補章 蒼い空の下で
新暦85年 第一管理世界ミッドチルダ 首都クラナガン
「チンク姉、こっちは焼けたよ」
「ああ、こちらもクリームが出来上がったところだ。しかし流石にこの量は腕にくるな……」
クラナガンの一角にある大家族ナカジマ家において、現在銀髪の女性(見た目は少女だが中身は大人の女性)と栗色の髪の女性、すなわち次女チンクと三女ディエチが、大家族らしく広いキッチンで、大量の材料に囲まれながらも、果敢に調理に勤しんでいた。
「スピードが命だ。特にクッキーの類は焼きたてが一番おいしいからな」
「ん、そうだね」
現在このキッチンにいるのは、チンクとディエチの2人のみ。そして、彼女たちを包囲殲滅せんとばかりに囲んでいるのは肉や魚など、通常の料理に用いるものではなく、バターや小麦粉、生クリームなどの、お菓子に使われるような材料。
そしてもちろんのこと、2人はその材料で大量のお菓子を作っている最中である。
「いつもはいい子にしてる子たちだけど、今日くらいはわがまま言ってくれたのは、あたしもうれしいし」
「ああ、期待を裏切らない出来にしよう」
なぜなら今日は、クリスマス。ミッドチルダではイエス・キリストの誕生日というわけではないが、世界というのは似通るものなのか、それともいつからか輸入された習慣なのか、12月25日が”聖夜”という風習は存在している。そしてもちろん、いい子にはプレゼントがある、という行事も当然に。
2人はすでに子供たちへのプレゼントは購入しているし、そして今は2時間後に始まるクリスマスパーティーで振る舞うお菓子つくりに奮戦中だ。
「喜んでくれるといいね」
「そのために、こうしてお菓子つくりの腕を上げてきたんだ。その成果をいかんなく発揮しないとな」
そうして目線で笑い合うと、2人はまた作業に戻る。だが黙々とこなしているのではなく、2人とも鼻歌を歌いながらの、どこか朗らかな雰囲気での作業だ。
こうして楽しく料理していると、2人とも自分たちがそんな風に料理するようになったきっかけを作った人を思い出す。
「あの人もいつも、こうして鼻歌歌いながら料理していたよね」
「料理は楽しくしないと、おいしくならない、と言ってな」
思い浮かべるのは、車椅子のあの女性。そして常にその傍らにいた、美しい銀の髪の彼女。
あの輝かしかった、おかしな部隊での日々で、自分たちに料理を教えてくれたのは、彼女たちだった。いや、料理だけではなく、本当にいろいろなことを、家庭的なことを中心に教わったものだ。
「でも、管理局員らしいことは、あまり教わらなかったよね」
「それも、あの人たちらしいさ」
微笑みながら、思い出にある彼女たちの姿を思い出す。
(ああ、アカンよ、お鍋吹いても蓋とったらダメや)
(そうそう、タマネギ切るときはな、こう、半身になるんや。そうするとつ~んてせえへんから)
(キッチンは、いつもきれいにしとかんとダメやで。ここは女の戦場やから)
ああ、どうしても思い出が台所回りに集中するのは、実に彼女らしいといえるだろう。でも、それ以外にも2人はいろいろなものを受け継いだ。
そして、あの車椅子の人から受け継いだ”いろいろなもの”に中の一つが、今やってることなのだ。また今日という日は、彼女たちが去った、特別の日でもある。2人は彼女たちから引き継いだこの仕事を成すことで、彼女たちを深く深く偲ぶのだ。
「最初は結構緊張したな。あたしはそれまであまりあそこへは行ってなかったもの」
「そうだったか。私は割と頻繁に行っていたからそういうことは無かった。なにしろ、あの人と最初に出会ったのが、あの病院だったから」
「そういえば、チンク姉はそうだったっけ」
「だが、そういうお前は今では立派な看護師だ」
「まだ、あそこの担当にはなれないけどね」
今2人が作っているお菓子を上げる相手は、チンクが初めて彼女に、八神はやてに出会ったあの病院にいる子供たち。あの当時に一緒に遊んだ子供たちは、様々な理由でもういない子も多いが、あれからも多くの子があそこに入ってきているので、チンクの足があの場所から遠のくことはない。
クリスマスに子供たちにお菓子を焼いて上げることも、はやてがしていたことだった。彼女がいない今、それを受け継いだのが2人、という形になる。はやてがそろそろベッドから起き上がることが稀になってきていた頃、そう頼まれたし、頼まれなくとも、2人はするつもりだった。
その証というべきか、チンクは児童福祉、ディエチは看護師と、六課が終わった後にはやてが関わることが多かった仕事に就いている。
その他の2人は、それぞれ管理局員としてバリバリに働いている。ノーヴェは災害救助員として、ウェンディは執務間補佐として、今日も元気に働いているのだろう。実は今日は普通に休日だったりする。2人は有休をとったのだ。
とはいえ、こうして2人そろって料理するのも、ここ数年では珍しい。彼女がベッドから動けなくなる前は4人、もしくは3人だったし、去年は事情が事情だったから、子供たちには悪かったが、そのイベントは看護師や他のボランティアの人に任せることになったのだ。
