第八話 会った事が、ない?
時折ガタゴトと揺れては、窓の外の景色が帯の様に伸びながら流れていく。
海鳴市の山間部へと向かう市電の中での事である。
別にこの電車の行き着く先にて、ジュエルシードの反応がというわけではない。
こんな事をしていて良いのかという意味を込めて、シグナムはそっとため息をついた。
そしてちらりと視線を向けたのは、自席から通路を越えた反対側の席であった。
岡倉と大浜が共に並び、小さなヴィータとはやてそれからシャマルが向かいの席である。
「よっしゃぁ、ラス一でウーノォ!」
机代わりにした中央のキャリーバッグ、その上に岡倉がカードを叩きつけた。
その言葉どおりカードゲームの種類はウノらしい。
「へっ、甘いぜ馬鹿倉。駆け引きってもんが、なってねえ。ドロツー」
「はい、私もドロツーや。シャマル、分かっとるやろ?」
「もちろん、はやてちゃん。私もドロツーです。大浜君次お願いね?」
だが気合十分の叫びとは裏腹に、皆の手持ちは豊富で、ヴィータ、はやて、シャマルと負債が溜まっていく。
そして後一人で一周と、岡倉の前番の大浜が申し訳無さそうにカードを出した。
「ごめん、岡倉君。あ、こっちにしとこ。ドロフォー」
「大浜、お前こっちって言ったか。ドロツー持ってたろ!?」
計十枚、溜まりに溜まった負債を一身に受け、泣く泣く山からカードを抜き出す。
「どうしてこうなった……」
その呟きは涙を流す岡倉ではなく、シグナムからのものであった。
不覚にもカズキ達をはやてに会わせてしまったが、まだそれは先週の事。
それが何処でどうなったのやら。
まるで以前からの知り合いの様に共に小旅行という事になっていた。
「どうしたの、シグナムさん。はい、冷凍ミカン食べる?」
暢気に冷凍ミカンを差し出してきた目の前のカズキを締め上げたい。
だがこの和気藹々とした雰囲気を壊す事もできず、もどかしい気持ちが募っていく。
『おい、シグナム。もっと楽しそうにしろよ。暴走の危険があるって聞いて、警戒はしてたけど。カズキって奴も結構普通の奴じゃん』
『そうね、もっと怖い子を想像してたから。逆にびっくりしちゃった』
ヴィータとシャマルの念話を受け、できれば私もそうしたいと思ってはいた。
そして落ち着け私と、深呼吸してからやや黒めの笑顔でカズキに尋ねた。
「カズキ、説明しろ。何がどうなっている?」
「あれ、言わなかったっけ? ほら、先週の地震。はやてちゃんが怖い目にあったし、楽しい思い出で埋めてあげないとって皆で」
「私は気にするなと言ったはずだ!」
「宿から帰りの電車まで全て手配済み。宿も、何度か利用した事があるからサービスも充実してるし、気兼ねもいらない」
「いや、さすがにそこまでされると逆にこっちが気を使う」
カズキの説明にその隣にいた六桝が補足を入れる。
ちなみに彼はずっと、シグナムの隣で寝そべっていたザフィーラの目の前で骨っこをふっていた。
その際、骨っこの動きに合わせ尻尾が揺れていたのを、シグナムは見逃さなかった。
守護獣たる者が何を餌付けされていると睨むも、本人は骨っこに釘付けだ。
骨っこを差し出されると顔をあげて、一目散にぱくついた。
ガチンと鳴ったのは上と下の牙がぶつかりあう音だけ、いぶかしむザフィーラ。
すると六桝がちゃんちゃらと怪しげな鼻歌を歌い始め、ザフィーラの首周りにある深い体毛の中から消えたそれを取り出し始める。
なんとと驚くザフィーラの前に再度差し出し、今度こそ消さずに与えていた。
「気にしない、気にしない。元々ついでだし、はやてちゃんにはサプライズもあるしね」
「サプライズ?」
「おい、カズキ」
六桝に肘で突かれ、おっとと言いながら慌ててカズキがその口を閉じる。
