「ヴェルさん、ちょっとの間我慢しててくれ」
魔力の暴走が収まった後、ヴェルマは何時もの幼い姿に戻っていた。しかし苦痛に喘ぎ、どうにか意識を保ってはいるが、まともに動ける状況ではない。
大切に抱きかかえた彼女を少し離れた場所にいたメリルに元に下ろしたヒタキは、纏っていたローブを腰に撒く。そして彼女の胸元に銃を置いて、敵を見据える。
亜竜ワイバーン。先ほどヴェルマが倒した敵と、同種の化け物。
目前の敵は、ヴェルマを狙っていた。自らの同種を屠った、そして今はその全ての力を使い果たしてしまった彼女を、いの一番に殺さんとその牙を覗かせている。
「ヒタキさん、あ、あなた、何するつもりなんですか……! は、早く逃げないと、ヴェルマさんだってもう――――」
「無理だ。こいつからは、逃げられない」
ヒタキの人生は、あの日から逃亡の連続だった。だからこそ理解できる。この亜竜を相手取って、ヴェルマを傷つけずに逃げ切ることは不可能だ。
「じゃあどうするんですか!! 無理だってわかってても……!!」
「悪いけど、ヴェルさんを頼む。俺は、やることがあるから」
淡々とそう告げて、ヒタキは無造作に敵に歩み寄る。この敵からは、逃げることができない。
でも、それでもこの絶望にあふれた世界から逃げ出さないと、自分たちは幸せになれない。
ならば、この亜竜が呪われた運命から逃げ出すための障害となるのなら――!
「……ヒ、タキ…………やめてくれ……。私はまだ、やれ……」
「ヴェルさん。大丈夫だから、休んでてくれよ」
今度こそ失うわけにはいかない、大切な友人。ヒタキの幸せの象徴にして、愛しき人。
真っ黒に、でも純粋に輝いていた彼女。
彼女は、打ち勝ったのだ。
呪いと言っていた、彼女の過去に。
あの日あの夜、死にたいと泣いていた彼女。そんな彼女に結局、自分は何もしてあげることができなかった。
まったくもって愚かだ。愚かにもほどがある。
昔の自分は、たった一つのことしか満足に成せなかった。
今は、そのたった一つのこともできなくなってしまった。
否。本当は違う。できなくなくなったのではない。否定してきただけだ。逃げてきただけだ。
許せなかっただけだ。七年前のあの日のことを。
たった一人の友の命まで奪った、自分の存在を許せなかっただけだ。
「だけど……違うよな……」
一緒に、迷宮に挑んだ。
逃げまわっていた自分に呆れながらも、彼女は笑っていた。
一緒に、都市を歩いた。
自分をここに送り届けてくれた人達と出会って、他愛のない話をした。
一緒に、屋台で買い物をした。
交換し合ったパンは、何故か美味しかった。
一緒に、酒を飲み交わした。
少し酔っていた彼女は、楽しそうに微笑んでいた。
一緒に、あの何時もの席でミルクと紅茶を飲んだ。
心が、温かかった。
「俺は、もう見つけたんだ」
七年前のあの日に失ってしまった翼が、今確かに自分の中にあることを感じる。今なら、再びあの悠久の空に飛び立てる。
絶望も、過去も、執念も、全てを背負ってまた、今度は鳥籠の外の世界でだって。
あの日、翼と一緒に失ってしまった若草色の髪をしたあの大切な友人は、喜んでくれるだろうか。今の自分の姿を見て。
あの少女と出会って、鳥籠の外の世界を知った。
あの少女を失って、絶望を知った。そして、己が絶望という感情を抱けるほど、彼女のおかげで人間らしくなれていたことを知った。
そして、狭く淀んだ鳥籠から逃げ出し迷い込んだ最果てのこの地で、ヒタキは幸せを得た。
「――――!!」
己に出来ることは、あの日からずっと逃げ続けることだけで、今もきっとそれは変わりはしない。
ならば、逃げ切るまでだ。
