第一話 願い事の達人だ!
海鳴市に住む多くの人が、雲一つない夜空を流れていく星々をその目にしていた。
テレビなどのメディアで話題になるには少なく、明日会う人との話題にするには十分過ぎる数の流星群であった。
一つ、また一つと夜空を裂いて落ちていく流星の数は二十一。
とある家の窓辺より、それらを見た栗色の髪を持つ小さな少女が指差しながら叫んだ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん見て。流れ星!」
「おー。よし、まひろ。流れ星が落ちるまでに三回願い事を呟くんだ!」
「うん、お兄ちゃん。何を隠そう私達は……」
「「願い事の達人だ!」」
二人は両手を重ね合わせて、一心不乱に祈り出す。
(明日はお兄ちゃん特性明太パスタが食べたいです。明日はお兄ちゃん特性……)
(綺麗な年上のお姉さんとの出会いがありますように。綺麗な年上のお姉さんとの出会いが……)
願い事の内容の違いは、高校生の兄と小学生の妹の年齢によるものか。
だが願いへの必死さはどちらも同じ、やや兄が勝る程か。
年齢には大きな差があるものの、根本では似たような兄妹であった。
「まひろ、間に合ったか。俺は余裕だった!」
「まひろも超余裕だよ。いえー!」
妹の願い事に少々ズレがあるものの、願い終えると二人でハイタッチ。
兄の手と妹の小さな手が重なりあっては、満面の笑みで笑いあう。
そしてまた流れるかもしれないと、窓辺で兄があぐらをかき、妹がその上に座る。
何時叶うかなと妹が言えば、兄は早ければきっと明日辺りにだと呟き返す。
これは両親共に海外出張の多い、とある兄妹の場合。
二人暮らしの割りに、一般家庭よりも明るい様子だが、他の家庭もそれ程大きくは変わらない。
だが極一部、ほんの一握りの者は、ある予感を感じていた。
「綺麗な流れ星やな」
「そうですね、主はやて」
「まだまだ落ちそうやし、これはしっかりお祈りしとかんとあかんな。ヴィータ、シャマル。ザフィーラもおいでや。はようせんと、見逃してまうで」
リビングから庭へと続く窓辺から、車椅子に座る少女が奥へと向けて家族を呼ぶ。
ソファーでアイスをほうばっていたお下げの少女から、炊事場で食器を洗っていた妙齢の女性。
それから部屋の隅で大人しく伏せて、眠るように瞳を閉じていた大型の犬が顔をあげる。
各々返事をする仲間の声を背中で聞きながら、その女性は空を見上げ続けていた。
(僅かにだが魔力を感じる。不吉な凶星で済めば良いが。少し調べる必要があるな)
夜空を一瞬で駆けては消えていく閃光を前に眉をしかめ睨みつける。
己が誓いをたてた少女に降りかかるならば、斬り捨てるとばかりに。
それは年齢がばらばらの四姉妹とペットの大型犬がいる、とある家庭での場合。
二つの家庭に共通するのは、欠けたところはあるものの、間違いなく家族である事であった。
お互いを思いやり、尊重し、小さくも堅固なコミュニティを築いていた。
そんな二つの家庭とはかけ離れた、某所。
「ゲホ、ゲホッ!」
空気の代わりに、異物でも吸い込んだような荒々しい咳が、狭く重苦しい部屋の中に響く。
錆が浮き上がる古びれたパイプベッドの上で男は必死に耐え、息を飲み込もうとしていた。
その男を浮かびあがらせるのは、蛍光灯ではなく小さな窓から差し込む星明りのみであった。
「創造主、大丈夫ですか!?」
すぐ傍に控えていた体格の良い男が駆け寄り薬を取り出すも、やせ細った手に止められる。
その手の中に光るのは一粒の小さな石であった。
暗闇の中でもほのかに青く光り、内部に赤くアラビア数字で刻印をほどこされた石。
「鷲尾、コイツを。一つでも多く、ジュエルシードをこの手に。コレで俺は生きる、生きたい!」
「はい、創造主」
災いこそが希望とばかりに、渇望の声と共にそれは命ぜられる。
自分自身に生きると誓ったその男の声を、小さな石はただただ黙って聞いていた。
(あれは一体、なんだ?)
