<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.31392の一覧
[0] 沢蟹の歩き方 online[バズーソ](2012/01/31 21:05)
[1] 沢蟹の歩き方 online 2[バズーソ](2012/01/31 21:07)
[2] 沢蟹の歩き方 online 3[バズーソ](2012/01/31 21:08)
[3] 沢蟹の歩き方 online 4[バズーソ](2012/04/15 09:02)
[4] 沢蟹の歩き方 online 5[バズーソ](2012/04/15 09:00)
[5] 沢蟹の歩き方 online 6[バズーソ](2012/04/15 09:05)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[31392] 沢蟹の歩き方 online 4
Name: バズーソ◆e7c47bb7 ID:d1fe1afc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/04/15 09:02
 棘の生えた藪を物ともせず飛び出すと、拙速で標的を見つける。未知数の攻撃を持つ敵を相手取るときに有効な方針はただひとつ。先手を打つことだ。
 相手のいかなる行動も許さず、速攻で叩き潰すことこそ最大の安全策となり得る。

 接近して打撃。ウェハブにはそれしかない。
 しかし、目論みははずされた。
 動かない状態でしか発動できないはず詠唱スキルを、この魔術士は、低空で飛翔しながら発動している。
 ウェハブは目を疑った。
 恐ろしい速度で動く唇から、耳の奥まで響く不気味な詠唱が発せられた。

 後方に逃れる敵を追いすがるには、二足分、鋏(ハサミ)が届かない。
 途端にウェハブの全身を寒気が襲った。

 スキルが現実での現象へと変化するタイムラグ。
 詠唱スキルの最も大きな欠点は、詠唱からスキル効果発動までの時間差だ。だがこの局面で、その短所は姿を変えた。
 不確定要素が絡む現実世界の潰しあいは、当然ながら単なるゲームの戦闘とはまるで違う。その事をウェハブは実感していた。 

 完成した魔法攻撃。圧縮した空気が刃となってウェハブに迫ると同時に、セラエノは中空を蹴ってこちらに飛んだ。
 五つの魔法陣が地面と垂直に打ち立っている。その空間に空気の歪みが見えた。

(まずい。発動の遅さを逆手にとられた)

 完全にタイミングを同じくしての二段構え。
 魔法は、呪文を唱える"間"を必要とする。だが言うまでもなく一度発動してしまえば、強力なスキルだ。
 だからもし、その"間"を使って、相手に有利な位置取りをしたり、有効にその時間を使うことができれば。

 こいつは自らの欠点を補う方法を知っている。
 凄まじい速度で吹き抜ける風の刃を甲殻の両腕で受けると、硬質の殻にヒビが入り、風圧で体が仰け反る。
 ひらけた眼前には、不可視の真槍を構える、幼い顔つきの青年。獲物にとどめを刺す光悦の表情と目が合う。
 避けられない確信があった。
 時間が、止まった気がした。

「お別れだよ、バァーカ」


 大気の真槍がウェハブの中心を貫いた。




 鋭い痛みと共に、ただ、やられたという喪失感だけが大きくウェハブを支配した。

(くそ…失敗したなぁ。もうすこし足が速ければ届いたんだけど)

 足が崩れ、目の前の魔術士が歓喜の笑みで二槍目を振り上げる。

(簡単すぎる…。こんなもので終わるのか、俺の人生は)

 致命傷ともいえる直線の刺突が、鋏の腕の隙間を縫って進み、体に深々と突き刺さる。ウェハブは焼けるような苦痛を感じた。
 続いて、筋肉から力が抜けていく。熱が体を突き抜けて、周囲に霧散した。
 衝撃で体勢を崩し、心臓が潰された体を一秒でも永らえさせようと、反撃の戦術を高速で組み立てあげる頭の片隅、ウェハブはそのぽっかりと思考の空いた一部で考えていた。
 目の前の青年は、この理不尽な世界で、一体なにを思っていたのだろうか。

 思い出を駆けるウェハブの人生の中では、いや、上原文太の中では、喧嘩など数得るほどしかない、温和を好む青年だった。
 そんな人間が無理をした罰だったのだろうか。学生の時分など、彼は所謂(いわゆる)のクラスのご意見番ですらあった。
 善良なクラスメートたちは、いつでも彼をうとみ、またはその逆に過剰なまで気遣ってくれる。
 いずれも、一歩上の目線からだった。

(だが自分は、そんな人間の歪んだ感情さえ愛していた)

 心臓を貫かれたウェハブが考えたのは、痛みに耐えてなんとか生き残る算段でも、これまでの人生に対する後悔でもなかった。
 ウェハブは、眼前に迫る魔術士を、未だに敵として見ていなかったに気付いた。
 命がけの争いなのに、心の底では、この狂気の青年をウェハブは受け入れようとしていたのだ。
 そんな心構えでは勝てるはずがない。それがウェハブの誤算であり、どうにもならない感情の結末だった。

(全く、甘かった…。こんな様じゃ、やられても……仕方なかったな…)















 第四話 体の仕組みと心の仕組み









 八本の脚に力が戻る。身体を焦がす痛みを引きずり立ち上がると、未だに胸にひりつきが残っている。
 穿たれた穴は破壊の痕跡を実感としてとどめながらも、身体を動かす機能、動作にはまるで支障がない。
 何が起きているのか分からないが、助かったらしい。

「馬鹿が…。あーミスッた。殺しちまったわ」

 青年は髪を手でかき上げて、大して残念そうでもなく笑っていた。
 ウェハブは半ば、不意打ち気味を狙って鋏を振るうが、相手の胴を打ち払う前に避けられていた。
 至近から予備動作の無い一撃が余裕をもって見切られる。向こうも、反射神経は並大抵じゃないな。
 
