並び立つ円形の支柱。
支柱の平均的な人背の高さに飾られる赤い炎の灯火だけでは天井の高さは測れず、ただ壮観なまでに続く灯火の担いに挟まれた赤いカーペットが真っ直ぐに続いていた。
その奥には数段の階段があって、その先に空席の黒い玉座がある。主人不在の役目を待つその玉座は、異質の雰囲気を纏って、触れたら何か不吉なことが起きそうで、ただ不気味に座る者なく鎮座する。
薄暗い玉座の間には静寂に灯る火の光と、レッドカーペットを境に向かい合う閑静に帰して控えるものたち。
人ではない。限りなくそれに違い容姿をしたモノはいても例外なしに化け物であり、決して形容するにはあまりに不気味で不快なくらいの異形も混じっていて、ただ一つ一つを語るにはあまりにも難解だ。
化け物を絵に描いたような化け物。想像通りの歪。
ただそれでも異物が纏う空気は異質で、それはそう、理解できない異形独特のもつ悪質なものではなく、あくまで異物が纏うというのはどうも不相応な、不似合いなもの。
誰として黙して話さず、口を閉じてその顔にわずかに緊張感を滲ませて張り詰めたような空気を生み出していながら、しかしそんなことを気にするようなものはおらず、身動ぎすらせずに銅像のように立ち並んでいる。
聞こえるのは呼吸の音だけ。その呼吸すら意識を張り巡らしているかのように微かな最小限の呼吸で、誰しもが自身の心臓の鼓動すら止まってくれと願っていた。死んだような空気の中で生きる地獄。死んでしまえばどれだけ楽なのか、死を誘うそんな誘惑も今は何よりも甘美に思えて、しかしそれでも、誰も呼吸を止めるものはいなかった。
理由なんて単純で、当然すぎて、理由もあってないような、意味のないくらい、それでも譲れない情けない動機。
みんな総じて臆病者の敗北者。
だからこそ突如聞こえた足音に誰しも心臓を凍らせて、プライドなんて最初からないように迷いなく膝をついた。
恐怖に身体を震わせて、歯のあるものは歯を鳴らし、意識的にしていた呼吸が無意識に停止した。歓迎の声はない。決して、静寂を殺してはならない。誰もが知っていて、誰もが願ったこと。
決して興味を惹かないように。決して意識を向けられないように。決して視線を合わせないように。
床に顔を埋めその存在を崇めるように、恐れ多くとただその歩みを聞いていた。
異質な静寂を切り裂くように現れる異物。
血で染まったように赤い道を歩み、威風堂々と地に伏せるモノなどいないように無関心にその表情に変化はなく、冷たく刃のように鋭い目付きと瞳を持っていた。
毅然と歩む姿はまさに王と呼ぶに相応しい。
彼は玉座にたどり着くと肩にはおっていた黒いコートを翻して腰を下ろした。
一度背もたれに背を預け、何ともなしにたまたまと言っていいくらい自然な動作のまま先の見えない星月のない夜空みたいな天井に視線を向けて、純粋な黒をその双眸に宿していた。感情の色は見えない。彼はどこまでも空虚だった。
やがてひじ掛けに肘を置いた手に顎を載せて、彼はゴミでも見下ろすようにつまらなそうな視線を化け物たちに向けた。
呆れてはいない。それはただ、なんでもないものをなんでもないものとして見るような、どうでもいいただ目が動いただけと言っていい意味のない視線。
一目で闇を連想させる存在だった。
全てを呑み込む底なしの黒。
髪も瞳も服装も、纏う雰囲気ですら、闇を、絶望を、限りなき不吉を、死を、想像してしまう。
床に伏せる化け物なんて可愛く見えてしまうほど彼はどこまでも化け物。化け物が恐怖する化け物。その存在で統べる支配力はやはり王と呼ぶに相応しい。
圧倒的な存在感。
化け物たちに空虚な視線を向けた彼は、やがてゆっくりと口を開いた。
「お前らのせいで、長い時間を無駄にした」
身の凍るような冷たい無機質な声。
見下す不遜が不快だと語っているようだった。
「くだらんお前らのくだらん争いに、何故わざわざ俺が赴かなければならん」
目付きがより鋭利になる。
風はないはずだが、何かに怯えるように灯火が揺れた。
「いちいち手間をかけさせるなよ屑共。ゴミ掃除も楽じゃないんだ。もし次この手を煩わせたら、俺が即刻殺してやる」
その静かな殺意を滲ませた言葉と同時に、支柱に灯っていた全ての火が消えた。
光を失った玉座の間は元の暗闇に戻り、誰の姿も確認することができなくなった。
暗闇の中。確かなものは何もなく、殺意にあてられた化け物たちの荒い呼吸が玉座の間に響いていた。
すると指がパチンと鳴らされる音と同時、天井からまばゆい白い光が玉座の間を照らした。
