ルイを追って暫く、黒羽ヤクモはうちは一族の居住区に辿り着いた。
(……相変わらず寂れているな。此処に来るのは三年振りか)
ヤクモの脳裏に過ぎったのは初めてルイと対面した光景であった。
思えば、あれが全ての始まりと言っても過言じゃない出来事だった。あれからヤクモの世界はルイを中心に回っている。良い意味でも悪い意味でも――。
(ああもう、ルイの生家以外思いつかねぇ。とりあえず行ってみるか!)
この三年間、沢山の出来事があった。されども、今回みたいにルイと仲違いしたのは初めての経験だった。
(ルイの言う事も、解らなくもない。自分の命を最優先するのは当然の話だ。けれど――)
――大切な人を見捨てる事なんて絶対に出来ない。そんな選択肢を選ぶぐらいなら死んだ方がマシだと断言出来る。
馬鹿は死んでも治らないらしいとヤクモは自嘲する。それでも聡明な臆病者より、そんな愚直な馬鹿で良いと思う。
(……問題は、この主張でルイを説き伏せられないって事か。連れ戻すなんて、きっつい役割だぜ……!)
いや、とりあえず喧嘩の原因は横に置いて、今はルイを連れ戻す事のみに専念しよう。よりによってこんな時にイタチ達と遭遇したら、最悪を軽く通り越す事態になる。
そして霞む記憶を頼りにルイの生家に辿り着いた時、近くから二種類の声が聞こえた。
一つはルイのものだと直感的に悟ったが、もう一人は誰のものかは解らない。
(こんな場所で一体誰と……まさか、もうイタチ達がっ!?)
ヤクモは最悪の事態を想定し、無断で家の中に侵入する。細心の注意を払い、鞘に入った刀に手を添えた間々、足音一つ立てずに忍び寄る。
壁を背に伝いながら縁側まで辿り着き、注意深く覗き込んだ時、ヤクモの眼に信じ難い光景が飛び込んできた。
(は――?)
ヤクモの頭の中が一瞬にして真っ白になる。
何でサスケが、ルイを抱き締めているのだろうか、理解出来ない。
「もう、一人で抱え込まなくていい。オレに、頼っていいんだ。万華鏡の事も、それを狙うイタチの事も――ルイ、お前は、オレが守る」
五臓六腑を抉り取られたような衝撃が、ヤクモの心を痛烈に打ちのめす。
際限無く湧き上がる幾多の感情の正体が何なのか、今のヤクモには何もかも解らなかった――。
巻の37 明日の木ノ葉は曇りのち血塗ろ血滴の三角で雨の事
「珍しく熱心に修行していたと思ったら、女目当てだったか。流石はオレの息子だな!」
「……褒めてんのか貶してんのかどっちだ? あとそれ有り得んから」
家の縁側で将棋を指しながら、奈良シカマルは父親から突如飛び出した妄言に盛大に溜息を吐いた。
あのルイと、自分が何処を如何間違えばそういう風に見えるのか、小一時間ほど問い詰めたかったが、それはそれで面倒なのでやめておく。
「なぁに照れ隠ししてんだか。――中忍試験の本選はお前が思うほど悪い試合では無かったぞ。同じ手を使って嵌めようとしたのが運の尽きだったがな」
「……うっせぇ。これでも気にしてるんだぜ?」
ナルトの作った穴を再利用して鼻を明かしてやろうと思ったのが運の尽きだったとシカマルは猛烈に後悔する。
一度使った手を他人に利用させるなんて、あの性悪女が許す筈が無い。そんな事に気づかなかった自分の迂闊さが怨めしかった。
「術の引き出しが足りなかっただけだしな、取って置きの術を伝授してやる。如何にうちは一族と言えども、咄嗟に真似出来るのは影縛りぐらいだ。チャクラの燃費も相当悪いだろうよ」
気怠げに立ち上がり、されども意気揚々と術の鍛錬に行くぞと催促する父親に、シカマルは眉間を顰める。