「おい化物…てめぇなんで生きてやがる……」
 驚きと共に、憎憎しげに苛立った声がたった。
「甲殻綱の心臓は体の中央……確かにぶち壊したはずだが…あぁ?」
 ウェハブは立ち上がる蟹の眼球で相手を見つめる。
(意外と博識だな。だがどの道…)
 ウェハブは鋏を地面に突き立てた。
「答える必要は無いな、よそ見していていいのか」
 鋏を跳ねあげ、魔術士に向かい土くれを弾き飛ばす。視界を閉ざした。
「うぶわっ…てめ……ッ!!」
 即座に接近して裏拳を叩き込む。紫煙の立ち上がる鋏が、あばらを豪快に抉り、再び木の幹に吹き飛ばした。
 どの職業にもない、魔物特有の攻撃エフェクト、黒に近い紫の瘴気が打撃のさいに纏わりつく。そのワールド・オンラインでの現象が確かに再現されている。
「カハッ…!グッ…があぁぁぁ………」
 肺を圧迫され、血を吐いて襟元を赤く染めている。だが、地に転がる体勢から、即座に立ち上がってきた。
「許さねえ…殺してやる…てめぇはミンチだ、ひき肉にしてぶち殺してやる!!」

 


 可能性の一つとして考えていたことが、確信へと変わりつつある。
 再びウェハブの心に熱が入った。ガソリンを注ぎ込まれたエンジンのように、急速にテンションが回復しつつあった。

 HP(ヒットポイント)制。
 この世界で、異質なスキルと同様に、プレイヤーは全く別種の恩恵が備わっている可能性があった。
 死するその瞬間まで、どんな傷を負っても、身体の全ての機能を失わない。ゲーム内では、キャラクターがライフを喪失し、光の粒子に薄れて消えていくその時まで、ステータスの値に変動はなかった。
 折れた骨と切断された肉は瞬時に痛みを残すのみ。本来の傷害など一切関係なく、完全に作動し続ける。
 プレイヤーの怪異な能力をさらに強力に高める要素が、自分には授けられている。へし折ったはずの足で立つ標的にも、潰れた心臓で活動する自分にも合点が付いた。
 驚くべき怪異だ。さらこのことを知れば、明らかに悪化する意識をもつ人間が目の前にいる。
 ウェハブがこれまで獲物を狩る際には、慎重をきして深いダメージを負ったことはなかったが、その事が災いした。怪我を負う機会があればあらかじめ気付けたものを。

「分かってんのか…? クズが…弱いんだよ……弱いんだてめぇは」
 急に俯いたかと思うと、ブツブツと呟きながら、徐々に間合いを詰めてきた。幽鬼のように、枯れ木のように、一歩ずつを不確かな足取りで歩んでくる。
「レベル24だと…話にならねぇよ。こんなに痛くして、どうなるのか分かってるのかよ…。死刑だ…死刑だよ」
 金の瞳はうつろに宙をさ迷っている。
「あぁ…裏切りやがった能無しが…。殺してやる…」
 いつの間にか、歩み寄る足は、地面から浮いていた。

「そいつは無理だな」
 ウェハブは本心から口を開いた。。 
「お前と会ってからもう何度も殺すと言われた」

 蟹の魔物は、小さな牙を備えた口を器用に動かす。
「その内で、一度だって実現してない。そして今回も、同じだろうな。お前みたいなヤツは、口だけさ」
 一言で、瞳は見開かれたが、憎悪の言葉を放つことはもはやなかった。
 やっと黙ってくれたか。やかましくてかなわなかった。
 怒りを通り越し、というより病床のように蒼白になった表情で、月明かりの森の中空に浮かぶセラエノは、美しい造形も相まって。

(そう、まるで御伽噺の一場面だな)



 凄まじい速さで風が甲羅を削っていった。
 硬化スキルをほどこした両腕で、無呼吸に、疾駆する矢継ぎ早の槍の砲弾をさばいていく。
 視認は不可能。対手の手先の動きだけを追うしか透明な槍の軌道は掴めない。
 それもこの速度では到底望めることではない。ダボついた上半身の装備が手元を覆い隠し、さらに初動の見切りを困難にする。
 横方向の移動に特化した蟹の足でなければ即座に仕留められているだろう。

 上段の刺突を横に打ち払うと、得物を持ち直す動作もなく、次弾を下段に放ってくる。突き特有の引き戻しの動作はほぼ消えていた。それほどの速さだ。
 金属の領域にまで硬化したウェハブの鋏と、それすら寸断する圧力を秘めた大気の真槍。一合打ち合うごとに甲高い衝突音が響き渡る。
 ウェハブは低姿勢で木立を盾に森林を駆け抜けていった。下方へも殺傷力を落とさない槍の連弾、しかしウェハブの鋏が届くには一歩踏み出さなければならない。
 その上、低空飛行を続ける相手には、ウェハブは高さが足りないのだ。跳躍すれば確実に撃ち落とされる。射程の違いが攻勢を決めていた。
 だが、変異スキルなど以(もっ)ての外だ。人型になるあの隙を晒せば、即座に体中に穴を穿たれるだろう。

(このまま続ければ、詰んでしまう。ヤツのマナ総量が分からないが、俺よりは多いはずだ)

