「くっ……おのれ、猿飛めぇ……!」
両腕の焼けるような激痛に耐えながら、大蛇丸は憎々しげに叫んだ。
蝋燭の火が燈る不気味な一室には蛇のホルマリン漬けから千本だらけの奇妙な人間大のオブジェ、果てにはミイラ化した自身の手の飾りなど常人には理解し難いものばかり置いてある。
しかし、既に見慣れた薬師カブトにとっては御洒落の一つ程度にしか映っていない。彼もまた主と同じく、まともな神経の持ち主では無かった。
「……まぁ、そう簡単にはいきませんよ。相手にしたのは五大国最強と謳われる火影なのですから――」
「そんな事はどうでもいいわ……! 問題は、うちはルイ、あの娘の事よ……!」
気休めの言葉は大蛇丸の怨嗟の言葉に遮られ、カブトは内心溜息を付いた。
(……やれやれ、火影殺害をそんな事扱いか。前々から思っていたけど、どうやら大蛇丸様はサスケ君より君に御執心のようだよ)
など思いつつも、火影亡き今、うちはルイは大蛇丸にとって火影以上の脅威として認識されるのも無理もないかとカブトは納得している。
「……あの影分身が健在ならば、私が両腕を失った時に術が解け、経験と代償が帰ってくる筈だった。だが、それすら来ないのは既に殺られ、尚且つ影分身の性質を無視出来るような特殊な術で葬られたと見るべきね」
それが如何に例外なのかは、大蛇丸が開発した禁術にもそのような効果を持つモノが一つも無いという事が如実に物語っている。
「――三代目が最期に仕掛けたような封印術を、より軽い代償で行使出来る、とお考えで?」
カブトが辿り着いた半信半疑の仮定を、大蛇丸は狂ったように笑って肯定する。
あの九尾さえ封じた術、屍鬼封尽は術者の生命を代償に発動するが、生命を犠牲にせず、同様の効果を発揮出来るのならば、馬鹿げている処の話ではない。
もしそれが可能であれば――それは血継限界という先天的な、持たざる者には永劫に辿り着けぬ境地に他ならない。
「……クク、恐るべきはうちは一族か、あの娘か――何れにしろ、今の私では届かない。あのうちはイタチ同様にッッ!」
大蛇丸の胸中に再びイタチに成す術無く敗れた屈辱が鮮やかに蘇る。
雪辱を晴らそうとひたすら万進し、またもやうちは一族に敗北を刻まれた。嘗て稀代の天才と謳われ、時代の寵児と持て囃された己の無様さに、大蛇丸は全身を震わせた。
「……そう悲観する事はありません。影分身の転生で心配されていた三年の空白は白紙になりましたし、もう一人の生き残りであるうちはサスケ、彼にはアナタの首輪がつけられた……彼ならば」
「本当に無様なものね。この大蛇丸ともあろう者が、うちはのひよっこじゃなければ手出しも出来ないなんて」
大蛇丸は自嘲する。死の損ないの爺如きに全ての術を奪われ、今の彼は限り無く弱体化している。
忍とは忍術を扱う者と認識している彼にとって、今の自分は忍ですらない。誇りも何もかもズタズタに引き裂かれたような有様だった。
されども、薬師カブトは確信している。この程度の絶望的な逆境では、彼の主は到底諦めない。それこそ名の通り、蛇の如く恐るべき執念をもって再起するだろう。
「――今は甘んじてこの屈辱を受け入れるわ。いつの日か、必ず晴らす」
巻の35 木ノ葉は晴れのち渦巻く陰謀で曇りの事
「……うわぁ、めっちゃヘコんでいるねぇ」
ルイが飛び出した後のヤクモは見るも無惨なものだった。
その場に力無く尻餅つき、世界が終わったかの如く項垂れていた。見ている此方も気が滅入る、見事なまでの落ち込みっぷりだった。
「……なぁ、ナギ。オレ、間違っていたんかな……?」
「うーん、一概には言えないわ。ヤクモもルイちゃんもね」
話の後半はだたの罵り合いになっていたが、二人の主張は一概に間違ってはいない。
仲間を見捨てて自分だけ生き残るなど言語道断だし、されどもその決断を下すのが隊のリーダーとしての役目でもある。一人の為に隊を全滅させる訳にはいかない上に、時には非情な判断も必要となるだろう。
だが、それは表面的な問題でしかない。ナギが思うに、ルイとヤクモの論争の根本的な問題点は――と、難しく思考した処で、ナギはある事に気づき、青褪めて慌てた。
「あぁっ! ちょっとちょっとヤクモっ! 落ち込んでいる場合じゃないよ!」
「なんだよいきなり大声上げて……ちょっとは落ち込ませろよ……」
ヘコ垂れるヤクモの襟を掴み、ナギは道場の端まで引き釣った。そしてこの光景に唖然としているハナビやヒナタに話を聞こえぬよう、ナギは出来るだけ小声で喋った。
(今この時期にルイちゃん一人にするなんて危険だよ! イタチ達がいつ来るか解らないのに! ルイちゃんもそれを失念するほど冷静さ無くしていたし!)