2人でクリスマスのお菓子づくり、というのはチンクにとっては最初の年の時以来だろうか。あの時は、確かリインフォースが所用で少し席を外していなかったので、大方の作業を2人で、厳密に言えば当時のチンクの腕前は拙かったためにはやて1人でやっていた。そして、そんな風にあの時のような”2人での作業”をしていたからか、チンクの脳裏に過去のやりとりが思い浮かんだ。
「そういえば……」
「ん?」
「いや、いつだったか、こうしてあの人と菓子づくりをしていた時に聞いたんだが、もともと彼女はこういうお菓子づくりが得意ではなかったそうだ。いや、作るのが好きではなかった、と言っていたのだったか」
「へえ、意外。料理なら何でも好きな人だと、ずっと思ってたな」
「嫌い、というわけではなかったそうだが、特にやろうと思わなかったそうだ」
チンクは、10年近く前の、あの六課の厨房でのことを思い浮かべる。
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回想
「おお~、きれいにスポンジで来たなぁ。外はしっかり、中はほわほわで、上出来や」
「そ、そうか。うん、だが初めてのことだから、ずいぶんと時間をかけてしまった」
あの時も、彼女は車椅子に乗ったまま、身障者とは思えない手際でお菓子を作る傍ら、不慣れなチンクに手取り足とり教えていた。六課で世話になると決まってからは敬語で接しようとしていたチンクだが、会った時の話し方のほうがいい、というはやての要望に応えて、言葉遣いはそのままだった。
「失敗するよりずっとええよ。なんせ、わたしが初めてやった時は盛大に焦がしてもうて、せっかく用意してもらった材料を全部ダメにしてもうたから」
「貴女が? にわかには信じられないな」
この何でもできる(家事に関することのみは)人が、料理を失敗するという光景は、チンクには想像できなかった。なにせ、この六課に来てから、彼女たちの食事を作っていたのははやてで、その身体が弱い人とは思えない恐るべき速度で、料理を量産していく姿を見てきたのだから。
「あはは~、お褒めいただいてありがとうな。でも、わたしかて初めから料理が上手うできたわけやないし、最初のころは失敗も多かったよ」
「そういうものか」
「チンクかて、初めから今みたいに強かったわけやないやろ? それとおんなじや」
「なるほど確かに、何事も積み重ねが大事ということだな、うむ」
あの姉4人は事情が異なるかもしれないが、チンクの今の力量は、なんといっても彼女の訓練と経験の賜物だ。何事も一朝一夕ではない、そしてつまりは、はやても料理が下手だった時期があったということだ。まあ、理屈ではわかっても想像しづらいことだが。
「わたしもな、ご飯はちっちゃ~い頃から作っとったんよ。なにせごはん食べなきゃ死んでまうしね」
「ん? その話しぶりでは、貴女が料理するようになったのは幼少のころで、周りに誰もいなかったように聞こえるが……」
「そやよ。まあ、ヘルパーさんは来てくれてたけど、食事作って掃除して、そんで帰ってしまう感じやったからね。話し相手もおらへんかったちっちゃいわたしなりの、自立心のような反抗心のような、そんな気持ちから料理始めたんよ。まあ、ほんまにちっやい頃やったから、そのあたりはうろ覚えやけど」
「そうだったのか…… そういえば貴女の昔語りを聞くのは初めてだな」
人格というのは、経験の積み重ね、いうなれば歩んできた人生によって形成されていくものだ。はやての、20歳になったばかりなのに、一世代上の人のように思えるのは、彼女の過去が大きく影響しているらしい、とチンクは感じる。
そしてそれは実際その通りで、はやてという女性は、いうなれば子供時代がなかった人なのだ。
「まあ、そんな吹聴するもんでもないしな。でもまあ、性分に合ったんやろうなぁ。料理するのが徐々に楽しゅうなって、腕前も上がっていったんよ。けどなぁ……」
「なにか問題が?」
言葉を切ったはやてにチンクが疑問を投げる。チンクは、その時のはやての表情が、常になく哀しそうなのに気付いた。おそらく、当時の孤独な自分を思い返して感傷に浸っているのもしれない。
「うん、腕前は上がっても、結局食べるのは自分だけやから、どんなに美味しくできても、なんか味気なくてな」
「そうか……」
その気持ちはチンクにもよく分かる。まだ博士のアジトにいた時でさえも、自分一人で摂る食事と、妹たちとともに囲む食卓では、食べているものは同じなのに、味の違いが大きかった。いうなれば、温かみ、だろうか。一人で摂る食事は、ひどく無味乾燥なものだった。
「そ、だからお菓子は全然作らへんかったんよ。ごはんは食べないとアカンけど、お菓子は作らへんでも困らんかったから」
「確かに、それは頷ける。そうか、貴女にもそういうことがあったのか」
となると、彼女がお菓子つくりに勤しむようになったのは、家族が来てからということになるのだろう。そう思ったチンクはその旨を思った通りに伝えたのだが、返ってきた答えは、少々外れていた。
「前より料理を頑張ろう思うたのは、確かにみんなが来てくれてからやけど、お菓子つくりに関しては、ちょう違うよ」
「では、誰の影響で?」
