「暗号の術式が抜けた当時の間々だとは、お粗末なものですねェ。此方としては手間が省けますが」
木ノ葉隠れの里の外周に聳える木壁を遠巻きに眺めながら、干柿鬼鮫は嬉々と笑う。
隣にいるうちはイタチは表情一つ変えずに寡黙の間々だが、いつも通りなので特に気にした様子は無い。
何はともあれ、木ノ葉隠れの里全域――その地中さえも覆う球状の結界を難無く突破出来た。
外部からの侵入者に対して即座に感知する高性能な結界だけに、何らかの手段で無効化すれば素通り同然に入り込めるのは一つの落とし穴と言えよう。
「どうです? 探しモノをする前に茶でも――」
イタチと鬼鮫は気軽に会話しながら合図すらせず、同時に消えるように飛び退いた。
一瞬前までいた地点に無数のクナイが降り注ぐ。更に二人の着地地点を狙って何処からか撃ち放たれた火遁の術は、鬼鮫の大刀の一薙ぎで跡形無く霧散する。
火の粉の残滓を振り払う大刀の布切れには焦げ一つすら付かなかった。
「前言撤回、やはり木ノ葉の忍は優秀ですなァ」
大刀鮫肌を肩に担いだ鬼鮫は嬉しげに、獰猛な殺意を露にしながら前方に現れた木ノ葉の忍達を凝視する。
何れも動物の仮面を被った者が三名、気配を殺して周囲に潜んでいる者は五名余り。
予期せぬ歓迎はまるで此方の情報が漏れていたかの如く、不自然なまでの用意周到さを感じさせる。
「やはりうちはイタチ……! 近辺に潜伏していたかっ!」
暗部の一人から飛び出した殺気立った物言いに鬼鮫は疑問符を浮かべる。
「おやァ? ……どうやらイタチさんがもう一人いるみたいですよ?」
鬼鮫は茶化すように言うが、イタチの表情は変わらない。
この手の狐につままれるような違和感には身に覚えがあった。覗き込んだ自身が覗き込まれていたあの時のように、両眼を抉られて死んでいた彼女が生きていた時のように。
今更一つ増えたぐらいでは驚くに値せず、イタチは冷静に、冷酷に下す。
「――鬼鮫、強行突破する。手荒に行くぞ」
「クク、良いですねェ。実に私好みですよォッ!」
巻の40 運命はいつの日、イタチ来襲するの事
「……はぁ。どの面下げて逢えば良いんだか」
寝不足で目元の隈が目立つヤクモは日向宗家の屋敷の通路を歩きながら、今日何度目か解らない深い溜息をついた。
眠れなかった果てに辿り着いた不可解な夢の記憶は、大体覚えている。
それだけに単なる夢として片付けて良いのか、全て真実として受け入れるべきなのか、半信半疑の状態だった。
(……誰かの為の生贄として殺され、且つ、思い出した瞬間に自我が崩壊するほどの絶望、か。あの話が全部真実なら、ルイの前世は想像すら出来ないほど酷い死に方だって訳か……)
ヤクモは自分の時の事を思い返す。前世は最悪の死に様だった。この世界に生まれて尚、狂乱の果てに生死を彷徨うほどに。
この世界での両親の献身的な介護が無ければ、自分もあの間々死んでいたかもしれない。死因は悶絶死か狂乱死か、碌なものにならなかっただろう。
(……とりあえず、それの事は二の次だ)
真っ先に問わなければいけないのは昨日の事だとヤクモは考える。
気が重くなるが、絶対に聞かねばなるまい。ヤクモは自身の両頬を掌で勢い良く叩いて、萎えた心を強引に奮い立たせる。
「――邪魔よ、止めるなぁっ!」
「だ、駄目だよルイちゃん! 今は危ないよ!」
「落ち着けっ! 頼むから冷静になってくれ!」
道場の方角から言い争う声が響いてくる。ヤクモのいる地点からはまだ距離があるが、此処まで聞こえるほど喧騒は激しいものだった。
「何の騒ぎだ……?」
重かった足を速め、ヤクモは道場まで急ぐ。
半開きの扉から入ったヤクモが見た光景は、想像絶する、というより珍妙極まりないものだった。
「はーなーせぇー!」