(……! た、確かにそうだ、が……)
ヤクモはもう原作の流れなど欠片も覚えていないが、木ノ葉崩しが終わったすぐ後にイタチと鬼鮫のコンビが来るんだった、と咄嗟に思い出す。
漫画だと一話か二話明けで到来していたが、木ノ葉崩しが終わってから二十日間、一向に現れる気配が無い。今日か明日か、はたまた十日後か、時期が極めて不明瞭だった。
そんな危険な時期に一人で出歩くなど無謀過ぎる、とヤクモは頭で理解しているものの、どんな顔で会えば良いのか解らず、行く事を躊躇する。
この際、ナギに任せて――否、彼女は暁の目標である尾獣を宿した人柱力だ。未だに四象封印で力の大部分を封じられているので、ルイと同じぐらい危険な立場だ。
(だったらユウナに……って、今居なかったじゃん! なんで肝心な時にいねぇんだよ……!?)
此処まで考えればヤクモが行くしかないのだが、最後の踏ん張りがつかず、いつまでも悩み続ける。そんな男らしくなく情けない様子にナギは怒りを爆発させた。
「ああもう! うだうだ悩まないっ! 早くルイちゃんの後を追う! 良い!?」
「お、おう……! つ、つーか、何処に行ったんだルイは?」
ナギの並ならぬ気迫と怒声に飲み込まれ、ヤクモは反射的に返事してしまった。
しまった、という後悔も後の祭り、何かと理由をつけて回避しようとしたが、その安易な逃げ道はハナビによって塞がれる。
「ルイ姉さまなら東の方角に一直線です。塀も屋根も飛び越えて」
……今日ばかりは白眼の便利さを怨めしい。ヤクモは肩を落として諦めた。
「……解った解った、行きゃ良いんだろ、行きゃぁ……!」
自暴自棄になったヤクモは全力でルイの後を追って行く。
残されたナギは似合わぬ事をした、と疲労感を漂わせて深い溜息をついた。
「だ、大丈夫かな、ヤクモ君……」
「ルイちゃんの機嫌最悪だから大丈夫じゃないねー……」
心配そうに呟くヒナタの不安を払拭させるのは、ナギには出来ない。
これでルイとヤクモの仲が更に拗れるだけならまだ大丈夫だが、とナギは胸の中に蟠った嫌な予感が杞憂である事を祈った。
「まだそんなくだらん事をしとるのか、お前は」
「一応取材ですからのォ」
望遠鏡に映る女の露天風呂を凝視しながら、自来也は振り向かずに応答する。
「何の用だと? 皆まで言わずとも解っておるだろう!」
背後には木ノ葉隠れの里の重鎮であり、今尚各方面で強い影響力を持つホムラとコハルが立っていた。
(……やれやれ。このワシに五代目火影になれなど、柄じゃないがのォ)
二人のご意見番の説教じみた長話を自来也は話半分に聞いていた。
砂隠れの全面的な降伏は恙無く受諾された。他ならぬ、自来也から持たされた情報によって。
「今、木ノ葉隠れの力は恐ろしいほどに低下しておる。この状況で最優先させねばならぬのは更なる危機を想定した準備だ」
「……隣国の何れかがいつ大胆な行動に出るかも解らぬ。よって、里の力が戻るまで各部隊からトップ数人を招集して緊急執行委員会を作り、これに対処していく事を決めた。――が、それにはまず、信頼のおける強い指導者が要る」
自来也は音隠れの残党を葬った後、日向ユウナから大体の事情を聞き取っていた。
影分身に転生の術を使わせ、風影の肉体で現れた大蛇丸。巨大蛇マンダの襲来に、穢土転生で口寄せされた四代目火影に四象封印を刻まれた少女。
その何れも信じ難い内容だったが、動かぬ証拠を自分で見つけてしまった自来也は、それらが真実であると認めざるを得なかった。
「やる気の無いワシより、切れ者のツナデ姫の方が火影に向いとるじゃろ」
ホムラとコハルの火影への就任要請を断り、自来也は次の火影にツナデを推す。そして本題に乗り出す事にした。