それでも重苦しい空気は緩むことはなく、そんな空気の中を悠々となんでもないように気軽な足音が響いた。
闇のない今の室内では、その姿をとらえられることも容易で、赤いカーペットを歩んで現れた。
この空間においては異質ともとれる笑みをその口に浮かべ、酷く楽しそうに嬉しそうに穏やかで純粋で不気味な雰囲気を纏って、先の王が静寂を裂いたのなら、この存在は空気を台無しにした。
王が染めた色を汚すように上塗りする。
「平定ご苦労様って言ったほうがいい?」
立ち止まってその少年が言った言葉に、王の目が細くなった。
「愚問だ。お前はいちいち呼吸をする赤子を褒めるのか」
ここにいるのが当たり前で、ここを統べるためにここにいる。平伏する存在を見下して、恐怖と暴力で支配する。
当然のことだと、つまらないことだと、言うまでもないことだと、そうくだらなく答える王に少年も分かっていたように薄く笑った。
「いやぁ、君が改めて王になるにあたって礼儀とかそんなくだらないことを今更ながらに柄にもなく思ってみたんだけど、やっぱり肌に合わないね。君は何になろうと君なわけで、僕もどう変わろうと僕なわけだ」
軽薄なその少年の態度だが、王はそれに咎めることも気分を害することもなく何の感情を灯さぬままで唯一この空間で恐怖に屈していない少年を見下ろしていた。
「くだらんことを考えるな。ただでさえ余計な時間を浪費したんだ、これ以上無駄に時間を使わせるな。それは同時、お前らにも無駄な時間がないと言っているんだ」
飄々とした少年と対照的に王はどこまでも厳格だ。
冗談を好まず、無駄を嫌い、頑固というよりも真面目で無関心。
その傲慢で尊大な態度は、ただ世界は自分が一番であるという絶対的自信と誇りを持っているが故の性格である。
「面を上げろ屑共」
侮蔑したその言葉に一斉に顔が上がる。
誰もがその顔に恐怖を張りつけて、あくまでどこまでも見下げている王に視線を向けた。
軽蔑した視線と縋るような視線が交わり、王はゴミでも見るような目付きのままその不快で醜悪な願望を向けてくる敗北者に言い放つ。
「我々魔族がこの余生を渡り歩いて数万年。繁栄には程遠く、命は数を増しても技術は程度が低く、頭の悪い、つまり馬鹿で間抜けな屑共の謳歌を愚かにも語って来たわけだ。だが、俺はそれを責めるつもりはない。誰がどう生きようとそこには決して俺には理解できない価値があっただろう。それに誇りを持っていたことだろう。――――だが」
彼はようやく顎を手から離して、真っ直ぐに椅子にもたれかかる。
「お前たちは今何を恐れている?」
怒気を孕んだ言葉は、玉座に反響するほどもない声量だったが、その透き通るようなそれでいて重たい質の声は誰の耳にも聞こえていた。
「人間だな」
人間。
魔族でもなく、精霊でもなければ、動物でもない、一個として確立した魔族同様の族物。
魔族より遅く生まれ、魔族より身体能力も低く、魔族より早い寿命をしていながら、魔族をその頭脳を持って凌駕し、繁栄の兆しをいち早く掴み、兵器を使い魔族の力を組み伏せる。
圧倒的繁栄と、程度の高さ。
魔族はその光の前に陰りを見せ、世界の裏側に隠れ潜むようになっていた。
「屑共が。何の価値もない命惜しさに誇りすら捨てて、お前らに何が残った。支配されていたのは変わることはない。だが、支配される存在をいつ履き違えた。忘れたのか。平和に怠惰したその記憶に埋もれたものを」
誰しもが押し黙り、答える言葉すらなく、ただ自身の愚かさに落胆した。
何故自分は忘れていたのか。
決して忘れてはならないその絶対的存在を。
目の前の、この絶望を。
「この、俺を」
魔王という存在を。
「忘れたのなら思い出せ。知らないのなら、今知れ。俺はお前らの王であり全ての恐怖だ。それを理解しないことは何よりの大罪だ。動物も精霊も人間も、どうやらそれを知りえていないようだな」
「まあ精霊は置いといて、人間は随分最近に成長してできた存在だから、魔族と違って知らないというほうが正解だね。ああ愚かしい愚かしい」
ふざけたように言う少年の言葉を聞いて、魔王は玉座から立ち上がった。
「ならばなおのこと立たねばなるまい。俺が、この手で、断罪してやろう。救いのない恐怖を、希望に縋る絶望を。精霊も人間も、全て罰する。平和に惚けたお前らにはちょうど良いリハビリになるだろう」
手を広げる魔王は告げる。
それは最悪の復活であり、絶望の幕開けを意味する。
「世界を滅ぼすぞ」