらいをした。体の中を通っている管が一気に収縮する。口が干からびてくのを感じた。最初から予感はあったが、ほとんどそれは確信に変わっていた。父だ。
 再びチャイムの音がした。
 わざわざ東京まで何の用だ。さっさと田舎に帰ってくれ。蒲団を被る。耳をふさぎ、目を瞑る。もう一度寝よう。寝て全てを忘れようと思った。体から魂が半分はみ出たような感覚がしていた。僕は眠っていて、起きられなかったから、あなたに扉を開くことはできなかったのだ。今日のことは無かったことなのだ。



*****



 僕の母親は、三人兄妹の末っ子として生まれた。
 母の上の二人は、それはそれは良くできた子供だった。
 二人そろって、県内で一番の高校に入って、兄は県庁に勤め、姉は教師になった。
 母はというと、残念なことに、その二人に比べていささか頭の回転の遅い子供だった。いつも上の二人と比べられた。自分はいらない子供なのだと、いつしか、母は思うようになっていた。
 幼いころの母は、ある時、ハサミを足の上に落としてしまったそうだ。ストンと、綺麗なまでに、足を、黒くて厳ついハサミが貫いた。
 痛みは感じなかったという。
 それよりも、母の心に映ったものは、「不安」だった。
 ――ああ、また怒られるのだろう――
 半時間くらい、呆然として、そのハサミと足を見ていた。

 結婚した後も、母は所在なさを常に感じ続けることになる。
新しい家族。新しい慣習。新しい世界。
彼女はその世界を受け入れようと努力した。父と、父方の家族を愛そうと努力した。しかし、「新しい者」が、嫁だから、という理由で入っていけるほど、「古い家族」の風通しは良いものではなかった。
母が感じていたのは、漠然とした、皆から感じる不信の念だった。
「監視」であった。それは抽象的な意味でもそうであったし、実際にも行われていた。姑はよく、襖を少し開けてこちらを見つめていた。無限の距離を感じさせる、おぞましい目をしていた。
明らかに、お世辞でしかありえないような料理の感想。それは母が求めていたものとは最も距離の隔たったものだった。
ある意味では、直接的な厭味の方が救われる。それは直接的な感情の表明だ。母も不満をぶつけることができただろう。しかし、この場合、存在したのは「距離」だった。誰に訴えることもできない、恐ろしいものだった。



父も「向こう側」の人間だった。そして、しばしば、父の妹が遊びに来る。
彼らは勝手に楽しそうだった。
なんだ、入る余地なんて最初からどこにも無かったんだ。ここは完結した世界だったんだ。



僕と弟は、一方、何の不自由も無く、溺愛の内に育った。



気が付いたら、家庭は壊れていて、表面だけは円満な家庭という、グロテスクな何かがそこにあるだけだった。僕たちはハッキリと母の側についていた。
母と偶然的に長く一緒にいただけかもしれない。母の不満を感じていたからかもしれない。今となっては、良く分からない。



――ああ、それから、家庭は壊れていて、と言ったけれども、あれは多分嘘で、本当は家庭を壊したのだろう。僕も家庭を壊すのに一枚噛んだのは、間違いないのだから。僕はクズだから、面倒くさいことは考えないで、母:父の比率を100:0にした。いつまでたっても子供扱いの父方の家系に嫌気が差した、とか、母はいつも僕のやりたいことに理解を示してくれたから、とか、そんなことは本質的ではないのだろう。
ギクシャクした空気の家で、50:50とか、そんな疲れることをやっては身がもたない。ただ、それだけのこと。多分、それだけのこと。



一旦比率を定めると、面白いことに、その人間の悪いことばかりが次々に目に入ってくる。公務員の父は、給料泥棒にしか見えなくなった。父方の家系の知性と教養の欠如はいよいよ以て耐えられなくなった。祖母の信じていた宗教とやらは、決定的に胡散臭い代物に思われ始めた。言動には、全て気色の悪さが付きまとう老人にしか見えなくなった。
そして、僕はその感情を隠すことをしなかった。
母は、今までは愚痴をこぼすことなんて決して無かったのに、僕がクズだったから、僕が愚痴をもらすようになってから、母と、弟と、僕で、家族の悪口を言うようになった。つまり、家庭を壊したのは、僕だった。



いろいろなモノが壊れ始めた。
口すら利かなくなった父が、酒に酔っ払って繰り返すのは、僕がもっとずっと幼かったころ。
――パパと××、二人は仲良し――
それはまだ、僕が幼稚園の頃に言っていた言葉だったらしい。ソファーに寝っ転がって、猫なで声で僕に聞こえるように呟くのは、もう僕ではない僕の記憶だった。吐き気がした。



