第27話 眼帯の少女と車椅子の少女
これは、地上の老雄と海の若き英雄が語り合う時より、わずかに時を戻した日の話。
ミッドチルダ某所、とある狂科学者(現在は不在、異世界で未知の遺物や生物の研究を満喫中)の秘密研究所において、ここ数日ずっと思い悩む少女の姿があった。
彼女は12姉妹のなかで4番目に生まれた五女である。何を言っているのかわからないが、妹には7番目に生まれた十女や、12番目に生まれた七女もいる。意味が分からない。
まあ、生まれも複雑ならば育ちも複雑な彼女たちなので、何番目に生まれたかはあまり考慮しない方が良い。ようは、生まれてから何年経過しているかだろう。
そして、幼い容貌の銀髪の少女、No5チンクは、生まれてより15年。平たく言えば15歳。普通の家庭に生まれていれば、思春期真っ盛りの年齢ではあるが、誕生のときにある程度の知性を備えており、かつ下の妹の世話を焼いてきたチンクの精神年齢は、二十歳を超えていると言ってよい。
そうした彼女であればこそ、自分の、自分たちの置かれた立ち場に思い悩む。即ち―――全ての行動を自分で決めろといわれた、この現状。
これまでは、生みの親であるドクター・スカリエッティや長女のウーノ、もしくは四女のクアットロの指示を受けて動いてきた。そのことに疑問をもっていなかったし、その在り方が変わるとも思っていなかったのだ。
しかし、今突然、あまりにも唐突に自分たちに“自由”というものが与えられた。これまでの彼女は、ある種狭いカゴの中にいて、その天井は覆われ、外の様子を、広い空を見ることは叶わなかったのだが、それは唐突に終わりを告げる。
その事実が恐ろしい。目の前に広がる、当て所ない膨大な時間に足がすくむ。これから、なにを目指して生きていけばいいのか、分からない。
自由。その言葉を素晴らしいと、尊いものだと思うものもいるだろう。しかし、他者の掣肘を受けていた人間が、庇護のなかにあった者が、いきなりそんなものを与えられても、はっきり言って迷惑なのだ。
彼女たちは、それを望んでいた訳ではなかったのだから。自由など、欲しては居なかったのだから。
「私は、どうすればいいのだろう。どうするべきなのだろう……」
身体は幼いが、心は成熟した女性であるチンクは、自分一人の生き方を決めるだけならば、こうは悩まなかっただろう。しかし、彼女は12姉妹の中でウーノに次いで妹達に対する責任感が強い。いや、ウーノは条件さえ満たされれば、一切の良心の呵責なく妹達を切り捨てることが出来る人なので、ごく当たり前の心情として妹を思いやってるのは、チンクと言える。
現に、ウーノは姉妹たちから敬意を払われているが、チンクのように慕われてはいない。妹達はウーノの能力を尊敬し、チンクの人柄に懐いているのだ。
「ウーノは完全に傍観、本当に私たちの意思を尊重するようだが……」
博士から直接指示を受けた長女は、彼女たちに特に何を言うわけではなかった。ただ、好きにしなさい、というだけで、それ以上のことは何も言わないし、してこない。
しかし、決められない場合、私に付いてくるというなら止めはしないということを、態度で匂わせていたので、見捨てるという気はないのだろう。
「トーレは、セッテと一緒に、もうとうに出ていってしまったのだったな」
性格が武に寄り、最も自分に厳しい性格だった三女は、好きにしろと言われた後、では好きにすると言って作戦中止の決定がされた時に出ていってしまった。作戦が行われている間は全力を尽くすつもりだったり、彼女が教育担当だった唯一のセッテを連れていたりと、そのあたりは彼女らしいけじめの付け方だったと、チンクは思っている。
「そして、ドゥーエとクアットロは、管理局との敵対を続けるつもりだ」
彼女の心に迷っている要因のひとつは、この二人が取る行動のためだった。久しぶりに会った次女のドゥーエは、以前と全く変わることなく、その愉悦と快楽を求める趣向はそのままであった。そのためならどこまでも冷酷になれる性質も、やはり変わっていない。
二人は自分たちに付いてくるのなら歓迎すると言っていたが、正直、自分と妹達が彼女らに付いていけるかどうか、それが甚だ疑問だった。ウーノやドクターという間を挟まず彼女たちと共に在ることは可能なのだろうか?
そして何よりも彼女の心を揺るがしているのが、今はもうここにいない、一人の男の存在だった。
「騎士ゼスト、まさか貴方がああした行動にでるとは」
彼女たち姉妹の当初の計画を終わらせたのは、彼であると言っていいだろう。チンクはそのゼストと関係が深かった。かつて彼の命を絶ったのは彼女であり、蘇えったばかりの彼の世話をしていたのもまた彼女なのだ。
その彼は、今はすでに地上本部に向かったという。そしてチンクは直接的に彼とそうしたことを話した訳ではないが、彼はウーノら4人と、セイン以下の姉妹とは、対応に大きく差があったことを覚えている。少なくとも、彼が下の妹達に悪い感情を抱かずに、むしろ同情的だったことは察せられる。
だから。
「管理局に出頭した場合、貴方は妹達に対して弁護してくれるだろうか」
という考えが、頭から離れない。ここ数日悩んできた結果として、ウーノ、トーレに対しては、心の中でもう区切りを付けている。なので、彼女の頭の中では、これからの自分と妹達に開かれた道は2つ。
ウーノと共にドクターのもとに行くという選択は捨てた。あの生みの親は、何をするか分からない不安が多過ぎる。この世に生み出してくれた感謝はあるが、彼に妹達の未来を委ねる訳にはいかない。
トーレの選択も、自分には無理だ。自分は世界を知らなすぎるし、妹達、特に双子に関しては皆無といっていい。そんな自分たちだけで、広大な世界に飛び立つというのは、見通しが全く立たない、あまりに博打すぎる。彼女のように、己はどこでも生きていけるという自負も強さも無い。
故に二択。ドゥーエ達と共に、管理局との敵対を続けるか、ゼストを頼って管理局に出頭するか。
「どちらを、選ぶべきなのだ……」
思い悩むチンクには、それほど時間は残されていない。クアットロの見立てでは、管理局がこのアジトに踏み込んでくるまで、そうは時間は掛からないということらしい。
チンクは、下の妹達の言葉を思い出す。「お前たちはどうするのか?」という問いに対する彼女たちの答えを。
「あたしは…… う~ん、どうしたらいいのか分かんないな」とチンク同様に悩んでいたセイン。
