「……またお前かよ。余計なお世話だ、二度と出てくんな」
彼女の揶揄が的を得ているだけに、ヤクモは反論らしい反論を出来ず、腹立ちさを隠せなかった。
そんなヤクモの様子が大層気に入ったのか、純和風の世界観に合わないゴスロリ風の衣装を着こなす彼女は腹の底から嘲笑う。
「あら、他人との逢瀬を覗き見したぐらいで嫉妬? 凄く傲慢だねぇ、何時からルイは君の所有物になったのかしら?」
「……五月蝿い、黙れ……!」
平常時の彼だったらまだまだ我慢出来たが、如何せん今日の彼は色々有り過ぎて沸点が限り無く低くなっていた。
怒りで我を失ったヤクモが乱雑に駆け寄って、衝動的に悠然と座っている彼女の襟元を掴み上げようとした刹那、その手は空を切った。
「え?」
座っていただけの彼女は目も離さぬ内に目の前から消えてしまっていた。この信じられぬ出来事を一番信じられぬのはヤクモ本人に他ならない。
「煩わしいこの唇を遮る為に私を襲う? ふふん。何だかんだ言って、本質的には解っているじゃない。安心したわ」
声はヤクモの背後からだった。
咄嗟に振り向くも、既にその姿は無く、気づけば彼女は先程から一歩も動いてないが如く椅子に座って優雅に紅茶を啜っていた。
「一体、何の事だよ?」
言葉にならぬ悪寒がヤクモの背筋に駆け巡る。
今のは高速だとかそういう次元ではない。ならば、幻術の類だろうか。万華鏡写輪眼の幻術〝月読〟の中ならば何でもありなので可能だろうが、彼女の眼は裸眼でしかない。
そもそも此処が既に月読の中ならば――否、前回ならいざ知らず、今回はいきなり此処に居たのだ。月読じゃない可能性の方が大きい。
「さぁね。それにしてもあの絶望的な状況から良く生き延びたね。死ねば良かったのに」
彼女の眼を見る限り、割かし本気で思っていたのだろう。
「……ふん。予想が外れて全員無事で悪かったな」
「あら、褒めているのよ?」
ぱちぱちと脱力を誘う拍手が適当に鳴った後、彼女はヤクモの顔をじっと見据えた。
「愉しい愉しい木ノ葉崩しも終わって、大蛇丸の脅威は格段に下がったわ。これでルイの生命を脅かす者はうちはイタチに暁の面々、後は――君ぐらいかな?」
「だから、何でそうなるんだよ?」
そういえば以前出遭った時も彼女は同じ事を言っていた。
ルイを殺すなど絶対に在り得ないとヤクモは表情を堅くするが、そんな意固地な自分を論破する自信があるのか、彼女は不気味に笑う。
「君に代わって必要最低限の犠牲になったルイを犠牲無しに救えたからよ。ホント理不尽よね。物事を成す為に必要な代償を踏み倒すなんて」
「は?」
「私からすれば今回の事は口論にすらならない筈なんだけど。最低限の犠牲を見捨てろと主張したルイが、大蛇丸に刺された君を見捨てられなかったんだから」
完璧に矛盾しているよね、と彼女が哄笑する傍ら、ヤクモは言われてみて初めて気づく。
それも以前彼女に言われた事を覚えていれば容易に気づけた事だった故に、ヤクモは居心地悪く頭を片手で掻き毟った。
「……なら、ルイは何でオレを――」
「私じゃなく、ルイに直接聞けば? と言うより、語るに落ちているけどねぇ」
脳裏に疑問符を浮かべるヤクモを余所に、彼女は退屈そうに片眼を瞑った。
この話は終わりとばかりに紅茶に口をつけ、再び彼女はヤクモの眼を見据える。
「――運命は過程であるが故に幾らでも改変出来るけど、一度辿った結末は絶対に変えられない」
「何だそれ?」
「二度目の生を謳歌している君達の事さ」
どうしてコイツは何雑で解り難い話が好きなのか、ヤクモは疑問視したが、静かに耳を傾ける事にする。
「主君に裏切られて死んだ者は何度生まれ変わってやり直しても主君に裏切られて死ぬし、事故死した者は幾ら頑張っても事故死するし――目の前で愛しい人を陵辱されながら死んだ者は、何度回避した処でやはり同じ結末を辿るだろうね」
その悪意ある含み笑いを目の当たりにして、ヤクモは怒りと、それを超える恐れを抱いた。
