第三十五話 ヴィクターを殺す前の軽い運動だ
パピヨン達一向も、ほぼカズキ達と同時刻にニュートンアップルへと辿りついていた。
見渡す限りの草原と、こちらに覆いかぶさりそうにも見える大樹の数々。
それら大自然を前にアリシアのみならず、シグナムも目を奪われている。
逃避行の途中にあるほんの一息の小休止。
それぐらいは許されて然るべきであったが、心から休めない理由があった。
「んぐ、まだ見た事のない蝶々が密やかに息づいてそうだ。寄り道したい、き・ぶ・ん」
紙袋一杯の肉まんを頬張りながら、勝手な事をいうパピヨンである。
がさがさと紙袋をあさったり、肉まんの匂いが色々とぶち壊しであった。
時の庭園から逃げ出した転移先からここまでの距離は、カズキ達が辿った行程の半分に過ぎない。
なのに何故、次元世界ニュートンアップルに辿りついたのが同時刻なのか。
それはあっちへふらふら、こっちへふらふらと気を取られまくるパピヨンにあった。
「少しばかり心を癒したいのは同意見だが、貴様はもっと自重しろ。私達は食道楽の旅をしているわけじゃないんだぞ!」
「そうだよ、パピヨンのお兄ちゃん。カズキのお兄ちゃんも、今頃はこの世界に来てるはずなんだから。早く合流しないと……昨日の中華っぽいのは美味しかったけど」
シグナムにならいアリシアも嗜めるも、後半の呟きにて言葉を濁す。
「黙れ、ココまでの道中誰の金銭で事なきを得たと思う」
「うぐ……当初、こんな強行軍になるとは」
半ば勢いで行動した節もあり、シグナムも多くの金銭を携帯していなかったのだ。
というか、管理外世界の金銭は当然の事ながら非換金対象である。
パピヨンが持っていた次元世界の通貨におんぶに抱っこ。
ニートじゃない、ニートじゃないもんとシグナムが、胸の痛みから目を背けた。
「あ、気にしないでシグナム。アレ、ママの遺産だから。パピヨンのお兄ちゃんが勝手に引き出して使用してるだけだから」
「貴様、故人の遺産をただの食道楽に使うな!」
「ふん、死んだ奴の金を俺が如何しようと勝手だ。金品に興味のないアリシアが持っていても文字通り宝の持ち腐れ。有効活用してやっているんだ。感謝して欲しいぐらいだね」
「シグナム、本当に気にしないで。私、パピヨンのお兄ちゃんの行動は大抵諦めてるから」
あははと乾いた笑いを浮かべたアリシアを、シグナムが抱き上げ抱きしめる。
心底、なんて不憫な子なんだと。
リンディがアリシアを猫可愛がる理由が、母性という本能的な部分で理解できた。
その分、鼻歌を歌いながら肉まんを頬張るパピヨンの憎さは倍増しだが。
「さて、腹も一杯になったし観光も済んだ。そろそろ、来たか」
観光気分を一新し、空を睨みつけるようにパピヨンが見上げた。
その意味するところを察して、シグナムもアリシアを庇うようにして見上げる。
空には太陽が二つ、昇っていた。
多くの次元世界には太陽が複数ある世界もあるが、この世界は地球と同じく一つだ。
ならば何処からその余分な一つが増えたのか。
この中でそんな光景に見覚えがあるのは、アリシアであった。
「管理局の特殊部隊隊長、火渡」
最初は小さく見えていた太陽は、その大きさを変えるように近付いてきていた。
炎の塊を足場にしていた赤髪と獰猛そうな瞳を持つ火渡が、見下ろし呟く。
「けっ、こっちは外れかよ。まあ、雑魚でも少しは楽しませろよ。ヴィクターを殺す前の軽い運動だ!」
言葉を交わす間もなく火渡が移動に使っていた炎の塊を蹴りつけた。