「それとは別に二つほど聞きたい事が。音隠れと砂隠れの戦の折に郊外に出現した六つ尾の妖魔の事と――うちはルイの事です」
その途端、二人の皺だらけの顔に先の件とは違った種類の険しさが露わになる。それは下忍に過ぎぬ者の名を聞かせた後とは思えぬほど、信じ難い変化だった。
その酷く淀んだ感情は、里の者が九尾に向けるものと何一つ遜色無く――四代目の事情を知るこの二人からも見る事になるとは、自来也とて夢想だにしていなかった。
重苦しい沈黙が続く中、ホムラとコハルは交互に見合い、重い口を開いた。
「……三ヶ月前、火の国と土の国の国境付近で発生した災害はお前の耳にも届いていよう」
「その時、里外演習で偶然居合わせたのがうちはルイを含む青桐カイエの班じゃ」
ホムラが渋々語り、コハルが補足する。それとは関係無く、今度は自来也が露骨な反応を示した。その上忍の名を聞いただけで、である。
「ほぼ同時期、岩隠れの里から一人の抜け忍が脱走し、演習中のカイエ班に保護された。その少女が――」
「六尾の人柱力だった、と。元暗部のあの小僧と言い、偶然にしては出来すぎた話よのォ」
コハルの言葉を途中で遮り、自来也は偶発的な事件ではないと深く疑念を抱いた。
四象封印を刻まれた少女、如月ナギサを見た段階で、自来也はうずまきナルト以外の人柱力の存在を想定していた。
今では既に形骸と化しているが、尾獣は抑止力の為に各国に封じられたもの。
九尾の他に六尾までもが木ノ葉にあっては、周辺国との力関係が大きく傾いてしまうだろう。
過ぎた力はそれだけで恐怖を生む。それが抑止になるか、戦禍になるかは神のみぞ知る事である。
(……どうもきな臭いのォ。あの小僧が動いたとなれば――ダンゾウの指図か)
自来也の脳裏に常に顔の右側を包帯で覆い隠す老獪な野心家が思い浮かぶ。
あの老人が未だに火影の座を諦めていないとなると、今の木ノ葉は内外にいつ爆発するか解らない、極めて危険な不安要素を抱えている事になる。
「その少女、確かナギとか言ったか――尾獣化出来るほど制御しとるのか?」
「いや、当時の報告では極めて不安定だったそうだ。それもいつ暴走するか解らぬほどな」
「何?」
コハルの解答に自来也は反射的に聞き返した。
尾獣化した六尾の人柱力と巨大蛇マンダが一騎打ちになり、穢土転生で口寄せされた四代目に封じられた、と当初では仮定していた。
それが封じた尾獣が暴走した結果であれば――里に匿うなど言語道断である筈。
その当然の疑問と疑念は、ホムラの言葉によって地平線の彼方まで吹き飛ばされた。
「六尾を制御しているのはうちはルイだと言っておる。無論、本体を口寄せしたのもな」
ホムラは不機嫌さを隠さず、忌々しげに言い捨てる。
こればかりは流石の自来也も仰天して驚いた。それとは別に、二人の相談役の胸中に渦巻く感情の正体に薄々気づく。
「……俄かに信じ難い話ですのォ。よもや初代火影やうちはマダラの他に尾獣を使役出来る者が現れようとは」
――そう。尾獣を使役する者が初代火影の系譜に連なる者ならば何の問題も無かった。尾獣を御する千手柱間の尊き力が蘇るのならば、里に栄光を齎す天恵と言えよう。
だが、それがうちはの血族の者となると話が違ってくる。九尾の妖狐を手懐け、里に壊滅的な被害を齎した呪われた系譜は、必ずや里を破滅に導く凶星として輝くだろう。
(……しかし、それでもこの二人の反応は……)
実際に九尾という天災を体験してしていない自来也には二人の危惧を真に理解出来ない。
だが、二度も九尾の来襲を目の当たりにしたホムラとコハルにとって、九尾を使役しかねないルイの存在は断固として容認出来ぬものだった。
本来ならば即刻始末したいほどの危険分子だが、ルイが六尾を完全に掌握している事に加え、あろう事か、強硬派のダンゾウが擁護に回ってしまい、手出し出来ずに今日まで至る。