猫なで声で機嫌を取る父親、汚らわしい。
昔は、昔は、昔は、と繰り返す父親、汚らわしい。
身長が伸びた、とか、そんなどうでもいい話題しか振ってこない父親、汚らわしい。
大声で綺麗ごとしか言わない祖母、テレビの向こう側の事件に大げさに感情移入したフリをして、その次には低俗なお笑いに笑い転げる祖母、汚らわしい。
「大切な母さん」を苦しめる連中、汚らわしい。




僕は勉強をするようになった。
あいつらと同じ馬鹿で人生を終える気は無かったから。死ぬほど勉強した。ひたすらに知識を頭に詰め込んだ。
あいつらの歩んできた道は安楽な道に見えた。それは人間の堕落に思えた。
故に、自分の道は茨を敷きつめようと思った。塾にも行かず(他人の力を借りてもハードルを下げるだけで意味は無いからだ)、無謀と思えるような志望校を設定した。苦しみがいつしか心地よくなった。その時点で、僕の人生茨道計画は頓挫していた。僕にとって、それは一番安楽な道になっていた。それに気が付かないほど、僕には知性が無かった。
不思議なことに学校では一番の優等生だった。
数学の定年間近な先生には、こんな真面目で気持ちのいいやつは見たことが無いと言われた。嬉しかった。彼は間違いなく善人だった。彼から好かれようという気持ちもあったのだろう。さらに勉強を重ねる。次第に僕の周りで、僕よりも勉強ができる人間はいなくなった。
彼が定年を迎えたとき、固く握手をして、
――やめてください、先生
将来が楽しみな奴だと褒められ、今までで一番の生徒だと言われ、
――僕はそんな人間ではないんです。
そして僕は、彼が僕でない別の僕を褒めていることを知っていて、そしてそれは自分が作りだした幻想であることも知っていた。みんなから好かれる僕という幻想。
そうして僕は考えるのをやめた。あの先生とは以来一度も顔を合わせていない。



大学には合格した。当然のことだ。高校時代はずっと勉強していたから。むしろ、自分よりも順位の高い連中がいるということが許せなかった。僕は下位合格だった。ただ、やるせなかった。
上京することになった。父方には行ってきますも、さようならも言わないで、母の運転する車に乗って飛び出した。解放されたと思った。
――こんな家に二度と帰ってくるものか。地獄のような時間だったぜ。母さん、早くあいつと別居してよ。そうしたらまた、田舎に帰ってこれるからさあ。



大学に入って、政治運動にタッチした。天下国家を檀上大に語るのは気持ちが良かった。その政治運動が、保守的なものだったのは、何と言う皮肉だろう。
家族をブチ壊したクズが国「家」を語り、家族を愛せないクズが愛国心を語っていた。父は愛せなくても、日本を愛することはできたらしい。それとも、そういうことの代償行為だったのだろうか。次第に政治運動に飽きてきた。
最初は崇拝していた、運動のリーダーがいた。最初は彼の一挙一動を真似るがごとく、僕は振る舞った。その団体の皆を、僕は愛していた。
しかし、あるとき、ぷっつりと糸が切れるように、その感情は一変した。周りの人間の何気ない振る舞いが癪に障るようになった。リーダーのちょっとしたミスを見て、僕は彼を心のなかで嘲っていた。彼らを、「客観的」な目線で眺めるようになっていた。その資格も、僕にはあるのだと思った。
だって、ここにいる連中の誰よりも僕は苦難を重ねてきたから。
彼らのなかに漠然と漂うお気楽な気分を唾棄した。自分ほど「実存的」な人間はいないだろうと夢想した。もう学びとれるものなんて無い。彼らよりも僕の方がレベルの高い人間なのだという確信があった。僕ほど勉強した人間なんて、誰もいないと思っていた。



実際のところは、自分の積み重ねてきたものが崩壊するのが怖かったのかも知れない。自分の「お勉強をいっぱいしてきた」というメッキが剥がれ、自分の世界が変わっていくのを拒んだのかも知れない。いずれにせよ、気が付いたら感情は色あせていたことに僕はショックを受けた。
僕は抽象的なものしか愛することはできないのだと悟った。僕は観念で作り上げた「同志」を愛していたのだった。積み重なった、現実の「彼ら」の姿と、観念上の「彼ら」との姿のギャップによって、僕は現実の「彼ら」を棄却することを選んだ。あの「先生」も、僕の観念の産物だったのだろう。



