私こと、うちはルイがこの任務で達成しようとする目標は『尾獣の調伏』、この一点に尽きる。
尾獣の強大極まる力は咽喉から手が出るほど欲しいし、後の為にも一つぐらい手元に確保しておきたい。
うちは一族、もというちはマダラは九尾と口寄せの契約を交わし、服従させていたとされるので、九尾以下の尾獣を従わせる事も不可能ではないと推測出来る。
不明瞭な問題があるとすれば、人柱力の中に封印された状態で、果たして本体を口寄せ出来るのか否かである。
これについては身近にいる人柱力であるうずまきナルトから考察する。
そもそも九尾は四代目火影の屍鬼封尽によって陰と陽の二つに分断されて、陽の側だけをナルトに封じられたとされる。残りの陰の側は死神の腹の中とされているが、封印式が刻まれた場所は四代目火影である波風ミナトの死骸なのだろう。
此処で生まれる疑問は、何故態々二つに分断したのか、そうせざるを得なかった理由である。
――私の考えた仮説は、そのまま封印しても口寄せで呼び寄せる事が可能だった、そう考えればある程度は納得出来る。四代目火影が九尾を口寄せし得る存在を認識していた、という前提の下の話だが。
つまりは半分に分割されていなければ、人柱力の中にいても口寄せは可能であると予想する。
続いての疑問は口寄せしたら人柱力はどうなるのか。尾獣を引き剥がす訳じゃないから死にはしないだろう。
第一、そんな簡単な方法で剥ぎ取れたら暁の大した忍達による三日三晩続ける儀式が無駄になってしまう。口寄せし終えたら宿主である人柱力の中に帰還するだろう。
どの道、人柱力の少女が死のうが生きようが関係無い。収納便利な器として考えれば生きていた方が便利か、その程度の次元の問題である。
――ただ、後ろから予期せぬ不意討ちを受け、強烈に叩きつけられて意識を失う寸前に、猛烈な殺意を抱いたのは余談である。
巻の10 絶体絶命の窮地、盲目暗愚の尾獣と対峙するの事
最初は気弱そうに怯えている黒髪紅眼の少女にしか見えなかった。第九班共通の第一印象である。
年頃は十二歳前後で、忍衣装に黒い着物を羽織り、黒絹のように滑らかな長髪は腰元まで伸びている。息絶えた暗部の言う通り紅眼だが、一目見れば解るほど特徴的には見えなかった。
「……あ、ああ、ああああぁぁああぁぁっ!」
だが、黒い泥を湯水のように撒き散らしながら荒れ狂う岩流ナギの眼は、先程とは一変して異彩を放っていた。その紅眸には底無しの闇が宿り、禍々しいまでに煮え滾っていた。
「――ルイ! おい、ふざけて狸寝してんじゃねぇぞ!?」
呼びかけに身動き一つせず、頭から鮮やかな血液が流れる。
ルイの元に駆け寄りたい衝動を、ヤクモは歯痒く思いながら必死に押し殺す。
今、背後を見せれば確実に殺されると予感させるほど、岩流ナギの内に巣食う化け物は尋常ならぬものだった。刀を握る両手に汗が滲む。
「あああぁあああああぁっ!」
ナギの悲鳴と共に黒い泥が猛烈な速さで流動する。暴力の津波と化した黒泥は、在ろう事か、目前の三人を無視して気絶したルイ目掛けて飛翔する――。
「――! やらせるかっ!」
逸早く反応したヤクモは押し寄せる黒い津波より疾く走り、ルイの下へ駆け付ける。
「はあああああああっ!」
間髪入れず刀身にありったけのチャクラを籠めた剣閃を全力で振り下ろし、黒い津波を真っ二つに両断する。飛散する黒泥を目の当たりにしてヤクモは「あ」と呟いた。
「馬鹿、殺す気か――!?」
カイエの悲痛な叫びが空しく響き渡る。咄嗟の事で加減を誤り、人柱力であるナギの安否を考慮せぬ、度外視の一撃だった。
「な――」
ヤクモの背筋から全身に掛けて寒気が弥立つが、刃のチャクラは本体のナギに届く事無く霧散する。
ほっと一息付く間も無く、引き裂かれた黒泥は無数に枝分かれし、変わらずルイを目指して迅速に疾走する。
「しつけぇ――ってえぇ!?」
目前に迫る触手じみた黒泥を切り払おうとした刹那、ヤクモは手に握る己の獲物に違和感を覚える。――異様に軽かったのだ。
敵の攻撃から目を逸らす愚を犯してまで確認すれば、刀身が黒く爛れて折れていた。これでは次の猛攻を切り払う事は出来まい。
(んな馬鹿な、一体何故!? 斬りつけた感触は水面を割った時のように手応えが無かったのに。訳解らんがあの泥に触れるだけは致命的にヤバイ――!)