目の前のコイツは明らかに、黒羽ヤクモの前世の結末を知った上で嘲笑っていた。
「……っ、いきなり何だよ。根拠の無い上に酷い暴論だな……!」
一度目の結末が救い無き破滅だっただけに、更にはそんな破滅を覆す為に生きているヤクモは誰よりの彼女の論を否定しなければならなかった。
そんな静止を知らぬ荒ぶる感情の渦は、次の言葉で文字通り凍りつく事になる。
「信じるか否かは君個人の勝手だけど――ルイは栄光と破滅を齎す生贄として殺されるよ、唯一度も例外無く」
その時の彼女の表情は無表情というよりも、恐ろしいほど虚無だった。
今までの笑みがどれだけ薄っぺらい貌だったのかと思い知らされるぐらい、その虚無の顔には底知れぬ絶望が宿っていた。
「例え話になるけど、ルイが世界を滅ぼせるような、それはもう邪悪な神様を降臨させる為に必要な生贄だったと仮定しよう。この前提の段階で邪神を降臨させようとする者に狙われ、またそれを阻止しようとする者にも狙われるね」
「ちょっと待て。何で阻止しようとする連中にも狙われるんだよ? 普通守るだろ」
「当然でしょ。この前提のルイを殺せば邪神の降臨を簡単に阻止出来るのだから」
あっけらかんに末恐ろしい事を言う、とヤクモは顔を引き攣るが、さも世界の常識を語るような彼女の言い草に、ある種の隔たりを感じる。
「勿論、座して死ぬ趣味なんて持ち合わせてないからルイは全力で抵抗する。ありとあらゆる手段を講じ、悪に対してそれ以上の悪となって凌駕し、敵という敵を徹底的に撃ち滅ぼす。ある意味究極の被害者であり、依然変わらず究極の加害者だね」
その違和感は彼女と話す毎に大きくなっていき――その正体が何なのか、漸く掴めてきた。
「そして全ての敵を駆逐したとしても、ルイ自身が最後の悪に、世界の怨敵となってしまい――〝彼等〟英雄殿に栄光と破滅を齎す為の生贄として捧げられる。……幾ら足掻いても結末は同じ辺り、ホント救えないよね」
――ヤクモの信仰する物語には、必ず救いがある。
どんなに運命が過酷で苦しくとも、最後には絶対に救いがあると信じている。絶望の淵で死んだ自分に、世界はやり直せる機会を与えてくれたのだから。
――彼女の信仰する物語に、救いは無い。
どんなに頑張っても、必死に足掻いても、当然のように報われない。
お姫様の窮地を救う筈の英雄が、血塗れのお姫様の心臓を穿つ。彼女の言う物語はそんな皮肉に満ち溢れている。
「それはその在り得ない前提と条件が揃わなければ成立しない話だろ。色々と悪い方ばかりに考え過ぎなんだよ」
世界は彼女が悲観するほど報われないものではない。その淡い願いに似た想いの主張をした途端、世界が豹変した。
(な……!?)
身体が弾け飛びそうな形無き重圧がヤクモを襲った。周囲の景色は在り得ないぐらい歪曲し、時計の針の音が不規則に揺れる。
次元の歪みすら引き起こした彼女は限界まで眼を見開いて、慄くヤクモの眼を間近から覗き込んだ。
「――在り得ない前提? 在り得ない前提だって? これまた腸が煮え繰り返るほど愉快で痛快な意見だわぁ!」
彼女は笑う。哂う。嘲笑う。何より禍々しく、邪悪の権化の如く。物語の魔王という存在が実在していたのならば、正しく今の彼女そのものだろう。
だけどヤクモには、まるで泣きながら笑っているように見えた。そんな在り得ない虚像を幻視し――彼女もまた、ルイなのだと朧げに悟る。
暫く笑い続けた彼女は一転し、虚脱感を露にしながら話を続ける。
「うちは一族として生まれ、万華鏡写輪眼を開眼させた時点で、ルイは大蛇丸に執拗に狙われ、また他の万華鏡写輪眼の所有者に狙われているわ」
「大蛇丸は解るが、何で他の万華鏡写輪眼持つ奴まで?」
「万華鏡写輪眼を使えば使うほど視力が落ち、最終的に失明する。イタチも開眼してから六年程度で写輪眼状態でも数メートル先が霞むぐらい酷かったかな? 今のルイの視力がどれだけ落ちているのか、それは私の口からは言えないわ」
「な……!?」
ヤクモはふと自分の不明瞭な原作知識を思い返す。
