第三十八話 俺が皆を守るから
山脈と木々に囲まれた丘の上にあるログハウスの一軒家。
時折山間から吹き降ろす風は春の日差しの中にも、冷たい息吹を含んでいる。
それにも関わらず家の前には一人の女性と手を繋ぐ少女の姿があった。
誰かを待ち望むように、草原の中で地面がむき出しとなった道の遥か先を眺めている。
うきうき、またそわそわとして時折傍らの女性をクスリと笑わせていた。
待ち人が恋しいのはお互い様だが、この落ち着きのなさが正直過ぎて微笑ましい。
「来た!」
待ち人来るとばかりに、少女が彼方を指差して声を上げた。
その姿はまだ丘の起伏の向こうに少し見え始めたばかりだが、見間違いではない。
少女が我先にと駆け出していくのに会わせ、母親らしき女性もゆっくりとだが歩き出す。
向かった先に見えた人影は、全部で五つ。
中でも一際小さな人影が両手を広げて少女を迎え入れようとする。
「おー、ヴィクトリア」
「パパ!」
二つのお下げをした少女、在りし日のヴィータの脇をヴィクトリアが通り過ぎる。
飛びついた先は、彼女の言葉通り父親の方であった。
僅かな荷物を布袋にまとめ幅のある肩に担ぎ、長い黒髪を風にそよがせながら両腕を広げた。
ヴィクトリアの笑顔に負けないぐらいの表情だが、愛娘に会えた事だけが原因ではない。
懐深くで飛び込んできたヴィクトリアを抱きしめ、顔が見られないうちに笑う。
勝手に勘違いしたとは言え、肩透かしを食らった小さな騎士ヴィータを。
「わ、笑っちゃ駄目よ。でも可笑しい。無視された……抱きとめる気、満々だったのに」
「シャ、シャマル笑ってやるな。我らとてそうしたいのは山々ではあったが……くっ、息が続かん。治りきっていない傷に響く」
「…………ぷっ」
「笑うなら、いっそ笑え。主が出迎えてくれたんだ、ちょっと有頂天になっても仕方がねえだろ!」
仲間達に次々と失笑をくらい、それならばいっそとヴィータが叫ぶ。
その顔は羞恥心で一杯で、今にも噴火しそうな程に真っ赤であった。
「おか、お帰りなさい。あなた……」
「アレキサンドリアまで!?」
「安心しろ、俺も笑いを堪えるので精一杯だ。ただいま」
ちくしょうと自棄になって両手を振り回すヴィータの頭に、ヴィクターが手を置いて宥める。
こうして下らない事で笑いあえるのも、この小さな騎士のおかげでもあるのだ。
抱きしめていたヴィクトリアを地面に立たせ、改めて彼女の騎士達に向かい合わせた。
「おかえり、ヴィータ。パパを守ってくれてありがとう」
「お、おう。ヴィクトリアが望んだ事だからな」
満面の笑みでお礼を言われ、今度は別の意味でヴィータが赤くなる。
「皆も、ありがとう」
「礼を言われるまでの事はありません。主の命を受け、戦場へと赴き主の大切な人を守る。騎士として当然の行いをしたまでです」
「ヴィクトリアちゃんのその言葉で、今までの苦労が全て報われます」
「直接的でなくとも、間接的にでも主を守れたのならば本望です」
シグナム達にかしずかれるも、当のヴィクトリアは少し不満そうであった。
それに逸早く気付いたヴィータが、ヴィクトリアの頭を撫でて宥める。
「そういうの、こいつ嫌いだぞ。家族で、そう言ってくれる主がいても良いんじゃねえか?」
「そうだな、ただいまヴィクトリア」
ヴィータに指摘され、改めて皆が気安い態度に変えてヴィクトリアを撫でていった。
ヴィクトリアも家族に接するように、抱きついたり頬にキスしたりと笑顔が耐えない。
一頻り再会を喜び合ったところで、最近は少々手狭となった我が家へと向かう。
もちろん、手狭となったのはヴィクトリアが夜天の書の主となってからだが。