 母は、私が東京に出て、1年後に、弟を連れて別居していた。僕にとっての実家は、既に、母と弟の住むアパートになっていた。その実家には、たまに帰っていたし、母と弟が遊びに来ることはあった。僕は二人のことを愛していた。
 しかし、僕は本当に母と弟を愛しているのだろうか。
 ふと、恐ろしくなることがある。いつの日か、あの政治運動のときと同じように、ぷっつりと感情が切れてしまうのではないか。そうしたら、この暖かい感情の行き場所はどこに?そうしたら、そもそもこの感情が実在していると言えるのだろうか。
 もしも、実在しているのだとしたら、その根拠は、「家族」であるということにのみ、基づくというのなら、寒気がする。そんな不安定な土台の上に、その感情が成り立っているとするならば――だって、僕は父のことが嫌いなのだから。
 母は何だかんだ言っても教養と知性のある人だった。僕と弟が、まだトルストイの『戦争と平和』を読んだことが無い、とふと漏らしたとき、それは中学生のときに読むものだとさり気なく言った。(母は優しいので、僕らが傷付かないようにだろう、その後すぐに昔は娯楽なんて無かったから、と続けたが)
 僕は母を“敬”愛していたと思う。でも、果たしてどうなのか。母には教養があったから? 知性があったから? それとも――



大学に入ってしばらくして、頭を冷静に冷やしてみたら、自分のクズさ加減がいい加減はっきりと見えるようになってきた。



アパートの連帯保証人が父であるということ。



政治運動で唱えていたカラッポな文句より、よっぽどリアルな現実だった。



いや、本当はずっと前から、自分の駄目さには気づいていたのだろう。ずっと前から締め付けられていた。自分が間違っていることなんて百も承知だった。それでも、自分は他の何かに縋ろうとして、それで問題が解消されるとなんて、補償されるとなんて思っていた。いつも全然無関係なことで気を逸らして、考えないようにしていただけだ。それは勉強だったり、政治運動だったり、難しい本だったり――
その全てが本質を外していた。当然だ。僕にとって、それらの全ては気晴らしでしか無かった。死ぬ気で勉強した? それは笑えない冗談だ。人に負けて当然だった。動機の密度が点で違った。



僕が、20歳の誕生日を迎えたときだ。
母からメールがあった。父が電話をして欲しいとのことだった。僕は、謝らなければいけなかったし、そうしなければ一歩も前には進めないだろうことも分かっていた。6時頃、田舎の実家で電話を待っているらしい。
一日中、魂が半分抜け出たような、それでいて持つもの全てが重く感じるような、そんな時間が過ぎて行った。
頭のなかでは分かっている。自分がダメだってことくらい。いつまでも母を言い訳にしていた自分が、始めて、僕個人、ただ一人で試されていた。母と父は別の人間だ。縁も切れる別の人間だが、僕と父はそうではない。母のことは言い訳には決してならない。自分は完全に、父におんぶにだっこだった。身勝手にも程があると思った。自分の今まで培った知性を総動員して、絶対に自分が電話をしなければならないことを証明するための論理を構築しようとした。
自分の笑わせるような「苦悩」の根源、人間性の根本的問題、それを断つための理論。完全と思われる理論を作り上げた。そして、これによって、自分は完全に救われることも「証明」された。
ああ、これで自分は救われた、と思った。3時ころのことだった。
自分の全てが軽くなった。たかが、電話をするための論理のために。これが作り上げられたからには、僕が今までやってきた勉強は無駄にはならなかったのだ。僕はトンネルをひとつ抜けた。ああ、やっとこれで、僕は――



それで、結局、電話はできなかった。
その後ゲームを始めた僕は、ゲームをやっていて、時間が過ぎるのを気付かなかったということにした。僕は9時までパソコンでゲームを楽しんだ。
全てが馬鹿馬鹿しかった。
そのゲームを消去しようと思って、やめた。
その後、勉強をして、歯をみがいて、風呂に入って、寝た。
理論は、僕の脳裏の奥底に押しやられた。いつも通りの、安楽で禁欲的な生活が始まった。僕は救われることを拒否した。



*****



 30分くらいが経ったと思う。
 今、もう一度、今度はチャンスが向こう側から来ていたのに。
 これを逃したら、今度はいつになるか分かったものじゃない。
 簡単じゃないか。ドアを開けるだけだ。それで全てが解決するんだ。
 蒲団のなかで、自問自答を続けた。もうチャイムの音は聞こえない。どこかで、安心している自分がいた。ああ、これで良かった。そう。これで良かったのだと――
 僕はクズだから――そう、僕はクズだから、という言葉で、僕はある意味自分を弁護していたのだ。クズだから、こういうことも仕方ないか。だって自分はクズなんだから。
そんなのは、しかし、言い訳にはなるはずもなかった。そんな一つの単語だけで自らの抱えるものを無にすることはできないのに。
 もしも、もう一度、チャイムが鳴ることがあったのなら、僕は、扉を開けよう。