リインフォースや守護騎士たちの影響ではないのは確かだ。彼女たちは今ではみな料理できるが、はやてと出会った当時はそんなスキルは持ちあわせていなかったはずだし、そもそも彼女らに料理を教えたのがはやてである。
「もちろん、ともだちや」
「ふむ、となると…… やはり高町さんだろうか?」
彼女の友人でお菓子つくりということならば、やはり最初に思い浮かぶのはなのはだ。彼女の実家は喫茶店だし、なのは自身もなかなかにお菓子つくりが上手で、ヴィヴィオにも好評である。
「ぶぶー、残念、ハズレや」
可笑しそうに笑うはやて。その様子は彼女がこの時間を楽しんでいる何よりの証だろう。もしかしたら、会話していくうちに、昔、親友の手ほどきを受けながら、初めてお菓子つくりに挑戦した時のことを思い出しているのかもしれない。
「わたしの先生はなぁ、すずかちゃんなんよ。チンクも会うたことあったよね? わたし友達の、月村すずかちゃん」
「ああ、2度ほど会ったことがある。とは言え、管理外世界に住んでいる方で、貴女の旧知である、紫の髪の淑やかな人、ということくらいしか分からないが」
淑やか、というのは実にすずかに似合う言葉だ。フェイトにも似合いそうだが、彼女にはあれで意外とアグレッシブな面もある。
「それだけ知ってれば十分十分。そんでな、最初にわたしにお菓子つくりしよう言い出したのはすずかちゃんで、それからは2人でいろいろなジャンルに挑戦したもんや。洋菓子から和菓子まで、けっこうやったなぁ」
はやてはもう10年以上前になる、少女時代の日々を思い返す。自分は料理が得意だったがお菓子つくりは未経験で、反対にすずかはお菓子つくりは好きだが、ちゃんとした料理はまだ出来なかった、そんな2人だった。
すずかがクッキーの焼き方をはやてに教え、はやてが鈴鹿に卵焼きのつくり方を教える、そんな相互扶助な料理教室。最初にやった時は、まだなのはもフェイトもアリサも友人ではなかった。
月村すずかは、はやてに出来た初めての友達だったから。
「うん、うん、ほんまにいろいろやったなぁ。よせばいいのにケーキの十段重ねに挑戦して、バベルの塔崩壊になってしもうたこともあったんよ」
「ふむ、なんだか微笑ましい光景だな。小さな貴女と。同じく小さなあの女性が、そうしている姿は」
「そやろ~、そんで、いまわたしらがこうして作っとるお菓子も、全部すずかちゃん直伝のものなんやで」
「ほう、それは感謝しなければ」
「まあ、一部桃子先生ご教授の部分もあるけど」
はやての表情は、本当に懐かしそうで、そして嬉しそうだった。自分の思い出の中の特に大事な景色を良く言われて、彼女も大変いい心持ちのようだ。
「そのすずか、という人は、貴女にとって、とても大切な方なのだな」
「うん、とっても大事なお友達や」
チンクの問いに、はやては寸分の間も置かずに答える。彼女は友人家族に順位をつける人ではないから、「一番の友達」や「一番大事な人」といった表現はしないが、それでも分かることがある。
彼女に家族の名前を尋ねると、必ず最初に来るのはリインフォースで、友人の名前を聞くときは、必ず最初がすずかになる。つまりは、そういうことなのだろう。
まだ魔法のことも闇の書のことも知らなかった時に図書館で出会った彼女。読書好きという共通の趣味もあり、すぐに打ち解けて友達になってくれた彼女。
自分のおかしな家族構成のことも、動かない足のことも聞かずに、ただ静かに微笑んでくれた彼女。そして、事情をすべて話した時も、やはり静かに微笑んで受け入れてくれた彼女。
はやてにとって、すずかは今ある交友関係の始まりの人であり、彼女の人格形成において、欠かすことのできない人なのだ。
「ならば、今度尋ねて来た時は、私が貴女に教わった腕を振るおう。そして元祖の先生に採点してもらう」
「あ、ええなソレ。じゃあわたしも張り切って教えるから、覚悟せえよ?」
「そこは、お手柔らかに頼む」
「ふふ」
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「………という訳で、このお菓子類の元祖は、八神流ではなく月村流とのことらしい。元々は、すずかさんが実家のメイドに教わったとも言っていたが」
「へぇ、そうだったんだ。あたしはずっと八神家直伝なのかと思ってた」
その日のやり取りをディエチに伝え終えると、やや驚いた表情と言葉が返ってきた。キッチン関係の事柄は大抵がはやてから派生していたので、それ以外というのは、確かにディエチにとっては意外なのかもしれない。
「しかし、こうして話してみると、この味をあの人が教わったのが20年と少し前で、それを私が教わったのが10年前か。なんだか、感慨深いものがあるな」
「そうだね。それでまたあたしが誰かに教えることがあれば、また繋がっていくんだ」
そして、それもまた一つの、はやてたちがここにいたという証だろう。すずかがはやてに、はやてがチンクに、チンクガディエチに教えてきたように、こうしたちょっとしたことでも、別の誰かに連綿と伝わっていくというのは、大事なことなのだ。
「さて、大方は出来上がったな」
「うん、これでラスト。じゃあ面倒だけど気を抜けない梱包作業にはいろうか」