「それで休暇は何時まで?」
ヴィクトリアを挟んで歩く中で、アレキサンドリアがヴィクター達に尋ねた。
「ここでゆっくりできるのも一週間だけだ」
「戦況、厳しいの?」
「五分五分、恐らく次が最大の激戦になると思う」
「そう」
やはりという意味を込めて、アレキサンドリアがその笑顔を曇らせた。
ヴィクターはベルカの騎士の中でもトップクラスの実力を持つ猛者である。
そのヴィクターを囲むのは、四人の守護騎士であるシグナム達。
組織の中でも随一のチームであるヴィクター達が纏めて休暇など普通は有り得ない。
決戦を前に少なからず温情を含め、休暇という形を貰ったのだろう。
「この戦いに勝てば、次元世界の平定とまではいかずとも数年は大きな戦いは起きない。ヴィクトリアが夜天の主として戦場に立つ前に、大きな戦は全て終わらせる」
守護騎士であるシグナム達が、主の命とは言えヴィクターと共に戦場に赴いたのにはそういう理由もあった。
まだ二桁の歳にもならないヴィクトリアは、戦場に立てはしない。
だがその身に宿る魔力の大きさは、他の追随を知らない程に大きなものだ。
このまま戦争が続けば、いずれ彼女の意志に関わらず戦場へと赴かねばならないだろう。
その為にも、少なくとも大戦と呼ばれるような戦を終わらせておこうとしていた。
「アレキサンドリア、安心しろ。ヴィクターは我らが守る。守護騎士の名に賭けて、主の命は絶対に遂行してみせる」
「ええ、もちろん。シグナム達を信じているわ」
「ま、私らのチームは最強だからな。アレキサンドリアの研究も、出る幕はなしだぜ」
「本当は、そうあるべきなのでしょうけど……」
発端とまでは言えないが、ここまで戦争が拡大したのもロストロギアのせいであった。
どの組織も目の色を変えて研究しては戦線に投入し。
本来ならばそれを止めようとした自分達の組織も、同じように手を出してしまっている。
「研究も既に最終段階。成功すればジュエルシードの力を完全に制御できるわ。そうすれば、他のロストロギアなど問題にならない。少なくとも、戦線はこれ以上拡大しなくなる」
「それあと一週間で間に合わないか?」
「間に合っても、試行に一年は掛かるの」
それでもヴィクトリアが大きくなるまでには、十分過ぎた。
「難しい話、ヴィクトリアには分かんない」
だが当の本人は先の事よりも、今の方がよっぽど重要であったらしい。
頭の上を難しい話が往来し、仲間外れにされたように感じて頬を膨らませている。
不満を露に、言外に構ってと訴える愛娘を見て二人が笑う。
シグナム達も小さな主の正直な姿を見て、微笑ましく笑っていた。
「難しい話じゃないよ。パパとママ、守護騎士達も。力一杯頑張って、ヴィクトリアを幸せにしようって話していたんだ」
「パパとママ、皆も?」
「もちろん、パパとママも。シグナム達もね」
アレキサンドリアの言葉を聞いて、後ろに控えていたシグナム達にヴィクトリアが振り返る。
「任せておけって、次元世界一幸せにさせてやる」
「それだけではない、主は我々の幸福も御所望のようだ。これまでの主にない優しい厳しさだ」
「ヴィクターさんを絶対に守って、かつ私達も生き延びる、か」
「主の命令は絶対、ならば全力で生き延びるまでだ」
守護騎士達からのお墨付きを貰い、満面の笑みでヴィクトリアが頷いた。
「俺達だけじゃない。もっと多く……恐怖と戦い、厄災をはね除け。より一人でも多くの人が幸せになれるよう。この力はその為にある」
そうだろう、ヴィクトリア、アレキサンドリアとヴィクターの過去回帰が終わりに向かう。
幸せだった過去の記憶から意識を今へと戻す。