 蒲団を被りながら、僕は自分に言い聞かせた。



 そして、チャイムはもう一度鳴ることになる。



 今度こそ、扉に近づいた。
 父だと言うことが、決まった訳ではないのに――
 のぞき穴を見て、右端に映る人影を見て、
 僕はカラカラに干からびて、声も上手く出なくなっている喉で、裏返った声で、≪父≫に、尋ねる。



 ――どちらさまですか。



*****



 駅前にある、大手チェーンの喫茶店に移動することになった。
 父の顔を、まともに眺めたのは、何年ぶりだろう。父は相変わらずだった。
 お互いにぎこちない、二三の会話をアパートの前の通路で交わす。
どこか場所をうつさないか、どこでもいい、金はこちらが出す、と父は言った。どんな高いものでも、例えばモスバーガーでも――天性の貧乏性故に(実際、金はあるのだが)彼の高級な食事というのはモスバーガーが上限という程度だった。――僕は、もしかすると、そんな彼を愛し始めているのかも知れないと思った。顔がほんの少しだけ、ほころんだような気がした。
 生活に苦労していないか、体調は大丈夫か、学業は順調か、など、差しさわりのない会話を振ってきた。
 今日、こちらを訪ねてきた理由、朝方突然訪ねてきたことへの謝罪、学費のこと――父は、大学院に進学するつもりなら、金は出すということを告げた。僕は進学するつもりは無いと答えた。
 僕は、父に、母と弟に、――もう壊れてしまったのだから――あまり関わらないで欲しいことを告げた。弟を巻き込んだのは、僕だけど、時間に解消させるしかないと思っていた。母とは、もともと他人だったのだから、それはもう、他人に戻るということ。ここで父に会ったことを、母と弟には告げないで欲しいこと。母には、僕の方から話すべきことだから。――本当は、父にも、僕の方から会いに行くべきだったということが、ふと脳裏をよぎった。――そして、父には、僕は感謝をしているということを。
 一番言いにくいことを父の目を見て言いきった。父の目は赤くなっており、声の調子は昔のままだったが、あの猫なで声には聞こえなかった。
 かつて嫌悪の対象だった父は、心なしか、小さく見えた。



 父は、僕の振る舞いが、何から何まで、母にそっくりになった、と言った。
 ああ、二人とも、悪い人ではなかったのだ。誰も悪い人なんていなかった。



 父は最後に、また、田舎の方に顔を見せて欲しいと言った。僕は首を縦に振った。
 駅の改札に消えてゆく父を、僕は見送った。完全に消えて、見えなくなるまで、その背中をずっと見ていた。最後に父が振り返る。僕は深く礼をした。
 そのとき、僕は、自分はいい息子を「演じて」いるのだと感じていた。父を愛する息子のふりをしているのだと、そういう自覚があった。自然な感情の発露ではありえなかった。僕は間違っても孝行息子ではない。それでも、僕はスッキリした気分だった。何かが解決したのだと思った。ドアを開けて良かった。最初は殺されても文句は言えないと思っていたけれど。――謝ることは、できなかったな――



*****



 父から、はじめてのメールが届いたのは、その翌日だった。
 下手くそな文章だった。手紙を書いていいか、ということだった。



 そのとき、再確認した。
 僕は父を愛してなんかいないのだと。僕の頭の中で、僕が嫌っていた父が再生されたのだった。父の文章が下手だったからではなく、目の前から父が消えてしまったからだろうか。
生理的な嫌悪感。それはまだ、しっかりと僕のなかに根付いていて、離れなかった。
 その文章からは、あのソファーで泥酔する男の、あの気色の悪い言葉が浮かんでくるのだった。悪い人ではないということ、その言葉が宙に浮いていた。



 母のことをふと、想起した。
 ああ、そうだった。母も、盆や正月に実家に帰るのを嫌がっていたっけ。面倒くさい、気づまりだと。僕と弟も母の実家では、どことない居心地の悪さを感じていた。ただ、母は、僕なんかと違って、実家を壊したりはしなかったけれども――
 僕も、いずれはそうなっていくのだろうと感じた。それが、最も正解に近いのだろう。僕は≪居心地の悪さ≫を感じ続け、「客観的」な人間を続けていくのだろう。それで仕方がないのだろうと感じた。



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