第十二話 私はこんな事を望んでない!
薄暗い空間を裂く様に振るわれたそれを前に、フェイトはギュッとまぶたを閉じた。
明らかな猛威を前に抵抗の素振りすら見せず、ただ耐えようとする。
だが結果は変わらなかった。
肌の上を強かに叩かれ、乾いた音と共に我慢できない悲鳴が口より溢れ出した。
元々強度はそれ程でもなかったバリアジャケットが裂け、赤く腫れ上がった肌を露にする。
強かに打ちつけられたそれは、鞭型のデバイスであった。
打たれた肌は瞬く間に赤みを帯び、火傷を負ったように熱く、痛みを発し始めていた。
苦悶の声を漏らす間もなくさらに二度、三度と叩きつけられる。
フェイトの母親であるプレシアの手により、繰り返し。
「もう一度教えてくれないかしら? 何をしに、戻ってきたの?」
少しは気が晴れたとばかりに鞭を収め、プレシアが尋ね直した。
先程フェイトがお願いにやってきた理由を。
「ぅ……ジュエルシードを狙う人喰いで強力な化け物がいるの。だから、ジュエルシードを集めてる人達と協力して、あぁ!」
説明の言葉は、再び振るわれた鞭により無理やり遮られた。
不意を突かれた事もあり、フェイトは耐え切れずによろめき倒れこんだ。
謁見の間とは名ばかりの、大理石の冷たい床が傷の熱を奪うのはなんたる皮肉か。
再び、息を付く間もなく振るわれる鞭を前に、フェイトは瞳を閉じて耐え続ける。
「フェイト、母さん悲しいわ。どうして、母さんの言う事を無視して、見ず知らずの相手に協力するという話になるのかしら?」
「だって人が一杯、ぅぁ!」
「大切なのはそこじゃないの、母さんの命令を無視したのが重要なの。母さん、言ったはずよ。ジュエルシードが原住生物に憑依するデータが欲しいって」
鞭を両手で掴み、しなりを確認するようにしながらプレシアが言った。
「カエルの化け物が憑依されたデータは興味深かったけど、私が欲しいのはそんなデータじゃない。ましてや、小動物が憑依されたデータでもない」
今までのデータがプレシアの望んだものではないと聞かされ、フェイトは痛みや熱を忘れるように顔を上げた。
フェイトが見上げたプレシアの表情は、何処か鬼気迫るものであった。
それが実の娘に鞭を打った悲痛の表情のように、フェイトには見えた。
事実はプレシア本人にしか分からない。
だがフェイトにとってそう見えた以上、悔しさと申し訳なさがこみ上げる。
最初のプレシアの言葉通り、母親を悲しませてしまったと心苦しくなってしまう。
償いたい、それでプレシアの望む通りにと考えるのはフェイトにとっては当然の思考であった。
「どうすればいいの? 母さんが欲しい憑依体のデータは、なに?」
「それでいいのよ、フェイト。母さんが欲しいのは、人間を元にした憑依体よ」
「え?」
プレシアが何を言ったのか、最初フェイトは理解する事ができなかった。
「以前、子供が二人で発動させたケースのデータもあったけど、あれじゃ駄目。力が全て外への干渉になっている。ジュエルシードが発動者本人に干渉するケース。そうね、できれば貴方と同年代ぐらいの子供、それも女の子が良いわ」
全てを説明されてもまだ、フェイトは理解ができないでいた。
本能的に理解を拒んだという面もあった。
これまでもフェイトは、ジュエルシードの憑依体のデータを集めてきた。
それはひとえに、母親であるプレシアの役に立ちたいが為である。
だから心が痛んでも、野良の子犬や小鳥、他にも苦しむ事が分かっていてあえて憑依を見逃してきた。
今でもプレシアの役に立ちたい気持ちに変わりはないが、憑依先が人間となるとわけが違う。
それも自分と同世代の女の子に。
一番に思い浮かんだのは先日協力を取り付けた一行の、白い魔導師。
だが懸命に化け物や憑依体に立ち向かう彼女を思うと、出来るわけがなかった。