――何故、うちはイタチはよりによってこの少女を殺さなかったのか。うちはの虐殺は思い起こす事さえ禁忌と化しているが、二人は憎々しげにそう思わざるを得ない。
九尾での嫌疑が晴れぬから一族皆殺しという最悪の結果に至ったのに、九尾を手懐けられる者が生き残っては本末転倒だろう。
(……やれやれ。厄介だのォ)
自来也は深く思案するように考え込み、ある一つの決心をした。
「――余計な手出しは無用ぞ、自来也」
「貴様とて事の重大さを心得ておるだろう? あの娘が第二のうちはマダラになったら、如何程の災厄を里に齎すか――」
コハルが釘を刺し、ホムラが苛立ちながら語尾を荒げ――そんな二人の常軌を逸した鬼迫を、自来也は平然と押し退けた。
「ふん、疑うばかりでは何もならんじゃろ。――ワシは信じる。あの娘の中に、火の意志が受け継がれている事をな」
「待て自来也、話はまだ終わっておらんぞ――!」
ホムラの制止を無視し、自来也は屋敷の屋上から颯爽と飛び降りて去った。
徐々に復興している里を飛び舞う道中、自来也は自身の懐から歪な形のクナイを取り出し、感慨深く見つめる。
三叉のクナイには傷一つ無く、奇妙な文字が刻まれた柄部分にも埃一つついていない。これが、自来也が戦いの後に発見した動かぬ証拠だった。
(だからこそ、お前はルイを生かしたのだろう? 穢土転生で理性を奪われ、自由意思も無い身で。のォ、ミナトよ――)
「嘗ての弟子を道連れに出来ないとは、落ちたものよの」
報告書を片手に、ダンゾウは淡々と呟いた。
机の上には里の被害状況、殉職者の名簿などが散乱しており、手に取っていた三代目火影と大蛇丸の戦いの詳細を投げ捨てるように置いた。
(――初代と二代目を相手にしたとは言え、四代目の禁術を使って大蛇丸の腕二本か。不甲斐無い結末よ)
十数年前の時に大蛇丸を始末出来ていれば、その甘さが無ければ斯様な結末には至らなかった。まさに身から出た錆だとダンゾウは皮肉げに嘲笑った。
(だが、ヒルゼン。貴様は忍の本懐を見事遂げた。いつもそうだ。貴様はワシの先を行く……)
猿飛ヒルゼンは火影としての責務をやり遂げた。二代目と同じように。
克明に蘇る感傷に浸りながら、続いてダンゾウはルイと大蛇丸の戦いの詳細を纏めた報告書を見て、満足気に笑う。
(あの四代目を退け、風影を乗っ取った大蛇丸の影分身を始末するとはな。流石はうちはの末裔か)
あの戦でうちはルイが挙げた戦果は既に下忍の範疇ではない。中忍試験の本選の戦いからも中忍に相応しき能力を見せ付けている。否、今更中忍など役不足だろう。
今、木ノ葉の力は恐ろしいほど低下している。他国と交戦状態に陥っていないものの、現在の状況は戦時中と言っても過言じゃないだろう。
そんな危機的な状況下で、これほど優秀な人材を腐らせるなどあってはならない事だ。
(……ふむ、推薦はカザカミにあげさせるか。うちはルイを上忍に、隊に六尾の人柱力を加え、カザカミを暗部に復帰させる。一石三鳥とはこの事よ)
今の内にうちはルイとの関係を更に強化すべきだとダンゾウは念頭に置く。
あの油断ならぬ娘を完全に傀儡にするのは不可能だが、だからこそ彼女は利用出来る。
千手柱間の弟が二代目を、二代目の弟子である猿飛が三代目に、三代目の弟子である自来也の弟子が四代目に、恐らく五代目は猿飛ヒルゼンの弟子である自来也かツナデに――この初代から続く忌まわしき系譜を断ち切れるのは、己を置いて他に居まい。
(それに六尾の封印も早急に手を打たねばな。あの娘の事だ、これ以上待たせれば恩を売る前に片付けられてしまう)
腹の底から笑みを浮かべ、ダンゾウは窓辺から木ノ葉隠れの里を眺める。
その独眼に宿る野心の炎は留まる事を知らず、嬉々と燃え上がっていた――。