このろくでもない世界が、幸せを、ヴェルマを奪うと言うのなら、そんな世界は斬り捨てて呪われた運命からだって逃げ切ってみせる。
咆哮を上げる亜竜に向かって、ヒタキは静かに佇む。そして、ふと思い出したようにメリルに向かって語りかけた。
「そういえば、魔法使いになりたいって言ってたよな」
「こ、こんなときに何を……」
「なら、しっかり見とくといい。魔法ってのは、魔術とは全く違う理念、いや、執念の延長線上にあるもんなんだ。魔法を求めるってのが、どういう意味なのか、しっかり見とくといい」
祈るように、胸の前で両の手のひらを重ねる。
そう、魔法とは執念だ。純粋な願いと祈りの先、執念と化した想いの果て。それこそが魔法。
「なあ、ヴェルさん。俺も、改めて自己紹介するよ。今なら、ちゃんとこの名前を名乗れるから」
蒼い光が、胸の中心に灯る。この都市に来て刻まれた神紋を塗り潰すように、菱型の紋様が浮かび上がる。
「俺の名前は、羽々斬 鶲」
羽々斬――――狭く淀んだ世界で、過去と執念に囚われた一族の名。人を捨て、魔術を捨て、魔力を捨て、全てを捨て、神に一矢報いるためだけに全てを捧げる、愚かな一族の名。
「その執念の果てに魔法に辿り着いた、馬鹿な一族の一人だ」
あの少女を失い、一族としての執念を失った。
だけど今、ヒタキの胸にはもう一つの願いがある。
この夢の墓場で見つけた、ヒタキ自身の願い。
故に世界は、蒼い光に包まれる。
魔法。それは一つの神秘。世界を変える、ありえないはずの奇跡。
世界に満ちる魔力を否定し、世界で一番弱くなることと引き換えに手に入れた、羽々斬に唯一許された力。
第一魔法《果てなき蒼穹》
神に定められた世界を、ろくでもない運命を斬り開き、ただただ蒼く染め上げる。
魔力という枷に囚われたこの世界に、どこまでも高く高く広がる、果てのない空を顕現する。
「なあ、そこの羽つき蜥蜴。あんた、誰の許しを得てこの空を飛んでんだよ」
発動した魔法によって一つの概念を失ってしまった歪な世界で、ヒタキは拳を突き出し宣言する。
「俺の邪魔をするなら、俺の大切な人を傷つけるなら――――お前のその羽、俺が斬り落としてやるよ」
蒼穹の向こうで、『やっちゃえ、ヒタキ!』と無邪気に若草色の少女が微笑んだ気がした。
失ったはずの翼が、蒼穹に広がった。
* * *
神秘「世界改変」によって作り変えられた世界を満たす、魔力という要素。
その新たな概念は同時に、『魂の格』、迷宮都市においては『ランク』と定義される概念を齎した。
魔力という絶対的な力を許容する器の許容量を示すその概念は、同時に純粋な力関係を示すものでもあった。
魂の格、世界によって定められたその階級は、覆すことができない絶対的なものとして今もなお世界を縛っている。
「――――!!」
故に、人の身では、竜には勝てない。
纏う魔力の質。その次元が異なる相手を、傷つける術がない。人は、例え束になろうと竜を打つことができない。
その、はずだった。
洞窟を揺らすその咆哮は、竜の悲鳴だった。
強靭な魔力を内包し、中級魔術程度なら掻き消してしまう天然の鎧である亜竜の鱗。あろうことかそれを突き破り、己の体を傷つけるのは、ただの人間の拳だった。
脆弱な人の身のまま、神の加護はおろか世界に満ちる魔力さえも否定する、世界一弱いはずの男。
その男――ヒタキは、貫いた竜の翼を引き裂き、そして死線を踏み越え竜と相対する。
「あんたに言ったって分かんないだろうけど、もうこの世界にあんたを守ってくれる魔力なんて便利なものはないぞ」
『魔力的な防御』という概念の消失。
それが、羽々斬の魔法だった。
己の拳をあまねく全てのものに届かせるためだけの、たった一つの馬鹿げた方法。たとえ神であろうが竜であろうが、魔力なんて無粋なものに邪魔させずに、全てを斬り捨てることができるようにと望んだ果てに得た魔法。