彼女でなければという問題でもない、フェイトが持っている倫理観の問題である。
「フェイト……母さんのお願いを聞いてくれるわよね?」
手の中の鞭をしならせながら、プレシアがそう念を押すように尋ねてきた。
先程の鞭の痛みを思い出し、心の中の葛藤は萎縮し、体がビクリと震える。
倫理観は否としているが、体に染みつけられた痛みは正直である。
「分かったのなら、行きなさい。母さんの為に」
「は、はい」
反射的にフェイトは頷いてしまい、痛みを覚える体を足でささえ歩き出した。
時の庭園と呼ばれる移動要塞の中の謁見の間。
主の玉座に至るまで続く絨毯の上を、とぼとぼと入り口の方へと向かう。
途中、振り返りたい衝動にかられもしたが、できなかった。
もしも振り返ってしまえば逆にフェイトが、お願いをしてしまいそうで。
それ以上に、そのお願いが突っぱねられるかもという不安を抱えていた為に。
「行って来ます、母さん」
扉の前で振り向かずそう呟くも、返答はなかった。
迷い、迷いながらも扉をくぐり、フェイトは後ろ手に扉を閉じた。
「フェイト、一体どうしたのさその格好は。何かされたのかい!?」
「違うよ、アルフ。私が悪かったの。母さんの真意に気付けなかったから」
「真意って、憑依体のデータを集めて来いって言われただけで。とにかく、ちょっとじっとしてて。これぐらい、直ぐ治してあげるからさ」
「うん、ありがとう。アルフ」
玉座の間に入れてもらえないアルフが駆け寄って来るや否や、治癒魔法をかけ始めた。
体の傷や熱はそれですぐさま引いていくも、心に受けた傷はそうはいかない。
傷が癒えても、何時までも傷があるかのようにズキズキと痛む。
「それであの件は許可、貰えたのかい?」
アルフの問いかけに、心の中の傷が刺激され顔を上げられなかった。
人を助ける為にお願いをしに行き、命ぜられたのは人に危害を及ぼす内容である。
フェイトだって、母親であるプレシアの役には立ちたい。
だがその為に、人を傷つけるような事をしろと言われて頷く事は難しかった。
答えられないフェイトを前に、アルフも色良い返事でなかった事は理解できたらしい。
「じゃあ、どうするんだい。幸い、フェイトも私も名前ぐらいしか知られてないから。応援を要請されても、無視するだけで良いけど最悪の場合……」
それでシグナム達が、腹に据えかね敵対行動に出るぐらいならばまだ良い。
フェイト達が要請を無視して、誰かが傷つき、死に至る可能性すらある。
ホムンクルスがジュエルシードの手にした脅威は、フェイト自身その目でみていた。
きっと誰かが傷つき、誰かが悲しむという事は分かりきっている。
「少し、考えさせて……」
大好きな母親のお願いだが、それは明らかに人の道から外れる行為である。
一方殆ど見ず知らずのシグナムのお願いこそ、人の為となる内容だ。
答えを出すには、今しばらくの時間が必要であった。
ホムンクルスの創造主の可能性が、現時点で一番可能性が高いかもしれない蝶野次朗。
その次朗の生家である蝶野宅へと、シグナムとカズキはやって来ている。
蝶野という苗字が珍しい事もあるが本人の評判が悪いほうにあるおかげで、探すのは難しくはなかった。
はやても控えめに言っていたが、どうにも近所の評判は著しく良くはない。
場所は八神家から二つか三つ移動した町の中。
道路の曲がり角にあるコンクリートの塀に隠れて、二人は蝶野宅をうかがっていた。
次朗は両家の坊ちゃんという話だが、実家は本当に資産家らしく正面には門がある。
その門は塀となって屋敷全体を覆っており、高い塀に覆われた屋敷は二階部分ぐらいしか見えない。
肉眼だけでは、詳しい事はほぼ分からず、様子を伺う事すら難しかった。
「蝶野か、確かホムンクルスの創造主もパピヨンマスクしてたよね」