目の前で暴れまわる物体を見ての正直な感想であった。
場所は海鳴市にある公園。
あまり手入れが行き届いておらず、木々が鬱蒼とする人気のない散歩道である。
夜間の今では星明りも届かない暗闇で、その女性シグナムは息を潜めていた。
後頭部にて一つしばりにした桃色の髪を僅かに揺らしながら、隠れた木の幹から視線を向ける。
「グオォォォッ」
身の毛もよだつ唸りを上げたのは、全身を剛毛で覆われた毛むくじゃらの物体。
それを生物と呼ぶこともはばかられるような、異形であった。
「はぁ、はぁ……」
そしてその異形の前に立ちふさがるのは、一人の少年であった。
幼さの抜けきらない可愛らしい顔で瞳を険しくし、蜂蜜色の髪を夜風に揺らしている。
日本では見かける事のない民族衣装や外套を土で汚し、そこから伸びる腕には血が流れていた。
恐らくと推察するまでもなく、異形との攻防で負った傷だろう。
(次元世界の人間、我々にとっては厄介事か。幼い少年を見捨てるのは騎士道に反するが……)
シグナムは即座に助けに入らず、胸元に下げた剣型のペンダントに触れながら、思案する。
(主をその厄介事に巻き込むわけにはいかん)
数秒にも満たない間に答えを出し、シグナムはただ静観する。
必要なのは何よりも情報、残念ながら見知らぬ少年の安全ではない。
そのシグナムの眼差しの向こうで、少年がビー玉サイズの赤い宝玉を手にした。
己の前にかざし、瞳にさらに力をこめると光が浮かび上がった。
光は円を描きながら大きくなり、半径一メートル程になる。
そしてその円周にそって幾何学模様を、内部に正方形を描き出した。
少年の目の前には光の魔方陣という力場が形成されつつあった。
(ミッド式か。尚の事、厄介極まる。管理局は……来ているのか?)
唸るばかりで身動きを見せなかった異形が、その力場を前に刺激される。
茂みを飛び出し、まるで羽虫が蛍光灯に呼び寄せられるように少年が生み出した力場を目指す。
「くっ」
まだ魔方陣は完成ではないのか、少年が悔しげに呻き詠唱を始める。
その間にも異形は地面を捲り上げながら、少年へと向けて疾走していた。
詠唱の終わりが先か、異形が先か。
ほんの僅かな差、少年の詠唱が先に終わりを迎えた。
「ジュエルシード、封印!」
魔方陣の力場に正面から体当たりを仕掛けた異形が苦しげにうめき声を上げた。
封印と言う言葉からも、力を奪われているのか。
閃光迸る中で体当たりの為の加速の力さえ奪われ、逆に異形が弾き飛ばされていった。
その衝撃の凄まじさを示すように、異形の欠片がぼたぼたと地面に落ちては広がる。
大きな岩ほどもあった体躯が野良犬程度にまで小さくなり、体をひきずりながら逃げていく。
一見、少年の勝利にも見えたが、容易い勝利ではなかったようだ。
「失敗……逃がしちゃ、追いかけ」
膝をついた少年の顔には汗が浮かび、言葉から察するに勝利とは言えなかったようだ。
そのまま力尽きるように倒れこみ、最後の力を振り絞り念話を飛ばし始めた。
『誰か、僕の声を聞いて。力を貸して、魔法の力を』
それは全くの無差別な、救難信号のような念話であった。
『まずい、シャマル。家の周囲一帯の念話を遮断、急げ!』
『え、なにシグナム急にっ、痛ぃ足、小指……うぅ』
隠れていたシグナムは、主である少女がその念話を受信しないように慌てて仲間に念話を飛ばしていた。
仲間が突然の事におどろいて、酷く混乱していたようだが、試みはなんとか成功。
『ふえぇん、ジャミング成功よ。痛すぎるぅ。一体何があったの、これ誰の声?』
『全く……湖の騎士が、足の小指ごときで取り乱すな。お前達には後で説明する。今は主に気付かれない事が先決だ』
『ごときって、本当に痛いんですぅ!』
仲間からの情けない訴えは、念話ごとシャットアウト。