人も、魔力も、魔術も、全てを捨てて、魔力なんて理不尽なものに定められた魂の格を覆すために、世界から一つの概念を抜き取ってみせる、執念の果ての奇跡。
「――――!!」
亜竜の尾が横薙ぎに払われる。岩石をも削り砕くその強靭な一撃は、魔法によって『魔力的な防御』が概念ごと消失したこの世界では、全ての生命を文字通り刈り取る死の一撃だった。
しかし、ヒタキにはそんなこと関係がない。そんなもの、生まれた時から曝され続けた致死の一撃のうちの一つに過ぎない。
鶲が、空を舞う。
死神の鎌を飛び越え、彼は亜竜の喉に足刀を叩き込む。そして地に降り立つや否や、息を殺し気配を殺し存在を殺し切り、完全に亜竜の死角へと入り込んだ。
鱗の継ぎ目を縫うように脇腹に手刀を突き出し、貫くと同時に抉り引きちぎる。そしてその巨体を足場として跳躍し、再度亜竜の追撃を躱す。
あいも変わらず、魔力を纏った攻撃を受ければ散ってしまう儚い命をもって、ヒタキは亜竜と殺し合う。
荒ぶる翼と尾の斬撃を避け、そしてその拳を血に染め上げ、幾度も幾度も亜竜へと叩き込む。
化け物の圧倒的な攻撃の余波でその身を削りながらも致命傷を避け、脆弱なその身一つで彼は竜を狩る。
鍛えあげられた肉体に、血に濡れた歴史の中で磨き上げられた一族の業を載せ、一度は失ったその翼で、魔力という牢獄から解き放たれた蒼穹を舞う。
まともな人間のやることではなかった。まともな人間が、やれることではなかった。
その姿の、何と尊きことか。
そしてその姿の――――何と愚かなことか。
メリル・カナートは、息をすることすらも忘れ、ただただその夢物語にもならないようなあり得ない光景を、血に塗れ竜と殺し合う世界一弱い男の姿を見ていた。
「東方の賢者……実在、していたんですね…………」
それは裏の歴史においても実在が確認されていない、まことしやかに囁かれてきた十八番目の、そして第一魔法に至った唯一の賢者の名前。
羽々斬。曰く、神に喧嘩を売る一族。
羽々斬。曰く、竜殺しの一族。
メリルは、生唾を飲み込む。
魔法を、この目で見た。魔法を従える賢者の姿を、初めて見た。
魔法は、実在していた。世界をも変えうる人間は、確かに実在していた。
「でも……、でもこれって…………こんなのって……!!」
世界は、彼の力によって改変された。
一つの概念を消し去るという奇跡が、今目の前で広がっている。否、自らも今、その概念が消された世界で息をしている。
だが、だが――――!!
「魔力的な防御……こんな、こんな概念を消すことが、魔法なんですか……? こんな概念、世界一弱くなってまで、消す必要があるんですか!?」
こんな、世界からまるごと一つの概念を消し去るなんて途方もないことをするくらいなら、目の前の敵の命をただ消すだけの方が、遥かに容易なはずだ。世界の法則と、その法則という前提の上に成り立つたった一つの命。どちらに天秤が傾くかなんて、子供でもわかることだ。
「なんて、なんて意味のない魔法……」
彼は、言った。魔法とは執念の果てにあるものだと。
メリルの視線の先で、ヒタキはその拳を振るっていた。
本来であるなら届くはずのない、なんの魔力も篭っていない拳が、亜竜に突き刺さる。
魂の格の差を覆し、世界の法則を踏み越える外法。
だが、だがその結果を得るために、彼は一体どれだけのものを捨てたのか。
魔力が全くない? 改めて思う。何の冗談だ、それは。今まで、否、たった今彼は、どうやって生きているというのだ。
亜竜の攻撃をたった一撃でも喰らえば、それだけでも死んでしまうというのに!!