「本当に、どうしたらいいのかな。自分が全然そういうことを考えてなかったって思い知らされたよ。それに心の弱さも……」と、とても深刻に沈んでいたディエチ。
「あたしは、チンク姉と一緒ならどこでもいい」と言っていたのはノーヴェ。彼女は少々自分に依存しすぎだと、チンクは危惧している。
「ん―、そっスねえ、まあなるようになるんじゃないスか?」などと楽観していたウェンディには、頼もしいのか不安なのか分からない感情を抱き。
「私たちはオットー(ディード)と一緒ならば、どこでも」という双子は、そもそも自分たちの置かれた状況を正確に捉えていないようだった。
稼働時間が長い二人は、やはり相応に悩んでいる。特にディエチは先の作戦で受けた負傷があるので、チンクは彼女には思い悩むな、と伝えていたし、そも頭を動かすことを苦手としているセインにも同様に。
ノーヴェとウェンディも、自分たちで答えを出すつもりはなさそうだし、双子はそも考える考えない以前の問題だ。
「だからこそ、私が答えを出さないとな。うん、これは姉の務めだ」
そう決意を抱いても、未だ答えは出ない。しかし。もう悩んでいる時間はさほどない。ならばどうするか、頭で考えても仕方ないなら、ここはとりあえず動いてみるべきではないだろうか。チンクはそう思い始めていた。
「………よし!」
そして、ある思いつきを実行することを決めた。このままここでウダウダしていてはダメだと考えた末の決断である。
そうして、行動の指針を決めたチンクは、それを実現させるべく、長女ウーノに頼み事をしに、未だ彼女の城である、中央制御室にいくのだった。
八神はやては街に出ていた。
彼女は19歳の華やか盛りの年齢である。その年頃の娘なら、当然ファッション店や飲食店のある繁華街に足を運ぶことだろうが、彼女がそうしたところへいくことは、本当に稀である。
では彼女はどこに行こうとしているか。リインフォースが運転する車に揺られて行く先は、通いなれたクラナガン先進医療センター、または中央医療センターと呼ばれる場所。目的は無論のこと彼女自身の診察と、はやてを慕う子供達に会いに行くためだ。
前回来たときには、エリオとキャロを同伴してきたが、今日は別の人物を伴い、車は病院へと向かっている。
「ルーテシア、車酔いとかしてへんか」
「ん、大丈夫」
「そか、お空をびゅんびゅん飛び回る人でも、なぜか車に酔ってまう人とか、結構おるからなぁ」
「いるの? そんな人」
「本人の名誉のために誰かは言わんけど、昔そうだった子がおるんよ」
2人の会話を聴きながら、リインフォースはつい思い出し笑いをしてしまった。10年前、海鳴りの街にいた頃、ヴィータは車酔いの気がひどかった。もちろん、今は克服して平気になったが、それでも車は好きになれないのか、彼女は公道の移動ではバイクを好んでいる。
今日はやてたちと一緒に来ているのは、先日六顆で預かることになったルーテシアである。彼女に対する処罰というのは特に無いようで、六課は彼女の母親であるメガーヌが目覚めるまで預かるという形だ。
「ふーん」
「ルーテシアは、病院は初めてか?」
「うん」
「前来たときはなぁ、エリオとキャロも一緒やったんよ」
「そうなの? でも今日はなんで来てないの?」
「だって二人ともお仕事やもん。忘れたらあかんよー、二人はまだちっちゃいけど、立派な局員さんやからな」
「おお、忘れてた」
「ふふっ」
ルーテシアは感情表現こそ乏しいが、感情そのものが希薄なわけではない。はやてはそのことが分かっているので、ルーテシアの薄い反応でも、彼女の内心を推し量ることが出来る。
これから行く病院の子たちは、自分の気持ちを押し殺していることが多い子達だから、そうした子達の気持ちを読み取るのはお手の物だ。
「エリオとキャロとは仲良うしとる?」
「うん」
「そかそか、そういえばこの前エリオのストラーダに二人で乗っとったなあ。もうすっかり仲良しさんやね」
「エリオは好き。キャロも好き。でも、私とエリオがストラーダで飛んでたとき、キャロは少し寂しそうだった」
「あははそっかー。うんうん。青春やね」
「青春なんだ」
つい昨日の話だが、訓練の合間に、エリオがボード形態の練習をしていると、ルーテシアが興味を持ったようで、やや遠慮げに近づいてきた。それを見たなのはが、二人乗りの訓練したらどう? と提案し、エリオはルーテシアを乗せて飛び立ったのだ。
ルーテシアも浮遊は出来るが飛行は出来ない。その上、ストラーダは結構な速度が出るので、最初の時はかなり混乱していたのだが、それを見たエリオが「しっかり捕まって」と」言ったので、ルーテシアはエリオの腰に腕をまわしギュっと捕まる。
エリオと飛んでいる間、ルーテシアはこれまで見たことない笑顔で笑っていた。それを地上で見ていた他の皆は和やかな雰囲気となっていたのだが、その中でキャロだけが少し浮かない顔をしていた。
そんな少年少女の拙い恋模様を見つけたなのはが、今度はエリオとキャロで空のデートをさせた。すると今度はルーテシアがやや不満そうな顔をしたので、なのはの心の中での微笑みは広がっていった。
本人は自分の表情に気づいてなかったらしいが。
「ルーテシアも二人と仲良さそうやし、アギトもリィンといいライバルのようで、なによりやね」
「アギトは、将といっしょにいる時が生き生きとしていますね」
「そうやねー」
アギトとシグナムは、本当に相性がいい。烈火の将、烈火の剣精という二つ名から考えると、過去に接点はあったのだろう。その記憶は欠落してしまったようだが、リインフォースもアギトを愛しく想う気持ちが強い。
彼女が家族の一員になってくれると嬉しい、と二人は考えていはいるが、アギトにはゼストという主人がいるので、それは出来ないであろうことは分かっている。
(だが、ザフィーラの話では、彼の命は長くないということだが……)
まだはやてには言っていないことだが、ゼストがもう長くないことをリインフォースは知っている。だから、そのあとにアギトを託される可能性は高いと言えるのだが……
(我々も、彼とそう変わるものではないからな)
自分たちも長い寿命を持っているとは、間違っても言えない存在だ。安易にアギトを受け入れることは出来ない。それをするとしたら、全てを打ち明け、よく話し合ったあとだろう。
「あ、ついたみたいや」
「おー、おっきい」
「うんうん、立派なもんやよねぇ」