一つほっと胸を撫で下ろしてから、はっと我に返り周囲を見渡すが異形の姿はもう何処にも見えなかった。
封印で体が削られ周囲に飛び散ったせいか、魔力の残照がそこかしこにあって追跡も難しい。
「私とした事が……」
主優先とはいえ、その憂いを断つチャンスを逃したと悔やみ、その後で怪我を負った少年の事を思い出す。
その少年の姿もまた、消えてしまっていた。
代わりにその場にいたのは、一匹のフェレットのような生き物であった。
「力尽き、魔力の温存の為か。先ほどの無差別な念話といい、管理局は来てないようだな。この少年は民間人か?」
母船へではなく無差別な念話から、そう結論付ける。
「先ほどの異形のせいで転移事故か、では流星とは無関係……何も分からないが、正面切って尋ねるわけにもいかないか。管理局に何処から漏れるか分からん事には」
遠目でも既に意識がない事を確認してから、シグナムはフェレットと化した少年に近付いた。
そしてそのそばしゃがみ込むと、シグナムを中心に正三角形の光が浮かび始めた。
三角形の頂点それぞれに小さな方円を抱いた魔方陣。
少年の魔方陣とは光の色も形も異なるそれで、手の平から紫色の光を少年にかざす。
「拙い魔法だが応急処置ぐらいにはなる。見殺しにした事がこれで許されるとは思わないが、我らには誰よりも優先すべき主がいる。すまない」
届かない謝罪を呟き、少年の止血だけを済ませるとシグナムもまたその場を後にした。
学生や社会人を乗せて走る海鳴市の市バス。
毎朝大勢の人を乗せて走るそのバスは、特定の時間だけは特に賑やかであった。
歳若い学生が多ければ、もちろんそれだけ賑やかにもなるが、少し違う。
学生の通学時間に市内を走るバスでも、本当に特定の時間、特定の人たちを乗せるバスである。
そのバスが、何時ものバス停で停車し、昇降口を開けて学生を受け入れる。
「おはようございまーす」
続々と乗り込む学生の中で、白のワンピースを着たツインテールの少女が元気良く運転手に挨拶をする。
欠伸しながら乗り込む学生もいる中で、中々の礼儀正しさであった。
だがその少女、なのはは空いている座席を探すでもなく昇降口近くで立ち止まりバスの周囲を見渡し始めた。
待ち人を探すようなその行為、バスの運転手もまたかとばかりに苦笑いである。
そう彼らは何時も、余裕などと言う言葉は持ち合わせていないからだ。
「あっ」
ほら何時も通りとばかりに、前面の窓から見えた彼らを見つけてなのはは呟いた。
見えた人影は、なのはよりも随分と大きな高校生の男の子三人。
「やべぇ、走れ。もうバスが来てんじゃねえか!」
「何時もの事だがな」
「そこのバス待って!」
何時もの事とは言え、運転手がクラクションで急げとばかりに促がす。
「セーフ」
けたたましく三人がバスに駆け込んでも、運転手のクラクションはまだ終わらない。
この三人で終わりではなく、後続がまだいるからだ。
「カズキさん、まひろちゃん急いで」
息も絶え絶えで声を上げられない三人の代わりに、なのはが昇降口から身を乗り出し手招いて呼ぶ。
「カズキさん、頑張って」
「もう、なんで毎朝毎朝遅刻気味なのよ。走れ、寝坊助二人!」
続いてバスの最後尾の窓からも、大人しい声援と甲高い叱責が飛ぶ。
その先にある人影は一つだが、対象は二人。
一人は先ほど走りこんできた三人、岡倉、六桝、大浜と同じ制服を着た武藤カズキ。
そのカズキの背中に負ぶさり旗のようにたなびいているのは、なのは達の同級生のまひろである。
「なんのここからがダッシュの見せどころ!」
「びしぃ!」
「ポーズ決めてないで、早くしなさい!」
カズキのライダーポーズとまひろの効果音に、バスの後部座席から再び突っ込みが入る。
だが事実、カズキはまひろを背負いながらも驚異的なダッシュを見せていた。
