第三十三話 簡単に死ぬなんて言わないで
時の庭園の最上階、そこには庭園内のエネルギーをまかなう動力部である。
非常にデリケートな部分でもある為、メンテの時以外はプレシアも入室はしなかった。
パピヨンやアリシアも、まだ殆ど足を踏み入れた事のない部屋だ。
そこへ、足音を忍ばせこっそりと入室を果たす小柄な人影があった。
防毒マスクという禍々しいマスクを被り、特殊部隊の制服を纏った誰か。
名を毒島という彼は動力部をぐるりと眺めた。
三人の女神を模った彫像に見守られた中心部に、動力部の要があった。
ほのかに熱を帯びた赤い光が発せられており、駆動音を部屋全体に響かせている。
「違法改造といっても生産エネルギーは並の上、これだけなら破壊しても次元震には発展しない。この時の庭園が崩れ落ち、彼らの本拠地を潰すのみ」
見た目に反し年頃の、しかも鈴が鳴くような大人しい声質は女性のものであった。
素顔の一切を防毒マスクに隠したまま、毒島は片手を動力部へと向けた。
誰に相談したわけでもなく、その為に毒島は他の四人と歩調をそらしやってきたのだ。
暴れる事しか、狩りや戦いにしか興味がない他の四人とは毒島は違う。
一度で彼らを捕縛できると確信してはいないし、必ず勝てるとも思っていない。
だから他の四人を囮にして、まず拠点潰しとして動力部の破壊を考えたのだ。
「火渡様」
隊長の名を呟き、毒島は片腕を上げて動力部の中心へと向けた。
足元に広がるのは、毒々しいダークグリーンの魔力光の魔法陣。
方円上に広がった中に正方形が展開されるミッド式である。
いざ砲撃を放とうというところで、彼女の視界の端にとあるものが映った。
それは一匹の蝶、闇に溶ける様な漆黒を持つ手の平大の蝶。
「こんな場所に……」
防毒マスクの中で笑みを浮かべ、思わず触れようとする寸前で飛び退る。
蝶から感じたのは見た目に反する禍々しい魔力。
咄嗟に選んだ回避の文字は正しく、蝶が突如その羽の色を灼熱の赤に変え燃え広がる。
爆風により当初の目論見よりも大きく飛び退った事になり、そのまま見上げた。
その視線の先にいたのは、黒い蝶の羽を背に飛ぶパピヨンであった。
「やはり下の四人は陽動。敵地に入り込み、真面目に墓地を目指す奴がいたら見てみたい」
「お話は良く分かりませんが、彼らは大いに真面目です」
毒島の返答を聞き、おやっとパピヨンが眉を上げながら地面に降りる。
どうやら、階下の四人は本当に作戦も何もなく好き勝手に戦っているらしい。
なんとも不条理な相手である。
恐らくはそんな彼らを、毒島が勝手に利用したという事か。
パピヨンが指摘する事ではないが、仲間意識も何もあったものではないようだ。
だが別にそれでパピヨンの対応が変わるわけではない。
「まあ、いい。貴様を消し、残りを消せば万事解決。時の庭園は俺の大事な研究所、高次元空間内を後で移動させれば問題もなくなる」
「残念ですが、我々は狙った獲物を逃しません。私の獲物は、貴方達ではなくこの時の庭園ですから」
そしてパピヨンの意志を言葉で示しても、毒島の意志も変わりはしなかった。
お互いに見合いながら、パピヨンが静かに腰に当てていた手を離した。
それに対し、毒島もガスマスクから延びる煙突のようなものの先からゴポゴポと気体を放つ。
次の瞬間、パピヨンの姿が消えた。
魔法による加速、フェイトのブリッツアクションにも劣らぬ動きで間を詰める。
瞬き程の間に毒島の目の前へと現れ、鋭い爪を持つ腕を振るった。
だが毒島も地面を蹴り上げて、小柄な体を飛び上がらせていた。
特殊部隊の制服に小さな解れこそ生まれたものの、肉体的にはかすり傷一つない。
その毒島が、足元にダークグリーンの魔法陣を生み出し、魔力球を生成する。
「ポイズンシューター」
デバイス代わりは、被っているガスマスクなのか。