リインフォースが思案にくれている間に、車は中央医療センターに到着した。その威容からルーテシアは感嘆の声を上げ、その様子を見守るはやては笑顔で相槌をうつ。
車を降りた3人は、病院内へ入ると、この先どうするかを簡単に話あう。
ここには来た目的は3つ。はやての診察、メガーヌのお見舞い、そして子供達と会うためだ。メガーヌはまだ目覚めていないが、着実と治療は進んでいるようで、近日中には意識が戻るらしい。それを聞いたルーテシアが、まだ目覚めてなくとも母に会いたいといったため、今日はこうして連れてきた。
まずは3人でメガーヌのもとへ行きたいところではあるが、はやての予約診察の時間がもうすぐなので、その間ルーテシアに待っていてもらうのもなんだから、リインフォースと一緒に治療病棟行ってもらおうとしたのだが。
「ううん、リインフォースははやてと一緒にいてあげて」
少女は、その提案を断った。自分は一人で大丈夫だからと、リインフォースの同伴を遠慮した。
「いや、お前一人では不案内だろう。遠慮することはない、私も一緒に行こう」
「いいの、私は一人で大丈夫。あなたははやてと一緒にいてあげて。いてあげるべきでしょ?」
幼いながらもルーテシアは一人前の魔導師であるし、その境遇からか、鋭い感性を持っている。これまでは発揮されることがなかったようだが、六課にきてから、そうした天性を開花させ始めている。
「しかし……」
別段ルーテシアは保護観察処分とかではないので、行動を束縛する必要はないのだが、それでも安全な病院内とはいえ子供一人で行動させるのは、素直に賛同できないリインフォース。しかし、彼女が押す車椅子に乗る小さな主は、笑顔で少女の申し出を受け入れた。
「そっか。じゃあ、お母さんのとこまで、一人でいけるか?」
「うん、まかせて」
「そんなら、ルーテシアにお任せや、 お母さんによろしゅうな」
「ん」
表情を変えないままサムズアップではやての言葉に答えた少女は、そのまま案内盤にしたがって、治療棟の方へと向かっていった。その小さな背中を見送りながら、リインフォースは主に問うた。
「あの子、大丈夫でしょうか」
「きっと大丈夫や。あの子も、わたしたちにあんまり迷惑かけたない思うてるみたいやから、その気持ちを汲んでやらんとね」
主の言葉に、リインフォースは得心がいき、苦笑をもって返事をする。
「私たちの周りのは、本当にいい子ばかりですね」
「たまには我侭いうてくれてもかまへんのになあぁ」
「その点、妹は我侭いっぱいですよ。今日も気づけば私たちのベッドに入り込んでいましたからね」
「あはは、そうやなぁ。八神家の末っ子は我儘いっぱいや」
車椅子の少女と、それを押す銀の女性が談笑しながら進んでいくと、二人はふと気になる人物を見つけた。
見た目はまだ幼い少女だろう。少女趣味だが上品でシックな雰囲気の服に、リインフォースと似た美しい銀の長い髪を靡かせている様子は、銀の妖精という言葉が連想される。だが、右の瞳を覆っている眼帯が、彼女の幻想的な美しさに一点の曇りを与えている。
そんな、やや浮き世離れしたような少女が、きょろきょろと辺りを見回ってるのを見た彼女たちがどうしたかなど、もはや言うまでもないだろう。
さて、では時計の針を少々戻してみよう。
チンクは、今自分が何をしてるのか、何をしたいのかを、よく分らなくなってきていた。
彼女は今、クラナガンの街に来ている。その理由はこの先の自分の、そして妹達の行く道を選ぶために、知っておかなければならないと思ったからだ。
なにを知るべきだと思ったか、それは即ち、外の世界を。自分が知る研究所以外の場所を。自分の知らない人々が、日々暮らしている日常を。
もし、ドゥーエ達と共に行くのなら、自分達は彼らと敵対し、彼らの暮らしを乱す存在となることを意味している。そして、その選択をするのなら、それがどういう意味をもつことなのか、その行動はどういう結果をもたらすものなのか。
自分達は、どういう世界を“壊す”のか、それを知らなければならない、と彼女はそう考えた末、こうしてクラナガンの街に立っている。
しかし――
「だ、だが、こ、この格好は、どうにかならなかったのだろうか」
彼女が今着ているのは、ヴィクトリア調とまではいかないが、かなり上流志向、かつ少女趣味な服装。普段のボディスーツとシェルコートで街を出歩く訳にはいかなかったから、それに適した格好をウーノに頼んだところ、手渡されたのがこの衣装だった。
どうしてウーノさんがそうした衣装を持っていたのか、それがチンクのサイズにピッタリだったかは謎だが、まあ助かったことは助かった。
しかし、街行く人たちが、たまに振り向いたり、「あら」とか言って笑顔を向けられるのは、正直慣れない。最初は怪しまれてるのかとも思ったが、どうやら自分の見た目が目を惹いているようだというのは、流石に彼女も気づいたらしい。
「眼帯が珍しいのか、この格好が珍しいのか……」
おそらく両方だろう。今のチンクは一見すると良家のお嬢様っぽく見える。そんな彼女が恥ずかしそうに街を見回る姿は、人目を惹いて当然である。
なので、チンクはこの街にやってきた目的を半ば忘れかけ、真っ赤になりながらうつむき加減で道を歩いていくが、却ってその仕草が目立つという悪循環。そんなこんなで、彼女の頭にはかなり血が上ってしまっていたのだった。
しかし、そう恥ずかしがってばかりも居られない。しばらく公園のベンチで座り、ク-ルダウンして、改めて今まで歩いてきた街の様子を思い返す。
(平和、だったな)
そう、街は活気があって、道行く人々に、暗い様子は見られない。もちろん全ての人間が満足した生活を送っている訳ではないだろうが、だが陰鬱とした雰囲気、今の世界に不安や不満を抱えている様子は、感じられなかった。
「ふう……」
ベンチの背もたれに身をあずけながら、やはりこの街、この世界に害を与えようとするのは……と彼女が考えながら、何気なく視線を向けた先に、見知った人物の姿があった。
「ル、ルーテシアお嬢様?」
彼女がいるこの公園は、中央医療センターの駐車場に隣接している森林公園だった。なので、ちょうど車を降りたはやてたちを、偶然に、本当に偶然に見つけることができたのだ。
そのあと、彼女は見えない引力に引き寄せられるが如くに3人のあとを追った。だが、病院のなかに入った段階で、自分は何をしているのか、何をしようとしているのかを考え直しているうちに、3人を見失ったしまったのである。
彼女が車椅子の少女に話しかけられたのは、そんな風にやや困った様子で周りを見渡している時だった。