原作でもカカシがイタチに対し、視力が低下している事を匂わせた描写があった。
ルイ自身が使用した際に血の涙を流した事は無いが、原作では万華鏡写輪眼を使う毎に、何かと過重な負担が掛かっていた描写が多々有っただけに、その可能性は否定出来ない。
ヤクモは押し黙る。失明のリスクがあったのに関わらず、ルイは躊躇い無く使い続けていた事実に、奥歯が砕けんばかりの歯軋りを立てた。
「あら、己の無知を恥じる必要は無いわ。敢えてルイが伏せていた事だし」
一瞬だけ意地悪く含みを持たせた彼女の言葉に、ヤクモは気づけなかった。
何故、ルイが万華鏡写輪眼のリスクを話さなかったのか――そんなものは考えれば即座に解るほど単純明快過ぎて自己嫌悪に陥る。
言えば万華鏡写輪眼の使用を自粛せざるを得なくなるから、その一点に尽きるだろう。
「でも、その万華鏡写輪眼の代償を回避する方法が一つだけある。何て事も無い、他の万華鏡写輪眼を奪って自分に移植すれば良い。そうすれば永遠に光を失わず、更には新たな瞳術まで授かるらしいわぁ。至れ尽くせりな特典よね」
因みに原作からの設定よと口ずさみ、彼女は自分の眼を指差し、ヤクモの考えがどれほど甘いか、腹の底からせせら笑う。
「視力が極限まで低下しているイタチや、将来的に開眼するサスケにとって、うちはルイはさぞかし魅力的な生贄だろうね。……更に言うと、万華鏡写輪眼で尾獣を従わせた時点で、ルイは看破出来ない存在よ。暁にしてもこの里の者達からしても」
何故、というヤクモの視線に対し、彼女は出来の悪い生徒を諭すように、優しく残酷に説明していく。
「尾獣を集める暁にとって、尾獣を使役出来るルイは邪魔以外何物でもない。同様に、木ノ葉隠れの里にとってルイは九尾以上の危険人物よ。何処かの馬鹿が、過去に万華鏡写輪眼を使って九尾を使役し、初代火影に戦いを仕掛けた前例もあるしねぇ」
うちはマダラって名前、何処かで聞いた事無い? という問いかけは、今のヤクモには届かなかった。
余りの事で処理の追いつかないヤクモを彼女は容赦無く畳み掛ける。
――彼女は呪いを完成すべく、最後のキーワードを、神託の如く告げた。
「これでまださっきのを在り得ない前提って言える? 言えないよねぇ、だからこそなのよ。――ねぇ、〝私の愛しい英雄殿〟」
――唯一度も例外無く、ルイの死は一緒だった。
何千何万回と繰り返して覆せない事を見る限り、この死の因果は絶対の法則として見るべきだろう。
(それに――)
前世の死に由来した大蛇丸という死を乗り越えて、黒羽ヤクモが生き延びた理由は役割を果たしていないからだ。
英雄たる存在は、殺すべき敵が生存している限り死なない。限り無く死ににくい。死ぬ場合は遺志を継ぐ後継がいる時に尽きる。
「――ふざけんなよ」
その眼に途方も無い怒りを籠めて、黒羽ヤクモは揺るがずに呟いた。
この少年は彼女の言を正しく理解出来ただろうか。いや、そんな事など関係あるまい。この話をする前から、彼がどう答えるか、彼女には規定事項として理解出来ていた。
「小難しい理屈ばかり並べやがって、全てが定められているみたいな前提で達観したように語りやがって、世界に救いが無いなんてどうしようもない勘違いしやがって、最初から諦めやがって……!」
彼女が現世に干渉する事は不可能の一言に尽きる。
どんなに力の残滓を持とうが、既に全てを諦めた者が、全てを諦めない者を諦めさせるなど到底不可能なのだから。
「何が英雄だ、馬鹿馬鹿しい! お前やルイが最初から諦めているならそれで構わない。こっちは意地でも精一杯生きて、一緒に楽しんで、ルイと添い遂げてっっ! 今度こそ天寿を迎えて完全無欠のハッピーエンドにしてやるだけだっ!」
それは本当に些細で、けれども一度も叶えられなかった願い。最初の記憶が無いルイの偽りの願い。絶対に手の届かぬ願い。されども――。
「――本当に、叶えられると良いね」
それを願うのは、果たして間違った事なのだろうか?