その様子を見て、シグナムははっきりと嫌な予感がすると感じた。
なにもこの小旅行自体を否定しているわけではない。
カズキの言い分も最もで、はやて自身はこの小旅行を大変楽しみにしていた。
普段から何をするにも楽しそうなはやてが、殊更に。
守護騎士一同、とても悔しい思いをさせられカズキ達に嫉妬したものだ。
昨日から用意した荷物を何度も確認したり、電車の中で何をしようかとヴィータと話したり。
先週の事件など記憶の彼方で精神的なケアとしては、文句の付けようもない。
だが何処かに落とし穴があるようにしか思えなかった。
特に先週のデパートでの一件のように、ジュエルシード捜索以外でカズキと会うと特にだ。
「はあ……」
「溜息は厳禁。はい、シグナムさん。口開けて」
「んぐ、冷た……あっ」
俯いていた顔を上げると少し開けた唇の隙間に、冷たいミカンが一房挟み込まれる。
言葉通りの冷たさを感じ、思わずと言った感じで食べてしまう。
意識が他所に向いていたとはいえ、迂闊すぎた。
ハッと我に返り、冷たいそれを噛む事なく飲みくだしチラリと横目になった。
あれだけ盛り上がっていたカードゲームが、一時中断していた。
興味深々、手に持つカードで目元まで隠してニヤニヤする視線が三つ。
「おい、見たか今の。あのシグナムが私らに砂糖吐かせそうな事をしやがった」
「夏はまだ先やのに、あつあつやん。普段はキリッとしとるけど影では結構甘々なん? ストロベリーなん?」
「なんかドラマ見てるみたいですよね。あの座席に六桝君とザフィーラがいなければ、さしずめ愛の逃避行ですか?」
きゃーと乙女達が盛り上がる一方で、凛とした美人とのイチャツキに燃える者もいた。
やはりというか、同じ年上好きとして納得がいかない岡倉であった。
「カァズキィー、なんでお前ばっかり。ちくしょう。と言うわけで、シャマルさんに届けこの思い。ドロツー!」
「まずはその変な頭どうにかしろよ、ドロツー」
「ヴィータ、正直に言い過ぎや。私は面白くて好きやけど、ドロツー」
「え、えーっと。スキップ、じゃなくてドロツー」
スキップとは本音が零れ落ちた結果か、慌ててシャマルが言いなおす。
「岡倉君、どさくさに紛れて……はい、ドロツー」
「ちくしょう、またかよ。しかも駄目だしされつつ、スキップされかけたし!」
おのれと今度は別の意味の涙を流しながら、岡倉が山札に手を伸ばす。
「さてザフィーラ、俺達は少し車内の探検にでも出かけるか」
「ばふ」
下手糞な犬の鳴き声を真似、ザフィーラは六桝についていった。
同じ車両内、通路を隔てれば岡倉達は直ぐそこにいる。
だというのに、妙に二人きりを強調され、そっと気を使われた。
赤面しながらもいやあと照れ笑いをするカズキが、シグナムには理解できない。
「じゃあ、シグナムさん。次、はい」
そしてその次という言葉と共に差し出された冷凍ミカンの一房を見て確信する。
いや、前から気付いていた気もするが、カズキは馬鹿なのだ。
その馬鹿を相手に一番効果的な手として、シグナムは強く拳を握り締めた。
ゴンと電車の車両全体に響いたのは、カズキの頭部を強打した音であった。
ぷしゅうと煙を頭から上げて、座席に倒れこむカズキ。
そのカズキの前で同じく拳から煙をあげながら、呼吸も荒く憤るシグナム。
「次やったら、その冷凍ミカンごと燃やし尽くすぞ」
「ふぁい」
この馬鹿がと、乱暴に座席に座り込む。
が、シグナムが強気に出られるのはあくまでカズキのみ。
「照れとる、照れとる。普段のシグナムが嘘みたいや」
「ここまで来ると、マジしゃれにならねえ。誰だよ、アイツ。私の知ってるシグナムじゃねえ」
「好きな人の前だと、女の子は変わるんだ。勉強になるわ、シグナム」
