「まぁ、しかし、部下達がいないと暇になるねぇ」
上忍専用の溜まり場所にて、はたけカカシは他の新人担当の上忍、猿飛アスマと夕日紅と共に一服していた。
尤も、実際に一服しているのはタバコを吸うアスマだけであり、カカシも横脇に茶飲を常備しているものの、一向に口布を外す気配は無かった。
カカシは波の国での実質Aランクの任務を回想し、新人下忍を担当しながら良く無事だったものだと感慨深く思う。
これからも平穏な日々が続けば――などと平和惚けした思考をした時、それは気配無く突如やってきた。
「そうかそうか、カカシ君。君はとても危険で生命が百個あっても足りない任務を御所望なのだな」
「……いや、カイエ君? 別にそんな事は一言も――」
「其処から先は言うな、皆まで言わずとも解るとも! そういう常に未知なる出来事に挑み続ける君の為にちゃんと用意してきたぞ。勿論、アスマと紅も一緒な」
今期の新人下忍を担当する最後の上忍である青桐カイエは、捲くし立てるようにカカシの拒絶を無情に遮る。
彼はカカシと同じ暗部出身の上忍で腕は確かなのだが、人の話を聞かず悪い意味で独走する癖がある。
こうなった彼を止められるのはノリ突っ込みで殴り飛ばすガイくらいだろうが、残念ながら今此処にはいない。
「ちょ、何を勝手に……!」
「紅、諦めろ。カイエはこういう奴だ」
アスマは疲れた表情でタバコを消し、カイエの暴走を初めて見た紅は驚きを隠せずにいた。
「ほらよっ、さっさと読め」
カイエは懐から巻物を三つ取り出し、三人に手渡す。
気怠げに読み始めた彼等だが、内容を一目見た瞬間に怠惰感など吹き飛んで最大限の危機感を抱いた。
余りの突拍子の無さに三人は鬼気迫る表情でカイエを見返すが、其処に先程のふざけていた彼は何処にもおらず、能面の如く無表情になった一人の忍が立っていた。
「一読したら燃やせ。それと覚悟を決めろよ、こんな大物取りなんて後にも先にもこれっきりにしたい」
巻の14 第一試験を素通りし、第二試験を駆け抜けるの事
「やはり、ルイに会うと調子狂うな」
「……キバ、またか?」
犬塚キバの懐に潜り込んだ赤丸を覗き込みながら、油女シノは物静かに尋ねる。
アカデミー時代から赤丸はうちはルイの近くに来ると何故だか妙に脅え出す。
うずまきナルトと同じぐらいの落第生である彼女の一体何に恐れているのか、キバさえ把握出来ずにいた。
(――うちはルイ。あれは侮れない)
それと同様に、シノもルイと対峙すると体の中の寄壊蟲が異様に騒がしくなる。事実、シノはうちはサスケ以上に得体の知れぬルイを警戒していた。
「ああ。だが、今回はルイじゃなく、あの黒い犬が原因っぽいな」
それに対してはシノも同意見であり、無言で頷く。
あの黒犬は一見して赤丸と同じぐらいの大きさの犬だが、魔獣特有の猛々しいチャクラを漲らせている。だがその反面、底無しの闇を孕んだ紅瞳は身震いがするほど無機質で、恐ろしいほど感情の色が無かった。
「え? コンちゃん、が……?」
十班の中で一人だけ、素のルイの性格と実情を知っているヒナタは二人の評価に疑問符を弱々しく浮かべる。
「ヒナタ知っているのかよ! そいやルイと一緒だったな」
「え、えと……ちょっと前、演習中に拾ってきたみたい。赤丸と違って、忍犬じゃないけど……」
ヒナタの知る――本来の飼い主である如月ナギサが呼称する――コンちゃんは、自分の尾を噛みながら独楽のように回る、ちょっと変わった可愛い犬であり、キバとシノの印象とは多大に食い違っていた。
「何れにしろ注意が必要だ。何故ならば、彼女は無駄な事を絶対にしない」
「あぁん? 何リーダーっぽく纏めてやがるんだよ!」
一人悠然とルイを観察するシノ、横で怒りの形相を浮かべるキバ、その中心でおどおどと困惑するヒナタ。この三人はある意味、七班のナルト達よりバラバラだった。
「おい、君達。もう少し静かにした方が良いな。可愛い顔してキャッキャと騒いで……全く、此処は遠足じゃないんだよ」
音隠れのスパイであり、受験生の一人である薬師カブトは、新人達の情報収集も兼ねて楽しく騒ぐ十二人の下に訪れた。
「誰よ~~、アンタ。偉そうに!」
うちはサスケに纏わり付くくノ一、山中いのは大層嫌そうな表情を作る。