人生、急ぐ必要など欠片も無い。現に将棋はまだ途中だった。
「まだ将棋の勝負付いてねぇだろ?」
「あぁん? もう詰んでるぞお前」
まさか気づいてなかったのか? という具合に聞き返した父親の反応に、シカマルはまさかと思い、盤上を必死に見直す。
シカマルは咄嗟に現在の盤上の全ての可能性を思索する。その結果、最短で五手、最長でも十手で詰む事が判明した。
「……な!?」
「はっ、将棋の精進も足りねぇようだな!」
勝ち誇ったように笑う父・シカクを尻目に、シカマルは不貞腐れた表情で席を立った。
「はぁ、はぁっ、ちぃ……」
激しく息切れしながら、日向ユウナは数メートル先で泰然と構える父・ヒアシを白眼で睨みつけた。
クナイや手裏剣を初めとした飛び道具は一切通用せず、俄か仕込みの幻術などチャクラの無駄にしかならない。
頼みの柔拳も当然の如く掠りもせず、一蹴される始末。一体どれだけ実力に差が開いているのか、ユウナは未だに把握出来ずにいた。
「どうした、来ないのか」
同じ構えなのにヒアシには隙一つすら見出せず、付け入る隙も無い――否、唯一つだけある。
無鉄砲に我武者羅に、正面から挑み続けた理由がそれだ。正面の自分のみに集中している今なら――対ネジ用に開発した術、水遁・浸水爆の水球で白眼の唯一の死角から奇襲出来る。
仕込みは既に完了している。後は攻め入らずにいる自身に業を煮やし、ヒアシが自分から攻めに来る直前に叩き込むだけである。
息を整えながらその瞬間を今か今かと待ち侘び――白眼で捉えたヒアシのチャクラの僅かな変動を見逃さず、ユウナは勝負に出た。
白眼の視覚範囲の外から、尚且つ真後ろにある唯一の死角に水球を放り込む。流石のヒアシも反応出来まい――。
「未熟者め――」
一矢報いたと思った刹那、ヒアシは振り向かずに神速の掌底を背後に叩き込み、発されたチャクラが水球を跡形も無く吹き飛ばした。
「んなっ?!」
それから間髪入れずヒアシが致命的な間合いまで踏み込み、がら空きだったユウナの腹部を掌底で穿つ。
重力の束縛から解き放たれたような奇妙な感覚が広がる。何て事も無い。あの一撃でユウナの身体は宙に舞い、猛烈に吹き飛んでいる最中なだけだった。
「がっっ!」
飛ばされた先にあった樹木に激突し、ユウナはその間々地に倒れた。
少しは手加減して欲しいと切実に思うユウナだが、五体がバラバラになるような激痛に悶え、何かを発言する余裕は欠片も無かった。
「白眼の死角に気づいていた事は褒めてやろう。だが、それが致命的な隙に成り得るのは白眼を絶対視する愚者のみぞ」
日向の一族なのに白眼を絶対視しないのはアンタだけだろうとユウナは内心突っ込む。実の父親ながら、日向ヒアシは他の上忍と比べても人外と言わざるを得ない。
「攻撃の気配はすれども見えぬなど、死角にあると同意語。ならば逆に対処し易い。――日向の拳に小手先の技など無用。今日はそれを徹底的に叩き込んでやろう」
いつもなら其処で音を上げる処だが、ユウナは痛む身体を押して立ち上がり、無言で構えた。
(この程度で……挫けて堪るか)
木ノ葉崩し以来、ユウナはひたすら強くなりたいと願った。今まで拒否していたヒアシとの組み手にも望んで志願するほどに。
親友を見捨てたくなければ、己の手で守れるぐらい強くなるしかない。あの時に見出した不確かな答えを確かなものに昇華する為に――。
「ですので、カイエ上忍自らの推薦を戴きたく――」
「そうだよなぁ、師自らが推薦するのが筋ってもんだよなぁ。――だが、断る」