「それは偶然と思いたいが、伺うだけでは分からんな」
念のためにと来てはみたものの、はやてによれば次朗は現在留学中らしい。
それに加え、今回は調査の為と言う事でなのはもユーノも連れて来てはいなかった。
先日の戦闘で負ったダメージの事もあるし、現在はジュエルシード捜索も中止して療養中である。
(サーチャーの一つぐらいなら、私でも飛ばせるが。ホムンクルスの主はまだ人間のはず。魔法が使えないとも限らない。迂闊にバレて、こんな場所で戦闘は避けたいな)
結界が張れなければ衆目に戦闘を見せる事になるし、知り合いがいないとも限らない。
だがそもそも、カズキのあの似ていない似顔絵が発端であった。
それ故に全くの別人の可能生の方が高かった。
あんな劇画調の人間が居て欲しくないとも思うが、無駄は少ないほうが良い。
「私が探りを入れてみるか。カズキ、適当に話をあわせろよ」
「分かった、任せて。何を隠そう、俺は作り話の達人だ!」
「今ので凄い不安になったが、余計な事はするなよ?」
あらぬ方向を見てアピールしているカズキへと突っ込みつつ、木造屋根瓦の門へと近付く。
見上げた位置にある表札には、蝶のマークが模られ、その下に蝶野の文字が書かれていた。
余程、蝶にこだわりがあるのか、先程のカズキの蝶野だからパピヨンマスクという言葉もあながち間違いではないのか。
キョロキョロと辺りを伺うカズキを放置し、シグナムがインターホンを鳴らした。
「はい、蝶野」
インターホンに出たのは、しゃがれた声の男である。
決して若くは聞こえない声は次朗の親かまた強大化。
シグナムは次の言葉を発する前に一つ咳払いをし、一オクターブ音を上げて言った。
「突然のお伺い、失礼します。私、岡倉と申しますが、先日こちらのお坊ちゃんに大変お世話になりお礼にうかがわせていただいた次第です」
「ああ? 次朗さんに。馬鹿言うんじゃねえ、次朗さんは今日日本に一時帰国したばっかだ。人違いじゃねえのか?」
「その可能生は……何しろ名前を名乗られなかったもので。人伝に、こちらの次朗さんがそっくりだと」
「次朗さんにそっくり、そんな馬鹿な」
途端に声の主が動揺したような声をあげていた。
「ああ、違う違う。人違いだ。そんだけなら、帰れ」
だがその動揺を無理やりおさえたらしく、追い払うように少し声を大きくした。
もしも対面での会話であったなら、犬を追い払うように手を振っていた事だろう。
そして一方的にインターホンは途切れ、シグナムが声を掛けても反応は返ってこなかった。
仕方がないかとお互いに見あい、一度その場を離れて歩きながら話す。
「今の、聞いたか?」
「うん、俺の作り話は披露できなかったけど。シグナムさんの高い声、すっごいドキドキした」
「違う、お前は一体何を聞いていた!」
その声を思い出したのか、カズキは頬を赤らめて心臓を抑えていた。
実際、そこに心臓はなくあるのはジュエルシードであったりする。
色々言いたい事はあるが、青空の下での説教はまた今度と拳骨を落とすに留めた。
「次朗は確かにいるらしいが、怪しいのはそっくりだったと言った時だ。いやに動揺し、まるで聞かれたくない事があるかのような反応だった」
「うーん、言われて見れば……そう言えば、名前って次朗なんだよね。て事は、お兄さんかか誰かが居たんじゃないかな」
「人には聞かれたくない、次朗の兄か」
普通に考えるならば、既に鬼籍に入ってしまった故人だという所だろう。
だがアリバイのある次朗の他に、そっくりな他の誰かがいるとしたらその兄しかいない。
その兄がホムンクルスの創造主だとして、存在を隠したい理由はなにか。
それは恐らく、ホムンクルスの創造主だからではないだろう。
だとすれば、先程の男の対応はあまりにもお粗末過ぎた。