珍しく髪を下ろしているルイがいて、ユウナがルイの右腕で掴んで正面から言い争っていて、ナギがルイの腰元に力一杯抱きついている。
一体全体どんな化学反応が起これば今の現状に至るのか、ヤクモには皆目見当も付かなかった。
「ヤクモ、丁度良い処に。ルイを止めるんだ!」
ヤクモの方に振り向き、予期せぬ援軍に歓喜したユウナの隙をルイは見逃さなかった。
「のぁ――んがっ!?」
ルイはユウナの腕を逆に取り、咄嗟に引っ張る勢いだけで彼を投げ飛ばす。
背中を痛烈に叩きつけられ、ユウナは身体を漁獲された海老の如く仰け反らせた。
「え? ル、ルイちゃん!?」
腰元に纏わり付くナギと視線を合わした瞬間、ナギは目を回して全身脱力するように地べたに尻餅付いた。
「はりゃほりゃほりぃ~……」
ルイは写輪眼を使ってまでナギを無理矢理振り払った。
邪魔者二人を片付けたルイはヤクモの方に振り向く。
「……っ、この際、手段は選べないか。一緒に来てヤクモ!」
余りの強攻策に呆然と口を開いてたヤクモの手を取り、ルイは引っ張りながら疾駆する。
状況把握が追いつかず、ヤクモは成すがままにルイに連れ去られたのだった。
「え? 何? 何なんだこの展開はっ!?」
何故このような事態になったのかは、少しばかり時間を遡らなければなるまい――。
「昨晩はお楽しみでしたね」
飛び切り華やかな笑顔を浮かべて、ナギは何処かで聞いたような台詞を朝一番に言う。
ルイはその年中お花畑の御目出度い頭を間髪入れず、割かし手加減無しで叩いた。
「あいたぁ!? ルイちゃん打ったぁ!」
「良く解らないけど、ナギの癖に生意気よ」
「そ、そんな理不尽なぁ~!」
ナギはよよよと泣き真似する最中、ルイが人前なのに髪を結っていない事に気づく。
「ととと、結び糸の事だけど、私達が触る前に勝手に切れちゃって――!」
ナギは青褪め、ルイの顔色を窺いながら必死に弁明する。いつもより感情の起伏が薄く、窺い知れぬ恐ろしさを漂わせていた。
「……そう。寿命だったみたいね」
糸が切れたのは自分達のせいだと激昂するかと思いきや、ルイはしょんぼりと意気消沈して呟いた。
余りの予想外なルイの様子に、ナギはあたふた慌てる。
あの糸がそんなに大切なものだったのか、あれこれ考え込むが、当然の如く答えは出なかった。
「突っ立ってないで道場に行くわよ」
「え?」
「急用が出来たから、手早く済ませないとね」
そう言って、ルイはナギの腹の臍部分を指差す。
最近運動が少ないから横に広がってしまったのでは、と的外れな勘違いをしたナギは神速で自身の腹部分を執拗に確かめ――やっとそれが四代目から刻まれた四象封印を差している事に、遅れながら気が付いたのであった。
「ルイちゃん。この封印解く方法、見つけたの?」
「ふふん、抜かりないわ。この手の封印式を破るには正攻法が一番よ。その為に昨日頑張ったんだから」
ナギの疑問に答えたルイは得意気に笑い、右手を目前に差し出し、小指を除く四指にチャクラを籠める。
それが本編では出なかった四象解印の術である事をナギは瞬時に察した。それと同時に先程合流したユウナの方に振り向いたのは仕方ないと言えた。
「え? 昨日のあれってそういう事だったの?」
「……お前なぁ」
ナギの批難と落胆が入り混じった視線がげんなりとしたユウナに突き刺さる。
ユウナにしてみれば勝手に勘違いしただけだろうがと反論する処だが、ナギにしてみれば何で眠ったルイを背負って帰ってくるという美味しい状況で、フラグの一つや二つ立てなかったんだと内心憤った。
「とりあえず腹捲くって、チャクラ練ってー」
ナギはすぐさまユウナに視線を送り、ユウナも意図を察したのか、回れ右と後ろを向く。
気恥ずかしげにナギは服を捲くり、チャクラを練り上げる。臍部分を中心に、封印式が徐々に浮き出てきた。