まるで質量を持っているように、加速しては多くの酸素を喰らい燃え上がる。
一体その炎の固まりは、何千度の熱にまで膨れ上がっているのか。
炎の魔力変換資質を持ち、同時に耐性を持つシグナムでさえ顔を歪ませる熱量であった。
まだ着弾に至らないのに、周囲の草花は急速に水分を失いしおれ始める。
当然の事ながらパピヨン、アリシアを抱いたシグナムは回避を選んで飛び退った。
「問答無用か。カズキが標的のはずではなかったのか?」
「あの人はそんな事は関係ないよ。カズキのお兄ちゃんを庇う人は全員同罪、全力で殺しに掛かって来る。パピヨンのお兄ちゃんより危険な人なの!」
着弾した炎は爆発的に膨れ上がり、地面をも喰らって巨大な炎の柱と化した。
管理局員のくせに、周囲の自然への被害もお構いなし。
結界はおろか、見たところ非殺傷設定すらも設定された様子はない。
隊員達も相当な戦好きか、変態であったが、隊長も負けず劣らずといったところか。
到底会話による和解や、見逃してくれるような優しさは持ってはいまい。
「仕方がない、戦るぞ。レヴァンティン!」
「Jawohl」
待機状態のペンダントから、刀剣の型にレヴァンティンを変えてシグナムが叫ぶ。
「あれ程の炎使いに、同じ炎の魔力変換資質のお前がいてなんになる? 邪魔にならないように、すっこんでいろ」
「なっ、貴様。烈火の騎士であるこの私を!」
「ストップ。喧嘩しちゃ、って」
「どの道、手前ら全員黒焦げだ。さっさと死んじまいな!」
未だ健在の炎の柱から、火渡の意志に従い炎の塊が放たれた。
当初よりもサイズは小さいが、それでも一抱えの炎が散弾のように撃たれ続ける。
これには戦意に水をさされたシグナムも、激昂を抑えるしかない。
「シグナム、聞いて。パピヨンのお兄ちゃんの言う事も一部は事実だよ。それに、こっちが襲われている以上、カズキのお兄ちゃん達も」
逃げ惑いながら声を張り上げるアリシアの言葉を聞いて、その襲撃者を想像する。
「特殊部隊の隊員は大半を退けた。その隊長がここにいる以上、ブラボーか?」
「たぶん、シグナムはこっちよりカズキのお兄ちゃんのそばにいた方が力になれる。フェイトの事を考えたら、言っちゃいけないけど。シグナム、行って!」
「行くならさっさと行け。武藤があの男を倒すのなら、俺はこの男を倒す。余計な手出しは無用だ」
「本音か、素直じゃないだけか。パピヨンは恐らく前者だろうな。すまない、行かせて貰う!」
同系統の能力者同士では、決定打を出しにくいだろう。
かと言って、シグナムの技能を考えればサポートに周るのは能力の無駄でしかない。
カズキのそばで戦えるのなら、むしろそばにいられるのならと。
シグナムはまずこの場からの離脱を第一に考え、駆け出した。
「はっ、逃がすと思ってんのか!」
「それこそ、手を出させると思った? ストラグルバインド!」
火渡の気がシグナムに向いた隙をついて、アリシアが魔力の鎖を伸ばした。
「手を貸すようで不満だが、邪魔は少ない方が良い。黒死蝶!」
アリシアの魔力の鎖が火渡を縛り上げたところで、黒死蝶で吹き飛ばす。
特に技量は必要としないが、それでもアリシアとパピヨンの連携攻撃である。
だがこの時に火渡が取った行動は、いささか不可解なものであった。
二人の同時攻撃に気付きつつも、未だ気はシグナムに向けたまま。
ついにはアリシアが生み出した魔力の鎖がその身に襲い掛かる瞬間、すり抜けた。