ヤクモは機能を果たさない愛刀を躊躇無く投げ捨てて脇差に手を掛けるが、二手遅れた今では全ての攻撃を捌き切れない。
ヤクモの身体能力ならば、退けば紙一重で躱せるだろう。だが、後ろに気絶したルイが横たわっている中、そのような選択肢は最初から存在しない。
「――ヤクモッ!」
自らを盾に防ぐ覚悟を決めた瞬間、ユウナの呼びかけを耳にする。長年組んだ友の取るであろう行動を理解するより疾く動いた。
瞬時に退いて気絶するルイを乱暴に抱き寄せて脱出し――二人を穿ち貫こうとする黒泥にユウナが割り込み、全周防御である八卦掌回天で吹き飛ばした。
「っ、チャクラが……!」
全身から放出したチャクラを根こそぎ奪われ、ユウナは顔を歪める。
消費したチャクラは別段問題無いが、泥の方は依然変わらず流動し、ルイを抱えるヤクモの元へ飛翔する。
「おいおい、なんなんだよこの泥は?!」
「白眼でも解らんよ! 今まで一度も見た事も無いものである事は確かだ!」
悲鳴じみた文句を並べて、二人は一心不乱に逃げ続ける。黒い泥の速度そのものは二人でも見切れる程度であり、全てがルイだけを一直線に狙うという単純で御粗末なものだ。
だが、如何せん数が多すぎるし、不可解な性質ゆえに一個足りても触れる訳にはいかない。焦る二人を徐々に追い詰めていく。
「――なるほど、やはりか」
遠方からの声と同時に黒い泥は反転し、カイエ目掛けて疾走する。
白眼を持つユウナだけは目視した。普段の彼からは考えられないほどのチャクラが全身に漲っていた。
「二人とも良く聞けェ! コイツはチャクラの大きい順に攻撃してくる。自動防御ならぬ自動攻撃だ畜生ッ!」
直線状に位置した大樹を無造作に倒壊させ、黒い泥は愚直なまでに一直線にカイエを付け狙う。されども、逃げる事に定評のある彼は危なげ無く躱しつつ、本体のナギから遠ざけるように誘導する。
「――ヤクモ、ルイを黒い泥から出来るだけ遠ざけろ! オレが囮になっている間にユウナは無防備になった本体を気絶させうわぁっと!」
カイエの予想を反した一撃に意表を突かれ、危うく被弾しかける。
先程まで触れるもの全てを破壊した液体状の黒い泥が、今度は伸縮性と粘着性を併せ持ち、ゴムかガムの如く伸び縮みする挙句、倒壊した木々を意図せずに付着して猛威を奮っていた。
「まんま伸縮自在の愛!?」
「先生ッ、その泥は常に性質変化してます! お気をつけて!」
「ちぃ、これほどとんでもない代物は初めてだぜ! 全く、砂の方が可愛げあるうおおおっ!」
ヤクモは意識の無いルイを抱えて遠ざかり、ユウナは暴走する岩流ナギの下を目指し、カイエは全ての黒泥を引き付けんと躍起になっていた――。
――其処は無数の墓標が立ち並ぶ荒野だった。
死を悼む者の人影は無く、墓標に刻まれる名もまた無い。その良く見慣れた殺風景の中、私は一人だけ呆然と立ち尽くしていた。
「もしかして死んだ?」
漠然と呟く声に答える者は存在しない。存在しない筈だった。
「――いいえ、残念な事にまだ死んでないわ。でも、いい加減諦めたら? 一体幾つまで無名の墓標を増やすつもりかしら」
音無く気配無く唐突無く現れる、この小汚いフードで全身を覆い、一度足りても顔を見せない忌むべき部外者を除けば――。
「……またお前か。勝手に人の心に居座る墓守の分際でうざいよ」
この性別すら解らぬ不審人物を毎度の事ながら睨みつけるが、何処吹く風だ。