一目散にバスに駆け込み、運転手にありがとうございますと言っては、注意される。
そしてバスは最後の乗客である武藤兄妹を乗せて、ようやく走り始めるのであった。
走りこんだ四人はまだ呼吸を整え中で、一人背負われていたまひろはなのはの手をとってバスの最後尾へと向かう。
「おはよー、アリサちゃん、すずかちゃん」
「おはよう、まひろちゃん、なのはちゃん」
「まったく毎朝毎朝飽きもせず……おはよう、まひろ。なのはも」
「にゃはは、おはよう。アリサちゃん、すずかちゃん」
一番広い後部座席を空けてもらい、四人は一列に行儀良く並んでやや上を見上げる。
その正面に、ようやく息を整え終わったカズキ達がやってきたからだ。
小学生の女の子の目の前に高校生の男の子がたむろする光景はやや異様だが、誰も何も言わない。
毎朝の光景で、このバスに乗る人は全員慣れてしまっているからだ。
「おーっす、おチビちゃん達」
「そのおチビってのやめなさいよ英之。まったく、だからアンタはモテないのよ。デリカシーがない。ついでにリーゼントだし」
「おう、デリカシーがないのは先刻承知だ。だが、リーゼントを馬鹿にする発言はいただけないな。おう、おう」
「だからってリーゼントで突くな。この、馬鹿不良」
ゆっさゆっさとリーゼントを揺らす岡倉に対し、ぽかぽかとアリサがやり返す。
お嬢様のアリサと不良の岡倉は水と油、これもだいたい毎朝の事である。
一先ず二人がじゃれ付いている間に、カズキ達は一通り朝の挨拶を交し合う。
「それにしても、今日はカズキさんもまひろちゃんも、普段よりちょっとだけ遅かったですよね。もしかして、昨日のアレ見てたせいですか?」
「すずかちゃんも見た? そうなんだ、アレ見たせいでまひろが興奮して寝てくれなくて」
「全部で二十一個、間違いないよ!」
「ちなみにアレの数え方は個じゃなくて筋。意外と知ってる人いないよね」
まひろの主張に対し細かな突込みをしたのは六桝である。
意外どころか、知っている方が少数派だと、大浜は苦笑いであった。
何時頃が綺麗だった、あの時がと皆が盛り上がる中で、一人疑問符を浮かべている者がいた。
「アレって……昨日、何かあったの?」
右から左へ、左から右へと飛び交う話題についていけないなのはであった。
「まさか、なのは。見てないの流れ星。一杯流れてて、凄かったのよ」
「え、あう……昨日は、将来の夢の作文で手こずってて。そういえばお母さん達が騒いでて呼ばれたけど、それどころじゃないから断っちゃって」
「それは残念だけど。大丈夫、ビデオカメラで記録してたから。はいこれ、貸してあげる」
「え、本当ですか。ありがとう、六桝さん」
話題に乗り遅れてしまい、しょぼくれたなのはを救ったのは六桝が差し出したデータカードであった。
なのはの満面の笑みを受けても、何時ものすまし顔で眼鏡の位置を直している。
しかしながらと、なのはと六桝以外の誰もが思っていた。
いくら珍しかったとはいえ、六桝が嬉々として星空をカメラに収める姿が思い浮かばなかったのだ。
そんな趣味があるとも聞いた事がなく、しかも何故この場にデータカードのみを持って来ているのか。
相変わらず不思議な奴と人物像が謎に着地してしまう。
「将来の夢か。なのはちゃん達はもう決めてたりするの?」
なのはが昨日の流星を見ていない以上、一先ずコレはまた今度とばかりに大浜が話題を変える。
体が大きな割に、こういうところは細やかな男であった。
「まひろは、お兄ちゃんのお嫁さん!」
「よーし、そうか。なら俺より年上の綺麗なお姉さんになったら貰ってやるからな、まひろ。大きくなれよ」
「わーい、やった。お兄ちゃん、私頑張って大きくなるね!」
「いやいやいや、何処をどうしたら妹が兄より年上になるのよ。て、聞いてないし」
カズキがまひろのわきに両手を挟み、高い高いとばかりに持ち上げる。