 五度目となる硬化スキルを発動させた。一定以上のダメージを蓄積させると、解除されるのが硬化の仕様らしい。
 磨耗しない得物を持つセラエノと違い、ウェハブはじりじりと体力を減らし始めていた。
 分かる。自覚すれば鮮明に自身の体調をつかめた。奇妙なフラスコから重要な何かが零れ落ち、次第に空になっていくイメージ。これがゲームでの赤い棒グラフ、ライフの役割だとすぐに理解した。
 直前で狙いを逸らしつづけて致命傷を避けているとはいえ、槍を払い落とすごとに衝撃が体の芯を揺らしている。
 ヤツの発言からレベルでは少なくない差をつけられているだろう、先の不意打ちの二発で体力差がひっくり返ったかの確証はない。第一、格上相手に長期戦だけは避けなければならない。
 接近はできないが、射程が離れすぎれば詠唱魔法の猶予を与えることになる。普通にやっては攻撃の手段がない。
 いつの間にか、高速で打ち合う二つの影は村の入り口へと戻ってきていた。

 まずい。木立が途切れれば隠れる場所がなくなる。開けた場所では槍は最大限の威力を発揮する。
 向こうもそのことは分かっている。
「ヒヒ……ヒハハハハ!」
 興奮を抑えきれず、口からはよだれを垂れ流していた。
「下品な野朗だ」
 ただ、嗜虐だけを、串刺しの刑を待ちきれないといったふうに。刺突が一層苛烈さを増す。

 木立の一層濃い場所。藪の下でウェハブは突然消えた。
 まさに森の途切れる場所に虚が生まれた。

「クソが、なんだ、この」

 セラエノの槍が一瞬獲物を失う。

 深い谷のような濃霧が急激に立ち込めた。
(…足りない射程は、登って稼ぐ!)
 ウェハブの鉤爪で跳ねるように木の幹を捕らえていた。
 さすがに樹上からならこちらが高い。白い視界にまぎれて魔術士の頭上から降り立った。

 しかし、慧眼はまるで当然のようにそれを捉えていた。
 焦りすら見せず、手先が槍を振るう。

「見えてんだよ」

 槍は正確な軌道で、影をつき抜いた。
 霧が晴れれば、それは切り落とされた木の枝だと分かっただろう。
「さすがだな」
 今度こそ本当にウェハブは頭上から踊りかかった。
 姿勢の崩れた背中に鋼鉄の鋏が振るわれる。

 血走った魔術士の瞳は驚きと怒りに染まっていた。
 そこからは速い。攻撃が届くまでの刹那、大気の槍は一瞬で反転してウェハブに襲い掛かっていた。

 はたと気付けば、蒼白の唇が何かの呪文を恐ろしい速度で嘯いていた。
(視界が開けている…!)
 瞬く間の詠唱で、霧は風で吹き飛ばされていた。
 誤算だ。しかしウェハブはそれでもやるしかない。

 仕込みはもう一つ。足りないなら、間合いを伸ばしてやった。
 ウェハブは、鋏に人の腕ほどの分厚い枝を挟んでいた。
 到達速度はおよそ2倍。敵に鎧がなければ十分な凶器になる。

 それでも上位レベルのプレイヤーとは互角だった。
 打ち合った二つの獲物の内、片方は真っ二つに寸断され、ウェハブは強かに打ち払われた。

 運悪く、飛ばされた先は木立の途切れる方向。
 勢いもそのまま、ウェハブは村へ転がり込んだ。脚を使って地面を引っかく。
 ウェハブの多脚で急激にブレーキをかけると、村の広場に六本の爪あとが伸びた。
 急速に運動エネルギーが消え、代わりに土煙が上がった。

 体が幾度の戦いの記憶をもっているとはいえ、ウェハブはウェハブでしかない。呼吸を荒げながら一人ごちた。
「嫌なんだがなぁ、仕方無いか。この野郎に殺されるのは、この上なく腹立たしい」
 意識せずに口調は少しはずんでいた。戦闘の高揚があるのかもしれない。

 ここからさらに奥深い樹林に逃げ込み、泥沼の逃走戦に引きずり込むことはできる。
 しかしウェハブは今度こそ覚悟をした。死に際の恐怖で手に入れた、自分が傷を負ってでも、相手を殺害する覚悟だ。
 それを薄めさせるのは、どう考えてもうまくない。









「しぶてぇなぁ。驚いたわ」

 青年は槍を担いでふわりと歩いてきた。
 変わらずそこにあるはずの槍は見えず、測れず、存在感だけが異様だ。

 顔は感心してる風だが、それは実際余裕の証のように見えた。
 ウェハブは自嘲した。

「不意をついてあれじゃあ、ちょっと救えないな」

 向こうと違い、息は乱れ切っている。少しでも調子を整える時間が欲しい。

「そういうのがうぜえんだよ。いいから、とっとと死ね」



 小さな身体がくの字に反れる。
 セラエノは、魔術士たる所以の槍を投擲した。

 目視は不可能だった。ウェハブは前方をがっちしと固め、風の槍を弾いて受け流した。
 全身を硬化しても体勢が崩れるほど衝撃がある。重厚な鋏がもろにかち上げられた。
 この姿勢では次の攻撃に対応できない。
 だがいかなる現象か、眼前へ迫ったセラエノの手には再び透明な凶器が握られていた。

 勝利を確信したヤツの破顔が見て取れた。

 確かに、こちらには攻撃を防ぐ余裕はなく、向こうは万全の状態だ。
 絶体絶命と言えるだろう。
 だが笑っていたのはウェハブも同じだ。それを勘違いだと教えてやろう。

 同時に変異スキルを発動させる。ウェハブの体を瘴気が飲み込み、肉を砕いて新たな姿へと改竄されていく禍々しいエフェクト。
 闇夜に尚暗い紫煙から人の姿をかたどった魔物が生まれようとしていた。
 一瞬の躊躇に身をこわばらせるが、すぐに相手は発動した能力を思い当たったようだった。
 生態種の変異自体はそこまで珍しいものではない。長くワールド・オンラインに入り浸っていれば、他のプレイヤーのそれは、確実に一度は見る光景だ。
 使えばウェハブとて例外ではなく、システム上の隙ができてしまう。それは致命的な時間だ。こんな隙は見逃される訳がない。
 そして、そうでなくては困る。