マスク全体がダークグリーンの魔力光に反応し、周囲に魔力球を生み出していく。
その数は六つ、毒島の指先に従い次々にパピヨンを襲う。
「ふん」
パピヨンは詰まらなさそうに鼻を鳴らし、まず一つを腕の一振りで弾き飛ばす。
動力部とは逆側になる、何もない壁にぶつかり爆煙を上げては瓦礫を生み出した。
威力はさほどでもないが、動力部に被弾しては本末転倒である。
僅かな思案の後で、パピヨンは仕舞い込んでいた黒い蝶の羽を羽ばたかせた。
残り五つの魔力球の隙間を縫うように飛び、上昇。
しつこく追いかけてくるそれらへと振り返り、手の平の上に漆黒の蝶を一匹生成する。
すぐさまパピヨンの元を飛び立ったそれは、先頭の魔力球へと衝突し破裂した。
炎と熱、煙を生み出しその余波は、後続の魔力球をも飲み込んだ。
次々に爆破は起こるが、周囲を振るわせるだけで何かを破壊する事はなかった。
だがはっきりといって、面倒くさい。
そう思い珍しく渋面を作るパピヨンであったが、明らかな隙を前に追撃がない。
「今さら諦めようと、貴様の未来は変わらんぞ?」
「いえ、そのような事は……」
毒島は、空中に足を着きながらただ見ていただけであった。
パピヨンが魔力球を破壊する様を。
「次行きます」
何を考えているのか、再び同じ数だけ六つの魔力球を生み出し投擲。
だが今後は即座にパピヨンも迎撃を行っていた。
二人の中間の位置にて魔力球と漆黒の蝶が衝突し、再び爆炎を生み出していく。
膨れ上がり飛散する煙を裂くように、パピヨンが距離を詰める。
しかし今度は毒島も懐にいれまいと、その爪が間合いに入るより速く飛び退った。
一定の距離を空け、無駄な事が分からないかのように六つの魔力球を生み出す。
「貴様……何がしたい。時間稼ぎには思えない。そもそも、貴様は他の奴を信用していないのだからな」
「彼らの戦闘能力は私も認めています。あれでもう少し素行が良ければ、文句もありませんが」
流石に三度目ともなれば、パピヨンも魔力球が放たれる前に漆黒の蝶を生み出す。
互いに射撃体勢のままにらみ合い、先に毒島が放った。
そこからは息の付く間もなく、撃ち合いが続いた。
毒島が絶え間なくダークグリーンの魔力球を生み出しては放ち、パピヨンが迎撃する。
時折、爆煙に紛れ視界の外から漆黒の蝶を差し向けるも、逆に迎撃された。
一進一退でもなく、膠着状態とも少し違う。
ただ無意味にお互い魔力を消費しあうだけの無意味な射撃を続ける。
いや、完全に無意味というわけでもなかった。
「はあ、はあ……」
息をつく間もなく、これほど魔力を消費したのは初めての事であった。
生来体の弱いパピヨンは激しく息を乱し、漆黒の蝶の生成スピードが遅まっていた。
「そろそろ、でしょうか」
まるでパピヨンの息切れを待っていたかのような言葉であった。
だが毒島が、パピヨンの体力不足を知っていたとは考えにくい。
それはただの副産物に違いないだろう。
一瞬くらりと眩暈がしたパピヨンは頭を振り払い、漆黒の蝶を手の平に生み出した。
息苦しくはあるが、何故か毒島は次の魔力球を生成しようとしなかった。
誘われていると感じるが、知った事ではない。
「行け、黒死蝶!」
やけに酷い頭痛を押さえ込み、手の平より飛ばす。
その漆黒の蝶が、あろう事かパピヨンの意志を無視して近くの壁に激突した。
パピヨンの意志に反してはいても、効果は生まれる。
周りの酸素を取り込み火花と共に膨れ上がり、熱と炎を振り撒き破裂していく。
その余波に巻き込まれ、吹き飛ばされ姿勢を大きく崩しながらパピヨンが叫ぶ。
「馬鹿な、この俺が制御に失敗だと!?」
もう一度心の中で馬鹿なと叫び、何かをされたと悟る。
「私のレアスキルは、エアリアル・オペレーター。魔力をあらゆる気体に変換する力。この動力部には大量の酸素が充満しています」
「酸素酔い……」