少々苦笑気味に、そんなことを言うディエチ。飾り袋や包装紙に包み作業は確かに面倒だが、折角のプレゼントの見た目が不恰好では、子供たちも悲しむことだろうから手抜きはできない。
「ああ、もうひと頑張りといこう」
そうして包装作業をしながら、チンクはふと一人の少女のことを思い浮かべる。
最後にこうして車椅子の彼女らとお菓子つくりをしたときは、それまでと違い一人増えていた。彼女たちと行った最後の年には、自分とディエチ、そして八神家の3人の合計5人で行ったのだ。
出会ったときは実に甘えん坊だったあの妖精のような少女も、あの頃にはかなり大人びてきたいた。きっと彼女も、自分がいつまでも母や姉に甘えてばかりの子供ではダメだということを知っていたのだろう。誰が言うでもなく、あの子は姉に似た落ち着きを身に着けていた。
「彼女は、今どうしているかな……」
そんな姉の言葉に、同じような心境でいたのであろうディエチが、窓に映る夕焼けに染まりつつある空を見上げながら答えた。
「きっと元気でやってるよ。この夕焼けとは違う、青い空の下で」
蒼天を往く祝福の風という、彼女が望まれたその名にふさわしい場所で、きっと健やかに暮らしている。
ディエチに言葉にチンクも無言で頷きを返し、彼女もまた空を見上げるのだった。はやてを思い起こさせるこの夕日の光の向こうの、青空にいるだろう少女を思いうかべながら。
――遥か遠く、エルトリアの大地にて
ここは、遥かなる大地エルトリア。少し前までは死蝕という名の侵食世界によって、世界の守護精霊たちの力が弱まり、緩やかな死へと向かっていた世界だが、今は徐々に回復へと向かっている。
赤い荒野から、緑の大地へと一歩ずつ進んでいる復興活動において、その陣頭に立ち、多大な貢献をしている4人の少女たちがいた。
その名を、紫天一家。年若い少女なれど、汚染された水源を回復させたり、強力な魔獣を倒したり、守護精霊の力を蘇らせたりと、その働きはまさに八面六臂といえるだろう。
エルトリアの人たちは、一家の主の長女ディアーチェを、感謝を込めて「王」と呼んでいる。敬意でなく感謝であることろが、なんとも彼女らしい。
そんな彼女達を支えるのは、変態狂科学者ではない方の博士が生み出した、ギアーズといわれる機械姉妹。今までこの6人で頑張ってきたが、最近になってこの輪の中に、2人の新顔が現れたのだ。
そして、その新顔の1人である空色の髪の少女。名前をリィンといい、管理世界の呼び方で言えばユニゾンデバイス、古い言い方ならば融合騎である彼女は、半年前にもう1人とともに、この一家の仲間入りしていた。
今日も彼女は、元気一杯に働く。リィンの役目は、外に働きに出ることが多い皆のお世話をやくことだ。
「ディアーチェちゃん、疲れてるならベッドでお休みになったらいいですよ?」
「馬鹿者、王たる我が休んではいられん。昼間から寝てなどいられるか…… ふぅ」
「そんな大きなため息つくくらいなら、素直にお休みしてくださいです。本当にディアーチェちゃんは意地っ張りなんですから」
「やかましいわチビ妖精。それから我のことは敬意を込めて王と呼べと、何度もいってるだろうに」
「ディアーチェちゃんはディアーチェちゃんです。これは私がマスターの方へ呼ぶときの、最上級の敬意を込めた言い方なんです」
「むう、それは前にも聞いたが、やはり納得が……はふ」
「もう、ですから、ベッドでお休みしてくださいです」
ディアーチェはそろそろ少女から女性と言われる年齢へと近づいている頃で、昔と、あの変態科学者と出あってしまった頃から比べると、随分身長も伸びた。なので、10歳くらいの大きさのリィンと並ぶと、やはり見下ろす形になる。(なのでリィンのことを“チビ妖精と呼ぶ)
だが、今はどうやら頭が上がらないようだ。
「ほらほら、疲れている時に無理に動くと逆効果です。疲れてる時にはじっくりとお休みするのが一番なんです」
「まったく、仕方の無いやつだ。うぬがそこまで言うのなら、特別に願いを聞き入れてやろう」
「本当に素直じゃないひとです……」
リィンの呆れの声を流しながら、のろのろと寝室に向かうディアーチェ。彼女がこうも疲れてるのは、きちんと理由がある。
「しかし、忌々しきはあの変態よ…… あんなものを残していきよるとは」
リィンに促がされベッドに入ったディアーチェがしたのは、この現状の元凶を作ってくれやがった、あの金の瞳の狂科学者への呪詛を吐くことだった。
「でも、ディアーチェちゃんもディアーチェちゃんですよ。無理して1人で倒そうとしなくてもいいのに」
「仕方がなかったのだ。アレだけは我が倒さんといかんと、使命感のような気持ちが働いたのでな」
ディアーチェは、先日『黒震絶禍』または『深淵を統べる王』の異名を持つゴーレム・セトと戦っていたのだ。なんとか勝利したものの、その消耗は半端ではなかったので、本日のような有様を露呈している。
ちなみにこのゴーレムはギアーズたちと基本構造が同じで、より大型、より高出力に設計されたものである。本来は遥か大昔のものだが、4年前にどこかに行った件の無限の欲望が、傍迷惑にも再現してしまったらしい。