「はい、力抜いてぇ~……てぇい!」
「うわらばっ!?」
ルイは手心加えずに封印式を穿ち、ナギは何処かで聞いたような悲鳴をあげて涙目で蹲った。
痛みで呼吸が暫く出来なかったが、これで二十一日ばかり同棲した忌々しい封印とお別れだと、ナギが喜びながら腹部に眼をやった。
其処には依然変わらない封印式が浮かんでいた。
「ん、間違ったかな?」
「あーうぅ~~~っ!」
それは無いだろうとナギは涙目で批難の視線を送ったが、ルイは何処かの世紀末に生きる自称天才が如く自信満々に、その慎ましすぎる胸を張った。
「あんな古びた巻物見ただけで、簡単に禁術が会得出来るなら苦労はしないわ」
「そ、そんなぁ~! あの落ちこぼれのナルトだって巻物見てすぐに影分身会得出来たのにぃ……!」
「公式の理不尽なチート補正が私達に付く訳無いじゃん。ナギ、現実は甘くないのよ」
現実の厳しさを適当に諭すルイに「チート筆頭がそれを言うかっ!」とナギは内心激しく突っ込んだ。
写輪眼で一目見れば完璧なんだけど、とかルイが呟いているが、そんな救いにならない言葉はナギの耳に届いていなかった。
「大丈夫、安心してナギ。その封印は必ず解くから。……逆に言うと、成功するまでやめないから――」
「……え? ま、待ってルイちゃんまだ心の準備がいやぁああああああああぁ――!?」
――君がッ、泣いても、封印解くのをやめないッ! などという空耳が聞こえたような気がして、ユウナは思わずご愁傷様と合掌した。
「……も、もう疲れたよ、パトラッシュ……」
「真っ白に燃え尽きて、コンに何言ってんの?」
数分後、其処には元気に走り回る黒犬のコンの姿があった。
……ナギに至っては地べたに這い蹲り、精根尽きて真っ白に燃え尽きているのだが、どうでも良いほど些細な問題である。
「も、もう二度と、四象解印は、御免だよ……!」
その言葉を最後に、かくん、とナギは力尽きた。
もうネタが一杯過ぎて、ユウナは突っ込むに突っ込めなかった。
「ん? ルイ、何処に行くんだ?」
この合間にふらりと道場を出ようとしたルイをユウナは咄嗟に呼び止める。
「何処って、糸を買いに行くだけよ」
振り返ったルイはさも当然のように言った。
「……は?」
「え、あ、この時期に迂闊な行動は避けた方が良いと愚考しますが!? てか、紐糸なら自分のが何個かありますよー?」
即座に復活したナギの言う通り、イタチ達が今日現れないという保障は何処にもない。それはルイ本人が一番解っている筈である。
というより、イタチ達の来訪イベントが終わるまで日向宗家に引き篭もる、という趣旨の発言をルイ本人がしている。
「……赤い糸じゃなきゃ、意味が無いの」
にも関わらず、ルイは出歩こうとしている。昨日の突発的な出来事も一歩間違えば最悪の事態を招いたというのに。
何処か冷静さを欠いていてる今のルイに、ユウナは強い危機感を抱いた。
「待て待て! 正気かルイ? 糸ぐらい、イタチ達が来訪した事を確認してからでも遅くは――」
「そんなに待てないわ! 今だって一秒足りても我慢出来ないのに……!」
突然飛び出したルイの怒声に、ユウナとナギは大変驚く。
これ以上無く情緒不安定なルイを外に出す訳にはいかない。荒れるルイを止める二人の奮闘はヤクモが来るまで続いた――。
流れでルイと一緒になったヤクモだが、非常に気まずい沈黙が漂っていた。
掴んでいた手を放してからは一言も喋らず、また並んで歩くルイとヤクモの間には歪なほど距離が開いていた。
(……ぐっ、一体どうすれば……!)
口喧嘩の末に決裂した手前、それと夢の中の出来事も重なり、ヤクモは容易に話題を振れずにいた。
(……うっ、勢いだけでヤクモを連れて来たけど……!)