「ええ、その通りです。そして、貴方の蝶は爆破の魔法。下手に扱えば、貴方自身をも巻き込み、下手をすれば動力部も巻き込みます。お分かりいただけましたか、これで詰みです」
一瞬、怒りに我を忘れ黒死蝶を生み出しかけたが、理性を総動員して止めた。
高濃度の酸素に犯された頭では、本当に制御に失敗しかねない。
手元で爆発されれば防ぎようはなく、瀕死になることうけあいである。
さらに生み出す事に成功しても、ふらついた状態では真っ直ぐ飛ばす事も危うかった。
酸素酔いという状態を自覚して、ますます頭痛が酷くなっている。
眩暈も増え、視界も少し霞んだように悪くなって気もしていた。
「足掻けば足掻くほど、体は酸素を取り込み症状は酷くなります」
ご自愛をとでも言いたげにしながら、毒島が踵を返してパピヨンに背を向けた。
その後姿は己の勝利を確信したものに他ならない。
パピヨンにはそれが我慢ならなかった。
止めもささず、少しばかり有利になったからといって勝手に決めるなと。
「もういい」
崩れ落ちそうになる膝を叱咤して、立ち上がった。
くらくらとする頭も、好きにしろとばかりに放置して視界に毒島を捕らえる。
いや、もはや毒島が何処にいようと構わない。
夢遊病者のように前後不覚になりながら、笑う。
「止めは、必要ですか?」
「この蝶天才を舐めるなよ。貴様のレアスキルの前に不覚はとったが、まだ負けていない。超最高の俺が人間、武藤カズキを斃す。その時まで、俺は誰にも負けない!」
苦し紛れの黒死蝶が放たれようとし、パピヨンの目と鼻の先で破裂する。
制御失敗による自爆、ついにパピヨンが余波を受けて後ずさり片膝をついた。
熱風にさらされ爆煙を受け流しながら毒島が呟く。
「お静かに、とても見苦しく思います。お望みならば止めをさしッ!?」
ガスマスクに隠された毒島の表情は不明ながら、その言葉は驚愕に途切れていた。
つい先ほどのパピヨンの行動は自暴自棄にしか見えなかった。
高濃度の酸素に犯され、進退窮まり行き詰った上での暴挙。
ならば今、爆煙に視界を遮られながら時折、瞳に映った光景は一体何なのか。
黒死蝶、それも一匹や二匹ではない。
見渡す限り、パピヨンや毒島を中心に前後左右一帯に生み出されていた。
何時制御に失敗し、破裂するかも分からない火薬庫のような状態である。
「悪いね、俺は負けず嫌いなんだ」
動揺を露にする毒島に対し、努めて気楽そうにパピヨンは笑った。
「黒死蝶、遠近無視の三百六十度全方位配置。と言っても、時間が足りなくて少々数は足りないが、貴様の用意した酸素があれば全て吹き飛ぶかな?」
「正気ですか。私達はおろか、動力炉までもろとも……ここには、貴方の仲間も!」
「一回死んでいる身なんでね。気にしない、気にしない。奴らも、特に武藤は俺が斃すまでは絶対に死なない」
「狂ってる。私達以上に……」
褒め言葉だとばかりに、さらに笑う。
「貴様もいっぺん、死に臨んでみろ。意外と恍惚で、病みつきだぞ!」
叫びながら駆け出したパピヨンを前に、毒島はどうするべきかを迷った。
パピヨンの迎撃、それとも周囲の黒死蝶を、それとも退避、他の隊員を逃がすべきか。
その迷いへと思考をめぐらす間にも、パピヨンは近付いている。
そして同時に、パピヨンの制御にも限界が訪れていた。
動力部である部屋の何処かで、小さな火花が散った。
本来ならば炎に昇華する事もなく消えていくはずの小さな、火花。
だが高濃度の酸素に満たされたこの部屋の中では別だ。
確かな炎を生み出し、さらには酸素を喰らいより大きくなって黒死蝶に触れた。
さらに一匹の黒死蝶がまた別の黒死蝶を巻き込み、破壊の連鎖を生み出していく。
光が動力部の部屋を満たすと同時に、破壊の炎を巻き上げた。
激震が動力部を、時の庭園全体を揺らす。
一度それが終わりを迎えれば、周囲を埋め尽くすのは瓦礫と炎であった。