なお、ゴーレムはもう1体作られているうえ、その他にヤツはもう一つ“迷惑な置き土産”を残していたりする。
なぜディアーチェがゴーレム・セトの討伐に拘ったのかは、やはりセトの『深淵を統べる王』という異名への対抗意識のせいだろうか。
「じゃあ、きちんと休んでくださいね」
「ああ、待て、いや、その、そう言ううぬはどうなのだ」
「?」
なにやら言い出しづらそうに言ったディアーチェの言葉に、その意味をつかねかねたリィンは首を傾げる。
「まあ、なんだ、うぬも少しは働いたであろう。疲れてはいないのか?」
とことん照れ屋な彼女は、心配を口にするだけでもこうだ。しかし、今度はその意味を理解したリィンは、このエルトリアの空のように晴れ渡った笑顔で答える。
「大丈夫です! 私はこの紫天一家を支える、祝福の風ですから。それに、私は自分の限界をきちんと弁えてるですよ」
「うぬぬ、一言余計だ。ま、まあ大丈夫ならそれでよいわ」
「えへへ、ご心配、ありがとうございますです」
「誰も心配などしておらん、ええい、もうとっとと往ねい!」
そういい捨てると、ディアーチェは布団を被ってそっぽを向いてしまった。その姿に「おやすみなさい」と声をかけ、リィンは笑顔のまま彼女の寝室を出ていく。
ディアーチェが言ったリィンの“働き”とは、ゴーレム・セトとの戦闘の際にリィンが彼女とユニゾンしたことだ。最初は渋ったディアーチェだったが。「融合騎とマスターは2人で1人です」という言葉に折れ、彼女と共に戦ってくれた。
リィンは、何よりもそれが嬉しい。何故なら、自分もようやく、大好きな姉と同じ名前に恥じないことが出来ているから。祝福の風・リインフォースは、大事な人を支えるためにあるのだから。
彼女の生みの親は姉と深く繋がっていたから、自分の出番はなかったが、今はこうしてあの意地っ張りな新しいマスターのことを支えていられる。
リィンは、最初こそ彼女の態度に戸惑ったが、接しているうちに、彼女が辛辣なのはうわべの態度だけで、本当は心の優しい、気配り上手な人であることを知った。
性格はまるで違うが、その優しさと容姿は、自分の生みの親だった、車椅子のあの人によく似ている。そんなディアーチェと出会えて、リィンは幸せだった。
「さてと、やるですよー」
腕まくりして気合いを入れたリィンは、早速掃除と洗濯をしようとしたが、そんな彼女の耳に、風呂場の方からなにやら慌てた声が入ってきた。
「あれ? もしかしてシュテル……」
今風呂にいるのは、この家の次女で頭脳担当のシュテルと、自分と一緒に半年前にここに来た、以前からのリィンの家族、アギトのはず。そして、今聞こえたのは、そのアギトの叫び声だった。
「おーいリィン! 今すぐ氷持ってきてくれー!、シュテルがのぼせた!」
「はいですー」
慌てずにスポーツドリンクとタオル、それに洗面器を用意し、そこに氷と水を魔法で出すリィン。そして風呂場に駆け込んでみると、そこにはバスタオル一枚という、あられもない格好で流し場に横たわるシュテルと、こちらは全裸でシュテルに膝枕してるアギトがいた。
ちなみに、紫天一家の風呂は、シュテルになにかこだわりがあったようで、ちょとした豪邸なみに広い。
「あ~、もうだから疲れてるときに長風呂はよせって言ってるのに」
「も、申し訳ありません。不覚でした」
「今度からは、止めてくれよ?」
「いえ、それは約束できません。入浴は私の生き甲斐ですから」
「あ゛~~ったく! これだからな~」
どうやら深刻な様子はなさそうなので、ほっと息をついたリィンは、2人の側に寄り、氷水で冷やしたタオルを、シュテルの額に乗せる。
「もう、アギトに心配ばっかりかけたらダメですよ? 貴女はアギトのマスターなんですから」
「ああリィン、ありがとうございます」
「スポーツドリンク、飲みますか?」
「いただきます」
綺麗好きでお風呂好きのシュテルは、よく長風呂して茹で上がることがあるので、アギトとリィンの対応もなれたものだったが、流石に今回は心配だった。
なにせ、シュテルもディアーチェ同様、変態の置き土産ことゴーレムと戦って倒してきたばかりだったのだから。
「だから、風呂は後にしろって、アレだけいったのに」
「汚れた体のままでは、精神的に安定できません」
「それで倒れてたら世話無いだろ」
「面目ない」
シュテルとアギトが戦っていたのは『暗記雷砲』または『魔弾の射手』の異名を持つゴーレム・バルバトス。長距離砲撃型の機体とあって、彼女もまた妙な対抗心を燃やして挑んだのだ。
最後のリニアレールキャノン同士のぶつかりは、筆舌に尽くしがたいものだったという。
ゴーレムは、アギトの補佐もあったことで無事倒したが、このようにシュテルもディアーチェ同様に電池切れの有様となっている。しかし綺麗好きの彼女は休む前に風呂に入るといって聞かなかった。朝帰りで疲れてるのに、見上げたポリシーである。
「とにかく、今のソファに運ぶぞ。リィン、お前足持ってくれ」
「はいです」
「お手数おかけします」
流石にバスタオル一枚でいつまでも浴場に寝かしておくわけにはいかないので、居間のソファまで運搬する2人。それに早く身体を拭いて下着だけでも着けさせる必要もある。