「主はやて、お前達も!」
吠えはしても、特にはやてに拳を上げるわけにも行かず。
立ち上がったは良いものの、憤りの向け先が何処にもなかった。
仕方が無く座席に座りなおし、腹の立ち具合もあってカズキの手から冷凍ミカンを奪い取る。
そのまま一口で口に放り込み、あまりの冷たさに例のアレに即頭部を襲われてしまった。
痛みが治まるまで一人でジタバタとするシグナムを、ほっこりとした笑みではやて達は見ていた。
皆のシグナム像が崩れ始めるのは、まだまだこれからのようであった。
やや負の方向に傾いていたシグナムの機嫌も、温泉宿を見るまでであった。
古めかしい屋根瓦と、時代を感じさせる黒くくすんだ木造の宿。
春のその風にかすかに混じり漂ってくるのは温泉特有の香りである。
温泉は好きだと趣味を漏らしていたシグナムの心は早速奪われ始めていた。
電車内での不機嫌は何処へやら。
誰よりも胸をわくわくとときめかせながら、それをひた隠し冷静を気取る姿が可愛らしい。
瞳をキラキラとさせ、それが周囲にばれていないはずがないのに。
「うぅ……家におる時はあんな可愛い仕草見せへんのに。カズキさんがいるからか、なんか悔しいわ」
「すげえ勢いで、シグナムが壊れてくな」
「ん、なんだお前達。ごほん、私は別に……早くチェックインするぞ」
はやてやヴィータの呟きを受け、さすがに気付いたシグナムが振り返った。
わざとらしい咳払いをして生温かい視線を振り払いながら、玄関に足を踏み入れる。
だがその直前にカズキが肩を掴んで引きとめられ、思い切り睨み返していた。
「なんだカズキ、お前といえど邪魔すると言えば斬る」
「いや、邪魔はしない。しません。けど、こっちが先あくまで主役ははやてちゃんだし」
それは分かるがといぶかしむシグナムは、携帯電話を耳にあてている岡倉に気付いた。
旅行先に来てまで一体誰にかけているのか。
電車内でのシャマルへの言葉等から、彼女ではないのはまず間違いない。
今再び、温泉を前にした喜びが薄れ嫌な予感がしたシグナムの耳にクラクションが聞こえた。
駅からここまではバスで来たが、それはマイカーで訪れた別の宿泊客のようであった。
シグナム達は慌てて場所をあけようとするが、岡倉がその車へと向けて手を振っている。
小型のマイクロバスが目の前で止まり、開いたドアから小さな影が飛び出してきた。
「お待たせ!」
「おお、まひろ」
飛び出してきたのはまひろであり、よーし来いとばかりにカズキが両手を広げる。
そのカズキを華麗にスルーしたまひろは、茫然としているシグナムへ飛びついた。
「お姉ちゃん!」
「まだそれを引っ張ってたのか!?」
「じー……」
「はあ、分かった分かった。ほら、これで良いか?」
何かを期待するキラキラとした瞳に根負けし、ポケットから飴玉を取り出し与える。
きゃあっと喜んだ声をあげ、まひろは貰った飴玉を頭上に掲げてくるくると回っていた。
全く妙な懐かれ方をした物だと呆れてしまう。
だがこれがサプライズならば、悪くはなかった。
同年代と関われないはやてにとっては、友達という最高のプレゼントにもなるだろう。
「また負けた。俺は飴玉より下、俺は兄失格だあ」
地面に膝をついて落ち込むカズキに、少しは優しくしてやるかと歩み寄る。
「馬や、馬を射たで。まさか、本当やったとは、シグナム怖ろしい子や」
「マジびびった。もう、私らの知るシグナムは死んだ。もう、居ない」
「聞きました? お姉ちゃんって呼ばれて、シグナムもまんざらじゃないみたいですよ」
好き勝手に言う主や仲間は完全スルーし、カズキに声をかけようとする。
だが続いてマイクロバスから降りてきた少女を見て、その声が喉の奥で止まった。
あまりの驚きようにそのまま息が止まってしまう程に。