 先に組みあがった右足でウェハブは地面を強烈に蹴った。 
 青黒い長躯。人型の身体。その踏み込みと同じくして、恐ろしい速度で迫る、音速の壁をやぶる衝撃波を伴った槍先。限りなく感覚が加速されていった。
 セラエノの瞳は、ウェハブの全てを見逃さんと見開かれている。
 体が編まれる。必死に全身がよじるが遅すぎる、左胸を真槍が貫いた。かろうじて心臓は避けたが致命傷はまぬがれない。
 同時に、複数の穴が体に空いた。真空の穂先は、その数を増やしていた。風の真槍が、ウェハブを通り抜けていき、血液を奪っていった。

 自分の中から急激に失われていくものがあった。生命力、死の恐怖に思考が真っ白く染まり、冷や汗が流れる。二度の深刻な負傷、おそらく次弾には耐え得ない。
 チャンスは一度。無理矢理に苦痛に悲鳴をあげる身体を無視して、左足で跳ね、セラエノへと飛び掛る。

「あ、は。死…ね…!」

 相手の言葉が遅く聞こえる。

(まだだ!)

 ヤツはこの身体の仕組みに気づいていない。恐らく薄っすらと感づいているかもしれないが、怒りで思考の余地を失くしていた。そこが、唯一つけいる隙だ。
 左胸の穴はまたすぐに塞がった。

 ここで、ウェハブの常在スキルが発動した。
 カウンターという名のそのスキルは、相手に攻撃を受けるとそのダメージに対応して、次の一瞬、与えるダメージを大幅に上昇させてくれる。
 これこそ、正面からの力押しを得意とする真髄であり、根幹であった。
 カウンターは、具体的には、驚異的な身体能力の上昇をウェハブにもたらす。

 判定にしてわずか四分の一秒のチャンスをウェハブは正確に捉えた。
 腕を広げ、背中に手を回して、正面から捕まえた。その衝撃に、青年はあえぎ声をあげた。
 大気魔法の信徒を捕らえる、驚異的な速度だった。
 悪いが、筋力には自信がある。着地と同時に強力に締め上げた。

「ぐっ……クソがぁ…なんのつもりだッ…。離しやがれ…!」
「つれないこと言うなよ。抱きしめられるのは嫌いか?」

ようやく小鳥は鳥籠に入った。
逃がすわけはない、とウェハブは笑った。

「なんで死んでねぇ…。こんだけ穴だらけに、してやっ…」
「スキル、ニードルヘッジ」

 瞬間、巨大な群青色の棘がウェハブの全身から伸びた。
 青い人影は、硬質の殻を纏った針の剣山となる。

「ガッ、グッ………ギャアアァァァ!」

 そしてその茨の体に抱かれたものは、そのまま刺し貫かれている。
 一瞬遅れての反応だった。
「ああぁああ!…離せ、離せよ!ぐぎゃあぁぁ!」
 セラエノが暴れると溢れ出した血液が地面にぶち撒かれた。それでも死ぬことはない。
 刺さった棘のせいで、ライフは減少を続け、破壊と再生を繰り返す肉体は激痛という叫びを上げ続けている。気絶も許されない。
「痛い…痛い…!離せ、離してよ…離してよぉ……うぁぁあ!」
 生きながらの拷問だ。耳元で聞こえる半狂乱の悲鳴。
 涙ながらのセラエノの抵抗は意味を成さなかった。必死にウェハブにこぶしを打ち付けるが、硬い殻と針にあたって手の皮が擦り剥けるだけだった。
 途中、怒りで理性を取り戻し、詠唱スキルを試みるが、腕に力を込めると口から出る呪文は泣き叫ぶ声にかわった。
 そのまま村の西側までかかえて歩く。
「痛い……痛いよ!あぁ…動かないで、やめてよ、動かないでよ」
 騒動に目を覚ました村の住民が窓から覗いている。目が合った。恐怖に怯えた瞳からに喜びはない。自分達を支配していた人間が、化物に葬られているのだ。
 願わくば、両方、共倒れになるように願っていたのだろう。俺達のような怪物は。

 セラエノの敗因は、身体の仕組みに気付かなかったことだ。
 俺たちには即死以外はかすり傷に等しい。傷を負った相手が尚も強力になって襲い掛かるとは予想できなかっただろう。

 山村の娘から、村を出る際に詳細にではないが、胸に抱く青年のことは聞いていた。
 屋根の低い石造りの建物の前にたどり着くと、ウェハブはスキルを解除した。尖った棘は次第に縮み、やがてなだらかなブッシュシザーの甲羅に戻っていく。
 栓が抜けたような出血があった。
「死んだか? まだ生きてるか」
 セラエノの腕を掴むと、無造作に建物の扉に向かって投げ飛ばした。
「…ああっつ、ぐっ」
 肩の骨が砕ける感触がした。扉にぶつかった勢いで中へと転がり込んでいく。少年のように小さな体は予想以上に軽く、床を何度も跳ねたあとに壁に衝突して止まった。
 全身が痙攣し、痛みと恐怖で、涙と鼻水を垂れ流していた。背の羽は血と泥で見る影もなく痛んでぼろきれになっている。
 地面に力なく横たわる姿からはもはや抵抗の意思は感じられない。理性を完全に奪うありったけの苦痛を味わっていた。
 ウェハブは納屋を見渡すと、今や長身となったその体躯で、真正面から睨みつけた。