なにせ今のシュテルは、汗で濡れたためにバスタオルは身体に張り付いて、丸く柔らかなラインがクッキリと出ている上、顔は上気して赤く、瞳は潤んで息は荒いという、まずまちがえなく人様に見せられない扇情的な有様なのだから。
なんとかシュテルを運び、一通り介抱した二人は、ようやく息を吐いた。
「はあ、やれやれ、あたしのマスターにも困ったもんだ」
「ふふふ、お疲れ様ですアギト。でも、あなたもはやく服着たほうがいいですよ?」
「やっば、あたしタオル一枚のままだ」
急いで脱衣所に向かうアギトの姿を見送りながら、リィンはやはり楽しげだった。こうして、誰かの世話を焼けるのは、とても楽しい。それはアギトも同じのようで、新しいマスターであるシュテルに文句を言いつつも、彼女の行動を止めることはしない。
「はー、やれやれ、散々だったぜ」
「アギト、髪濡れたままですよ」
「ん? ああ良いんだよ。あたしならすぐ乾く」
そういった側からアギトの髪が燃え上がり、髪が一瞬にして乾いた。そんな炎熱型融合騎である彼女を、同じ炎熱特性をもつシュテルは快く迎えてくれたのだ。
「うちわあるか? マスターを扇いでくる」
「ご苦労さまですー」
口調は素っ気無いが、徹底的に尽くすタイプのアギトは、早速シュテルのもとに向かう。その様子がこの家にくる前と同じで、リィンは嬉しくなる。
あの人も、自分のことには無頓着だったから、よくああしてアギトに世話を焼かれていた、と凛々しい女剣士の姿を思い出す。
シュテルのことはアギトに任せることにしたリィンは、では改めて、と家事を再開しようとしたが、またもそれが中断された。
「たっだいまー」
「ただ今戻りましたー」
「あ、お帰りです。レヴィ、ユーリ」
勢いよく玄関のドアを開けて現れたのは、紫天一家の三女と末っ子の2人。それぞれ天真爛漫と純真無垢という言葉を体現したような2人で、実に可愛らしい。見た目はすでに、綺麗と言うべき年頃だが、彼女たちには可愛いという表現が似合う。
しかし、年齢的にそろそろ大人っぽくなってもいいんじゃないかなーって思わないでもないリィンである。
「ふー、ヤッパ我が家は落ち着くなー」
「ですねー」
2人がしてきたのは、例によってあの変態の負の遺産の退治。彼女たちが担当したのは、炎を司る守護精霊を参考に作られた、黒い翼の焔の魔人だった。
けっこう離れたところに出没していたので、4人で遠征しに行っていたのだ。幸いその敵は未完成だったらしく、ゴーレムほどの脅威ではなかった。
「あれ? アミタとキリエは一緒じゃないんですか?」
一緒に行っていたはずのフローリアン姉妹の姿がないことを不思議に思ったリィンが聞いてみると、どうやら2人は現地で後処理とかいろいろやる事があるので、遅れてくるらしい。
「おなかすいたな。ねえリィン、ご飯ある?」
「ふふー、どうでしょうか」
「えー、ないの?」
「ご安心くださいです。今日あたりに帰ってくると思ってたので、ちゃんとあるですよ」
リィンの予測では昼ごろだったが、今は10時過ぎ。しかしシュテルが帰ってきたときに作った朝食は多めに作っていたので、そのあたりの抜かりない。
このあたりの気配りは、親仕込みである。もう彼女は、姉に甘えていたばかりの末っ子ではない。
「うーん、リィンのご飯はおいしいね」
「リィンは料理上手ですよね」
「ふふふ、でも褒めてくれても何も出ませんよ?」
「おかわり」
「はいです」
「おかわりは出ました!」
紫天一家の下の姉妹達とこうして話していると、リィンはかつての食卓を思い出す。あの時は、自分がレヴィの立場で、自分の立場にいたのは、姉か車椅子のあの人だった。
「そういえば、リィンって誰に習ったの?」
「料理ですか? お母さんやお姉さんです」
「へえ、どんな人なんですか」
「とーっても優しい人たちです、リィンの自慢の2人ですから」
そう言いながら、彼女はやはり昔を思い出す。まだ無邪気だった自分の質問を、笑顔で答えてくれるあの人たちを。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
食事を終えた2人はソファに倒れこみ、それを「お行儀悪いですよ」とたしなめながら、食器を洗いに流し場にいくリィン。その仕草は、本当にかつての姉にそっくりだった。
洗い物を終えたリィンが、2度目の家事再開をしようとした時、2人から呼び止められた。
「ねーリィン、シュテルんたちはどうしてるの?」
「ディアーチェの姿が見えないですけど……」
「2人ともお休み中ですよ~。ディアーチェちゃんはゴーレムとの戦いで疲れたようで熟睡してますし、シュテルはお風呂でのぼせてアギトに介抱されてもらってます」
「あ、またかー、シュテルんも懲りないなぁ」
「ディアーチェ、大丈夫かな」
心配なら様子を見に行ったらどうですか? というリィンの言葉を受けて、2人は2階のそれぞれの人物のもとへと向かっていった。そしてしばらく、わずかに届く賑やかな声をBGMに掃除していたリィンだが、話が終わったのか、階段から降りてきた2人にお願い事をされる。
「あ、リィン。ボクたち一休みしたら、『幻燈荘園』の様子を見に行こうと思うんだけど、いいかな」
