風も吹かぬ、暗い暗い、深い深い密林。幾本もの太い木々が一面に立ち並ぶそこには、しかし大きな道があった。
人間による干渉を受けていない手付かずのはずの密林は――――迷宮の六十階層。迷宮の一部として生まれたが故に、初めから機能としての道を持つ、歪な密林だった。
……門番は、あの木か。
思い出したように獣の雄叫びが響く、不気味に静まり返った密林。裕に三人の人間が横にならんで剣を振れるほど幅がある道から外れた、生い茂る木々の内の一本の太い枝の上で、ヒタキは一度大きく深呼吸した。
迷宮の十階層ごとに、俗に「門番」と呼ばれるモンスターが存在する。
門番とは迷宮のシステム上に存在するものではなく、探索者たちによって定義されたものだ。
迷宮は十階区切りでがらりと環境が変わる。門番とはその一つの生態系の頂点に君臨する者――つまり十階層ごとの王者のことだ。
門番の呼び名は、多くの王者が次の階へと続く門の近くを寝床にしていることに由来する。勿論全てが全てそうであるわけではないのだが、六十階の門番は、由来通りの門番だった。
密林に群生する木々はどれも人間の胴体より四回りも五周りも太いが、自然の中に溶け込んだヒタキの視線の先にある大樹は、それらを十本束ねても足りないほどの大きさを持っている。
大樹の怪物フンババ。それが密林の六十階層の全ての道が収束する、拓かれた空間の中央に居座る、門番の名だった。
迷彩柄に染められたローブで全身を隠し、息を殺して樹木と同化するように潜むヒタキのすぐ隣の木を、アイスリザードが登り始めた。
意識の片隅でそれを察知したヒタキは、脳内で組み上げていた数個の案を瞬時に破棄して、迷いなく別の枝へと飛んだ。
加護のない人間(レベル1)では打倒不可能とされる、Eランクに分類されるアイスリザードに感知されれば、生存率は極端に落ちる。
レベルにして1、ランクにしてFでしかないただの人間。格上の生物しか存在しない六十階層を、ただの人間であるヒタキが生きて出る最も安全な方法はとは則ち、数いるモンスターの感知範囲を掻い潜る移動。
静かに、されど迅速に、ヒタキは枝から枝へと飛び移る。木々の上にいるモンスターたちの隙間を縫うように、立体的に縦横無尽に駆けて目指す場所は、門番フンババの住処である、密林の拓けた空間。
五十一階から六十階は、ヒタキにとって最も攻略し易い階層だった。密林という構造状、隠れる場所と移動可能な空間に富んでいるからだ。
「……だってのに、最後の最後で一番苦手な状況。嫌だな、ほんと」
小さくぼやいて、移動方法を完全に直進へと変えたヒタキは、最後の枝を強く蹴り、フンババの前へと飛び出した。同時に、幾つかの影も密林より飛び出す。
勢いをつけた高所からの跳躍は、一気に大樹のモンスターまで残り二十数歩まで距離を潰す。
そして着地の衝撃を、そのまま前方に転がることによって推進力へと変えたヒタキは、起き上がるなり全速力で駆け出した。
背後には、最後の加速によってヒタキの存在を感知した、何匹ものモンスターが迫っていた。
純粋な速度で劣るヒタキの背中に、雄叫びを上げるアースウルフの凶爪が迫る――
「…………っ!」
――が、しかし、アースウルフは突如大地を突き破って出現した、強靭な太い根の一撃によって吹き飛ばされた。
間一髪で斜め前方に飛び込み、再び大地を転がって難を逃れていたヒタキは、息を殺して足音を殺して、素早く移動する。
大樹の化身であるフンババには、視覚がない。その代わり、それを補い余るだけの触覚がある――という情報を、ヒタキは先日迷宮都市の情報屋から仕入れていた。