 敵がどんな状態でも緩めることはない。殺す覚悟とはそういうことだ。

 半日前に息絶えた男が、ウェハブの頭に浮かんだ。
 その男は、ゲームのキャラだからいいだろう、なんて理由で、実に気軽に、何の感慨もなく殺されている。

「どうした、お前もここじゃ同じゲームのキャラクターだろう。感じてることも嘘なんだろう。なら、死ぬのが怖いわけないよな」

 這いつくばる大気の魔術士は表情を凍らせた。
 ご多分にあてつけがましい言い方だ。ウェハブは怒りを隠さなかった。
 一歩近づくごとに、青年は足音の振動にビクつく。痛みと死の恐怖、その実感で心の防壁はすでに壊れていた。
「ヒィぁ。く…来るな」
 ウェハブが歩きを止めないと見ると、だだをこねる子供のようわめき散らした。
 錯乱したセラエノの嘆きは、半ばウェハブを対象にすらしていなかった。ただ、ただ恐怖に怯えている。
「なんで、なんでだよ…なんで…クソ!邪魔ばっかしやがって…ふざけるな!てめぇ、せっかく気に入ってやったのに、裏切りやがって!いつもそうだ、いつもそうやって…もう嫌だよぉ!」
 また一歩踏み出す。村の食料庫の、石畳の床と、硬い殻の足裏がかち合う歪な足音。
 狂乱となって、少年は叫び続ける。
「せっかくうまくやってたのに、いつもそうやって力でぶち壊すんだ。おまえらはいつも自分が正しいって顔して、ゴミを見るみたいな目で……来るな、来るな来るなぁ!近寄るな馬鹿!」
 瞳からは、次から次に涙が溢れ出している。ワールド・オンラインへの転移が与えたストレスが限界を迎えていたせいもあるだろう。
 青年の目には、目の前の光景とは違う世界、過去が映されていた。かつて過ごした、薄汚い裏路地の情景。
 生まれてすぐ残飯のように打ち捨てられ、疎まれ、蔑まれた日々。目が合っただけでリンチにされたつまらない過去だ。
 さらに一歩。いくら叫んだところで強壮な歩みを止めることは叶わない。
「い…嫌だ…。来ないでよぉ…」
 すがるよう、部屋の隅へと這いずっていく。
 そこには、日のたっていない真新しい血溜まりの後があった。石床の色が黒ずんでいる。
「お前がこの世界で初めて人を殺した場所だな」
 首を振って周囲を見渡す仕草。何の変哲もない、村の食料の貯蔵庫。
「ヒィ…」
 ウェハブの抑揚の無いその言葉に、同じ場所で自分の終着を宣告されていると受け取ったのか、あからさまな絶望が見て取れる。
 すでに二人には数間の距離もない。
 一歩、近づく。
「来ないで…来ない…やだよ…家に、帰して…よ……。帰りたい…よ……」
 手を伸ばせば届く距離。
「お願い…来ない…で…」
「ああ、そうだな。俺も家に帰りたい」
 ウェハブはゆっくりと歩み寄り、小さな体をそっとだきしめた。
「……え?」 
 硬化のスキルはかかっていない。尚、硬くとも、体温を感じさせる生き物の温もり。
 ウェハブの腕に抱かれて、少年は驚いたようにビクつく。そして放心した。
 軽い抵抗を示す顔はその内、恐慌の混乱から、驚愕に移っていた。
「は、はなせ…よ」
 小さな手が必死にウェハブを押しのけようとする。さっきの攻撃のせいだろう。

 こんなこと、計画していたわけではない。
 だが、眼前に同郷の人間を追い詰めたとき、ウェハブの心に大きな恐怖が生まれた。鋏と槍が交錯した戦闘で、興奮以上に、自責の疑問が浮かび上がってきたのだ。
 このまま戦って、そしてどうするんだ。出会った人間が、殺しあって、その先で、自分は、この世界でどうしていこうというんだ。
 きっと俺は変わってしまうに違いない。一人殺し、二人殺し、やがて遠くない未来、この世界に住んでいたブッシュシザーという魔物に今度こそ成り果てているかもしれない。
 トドメを刺そうとする刹那、ウェハブの感情は今まで怒りとは逆転した。

 決死の覚悟を臨んだ上原文太は、ここ正念場に至って、希望を捨てきれずにいた。
 友好の希望と言葉にすると、これほど陳腐なものはない。だがかつての人間の心が、自分自身を捨てたくないと、切実に訴えている。
 その一念が、捕獲した敵を開放するという危険な賭けに彼を引きずり込んでいた。
 ウェハブはわざと無防備な姿勢になった。言うならば断頭台に首を置いて、剣を持った相手を説得しているような危うさだった。

「…俺は、お前の、敵じゃないんだ。せっかく会えた人間を、なんで殺さなきゃならない。そんなの嫌だ」
 だが、その剣を握った人間こそ、最も近しい存在なのだ。

「なんていうか、うまくは言えないんだけど、嫌なんだ」
 自然と声は震えた。ウェハブも戦いの恐怖で、やはり泣きそうになっていた。ひどく臆病になっているウェハブの弱い部分だ。
 考えてみれば、二人とも、知らない場所に放置された、ただの一般人でしかない。
 血まみれの日常の知識になんて巻き込まれても、心がついていくわけなかった。
「俺も、こんな世界に来て、こんな体になって、本当は嫌で嫌でしょうがないんだ。なんでこんな、理不尽なことがあるのかって。人間と会うたびに…化物だって悲鳴をあげられて、気持ちの悪い生の肉を食うんだ…嫌なんだよ、辛くて寂しくて……な……同じだろう?」