「ええ、かまわないですよ。お弁当作りましょうか?」
「え、いいんですか。それじゃリィンが大変でしょう?」
「なんのなんのです。私はこの一家を支えるのが役目ですから」
「さッすがリィン、気が効くなぁ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「あれ? んーと『幻燈荘園』は今どこに来てましたっけ」
「近くですよ。『散歩する庭園』に行くのは久しぶりなので楽しみです」
「あ、ユーリって、そっちの名前で呼ぶの好きだよね」
「はい。わたしは『幻燈荘園』よりも『散歩する庭園」のほうが、詩的で好きです」
「ボクは『幻燈荘園』のほうがカッコイイと思うけどなー」
などと言いながら、2人は「ボクたちも一回お風呂入ってくる」といって風呂場へと消えて行った。その背中に「シュテルの二の舞は嫌ですよー」と声をかけながら、リィンは掃除へと戻るのだった。
「いってきまーす」
「いってきます」
「晩御飯までには帰って来るんですよー」
『はーい』
「さて」
下姉妹2人を見送ったリィンは、大量の洗濯ものが入った籠を前に、じゃあやるですよ、と気合いを入れる。
今日はいい天気だ。洗濯物もよく乾くことだろう。そう思いながらリィンは、澄み渡ったエルトリアの蒼い空を見上げる。とても綺麗だ。
こんなに綺麗な蒼い空を見ていると、リィンはいつも姉のことを思い浮かべる。そして車椅子のあの人、自分を生んでくれた大切なはやてちゃんと、守護騎士たちのことも。
みんな、私には自分達が見てきた暗い空ではなく、美しい蒼天の下で生きて欲しいと願っていた。だから私は、こうして青空を見上げています。と、ここには居ない家族達に向けて心の中で呟く。
今は遠く離れてしまった大事な家族達。おそらく、2度と会うことはできないのだろう。でも、リィンはそのことを寂しく思っても、悲しく思うことはない。
もう会えないことよりも、出会えたことが嬉しいから。彼女等と過ごした日々の思い出は、永遠に彼女の中で生き続ける。
どんなに離れていても、この遥かなる大地を駆け抜ける風が、蒼天を往く祝福の風が、私たちの絆をいつでも繋げていると信じている。
「手伝うぜ」
「ありがとうです。アギト」
声は、彼女の他にただ1人の残った八神家の一員のもの。八神の家の者は、もう二人になってしまったけれども、あの人たちと過ごした日々は、確かにここに、この胸にある。
それに、新しい家族も出来た。あの暖かかった家に負けないほどに賑やかな、愛おしい人たちが。
だから、ここに連れてきたくれたローラには、とても感謝してる。彼女の話では「あの子のたってのお願いだったからね」ということらしい。
優しい笑顔をいつも見せてくれたあの人は、唯一の心残りといえる我が子を、青空を往く赤毛の冒険家にお願いしていた。広い世界を知る彼女なら、リィンたちを最も相応しい場所に連れて行ってくれると、そう信じていたから。
あの人のローラへの信頼は当たり、リィンはここで新しい家族達と出会えて、本当に良かったと思ってる。連れてきてくれた彼女への感謝は尽きない。
そして、自分たちのことを、最後まで気にかけて、ローラに託してくれた家族達にも。
ローラは一緒に居ることよりも、違う道を選ぶ人だから、ここにはいない。けれど、きっと彼女も同じ蒼い空の下で生きているのだろう。渡り鳥のように、自由に。そうして彼女らしく生きることを、去ってしまった彼女たちが何よりも望んでいるのを知っているから。
「じゃ、干すか」
「はいです」
八神の家の想いを継いだ2人は、蒼き空の下で、今日も微笑み合い、支えあいながら生きていく。
これからも、新しい家族と主に、笑顔をみせて生きていくのだ。八神の家族達に願われたよう、幸せに。
~Fin~
――無限書庫の記録 あるロストロギアについて――
形状:本型
大きさ:大版書籍または辞典ほど
危険指定:なし
回収予定:なし
概要・効果
古代ベルカ式と思われる魔術形式で、対象者一名ないし数名を夢幻の狭間の世界へと誘うロストロギアである。その出現はランダムであり、現在はどこに存在しているかは把握されていない。
夢の本、幻の書、夜天の魔導書などさまざまに呼ばれているが、公式に規定された名称は無い。
対象は人間、または人と同等の精神活動を行う生物のみ。突如として現れ、まばゆい光と共に夢幻の世界へと誘われた対象者は、そのほとんどが以下の3種類に分類される
精神に深い傷を負った者
心を閉ざし外界を拒絶する者
重大な物理障害および魔術障害で昏睡状態になった者。
記録にある体験者の証言によれば、彼らが誘われた世界は黄昏の光を思わせる優しい輝きに満たされた世界で、そこには6人の人物が住むという。
車椅子の少女
銀糸の髪をもつ女性
赤紫の女剣士
赤毛の少女騎士
翠の女性
蒼い狼
対象者は彼らと穏やかな時を過ごし、心に傷を負った者は、その日々の安らかさに傷を癒され、しばらくすると目覚めるという。また、昏睡状態にあった者は、覚醒が絶望視された場合でも、書があわられた時点で目を覚ます。