死ぬ度にこの世界に立ち寄り、望もうが望むまいが対峙するのでいい加減気が滅入る。
「平穏に生きたければ他人の意思を踏み躙ってはいけない。けれど、貴女の運命は他人の意思を踏み躙らなければ生存すら許されない」
名無しの墓守は感情すら無く、淡々と呟くように謳う。
――だからこそ他人の意思を踏み躙って生存する。当然だ、座して死ぬ趣味など生憎持ち合わせていない。
「貴女はある意味究極の被害者であり、依然変わらず究極の加害者よ。存在そのモノが悪、もはや罪の領域だわ」
「疾うの昔に聞き飽きたわ、その手の謳い文句は」
罪や罰、罪悪感など下らぬ次元の話に執着出来ない。
そんなもの生きていれば勝手に積み上がるものだし、ましてや無限の輪廻転生を繰り返す私にとっては振り返る気にもなれぬ膨大で無駄極まる過去だ。
「どう足掻いても世界の怨敵に祀り上げられ、決まって〝彼等〟に討ち滅ぼされる。――悪は正義によって倒されるという法則だけはどの並行世界も共通のようね」
酷く磨耗し、朽ち果てて絶望し、諦めた言葉に世界を壊すほどの殺意を抱く。
世界の修正力による予定調和、忌まわしいまでの勧善懲悪、幾たびも我が前に立ち塞がり、完膚無きまでに打ちのめした運命の因果を回想し、胸糞悪くなる。
「――〝彼等〟は絶対諦めない。如何なる不条理をも粉砕し、如何なる摂理も論破して、貴女の前に立ち塞がる。幾たび討滅しても懐柔しても、不屈にして絶望を知らぬご都合主義の寵児達は悪い魔王である貴女を絶望の淵に叩き堕とすわ」
――千億の絶望を振り撒く最強最悪の魔王を絶望させる存在とは得てして、悍ましいほどの希望を抱く勇者達である。
その憎き愛しき怨敵達は何処までも理不尽の塊である。
障害を乗り越える度に強くなり、病的なまでに死の敗北を寄せ付けず、幾たび打ち倒しても不死鳥の如く蘇る。完全に討ち滅ぼしたとしても、その黄金の意思を引き継いだ者は必ずや我が前に立ち塞がる。
「この世界にまだ〝彼等〟の片鱗は見当たらないけれども、近い将来必ず現れるわ。それはこの物語の本来の主人公かもしれないし、貴女が珍しく心許した友人達かもしれない」
その〝彼等〟の真の恐ろしさは空気感染するが如く増殖する事だ。
無限の絶望を前に膝を屈した者でも、瞬き一つする頃には無限の希望を抱いて挑んでくる可能性さえ在り得る。
私は全勝しなければならないが、彼等は一勝さえすれば良い。人類全てを滅ぼさない限り、私の勝利条件は満たされないが故に、私の敗北は必定だった。
「もう諦めて眠りましょ。星に手を伸ばしても届かない、貴女のしている事はそういう事よ。死の中にこそ安息がある。永遠は其処にしかない。無限の輪廻転生なんて辛いだけ――」
「――手に届かぬのなら届く場所まで堕とすまでよ。私は傲慢で物凄く諦めが悪いんでね」
罅割れた心に付け込む誘惑の言葉を私は真正面から斬って捨てる。そんな事で迷えるほど、そんな事で悩めるほど私は弱くない。
この斯くも強大で尊大で、世界全てを敵に回しても勝つと断言出来る意志こそ私が私である証ゆえに。
「……そう。ベクトルは正反対で対極に位置してるけど、貴女の本質は〝彼等〟と同じだったわね」
顔は見えないが、そいつは何となく笑った気がした。それは嘲笑でも憐憫でもなく、もっと透明な何かであり、それ以上の興味は抱けない。
「其処で眺めていればいいさ。妬みながら憎しみながら恨みながら羨みながら、私が必死に生き足掻く様を見届けるが良いさ」