 お互いに間近で顔を見合わせている。ウェハブは軽く目を細めて、唯一魔物に変化していない素顔で、強引に笑ってみせた。

 少しの間、静寂が場を包んだ。

 なんとも醜悪な笑顔だ。汚い造詣の顔には涙が滲んでいる。
 それで、限界だった。
 小さな体が小刻みに揺れだし、青年の幼い顔つきは、次第にクシャクシャにゆがんで、唇が震えている。
「ど、け…ったら」

 ウェハブの甲殻を押しのけて、セラエノという名の小汚い青年は、倉庫の壁に縮こまってしまった。

 そしてしばらく、その背中から、しゃくりあげる嗚咽が続いた。
 夜の空気が戦いの熱を冷やして、ようやく頭から怒りが引き始める。そうすると今度はそれが不思議と、たまらない寂しさに変わり始めた。

 セラエノは、まるで大人にいいわけをする子供のように、溜めていたものをゆっくり吐き出した。
「仕方なかっ……んだ……、何日も……森で迷って…怖くて…ずっと、不安でそれで…それで…」

 拙い言葉が、途切れ途切れに流れた。ウェハブはそれを、何も言うことなく聞き入れた。
「お腹がすいて…それで…やっとここに、来て……」
 ところどころで鼻水をすすりながら、ゆっくりと吐露しだす。
「そ…たら、誰かが後ろから……扉…開けて。誰だ……って、大声で叫んで…びっくりしたから、わざとじゃなかったんだ。怖くて…魔法が出て…風が飛んでいって、その人が………人が…」

 ウェハブは、金色の瞳を見つめて、先を促した。
 セラエノは下に俯いた。

「バラバラに、なった…ん…だ」
 最後の方はかすれて殆ど聞き取れない。

 見知らぬ土地に放り出され、自分を殺そうと魔物が襲い掛かる恐怖と空腹は、ウェハブには理解できなかった。
 深い森に安全な場所などなく、満足に眠ることすら許されない。それはどれほど不安なことだっただろう。
「あんなこと…する…つもりじゃなかっ……んだ…でも…血がいっぱい出て…体中が、血まみれになって…たくさんに切り分けられて!」

 小さな指先が、納屋の地面を引き裂く。
「怖くて……怖く……。おかしく…なりそうだった。ゲームのキャラだから……って思わないと…、とても…耐えら……なかっ……ん…だ…。 ごめ…な…さ……」
 青年は言葉にならない感情を吐露する。
 それは、懺悔だった。



 ウェハブは静かに、セラエノの前まで歩く。相変わらず、顔は伏せられていて、よく見えなかった。
 小さくなって泣いているその姿に、胸の奥で燃えていた炎が、急激に小さくなっていくのを感じた。同時に、この幼い子供のような同郷の人間への嫌悪が綺麗さっぱり消えていることに気がついた。
 膝を折って、気遣うように手を伸ばした。

 ウェハブは胸に軽い衝撃を感じた。
 胸に両のこぶしと、伏せた顔を押し当てて、セラエノは、むせび泣いていた。
「………そうか」

 たった一言だけ、そっとあいづちを打つ。


 別世界の疎外感が同郷の人間だけが分かった。
 その後は狭い倉庫の中で朝を迎えるまで、幼い身体の青年は、大きな腕の中で眠った。
 同じ経験だ。きっと彼にとって、これが本当の意味で初めて安心して眠れる夜なんだろうな。ウェハブがあの老人の家で寝たように。
 ウェハブは小さくため息をつく。
 なめらかな黒い髪。安らかな寝息をたてるこの小さな同胞の寝顔を見つめていると、問題は山積みだが、少しだけ心が満たされた気分になっている。

 彼がしたのはなんとも都合の良い言い訳だった。自分勝手に人を殺してしまって、今更になってやっとその事実を認めている。人殺しが怖くて、自分はゲームの人形を壊しただけだと言い聞かせていた。
 とんだ責任逃れだ。だが、そんな子供の言い訳は今夜でようやく終わった。こいつはもう成長した。
 自分も、覚悟というものを理解し、それを踏まえたうえでの選択ができるようになった。
 起さないように注意して、静かに蟹の姿に戻る。人の姿のままだと、結構集中力を使うんだ。

(やれやれ、俺も随分と疲れた。よく生き残れたもんだ)

 そう苦笑して、この穏やかに流れていく時間に身を任せた。下手を打てば俺はあっさりと殺されていただろう。
 ウェハブも横から聞こえる寝息にならって、意識を手放した。もうこんな危険な真似はしまい。
 肉体は岩のように重く、ウェハブは一晩中泥のように眠った。
 朝までの少しの間は仮初めの平穏、未だに二人はワールド・オンラインの争いの運命の渦中にある。あどけない少年の横で、寄りそって眠る大きな蟹。
 構図はてんでデタラメなくせに妙にしっくり来る、不思議な不思議な光景だった。