この身の程知らずの言動こそ年相応だな、とカブトはうちはルイの逸脱具合を改めて実感する。
「ボクは薬師カブト。それより辺り見てみな」
「辺り?」
春野サクラを始め、周囲を見回して新人達が青褪める中、カブトは気づかれぬようにうちはルイを観察する。
他の里の忍の険悪な視線を意識して驚き脅える様は実情を知るカブトでさえ騙されそうなぐらい自然な仕草だった。
本来の彼女なら「有象無象の塵芥め」と鼻で一笑する事だろう。
「君達の後ろにいるのは雨隠れの奴等だ。まあ彼等だけじゃない、試験前で皆ピリピリしている。どつかれる前に注意しとこうと思ってね」
「これは御親切にありがとう御座います、カブトさん」
その貞淑なまでに爽やかな笑顔を浮かべるルイの身振りにカブトは違和感を覚えずにはいられない。普段見せる邪悪な笑顔との落差に鳥肌が立ちそうだと内心焦る。
だが、此処まで完璧に演じているのだから、自分も張り合ってみようとカブトは悟られぬように自身を奮い立たせる。奇妙な部分で対抗心を燃やしていた。
「ま、右も左も解らない新人さん達だし、舞い上がるのも仕方ないな。昔の自分を思い出すよ」
「……それじゃカブトさんは――」
「カブトさんは中忍試験に詳しいようで。良ければ私達新人に御教授して貰えないでしょうか?」
割と失礼な事を言おうとしたサクラの発言を絶妙なタイミングで遮り、ルイは多大な期待感を瞳に輝かせてお願いする。……後ろで睨むサクラなど何処吹く風だ。
こうしていれば一本の三つ編みおさげが可愛らしい少女なのだが、とカブトは一瞬血迷い、とりあえずは乗る事にする。
「可愛い後輩の頼みとなれば断る訳にはいかないな。それじゃちょっとだけ情報をあげよう。この忍識札でね」
「忍識札?」
「簡単に言えば情報をチャクラで記号化して焼き付けてある札さ」
カブトは新人達に己が諜報活動の集大成を得意気にお披露目する。
「これは今回の中忍試験の総受験者数と総参加国、そしてそれぞれの隠れ里の受験者数を個別に表示したものさ。個人情報も完璧とまではいかないが、焼き付けて保存してある。気になる奴がいるのなら検索してあげよう」
最初に喰らい付いたのはうちはサスケだった。
「砂隠れの我愛羅、それに木ノ葉のロック・リーって奴を頼む」
「何だ、名前まで解っているのか。それなら早い」
手早く二人の札を渡し、丁寧に解説していると後ろからルイが忍び寄り、他の誰かに聞こえぬよう小声で話しかけてきた。
「私のをお願いします」
「……文句は受け付けないよ。それと一つ作るのも手間だから間違っても間違わなくても燃やしたり破いたりしないでくれ」
「……まさか、そんな魂胆は欠片もありませんよ? あはは」
白々しく言い逃れするルイに溜息付きつつ、二つの札を背後を見ずに手渡す。一つは猫被り状態の札、もう一つは彼の主に渡す予定の札である。
カブトの評価では、普段のルイは血継限界である写輪眼にも目覚めず、忍術幻術体術忍具においても平均的以下の能力である。
が、本領を発揮すれば体術はサスケより若干劣るものの、忍術と幻術は既に下忍の域には収まらず、血継限界に関して未知数である。ぶっちゃけ下忍の枠組みで彼女を計るなど無意味な話だ。
(どんな顔しているのか、見たいところだが――説明を中断させると怪しまれるか。残念)
試験の趣旨がカンニング公認の情報収集戦とは言え、実際に何もしなくても合格出来る事を存知なのはカンニング扱いになるのだろうか、私ことうちはルイは内心に疑問符を浮かべる。
ともあれ、今すべき事は無意味なカンニング行為では無く、余計な転生人が紛れ込んでいるか否かの情報収集である。そのような不確定要素が二次試験で何を仕出かすか、考えるだけで頭が痛い。
……答案に何も書かずに昼寝でもしている、など解り易いサインを出していれば僥倖なのだが。
次の二次試験、外堀は出来る限り埋めたが、運頼みの要素が未だに強い。
あらゆる状況を想定して策を練った。予期せぬ事故、想像の斜め上の事態が突発的に起こる事も織り込んで、だ。
試験中、私は十二年の短き生涯で最大最悪の敵になるであろう、大蛇丸に対して敵意をふつふつと燃やす。
奴と私は本質的に同じ、正義とは相容れぬ悪だ。悪はより強大な悪によって淘汰される。一体何方が消え去る出来損ないの紛い物か、次の試験で雌雄を決してくれる――。