地中に張り巡らされた幾本もの根が、移動時に発生する大地の振動を正確に捉え、位置を捕捉した敵を排除する。四方八方から迫り来る強力な幾本もの根の攻撃――それがフンババの真骨頂である。
慎重に慎重を重ねて、それでも迅速に足を前に運ぶヒタキの後ろでは、アースウルフが、アイスリザードが、フォレストゴブリンが、大樹の根の乱撃に巻き込まれて徐々に血達磨となりつつある。
Dランクのフンババの領域に踏み込み、無事でいられるEランクのモンスターなど存在しないのだ。
ヒタキは数歩先にまで迫ったフンババの幹と、大地の隙間に僅かに見える、装飾が成された階下への門の入口を確認し、静かに大きく息を吸い込む。
そして短く強く息を吐き出し、跳躍に必要な筋力を全力で稼働させた。
飛翔、そして着地。大きく前方に飛んだヒタキは、そのまま革のブーツで地面を削りながら、大地と二股に割れた幹の隙間にある空間へと身体をねじ込んだのだった。
――――近くに落ちていた、細身の長剣を掴み取りながら。
* * *
「今日はまた随分とだれているな」
憩い亭のカウンター席に突っ伏していたヒタキは、すぐ近くの階段の上から聞こえてきた鈴が鳴るような澄んだ声に、むくりと緩慢な動作で顔を上げた。
「……あ、おはよう」
「ん、おはよう、ヒタキ。毎度のことながら、もう昼を過ぎているがな」
すでに指定席と化した端から二番目のカウンター席、つまり自分の隣に座るヴェルマ。三日ぶりに見るヴェルマの顔に、ヒタキは僅かに頬を緩めた。昼夜が逆転しているヒタキと、まともな探索者たちと同じリズムで生活を送るヴェルマでは、顔を合わせる機会があまりないのだ。
「ヴェルさん、今日は休み?」
「ああ。昨日十階を抜けたからな、一旦休憩だ」
「え、もうか」
「まだ最初なのだから、このくらいは当然だろう」
迷宮は下に下に行くほど広くなる。最初の十階は確かに狭いし、加護がなくとも倒せるランクのモンスターしか出ないが、それでもこれだけの速度で十階を踏破できたのは、ヴェルマの元の実力があってこそだ。
一度見たヴェルマのあの体捌きと魔術は、外の世界での相当な鍛錬を容易に想像させた。
本当に当然のことだと思っているらしいヴェルマは、厨房の奥で豪快にフライパンを振っている店主に紅茶を注文して、再びカウンターに上半身を投げ出したヒタキの顔を覗き込みながら、小さく首を傾げた。
「ヒタキの方はどうだ?」
「俺も今朝、六十階が終わった。門番に半分門が埋まりかけててさ……うん、ほんとに死ぬかと思った」
「ああ、それでそんなに疲れているのか」
「だから、今日は俺も自主休業する。生活費も拾えたし」
懐に余裕が出来そうだし、無理をしたばかりだし、今日の夜も迷宮に潜る理由はなかった。この都市から逃げ出すのが少し遅れるが、時には適度な休息も必要なのだ。
せっかくの休みだし、今朝拾った剣がそこそこの値で売れたら、今日はミルクを飲んで贅沢しようかなあと、気の抜けた顔でぼんやりと考えるヒタキだった。
数日の疲れを癒やすために、ゆったりまったりと寛ぐ二人に、近づいて来た店主がカウンター越しに声をかける。
「臆病者と幼児の会話には聞こえんな」
「幼児、だと……?」
「外見の話だ。否定は無理だろうが、その体じゃあ」
「ぐっ……ヒ、ヒタキも何か言い返せ。客に最悪な暴言を吐くこの前科持ちに」
「いや、実際逃げてばっかの臆病者だしな、俺。ていうか、ヴェルさんもけっこう非道いよな」
暴言を標準装備としている店主の乱入で、まったりとした空気が多少荒れるが、ヒタキはこの雰囲気も嫌いではなかった。
「難易度は低いが、大概の奴は最初の十階で手こずる。数日で抜けられるのは、それこそ相当戦い慣れた人間くらいだ」