 じりじりと回復を続けるヒットポイントは、そろそろ中ごろまでの回復をみていた。
 凡そ半日の休息のおかげで、思ったよりも疲労は取り除かれている。

「んで、これからどうするよ?」
「そうだな……よし、まず村のことを片付けるか」

 眠りから覚めると早速不遜な口調を取り戻したセラエノが顔を曇らせる。自分が奴隷としてこき使ってきた人間達のことだ、当然だろう。

 倉庫を出たときの時刻はすでに昼前、雲ひとつ無い快晴の青空が頭上にひろがっている。
 扉を開けると、寝すぎたせいだろうか、鳥のまばらなさえずりが近くの木々から聞こえてきた。
 春の風が気持ちよく肌を撫でていく。
(いい朝だ。旅立ちには最高だな)
「泣いたせいか、すっきりしたな」
「うるせえ。てめぇもいつか……同じ目に合わせてやる」
 冷たい井戸水を飲んで、一息つくと、村の人間をすべて中央の広場まで集めさせる。
 何が起こるのかと、皆一様に不安がっている様子だ。こういうことは早い方がいい。
 ウェハブが口を開く。
「すでに知っている方が殆どだと思いますが、最近この近くに強力な魔物が潜伏しています。人質になっていた子供達からは追跡の魔法を解除しました。納屋の鍵はすでにあけてあります。いまから各自準備を整え次第、いち早く国から指定された安全な場所へと、移動してください」

 魔物が言葉を話すことに驚いたのが大半の住人の反応だが、言葉の意味については尚も理解が困難だったに違いない。
 ウェハブは、同様の内容の話をもう一度繰り返した。

「……それから、こいつが言いたいことがあるそうです」

 セラエノが何歩か前に出る。汗ばんで、緊張している様が見て取れた。
「…すいませんでした。この村にしたこと、ボクが間違っていた。あやまらせてください」

 そういって頭をペコリと下げる。この腰を折って顔を伏せる儀礼が今いる大陸の文化で通じるかは不明だ。
 村人たちは唖然として立ち尽くすのみだったが、次第に波を打つようにざわめきが広がっていく。
「ちなみに、決して手は出さないそうですから、存分に痛めつけてもらってかまわないそうです」
 
 それぞれが困惑した表情でお互いの顔を見合い、囁きあっている。
 異様な空気が人々の間から立ち上がっていた。横暴な支配者が、一変した低い態度でいた、何が起こっているか分からない。それ以前に、魔物が喋る怪異は一体。
 そのざわめきが頂点に達したとき、一人の男が飛び出すと、声をあげてどやした。
「ふざけるな!なんなんだよおまえら…何が謝るだ!」
 考えてもみれば、魔物が、そう、化物が同じ化物を擁護(ようご)する構図だ、冗談にすらならない。
 拾った小石をセラエノに投げつける。頭にあたって、血が流れた。
「ちょっと。およしよ、危ないよ」
 中年の女性が制止するが、耳を傾けない。
「うるさい…!こんなヤツのせいで、死んだ連中が浮かばれるかよ!」
 ウェハブは誰にともなく投げられた質問に答えるため、途中、一気に口出し、説明する。
「俺の正体を聞いたな。ただ、こいつを打ち倒した人間だ。呪いをかけられて、魔物に姿が変えられてるとでも思ってくれ。気にしないことだ。同郷の人間が厄介払いにやってきたんだ。後はそちらの自由にするといいよ」
 その声をきっかけに、徐々に群衆の雰囲気が変わっていった。憎らしげな目つきで青年を睨みつけ、口々での罵倒を始める。
 それでもセラエノは一切を甘受している。
 奴隷にされた住人の恨みは根深いものだった。皆が足元にある小石を力にまかせて投げつけた。八つ裂きにするまで許すことはないだろう。集団の心理も手伝い、次第に怒りを露わにしだしていた。
「アンタ!本当にこいつは手を出さないんだろうね!」
「あぁ、本当だ」
 ウェハブは短く答える。

 騒ぐ住民の中から女性はゆっくりセラエノの前まで詰め寄ると、頬に思い切り拳をぶつける。鈍い音がした。
 そしてそれを皮切りに、村人たちは叫び声あげて暴行を加え始める。子供の容姿だからとて容赦はしない。地面に蹴り転ばされ、罵倒と共に幾度も踏みつけられた。
 それをうめき声もあげずに、青年は受け続ける。これは、村でかなりのことをしていたな。
 いつの間にか農作業用の桑(すき)や鋤(くわ)を持ち出し、なぶり殺そうとしている。
 訓練も積んでいない人間の攻撃で一気にライフが削りきれるとは思えないが、さすがにあれは痛そうだ。

 ウェハブは嬉々とした表情で、凶器を振り上げるまだ若い村の男の背中を、鋏を丸めて殴った。
 バランスを崩して、前のめりに派手に倒れる。
 群衆は一斉に振り返った。殴られた男が手を鼻に当てて痛みをこらえ、口を開く。
「なんだ、…ま、魔物め! 約束が違うぞ、絶対に俺達に手を出さないんじゃなかったのかよ!」
「こいつはな。手を出させない。だが俺は違う。俺は手を出す」
 ウェハブはつけたす。
「悪いが友人がやられるのは見てられないんだ」
 セラエノを囲む数人を鋏の腕で転ばせると、セラエノの手をとった。勿論、手加減はしてある。

「おい…。これどうすんだよ…」
「そうだな、取り合えず……逃げるか?」
 二人は息を合わせ村の出口へと駆け出した。
 背後からは阿鼻叫喚の罵声と悲鳴。逃げ惑う住人と、罵りの言葉と石を投げつける人間に分かれた。コツコツと甲羅に投石が降り注ぐ。
 二人は走りながら会話する。
「ちきしょう…いってぇ、クソ!あいつら本気で殴りやがって!こっちが手ぇ出さねえのをいいことによ…ああ…ムカつくな! てかよ、これなんか意味があったのか!」
 早口だな。舌を噛むぞ。
「さあな? 意味があったのかも知れないし、無かったのかもしれない」
「てめぇ……」
 憎むべき対象に謝罪された、実際は逆効果だろう。行き場を失った怨恨ほどつらいものはない。