もっと他に単純な、それこそ世間体を気にしたような極普通の理由である可能生が高い。
「本来なら時間を掛けて探るべきだが、さてどうする」
表に出ない創造主の目となっていた監視役、カエルのホムンクルスである蛙井は撃破した。
監視の目を失った事から、少なからず創造主は表に出てくる事だろう。
今までのように受身で居ては、向こうの策にはまりかねない。
できればこちらから攻勢を掛けたいところだが、創造主の情報は殆ど皆無だ。
その糸口でもと二人して振り返り、広く大きな蝶野邸を仰ぎ見た。
道路を塞ぐようにしていた二人の後ろから、控えめな声が掛けられる。
「失礼、少し通して欲しいのだが」
「あ、悪い」
「今退こ、貴様は!」
余りにも極自然に、堂々と背後からかけられた声の主に気付き、シグナムが声を荒げた。
遅れて気付いたカズキも含め、二人がデバイスを具現化しようとしたその瞬間。
背後にいた男の腕が、それよりも早く二人を鷲掴んだ。
革ジャンを来た目付きの鋭い男の腕が、瞬間的に鷲のそれへと変わっていた。
銀色に輝く金属質の腕は、紛れもなくホムンクルスのものである。
それもシグナムがコレまで相対した中で、別格と感じた鷲型のものでもあった。
「カズキ、デバイスより先に騎士甲冑を纏え。握り潰されるぞ!」
「わ、分かった」
「安心しろ、創造主の屋敷の近辺を血で汚すわけにはいかん。運ばせて貰う」
急ぎ二人が騎士甲冑を纏うとすると、鷲型のホムンクルスが背中に翼を生やした。
そして大地を蹴ると同時に翼をはためかせ、急上昇。
カタパルトで空へと叩きだされたかのように、瞬く間に空へと二人を連れて行った。
急激な気圧の変化に耳鳴りが酷く、高度と風のせいで呼吸もままならない。
空の青と雲の白、二色の間を強制的に飛ばされ窒息しかねないだろう。
少ない呼吸で声を振り絞り、まずカズキが声を張り上げた。
「シグナムさん!」
「ああ、タイミングを合わせろ!」
合図はそれだけで、お互いに何をしたいのか察する事ができた。
二人の足元に紫色と太陽に似た光の魔法陣がそれぞれ浮かぶ。
そしてシグナムの足元からは炎が舞い上がり、カズキの体からエネルギーの光が迸る。
魔力変換資質を用いて、自分ごと鷲型ホムンクルスの足を焼いたのだ。
「ぬうッ!」
炎や光は、ただでさえ生物を脅えさせたり、眩ませる効果がある。
いくらホムンクルスと化したとは言え、元は野生の生物であった。
逃れられない本能から、腕が緩み、カズキとシグナムが今度こそデバイスを手にした。
「サンライトハート!」
「レヴァンティン!」
そのまま腕を叩き斬ろうとしたが、その前に空へと放り出された。
振るおうとした刃は、相手が間合いの外だと止められる。
「判断が早い、侮れん。カズキ、このまま降りるぞ。空は奴の領域だ。手を貸せ!」
「大丈夫、これぐらいなら自分で何とかできる!」
空を飛べるシグナムとは違い、未だにカズキは飛行魔法に成功していない。
その為、咄嗟にシグナムが手を貸そうとしたが、本人に断られた。
足元は空の青と白から一変、緑一色の何処かの山間部。
硬い大地へと二人の体が、刻一刻と迫る。
カズキは言葉通り、刻一刻と近付く緑を目前にしてサンライトハートを扱って見せた。
「弾けろ、サンライトハート!」
「Jawohl」
地面の少し上、木々に衝突する寸前で命令通りサンライトハートがエネルギーを弾けさせた。
カズキがぶつかる筈だった枝葉を吹き飛ばし、落下の勢いをも吹き飛ばす。
そのまま危なげなく地に足をつき、少々肝が冷えたのか荒く息を付いていた。
先日も似たような芸当を見せたが、今回とはそもそも高さが違う。
(自分で何とかできるか、一端の台詞を吐くようになったな。言葉通り、応用力が出てきた。見習いの文字が取れる日も、遠くはないか)