まるで火渡の体が千切れ飛んだかにも見えた次の瞬間、黒死蝶が猛威を振るった。
火渡の体が崩れ散りじりに吹き飛ぶまま、爆煙の中へと消えていく。
「や、やったの?」
まさかという思いを込めて、震える手を握り締めながらアリシアが呟いた。
寧ろ無事であって欲しい、たかが捕縛の魔法で体が千切れるとは思わなかったのだ。
殺した、いや幻影かそれとも他の何か。
一体どれが良かったのか、もうもうと広がる黒煙の中から一発の炎の塊が飛び出した。
「良かっ、じゃない。防御結界!」
炎が向かった先は、もはや遠すぎて草場の影にさえ隠れそうな程のシグナムであった。
咄嗟に射線に割り込んだアリシアが、炎の塊と自分との間に魔力結界を生み出した。
魔力によって生み出した方円上の魔法陣を盾に、炎の塊を受け止める。
一瞬では四散せず、標的を変えてアリシアを燃やし尽くそうと猛る狂っていた。
魔力の壁越しでもはっきりと分かる熱は、アリシアがホムンクルスでなければ相当の猛威であった。
熱を帯びひり付く肌が悲鳴を上げた頃、炎が小さく破裂する。
「くっ!」
消え入る前の最後の足掻きに吹き飛ばされ、やや腰砕けにアリシアは落ちた。
本当に生きていて良かったのか、悪かったのか。
風により薄れゆく爆煙の中から現れた火渡が、さも楽しそうに瞳をぎらつかせ笑う。
「お、耐え切ったか。さすがはホムンクルスってところか。雑魚って言葉は訂正してやる。少しはやる雑魚ってな」
「うぅ、なんで私に集まる男の人って厳しい人ばっかなの」
「そんな小さななりで男運をどうこう言うには百年早い。身の程を知れ」
「厳しい兼、変態筆頭のパピヨンのお兄ちゃんに言われても……」
ぶつぶつと言いながら、アリシアがバリアジャケットのお尻を払って立ち上がる。
シグナムをこの戦線から離脱させる事にはなんとか成功した。
次はパピヨンとアリシアの二人で、この謎の能力者を倒さなければならない。
そう、謎の能力者だ。
火渡はただの炎の魔力変換資質能力者ではない。
もっと別の何か、まだ詳細は分からないが、先程の光景よりそれは明らかである。
容易く千切れ飛ぶ体に、捕縛や爆破が殆ど聞かない体。
『この人、幻術系統のレアスキルなのかな? この炎も、実は幻術とか』
『それは恐らく違うな。幻術ならば、炎に拘る必要がない。お前が防いだ一撃も、防げなかったという幻を見せれば良いだけだ。まずはレアスキルの看破だね』
手伝えと、念話は使用せず瞳でパピヨンはアリシアに命じた。
「内緒話は終わったか?」
「ああ、貴様程度この一匹で十分だ」
通常よりも二倍、三倍近い黒死蝶を手の平で支えたパピヨンが火渡に答える。
アリシアを下がらせ、体は半身にして黒死蝶を制御する腕を前へと突き出す。
明らかな誘いを前に、さも面白そうに火渡が笑みを浮かべた。
「早撃ち勝負か。面白れえ」
両の手の平から小型の竜巻の炎を巻き上げ、撃つ体勢に入った。
殺し合いの場にて、合図はなし。
しいて言えば、どちらかが先に動いた事そのものが合図である。
互いにピクリとも動かず、隙を伺い、先に動いたのはパピヨンであった。
「黒死蝶!」
「おらあ!」
放たれた黒死蝶に刹那も遅れず、火渡が巨大な火球を放った。
炎と爆破、似て非なる能力同士、我先にと酸素を喰らい合い黒煙と熱風を撒き散らす。
その黒煙を裂いて、つい先程みたばかりの魔力の鎖が、蛇の様にうねり伸ばされた。
アリシアのストラグルバインドである。