その答えが気に入ったのか、何度も噛み締めるように頷き――珍しく感情の籠った言葉を返す。それはまるで悪戯を嬉々と打ち明かすように。
「元よりそのつもりよ。――これは私からの有難い助言だけど、眼を覚まさないと貴女を含めて皆死ぬよ?」
「無理無理無理ッ! 先生、近寄れもしませんよ!?」
「うがぁーっ! 絶対防御以上の攻撃してんじゃねぇ!」
黒泥が森を蹂躙する。破壊の嵐の中、ユウナとカイエは息切れしながら躱し続けていた。
そも当初の作戦は黒泥を手元から離し、無防備かと思われた岩流ナギに近寄った瞬間、新たな黒泥が発生した事により失敗する。
出し惜しみ以前の問題であり、人柱力にチャクラの限界などという概念が無い事をユウナ達は身を持って味わった。
(――最悪の状況だ。このままでは岩隠れの暗部に追いつかれる。岩流ナギを放置して一刻も早く撤退しなければ終わりだが、此処で人柱力を奴等に始末されては火の国に尾獣が襲来する!)
カイエは歯軋りを鳴らす。状況は刻一刻悪化し続ける。
殺すならまだしも、殺さず無力化するのは至難の業だ。予期せぬ長期戦で八門遁甲の体内門の開門を抉じ開けて引き出したチャクラが尽き掛けた時、黒い泥は再び反転する。
「――まずっ! ヤクモ避けろおおおおおおぉ!」
黒い泥は上忍であるカイエを超える、膨大なチャクラを有するルイの下へ疾走する。
遠くから未だ意識を取り戻さぬルイの安否を気遣いながら静観していたヤクモは咄嗟に反応出来なかった。
「な!?」
穿ち貫かんとした黒泥はされど二人に届かない。
迫り来る黒い泥はより黒い炎に蹂躙され、一瞬の内に蒸発していく。それが万華鏡写輪眼による天照である事をヤクモは遅れながら気づく。
「ルイ、目覚めたのか!」
「……頭痛いや。ヤクモ、手早く状況を説明――して貰うまでもないか」
焼却した傍から黒い泥を生み出して暴走する岩流ナギの姿を目視し、ルイは大体の状況を把握する。殺すならまだしも、殺さず無力化するなら自分の能力が最適だと。
未だに出血する頭部を手で押さえ、ルイは掌仙術で傷を塞ぐ。ポーチから増血丸と兵糧丸を取り出し、口に放り込んで噛み砕きながら疾走した。
「ルイ!?」
黒い泥がうねりを上げて疾走する。その全ての動きを写輪眼で見切って予測し、ルイは紙一重で避けながら走る。
だが、それだけではこの殺人的な物量の壁を突破出来ない。上忍のカイエと白眼を持つユウナでさえ近寄れなかったのだから。
――先の二人とルイの相違点は、近寄る必要が無いという事に尽きる。
「岩流ナギ――!」
ルイは全身全霊をもって吼える。
内に暴れる尾獣の力に翻弄されて苦悶し、地に俯くナギはその声に反応して見上げる。そう、一瞬でも眼が合えば術中に陥れられるのだから――。
其処は一面真っ黒な世界だった。
岩流ナギを襲った破壊の衝動は唐突に途切れ、軽くなった我が身を不思議と思いながら彼女は周囲を見渡す。
「あ。さ、先程はすみません! ごめんなさいっ!」
傍らには自分が吹き飛ばしてしまった、一本の三つ編みおさげが特徴的な写輪眼の少女がいた。
しかし、少女は自分などに眼も暮れず、ただ呆然と見上げている。その視線の先を辿って現れた存在は、ナギの生涯で最大規模の驚愕を齎した。
「え、えぇ、えええぇ!? なんなんですか、これはなんなんですかぁ!?」
「――六尾か。大した化け物を飼っているわね」