飛行魔法でカズキの隣に足をついたシグナムは、カズキの手際に少なからず驚いていた。
訓練よりも、実戦の方が余程多い事もあったが、本当に成長が早い。
誰かを育てた事はないシグナムであったが、それでもそう判断できる程に。
本人には面と向かって告げないであろう評価は付け終え、改めて辺りを見渡した。
かつての廃工場があった山を思わせる、深い森の中である。
ここならば、結界がなくとも思い切り戦える事だろう。
「危なかった……それより、ここは?」
「詳しくは分からんが、戦場である事は間違いない」
上を見上げたシグナムの視線の先から、鷲型のホムンクルスが降りてきた。
カズキが空けた森の天井の穴を通り、二人の目と鼻の先にである。
「良い力を持っている。巳田や蛙井を倒した事だけはある」
「それはこちらの台詞だ。化け物相手とは言え、少なからず心が震える。今までのホムンクルスは部分的な変化はしなかった。初対面から思っていたが、貴様はやはり特別らしいな」
「私も同感だ。貴様達が相手なら、私も力を存分に発揮できる。この力で創造主である次朗様をお守りする事ができる」
シグナムも鷲型のホムンクルスも不敵に笑っていた。
「次朗? じゃあ蝶野次朗が、創造主?」
ホムンクルス本人が認めたと、驚いたようにカズキが呟いていた。
だが次朗には昨日まで留学していたというアリバイがあるはずだ。
ならば蝶野邸のインターホン越しに会話した男が隠したがっていたのは、不完全なアリバイなのか。
「鷲尾、迂闊よ。創造主の名を呟くなど。いくら屋敷が既に発覚してしまったとはいえ。お叱りは免れないわね」
三人の間に、新たに別の女性の声が割って入る。
シグナムが鷲尾を牽制するようにレヴァンティンを構えている為、カズキが庇うように立った。
声がした方にサンライトハートを構え、何時でも飛び出せるように。
その先、奥の茂みからこちらへと歩いてくる影は二つ。
一つは明らかで、声からも分かった通り、薔薇のホムンクルスである事が分かる。
ではもう一つの影は一体誰なのか、明らかとなったその顔を前にカズキもシグナムも表情が険しくなった。
現れたのは、パピヨンマスクこそしていないが、かつてその目にした創造主である。
「どういう経緯かは皆目検討もつかないが、家と顔がバレた以上時間の問題だ。気にするな、鷲尾。それにどうせ、二人はここで消える」
そう言った次朗の足元に、黒色の魔法陣が方円状に広がっていく。
以前の蛙井のような歪なものではなく、ミッドチルダ式の魔法陣である。
一瞬、来るかとより身構えたカズキとシグナムであったが、それは攻撃ではなかった。
耳障りな音がざわざわと脳裏に響く、舌打ちをしながらシグナムが念話を飛ばした。
「しまった、テスタロッサ。聞こえるか、テスタロッサ!」
「なのはちゃん、ユーノ君……駄目だ、繋がらない」
耳障りな音が響くだけで念話が繋がる様子はなかった。
恐らくは、創造主のあの魔法陣は、念話を妨害する為の魔法なのだろう。
だが魔法が正常に働き始めた事に笑みを浮かべた瞬間、次朗が口元を押さえて激しく咳き込み始めた。
「げほ、げぇ。くっ……鷲尾、それに花房。時間は掛けるな。長くは持たないぞ」
「分かっています。創造主に賜わったこの力で、葬り去ります」
「私も、多勢に無勢でなければ、以前のような無様な結果には終わらせないわよ」
どうやら本拠地がばれ、顔までもばれたとあって本気で決着をつけるらしい。
これまでよりも強力なホムンクルスを二体も投入し、なおかつ創造主さえ前線に出てきた。
だが言い換えれば、土壇場で投入できたホムンクルスは目の前の二体のみ。
この二体で最後であり、倒しきれば後は創造主を捕らえるのみという事である。
「カズキ、気合を入れろ。絶対に倒すぞ、この二体」