早撃ち勝負等という格好はもちろんフェイク、再び火渡を捕縛しようと襲いかかった。
「はっ、この程度の不条理なんて事はねえ。まさかこの程度で終わりってんじゃねえだろうな!」
二本、三本と増えていく魔力の鎖を、余裕の笑みさえ浮かべて火渡が頭を下げ、飛び退ったりと避けていく。
「ああ、もちろんだ。これで終わるはずがない」
そして火渡が大きく飛び退ったその時、パピヨンもまた黒煙に紛れて飛び出していた。
奇襲の波状攻撃、黒死蝶もその後のストラグルバインドもフェイク。
さらにアリシアには、魔力の鎖の捕縛を甘く、避けやすいようにと言い含めてある。
思った通り温いとばかりに叫んだ火渡の懐に隙ができた。
自らの黒死蝶で生み出した黒煙を引き裂きながら、パピヨンがその懐に飛び込んだ。
そして一閃、野獣の獣のソレよりも鋭い手の爪にて、喉笛を掻き切った。
「なる程、そう言うことか」
だが必殺の一撃を入れたはずのパピヨンは、勝利の笑みを浮かべてはいなかった。
むしろしてやられたとばかりに、全てのカラクリに気付かされていた。
「上出来だ、褒めてやるぜ。だが、読みが甘えのはお互い様だ!」
明らかに喉を切り裂かれながらも、目の光に曇りはなく、寧ろより炎が猛っていた。
咄嗟に両腕をクロスさせて己が身を庇うパピヨンへと向けて炎が襲い掛かる。
斬り裂かれた喉の奥から膨れ上がりながら。
「ぐああッ」
いつも不敵な笑みを浮かべ余裕を失わないパピヨンが、初めて悲鳴を上げた。
大地を焼き払うのではなく、砕き灰塵に返す程の炎である。
明らかにホムンクルスの耐久性を上回るそれを前に、平気なはずがない。
だが次の瞬間、アリシアが生み出していた魔力の鎖がパピヨンへと絡みついた。
炎にまかれ燃やされつつあるその体を包み込み、引き寄せる。
術者であるアリシアの元へと、そのまま鎖でミイラのように包み込み、地面に叩きつけた。
再び今度は異なる意味でパピヨンが悲鳴を上がる。
だがその体は完全に地面に埋め込まれ、炎が必ず共にあるべき酸素を遮断させた。
「パピヨンのお兄ちゃん!」
埋まった地面の底から、炎の名残である煙はまだ上がっている。
自分でやっておきながら大丈夫かと、不安そうにアリシアが叫ぶ。
「煩い、この程度で逐一叫ぶな」
だが程なく熱で焼け焦げた土の中から、パピヨンの腕が伸びてきた。
圧し掛かる土を押しのけながら、アリシアの不安を振り払うように起き上がる。
だが何時ものお洒落なバリアジャケットはぼろぼろで、本人も相当疲弊していた。
口元は吐血の血で汚れており、苦しそうに咳き込んでは新たな血を手で拭っている。
「全く、この間の戦部といい貴様といい。ホムンクルス以上の回復力、そして耐久力。ただの人間の癖に、もはや呆れ果てる」
「耐久力?」
「と言うより、物理的な攻撃は殆ど無効だ。奴のレアスキルは炎の魔力変換資質ではなく、自分の肉体をも炎に変換する能力。もはや火炎同化能力者と言った方が正しいな」
「だが、それが分かったところでなんになる。俺のレアスキルは、種が割れたところで影響は殆どねえ。五千度を超える炎を一瞬で凍てつかせるような能力でもなければな」
レアスキルの能力に絶大の自信を持って火渡が笑う。
事実、それに見合う能力であったし、火渡自信もそれに胡坐をかいているだけではない。
事前に幻術かとアリシア達を惑わしたのも、確かめようとしたパピヨンを罠に填めたのも。
先程もパピヨンがホムンクルスでなければ、アウトであった。