「どう……だ、メリル? 凄いだろう」
目の前に広がる光景にただただ戦慄するメリルは、その声にようやく我に返った。
「ヴェルマさん!! 大丈夫ですか!?」
「ヒタキは、私の友は……強いだろう……」
「まさか、ヴェルマさん、初めから知っていたんですか……? ヒタキさんが、賢者なのだと」
思えば、ヴェルマの彼に対する評価は異様に高かった。魔力も加護もない彼に対する同情でも慰めでもない、純粋な敬意。誰もが、自らも彼を『魔力無し(アウトサイダー)』と侮る中、彼女だけは違っていた。
「いや。だが……あいつは……っ!」
「大丈夫ですか!?」
尋常ではない量の汗を浮かべ、苦痛に耐えるように眉を寄せるヴェルマ。大丈夫なはずがなかった。あんな意味のわからない力を操っておいて、無事なはずがなかった。
いや、意味の分からない力などではない。メリルはその力の正体を知っている。あれは、代償を伴う力だ。苦痛程度で済むはずのない、呪われた一つの、魔法だ。
それでも、それでもヴェルマは、嬉しそうに笑って彼を見ていた。
「あいつは……今のこの世界より、もっと酷い世界で生きているのに……それでも、夢に向かって真っ直ぐで……そして、こんな私を、助けてくれるんだぞ」
世界で一番弱い彼は、それでも迷宮の六十階層を超え、こんなろくでもない世界で戦い続けている。そんなヒタキが、弱いはずがなかった。
「だから……あいつは……私の自慢の友人なんだ」
彼女の指が、闇色に輝く。そして、魔術文字を描き始めた。
「あ、あなた何をやっているんですか!? そんな状態で魔術を使ったら、今度こそ竜に……!!」
「知っている、さ……。だが、今ヒタキには、これが必要だ」
闇が、彼女の頭上に蠢く。その中から出てきたのは、一振りの長剣だった。
彼女の幼い身の丈にはあまるその長剣は、彼女が今はなき故郷から持ちだした数少ない思い出の品だった。
かつてヒタキからもらった剣を使いはじめたことを契機に、思い出の品として大切にしまい込んだ祖母の遺品。レイファリスを守護する者が伝えてきた、宝剣だった。
「その剣は?」
「なんの力もない……ただの……剣だ」
だからヒタキでも、使えるはずだ。魔力という概念を全てを否定する代わりに魔法へと至った、彼でも。
血塗れになって戦うヒタキを見据え、ヴェルマは剣を支えに立ち上がる。
「ヒタキ!! 使え!!」
そして彼女は、ふらつく体を無理やり動かし、亜竜へと向けて剣を全力で投擲した。
「ヴェルさん!!」
亜竜の牙を躱し、そして大気を打つ翼による風圧で無理やり間合いを取らされたヒタキは、一瞬だけヴェルマを見た。
彼女と、視線が交差する。金色に染まったあの時の彼女の瞳も美しかったが、今の温かな翠色の瞳はそれ以上に、ヒタキの心に力を注いでくれる。
ヴェルマが、力を貸してくれている。ならば己がこの程度の蜥蜴を、斬れないはずがなかった。
宙に舞い上がった亜竜の顎が開かれ、命を焼き払う炎が揺らめく。
逡巡など、なかった。
ヒタキは上体を倒し、地を這うように駆ける。
その愚鈍な吐息で墜とせるものなら、墜としてみろ。その吐息を吐かせないために、常に亜竜に張り付き、散々打撃を叩き込んできたのだ。
抉られた喉の痛みに僅かに動作が遅れ、そしてそれが亜竜に致命的な隙となる。
吐き出された死の炎は、しかしヒタキには届かない。焔の届かない場所、竜の懐に飛び込んだヒタキが跳躍する。
死線の更にその向こうにこそ、羽々斬が求めた空が広がっている。
その悠久の空で、ヒタキは彼女の剣を掴み取る。
竜の金色の瞳が、恐怖に染まる。空を統べるはずの己の翼を切り落とさんとする、その弱き者の姿に。
「――――!!」
この世界で強者と弱者を分ける力。空高く舞い上がるための、魔力という名の翼。その翼を斬り落とす、愚かな賢者。