「分かってる。これ以上犠牲者を出さない為にも。戦って、勝つ!」
互いにここが正念場だとにらみ合い、その戦端は開かれた。
長袖の黒のワンピース、お気に入りのそれを着てフェイトは街中を歩いていた。
御供は狼の形態を取り、リードで繋がれたアルフである。
再び地球にやってきたものの、一体自分が如何するべきか決心が付かなかった。
だから一度どちらも忘れようと、普通の少女の振りをしてみたのだ。
何処へ行くわけでもなく、住宅街からビル街にそして今は商店街と歩き回っていた。
それこそ何時間も歩き続けていたが、自分でも現実逃避だとは分かっている。
フェイトとしては、母親であるプレシアの願いをどうしても叶えてあげたい。
そしてありがとうフェイトと言って笑って欲しい、それだけだ。
(でもその為には、私と同じ年頃の子にジュエルシードを憑依させなくちゃ)
何時の間にか現実に引き戻され、想像してしまった事に慌てて首を振る。
振り払ってしまわなければ、とてもじゃないが自分を保つ事はできなかった。
と言うよりも、想像して行き着く先は、そんな酷いお願いをしたプレシアに行き着く。
ありがとうと言ってくれた想像の中のプレシアの顔をまともに見る事ができない。
フェイトは、自分のせいで誰かが傷つくのも嫌だが、プレシアがそんなお願いをしたと信じたくないのだ。
既にお願いされた後だが、やっぱり自分の聞き間違い等であったのかもしれないと。
『フェイト……フェイトがどうしてもって言うなら私が』
『駄目だよ、アルフ。きっとそれは駄目だよ。ジュエルシードに憑依されたら、きっと皆白い魔導師の子みたいに怖くて泣いちゃって、酷い事になる』
アルフの言葉を遮り立ち止まったフェイトは、自分こそが泣きそうな顔で周囲を見渡した。
夕方に差し掛かる今、主婦らしき女性が多く、夕食の買い物にいそしんでいる。
その足元では、フェイトよりも幼いかそれこそ同年代の少年少女がいた。
今日の夕飯は何だ、アレが食べたいと楽しそうに語りかけている。
時折我が侭はとしかる母親もいるが、困った顔になりながらも我が子の手を引いて笑顔であるいていく。
何よりもフェイトが切望している光景であった。
『この光景を壊すなんて駄目だよ』
『だけど、このままじゃフェイトが……』
『やっぱり、聞き間違いか何かだよ。母さんがこんな酷い事を言うはずがない』
そうだろうかという念話がアルフより聞こえた気もしたが、フェイトは意図して無視した。
きっと間違い、自分にとって一番都合の良い答えを胸に俯いていた顔を上げる。
ポケットより、自分が保持している最後のジュエルシードを夕日にかざす。
もちろん、それは厳重に封印されており特別大きな魔力を叩きつけない限りは平気であった。
(こんな石ころで、皆の幸せを壊しちゃ駄目。大丈夫、きっと私の聞き間違い)
改めてきっとそうだと決め付け、ポケットに戻そうとする。
「あー、ほら。えっと、温泉の時の。ねえねえ、私の事憶えてない? 温泉宿で一度すれ違ったんやけど」
自分に向けられたらしき突然の声に、ジュエルシードを落としかけた。
知り合いの殆どいないこの世界で話しかけられ、びっくりしたのだ。
あわあわとお手玉をし、なんとかキャッチしてから声が聞こえた方へと振り返る。
そこに居たのは、アルフに良く似た犬を連れた女の子であった。
他にフェイトと同じ金髪の女性と、赤い髪のおさげの女の子もいた。
「あの、私……」
「間違いないて、ほら。車椅子はある意味で印象的やし、憶えてへん? なあ、ヴィータも一緒におったから覚えてるやろ?」
「ああ、いたなこんな奴」
「こら、初対面やないけど良く知らん子をこんな奴って言うたらあかんやろ」
鋭い視線で睨みつけてきていた子が、車椅子の少女に頬を両方からつねられる。
「いふぁい、いふぁいよ。はわて」