上忍の集会場にて、猿の仮面を被った暗部の男の提案を青桐カイエは見事なまでに斬って払った。
まさか断るまいと想定していた暗部の男は意表を突かれて動揺する。カイエから彼の表情は見えないが、とても解り易い反応であった。
「……何故です? うちはルイが中忍の範疇に納まらないのは師である貴方が一番御存知の筈」
「師であるからこそ、ルイの事はオレが一番理解している。アイツは数年の内に上忍まで駆け上がるだろうが、今はまだ早い。今は中忍で十分だ」
カイエは面倒臭げにあしらう。
暗部の男からは不穏な気配が漂い始める。適当な対応に怒りの感情でも抱いているのか、仮面の意味が無い若造に溜息を吐いた。
「何を暢気な事を。今の木ノ葉は戦時中と何一つ変わらない。能力ある者が上に伸し上がるのは当然の理。貴方とてそうだったでしょう?」
まるで聞こえていないように、カイエは自分の耳を指で穿り、欠伸しながら聞き流す。
話は既に終わったとするカイエの態度に対し、暗部の男は感情を露に食いついていく。
「それに今は一人でも多くの戦力が必要な時。――何時まで師弟ごっこに勤しんでいるのです、カザカミ殿?」
皮肉げに呟いた暗部の男の言葉が、カイエの態度を豹変させた。
先程からの腑抜けた様子からは想像出来ない、燃え盛る爆炎の如き激烈な殺意が暗部の男に向けられる。
その殺人的な威圧は暗部の男に息を吸う行為すら許さず、生じた呼吸器官の狂いに彼は一時的に錯乱状態に陥る。
――蛇に睨まれた蛙とはこの事であり、暗部の男は青桐カイエという男を致命的なまでに見誤っていた事を否応無しに悟る。
「まあ待て、二人とも。落ち着いて話をしようではないか」
「っ、ガイ上忍――!?」
突如空気を読まずに現れたガイにより、咽喉から言葉が出せない威圧から解放された暗部の男は内心安堵の息を零す。
その瞬間だった。カイエの右手が閃光の如く駆け抜け、彼の仮面を撫で上げたのは。
咄嗟の事に反応出来ず、一拍子遅れて後方に飛び退いた暗部の男はすぐさま抗議の声を上げようして――瞬時に絶句する。
仮面が、無い。地面に落ちたのなら解る。盗み取られたのなら単なる失態になろう。
されども、仮面だけ削り取られたという驚嘆すべき神業は、彼我との覆せぬ実力差を強制的に自覚させる事になった。
「ルイを上忍に推薦するのはテメェ等の勝手だがな、それはつまり――このオレに風穴開けられる覚悟があるって事だよなァ? あァン?」
殺す気なら呆気無く殺せた、と怒れるカイエは右手に収束するチャクラの渦を霧散させる。
――先人達曰く、あらゆる対象を惨殺した鬼人、嬉々と狂々と敵味方構わず風穴を穿つ凶刃の如き忍。今尚生きた伝説として語り継がれる元暗部の上忍・青桐カイエ。
暗部の男は眉唾物の話全てが真実であったと恐れ戦いた。
「今すぐ消えろ。無名の死骸が一つ出来上がるのは問題無いが、暗部の癖に顔晒しておっ死ぬのは格好が付かないだろう?」
若くして暗部の男は生まれて初めての挫折感を味わう。
自分達が上忍と比べても遜色無い実力の持ち主だと信仰していただけに、開き切った力量の差は彼の心を簡単に圧し折った。
手で顔を隠しながら、暗部の男は一目散に撤退する。その慌しい様子を見届け、カイエは全身脱力して一際大きい溜息を吐いた。
「……はあぁ、やっちまった。塩撒こう」
「ふっ、カイエのああいう顔を見るのは久しぶりだな」
「言うなっ、オレとしては滅茶苦茶気にしてるんだから」
いつものノリに戻ったカイエは気恥ずかしげに頬を掻く。