ルイも何度かヤクモの顔を覗き込んで様子を窺っているが、ヤクモが気づきそうになると瞬時に背けてしまい、気まずい雰囲気を打開出来ずにいた。
二人が無言で歩く中、ヤクモはルイが髪を結っていない事に改めて気づく。気づいて酷く気になってしまったので、ヤクモは慎重に口にした。
「……髪、珍しく下ろしているんだな」
「……糸が切れたから。買いに行く事が今回の目的よ」
何処かぎこちないやり取りだったが、会話そのものの拒絶はしていない。ヤクモは心の中で少し安堵する。
「糸ぐらいナギかヒナタあたりが持っているんじゃないか? この時期に出歩くのはかなり危険だと思うが」
「赤い糸じゃないと意味が無いの。それに、あの髪型じゃない私なんて私じゃない……」
ルイは覇気無く肩を落とす。此方が驚くほど元気が無かった。
(そういえば、夢の中のルイは二回ともおさげじゃなかったな。当てつけのように癖毛無い長髪に、ポニーテールだったし。……ルイだけどルイじゃない、という事を暗に示しているのか?)
謎が謎を呼ぶばかり。おさげを引っ張られただけで逆鱗に触れる点も含め、常人では考えが及ばぬほどの執着があるのだろう。
気になったヤクモはこの際だからその理由を聞く事にした。
「前々から思っていたが、あの髪型と赤い糸に、何か思い入れでもあるのか?」
「……今となっては、あれが私が私である事の唯一の証明よ」
ルイは悲しげに顔を伏せる。遠い何かを傍観する虚ろな瞳は、夢の中の彼女と酷く重なった。
「……私は自分の本当の名前すら思い出せない。けれど、赤い糸を大切な誰かから貰った事は覚えている。小さい私は自分一人で結う事が出来なかったから、いつも兄に結んで貰った事だけは、今も覚えている」
ルイは懐かしそうに、されども寂しげに微笑む。
それは自分達に向けるものとは異なる種類の感情だった。あのルイが其処まで想う人物を、ヤクモは不覚ながら妬ましく思った。
「兄が、いたんだ……」
「……うん。名前も、顔すらも、思い出せないけど――兄に貰った沢山の想いだけは、今も忘れずにこの胸に残っている」
此処まで想われているなら、ルイの兄は兄冥利に尽きるだろう。
妹を守れず、兄の責務を果たせずに死んだ自分とは、大違いだった。
(……勝手に憂鬱になってどうするんだ、オレ。――でも、なるほど。名前すら忘れて尚覚えていた事が、兄とその思い出の象徴と言える髪だった、か)
それがルイの過去の唯一の手掛かり――などと思考した処で、不意にもう一人のルイの言葉が蘇る。
「ああでも、不思議と原作知識とかネタとか、余分な部分は覚えているんだよね。我ながら謎だね、ホント」
「何だそれ、訳解んねぇな」
ルイは一際明るく巫戯山たような口調で笑い、ヤクモもまた合わせて破顔する。
――ルイの過去を暴くな、またルイに探らせるな。もう一人のルイの言葉を全面的に信じるのならば、否応無しに従うべきだろう。
「……そういえば、糸を買いに行くにしても何処行くんだ? そういうの、オレは全然解らんぞ」
ヤクモは無理矢理ながら話題を変え、それ以上この事を掘り返さないようにした。
――だが、ヤクモは思う。記憶喪失という動機の帰結は、失った記憶を取り戻す事にある。
その記憶が忌むべき記憶であり、今の自分を壊すものであっても、足りない部分を補おうと、覚えていないから手を伸ばしてしまう。
この上無く性質の悪いそれはまるで――全ての災厄を封じたパンドラの箱のようであり、悪い意味で的確な表現だとヤクモは自己嫌悪せざるを得なかった。
「ぐぬぬ……!」
「え、えーと、この距離からじゃ声が聞こえないなぁって。……あ、いや、無理に説明しなくて良いや」