少しむくれ気味のヴェルマの横顔を、カウンターの上でダレたまま、あくまでものんびりと見ながら、ヒタキは店主の言葉に耳を傾ける。わざわざ自ら会話に割って入ったということは、何かしらあるということだ。
「実年齢を知らない奴がお前の話を聞けば、冗談だと疑うか、的外れな勘違いをするかだろうよ」
乱暴にそう言って、店主は入れたての紅茶をヴェルマの前に置く。ヴェルマはそれを手に取り、ゆっくりと口を付けて、小さく頷いてみせた。
「そうか、勘違いか。ん、ありがとう店長。今日も紅茶は美味しいな」
凶悪な人相のくせに親切な店主に、機嫌を直したヴェルマは小さく笑った。本人にそんなつもりはないのかもしれないが、最初の暴言が照れ隠しに思えてくるのだ。
遠回しな忠告だけをして、店長は再び厨房の奥に戻って行った。
しばらく紅茶を啜るヴェルマを見ていたヒタキは、一度大きく欠伸をしてから、のろのろと頭を上げる。
一日中だらだらするのも悪くないが、生憎と今日の夕食代が財布の中にない。迷宮で食べる保存食もそろそろ無くなりそうだし、新しいエリアに入ったし、換金がてら買い物をしに商業区に行くのだ。
「ん、部屋に戻るのか?」
立ち上がった自分を見上げくるヴェルマに、ヒタキは首を横に振る。
「いや、買い物」
「む……私も一緒に行っていいか? 装備を新調しようと思っていたんだ」
一瞬の黙考の後にそう提案したヴェルマに、ヒタキはすぐに頷いた。
「じゃあ俺、荷物取ってくる。紅茶、ゆっくり飲んでていいから」
「ん、ありがとう」
柔らかく微笑んだヴェルマに、ヒタキも気の抜けた笑みを返す。そして何時もよりちょっとだけ軽快な動きで、二階への階段を上がって行った。
* * *
「…………」
「鑑定、よろしく」
お前は帰れと無言の重圧をかけてくる、白く長い髭を伸ばした禿頭の老人。窓口越しに叩きつけられるその小柄な鑑定士の冷たい視線を、ヒタキは完全に無視して細長い包みを突き出した。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
よし、もう帰ろう。
何時も以上に続く沈黙に、ヒタキはあっさりと諦めて、一応は行き着けである鑑定屋を後にしようと踵を返す。
が、しかし。
「ご老体、鑑定をお願いしたい。これの」
埒が明かないとばかりにヴェルマに手から包みを奪われて、窓口に出されてしまった。
「おお、ヴェルマちゃん。元気だったかい?」
「元気も何も、昨日訪ねたばかりだろう。呆けるにはまだ早いと思うが」
「昨日の客が帰らぬ人になることは珍しくないからの。ヴェルマちゃんのことが心配なんじゃよ」
もはや別人だった。ヒタキの時とでは差があるとかいうレベルを超越した対応に、若干ヴェルマも引き気味だ。
「俺、何か悪いことしたかな……」
「貴様がヴェルマちゃんと一緒にいるのが悪い。ヴェルマちゃんを置いてさっさと帰れ」
「帰るさ。鑑定してくれたら」
「儂に話しかけるな!」
とてつもなく理不尽だった。常々ヒタキは、何故この鑑定屋は潰れないのか本気で不思議に思っている。
ヴェルマの再度の依頼により、ようやく包みを解き始めた老人。知識神の加護を受ける老人の鑑定眼が確かなものである分、その性格が残念でならなかった。
「剣……また遺品か。まあ儂には関係ない。――神宝『祝福の旋律』、か。D+ランク、付加スキルは『魔術補助』じゃな。何時もと同じで買取でいいのか? 百二十万デルになるが」
「…………」
諸刃の細身の剣。六十階層で拾った、おそらくは門番に敗れ屍となった探索者の持ち物だったそれを見ながら、ヒタキはしばらく考える。
拾った場所が場所なので、ランクについては驚かない。D+ランク、中級者の武器としては妥当である。しかし、神宝だとは思っていなかった。