まひろは素ボケだろうが、カズキは付き合ってるのか素ボケか判断が難しい。
アリサの突込みが聞こえてない様子から、素ボケの確率が高そうだが。
「このボケ兄妹は。私はお父さんもお母さんも会社を経営してるから、一杯勉強してそれを継ぐってところね。すずかは?」
「私は機械系とか好きだから、工学部に行って、専門職かな」
「そっか、二人とも凄いよね。まひろちゃんもある意味、凄いけど」
小学生にしては具体的な将来像を持つ二人、おまけのおまけにまひろを前になのはが羨ましげに呟いていた。
先ほども、作文でてこずったと言っていたし、明確な将来像がないのだろう。
「安心して、なのはちゃん。僕達も、そこまで明確な将来像はまだないから。人それぞれ、ゆっくり探していけば良いと思うよ」
「おうよ、その通り。将来像なんてさっぱりありゃしねえ。もちろん、カズキもだ!」
「いや、それって……いいのかな」
「ちょっと待った高校生、私達より将来像がないって。本当にそれでいいわけ!?」
大浜の言葉は最もだが、サムズアップ付きで答えた岡倉があっけらかんとし過ぎて頷くに頷けない。
そんな控えめななのはの反応に対し、アリサは突っ込まずにはいられなかった。
「あはは、あの……六桝さんは、将来像ってあるんですか?」
「ん、医者」
将来像がない組に入っていなかった六桝へとすずかが尋ねると、ほぼ即答であった。
指先で持ち上げた眼鏡の縁がキラリと光る。
職業が決まっている点では、誰よりも明確な将来像と言えよう。
実際には、医者と言っても色々と種別があるとはいえだ。
まひろをあやしていたカズキさえも、コイツやりおるとばかりに皆と一緒におおっと唸る。
冷静沈着、ちょっと謎めいた六桝の医者姿は、眼鏡も相まって似合っているのだ。
だが六桝はやはり、六桝であった。
「それから冒険家、宇宙飛行士。いや花火師も捨てがたい」
「て、子供か。アンタは!」
「アリサちゃん、六桝さんはなりたいものが多いんじゃなくて、なれるものが多いだけだから一概に子供とは言えないんじゃ」
実際、六桝は学校のテストだろうが外部の模試だろうが、優秀な成績を収めていた。
一部からは四バカとして、カズキ達とひとくくりにされているのが不思議なくらいである。
それは兎も角として、将来像がないよりはあった方が良いよねと、なのはは全くない自分を省みては少し悩んでいた。
岡倉達の折角のフォローも、あまり効果は無かったようだ。
赤焼けの時間も終わりに差し掛かり、夜の帳が折り始めた頃。
カズキは時計を気にしながら先を急げとばかりに、帰宅路の途中にある公園の中を走っていた。
目的地は、近所のスーパーである。
昨晩に流れ星を見上げていた際に、まひろがお願い事を少し口から零れさせていたのだ。
それは料理が得意でないカズキでも作ってあげられる、数少ないまひろの好物であった。
ならば兄として、その小さな願いを叶えてあげなければならない。
だが少々材料が足りないために、こうして急いでスーパーのサービスタイムを目指していた。
「とっとっと」
先を急ぐ足を道の上でたたらを踏ませ、ふいに立ち止まる。
「そう言えば、ここを通れば近道だってアリサちゃんが言ってたような」
足を止めて振り返った先は、普段の帰宅路から外れた林の中であった。
散歩道とは名ばかりの、木が鬱蒼と多い茂るだけの獣道のようなものである。
時間帯に関わらず、カズキは誰かがこの道に足を踏み入れる事を見たことがない。
カズキ自身、その散歩道をそっと覗き込み、あまりの薄暗さに体をブルブルと震わせていた。
男子高校生であろうと、怖いものは怖いのだ。
「や、止めとこう。アリサちゃん達にもこの道は暗いから使うなって……」
一度はそう言いながら首を振り、諦めようとするも足が動かない。