それは超越的なまでの存在感と無限大のチャクラを秘めた六脚六翼――否、六尾の巨大な黒狗の化け物だった。
血塗れた真紅の眼はあれども光を映さず、耳があれども音を通さない。脚は六本あれども爪は生えておらず、奇形の六枚の翼は尾じみており、巨大な黒狗は己の尻尾を代わる代わる咥えている。
奇怪極まる怪物だが、ルイには心当たりがあった。中国神話に語り継がれる怪物の一つ、それも取り分け凶悪とされた四凶の悪神――其の名は〝渾沌〟という。
「単刀直入に言うわ。この私に服従を誓い、口寄せの契約を結びなさい!」
六尾はこの空間の支配者たるルイに眼も暮れず、黒い空を見上げて嘲笑う。
恐らくは最初から眼中に無く、これまた同じく聞いてもいない。その巨大な眼と耳はどうやら飾りらしいとルイは眉間を顰める。
「う、無駄ですよぉ。そいつはいっつも人の事を嘲笑うだけですし。偶に意味無く暴れて手が付けれませんよぉ」
おどおどと怯えながら説明する岩流ナギを無視し、ルイは無感情に眼を細める。三つ巴の写輪眼の形が崩れに崩れ、一定の模様に定まらない。
「やはり畜生風情に人間の知性を問うのは無駄だね。――まあ、交渉とは対象となる相手を完膚無きまでに叩き潰した後にするものだしねぇ」
「……え? それって交渉と呼べないので、は――?」
そう言ってルイの顔を覗き込んだ瞬間、ナギは余りの恐怖で硬直する。
常に怯えていた恐怖の根源である尾獣を遥かに上回る絶望となりて、亀裂が走ったように微笑む三つ編みの少女が仁王立ちしていたのだから――。
「こっち向け、眼開けろ、耳穴を穿って良く訊け」
ルイは右手を引き寄せるように握り込む。その瞬間、上を向いていた尾獣は強制的に下を振り向かせられ、ルイの姿を盲目な眼で始めて直視する。
巨大な黒狗の貌に嘲笑以外の感情が浮かぶ。何物も映さぬ真紅の眸が、絶えず揺らぐ歪な模様の写輪眼を映す。
「その虚ろな眼で篤と刮目するが良い。一体誰を前にしたのか、身の程を思い知らせてやるわ――」
〝――、―――?〟
突如、別の空間に移送された尾獣は現状を理解出来ず、人間で言うところの頭を傾げた。
元より六尾・渾沌には視覚、聴覚、嗅覚、痛覚など基本的な感覚が存在しない。それらの感覚は宿主を通じてでしか得られない意味不明の情報であるが故に、未知の感覚と強制的に接続した現在の状況を持て余していた。
〝――、―――!〟
絶えず不気味に蠢動する闇の世界に、六尾の紅眼は強烈な光を捉えた。嘗て無いほどの脅威が、己が人間の器に封印された時すら感じなかった驚愕が其処にはあった。
――それは神話の再現だった。
蒼き女騎士の剣の封印が解かれる。荒ぶる暴風の中、彼の大英雄の象徴たる黄金の剣が目映い光を放つ。
それは人々の幻想が結晶化された神秘の極致、星に鍛えられし神造兵装、星に匹敵する破滅の極光が黄金の剣に収束していく。
相対する黄金の王が振るうは円柱じみた異端の剣。三枚の刃は個別に回転し、圧縮され鬩ぎ合う風圧の断層は如何なる存在をも許さぬ暴風となりて吹き荒む。
「――約束された勝利の剣――!」
「――天地乖離す開闢の星――!」
触れる物全てを切り裂く究極の斬撃たる黄金の光と、原初の世界を引き裂いた時空断層が六尾の巨体を跡形も無く消し飛ばし、真正面から衝突し合う。
〝――、―――、――――!?〟
最強を競う英雄達の聖戦の中、その狭間にいた尾獣など塵芥以下の存在に過ぎなかった――。