次に瞳を開いた時、ヴィクターの視線に飛び込んで来たのは自分を中心に展開する管理局員達であった。
エネルギードレインの範囲を正確に計算した上での包囲陣形。
決戦に選ばれた次元世界は、石ころだらけの無人どころか生命の一つもない無機世界。
地平線の彼方まで、それこそ惑星の反対側に行っても岩肌しかない。
ヴィクターを殺害する為だけに選ばれた死の世界である。
『FIRE!』
誰かの念話が無差別に、それこそヴィクターにまで届く範囲で展開された。
幾千の管理局員達がありったけの魔力球を精製。
幾万に届く程のそれを一斉にヴィクターへと向けて放った。
中心にいるヴィクターからすれば、色取り取りの花火が一斉に打ち上げられたよう。
だがそんな生易しいものであるはずもなく、さらには殺傷設定。
殺すためだけに、次元世界の平定の為に、それらは放たれた。
身じろぎ一つしないヴィクターへと向けて、次々に着弾しては爆煙をあげていく。
度重なる爆破に後続の魔力球は影響を受けて、目標を外れる事もある。
外れたそれらは岩肌に着弾しては大地を抉り、方々に鋭利な破片を飛ばしていった。
重度の次元犯罪者でもこれだけの歓迎を受ける事はまずない。
もはや百五十年前の最後の戦争の再現、ヴィクター対人類が開始されたのだ。
『全弾命中、やったか!』
まだ直接ヴィクターを知らない誰かの念話が響く。
世界全土を焼き尽くすような爆炎を前に、そう思っても責められるものではない。
『気を緩めるな。相手は黒いジュエルシードのヴィクター。この程度で砕けはしない』
冷や水を浴びせかけるような声は、ブラボーのものであった。
その言葉の通り、薄れ出す爆炎の中に変わらぬ姿で経つヴィクターの影が見えた。
微動だにした様子もなく、爆炎の中でも揺らいだのは蛍火に光る長い髪ぐらい。
包囲陣形を組む局員達の間に戦慄が走る。
今の攻撃は例え戦艦といえど、一時的には航行不能になる程の数の攻撃。
そのヴィクターの姿が完全に視界に現れた時、別の意味で周囲に動揺が広がった。
『黒コゲってわけじゃねえな。あのガキが第一から第二段階に進行したように、奴も次に進行しやがった』
次に聞こえたのは、ブラボーではなく火渡の呟きであった。
砕けた大地の上で瓦礫に片足をかけながら、ヴィクターが周囲を見渡す。
「少し眠っている間に、随分と集まってきたな。まずは腹ごしらえといくか」
念話とは違い、その小さな呟きは管理局員達には届かない。
何かを喰らうようにヴィクターがその口を大きく開いた。
エネルギードレインはヴィクターにとっての生態。
己の意志で全ては操れないが空腹という原初の念が、その拡大を促がした。
第二段階とは比べ物にならない程に早く、それも広くエネルギードレインが広がる。
管理局員達が気付いた時には、もう襲い。
光に誘われ火に焙られた羽虫の如く、ヴィクターを包囲していた局員達が墜ちていく。
陣形などあってないが如く、ある意味で何もされないまま無力化されていった。
『これまでとレベルが違う。総員、出来るだけ奴と距離を取れ!』
『ちっ、だから雑魚を何人集めても。照星さん!』
ブラボーが包囲陣形を穴が空く事を覚悟で、拡大させるよう連絡を取る。
だがそれも到底間に合わず、墜ちたそばから宇宙域で待機している船団に回収されていく。
結局、包囲陣形など餌を与えに来たようなものだと火渡が毒づくのも無理はない。
そのヴィクターの頭上へと、火渡の要請に従い一つの人影が落ちた。
「待ちなさい。貴方の相手は、この私が務めます」
ヴィクターが見上げた時、その人影は何処にも見えなかった。
見えたのは機械の残骸のような何か固まり。
何時の間にか周囲に展開されていたのは、銀色の魔力光を放つ方円状の魔方陣であった。