口ぶりは乱暴でいて思考も粗暴だが、長年の経験が慎重さを加えさせ非常に厄介な敵として目の前に立っていた。
「パピヨンのお兄ちゃん、何か手はある? 手詰まりとは、聞きたくないかな?」
「ふむ、奴の部下か……」
そう呟いたパピヨンが、ふいにアリシアの頭を撫で付けた。
叩くわけでも、髪の毛をかき回すわけでもなく。
余りにも似つかわしくない、不自然な行動であった。
思わずアリシアが怖気を感じて後ずさったとしても、仕方の無い事であろう。
「下がっていろ。遠くに、この炎が届かないぐらいにな」
「え、うん。分かった」
不安げに見上げてくるアリシアの瞳へと命ずるように、パピヨンは頷いた。
パピヨン一人に全て押し付ける事に後ろ髪を惹かれるように、アリシアが駆けていく。
だがシグナムが逃げ出した時とは違い、火渡は逃げ出すアリシアをただ見送っていた。
胸のポケットからタバコを一本取り出し、火をつけて紫煙を吐くぐらいの余裕で。
「撃つと思ったが、どういう風の吹き回しだ?」
「手前らの三文芝居のせいで、背筋が痒くなっただけだ。断じて惚れた女が頭ん中で煩せえんじゃねえよ。不条理を不条理でねじ伏せる、それが俺の殺り方だ」
「結構、それじゃあ続きを始めようか」
今再びのしきりなおし、パピヨンが黒死蝶を手に、火渡が両手に炎を生み出し身構える。
今度は早撃ちではなく、全ての能力を使った総力戦だ。
その証拠に、時が経つ程にパピヨンの手から黒死蝶が生まれては周囲に羽ばたく。
兎に角残された短い時間で手数を増やす。
だがそれを悠長に待ち続ける火渡でもない。
四匹、五匹目とパピヨンの手の平から黒死蝶が待ったその時、動いた。
「ブレイズオブグローリー!」
自分自身を炎と化して、突っ込んできた。
「黒死蝶」
それにあわせ、先手は譲らないとばかりにパピヨンが黒死蝶を一匹放った。
その黒死蝶は自ら火花を散らす前に、火渡が生み出す灼熱の風によって起爆。
切欠を与えた火渡を巻き込んで炸裂する。
生み出された爆風により、火渡の姿が揺らぐも、散らすには至らない。
そしてパピヨンが第二射を放つより先に、火渡がその懐に潜り込もうとした。
目と鼻の先、手を伸ばさば触れられる距離にまで踏み込む。
「おらぁ!」
炎そのものである腕を使い、フック気味に横からパピヨンのこめかみを狙った。
もちろん、本当の狙いはその頭を消し炭に変える事だ。
ならば手で受け止めるわけにもいかず、パピヨンも上半身をそらしスウェーを行なう。
背骨が折れるのではと心配になるぐらいに体をそらし、同時に左腕を伸ばす。
握りこまれた拳を、炎の塊である火渡の腹の中へと容赦なくぶち込こんだ。
「あ? テメェ、舐めてんのか?」
今の火渡は炎そのもの、突然のパピヨンの暴挙に募る怒りは当然でもあった。
「外からが駄目なら、中からならどうかな?」
「そういう事かよ」
火渡の腹に付きこまれたパピヨンの拳が、開かれる。
握りこまれていたのは一匹の黒死蝶、起爆しないよう熱や炎から手の平で庇っていたのだ。
当然、その手の平を開けば黒死蝶は炎を巻き込み起爆する。
次の瞬間、火渡が内部から爆発四散した。
爆風に煽られより一度は大きく膨れ上がり、拳大程の大きさとなって散る。
その様子は打ち上げに失敗した花火の様だが、命の灯火は消えはしないようだ。
空の上で風が渦巻き、飛び散った炎をかき集め、等身大の人の大きさの炎の竜巻となる。
それが最後の一巻きを終えると、人型となってやがて火渡そのものとなった。