〝――、―――!〟
初めて体験する激烈なまでの痛覚に、六尾は自らの尾を噛み抜きながら身悶えして暴れる。
気づけばまた別の場所に転移しており、六尾の背丈を優に越える高層建築のビルが立ち並ぶ不夜の大都市だった。
それはちっぽけな人間が外宇宙の邪悪に抗う荒唐無稽な御伽噺――。
人として戦い、戦い抜いて、人を超え、人を棄て――神の領域に、邪悪を撃ち滅ぼす為に同じ存在になって、遂には闇黒神話を破った人間の神話だった。
「光射す世界に、汝ら闇黒棲まう場所無しッ!」
目前には六尾の巨体をも遥かに凌駕する〝機械仕掛けの神〟がおり、その右掌に幾万幾億の魔術文字が展開され、その術式は完成する。
「渇かず、飢えず、無に還れッ!」
無限大の熱量が右掌に凝縮される。
それは徹底的なまでに無慈悲であり、苦しむ間も与えぬほど完璧で慈悲深い滅び。煮え滾る混沌さえ跡形無く昇滅させる、必滅必定の奥義だった。
「「レムリア・インパクトオオオォッ!」」
無限の灼熱が六尾の存在を焼き尽くし、世界を灼き、全てを昇華した。
〝――オ、オオ――、オォオオオォ――!〟
その身を穿ち貫いた未知なる大衝撃に、六尾は魂の底から雄叫びを上げる。
永らく使われてなかった発声器官を訳解らず震わせ、声未満の濁音を不気味に轟かす。
〝――オオォオォ――!?〟
全身が再構築され、またもや転移した場所は海上のど真ん中にあった。
六尾の巨体は海面と共に凍り付いており、身動き一つすら出来ない。
――それは無限に繰り返された悲劇を終わらせた、或る魔法少女達の物語だった。
「全力全壊、スターライト――」
「雷光一閃、プラズマザンバー――」
「響け終焉の笛、ラグナロク――」
遥か上空から三人の少女が天を震撼させる。
空飛ぶ九歳程度の少女達の前に展開されるは破滅の三光、銀色と金色と桃色は禍々しくも神々しく煌めいていた。
「「「ブレイカアアアアアアアァー!」」」
それは一撃一撃が六尾を過剰殺傷するほどの凶悪な滅光だった。
三方向から強大な砲撃魔法で撃ち抜かれ、六尾は今まで味わった事も無い最高の激痛で何度も塗り替えられて木っ端微塵に玉砕する。
〝――オォ、オオオオォオオオォ――!?〟
だが、異変はそれだけでは留まらない。
突如、六尾は浮遊感を覚え、直後に在り得ない速度で上昇する。成層圏を突き抜け、大気圏を突破して、生命の存在を許さぬ宇宙空間に放り出され、真空の中で沸騰し凍結する全身の感覚に狂い悶える。
「アルカンシェル、発射ッ!」
遥か彼方から目映い極光が撃ち放たれ、六尾の身体を射抜いた。
発動地点を中心に、百数十キロメートル範囲の空間を歪曲させながら、六尾は塵一つ残らず消滅した。
〝――ッッ、オオオオオオオォオォオォオ――!〟
六尾は呼吸を乱し、周囲に当り散らしながら見回す。
いつまたあの痛みに襲われるのか――この感覚が恐怖である事を、六尾は生まれて初めて実感した。
「無様だね。渾沌の名を騙るからには、と期待していたけど」
――それは、己を超える邪悪の化身だった。
無限の狂気に磨り減り侵され狂わされ歪められた、絶望を識る魔人。されども少女は強大無比なる自我を保有し続けた、六尾・渾沌が媚び諂うべき悪の極致だった。
「言うまでも無いけどさ――お前が屈服するまで、殺し弄ぶのをやめない」
少女は無慈悲に嘲笑う。禍々しき邪悪が燈る写輪眼は更なる可能性を模索するように、万華鏡の如く模様を変え続けていた――。