「こら、まひろ。なに飴玉を優先してんのよ。違うでしょ!」
「あっ、はやてちゃんって貴方だったんだ」
「あー、何時も図書館で見る。え、なに。カズキさんの知り合いなん?」
同じくまひろと同年代らしい金髪の少女と、黒髪の少女ではない。
特に黒髪の少女ははやてを指差し、はやても少女を指差していたが、違う。
はやてが良く行く市営の図書館で見かけた事は、シグナムも何度かあった。
シグナムの体に緊張感が走ったのは、最後にマイクロバスから降りてきた少女。
「はじめまして、はやてちゃん。高町なのは、なのはって呼んでね。それで、この子がユーノ君って言うんだ。その子……食べないよね?」
「うちのザフィーラは賢いから大丈夫や」
なのはに続いて次々にアリサやすずか、そしてまひろが自己紹介を始める。
そこには同い年とはいかないが年齢が近いと、ヴィータも巻き込まれていた。
そのヴィータが挙動不審に焦りながら、ちらちらとシグナムへと振り返った。
『おい、シグナムこいつ。フェレットと、にゃのはって奴!』
『フェレットの方は次元世界人だ。全く、カズキの奴……余計な事を』
『仕方ないわよ、はやてちゃんに友達を作ってあげようとした善意だし。でも、なんとかしないといけないですよね』
『いっそ、私が間違えた振りをして食い殺すか?』
主の為にとザフィーラが物騒な方法を唱えたが、もちろんそれは却下であった。
できたばかりの友達をはやてから取り上げるわけにもいかないし、言い訳も不可能だ。
旅行当初から、シグナムが何を危惧していたのか。
今さらながらヴィータ達もカズキの善意がもたらす結果に、やや不安な思いを抱き始めていた。
一旦チェックインを済ませ、今度こその温泉タイムであった。
まひろがカズキにくっついて男湯に入ろうと一悶着もあったが。
シグナムが一緒に入るかと言った鶴の一声で、まひろはあっさりと寝返った。
またしても兄失格だとうな垂れたカズキを、皆が笑いながらも慰めていた。
そしてきちんと男女に分かれて脱衣所にてそれぞれ、衣服に手を掛け脱ぎ始める。
だが男側の脱衣所では、大いに手惑わざるをえなかった。
壁の仕切りがあるとは言え、男女の脱衣所は隣り合っているのだ。
少しでも声を大きくすれば、姿は見えずともその声は丸聞こえであった。
「あん、こら。アリサちゃん。このぉ」
アリサに悪戯されたらしく、艶っぽい声の後で何か反撃をしている美由希の声が届く。
「ふふ、すずかったら。少し見ない間にすっかり、お姉ちゃんそっくり」
一体何がそっくりなのか、忍が妖しく微笑む声が聞こえる。
「ほほお、二人共うちのシグナムやシャマルに負けず劣らず」
「はやてちゃん、声が大きいです!」
「もち、聞こえるように言うとるんや。岡倉さん達、人生捨てる覚悟あれば来てみい。こっちは天国やでえ」
さらに何処がどう負けず劣らずなのか、はやての挑発的な言葉が投げつけられた。
ちくしょう、何故俺達は男なのかと岡倉が崩れ落ちる。
カズキも大浜も冷静を装ってはいるものの、耳が激しくダンボであった。
できる事なら、ずっとこのまま着替え続けていたいとその手が動かない。
さすがの六桝も少し気にはなっていると、頬に少し赤みがさしていた。
「おい、お前達。馬鹿やってないで、はやくしろ。風邪引くぞ」
そんなカズキ達へと呆れた声をあげつつ、先に温泉への扉を開けた恭也が注意する。
壁の向こうが全く気にならないのか、照れる事さえない。
脇に抱えた桶の中には、先程女湯から何故か追い出されてきたユーノが入っていた。
まあ、壁の向こうが気になる今、それはとても些細な事であった。
一同、岡倉と共にちくしょうと思いながら、重い腕をなんとか動かし服を脱ぎ始める。