「ですが、これで私の目的は……」
「死して想いを誰かに託して、それが何になる」
もはや原形を留めず、瓦礫の山と貸した部屋の中。
塔のように高く建てられていた動力部の中心部分も、半ばから折れてしまっていた。
揺らめく炎と黒煙の中で毒島が呟いた言葉を、パピヨンが断ずる。
そのパピヨンの腕は毒島の腹に埋め込まれており、肘の先まで真っ赤な血が滴っていた。
パピヨン自身、到底無傷とは言えず己の体も血に染めてはいたが。
「俺は貴様のような中途半端な奴とは違う。俺は俺だけの為に、俺の想いを貫いてみせる。死ぬか生きるか、全部自分で選び掴み取ってみせる。それが、この結果だ」
「それでも、火渡様なら……ぐッ」
聞く価値もないと、言葉を遮るようにパピヨンは毒島の腹から腕を抜いた。
当然埋め込まれた物が抜ければ穴が空き、大量の血が噴出すが気にも止めない。
毒島をその辺に放り投げるも、自分も似たような感じで地面に不時着する。
「くそ、体が……」
「おうおう、こいつは酷い事になっているな」
ぜえぜえと、喉の奥で呼吸を繰り返すパピヨンに、耳慣れぬ男の声が届く。
新手かと、忌々しげに舌を打ちながら瓦礫に埋まりかけの入り口へと視線を向ける。
そこにはアリシアを肩に担ぎ、十文字槍を手にした大柄な男がいた。
毒島と同じ制服、それから気絶したアリシアを担いでいる事から誰か考えるまでもない。
「やれやれ、もう一戦とは聞いていない」
「ふむ、ようやくエレガントな相手を見つけたは良いが……あまり、長いできる状況でもなさそうだ。おい、そこのお前」
「ようやくこの一張羅の良さが分かる奴に会えたが……なんだ、命乞いなら聞かないぞ」
「命乞いしたそうなのはお前に見えるが、お前の足元。毒島とコイツを交換といかんか?」
アリシアを担ぐ男、戦部に問われ、僅かな時間だけ思案する。
今ここで争っても勝てる確立は低く、時間制限付きであった。
ならばと放り捨てた毒島を足ですくい上げ、戦部へと放り投げた。
驚いた表情をされたが言葉通り、戦部もかついでいたアリシアを放り投げる。
一瞬アリシアを受け止めようか迷うが、首根っこを掴んで背負うように担ぐ。
「ふむ、確かに毒島だが……こういう手は感心せんな」
何時の間にか毒島に張り付けられていた黒死蝶。
バレたかとパピヨンが起爆させようとするも、一瞬早く戦部が黒死蝶を握り腕を伸ばした。
吹き飛び千切れる戦部の腕、だが本人は一向に動じた様子がなかった。
痛みさえ感じていないかのように獰猛な笑みを浮かべ、笑う。
次の瞬間、吹き飛び千切れ飛んだはずの腕が、瞬く間に修復された。
「なに!?」
「相手が俺で得したな。他の奴なら、死ぬまで戦うところだ。運が良ければ、また何処かの戦場でな。エレガントなホムンクルス。それと、烈火の騎士」
「アリシア……じゃない。アリシアは、人質を交換したのか?」
戦部と入れ替わるようにやってきたシグナムが、毒島を見て疑問を浮かべていた。
即座に部屋の中のパピヨンとアリシアを見て、状況を理解したようだ。
だが人質が無事に交換された以上、シグナムとしても戦う理由はない。
大人しく去っていこうとする戦部を見送り、パピヨンへと駆け寄っていく。
「パピヨン、カズキの居場所は分かるか?」
「ふん、知るか。この時の庭園の何処かで、奴らと同じ特殊部隊と戦っているはずだ。だが、探しているような時間はないぞ。もう直ぐ、この時の庭園は沈む」
「戦部が抱えていた隊員のせいか」
「いや、俺がやった」
パピヨンの言葉に驚き一瞬固まってしまったが、長居できる程に余裕はない。
真っ二つに折れ曲がった動力炉は過剰にエネルギーを生成して、赤く発光している。
それと同時に、小規模な爆発を繰り返しては破片を周囲にばら撒いていた。
恐らくはそのせいで、時の庭園は断続的な震動に包み込まれてしまっている。
「まずは脱出が先か」