迷いに迷い、六桝でもいればその間に走れと言われそうな程に時間を食いつぶしてしまう。
「ええい、一直線。真っ直ぐ前へ」
だが結局、カズキはその散歩道へと足を踏み入れる事に決めた。
そして直ぐに後悔する事になった。
木々や枝葉の隙間をぬうように吹く風がざわめき、カラスか何かがギャアギャアと喚きたてる。
普段であれば気にもとめないそれらの音が、いかにもな感じで耳に届くのだ。
森全体の薄暗さが恐怖心を駆り立てて、なお怖ろしい。
一刻も早く、この散歩道ならぬ獣道を抜けてしまおうと、心臓がはやるままに足を速く駆け抜けて行く。
その時、恐怖心を駆り立てていた音全てがふいに消えた。
「え?」
あまりに不自然な音の消失に、思わずカズキは立ち止まるままに手頃な木の幹に隠れた。
全てが静寂に覆われた林の中で、己の息遣いと心音だけが大きく響き渡る気がする。
そしてカズキは、周囲を静かに見渡す事でその正体をその目に捉えてしまった。
木々の上をずるりと這って行く何か。
先程まで抱いていた恐怖心とは比べ物にならない、本能的な嫌悪が背筋を上る。
(嘘、だろ……そう、見間違い。じゃなきゃ、夢だ。夢に決まってる!)
混乱するままに、だけど声だけは必死に押し殺して心の中だけで必死に叫ぶ。
カズキが目にしたそれは、巨大という言葉では言い表せない程の大蛇。
はっきりと頭の先から尻尾まで、全長を見たわけではない。
頭、胴体と断片的に見ながら、その異様さに目を見張らずにはいられなかった。
その顎は人を丸飲みできてしまいそうに大きく、胴体は隠れている木の幹より太い。
テレビで見た事があるアナコンダが可愛く見える程だ。
(じゃなきゃ、あんな怪物在るはずがない!)
今見た存在の全てを否定する為に、息を飲んで隠れていた木の幹から顔を覗かせる。
大蛇がいるであろう上を見上げ、今度は心の中の声さえ失ってしまう。
見間違いでも、夢でもなかった。
全てを否定したかった存在が、確かにカズキの視線の先に存在していた。
顎から伸びる鋭利な牙はナイフに等しく、毒液か何かの液に塗れながら獲物を威嚇するようでもあった。
いや、実際に大蛇は己の獲物に狙いを定めていた。
(あの人、気付いてない!?)
大蛇とカズキの視線が交わる先、そこに一人の女性がいた。
後姿ではっきりとは分からないが、特徴的な桃色の髪を後頭部で結び上げている。
このままでは危ない、そう考えると同時に己の身を思案する事さえなかった。
頭で考えるより先に体が勝手に動き、隠れていた木の幹から飛び出していた。
「危ない!」
突然の事で驚いた表情を見せた可憐な女性を無粋にも突き飛ばし、カズキの見る世界がブレた。
「なっ、馬鹿な昨日の、いや違う。魔力は欠片も!」
カズキの胸から生えたのは、大蛇の牙ではなく鋭利な尾であった。
人の腕程もある尾に左胸を貫かれ、そこから血を噴出しながら崩れ落ちる。
まるで操り人の手を離れた人形のように、瞳の色を失くすままに力を失くしていく。
突き飛ばされよろめいた女性、シグナムは驚愕に目を見開きながらその光景を間近でみていた。
自分を助けた少年が、胸に致命傷を負い、命尽きようとしている。
その間、数秒にも満たず、直ぐに我に返ると、胸元のペンダントを握り締め叫んだ。
「レヴァンティン!」
紫色の閃光がペンダントより迸り、瞬く間にその姿を剣へと変える。
不可思議なその現象に眉一つ動かさず、シグナムはカズキの胸を貫く尾を薙ぎ払う。
林の中に響くのは、分厚い鉄板がひしゃげるような鈍い音であった。
潰れたのは大蛇の表皮ばかりで、決定的な痛手には程遠い。
両断するつもりではなった一撃を受け止められ、今度こそシグナムは思考を停止させていた。
(魔力は殆ど込めなかったとは言え、この固さはこの世界の生物じゃない。やはり昨日の……だが何故、魔力を感じない!?)