ルイとヤクモの間にあった距離が徐々に無くなっていく様を隠れながら見ていたユウナは、視神経を浮き上がらせながら歯軋りを立てており、白眼と読唇術を組み合わせた実況を期待していたナギは即座に諦めた。
ルイ達から離れる事、二十数メートル余り。この距離ならば如何にルイと言えども、敵意を持つ者だろうが察知出来ない。
だが、人通りの多い道でこそこそと忍ぶのは、当事者以外にとってこの上無く目立つ行為だった。
「……お前等、何してんだ?」
奇妙極まる二人の行動に、奈良シカマルは突っ込まざるを得なかった。
一応は生死を共にした戦友でもあるし、面倒事だと解っていても突っ込みたい欲求に逆らえなかったのが本音である。
「あ、シカマル……さん。早くこっちに身を隠してっ!」
「何だ何だ? あと、呼び捨てで良いぜ。えーと、確かナギサだったけ」
ナギに引き摺られるように物陰に隠れ、珍妙な二人組みの仲間入りしたシカマルは彼等が見ていた方角に眼をやる。
そこには見慣れない癖毛の少女の後姿と、見慣れたポニーテールの少年の後姿があり、二人が誰なのか、シカマルはすぐ察しがついた。
「……おー、ルイとヤクモのデートか? やるじゃん」
「――っっ!」
「そそ、そうなの。お約束として尾行しているのっ!」
シカマルはあのルイ相手にデートという無謀な蛮行に及べるヤクモを素直に称賛し、ユウナは更に不機嫌に眉間を歪ませ、ナギは誤魔化すように強調した。
何処かの誰かではないが、この班が一番青春しているねぇ、とシカマルは気怠げに思う。
「そうかそうか。それじゃオレはこれで――」
シカマルがこの厄介事に巻き込まれる前に早々に撤退しようとした時、ナギとユウナの視線が一律反れる。
不思議に思い、視線を辿っていけば――其処にはルイとヤクモの逢引を見て固まったうちはサスケの姿があり、衝動的に飛び出す寸前といった具合だった。
「ああ、こんな時に……!」
「っ、シカマル!」
「ああもう、結局こうなるんかよ……!」
ユウナに呼びかけられて以心伝心してしまい、シカマルはヤケクソ気味に影真似の術を使い、サスケの突撃を間一髪で止める。
その刹那にナギが口を塞ぎ、ユウナがこの物陰まで拉致する。
鮮やかな手並みは即興とは思えぬほど見事なチームワークであり、シカマルは知らず知らずにコイツ等に染まっているのかな、と少しばかり自己嫌悪に陥った。
「……っ! 今すぐ離せ、ルイが……!」
「サスケ君、人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて地獄に落ちちゃいますよ? 大丈夫、君の時は君の時で影から応援しますから!」
そんな愉快犯的な事を眩しい笑顔で言い放つナギもナギで良い性格しているなぁ、とシカマルは逆方面に感心する。
女は暴力的か腹黒か、その二種類しかいないのかとシカマルが割と本気で悩んでいる中、背後からナギを肯定する別の者の声が聞こえた。
「その通りだ。今二人の邪魔をするのは無粋の極みだ」
「――シ、シノ!? いつの間にっ!?」
「お前いつからいたんだよ!? 気配すらしなかったぞっ!」
油女シノは気配無く立っていた。白眼を発動していたユウナが今の今まで気づかなかったと言わんばかりに動揺する。
釣られて振り返ったサスケとナギの驚いた顔を見る限り、全員が気づいていなかったのだろう。……ナギの右肩に乗っかっているコンさえ、予期せぬ敵を見るような眼差しで睨んでいた。
サングラスと普段通りの無表情からは読み取れないが、シノはどんよりとした怨念を籠めて律儀に解答する。
「……監視対象に集中する余りに外敵の知覚を疎かにするのは忍として未熟だ。オレはお前達二人がシカマルと合流する時には背後にいた」
そんな馬鹿な。あの時、あの場所に居たのはナギとユウナの二人だけの筈……!