記録上における初めての出現は、新暦88年の第一管理世界ミッドチルダ、ベルカ自治区の聖王教会本山にて確認される。そのときのロストロギア接触者は、イクスヴェリアという昏睡中の少女であった。それ以後、年に数回、または数年に一度、という一定しない周期ながら、いずこかの世界に出現が確認されている。そしてどの場合も当ロストロギアに接触したものが経験する事象は同様である。
即ち、上記の人物と邂逅し、精神の安寧を得ると言うもの。
こうした特徴のロストロギアなので、管理局および各次元世界の統治機構は、このロストロギアを危険指定にはしておらず、出現が一定でないことから、全くの不干渉という扱いとなっている。
尚、当ロストロギアの意匠が新暦84年の12月25日に消滅した「闇の書」と呼ばれたロストロギアに酷似していることは確認されているが、当時の関係者の多くは、その関連性について何も言及していない。だが、当時の調査担当の者の言では、「皆一様に、何かを分かっている様子だった」とのことらしい。また、闇の書に関して詳しい知識を持ったJ・S氏は、以下の言葉を残している。
『雪の精霊は、ついに少女を常若のティルナ・ノーグへと連れて行き、彼女等はそこにて永遠に、か。それもまた一つの結末だろう』
この言葉の意味は現在でも解明されていないので、闇の書との関係性は明かされていないままである。
追記
対象者のほぼ全てが精神病を患ったものか昏睡状態にある者だが、新暦139年・第97管理外世界において紫の髪の女性の下に出現した件は、例外であったと記録されている。この時の対象者はそれまでの例に当てはまらず、老齢ではあったが、精神疾患でも昏睡中でもなかった。しかし、その女性は本が出現して、まもなく息を引き取っていたという。その時女性は誰かの名前を呼んだようだが、誰の名前であったのかまでは記録に残っていない。
ただ、柔らかい響きの女性の名前ではあったようである。
――――以上
あとがき
これまでこの「車椅子の部隊長」を読んでくださり、本当にありがとうございました。今回をもって、この話は本当に終わりを迎えます。
最後の部分は、時系列は細かく考えてません。本編より何十年か後に記された記録、という風に思ってくださればよいかと思います。この部分については、当初は最終話と一緒になっていたのですが、最終話は最終話で一つの締めとしたかったので、分けることにしました。そのほうが余韻のようなものがあるのでは、と愚考した次第です。
前回も書きましたが、今回の話は当初の予定とは大きく変わりました。まず当初のプロットが。
原作.リインフォース(半身)を失い、彼女の涙と笑顔を想い、思い出にしまい込むことが出来ずにいるはやて。健康になった彼女が進む贖罪の道、命を懸ける理由とは、闇の書事件への償いよりも彼女を救えなかったことに対する深い悲しみから来ている。それでも、sts後は少しずつ自身のための人生を歩み始める。優しい夢と共に大切な家族を失い、厳しい現実を歩いていく家族の物語。
当SS.足は不自由なまま、体調も悪くなった当時のままで止まっているため、学校へも通えず、長くは生きられないはやて。その代わり、大切な家族は皆無事であり、八神家は過去の姿をそのままに緩やかな平穏の中にある。闇の書事件への贖罪は既に生きることそのものと言ってよく、足が不自由で後遺症が続き、長く生きて30歳が限界だろう彼女を責めることが出来る人間はいない。時の止まった幸せの中にある家族の肖像。
という比較からきてまして、これ自体は変わっていないのですが、最初は前作のようにオリジナルキャラクターの主人公(前作のはオリ主であってオリ主じゃなかったですが)を据えて、彼の主観を通してA'sの頃の様子を色濃く残すはやてを見ていく話にする予定でした。このオリ主の存在のために、はやてが車椅子のまま、という点も変更されてません。
しかし、話を考えている内に”彼”である必要が見いだせず、同性のほうがはやてに似合うような気がしたので”彼女”になり、さらに別にオリ主視点じゃなくても、六課の人それぞれの視点でいいんじゃ? という疑問からオリ主からオリキャラに降格。さらに、別に六課にいなくてもいいんじゃ? という疑問から、管理局員ですらなくなり、最終的なローラへと至りました。
彼女の役目は大まかに2つ。
・はやてを車椅子のままにした原因であること
・リィンをディアーチェのもとに連れていくこと
ローラの設定は、この2つを違和感が強まらないようにこなすためにありました。魔力拒否の特性は前者のために、冒険家で気ままな人格、というのは後者のためのものです。ただ、途中でそれを強調しすぎた点があったと今では反省してます。もっと軽く淡白な感じのほうが、上手くまとまっていたと思ってます。本当はオリキャラ無しのほうが締った話になったのでしょうが、私の力量ではこれが限界でした。
また、今回の話は、いつか頂いた感想のなかで、「はやて自身を夜天の一部にして一緒に転生し、主はすずかが選ばれる」、「ナンバーズの誰かは福祉関係の仕事に就いていそう」という感想を頂いたので、それからインスピレーションを頂きました。このお2人に限らず、これまで感想を送ってくださった方々には、本当にありがとうございました。