決定的なその隙を前に、大蛇はカズキの胸から尾を素早く引き抜いていた。
そして次にシグナムを狙い、既に物言わぬ骸と化したカズキごと薙ぎ払おうとする。
「舐めるな。レヴァンティン!」
「Explosion」
剣の鍔元にある部位がスライドし、薬莢が吐き出された。
まるで拳銃のようなギミックが起動した後、シグナムの体に紫色の淡い光が満ちていく。
同時にレヴァンティンと呼ばれた剣の刀身に炎が絡みつき、猛り狂い始める。
薙ぎ払われる尾を前に怯む事なく、裂帛の気合の声と共にシグナムがレヴァンティンを振った。
鋭い斬撃による鋭さと、炎の熱による溶解とで今度こそ切断に成功する。
尾は宙を舞ってから地に落ち、斬り離されたにも関わらず意志があるように蠢いていた。
「シギャアァァァッ!」
尾を斬られ、逃げ出そうとする大蛇をシグナムは追いかけようとする。
そのシグナムの視界の片隅で、崩れ落ちてもまだ血の海を広げるカズキがいた。
貫かれた左胸は一目瞭然、この場での正解が分かっていても手を伸ばさずにはいられなかった。
昨晩とは違い、自分は目の前で倒れる少年、カズキに曲がりなりにも救われたのだから。
あのままカズキが現れなくても、あの程度の一撃を避ける自信はあっても。
「おい、しっかりしろ。私の声が聞こえるか!」
意味がないと分かりつつも、体を抱き起こし揺さぶっては語りかけた。
だが、分かってはいたのだ。
胸には拳よりも大きな穴が空き、瞳からは生命としての光がほぼ失われてしまっている。
昨晩とは違い、自分程度の治療魔法では間に合わない。
いや仮に癒し専門の魔法の使用者であるシャマルがいても同じ事だったろう。
貫かれたのは、よりにもよって左胸。
今まさに失われつつある命を前にしても、シグナムにできるのはその最後を看取るぐらいのものであった。
「危険を顧みず、私のような見知らぬ相手に手を指し伸ばすその姿勢は見事だった。言い残す事は、伝えるべき誰かはいるのか?」
心臓を潰されショックで即死しなかったのは、幸いな事なのか。
もはや遺言を残す力すらないであろうカズキを前に、それでも尋ね口元に耳を寄せる。
「………………」
聞こえたのは言葉にすらならない、息が喉を通るだけの音である。
その音も次第に失われていき、完全に光を失くした瞳の色が瞼の奥へと消えていった。
シグナムはカズキの瞳を完全に閉じさせると、傍に落ちていた生徒手帳を拾い、開く。
厄介事は避けるべきだが、これは自分が蒔いた種。
説明し辛い事だが、せめて亡骸を家族のもとへと返すべきだ。
「武藤カズキか。世が世なら、立派なベルカの騎士になった事だろうに。できる事なら、私が導きたかったものだ」
そう考えたシグナムがカズキを横抱きに抱え上げた時、とある脈動が林の中に広がった。
奔流とも表現すべき魔力の量と質の広がりに、その震源へとシグナムが振り返る。
場所は遠くない、直ぐ目と鼻の先。
茂みの中から淡い青の光が広がり、その光を放つ正体が浮かび上がった。
「青い光の宝石……まさか、昨晩の流星の正体はこれか!」
アラビア文字でLXX、七十番とナンバリングされた宝石はますますその輝きを強めていた。
その内に秘めた魔力も同様に高まり続け、ついに弾ける様な閃光を放つ。
カズキを抱えていた為、腕をかざす事ができず、シグナムは咄嗟に目を瞑るしかなかった。
林の薄暗さを消し飛ばし、昼間のように照らした直後、辺りは再び暗闇が訪れていた。
「消えた……」
再び訪れた闇に飲まれる様に、宝石の姿は影も形もなくなっていた。
輝きを強めるままに弾け飛んだか。
軽く周囲を見渡し、謎の宝石を捜したシグナムは気付いた。