羽々斬。かつての空で、魔力などというものがなかった世界で、ただただ何も失わないために強く、そして自分らしくあろうとした、今は歪んでしまった一族。
「お前は、ヴェルさんを殺そうとした」
一族の執念の到着点にして、原点へと還り至った男は、その手に持つ剣を構える。
冷たい、純粋な殺意。そして燃え盛る、純粋な想い。
大切な人を害する者は、敵だ。そして敵とは、殺すものだ。
「お前は、俺の敵だ」
底冷えのする殺意と、心に灯る温かな想いを込め、ヒタキは短く息を吐き出す。
一閃。
音もなく、そして軌跡すら追えぬほどの剣閃。
驚愕に目を見開いた亜竜が、ぴたりとその動きを止めた。
そしてその巨体が地に引かれ落ちる最中、忘れていたかのように首から血が吹き出す。
轟音を立て翼を切り落とされ地へと堕ちると同時――――ごろりと、亜竜の首が大地に転がった。
亜竜の血に染まる、黒髪の青年。灰色のローブを腰に巻き、そして長剣をだらりとその手に下げる、迷宮都市始まって以来の異端は、ゆるりとした足取りで歩み、彼の大切な友人に寄り添う。
神の加護を受けずに六十八階層を踏破し、そしてランクFにしてランクBの亜竜を単独で殺した、愚かな賢者。
「俺、言ったよな」
その男は、今は亡き亜竜が入ってきた洞窟の先を見据え、そして告げる。この階層に入った時から察知していたその気配の主、鈍く光る金属製の軽鎧を纏い、岩場に呆然と立ち竦む男へと。
「リョウ・アカツキと戦うんなら、勝手にやったらいい。だけどメリルを巻き込んで、それで結果的にヴェルさんを巻き込むなら、次は殺すって」
「な、な、何で……は? え? 何なんだよ、おい!! おかしいだろう!! おい!!! お前、お前ら二人は、何で、ワイバーンだぞ!?」
最早気配を消し潜む気もないその男、レオンは、恐怖に震えていた。
経緯など、ヒタキの知ったことではない。どうやってランクBのワイバーンをこの階層に連れ込んだのか、そしてどうやって使役していたのかなど、検討もつかない。
だが、これ以上ヴェルマに害を成すなら、自分たちの夢の障害となるなら、迷いなく殺す。
そしてそれは、リョウ・アカツキと敵対するレオンに限ったことではない。
洞窟内に開けたこの広大な空間に雪崩れ込んできた、三十人を超える教会騎士団。そしてその先頭に立つ、異端審問官ロディック・グレイスを睨む。
「あんたには悪いけど、俺は異端審問ってのを受けるわけにはいかなくなったんだ。だから諦めてくれよ。じゃないと、あんたたらの神様にだって、俺は喧嘩を売らなきゃいけなくなる」
「お、お前がそのワイバーンを倒したというのか……? 神の加護を否定する、お前が……?」
無言で佇むヒタキと、そして彼に寄り添われる幼い少女を見て、ロディックは理解できないとその撫で付けられた灰色の髪を掻き毟る。
「な、何者なんだお前は……。誰か、知識神の加護者!! この男を、この男の正体を突き止めろ!!」
――迷宮の四十三階層は今、かつてないほどの混乱に陥っていた。
壊れたように震えながら意味のわからない言葉を並び立てる、迷宮都市を騒がせた期待の新星、リョウ・アカツキと、未だ意識を取り戻さない彼のパーティメンバー。
そしてそのリョウ・アカツキを標的としていた、低層に出現した上層を縄張りとするはずのワイバーン。
そのワイバーンを使役していたと目される、ただのストーカーだと思われていた男。
そして、ランクBという隔絶した存在であるワイバーン二体を討ち取った、ランクFの少女と青年。
全てが全て、意味不明だった。
何をどうすれば、何をどう間違えれば、これほど意味が分からない状況ができあがるというのか。
そして、誰もが何も言えないそんな混沌とした状況に静まり返る洞窟に、笑い声が響き渡った。