そんなおり、忍の楽しそうな声に対してふと気付いたように岡倉が皆に尋ねた。
「なあ……恭也先輩って頭は良いのか?」
「詳しくは知らないが、美由希ちゃんやなのはちゃんの成績は悪くないからな」
「あと、滅茶苦茶強い」
「嘘だ。頭良くて、運動ができるどころか強くて顔も良いなんて有り得ない!」
六桝に続きカズキの補足を聞いて、岡倉が叫んだ。
「有り得ないたって、あの忍さんが付き合う程だし」
「何か絶対人には言えない秘密があるはずだ!」
とんでもない美人と付き合っている、そんな事実を前にもはや岡倉は泣きそうであった。
壁の向こうの天国に全く興味を示さなかったのも、きっと知っているからだ。
何時でも美女の裸体を楽しめる、自分達がまだ知らない境地へと至っているから。
恭也が自分たちより大人である事は悔しいが認めても良い。
だがその恭也が持つスペックの高さだけは、認めたくはなかったのだ。
主にそれだけのスペックがなければ、女性に振り向いてもらえないのかという点について。
何時の間にか壁の向こう側が、やけに静まり返っている事にも気付かずに。
「例えば?」
「例えば……」
一体どんな秘密があるのかと、皆の視線は真っ裸となった己の下へと向かう。
「岡倉以上カズキ以下」
「カズキ以上大浜以下」
「岡倉以上六桝以下」
「六桝君以上、カズキ君以下」
ナニがとは言わないが、男としてのプライドを賭けて温泉へと続く扉を開け放つ。
湯煙を振り払い周囲を見渡して先に入っていった恭也を探す。
恭也は丁度、頭をシャンプーで泡立てているところであった。
なんという好都合と、四人は息を潜めて恭也の後ろに忍び寄る。
気配すらも悟らせるなとお互いに注意視しつつ、そのまま覗き込んだ。
この時、四人に電流走る。
そこはまるで自らが光を放つ恒星のようにキラキラと輝いていた。
((((う、美しい!))))
ナニがどうと、具体的な描写は不要であった。
自然と平伏してしまいそうなそれから離れ、カズキ達はただただ白く燃え尽きる。
「非の打ちどころがない」
「究極だ」
「究極の美形だ」
神様は不公平だとばかりの呟きを漏らすのが精一杯。
そんなカズキ達の馬鹿騒ぎは、しっかりと女湯へと届いているとも思わずに。
だからこそ、彼女達も一時の騒ぎを止めてまでカズキ達の話に聞き入っていたのだが。
「お兄ちゃん達、楽しそう。いーなー、いーなー」
「あの馬鹿……こら、だからと言って男湯へ行こうとするな。慎みを持て」
お湯の中から立ち上がったまひろを座らせ、胸の中でその頭を抱きとめる。
「で、そこのところどうなの忍さん?」
「すみません、後学の為にそこの所を詳しく。あ、ヴィータちゃんは、はやてちゃんのお世話をお願い」
「おい、こら。子ども扱いすんじゃねえ」
「うふふ、秘密」
こそこそっと美由希が事の真相を尋ねるも、返って来たのは微笑みのみであった。
言葉通りそれを知る事ができるのは私の特権とばかりに。
シャマルが遠ざけようとした通り、ヴィータがそばに居てはそもそも続けられなかっただろう。
それに達年少組みがいる以上、そんな卑猥な話は続けられない。
もっとも、アリサ達はそれどころではない複雑な心境でもあったからだ。
「なんだろう。まひろのお世話しなくて良いと楽なんだけど……なに、この気持ち」
「ふふ、すっかりシグナムさんにまひろちゃんを取られちゃったね」
「にゃははは、ユーノ君も向こうに言っちゃったし手持ち無沙汰だよ」
「私もユーノ君洗いたかったな。ほんなら、なのはちゃんを手始めに」
お湯の中で移動したはやてが、背中からなのはに抱きついた。
何やら子供らしからぬ妖しい動きの手が、その体を這っていく。
くすぐったいとなのはが笑い、その被害者はすずか、アリサへと広がっていった。