抱き上げた遺体から失われたはずの温かさ、それが徐々に蘇りつつある事に。
そんな馬鹿なと、絶命したはずのカズキを落としそうになるが、生きている。
左胸の穴は何時の間にか塞がっており、血色も良くなり始めていた。
そして気付く、癒えた左胸の上に刺青のようなものが見えた事に。
LXXの赤い文字が薄っすら浮かび上がっていたのだ。
だがその文字も、カズキの唇から寝息のようなものが聞こえるに従い消えていった。
「分からない事だらけだ。一体、何がどうなっているのだ」
昨晩見た魔力の塊のような異形、先程見た魔力の欠片もない異形。
そして、死んだはずのカズキを生き返らせた、青い宝石。
しばらくの間、カズキを抱えたまま悩んでいたシグナムであったが、一つの結論を出した。
何も分からないなら、分からないなりに一先ず、カズキを家に返そうという結論をだ。
「放置して、二度死なれても困るしな」
この腕の中は主専用だが、今だけは許そうと抱えなおす。
そして一度、林から出ようとしたところで人の声に気付く。
夕暮れ時だったのは、遥か過去の事である。
すっかり日も暮れ、こんな時間に公園に訪れる者などまずはいないはず。
警戒心を露に、木の幹に隠れ伺った先にいたのは、一匹のフェレットと一人の少女であった。
(あのフェレットは昨晩の……とすると、あの少女は救難の念話を聞いたのか?)
少女は走ってきたのか息を乱しており、ベンチの上でフェレットを膝に乗せながら休憩している。
「あの、怪我痛くない?」
「怪我は平気です。何故か拾われた時には、殆ど治ってて……後は、体力の回復を待つだけだったから」
巻かれた包帯を器用に振りほどいたフェレットが、いぶかしみながらそう呟いていた。
治療魔法は仲間に任せきりのため不安で、無事を確認しに来たのだが、その必要はなかったようだ。
「そうなんだ。あ、自己紹介していい?」
「あ、うん」
「えへん、私、高町なのは。小学三年生」
可愛らしい自己紹介から始まった二人のやり取りであったが、事態はそう気楽なものではなかった。
少年、ユーノ・スクライアから語られたのは、彼が発掘した古代遺産について。
手にした者の願いを叶える魔法の石、ジュエルシード。
次元世界中に散らばる内の二十一個で、現在見つかっている最大のナンバリングは百。
だがその力の発現は不安定で、使用者を求め周囲に危害を加える事もあるらしい。
それが昨日の夜にユーノを襲っていた異形の正体なのだろう。
さらに人や動物が誤って使用し、その結果暴走する事もあるらしいが、それは先程の異形の事だろうか。
(これで昨晩の異形とあの流星の正体が繋がったが……先程の異形は、違う気がする。それに先程のジュエルシードは、まだ意識があったカズキが生きたいと願ったから?)
まだいくつか謎は残るものの、およそ知りたい事は知りえた。
今はまず、カズキを家族の下へと、シグナムは話し込む二人を尻目に移動し始めた。
-後書き-
ども、えなりんです。
はじめましての方も、そうでない方もまたよろしくお願いします。
また武装錬金ですよ。
ネギまと武装錬金とのクロス作品は、ブログCrossRoodの方で公開中です。
今回はリリカルなのはと武装錬金の世界融合型のクロスです。
ちょいちょい原作と異なる箇所もありますが、深い理由はあったりなかったり。
まひろが高一から小三になったのも深い意味はありません。
ブラコンは原作設定ですよ?
なのは達は精神年齢高いけど、まひろだけ極端に低い感じです。
将来の夢の作文でお兄ちゃんのお嫁さんと書いて発表する程度には。
あとはおいおい質問等あれば、答えます。
それでは全四十二話、水曜と土曜の週二投稿です。
最後までよろしくお願いします。