特に厳しい試練を乗り越えた者に神が授けるとされる、付加スキル持ちのアイテム――それが神宝だ。
スキル込みでのランクである以上、武器としての性能は同ランクのものより低めなのだろうが……と、そこまで考えて、ヒタキはヴェルマの顔を見た。
ヴェルマは、きょとんと不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
「この剣、いるかなと思って」
「む、ヒタキは剣も使えるのか。――……まあ、神宝なら手元に残しておいて損はないのではないか? ヒタキの場合は、使いどころがあるかどうか少し怪しいが」
「……何か可愛いな、ヴェルさん」
少し感心したように頷いて、真面目に悩んで真剣な回答をくれたヴェルマ。絶妙なボケだった。
ヴェルマから視線を外し、ヒタキは鑑定士の老人に向き直って首を横に振る。
「爺さん、それ売らない」
「そうか」
素っ気なく答えた老人は、興味が失せたように椅子に腰をおろし、パイプを口に加えた。
そしてヒタキは、返却された剣をそのままヴェルマに渡す。
「はい」
「は?」
「これあげるから、要らない剣が欲しい。交換」
先日見たヴェルマの戦い方は、剣と魔術を併用したものだった。『魔術補助』のスキルを持つこの細身の剣、彼女との相性はかなりいいだろう。
「……私の剣を売っても、外でならばともかく、ここでは百二十万にはならないぞ。せいぜいが三十万だ」
「いいよ、別に。拾いものだから。あ、でも、思い入れがあったりするのか……だったら剣はだめだな」
迷宮にしか存在しない希少金属を用いたわけでもない、外で作られた普通の剣だが、ヴェルマの持つその剣は、十分に名剣と呼べるものだった。
外界の名のある鍛治士が鍛えた一本なのだろう。
ヒタキの予想した通り、ヴェルマは「そうだな」と頷く。
「しかしだ。確かに長い間私が愛用してきた剣だということもあるが、今は明らかにその神宝と釣り合っていないことの方が重要だ」
「いらないんなら、いいけど……。ごめん、俺、他にあげれるものないや。せっかく十階抜けたのに」
「なっ! あ、が……し、しかしだな…………あー、もう! わかったから、わかったからそんな顔をするな! 有り難く頂く!」
せっかくお祝いできると思ったのに拒否されて、心なしか落胆したヒタキに、ヴェルマはこめかみを抑えて唸った。
だから貧乏なんだ、と恨みがまし気に呟きながら、ヴェルマは不思議な思いでいっぱいのヒタキに宣言する。
「当面の間の食費と宿代、探索に必要な経費は私が払うからな。あと、今晩は酒に付き合え。私からのお祝いだ」
* * *
「そんな重そうな鎧、着れるわけないでしょう!」
「いや、別に着なくてもいいけどさー、死ぬよ?」
「私は法則神ロウの加護者なんですよ! 魔術のエキスパートの卵なんですよ! 遠距離特化型の原石なんですよ! それがどうしてそんな鉄の塊に入らなければならないんですか! 私は筋骨隆々の重戦士ですか!?」
「だからさー、君が法則神の加護者なのが原因なんだって」
薬草専門店「森の囁き」に入れば、長い青い髪の少女と眼鏡の青年がカウンターを挟んで何やら揉めていた。
十代半ば程度の少女は苛烈に。
二十代半ば程度の青年――「森の囁き」の店主であるラウル・ハンザは面倒くさそうに。
鳶色の短髪をくしゃくしゃと掻きながらパイプをふかすラウルが、ヒタキとヴェルマの来店に気づいて眼鏡の奥で瞳を動かし、草花を植えた鉢に囲まれた入口に視線をやる。少女もその瞳の動きを追って首を後ろに向けた。
何となく止まってしまった口論。間が悪かったと思い至ったヒタキは、ヴェルマの顔を覗き見る。