答えは、彼女には出せない。今のルイにも出せない。
ヤクモは毒気が抜かれたような間抜けな顔を晒す。その顔が堪らなく面白かったからか、彼女は如何でも良い事を口にした。
「一つだけ助言してあげるわ。ルイの過去を暴くな。正確には、ルイにルイ自身の過去を探らせるな、だけどね」
「ルイの過去を? 確か名前も思い出せないとかで記憶喪失気味だった気がするが、お前自身は覚えているのか?」
その愚問を、彼女は鼻で笑った。
その為だけに、過去に関してのみ全知で、何も干渉出来ない無能の己が存在を許されているのだから。
話す事は話した。前回のように残らず忘却して日常を過ごすのも、忘れずに行動を起こすのも彼次第。それで結果がどう転ぼうが、彼女にはどうでも良い話だった。
最初から彼女の出る幕など無い。後は其処で生きる者達が足掻くだけの事。自分の役目は全てを見届け、記憶する事に尽きる。
「――ッ!? 待て! まだ答えは――!」
徐々にこの空間から消え行くヤクモを見下ろしながら、彼女は最後に手向けの言葉を喋った。
「――可能かもしれない世界、可能かもしれない器。その二つの条件が揃って確定しない限りルイは記憶を失っているけれど、そもそもルイが最初の自分を喪失しているのは、自分を保てないから。思い出した瞬間に自我が崩壊する絶望なんて、不必要でしょ?」
その夜、自宅に関わらず気配を殺した日向ユウナは物音一つ立てずにルイの部屋を目指す。
寝静まる彼女を背負った自分を家族に見られては、どんな誤解をされるか解ったものではない。誰にも出遭わないよう、神経を削りながら忍んでいく。
白眼は使えない。先程までの連続使用でチャクラ消費が激しかった事もその一因だが、感知系の忍は愚か一族の者でも気づけない白眼発動時に生じる眼力なるモノに、気づける化け物が一人存在しているが故に。具体的に言えば、彼の父親に他ならない。
(……良し。大丈夫、この間々誰にも気づかれずに――)
「あれ、ユウナ。いつ帰って来た、の……?」
それ故に、ほぼ全てのチャクラが封じられ、最近影が薄くなっている彼女に出会い頭に対面してしまったのは必然か、神の悪戯か、何方にしろユウナは自身の不運を恨まざるを得なかった。
場の空気が凍りつく。ナギの視線は背中で眠っているルイに注がれている。
「……え、えーと……もしかして、やっちゃった?」
「何をだよ!?」
滅茶苦茶気まずそうに尋ねたナギに、ユウナは反射的に叫んでしまった。
(しー! ルイちゃん起きちゃうよ!)
(な、そもそもナギが変な事言うからだろ!)
不用意な大声を出してしまったと、ユウナは自身の迂闊さを呪う。
咄嗟に首だけ振り向いてルイの方を見るが、深い眠りについているのか、反応すらしていなかった。ユウナは安堵の息を零す。
(それにしてもユウナが一歩リードする処か、先に大人の階段を登っちゃうなんて。ユウナ……恐ろしい子!)
ナギは何処ぞの演劇漫画の登場人物が如く、白目で青褪めるという芸が凝った顔を浮かべる。
今のユウナに、ナギの誤解を解く気力など残されていなかった。
(まま、そんな処で突っ立ってないで早くルイちゃんの部屋に行くよー)
(……何でナギも一緒なんだ?)
ユウナの純粋な疑問に、ナギは嬉しそうに答える。
(ルイちゃんが寝込み襲われないように監視する為とぉ、着替えの為かな。もしかして普段着の間々で、おさげも解かないで寝かせるつもりだった?)
(後半の部分には納得出来るが、前半の部分には文句があるぞ)
(大の男の子が細かい事気にしない~。さ、運んで運んで)
(……何故か釈然とせんな)
何はともあれ、明日理不尽に文句を言われる可能性が無くなっただけに、ナギに感謝すべきか。
ナギに発見された事を良い結果として好意的に受け取った直後、それは鈍い音を立てていきなり起こった。
「あ」
さらさらと、何度も捩れながら、眠れるルイの三つ編みおさげが自然に解けていく。
慌てるナギが床に落ちた何かを拾い上げる。僅かな月光から判別するにその糸状のものは古びていて赤く、オマケに言うならば二本に別れている。
「……切れ、ちゃった?」
この千切れて用途を果たさなくなった赤い結び糸が一体何を齎すか、今の二人には知る由も無かった。
巻の39 運命の糸が切られ、混迷の歯車は廻るの事