「君、どないしたの? もしかして迷った?」
「あ、いや、そういうわけではないのだが……」
可愛らしい服装に身を包んだ少女が、心細い様子で辺りを見回している様子を見て、ほおって置けるはやてではない、ほぼ脊髄反射といっていい速度で、銀髪の少女に話しかけていた。
「あっ、そかそか、眼科の場所がわからへんかったんやね。もしかしてここは初めて?」
少女のしている眼帯に目を向けたはやては、目の治療でここにきたのだと考えた。全体的にお嬢様風な上品な服装をしている彼女の眼帯は、それだけで目立つ。壮年で屈強な肉体の男がするなら、恐ろしく自然だが、か細い少女が黒い眼帯というのはとても目を引く。
「そ、そうだ、確かに初めて来た場所なんだが」
見た目に反して、少女の声は落ち着いた響きを持っていたが、流石に初めての場所で緊張していたのか、少々上ずっている感じがする。言葉遣いもやや硬い感じだが、不思議と似合わないという印象はない。厳しい躾の家の出だろうか、やはり上流の子なのかもしれない。だが、それなら1人というのも変だが、まあ、その辺りを詮索するはやてではない。
「うん、じゃあわたしが教えたげるよ。院内地図がそこにあるやろ? 現在地はここで、眼科の場所はな……」
「あ、いや」
はやてはエントランスホールの中央にある地図まで少女を(やや強引に)連れて行き、分かりやすく道筋を教えていく。
「病院って、どこも建て増し建て増しで作られとるから、分かりづらいんやよねぇ。ここも、診察棟と治療棟と入院棟に分けれている上に、随分入り組んでるつくりになっとるから」
「う、うむ。どうやらそうのようだな」
銀の少女も、院内の複雑な状態図を見て、はやてに同意する。その様子から、はやては少女がいくらかは緊張がほぐれたように見えたので、さらにおせっかいを焼いてみようと思った。困ってる子がいたら、はやては動かずには居られないのだ。
「なんなら、わたしが案内しよか?」
「け、結構だ、そこまで迷惑はかけられない」
はやての申し出に、少女はわたわたと手を振りながら、答えたが、はやては退かない。
「ええからええから、お姉さんにまかせなさい」
車椅子から強引に手を伸ばし、少女の小さい手を取って案内しようとしたはやてだったが、それを断念せざるを得ない状況を告げる声が響いた、いや、本当に病院中に響き渡った。
『八神はやてさん、八神はやてさん、A棟、2階、循環器科3番診察室までお越し願います。繰り返します……』
どうやら予約時間が来ていたようだ。少女にかまけて本来の目的をすっかり失念していたはやては、いかにもバツが悪そうに、「あ、あはは」と愛想笑いをする他なかった。
「我が主、先生にも迷惑がかかることですし」
「う~ん、流石にそれはアカンなぁ……」
リインフォースの進言もあって、はやては少女を案内することを断念した模様。だが、その瞳は心底残念そうな色に満ちている。
「ごめんなぁ、こっちから言うといて」
「いやいや、元々そこまでしてもらうほどの事ではなかった。だが、その心遣いには感謝する」
「うん、ありがと。そんじゃな」
「では、失礼する」
そうして、「じゃあなー」と手を振りながら、はやてはリインフォースに押されて診察室へと向かった。
その後姿を、銀の少女がなんともいえない表情で見送っていたのには、無論気がつくことはなかった。
さて、はやてに手を引かれて案内されそうになった少女であるところの、戦闘機人No5チンクは、去り行く車椅子の少女と銀の女性を見送りながら、やや複雑な思考状態へと陥っていた。
八神はやて、自らの記憶にあるその名前は、自分達と敵対していた部隊の、部隊長の名前である。しかし、情報を教えたクアットロは「こいつは全然たいした事ないから、詳細情報はいらないわね~」といって名前と役職しかチンクは知らなかったのだ。
あの姉(年齢的には妹)が『大した事ない』というからには、能力がない人間なのだろうと勝手に思っていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。
(まさか、身障者だったとは……)
一応彼女が知る限りの八神はやてはAランクの魔導師だった。しかし、それでも車椅子であるということは、よほど深刻な障害を持っているということだろう。だがそれでも。
(あんなに、朗らかに笑っていた)
彼女は笑顔だった。笑顔で自分に気をかけ、話しかけてきた。彼女の目には自分は迷子のように写ったようだが、それだけでも、あの人物が気さくで優しい人格であることが分かる。
(管理局と争うということは、彼女と争うということか……)
今まで知らなかった敵対者の“生きた人間としての顔”を知って、チンクの心の天秤が、少しずつ傾いていく。やはり、自分はもっと知らなければならないことが多すぎる、と改めて思い知らされたチンクだった。
(よし!)
気を取り直し、さあ行くぞ、と意気込んだチンクではあったが。
(………待て、どこに行こうとしていたんだ、私は)
これといって目的地がないことに気付いたのだった。そして、考えろ、考えろ自分、と頭をフル回転させて考えるチンク。ちなみに、病院のエントランスで突っ立ったまま、うーん、うーんと思案に暮れるお嬢様風の少女は、無論周囲の注目の的だったが、幸いなことに本人は気づいていない。
(いや待て、そういえば私はそもそもルーテシアお嬢様を見かけたから、ここに来たのだった!)
おお、と自分のすべきことを見つけたチンクは、ではルーテシアの元へ、と思ったものの、その場所が分からないことに気付いてしまう。なのでまた考え込んでしまう彼女だったが、今度は自分が注目されてることに気付いた。
「あ、うう」
流石に入り口のホールは目立ちすぎると、顔を真っ赤にしてその場を退散するチンク。こうしたことで感情を波立たせたのは、彼女にとっても初めてのことだった。
(やはり、外の世界は一筋縄ではいかんな)
まあ、単に世間知らずともいうのだが。
そんなこんなで人気のないところでルーテシアと接触する方策を練っていた、そして一つの名案が思いついたので、早速試してみたチンクではあったが。
(念話が、通じない?)
そう、全く通じない。
彼女が思いついたのは、思念通話でルーテシアに呼びかけるというもの。同じ建物内部なのだから、呼びかけに応じてくれると思ったのだが。一向に念話が届く気配がなかった。
(なぜだ…… ん?)