シカマルが色々な意味で絶句する中、コイツも音と砂隠れの戦争の時に何気無く合流していたなと今更ながら思い出す。正に忍者に相応しき影の薄さである。
「んあ? 皆して何してるってばよ?」
その存在感を補うが如く、目立ちたがり屋ナンバー1のナルトまで加わり、ルイ達を尾行する御一行は更に混沌な構成になったのだった。
「……へぇ、色々あるもんだな」
小奇麗な雑貨店の一角、其処には女物の装飾品がずらりと並んでいた。
ヤクモの今までの人生で全く縁の無かった場所だけに、目新しいものばかりだった。
(髪留めだけでも結構あるんだな。……お、ルイの万華鏡写輪眼みたいな装飾が付いたゴム紐もあるな。勧めたら殴られそうだが)
家紋でいう細釜敷桔梗に酷似していたが――桔梗の花言葉は清楚、気品、従順、そして変わらぬ愛であり、その全てがルイには似合わない言葉だとヤクモは内心苦笑した。
「――んで」
「ん? 何だ小声で」
まさか考えていた不謹慎な事が全部顔に出ていたかとヤクモが危惧する最中、ルイは妙に言い渋りながら、頬を真っ赤にして小声で紡いだ。
「……糸。選んで、欲しいの」
「な、何故またオレに? 糸の良し悪しなんて全然解んねぇぞ?」
突然の申し出に狼狽するヤクモであったが、道中でのルイとの会話を思い出す限り、髪留めの糸に並ならぬ想いがあった。
そんな自分の象徴でもある糸を、何故自分なんかに選ばせようとするのか、糸だけに全く意図が掴めない。
(あれ? そういえばその糸は大切な人に貰ったとか言っていたな。それだからオレに、なのか……?)
これは自惚れて良いのだろうか、ヤクモは真剣に悩む。
その大切な人の範疇に自分は入っているのだろうか。ルイの表情をそっと覗き込むと、やや不安そうな顔で、耳まで真っ赤にして俯いていた。
まさに反則だった。普段では絶対見られない、殺人的なまでに可愛らしかった。
「あ、後で文句言うなよ?」
ヤクモもまた自身の顔に異常な熱さを感じながら、選ぶべき最高の糸を入念に吟味する。
糸を選ぶまでの時間はヤクモにとって、生涯で最も長い数分となった。
ルイは早速髪を結い、三つ編みおさげを揺らしながら嬉々と帰路に着く。
正直、今のルイに昨日の話を蒸し返すのは抵抗があった。気分良い処を態々害するのだから当然と言える。
「……ルイ。昨日の事なんだが」
それでも、話す機会は今しかない。ルイは昨日の事に触れなかった。敢えて無かった事とした。多分、この間々帰れば有耶無耶になるだろう。
立ち止まったルイが振り返る。その顔からは先程までの明るさは消え、深く沈んでいた。
「……持論を曲げる気は無いわ。ヤクモが意見を変えない限り、水掛け論になるよ」
その顔を見て、心が痛んだ。今日一日がまるで台無しだと後悔する。
それでも、聞かねばならなかった。問い質さなければならなかった。
「なら一つ、聞かせてくれ。オレが大蛇丸に刺された時、何故見捨てなかった?」
「え――?」
ルイは驚いた表情を浮かべる。まるでその質問を完全に想定していなかったような、そんな反応だった。
「……矛盾、してるんだよ。先に死地に陥ったのはオレだった。人に自分の生命を優先しろと言ったルイが、オレなんぞの生命を優先したのは――」
――それではまるで、彼女自身が批難した自分の行動と同じじゃないか。
それが、あの夢の中で知った時に抱いたルイの危うさだった。もしもまた同じ状況になって、同じ行動をしてしまうのならば――それだけは、絶対にさせてはならない。
「……っ! そうね、予想外の場所で大蛇丸と遭遇したから、気が動転して冷静な判断を下せなかった。ただそれだけよ。我ながら無様な醜態だったわ」
「なら――次に同じ状況に陥ったら、ルイはどうするんだ?」
「決まっているじゃない。――容赦無く見殺すわ。私は我が身が一番可愛いの。有象無象の他人の為に死ぬなんて真っ平御免よ。そんな無様な死に様なんて虫唾が走るわ」
ルイは傍若無人に、平然と言い捨てる。
養豚場の家畜を蔑むような眼で自分を見下し、酷く邪悪に嘲笑いながら――。
「てかさ、ヤクモは私を善人か何かと勘違いしていない? 私はうちは一族全員を見殺して生き延びた悪逆非道の魔女よ。その極悪人に何を期待しているの?」
心底馬鹿にするようにルイは哄笑する。