一通り身体測定をされてしまったなのはは、隅っこの縁にてくてりと体を預ける。
旅行は始まったばかりで、ここで力尽きるわけにはと気合を入れたらしい。
『聞こえるか、高町なのは』
だが次の瞬間、脳裏に響いた声にびくりとその肩を震わせた。
耳慣れない声ではあったが、この旅館に来てから何度か聞いた声であった。
しかもそれが魔法を使った念話で直接聞こえたのだ。
驚くなと言う方が無理である。
『シグナム、さん? 念話ができるって事は魔導師なの?』
『それを含め、後で話がある。カズキも一緒に』
『カズキさんも!?』
驚きの連続に、何から聞けば良いのやら。
なのはは温泉旅行を楽しむ余裕が失われつつあった。
子供の体力では温泉の長湯には耐えられない。
そういう事もあってはやてとヴィータを含めたなのは達は、先に温泉から上がっていた。
これから限りある時間をどう使って楽しい時間を過ごすのか。
庭園の散歩でも良いし、お土産でも卓球だって良い。
湯上りに火照った体を包む浴衣の隙間をぬう風に涼しさを感じながら、縁側を歩く。
「これからどうする? やっぱり温泉に来たら、卓球じゃない?」
「うーん……それも良いけど、お土産選びかな?」
車椅子のはやてをちらりと見てから、言葉を選びつつすずかがそう言った。
「お、私は卓球でもかまわへんよ。見ててもおもろいし、ヴィータとコンビ組ませてもらえば、そう簡単には負けへんよ」
「へっ、そういうこった。一人残らず叩きのめしてやるぜ?」
「たいした自信じゃない。よし、それならまずは私と勝負よ。まひろとなのはも、それで良い?」
「うん、お土産はお兄ちゃんと一緒に選びたいし。卓球が良い」
勝負を前に熱くなるアリサの問いかけに、まひろがとてもらしい返答を向ける。
だが尋ねられたもう一人であるなのはは、一瞬返答が遅れた。
「え、あ……うん、なのはもそれで良いよ」
「よーし、それじゃあ。卓球台のある場所へゴー!」
だが小旅行という状況でテンションが上がっており、誰も気付かなかったようだ。
温泉でゆだり、惚けていたのかと自己解決してアリサが腕を上げる。
なのは以外がそれに続いて元気良く腕を挙げ、その後に続いた。
本当はなのはも同じように旅行のテンションに任せたかったのだが、できなかった。
肩に乗るユーノの口元に指先を持っていき、じゃれつかせるようにしながら尋ねた。
『ねえ、ユーノ君。どうしてカズキさんとシグナムさんが……』
『詳しい事は後で聞けば良いけど、たぶん悪い話じゃないと思う。二人が魔導師なら、ジュエルシード探しを手伝って貰える。なのはは、無理しなくて済むよ』
違うそうじゃないと、なのははユーノの言葉を心の内で否定した。
いや、ユーノの気持ちも分かってはいる。
なのはと違い大人の二人が手伝ってくれれば、それはきっと安全な事だ。
先週の街が破壊されるような事態は、今後避けられるかもしれない。
だがその場合、なのははどうなるのか。
ただ見ているだけで、それでは廃工場でのあの日から何も変わらないではないか。
(私が本当に怖がってるのは……)
カズキとシグナムが、手伝ってくれる事を疑っているわけではない。
二人がもう良いと、なのはに対して手伝うなと言ってきた場合だ。
先週までなら、なのはもそれで納得し、肩の荷が降りたと安堵した事だろう。
「はーい、おチビちゃん達。ちょっとごめんね、通してくれるかい?」
「あ、ごめんなさい。ヴィータ、はやての車椅子もう少し寄せてくれる?」
「ああ……」
通してと言われた声に対し、やや不機嫌に返したヴィータの声になのはは我に返った。
人数が人数なだけに、縁側の狭い通路をなのは達は占領するように歩いていた。