「はやてちゃん、お家じゃないんですから駄目ですよ」
確かにフェイトにも憶えはあったが、関わって良いものか。
ふいに脳裏に自分と同じ年頃の女の子にという、プレシアの言葉が過ぎった。
あれは違う、母さんがそんな事を言うはずがないと改めてその考えを振り払う。
手頃という表現はおかしいが、標的にぴったりな少女を前に後ろめたい気持ちもあった。
勢い良く頭を振っていると、汗でジュエルシードが零れ落ちて宙を舞う。
「あっ」
慌てて手を伸ばすも、指先が逆に弾いてしまい地面に落ちて転がっていく。
楕円に近い菱形の為にそう遠くまでは転がらなかった。
ただ、先程自分に離しかけてきたはやてという名の少女の足元までだ。
「ん、なんか綺麗な石落としたで」
「はやて、それぐらい私が」
「あかん、あかん。何でもかんでも甘えたら、そこから人は堕落が始まるんや。自分でできる事は、自分でせなあかん」
立派な志を呟いたはやてへと、フェイトが歩み寄った。
自分がかけた厳重な封印に自信があった事もある。
だがよいしょと声を掛けてはやてが、足元のジュエルシードを拾い上げようとした時にそれは起きた。
より厳密に言うならば、ジュエルシードにはやての指が触れた瞬間である。
厳重に封印されたはずのジュエルシードが、突如として輝きを発し始めたのだ。
まるで最初から封印などなかったように。
閃光とすら呼べそうな程に輝き始めた光を前に、周囲が過剰に反応して騒然とする。
「ちくしょう、なんだよ。はやて、それに触れるな!」
「まさか、アレがジュエルシードか。シャマル車椅子を引いて、主を引き剥がせ!」
「さっきからやってるんですけど、はやてちゃんが吸い寄せられてるみたいで」
「なんなん、なんなんこれ。すっごい眩しいんやけど!」
閃光の中で何処に居たのか男性の声が交じり、叫びあっている。
「違う、なんで。どうして……私が心の何処かで願ったから? 違う、私はこんな事を望んでない!」
「フェイト、危ないから下がって!」
何時の間にか人型の形態を取ったアルフに抱きかかえられ、遠ざけられる。
だがフェイトはその間もずっとそれを見ていた。
自らが招いたかもしれない、愚かな結果を。
「はやて、動くな。その石ころ、ふっ飛ばしてやる。アイゼン!」
「Ja」
ヴィータがデバイスらしき鉄槌でジュエルシードを叩くも、逆に弾き飛ばされる。
魔法障壁らしきそれは、ジュエルシードだけではなく、はやてごと守っているようであった。
「んな、馬鹿な。もう一回!」
「待て、ヴィータ!」
再びの男の人の声の後に、ジュエルシードの輝きが唐突に終わった。
一際大きな閃光を周囲一帯へと撒き散らし、嘘か幻かのように消えた。
改めて周囲を伺えば、買い物客の殆どは閃光のショックにより倒れこんでいた。
老若男女問わず、意識があるものと言えば、フェイト達魔導師ぐらいのみ。
一体何が起きたのか、フェイトもアルフも汗を拭わずには居られなかった。
冷や汗をかいたのは、ヴィータ達も同様だったが、彼らには最優先事項がある。
「はやて、はやて!」
「ヴィータちゃん、あまり動かさないで直ぐに病院へ」
「貴様ら、主に何をした!」
はやては車椅子から崩れ落ちるように投げ出され、地面に倒れこんでいた。
一体いつから持っていたのか、一冊のハードカバーの本をその胸に抱いて。
-後書き-
ども、えなりんです。
なんかシグナム、毎話カズキに突っ込んでる気がします。
武藤家に嫁に行ったら、突っ込みノイローゼになりそう……
まひろは言うまでもなく、武藤家の両親はどうなのだろうか。
ドラマCDでは、父親が出る出る詐欺だったからなあ。
一方のフェイトちゃん。
色々と抱え込んだ挙句、はやてを巻き込み。
張り詰めたものが爆発しそうな感じです。
それでは次回は水曜です。