下手をすれば、小規模ながら次元震までも発生するかもしれなかった。
シグナムは念話を飛ばしながらアリシアを抱え、やや迷ってからパピヨンにも手を伸ばした。
カズキとフェイトは、額にやや大きな汗を浮かべながら床に沈んでいる男を見下ろしていた。
眼鏡の男、犬飼ではなくまた別の名も知らぬ男である。
鋭利に逆立てた髪ときつめに釣り上がった瞳、今は気絶により閉じられているが。
特殊部隊の制服から、犬飼の仲間なのだろうが、いまいち自信はなかった。
何しろ一言も会話をする事なく、フェイトが殴り倒してしまったからだ。
「知らない人だし、敵……だよね?」
「うん、多分。けどどういうレアスキルだったんだろう」
あの時、フェイトの頭上から突然刃物が現れ、それを支える二本の腕が振り下ろされた。
確実に不意はつかれていたが、キラーレイビーズ戦の後である。
常人並みのスピードで振り下ろされたそれは、あまりにも遅かった。
刃物に気付いてからのフェイトの行動は素早く、瞬く間に男の背後を取っていた。
何もない空中から刃物や腕のみならず、この男の姿も現れていたのだ。
突然目の前から標的が消え去り周囲を見渡そうとし、男はフェイトに後ろから殴られた。
「透明化するレアスキル? だけど、攻撃時に姿を見せてたし……犬飼って人よりも随分と弱いような」
「いや、あんな風に一瞬で避けられるのはフェイトちゃんぐらいだから」
「えへへ」
再びのお褒めの言葉に、フェイトがはにかむ。
「兎に角、これで二人撃破だね。フェイトちゃん、残りの奴は? アリシアちゃんには蝶野がついてるだろうし、大丈夫だろうけど」
「うん、ちょっと待って」
フェイトはバルディッシュに頼み、時の庭園内の情報を検索してもらう。
バルディッシュの宝玉上に展開された情報を目にしてフェイトが目を向いた。
「え、侵入者は全部で六人? あ、違う……シグナム? シグナムが一人倒して」
「シグナムさんが来てるの?」
「パピヨンは動力部に一人、いやそっちにも敵が? じゃあ、アリシアは!?」
さらに情報を読み進め、フェイトが小さな悲鳴と共に口を押さえた。
『アリシア、アリシア!』
そして即座に念話を飛ばすも、返事は帰っては来ない。
ある程度予想はしていたが、その事実はさらにフェイトを混乱に陥れるだけであった。
何しろ一人だったアリシアは、戦部という名の特殊部隊隊員と戦闘の後に捕縛されたとあったのだ。
取り乱すように念話で時に肉声でその名を呼ぶも、やはり返事は返らない。
「フェイトちゃん落ち着いて。ここから二手に別れよう。フェイトちゃんはその戦部って奴の方へ。多分シグナムさんも追いかけてるはずだから、挟み撃ち。俺は動力部の蝶野の火星に向かう」
「う、うん……アリシア」
不安げに顔色を悪くするフェイトの肩に手を置いて、カズキが強く言い聞かせる。
そして二人して走り出そうとした瞬間、上から叩きつけられるような震動が起きた。
何かが暴発でもしたような轟音も震動と共に響き、体の芯まで響く。
尋常ではない揺れに立っている事もできず、方膝をついたカズキがフェイトを支える。
そのままじっとする事数秒間、揺れは急速に収まっていった。
だが決して消えることはなく、ぐらぐらと揺れ続けていた。
「一体、何が。フェイトちゃん、上って何があるの?」
「たぶん、動力炉のはず。あまりそっちは行った事がないから」
不安げにカズキのバリアジャケットの裾をフェイトが掴む。
『カズキ、それにテスタロッサ聞こえるか』
何時まで立っても揺れは消えず、諦めて行動を開始しようとしたところにシグナムから念話が届いた。
『聞こえる、シグナムさんは何処に? どうしてココに?』
『詳しく説明している暇はない。動力炉が破壊された、脱出を急げ。下手をすれば次元震が起きる。こっちにはパピヨンとアリシアがいる。だからお前達は別途脱出しろ』