はやてが車椅子であった事もあるが、ほんの少し通行の邪魔だったのだろう。
明るい赤髪の女性がこれから温泉に向かうのか、浮かれた笑顔で開けられた通路を通っていく。
こういう時はお互い様、何故ヴィータが不機嫌な声を出したのか不思議にさえ思った。
「フェイトと同じぐらいかな? 温泉に入った後で、卓球って奴に混ぜてもらう?」
「いい、遊んでばかりいられない」
だがその理由とは別に、なのはは赤毛の女性の影になってすれ違うまで見えなかった少女に釘付けとなっていた。
太陽の光を受けてキラキラと輝く金糸、あの時は夜だったがはっきりと覚えている。
いや夜だったからこそ、より輝こうとするその髪の色を覚えていた。
服装こそあの時とは違うが、黒のワンピースとイメージカラーは同一。
なによりもすれ違い様に、その少女の瞳はしっかりとなのはを映し出していた。
『ユーノ君、この子!』
『あの時の子だ。僕らを助けてくれた僕は姿を見てないけど、声に覚えがある!』
ユーノも同じ事を考えていたらしい。
やっと会えた、だがどう切り出して良いか分からず、声がかけられない。
そうなのはがまごついている間に、すれ違ってしまう。
向こうからは何も声を掛けられず、えっと言う呟きをなのはが漏らしたにも関わらず。
上手く頭が回らず、なんとか声をと喉の奥から絞り出す。
「あ、あの!」
「ん、私らになにか用かい?」
決して小さくはないなのはの声に、アリサ達までも振り返っていた。
そんな状態で聞けるような事は多くはない。
それに何を話せば良いかも考えてはおらず、言葉がその後から続かなかった。
「えう、あの……えっと。私達、何処かで」
「知らない、会った事はない。用はそれだけ?」
予想外の少女の返答に、言葉が詰まり思考が停止してしまう。
あの日あの時、確かに目の前の少女に命を救われたはずなのに。
最初から眼中になかったのか、それとも本当に覚えていないだけなのか。
だが少なくともなのはにとって、あの日の事は忘れられない出来事であった。
大げさな言い方をすれば、人生が変わってしまう程に衝撃的な出来事なのだ。
「会った事が、ない? で、でも」
「人違いして恥ずかしいのは分かるけど、それじゃあね。私らこれから温泉に行くから。ここに泊まってるから、運が良ければまたね」
そんなはずはないと食い下がろうとするも、少女の連れの女性に遮られてしまう。
怒ったわけではないらしく、ぽんぽんと頭を撫でられてしまった。
「こら、なのは何からんでるのよ。人違いって言われたでしょ?」
「す、すみません。ごめんなさい」
「私達、卓球してるから温泉から上がったら遊ぼう!」
「約束はできないけど、覚えておく」
終いにはアリサに注意され、関係のないすずかに頭を下げさせてしう。
二人に嫌な役をさせてしまい、さすがにそれ以上は食い下がれなかった。
まひろの一方的な約束に、覚えておくとだけ言った少女を見送るしかない。
今自分が抱いている気持ちはなんなのか。
これまで抱いた事もない気持ち。
『なのは、今はあの子の事よりもカズキさん達を優先させないと』
『なんだろう、この気持ち。分からない、分からないよユーノ君』
唇を噛んで小さな手で拳を握るなのはを前に、ユーノもどう言って良いのか分からなかった。
-後書き-
ども、えなりんです
岡倉達は、すっかり八神家になじみました。
シグナムはもちろん、ヴィータ達もすっかりカズキへの警戒心ゼロ。
まあ、カズキ達の普段を知ったらそうなるのでしょうか。
あとまひろにとってシグナムは飴をくれるお姉ちゃん。
精神的に尊敬できるとかじゃなく、欲望に忠実です。
たぶんなのは達と足して二で割れば普通の小学生になると思います。
次回は水曜更新です。