ふふふふ、と、あまりにの可笑しさに堪え切れなかったというように、女性の笑い声が響き渡った。
「おい、なんだ、何を笑っている!! 答えろ!!」
騎士団の中から漏れ出るその笑い声に、ロディックが怒鳴る。その視線の先には、あの金髪の受付の女性がいた。いつか見た、神々の鏡と呼ばれるそれを覗き込んで笑う彼女が。
「寵愛者、ですよ」
「は?」
「だから、寵愛者です」
何を言っているとだと、本気で首を傾げるロディック・グレイス。そんな彼に向かって、否、この場にいる全ての者に、彼女は謳うように告げる。粛々と、荘厳に、神々の声を。
「神々が愛する者。神々が恋い焦がれた者。神々の、寵愛者ですよ、彼と彼女は。特殊スキルなんて、そんなただの幸運を手に入れただけの紛い物ではない、本物の。神々が五百年間待ち望んでいた、この迷宮の本当の最果てに至る資格を得た――――そう、あなた方が言うところの、迷宮の神々に選ばれた存在です」
謳う神の下僕の視線の先では、偉業を成し遂げた彼らの頭上で、白光が瞬き、光が降り注いでいた。
迷宮の神々は、試練を乗り越えた者に、加護と褒美を授ける。
そう。誰の目から見ても、それは明らかなことであった。
世界に絶望し、夢の墓場で出会ったかつての少年と少女。
そして今は寄り添い合い立つ、愚かな賢者と呪われた姫君は――――迷宮の神々に祝福されていた。
それは、誰の目から見ても明らかなことで、それはとても、とても美しい光景だった。
* * *
――――この日、教会騎士団は重要参考人としてレオン・ガイアスを連行することで、未曾有の事件に対して一応の終止符を打った。しかし、低層へと上層の魔物を招き入れたその術を問い正す前に、彼は独房で自らの命を断つことになり、この事件は尽いぞその真実が暴かれることなく終わりを迎えることになる。
そして、もう一つ。
痴情の縺れという、たちの悪い冗談のような事件の原因のみが語られたこの事件には、あまりにも多くの謎が残され、その結果数多くの噂が迷宮都市を飛び交うことになる。
上級に属する探索者の八割が不在である、年に二度の大遠征の時期に起こったこの未曾有の事態を直接解決に導いた人物が、一体何者であるかということでさえも公にされることはなかった。
そのような経緯もあって、迷宮都市では、このような噂がまことしやかに囁かれ、広まることになる。
事件を解決に導いた立役者は、現場に居合わせ、そしてその痴情の縺れの当事者でもあった白銀の神子ではないか。彼はお伽話のように、神敵であった首謀者が操る竜に攫われたお姫様を、神の助力を得て命を賭けて救い出したのではないか。
閉鎖された世界である迷宮都市に、その噂は一種の娯楽として瞬く間に広がり、そして都市を賑わせることになる。
故に、開かれることがなかった異端審問に関心を持つ者は、一握りの例外を除いていなかった。
* * *
Party name : No name
Name : ヒタキ・ハバキリ
Guardian : 慈愛の女神ライア
Rank : F
Level : 1
Class : Nothing
Skills :
Extra Skills :《慈愛》
Status : 《慈愛の女神の寵愛》
Name : ヴェルへルミア・G・レイファリス
Guardian : 天秤の女神アリア
Rank : C
Level : 157
Class : 術式調停者
Skills :
Class Skills :《対物・魔力鎧》 《対魔・魔力鎧》 《魔術付加》 《魔術強化》 《魔術障壁》
Divine Skills : 《術式裁定》
Extra Skills : 《天秤》
Unique Skills : 《竜■■■》
Status : 《天秤の女神の寵愛》
* * *