「第二の試験会場、第四十四演習場。――別名『死の森』よ!」
最速で中央の塔まで行く道程を繰り返して思考する内に第一試験が終了し、試験官のみたらしアンコに率いられて第二試験場へ移動となる。
第四十四演習場、通称死の森とやらは巨大過ぎる樹木が立ち塞がり、奥の方は窺えないほど暗く、薄気味が悪い。未開の樹海という表現がぴったりな場所である。
「ふふん、此処が『死の森』と呼ばれる所以はすぐ実感する事になるわ」
「へっ、そんな脅しても全然へーき! 怖くないってばよ!」
空気を読まずに張り切って啖呵を切るナルトを見て、感心と同時に呆れを抱く。
此処が私の中忍試験にとって正念場になるだろう。今は主人公に気を割く余裕など欠片も無い。
「そう。君は元気が良いのね」
アンコはニコニコと笑顔を浮かべた直後、常人の眼には止まらぬ動作でクナイを放ち、ナルトの背後に回る。
普通、試験官は受験者に攻撃しないだろう。常識的に考えて。
「――でも、アンタみたいな子が真っ先に死ぬのよねぇ。私の好きな赤い血ぶち撒いてね」
一閃した頬の傷から流れるナルトの血を、アンコは舌で美味しそうに舐める。
そういえばコイツはオカマの弟子だったから、変態嗜好が似ているのも仕方あるまい。良く木ノ葉に残ったものだ。
内心、緊張感を高め、仕掛け時を今か今かと待ち侘びる。その時は直後に到来する。
「――クナイ、お返ししますわ」
「わざわざありがと」
アンコの背後に忍び寄った舌が蛇並に長い草隠れの忍――面倒だから大蛇丸でいいや――は強烈な殺気を撒き散らしながら対峙する。
その隙に懐かしの諜報忍術、獅子身中の虫を大蛇丸(草隠れに擬態)の腰帯に仕込む。これで大蛇丸の位置を常に把握出来るようになり、第一条件がクリアされた。
「でもね、殺気を籠めて私の後ろに立たないで。早死にしたくなければね」
「いえね、赤い血を見るとついウズいちゃう性質でして。それに私の大切な髪を切られたんで興奮しちゃってねぇ……」
師弟なんだからその程度の擬態に気づかないものなのか、というより、あんな舌が人外な忍なんて大蛇丸ぐらいしかいないだろうに。無駄な考察をする余力は無いので打ち切る。
(――仕込みは完了、後は神頼みかぁ……)
真っ先に私達の元に来られたら次善策を使わざるを得ないが、そうならないように祈るしかない。
「都合良く天の書じゃん」
第二試験が開始して五十分前後。砂隠れの忍である我愛羅達は雨隠れの忍達を容赦無く葬り、運良く対の巻物を手にしようとした。
だが、地に転がり落ちた天の書はカンクロウが拾う前に、気配無く飛来してきた黒い泥に攫われ、別の者の手に納まる。
「ナイス、コンちゃん」
遥か遠方にいたのは先程から覗き見ていた忍達――犬塚キバ、日向ヒナタ、油女シノ――ではなく、うちはルイが率いる第九班の面々だった。
「な、テメェ返しやがれッ!」
ルイ達三人はカンクロウの制止の声に耳も貸さず、地面に煙玉をぶち撒けて撤退する。
撤退の間際、ユウナはヒナタ達のいる方向に視線を送り、「さっさと逃げろ」と無言で訴える。これにより硬直していた十班の者達は正常な思考を取り戻し、混乱に乗じて消える。
だが、この程度の逃走劇を見逃すほど我愛羅は甘くない。――追撃出来なかったのは、単に凶悪な置き土産を一つ残していたからだ。
「それじゃ私達は御暇させて貰うね~。まあ次の機会は無いけど」
視界を塞ぐ煙を突き抜け、粘液じみた黒い泥は我愛羅を目掛けて一直線に疾走する。
先程の千本より疎かな攻撃は本人が意識する必要も無く、瓢箪の中の砂によって自動的に防御された。――その直後、この黒い泥が防御してはならぬ類の攻撃である事を我愛羅は間近で体感する事になる。
「――!」
渇いた砂は水を吸うように黒い泥に浸蝕され、刻一刻、砂の支配権を奪っていく。
今まで一度も体験した事の無い異端の性質に我愛羅は驚きを抱くも、一瞬にして浸蝕された箇所を切り離し、後方に退く。
黒い泥もまた、飛び退いた我愛羅を追うように伸びる。このタイミングで自動防御の砂は間に合うだろうが、完全な回避は非常に困難だった。
(――まずい。あの黒泥は防御してはならない。我愛羅の絶対防御とは最悪の相性だッ!)