「出直すか。何か、邪魔しちゃあ悪いし。ほら、俺たちがいたら遠慮して怒鳴れないかもだろ」
「ヒタキ。思いやりも大切だが、言葉は選べ。あの子が可哀想なくらい顔を赤くしているだろう」
「え? 悪いこと言ったっけ、俺」
「あー……ほら、とりあえずあの子に謝っておけ。見ろ、もう泣きそうになっているだろう」
顔を真っ赤にして俯いてしまっている少女。素直にヒタキが謝ろうとした瞬間、少女が叫んだ。
「き、気遣いが痛すぎます! もうやめて下さいっ!」
思いっきりヴェルマのせいだった。
「お、汚点です。魔術師なのに! 知的なのに! 冷静なのに! 取り乱しちゃうなんて!!」
「いらっしゃい。いいよいいよー、出直さなくても。見ての通り僕は取り込んでないから」
よほど感情的に喚き散らしていたのが恥ずかしかったらしく、一人で悶える少女と、それを完全に無視して煙を吐き出すラウル。何とも賑やかな店だった。
森の囁きは薬草専門店と自称しているが、その実態は探索者向けの何でも屋だった。低レベル者向けの装備品や魔術具、探索に必要な道具や保存食などにいたるまで扱う便利な店というのが客側の認識で、薬草を購入するついでにその他諸々の買い物を一緒に済ませる客も多い、多様性が売りになっている謎の専門店である。
「二人とも、何時ものでいいのかな?」
パイプを置いて立ち上がったラウルは、背後の棚から数種類の包みを取り出し、紙袋に詰めて行く。
薬草専門店の常連の二人だが、日常的に購入するものは保存食だった。
何事からも逃げることを信条としているヒタキと、まだ十階を抜けたばかりの外界で確かな心得があるヴェルマは、薬品を使う機会自体が少ない。店にわざわざ通う理由は、単純にラウルが作る数種類の保存食は不味くない上に、薬草が混ぜ込まれているので体に良いからだった。
ヴェルマが支払いを終えた後に、紙袋を受け取ったヒタキは、未だに何やらぶつぶつと呟いている少女をなるべく見ないようにして、早々に店を出ようとする。
……何か、面倒事の匂いがする。
嫌な予感がしたら逃げるのが一番。それがヒタキの率直な感想だった。
しかし買い物をするという行為が、致命的に逃げるタイミングを遅らせた。すでに後の祭り、青髪の少女はヴェルマに話しかけていた。
「あなたも探索者なの?」
「ああ。と言っても、つい最近この都市に来たばかりだがな」
「へえ、私もここには一昨日着いたばかりなの。ところであなたは、迷宮に潜る時には全身鎧を装備する?」
自己紹介にしては斬新過ぎた。は? と流石に珍妙な質問に眉根を寄せるヴェルマを指差して、少女はラウルに勝ち誇ったように胸を張って言った。
「ほらほらほらほら、やっぱりこの可愛らしい小さな女の子だってそんな鉄塊は知らないって言っているじゃないですか。私が成り立ての探索者だからって、適当なことを言わないでください!」
「あー……もう別にいいんじゃない? どうでも」
「な、何なんですかその投げやりな態度は!? 仮にも客に向かって、どうでもなんて!」
「だってさー、君って人の話聞かないじゃん。せっかく説明しようとしたら、いきなり怒鳴り始めるし」
「……っ!」
至極どうでもよさそうに欠伸をするラウルの言葉に、少女は再び顔を真っ赤にした。一応自覚はあったんだ、とヒタキとヴェルマは同時に感心する。
「だ、だって、私みたいな非力を形にしたような人種に、全身鎧を着けろだなんて言うから……」
「まあ、率直に説明すると、君が一人で迷宮に潜ることは自殺行為だってこと。法則神の加護者は、君が言った通り魔術のエキスパートだけど、逆に言えばさー、それ以外はダメダメってことになるよね?」