不思議に思っていたチンクだったが、ふと目に付いたポスターの内容に、その答えが書いてあることに気付く、
『院内での思念通話、および携帯端末での通信は、固くご遠慮させていただいてます。安心と安全の医療のため、どうかご了承ください』
ここは最先端の医療センターである。当然、用いられている技術、使われてる機材も最新鋭のものたちだ。そして、それらに万が一の誤動作がないように、外部の魔力行使、通信波などは一切遮断するようになっている。つまりは、医療器具に適用されてる特殊な波長の魔力以外は、完全に行使不可能なのだ。
先進的医療現場ということを考えると無理もないことだが、AMFもびっくりな徹底振りである。チンクは変なところで、自分達のアジトが特別というわけでもなかったのか、と知ることになった。
(だ、だがこれでは)
ルーテシアと接触する手段は断たれたというわけになる。ここはクラナガン一といっていい大きな病院なので、探すといっても容易ではない。
(こんなところで、自分の無力さを噛み締めることになるとは……)
今この場所では、自分のISも何の役にも立たない。やろうと思えば可能だろうが、やる理由はどこにもない。それに。
(そもそも、私はルーテシアお嬢様と、何を話すつもりだったのだ)
改めて考えると、何を話せばいいのか、考えていなかった。ただ彼女の姿を見つけたから、後を追って来たにすぎない。
「ふむ……」
一度落ち着いて考えると、ルーテシアがここに居る理由は絞られる。十中八九母親であるメガーヌ関連だろう。ならば、そこに自分が行っていいものだろうか? 彼女の母の現状には、自分も無関係とはとても言えない。彼女がゼストに連れられて行って以来、チンクもメガーヌが実は生きていたことは聞いてある。彼女にとっては、自分は嘘をついていた人間の1人だろう。
(ならば、どの面下げて彼女と会えると言うのだ。せめて、もう少し自分の気持ちに整理をつけてからでないと)
そう考え直し、彼女は踵を返した。
しかし。
(ここは、どこだ?)
今度は、本当に迷子になっていた。
『はやておねえちゃ~ん!!』
「お~、みんな元気やなぁ」
一方その頃はやては、いつもどおりに診察が終わった後、子供たちの元に向かっていた。子供たちはいっせいにはやての元に駆け寄り、出迎える。
「リインフォースさんも、お久しぶりです」
「ああ、ありがとう」
子供たちの中で一番の年長の子が、リインフォースに向かって丁寧にお辞儀をし、それに彼女も微笑みながら応じる。
と、そこまではいつもどおりだったが、そこからは違う様相となった。いや、別段そんな差し迫った事態が起こったわけではないが、なじみの看護師のクレーネさんが、はやての想定外の言葉がかけられたのだ。
「あらあら相変わらず人気者ねぇ、はやてちゃん。ところで、そっちの子は、だぁれ?」
「へ?」
いったい何のことかと、クレーネさんの向いている方を見やると、そこには先ほど出会った眼帯の少女の姿があった。彼女自身も、自分のことを言われてびっくりしている様子が伺える。
「あー、また新しいおともだち?」
「ちがうよ、はやてお姉ちゃん、ぶたいちょうさん、なんだからエリオ君やキャロちゃんたちとおんなじ“ぶか”さんだよ」
「おー、そうなんだ」
以前エリオとキャロを紹介した子供たちは、また新しい“部下さん”かと感心しており、看護師の人たちはからかう様な笑顔ではやし立てている。
「はやてちゃんったらやるわね~。この前はエリオ君とキャロちゃんをつれてきたかと思ったら、もう別の子をこましてるなんんて、罪な女ね」
「いや、こますて、クレーネさん、表現が古い」
「変なこと言う口は、この口かしら~」
「ひょ、いひゃいひゃい、ひゃんまや、ひゅれーにぇひゃん(ちょ、痛い痛い、タンマや、クレーネさん)」
口は災いの元、という格言どおりに頬を引っ張られてるはやてだったが、看護師はそっとはやてに耳打ちする。
(で、実際あの子はどういう関係?)
そういわれて、はやては脳細胞をフル動員させて、先ほどの少女がなぜここいるのかを考える。おそらくは、迷子だろう。そして一応の顔見知りである自分を見かけて、思わず付いて来てしまった。というところではないか。
そう答えを出したはやては、言葉を選んで答えた。
(今日あったばかりの、お友達です)
(そっか。でも、そうだとしても手が早いことは変わらないわね。可愛い子じゃない、とっても)
(まるでわたしを色情狂のように……)
そしてクレーネさんに解放されたはやては、「ちょっと待っててな」と子供たちに伝え、未だ困惑中の少女の元に向かう。
少女は、今の状況がよく分かっていないのか、エントランスホールで出会ったときより心細げな様子でいる。そんな彼女に、はやては小さく微笑みながら話しかけた。
「や、また会うたね」
「あ、ああ、奇遇だ……」
「ここは入院病棟やけど、こちらに誰かお知り合いの方が?」
「いや、そういうわけでは、ない」
やや恥ずかしげに、視線をそらして話す少女の様子に、はやての笑みはますます深くなる。車椅子のはやてと少女では、やや目線は少女のほうが上なので、はやては少女の瞳を覗き込むようにしてたずねる。
「ほんなら、また迷子さん?」
「~~~!」
少女の顔が真っ赤になった。どうやら迷子で間違いないらしい。
「ん~~」
はやては、少し考える。この少女をどうしたものか。迷子であることを看護師に伝え、送ってもらうことは簡単だ。しかし、彼女はこの短い間に2度も出会った少女との縁を、大事にしたいと思った。
今日自分と少女が出会ったことには、何らかの意味があるというその直感は、一期一会を大事にする彼女らしい発想といえばそうだろう。
「な、君のお名前は? あ、わたしははやてや、よろしゅうな」
「チンク、私の名は、チンクだ」
「チンク、ん、、ええ名前や。そんでチンクちゃん、今日これから時間ある?」
「あ、ああ」
問われた彼女は、つい反射的に答えた、という風に口を開いた。はやては知らないことだが、この少女がここまで混乱するのも珍しいことではあるのだ。やはり慣れない場所というのは、普段どおりではいられないのだろう。
「そんなら、これから少しの間、わたしの付き合ってくれへん? お礼はするから」
「へ? あ、ああ。それは構わないが」
と言ってすぐ、“何を言っているんだ自分は”という表情で口を押さえた彼女だったが時既に遅し。
「みんな~、この子は、今日お友達になったチンクちゃんや、今日はこの子も一緒に遊んでくれるで~」