その魔方陣から機械の塊が零れ落ちては、集合して一つの塊なる。
次々に塊が集まっては形をとり、巨大な足となってヴィクターの頭上に落ちた。
ヴィクターを押し潰し、岩肌の大地を抉る間も魔方陣からは次々に機械の塊が召喚される。
最終的に全ての機械の塊が集まり、それは甲冑姿の巨大な騎士の姿となった。
十字に溝のある兜の上に照星が降り立ち、押し潰したヴィクターを見下ろす。
「久しぶりですね、バスターバロン。貴方の力を借してください」
「…………」
無言を貫く巨大な甲冑のバスターバロンは、ただ静かに頷いていた。
そのバスターバロンの足元が競りあがり、バランスを崩す前に一歩退く。
巨大さゆえにその一歩でも大地を揺るがしたが、現れたそれの衝撃はさらに大きい。
第三段階へと移行したヴィクターが、バスターバロンと同じ大きさに巨大化したのだ。
『なんでも有りかよ……』
迂闊にもタバコを取りこぼした火渡が、そう呟いてしまう程の衝撃。
(長い戦いになりそうですね)
バスターバロンは照星の切り札とも言える、召喚騎士。
これまでも全身召喚は数える程しかないが、それでも確実に勝てるとは口にできない。
ただ勝敗はどうあれ、もはや戦う以外に道は残されてはいない事だけは確実であった。
何日ぶりの事になるだろうか、カズキはバスのタラップを踏みしめて車内へと上がりこんだ。
その腕の中に抱かれ、カズキに抱きついているまひろは身じろぎ一つしない。
昨晩、久しぶりに兄妹水入らずで一緒に寝てからずっと、この調子である。
それも仕方がないかもしれないが、苦笑しつつバスの中に視線をめぐらす。
幾人か、名前は知らないが何時も同じ時間にバスを利用する人達が驚いたように見てきた。
カズキもなんとなく黙礼を返し、バスの最後尾へと視線を向ける。
「本当に帰って来てたんだ」
「カズキさん、フェイトちゃんも、こっちです」
手を振りながら声を掛けてきてくれたのは、アリサとすずかであった。
珍しい事に家を早く出たカズキ達の方が、なのはよりも先に着いたようだ。
一度まひろを抱き上げなおし、懐かしい日々を取り戻すように最後尾へと向かう。
「おはよう、アリサちゃん。すずかちゃんも」
「おはよう、アリサ。すずか」
コアラの子供の様にカズキに抱かれているまひろは、もはやスルーである。
あまりに見慣れた光景に突っ込まれる事もなく、毎朝の挨拶を交わす。
「あ、あれ? 私の方が……」
そうしている間に、自分が後だという違和感を抱きながらなのはがやってきた。
これまた挨拶を交わしていると、バスの運転手がクラクションを鳴らし始める。
どうやら、岡倉達もようやくやってきたらしい。
なのはに続いてバタバタと車内へと駆け込んできて、そこでカズキを見つけた。
帰宅事態は昨晩に皆にメールを送ってはいたが、それはそれ、これはこれ。
「カズキ!」
ゆっくりと走り出したバスの中を駆けるように、一番後ろの座席へと歩いてくる。
「ただいま、皆」
まひろを抱いている為に余り身動きが取れず、なんとか左手だけでも開けて掲げる。
岡倉、六桝、大浜と順にその手に手を合わせて音を鳴らせていく。
アリサ達からは、なんとも男の子らしい再会の仕方だと少々笑われてしまったが。
これでまひろを抱いていなければ、スクラムの一つでも組んでいたところだ。
まだまだ大人しい再会の仕方だといったところである。
「で、どうだった? 二人の仲はちったあ進んだのか?」
「ハ? ナンノコトヤラ?」
「なんだ二人で婚前旅行にでも言ったと聞いたが。違うのか?」
「僕らより一足先に、大人になっちゃったんだねカズキ君」