「次から次へと、良く考えつくもんだな。感心してやるぜ」
「やれやれ、効果なしか。わざわざ腕を一本潰したというのに」
五体満足に、特徴的な赤髪を掻き揚げながら火渡が笑う。
潰したという言葉の通り、パピヨンの左腕は肘から先が消えていた。
こうして喋っている間も、断面からはぼろぼろと炭化した欠片が零れ落ちている。
火渡の腹に腕を突っ込み炭化し、さらに黒死蝶の爆破により消し飛んだのだろう。
「それでこそ、殺りがいがあるってもんだ。だが、さっきのが奥の手って感じじゃねえな。テメェの目はまだ死んじゃいねえ」
「さあて、それはどうかな」
言葉のやり取りを中断させるように、パピヨンが次の黒死蝶を飛ばした。
爆破により、火渡の表面を爆風で揺るがす。
その間に背中から黒い蝶の羽を生み出し、地面を蹴って空へと昇る。
「ここまで俺とやりあえた奴はそう多くねえ。今度こそ、雑魚って言葉は完全に取り消してやる」
「別に嬉しくともなんともないな……貴様に認めて貰う事よりも、ほら。武藤との決着を夢想した時のほうが」
相変わらずのテンションで叫ぶ火渡の言葉を打ち払い、パピヨンがうっとりとした表情を浮かべた。
最終的なパピヨンの目的は、依然として変わらず人間・武藤カズキとの決着。
この戦いですら、行きつけの駄賃に過ぎない。
だがそれは火渡も同様であり、対ヴィクター戦の前の前哨に過ぎなかった。
ただ両者の間で決定的に違うのは、バトルジャンキーとしての面があるかどうか。
元来パピヨンは研究者肌であり、火渡は特殊部隊として戦いに明け暮れるのが好きだった。
「腹が駄目なら、まずはその頭を吹き飛ばす」
「はっ、無駄だってのが分からねえか。燃え尽きちまいな!」
戦いの中でも常に方法を考え、洞察を重ねていくパピヨンに対し、火渡は強引に燃やし尽くしていく。
もっとも、火渡も何も考えていないわけでもなく、それが自分の能力と最適の戦い型だと知っているからだ。
だが着実に、両者の戦い型がこの戦いの終わり方を分け始めていた。
攻撃を加える為に、火渡を消滅させる為にその身を削りながら戦うパピヨン。
反対に、苛烈な攻撃を加えながらも、火渡には怪我らしい怪我もない。
炎という形のないものが、傷つけられるはずがないのだ。
炎が持つ攻撃力の高さに目が行きがちだが、ある意味で火渡も絶対防御に限りなく近い能力であった。
唯一の弱点は、正反対の性質を持つ水か氷であろうが、あいにくこの場にそんな能力を持つものはいない。
そしてついに、全身に火傷を負いながらパピヨンが地面に膝をついた。
「ようやく、かよ……手間かけさせやがった」
「ケホッ、まだ」
火渡も激しく体力を消耗して肩を揺らしているが、パピヨン程ではなかった。
左腕は肘から先がなく、火傷がない肌の方が珍しいぐらい。
バリアジャケットであるお洒落なスーツも、維持が困難なのか時折姿がブレていた。
それでも戦意だけは失っておらず、血反吐を吐きながら黒死蝶を生み出そうとする。
「チッ、久々に全開で戦うと頭がいてぇ。ヴィクター・スリーを殺る前に、シャワーでも浴びてえところだ。だが、その前に」
こめかみをとんとんと叩きながら、火渡が睨みつけるようにパピヨンを見下ろした。
「キッチリ、止めは刺しておいて殺る!」
「くッ、黒死蝶!」
頭上に炎の塊を生み出した火渡を前に、パピヨンが最後の足掻きを行なう。
その爆破の威力は元来の半分もなく、火渡の表面を僅かに揺るがす程度。