はやては大声でチンクのことを紹介してしまっていた。チンクはいきなりの展開に、目を見開いて驚いていた。
わぁっと喜ぶ子供たちの様子を呆気に取られてみていたチンクだったが、ハッと気付いてはやての方へ視線を向けると、車椅子の少女は、いたずらっ子のような表情で、舌をだしているところだった。
それを見たチンクは、やられた、という気持ちが浮かび上がり、少し腹立たしい感情を抱かないでもなかったが、不思議と不快ではなかった。
自分の置かれた状況を理解したことで、普段の冷静さを取り戻した彼女は、仕方ないな、という笑みをはやてに向けた後、それまでの不安そうな雰囲気とは打って変わって、年長者のような落ち着きで子供たちに挨拶をする。
「紹介に上がったチンクだ。短い間だが、どうかよろしく頼む」
チンクの自己紹介を聞いた子供たちは、一様に「おお~」と感嘆の声を上げた。
「すごーい、お姉さんっぽーい」
「ノーラちゃんとそんなに背かわらないのにー」
「それにキレイー、お姫さまっぽいよ」
子供たちに口々に賞賛されたチンクは、やや照れくさそうにしていたが、子供の扱いには慣れているようで、対応が細やかで心が困っている。
「おお」
「まあ」
先ほどまで子犬のようだった少女が、子供たちを前にしたら一転して頼もしいお姉さんになったのを見たはやてたちもまた、感嘆の声を上げていた。
「ひょっとして、小さい妹さんとかがいる子なのかしら」
「そうですね、お姉さんなのは間違いなさそうです」
「………」
そしてリインフォースだけは、そんな一連のやり取りを、いつものように笑顔で見守っていたのだった。
チンクにとって、この成り行きは意外だった。想定外といってもいいだろう。
彼女はルーテシアとのコンタクトを諦めたあと、元来た道を辿っていこうと思ったのが、結果として見事に迷ってしまった。彼女の生活の場だったアジトは、複雑そうだが、実は単純な作りだったので、こうも入り組んだ建物を、案内無しで歩く経験はこれまでになかったのだ。
任務で迷路のような建築物にも入ったが、その時は地図のデータがあった。しかし、この病院内ではそういう端末を出すのは禁止である。
そうして院内をさ迷っているうちに、先ほど出会った八神はやての姿を見つけたので、吸い寄せられるように後をつけてみたら、この始末となったわけだ。
すなわち、大勢の子供たちに囲まれて、彼らと要望に応じて、一緒に遊んであげることになったこの状況。
しかし。
「ああ、こらこら、そんなに乱暴に持つな。ぬいぐるみがかわいそうだろ?」
「は~い」
小さい子供たちと拙いお人形遊びをするのも。
「さあ、ババはどっちだ?」
「むー、こっち!」
「おお、見事だ」
「えへへー」
カード遊びに興じたり。
「ねーおねえちゃん、この虫の名前なんてよむの?」
「それか、それはな…… ふむ、薄羽蜻蛉というらしい。羽が綺麗な虫のようだ」
「うすバカ、ゲロ男?」
「ちがう、ウスバカゲロウ、だ。名前はきちんと覚えないとダメだぞ」
間違いをきちんと正してあげたり。
「そうしてシンシアは、王子様の心に秘められた、辛い過去に気付くことが出来たのです。そして、シンシアは、王子様の心を助けようと、決めたのです」
「………(ごくり)」
「それでそれで!?」
「慌てるな慌てるな。今続きを読むから」
絵本を読んであげたりする時間は、とても心安らげる時間だった。
子供たちと一緒に遊んだ後、チンクははやてに付いて、奥の病室にいる子供たちを看回った。皆一様にはやての顔を見ると笑顔になり、お見舞いに来ていた親族であろう人たちも、はやてに優しく声をかけている。
「はやてちゃん、ありがとうね。貴女が来てくれると、この子も喜ぶから」
「いえいえ、この子達と会うことこそ、わたしの元気の源ですから」
廊下ですれ違う看護師や先生、はては掃除婦のひとでさえも、はやてに笑顔を向けていた。ホールで会った看護師のように。チンクの顔をみて、「また、新しい子をひっかけたの?」などと言ってからかう者もいる。
チンクは思う。ここは、優しい場所だと。そして同時に、悲しい場所だと。
思わず口から言葉がこぼれたのは、そうしたことを思っていたからだろう。
「みんな、笑顔なのだな」
そんな、心の裡を曝け出した声を聞き逃すはやてではないので、淡い、消え入りそうな斜陽の笑みで、その言葉に答えた。
「うん、笑顔や。笑顔でないと、辛すぎるからな…」
ここは、未来を約束されない子供たちの集う場所。入り口のホールで遊んだ子供たちでさえ、包帯を、点滴を、歩行器を付けていて、健康体に見える子は1人もいなかった。
奥の部屋、特に個室の子などは、はやてに笑顔を返すのでさえ、精一杯という態だったのに、それでも、笑顔を見せてくれた。
子供たちが過酷な運命と戦っているのに、大人が辛い顔など出来るものか、という思いを抱き、ここに居る人たちは精一杯の笑顔を見せている。張り付いた仮面の笑顔などではない、涙をこらえた必死の笑顔だ。
そしてそれは無論、この車椅子の少女も同様に。
その後も、はやては全ての部屋を看回り、最後の部屋の女の子のところだけ、他より長く居た。
その理由は、傍らのチンクでも人目で分かる。ベッドに横たわる少女の肌は真っ白で、これまで見てきた子供たちの仲でも、最も状態がわるそうだから。
「いい子にしてたか? ミリアちゃん?」
「うん……」
ミリア、とは少女の名前だろう。はやての挨拶も、力がない。
それに、チンクは今まで気付いたことがある、はやては決して「元気だったか」とは言わないのだ。初めは疑問に思ったが、改めて考えれば当然のことだったのだ。
ここは、終末医療の場所なのだから。
「おねえちゃん……」
「ん?」
か細い少女の言葉に応じて、はやてはその子の手を握る、それだけで少女は微笑んだ。とても透明な笑顔だった。とても綺麗な笑顔だった。
とても、綺麗な光景だった、綺麗であるが故に、儚い景色だった。
チンクは思わずその場を離れた。駆け出したりしない辺りが、彼女の他者を気遣える性格が出ている。
病室から離れたチンクは、自分でも何故だかはわからぬまま、いまは一つの瞳から、一粒、二粒と、雫をこぼれ落としたのだった。
子供たちがいる病棟を後にしたはやては、チンクを伴いカフェへと向かう。時刻は正午に差しかかかったので、先ほどチンクに言った“お礼”をしようと思ったのだ。