欠伸混じりのラウルの説明に、少女は暫し沈黙して、
「あ……魔術の準備中は完全に無防備になっちゃうから……それで鎧を……」
泣きそうな顔で納得した。
「まあ、レベルが高くなれば防御系のスキルも手に入るし、『魔術障壁』のスキルがついた軽い防具なんかもあるし、何時までも鎧ってわけじゃないよ。気長に頑張って」
なるほど、とヒタキは納得した。嫌な予感はこれだったのかと、二人のやり取りを聞いて小さくため息をついた。
「まあ、最初のうちはどこかのパーティーに混ぜてもらうのが一番だと思うよ。死にたくないんなら」
はっとした少女が、目を煌めかせてヒタキとヴェルマを見つめる。
「パーティー……」
「…………」
「お兄さんとお嬢さん、つかぬ事をお聞きしますが、パーティーに魔術師が必要だったりしませんか? ここにエキスパートの卵がいるんですが」
「俺たち、パーティーじゃないから」
「私もこの男も、誰かと組む予定は今のところはない。パーティーに入りたいのであれば、残念だが他を当たってくれ」
え? と少女が首を傾げる。
「お二人とも、友人じゃないんですか?」
「友人だからと言って、必ずしもパーティーを組まなければならないわけではないだろう」
「それに、俺たちはそれぞれの目的のために迷宮に潜ってるから」
「あ……」
少女は安易な質問をしたことを悔やむように目を伏せた。
「誰かとパーティーを組むんなら、同じ目的を持った人間同士で組んだ方がいいと思うよー。生活費のためとか、何かのアイテムのためとか、強くなるためとか、それぞれ潜る理由は色々あるからね」
「はい、ご指導ありがとうございます」
今度は素直に助言を受け入れて、ぺこりと頭を下げる少女。そんな少女にゆるりと頷いて、ラウルは欠伸混じりに続けた。
「君に目的とか夢とかがあるんなら、言っておいてよ。そうしたら、この店に来る丁度良さそうなお客さんに、君のことを紹介できるからさ」
「え、いいんですか? そんなことまで」
「こっちも客商売だからねー。そのくらいのサービスはしとかないと、客足が減っちゃうし」
よほど一人が心細かったのか、少女は安堵の息をついてラウルに感謝の眼差しを向けていた。
ヒタキはそんな二人をぼんやりと見ながら、憩い亭のあのカウンター席を思い出していた。
無愛想な店長が作った料理を、ヴェルマと並んで食す。
あの何でもない、それでも温かな日常。
自分たちに出会えたのは良縁だったと、ヴェルマは語った。ヒタキも、出会えてよかったと思っている。
この少女とラウルも、もしかしたらそう思う日か来るのかもしれない。
「ありがとうございます、本当に色々と助かりました。それじゃあ、改めて自己紹介させていただきますね。私の名前はメリル・カナート。私はこの迷宮都市に――――」
そんな迷宮都市の、どこにでもあるようでどこにもない日常の風景を、何気なく見るヒタキは、
「――――この世の理に至るために、魔法使いになるためにやって来ました」
腕に抱えていた紙袋を、思わず床に落としていた。
「ヒタキ?」
どうしたと顔を覗き込んでくるヴェルマに、何の言葉すらも返すことが出来ない。視界がもう、真っ赤に染まっていたから。
遠い日のあの赤い光景を幻視する。逃げ出したあの地に置いて来たはずの、あの人との想い出を。
そして一瞬の白昼夢は終わりを迎える――――鮮血に染まった、あの人の笑顔を最後に。
こちらを振り向いたメリルと名乗った少女に、ヒタキは小さな声で、しかしはっきりと告げる。
「やめといた方が、いい。魔法なんて……そんなもん追ってたら、不幸になるだけなんだから」
――――そう告げることしか、出来なかったから。