だが大人しいなら大人しいなりに、男としてあるべき方向へと話が流れていく。
岡倉がカズキの肩に腕を回し声を潜め、六桝や大浜もそれに続いた。
どうやらカズキの逃避行の理由は、そういう風に歪められて伝えられているらしい。
恐らくというまでもなく、リンディの仕業である事だろう。
「違うって、ちょっと事情があってフェイトちゃんの実家に」
「大事な娘を預かっているんだ。親御さんに挨拶に行っていたと」
慌てて事実を交えたそれっぽい釈明をするが、六桝が余計な一言を呟いた。
「フェ、フェイトあんた……シグナムさんからついに略奪!?」
「その場合、問題があるのはカズキさんのような」
「アリサちゃんもすずかちゃんも、そんな違うよ。えっと、ほら。聖祥大付属に通う事になった事とか色々、ね?」
「うん、母さんに色々と報告して来たんだ。それにカズキが好きなのは、シグナムだよね?」
次に慌てて釈明したのは何故かなのはであり、フェイトは落ち着いていた。
何かまた一つ心の整理をつけるように一度瞳を閉じて、笑顔でカズキに言った。
今さらな感はあるが、さあ真実を吐けとばかりにカズキへと皆の視線が集まる。
そんな中でカズキにずっと抱かれ、自らもしっかりと抱き付いていたまひろが見上げた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんと結婚してもまひろと一緒に居てくれる?」
少し茶目っ気を出したフェイトの問いとは異なり、その問いは重い響きを残していた。
ある日突然、何も告げずにカズキが居なくなったのだからそれもある意味で当然。
まひろの想像と事実はかなり遠い場所にあるが、その胸に抱いた不安は間違いではない。
本当の事情を知るフェイトやなのはも、カズキを見つめるだけで何一つ助言はできなかった。
「当たり前だろ、俺はずっとまひろのそばにいる。皆のそばに、いるよ」
何一つ正直に話せる事もなく、カズキはそう言うので精一杯であった。
答えに満足したのか、ようやくまひろが笑顔を見せた。
ずっと掴んで放さなかったカズキの制服から手を放す。
それでも抱っこから降りようとはしなかったが、少しは心が楽になったらしい。
皆との会話の中にも加わり、先に下りるカズキ達と別れるまでお喋りに興じた。
一足先にバスから降りたカズキは、なのは達にまひろを任せて高校へと向かった。
改めて、シグナムとの進展具合等を問い詰められたりしながら登校する。
バス停から校門、さらに教室へと至る直前に、カズキはトイレと言って岡倉達と別れた。
皆の前では空元気も元気とばかり笑顔を見せていたが、その足取りは重い。
肩を落として溜息をつきながら、トイレのドアの前で立ち止まる。
「まひろに嘘、ついちまった」
カズキの決断はどうあれ、もうまひろのそばには居られない。
あの甘えん坊がカズキがいないままで生活できるのか。
父親と母親には既に連絡を入れて帰って来て欲しいと願ったが、それで解決とはいかない。
甘えられる誰かが帰って来ても、そこにカズキはいないのだから。
「どうした、またあの時のように意気消沈しているぞ。らしくもない」
「蝶野!」
「やあ」
らしくもないのはお互い様、慰めるようなパピヨンの声に驚きながら振り返る。
トイレ前の廊下ではなく、窓を隔てた向こう側にパピヨンはいた。
背中に魔力による黒い蝶の羽を羽ばたかせ、一目もはばからず自由に舞っている。
「お前、あれからずっと姿を見せないと思ったら。一体今まで何処で何を?」
「もちろん秘密の研究所で。と言っても辛うじて沈まなかった時の庭園だが……そこで、白いジュエルシードの研究」