ルーテシアも一緒に誘ったのだが、彼女は面会時間いっぱいまで母とともに居たいとのことなので、はやてとリインフォースはカフェでも昼食を摂るつもりはなく、本当に軽くお菓子などを頼むつもりである。
「ごめんなぁ、チンクちゃん。わたしの我儘につき合わせてもうて」
「いや、私としても本当にいい経験になった。ああ、それと私のことはチンクで構わない」
「うん、わかった、チンク、やな。そういえばチンクって、子供たちに慣れとったみたいやけど、ひょっとして妹さんおるのかな?」
「ああ、妹が7人いる」
「わあ、大家族さんや。八神家もびっくりや、なぁ、リインフォース」
「ええ、そうですね」
チンクがお姉さんであろうことには予想していたが、八神家を超える大家族であるとは思わなかった。
「もしかして、一番上のお姉さん?」
「いや………」
そこで、チンクは一端言葉を切った。一番上の姉はウーノだが、彼女はむしろ母といって良いような気もする。そしてその下の姉たちのうち、トーレは既に去り、ドゥーエ、クアットロは妹達を気遣う様子は見られない。ならば、今となってはやはり妹達の支えとなるのは自分ではないかと思い、チンクは心を決めるように、言葉を続けた。
「そうだな、今は、私が一番上の姉だ。そう思っている」
「そっかぁ、ならその大人っぽさも納得やね。最初は迷子さんのように見えたけど、やっぱり始めてのとこだと戸惑うもんなあ」
「面目ない。あれは自分で思い返しても格好が悪かった」
「そんなことないて、リインフォースも、海鳴にいた頃そういうことよおあったし」
「我が主、昔のことには触れないでください……」
急に自分のことに話を振られて、顔を真っ赤にするリインフォース。美しい銀の精霊のごとき女性が、可愛らしく頬を赤らめる様子をみて、チンクとはやての顔の笑顔も深まる。
はやては、チンクが戦闘機人であることを知らない。なんかしら問題のある家庭環境にある子だとは察しても、そこまでは見切れない。これが仕事モードのハラオウン執務官なら違ったかもしれないが、直感が優れた彼女でも、そういう推察は不得手だ。
一方のチンクは、はやての役職のことは知っている。だが、敵対感情を抱いているわけではない。そも、彼女が悩み惑ってるのは、まさにそのことについてだ。この先彼女達と敵対するかどうかを、決められずに悩んで居るのだから。
だが、それとは関係なしに、チンクはこの偶然の出会いを、一期一会にしておきたい気持ちが強かった。立場といったものに縛られない、個人と個人として、彼女達と向き合ってみたかった。
この2人との会話に、自分の答えを見出そうとしていた。いや、この時点で彼女の答えは決まっていると言ってよかったので、最後の一押しを彼女たちにお願いしたかったのだ。
カフェに入って、それぞれココア、カフェオレ、カプチーノを注文をして(チンクの分はおごり)、暖かい飲み物で心を落ち着けていると、チンクが思い切って、自分の悩みを聞いてもらおうと切り出した。
「すまない、個人的な相談なんだが、構わないだろうか?」
はやてもリインフォースも、カフェに入る前からチンクの纏っていた雰囲気から、この質問が来ることをなんとなく悟っていたので、無論のこと快諾する。
「構わへんよ。もしかしたら、家族のことかな?」
はやての返答に、チンクはやや驚いた顔をしたが、感受性の強いこの車椅子の少女ならと、納得した顔ではやてを見つめ、フっと小さく笑う。
「ご名答だ。実は私の家族は少々特別で……」
そうしてチンクは語りだす。自分は戦闘機人であるとか、生みの親は広域次元犯罪者のマッドサイエンティストであるとかは割愛し、事情をある程度かいつまんで、差し迫った自分の問題を説明していく。
「……というわけで、今まで私達姉妹は両親のいうことだけを聞いてきたのだが、急に自由に生きろと言われたのだ。そうは言われても妹たちは幼く、私もまだ一人前とはいえない、ということが今日で良く分かった」
「なるほどなぁ、よく言えば開放的な、悪くいえば無責任な両親さんやね」
チンクの語りを聞きながら、はやては時に相槌を打ち、時に驚きの声を上げるなどして、チンクの話しやすいように続きを促がしていく。
「ま、たしかにそうかも知れない。しかし、何はともあれドクタ、いや両親は私達に好きにしろと言ったのは既に決定事項なんだ。2人の姉は既に生き方を決めて、私たちも一緒にくるなら、面倒を見てくれると言っているのだが」
「チンクは、お姉さんについていくのは、抵抗があるんやね?」
「………そうだ。話していて自分の気持ちが分かってきたよ。私は、姉たちの考えに賛同できないのだな」
その理由は、チンク自身もはっきりと理解してきた。今日街に出てはやてと会い、そしてあの子供達と接しなければ、明確に自分の気持ちを解することは出来なかっただろう。
(ドゥーエたちの方針は、管理局に逆らうもの。そして今回中止になった作戦も、この街の平穏を乱すものだった)
確かに、この街にも権力を貪ったり、弱者を虐げたりする、私利私欲のために手段を選ばないような人間はいるだろう。だが、同時に目の前の車椅子の女性やその隣の銀の女性、さらにはこの病院の看護師たちと、なんと言ってもあの子たちもまたいるのだ。
姉2人の行動は、そんな精一杯生きている彼等の生活を脅かすものに他ならぬのだろう。チンクは、それをしたくない。姉達と同じような考えは、もてない。
だが
「しかし、それでも彼女達は姉だ。これまで私たちが在れたのも、彼女達の存在が大きい」
それでも、ではさようならと縁を切るような決断を出来ないからこそ、チンクは迷ってるのだ。
「………ふぅん、そうかぁ」
言葉を切って俯くチンクの様子を見守りながら、はやては一つ今の話で聞いておかなければならないことがあるのに気づいた。
「なぁ、チンクの悩みって、お姉さんについていくのが抵抗がるってこと? それ以外になにか悩みの原因があるんとちゃう?」
今の話を聞く限りでは、チンクがここで悩むことは無いのではないかと、はやては感じた。それは隣のリインフォースも同じのようで、彼女達は目線だけで意志を交わして確認する。
リインフォースはこういうと時には、はやてに意見を求められない限り口を挟まないが、話はしっかり聞いている、それになにより、はやての意志は彼女の意思だ。2人の意見が分かれることなど、はやて自身の健康状態について以外はありえない。
「ああ…… そうだ、まだ話していない事がある」
やはり思い煩う心理状態では、上手く話を整理しきれなかったのか、チンクは肝心のことを考えてなかったことに気づいた。