『アリシア、アリシアいるの? 念話に応えてくれなくて』
『敵に敗れ気絶こそさせられているが、目立った怪我もない。それより、急げ。あまり時間はありそうにない!』
唯一の不安が解消され、フェイトとカズキはお互いに見合って頷いた。
時の庭園が沈むかもしれない。
この絶え間なく続く揺れや、天井から零れてくる小さな破片など疑う余地はなかった。
プレシアのお墓こそあれ、流石にフェイトも今生きているカズキ達とは比べられない。
「カズキ、ついて来て。一番近い転送ポートはこっち」
「うん、わかった。っと、その前に」
走る方角を指差したフェイトに続こうとしたカズキが、とんぼ返りする。
突然の逆走をいぶかしむフェイトであったが、直ぐに納得した。
というよりも、すっかり忘れていた自分を少し恥じたぐらいだ。
通路の床に気絶させられ寝かせておいた犬飼と、もう一人名前もしらない特殊部隊の隊員。
カズキはその二人の事を思い出し、少し重そうに両肩に抱え込んでいた。
「お、重い……」
「私も手伝おうか?」
「いや、大丈夫。フェイトちゃんは案内に集中して、さあ急ごう。揺れがまた少しずつ大きくなってきてる」
当たり前の事だが、魔法で筋力を強化しても質量差はどうしようもない。
小さな女の子であるフェイトに、犬飼達成人男性を抱え上げるのは難しいのだ。
今一度平気とカズキが笑ったのを見て、フェイトは今度こそ先を急いでいった。
もちろん、ひいひいと悲鳴を上げるカズキが自分を見失わないように気遣いながら。
また同時に、揺れ続ける時の庭園の崩壊に巻き込まれないようにも気をつけつつ。
時間が経つにつれ、揺れは大きくなり、壁や天井が崩れ始めていた。
「思ったよりも崩壊が早いかも。あ……」
転送ポートへと急ぐ二人の前に、大きく床が穴を開けた場所にでた。
魔法により空を飛べる二人に、今さら大穴の一つや二つは関係ない。
だがただの穴でなかったそこは、十分に注意すべき場所であった。
「カズキ、あそこの穴の上は気をつけて。崩壊の、次元震の影響で虚数空間が生まれ始めてる?」
「虚数空間って?」
「次元の裂け目みたいなもの。しかも落ちたら全ての魔法がキャンセルされ、戻ってこれなくなる」
フェイトの説明を聞きながら、カズキが二人の成人男性を抱えながら器用に震えている。
その先も、何度も虚数空間の暗い穴を発見しつつ二人は転送ポートへと辿り着いた。
何時まで余裕がある事か、行き先を特定する間もなく二人は兎に角遠くへと飛んだ。
カズキとフェイトがほうほうの体で転送されたのは、見渡す限りの砂漠地帯であった。
放り出されるように転送された為、砂がクッションとなって良かったのかどうか。
一先ず脱出に成功した二人は、即座にシグナム達へと念話を飛ばした。
どれだけの次元を隔てた場所に分かれたのか、しばし不通の時間が流れたが繋がった。
『シグナムさん、そっちは?』
『ああ、問題ない。パピヨンとアリシアも無事だ。アリシアも先程、起きた。こちらは何処かの次元世界の山奥だがお前達は?』
『同じく何処かの次元世界の砂漠。アリシア、怪我はない?』
『うん、ちょっと背中が痛いのと気分が悪いけど平気。フェイトも大丈夫そうだね』
一先ず現状を伝え合い、どうするかと話し合った。
既に管理局に目を付けられ、かつ拠点を失った以上は進むしかない。
ユーノの事などは気になるが、そこはフェイトからリンディに連絡をいれて取り計らってもらうしかないだろう。
ユーノの行動の正しさを証明する為にも、カズキは元の姿に戻る手段を見つけなければならない。
『蝶野、アリシアちゃんとシグナムさんの事を頼んだぞ』
『アリシアの事は言われるまでもないが、もう一人の方は保障しかねる。女の方から仕掛けてきた時は特に』
『人を凶暴扱いするな。貴様がカズキの為に動く以上は、協力は惜しまん。カズキ……私も、戦うぞ。お前を人間に戻す為に、私は来たんだ。手伝わせてくれ』