それは思いもよらない返答であった。
「お前……白いジュエルシードをもう一つ作るつもりか?」
何しろ白いジュエルシードの元は、黒いジュエルシード。
その精製方法は百五十年も前に失われたと、アレキサンドリアは言っていた。
もう作れないのだ、自由が利く黒いジュエルシードは一つも残されていない。
パピヨンがその事を知らないはずもなく、知った上で作ると言ったのだ。
「俺の目的は、人間・武藤カズキを蝶最高の俺が斃す。その為には白いジュエルシードは必要不可欠」
「でもアレクさんはもう作る事ができないって……」
「フン、俺は人間だった頃、会う医者全てに余命幾許と宣告されてきた。だが今ではこの通り、もうビンビン!」
自らの下半身を指差し、元気が有り余っているとパピヨンは言う。
「選択肢なんてものは、他人に与えられるのではなく自ら作り出していくものだ。武藤、お前がどの様に決めようと、俺はお前との決着は諦めない!」
パピヨンは諦めないと、頑なに信じ込むように道を模索している。
同じ諦めないという言葉を胸に行動したカズキよりも、それは一歩抜きん出ていた。
カズキはあくまで、納得の為に、そこで立ち止まり満足する為に諦めないと言った。
それが今のカズキとパピヨンとの間にある明確な差。
負けたとは決して口にできはしないが、現時点での差を明確に示されたようにカズキは唇を噛み締めていた。
少し元気がないと岡倉達に心配されながら、カズキはその日の一日を過ごしてしまった。
旅の疲れがとその場は誤魔化し、今日はゆっくりすると一人帰宅を急ぐように別れた。
もちろん疲れがないわけではないが、岡倉達との交友を拒否する程でもない。
やはりカズキが日常に戻りきれないのは、待ち受けている選択。
そして今朝方に顔を見せたパピヨンが選んだ、不可能を可能にするという選択であった。
「決めなくちゃ、な……」
帰宅路の途中にある公園に差し掛かった辺りで、誰に言うでもなく呟いた。
たった一つしかない白いジュエルシード。
黒いジュエルシードで体を変えられてしまった人間は、二人。
一体どちらが使うべきなのか。
その答えは、最善は既にカズキの頭の中でささやかれている。
今この瞬間も、圧倒的な力でロストロギアに関わる全てを破壊しようとしているヴィクター。
一方のカズキは、例えヴィクター化しようともそんなつもりは一切ない。
ヴィクターに白いジュエルシードを与えて人間に戻せば、少なくとも戦闘は終わらせる事ができる。
説得か、殺害かはまた別にして。
カズキが白いジュエルシードを使っても、ヴィクターは止められない。
より大勢の人を救う為には、答えなど最初から決まりきっている。
その決断を思うと、足を止めて立ち止まらずには居られなかった。
(けど、そしたら俺は……)
希望は少なからずある。
パピヨンは決してカズキを人間に戻すまで諦めない。
自分だって人間に戻れるまでは決して諦めない、だが少なからず諦めなければならないものもあった。
甘えん坊が直らない妹との生活、大事な友人である岡倉達との生活。
決して諦めないにしても、彼らが生きている間に間に合わないという可能性はある。
「俺が皆を守るから、誰か俺を……」
「大丈夫か、カズキ?」
ふいに掛けられた言葉に顔を挙げ、直前まで抱いていた不安を胸の中に押し隠す。
公園内を正面から歩いてきたのは、シグナムであった。
旅の間に着ていた騎士甲冑であはなく、彼女の私服姿。
初めて会った時と同じ、茶色のジャケットに白シャツ、下はジャケットと同色のタイトスカート。
「シグナムさん、どうしてここに?」
「お前の事だ、まだ一人で悩んでいるのではと思ってな。ずっとここで待っていた」