遠い昔、九尾が襲来して仲間を失った青桐カイエは荒れに荒れていたとガイは感慨深く回想する。
殺伐とした雰囲気を漂わせ、敵味方構わず威嚇し、常に鋭い殺意を滾らせていた。
先程までの近寄り難き様子は過去を克明に連想させたが、瞬時に元通りになった様を見て、ガイは昔とは違うと一安心する。
「上忍への推薦、か。本来なら師匠冥利に尽きるんだがな」
「確かにルイは同年代の者と比べて突き抜けている。だが、それは血継限界による極端な一点特化に過ぎん。それに、今のこの時代にオレ達のような境遇をさせる訳にはいかねぇだろ」
忍としての能力も、指揮官としての能力も他の上忍と比較して申し分無いとカイエは個人的に評価する。
身体能力には若干の不安が残るが、真に問題なのはルイ自身の心だ。
出会った当初から彼女の気質が、皆が一般的に抱く正義とは程遠いものだと勘付いていた。むしろその真逆、大蛇丸を思わせるような極上の悪と言って良いほどだった。
今は仲間の交流と支えもあって、良い方向に傾き掛けているとカイエは見る。それだけに、その天秤を壊すような唾棄すべき真似など断固として阻止するべきだ。
「うむ、その意気だっ! ……で、任務の事なんだが」
途端、カイエの顔が壮絶に引き攣った。
「あーあー、聞こえないー! 過労死させる気かコンチクショー! 如何考えても労働基準法違反じゃあぁ!」
両耳を塞ぎながら無駄に喚くカイエを尻目に、ガイは大笑いしながら後ろ襟を掴み上げ、嫌がるカイエを引き摺って行った。
ルイとヤクモが飛び出てから暫く、ナギは日向宗家の門構えの前で忙しく歩き回っていた。
(うぅ~、やっぱり喧嘩したばかりのヤクモに任せるなんて無責任だったかなぁ。でも、あの場ではああするしか……うぅーん)
流石に自分まで行ったらミイラ取りに成り兼ねないので自重する。
今のナギは人柱力としての力をほぼ完全に封じられ、素でハナビ以下――いや、同年代の誰よりも弱いかもしれない。
会得している術の大半が六尾関係なので、それが無くなったら戦闘力は皆無に等しい。自分のへっぽこぶりに気が滅入るばかりだった。
そんな中、トレードマークの三つ編みおさげを揺らしながら、ルイが一人で帰って来た。
「あ、ルイちゃん! よ、良かった~、無事なのね!」
「……軽はずみな行動だったのは認めるけど、心配性ねぇ」
ナギは心底安堵し、ルイはその慌てっぷりが可笑しかったのか、苦笑いする。
何一つ変わらない様子だが、ルイの眼が若干充血していた事にナギは気づく。気づいてヤクモと何かあったのか、物凄い勢いで不安になった。
「それで……ヤクモとは、どうなったの?」
「? あれから会ってないよ」
「え?」
ルイは途端、不機嫌そうに言い捨てる。それは先程の口喧嘩を思い出しての事であり、本当にあれから会ってないようだった。
一体ルイの身に何があったのか、全く解らずにナギが百面相する中、割とボロボロになったユウナが重い身体を引き摺って帰ってくる。
「二人とも、どうしたんだ?」
こんな場所で何をしているのだろうとユウナは半眼で疑問視する。
「ユウナ、丁度良い処に。ちょっと付き合ってくれる?」
「へ?」
ルイの口から囁かれた在り得ない言葉に、ユウナは前後不覚に陥る。
ヒアシにやたら叩かれたせいで奇怪な幻聴が聞こえたのでは、と真っ先に疑うほどである。
「えええぇぇ~~~~~!?」
ナギの間が抜けた、驚きの叫び声を耳にした時に漸く聞き間違えで無い事を悟り、ユウナは二重に驚いたのだった。