完全に力尽きたかと、ニヤリと火渡が唇の端を持ち上げた。
「じゃあな、あばよ。直ぐにヴィクター・スリーも、なに!?」
だが次の瞬間、ばふりと少々間抜けな音を立てて頭上に掲げていた炎が消えた。
「制御に失敗、馬鹿な。この俺が……痛ッ、この頭の痛みまさか」
「ようやく、と言ったところか。実は俺も少々頭が痛いが、貴様程じゃない」
頭を両腕で抑え、その直ぐ後で火渡は喉を抑え始めた。
ひゅうひゅうと、乾いた管を風が通るような音がその喉の奥から響く。
そして初めて動揺を見せた火渡へと、今度は逆にパピヨンが勝利の笑みを浮かべて見せた。
こんこんと軽く頭を叩きながら、パピヨンが立ち上がり火渡に指を突きつける。
「貴様の能力は本当に厄介だった。物理攻撃は全て無効、非物理の攻撃も恐らくは対極の属性以外も無効だ。当初、あの女を行かせはしたが、実はこの俺も属性的に相性は悪い」
シグナムが炎の魔力変換資質であるのに対し、パピヨンも魔力を純粋に爆破に変える事ができた。
だが爆破と言っても所詮は炎の類似属性であり、熱と風に過ぎない。
当然、熱を込めれば炎は強まり、風で煽れば炎は猛る。
相性の悪さはシグナムと変わらず、風という面があるだけになおさらでもあった。
あるいは周囲一帯全てを吹き飛ばす程の力があれば別であったかもしれないが、今のパピヨンには無理だ。
そして、可能な限り火渡を吹き飛ばそうと、内部から、または頭部からを試したが無効。
火渡は即座に何事もなかったかのように、その場に炎と共に現れた。
「ま、試すよりも先に予想はしていたが。だから、俺はアリシアを逃がした」
「あのガキのせい、結界か」
「その通り、この周囲と言ってもかなり範囲は広いが。アリシアと何故かいたその妹が、結界を張っている。と言っても、位相をずらす程に大げさなものじゃない」
「空気、酸素を……」
今にも喉を掻き毟りそうに、火渡りが脂汗をかきながら呻くように呟いた。
火炎同化能力者といえど大本は人間、酸欠を起こして膝をついて蹲る。
「そう、酸素を遮断させた。そして貴様と俺が、炎と爆破を繰り返せば……」
もちろん、結界や酸欠の事態を悟らせないように、暇を与えず責め続けもした。
「結果はこの通り。完全勝利、と言いたいが。ちょっと不満」
「テメェ、何が不満だッ」
「このアイディアは、元々貴様の部下がくれたものだ。名前はなんて言ったか……覚えてないが、ちっこいの。この逆、過剰な酸素供給には俺も悩まされたからな」
「毒島……エアリアル・オペ、確かにアイツの」
ついにそこで力尽きたのか、火渡が完全に言葉を失いその場に倒れこんだ。
放っておけば、程なくして酸欠で死亡するだろう。
だがパピヨンは死力を尽くした相手が干満に死に行くのを見送る程、残忍ではない。
むしろ、全力で立ち向かう者。
火渡の場合は全力で殺しに来る者だが、嫌いではない。
少なからず火渡はパピヨンを認めるような発言を繰り返してもいたからなおさら。
だからこの戦いは非常に満足だったと、その戦いを締めくくるべく無事な右手で手刀をつくりだした。
-後書き-
ども、えなりんです。
火渡VSパピヨンのドリームマッチ。
まあ、火渡間抜けすぎじゃないかとの意見もありそうですが。
そもそも火渡と長期戦が出来る相手って珍しいですし。
徐々に酸素がなくなった事に気付かなかったということで一つ。
もう残すところ七話です。
五月中に終わるかな?
現時点で次回作が何も頭にありません。
それでは次回は土曜日です。