そう呟いたシグナムは、無駄に言葉を続ける事なく近くのベンチを指差した。
カズキがと惑えば、その手を取り強引にでも連れて行き座らせる。
目の前は公園にしては鬱蒼とした森林があり、獣道に近い横道が続いていた。
ここが何処か思い出し、ハッと気付く。
そのカズキに視線を向けられ微笑んだシグナムは、一つ頷いて言った。
「そう言えば、まだ礼を言っていなかったな。あの時は強がって見せたが、少なからず危うかったのは本当だ。遅くなったが、ありがとう。助けてくれた事を感謝している」
「シグ」
何かを言おうとしたカズキの唇に一指し指を当てて止め、私が先だとシグナムが続けた。
「私の答えを先に聞いてくれ。お前がどういう決断をするかは、ある程度想像ついている。だから私も選択した。私はお前を待つ事にした」
「俺を?」
「ああ、私は人ではなく闇の書の守護騎士。歳を経て老いる事もない。一時、その事で悩みもしたが今ではそれで良かったとも思う。何十年、それこそ何百年経とうと私はお前を待ち続ける、お前が人に戻れる日まで。それが私の選択だ」
一息で、やや急ぐように答えを言い切ったシグナムは満足気に瞳を閉じた。
そして隣に座るカズキの肩へと体を傾けて頭を預けるようにする。
恋人同士のように、その身を預けるように寄せて後はお前の決断だと待つ。
それに応えるように、カズキも恐る恐るだが手を伸ばして逆側のシグナムの肩を掴んだ。
そのまま自分に抱き寄せるように、力を込める。
(大丈夫、シグナムさんは言った。待っていてくれるって)
シグナムの存在を今までにない程に感じながら、驚く程に穏やかになった胸中で考える。
あの日、カズキは特別な事は何一つ考えずにただ必死であった。
シグナムがどんな人かも知らず、ただがむしゃらに守ろうと危険に飛び込んだ。
その後に巻き込まれた、自ら飛び込んでいった戦いにも後悔はない。
皆を守りたい、この手が届く限り守りたいその気持ちは全く変わってはいなかった。
特にこの手の中にいる特別な人は、より一層守りたい気持ちが強くなっている。
どうすれば良いかなど、最初から分かりきっていた。
だがシグナムは背中を押してくれた、待っていてくれると。
「心残りがないわけじゃない。けれど、決めた」
臆病風に吹かれ自分だけ人間に戻っても、ヴィクターとは戦わなければならない。
その時シグナムはこんな穏やかな時間の中で自分の隣にはいないだろう。
きっと戦場で何時命を散らすかも分からない状態だ。
彼女が騎士である以上避けられない道ではあるが、できる事ならば避けたい。
「でも……まだ少し勇気が足りない」
「そうか、仕方のない奴だ。私がいくらでも、分けてやる。好きなだけ、持っていけ」
預けていた頭を持ち上げ、瞳は閉じたままシグナムはやや上を見上げるようにした。
そしてカズキがシグナムの両肩に手を置き、唇が重ね合わせられる。
長く、それこそ日が暮れる程に長く二人は唇を重ね合わせ続けていた。
そして、帰宅途中のまひろ達に見つかるのはまた別のお話。
-後書き-
ども、えなりんです。
管理局VSヴィクターの結末は微妙に原作と変わります。
ある程度予想がついている人がいるかもしれませんが……
管理局は超兵器もってますしね。
さて、カズキとシグナムの恋はひとまず成就。
そしてフェイトも微妙に自分の気持ちに区切りをつけはじめてます。
ただフェイトの方は、もう少しちゃんとした形で決着をつけます。
正直なところ、カズキもシグナムも自分の事で精一杯でフェイトの気持ち全然気付いてませんからねw
九歳に色々と負けてる17歳と?歳ですよ。
それでは次回は水曜です。