 だが、そんな村人たちの心まで気にかけている余裕なんてない。二人とも、別段、善人ではないのだ。

 朝起きたセラエノは、得意なものを仕損じたような煮え切らない顔をしていた。
 ウェハブはそれを見て、謝ってみてはどうか、と提案した。
 結果、勿論許しが得られたわけでも、免罪符を得たわけでもない。だがこうして走っていると、なにやらウェハブの口元には笑みが浮かんでいた。

「けどすっきりはしたろう?」
「知らねえよ」

 それにしても、こいつに限っては、親愛の度と口調の丁寧さはまるで比例しないらしい。逆に遠慮がなくなった分、口が悪くなったんじゃないか。ウェハブは思った。

 

 やっと足を止めて振り返ると、地平線まではるかに広がる樹海と、灰色の岩石で鋭くそそりたった山脈が見えた。
 中々に絶景だ。青空と緑の境界は果てしなく続く世界の広大さを感じさせてくれる。その先には何があるのか、少なくとも手前の森の中には潜んでいる脅威を差し引いても、何故か気分は悪くない。
「大体昨日のもよ、ありゃ洗脳みたいなもんじゃねえか。てめぇで嬲って、助けるとかよ。忌々しい……地獄だったぜ、あの痛みの恨みは絶対忘れねえからな」
 セラエノは可愛げなく呟いてから、こっちを見た。
「で、これからどうするよ、どこ行くんだ」
「元々はこの国、ニルフ領国の首都に向かうつもりだったんだ。人の集まるところだから、情報も集まると思う。他の同郷の人たちも気になるしな」
 自然、セラエノは着いて来ることになっていた。
「つまり、何も考えてねえのか、まあいいがよ」
 ぶっきら棒に口をとがらせて言われると、本当に子供を相手にしているみたいだ。これはこれで、中々かわいいのかもしれない。
 ウェハブは頭に手やって、そっと撫でてみた。手触りが伝えにくい殻の肌だが、ふんわりとした感触が気持ちいい。
「おい……てめぇ…、次やったらぶち殺すぞ蟹達磨」

「だけど出発の前に寄る所がある、ちょっとここで待っててくれ」





 ウェハブは少し横道に逸れると、雑木林を潜り抜けて草地へと入り込んだ。
 あった。一日前と同じ姿で横たわる男の遺体があった。動物には食い荒らされていないようだ。
 横からひょっこりと魔物が現われる。子狐だ、まだついてきていたのか。もしかするとこの子が他の動物から遺体を守ってくれていたのかもしれない。
 男が眠る顔を見つめてみる。
 別段、特別な感慨は湧かなかった。あの少女たちは、爺さんのことだ、うまくお節介を焼いてもらっていることだろう。
 地図も持っているし住み慣れた地元の森だ。迷うことも無い。それが出来るくらいにはしっかりしていそうな少女だった。
 色々なことが一気に起きて、感傷的になる暇がないのか、それは分からないが、とにかく約束は果たせたと思っていい。
 たとえ体は異質でも、他人と、人間との心を通わせることができる。ただの自己満足かは定かではないがそれが分かった。
 ウェハブは遺体を街道まで運んでいく。
 ここなら村から出ようとする人間に半日と経たずに発見される。葬ってもらえるな。

 子狐はウェハブの背中の甲羅に飛び乗った。
 しばらくの同行でここが定位置となっている。ウェハブはさして気にするでもなく、八本の脚を動かしだした。



「……あん? なんだその魔物は、なんかのガキか」
 セラエノは不審そうな目で子狐に目を向ける。無理もない。ウェハブもいつから、なぜこんなことになっているのかは忘れていた。
 逆からも同質の視線がセラエノに向けられる。
 白い柔肌に黒髪、丸い金の瞳を持った少年の姿と、橙のやわらかい毛皮をもった可愛らしい獣とが見詰め合う。牧歌的な光景だ。
(実際は、悪魔と魔物なんだがな…。どちらにも、言うだけ無駄か)
 本人は気が付いてないが、その光景をどうにか治めようと一人と一匹の仲を取り持つ蟹の姿が、場の絵柄のおかしさに拍車をかけていた。

 セラエノはウェハブを見て言った。

「言っとくけどよ、今回はボクの八つ当たりだったし居心地悪ぃから殴られてやった。けどよ、元々弱いやつ等が虐げられるのは当たり前だ。その考えは変えるつもりはないからな」
「ああ、それでいいと思うぞ」
「やられる方も悪いんだよ、力がねえのもあいつらだ。ボクはそうやって生きてきた。これからも邪魔するヤツが出たら、たぶんぶっ殺すからな。第一ここはそういう世界だ」
「ああ、勿論だ」
 こいつにとって、覚悟をもって殺すこと、それが礼儀であって、すっきりすることなのだろう。
 ウェハブも同様のことを考えていた。自分は異質であり、魔物という邪悪。いつか何かと衝突することになるはずだ。殺すことをためらえば殺される。


 およそワールド・オンラインに転移した人間達の中で、最も奇妙な組み合わせの一行が、冷涼なる森を北へと歩を進めていく。
 目指すのはエルフと人間の住まう首都サーディアの街。子狐の魔物は一つだけ、彼女の強大な眷属が、眼下の村を見過ごしてどこかに消えたことだけが少し気にかかっていた。

 初期の3万を越す転移者たちは、すでにその数を二千ほど減らしている。
 徐々にだが確実に、この大地に生きる全ての者達に、プレイヤーの出現は影響を与え始めていた。
 


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.033849000930786