「ああ、私が悩んでいる原因は、もう一つの道があるからなんだ」
「お姉さんに付いて行くのとは、別の道やね?」
「うむ、1人、私たち姉妹の事情を知っている、信頼できる人がいるのだ。彼を頼れば、少なくとも妹達は悪いようにはならないと信じられる」
ゼスト・グランガイツ。チンクは一時彼の世話係だったが、その時も彼は自分の命を絶った相手であるチンクに、一切の恨み言を言わなかったし、嫌悪の感情を向けることもなかった。
むしろ、彼の、上の4人以外の姉妹の視る瞳には、憐憫の色が濃かった様に思える。彼が地上本部のゲイズ中将の下に行ったことは分かっている。ならば、下の妹達について便宜を図ってくれる期待はできる。何しろ、ノーヴェ以下の4人は、まだなにもしていないのだから。
(私はいいのだ。この手は既に汚れすぎている)
彼女は、自身が罪を償うことに、欠片も迷いはない。だが、セインやディエチのことは、罪に問わないで欲しいと願ってしまう。彼女は、とても優しい人だから。
「じゃあ、チンクの悩みは、お姉さんについていくか、その人を頼るか、どちらを選ぶべきか、いうことやね?」
はやての確認を問うた言葉に、チンクはコクリと頷く。
「それやったら……」
車椅子の少女は、特に気負うような雰囲気を出さず、あくまで自然体で、チンクに、自身の思ったことをありのまま伝えた。
「もう答えは、出とるんちゃうかな」
本当に、本心から彼女はそう思った。これはあくまでチンクの気持ちの整理をつける後押しだと、そう感じた。
「そう、か」
この見た目は可愛らしく、そして内面は凛々しい少女が、とても責任感が強い良い娘だということは、瞳と言葉と気持ちを交わした今ではもう分かっている。そしてそんな彼女だからこそ、もう答えはでてるのだ。しかし、おそらくは家族の情、そして感謝の念が、チンクの決断を鈍らせているのだろう。
ならば後は簡単、自分がすべきは、ほんの少しの背中を押してやることだけ。
「なあ、チンク」
「ん、なんだろうか」
「妹さんのこと、好き?」
「ああ、とても大事な妹達だ」
チンクは、一切の迷い無く答えた。
「じゃあ、お姉さんたちのことは?」
「………」
今度は即答できない。姉達には感謝の気持ちはあれど、好きといえる気持ちを抱いているだろうか?
「それと、そのお姉さんたちは、チンクを含めた妹さんのこと、好き思うてるのかな」
「………」
これも即答できない。彼女たちは、自分達をどう思ってるのだろう。ウーノは大事に思ってくれていると言える。だがあの2人は……
少なくとも、好き、という感情が、自分達と同じ形をしていないことは、言える。
「な?」
ああ、これは確かに答えが出ている。
私は妹達が好きだ。妹達も私を慕ってくれている。自惚れでは無くそう信じられる。だが、あの姉達を無条件で好きといえないし、彼女達も自分を好いてくれている自信がない。
チンクが迷いの霧から抜け出しかけている所へ、最後の一押しがされた。それは、今まで黙っていた銀の女性の声だった。
「それに、おそらくだが、君のお姉さん達は、自分達だけで生きていけるのだろう」
そうだ、ああそうだ。これは決定的だ。
彼女たちは、自分達を必要としていない。自分を含めた妹達が管理局に下ろうとも、心を痛める事はないだろう。だが、妹たちは違う。
彼女達には、自分が必要だ、特に自分にベッタリなノーヴェなどは、少し危ういほどに。
「答え、出た?」
はやての声。それは確認の声のようでありながら、確信に満ちた声だった。そして、その声に応じるが如く、完全に迷いが晴れた声で、彼女は答える。
「ああ、ありがとう。自分の行く道が見えたよ」
心に巣食っていた重苦しいしこりが取れた少女は、清清しい表情で2人に礼を言う。その姿は、まさしく綺羅綺羅しい銀の妖精のようだった。
「それじゃ、今日ほんまにありがとう」
「気をつけてな」
「ああ、こちらこそありがとう。また会えたらいいな」
その後間もなく、はやてたちとチンクは別れた。別れの挨拶は簡素なものだったが、それは互いに今日の出会いの縁が、これだけでは終わらないように思えたからである。
そして、数日後、3人の勘は見事に当たることになる。
はやてと別れたチンクは、すぐにアジトに戻り、妹達を説得した後、姉達に管理局に出頭する旨を伝えた。
姉達の反応は、ウーノが微笑みながら了承してくれたが、やはりクアットロは「じゃあ、これからは敵同士になりそうね」と不適に笑いを返すという、実に“らしい”反応をした。
ドゥーエに到っては、「そう」と言っただけだ。彼女は本当に、妹の決定などに特に関心は無かったらしい。
いざ出頭する際に、ウーノは「じゃあ元気でおやりなさい」と声をかけ、妹達の健康管理のデータなどを提供してくれたが、その後は彼女も姿を消した。
姉達の反応に、やはり自分の決断は間違ってなかった思いながらも、チンクは少々悲しい気持ちを抱くのだった。
その後出頭はしたものの、地上本部の方でも彼女達の扱いは少々難しいらしく、対応にしばし時間がかかるので、決定するまで“ある部隊”で待っていて欲しいとの申し渡しをされる。
その際、チンクの前に姿を見せたゼストが、「心配するな、悪いようにはせん」と言ってくれたので、チンクの心は明るい。
そして、待っていてくれと指定された“ある部隊”に行ってみれば、そこのトップである車椅子の部隊長の顔に見覚えがあるという始末。互いに顔を合わせた瞬間、目をパチクリさせた後思わず笑い出してしまったのも、無理からんことだったろう。
余談だが、チンクたち姉妹を預かったことで、身柄保護の人数が、ヴィヴィオ、ルーテシア、アギト、チンク、セイン、オットー、ノーヴェ、ディエチ、ウェンディ、ディードと、11人にまで増えた機動六課は、近隣の部隊から、こう呼ばれることとなる、
即ち、託児六課、と。
あとがき
機動「俺の名前を言ってみろ」
むしろ意味を言ってみろ、という感じですが。 前々回のタイトルの隠してた部分も明らかにしました。
残りのナンバーズの行動をどうするかで思いついたのが、チンクとはやてを会わせることです。チンクは幼い容貌ながらもきちんとしたお姉さんで、はやては9歳のころからお母さんだったから、気が合うのではと思いました。
これにて全ての後始末も終わりましたね。あとはゴールに向けて一直線です。
ちなみに、チンクの格好を知りたい人は「アンナ・シュライバー」で検索すれば分かるかも。眼帯&銀(白?)髪つながりでなんとなく似合いそうだったので。