『うん、ありがとう。気をつけて』
色々と、管理局に保護されているはやての事など気にはなるが、素直に言葉を返しておいた。
きっとその事を指摘すれば、困らせる事は分かりきっていたから。
だからありがとうと、素直に感謝をしてカズキは念話を切った。
逃げ出し、追われ、ささくれ立ちそうな心が癒された気分である。
味方と敵の間をうろつくパピヨンや、小さなフェイトやアリシアとも違う。
自分が本当に心から安心して背中を預けられるシグナムの存在に、救われた。
「カズキ?」
そんなカズキの穏やかな笑みを見て、フェイトは純粋な疑問を浮かべていた。
見た事がない、自分の前でこんな風に笑ってくれたカズキを。
何故と浮かべた疑問は、意識を取り戻し飛び跳ねるように起きた犬飼に遮られた。
「ここは……お前達、デバイスが!」
臨戦態勢をとる犬飼だが、さすがにデバイスの有無は即座に気付いた。
歯軋りをしてカズキ達を睨む以上、やはり予測は正しかったらしい。
あの犬笛型の特殊なデバイスがなければ、レアスキルは発動できないようだ。
二人を睨みながら、それでも覚悟を決めたように犬飼が言い放った。
「殺せ……根来も、どうせ起きてるんだろ」
「隙を見て逃げ出そうとしていたものを」
「ふん、嘘くさい。負け犬なんて真っ平だ。そうなるぐらいなら殺された方がマシ、僕らはそんな奴らの集まりだ」
目覚めた根来共々、二人は胡坐をかいて砂漠の砂の上に座り込んだ。
そんな二人を前に、カズキもフェイトも理解が及ばなかった。
だから、思った事を正直に二人へと言う。
「デバイスはまだ返してあげられない。けれど、こんなところにいてものたれ死ぬだけだ。一緒に来い、適当な街か。別の世界に転移したところで解放してやる」
「ふざけるな、僕の話を聞いていなかったのか。そうやって負け犬扱いされるぐらいなら」
「簡単に死ぬなんて言わないで」
プライドを傷つけられたとでも言いたげに叫ぶ犬飼を、フェイトが静かに嗜める。
その声は穏やかなものだが、込められた意志は強く犬飼を黙らせた。
悔しげに歯軋りして犬飼に睨まれても、フェイトもまたひかない。
「俺も誰かを殺すなんて嫌だ。コイツも、黒いジュエルシードから生まれたデバイスだけど、俺は少なくとも人を殺す道具じゃないと思ってる。人を守る為の道具だ」
「それに、自分が死んでも悲しむ人がいないなんて絶対に言わせもしない。貴方達が死んだら、少なくとも私やカズキは悲しむから。だから、一緒に行こう」
フェイトが差し出した手を、犬飼は無視して立ち上がった。
根来もまた、施しは受けないとばかりに自らの足で立ち上がる。
「屈辱だよ、こんな甘っちょろい奴らに……」
「言うな。奇襲をしかけ、即座に気絶させられた私の立つ瀬がない」
近くに街はあるのか、周囲を見渡しながら歩く二人に続いた。
「おい、ヴィク……お前達、名前は?」
砂漠の砂をずぶずぶと踏みしめながら歩く事数分、ふいに犬飼がそう尋ねてきた。
「ん、武藤カズキ。それでこっちが」
「フェイト・テスタロッサ。貴方達は犬飼と根来でいいの?」
「馴れ合うつもりはない。ただ……覚えておいてやる。仮に、運良く偶然と奇跡が重なって武藤が人間に戻れたら、この雪辱は晴らさせてもらうからな」
「私のレアスキルの恐ろしさ、その時にこそ見せ付けて見せる」
喜んで、笑顔と共に答えた二人に対し犬飼は鼻を鳴らし、根来は静かに笑みを浮かべた。
-後書き-
ども、えなりんです。
戦部、再殺部隊の中でも断トツ好きなんですが……
お話の展開的にうまく戦わせて上げられなかった。
原作通りにパピヨンと戦ってたら、毒島が庭園を爆破シテ終わるし。
むしろ毒島VSアリシアの方が良かったのか?
アリシアが負ける場面しか思い浮かびませんが。
それでは次回は土曜日です。