その姿全てが気に障る。そんな彼女の姿など、見ていられなかった。
「――嘘、だな。そんな自分も騙せない拙い嘘じゃ、オレさえ騙せないぞ」
瞬間、ルイは無表情になって凍りついた。
もう一人のルイと接した御陰か、直ぐに見抜けた。
それが自分など守る価値も無いという結論に至らせる為の虚勢である事など、一目瞭然だった。
「大体、言葉通りの極悪人ならオレを心配する必要すら無いだろ。自ら生命を捨てようとするオレの事も捨て駒扱いで良い訳だしな」
ルイが自分の言うような悪人なら、自分の為に怒る理由すらない。
そもそも、こんな話にすらならない。大蛇丸に刺されて意識を失った時点で、見捨てられているだろう。
ルイは下に俯き、身を小刻みに震わせながら重い口を開く。
「……ヤクモは、解っていない。二度目の生が、どれほどの奇跡なのか、全然解っていない。――ヤクモは自分の生命を、蔑ろにしすぎよ」
「っ、それはルイだって同じだろ……!」
「……違うわ。だって、私には――」
今は自分の事などどうでも良い。その前にルイが自分を見殺さなかった動機を、問わねばならない。
何故、オレに己の生命を優先しろと強要し、彼女自身がオレの生命を優先するのか。その歪みの原因を、知らなくてはいけない。
「……ちょっと待て、今何か――」
溜めに溜めて、ルイが思いの丈を解き放とうとした瞬間、ある異音に気づいた。
それは何かが崩れる音だった。音は急激に大きくなり、幾つもの音が重なる。その中には誰かの悲鳴も含まれていた。
――何か、ヤバイ。致命的にまずい。
オレは言葉より早くルイの手を掴み、走る。走ろうとした。目の前に立ち塞がった二つの影を見るまでは――。
「――何故生きている? うちはルイ」
サスケと瓜二つの男の写輪眼はルイだけを射抜く。
「ほう、彼女が貴方と同じ眼を持つ少女ですか」
鮫顔の大男が持つ布に包まれた大刀は半分だけ剥き出しになっていて――布まで血塗れだった。
「ルイ、逃げ――!?」
一瞬の猶予しか無かった。あの大蛇丸に匹敵し、或いは凌駕する忍相手にやれる事なんて、高が知れている。
その一瞬の猶予で、ルイはオレを横に突き飛ばした。
(……、は?)
意味が、解らない。何で、唯一つの逃げる機会を潰してまで、オレを――。
〝――巫山戯ているの? 自身の生命より他者の生命を優先するのは死者の考えよ。自己犠牲など自分に陶酔した馬鹿の最も忌むべき行為だわ。死んだら終わりよ。無限に次があるとでも勘違いしてない?〟
どうして、こんな時に、彼女の言葉が走馬灯の如く脳裏に蘇るのだろうか。
眼に映る全ての光景が妙に遅い。本来なら捉えられない筈のイタチの動きも、難無く見える。
〝私じゃなく、ルイに直接聞けば? と言うより、語るに落ちているけどねぇ〟
だから、どうして。一体何を思い出そうとしているのか。
ルイが浪費してしまった一瞬で、イタチは彼女の背後に回り込み、この超低速の世界でも霞むぐらいの手刀をその細い首に落とした。
〝信じるか否かは君個人の勝手だけど――ルイは栄光と破滅を齎す生贄として殺されるよ、唯一度も例外無く〟
……違和感は常に付き纏っていた。彼女の言葉には何処かしら奇妙な含みがあったのを覚えている。咽喉の中に突き刺さった魚の骨のように、突っ掛かった疑問があった。
ルイは力無く、かくん、と。操り糸が切れた人形のようにゆっくり倒れていく。
〝――絶対に、私より先に、死なないで……〟
涙ながら紡がれた言葉の裏の意味を、今の今までどうして気づけなかったのだろうか。
だってそれは他人に先立たれる事を良しとせず、自分が先立つ事を良しとする、救いの無い言葉だったのに。
地に倒れ伏す寸前に、ルイの身体はイタチの手に納まる。まるで重みが無いかのように、眠るように意識を失ったルイを横脇に抱えた。
ルイがオレを突き飛ばした間際、ルイは笑いながら何かを口にした。
声は聞こえなかった。聞こえなかった筈なのに、何を言ったのか、紐解かれるように自ずと理解してしまった。
――だって、私が死んでも無限に次があるのだから。
世界がぶっ壊れたような衝撃が全身を揺らした。
咽喉につっかえていたモノが消え失せ、全てが一本の線に繋がったような錯覚を感じた。
されども目の前には、最早誰もいなかった――。