逸早くこの異常事態を理解したテマリは背中に背負う巨大な扇子を力一杯煽ぎ、カマイタチの術で黒い泥を切り裂きながら彼方に吹き飛ばす。
「な――ッ!?」
されど複数に分散した黒い泥は一斉に反転し、やはり我愛羅だけを目指して飛翔する。
「チィ!」
対人用の傀儡人形のカラスでは分が悪い、そう判断したカンクロウは両の手の十指からチャクラの糸を飛ばして黒い泥を直接操ろうとした。
だが、黒い泥に突き刺さった直後にチャクラの糸が吸い取られるように消えた。
(チャクラを吸収した!? やばいじゃん、ただでさえ触れたらまずいっぽいのに――!)
カンクロウの健闘虚しくも、テマリの咄嗟の判断が僅かながら時間を作り、我愛羅の反撃の準備が整った。
土中から砂を大量に作り出した我愛羅は分散した黒い泥を砂で全て受け止め、浸蝕されるより疾く幾重に砂で内包していき、一つに纏め、右掌を強く握る。
「……わぁお、流石ね」
砂瀑送葬――砂で捕らえた対象を殺人的な圧力で握り潰す特異な術であり、それだけでは飽き足らず、我愛羅は地中を砂に変え、黒い泥を閉じ込めた砂を地下深くに埋葬する。
「あ、危なかったじゃん。一体何だったんだありゃ?」
「さぁな。水遁だか土遁かも解りゃしないわ」
カンクロウとテマリは冷や汗を拭いながら安堵の息を零す。
慢心していた訳ではないが、彼等が思っている以上に木ノ葉の忍は厄介だと教訓付ける。
ともあれ折角手に入れた巻物を奪われてしまったのだから、また一からやり直しだと落胆した直後、それは音を立てて文字通り突き抜けた。
「――!?」
我愛羅が反射的に飛び退けたのは二人と違って油断出来なかったからである。
圧縮に圧縮を重ねた砂の殻を突き破り、地から飛び出たのは木の枝の如く尖った黒い泥だった。絶えず流動せず、針状に固体化した黒泥は全周囲から我愛羅に襲い掛かる。
「我愛羅ッ!」
先程の仕込み千本とは比べ物にならぬ黒泥の串刺しは、着弾した傍から自動防御の砂を容赦無く浸蝕して蹂躙し、遂には絶対的な砂の防壁をも突き破る。
――首筋に迫った死神の鎌を、我愛羅は生まれて初めて実感する。既に砂の鎧で身体を覆っているが、砂の盾以下の防御力であるが故に数秒も持つまい。
完全に手詰まりの中、黒い針は我愛羅に着弾するギリギリの処でぴたりと停止し、跡形も無く霧散した。
――彼等には知り得ぬ事だが、本体が混沌の有効射程距離から過ぎた為、術が打ち切られたのである。
「……」
黒い泥に浸蝕された砂の命令権が元通りになる。我愛羅は無言で砂を瓢箪に戻し、ぎりっと歯軋り音を鳴らす。
敵の攻撃に脅威を覚えたのは、我愛羅にしても初めての経験だった。
非常に珍しく運に恵まれた。
二次試験開始直後、大蛇丸は一直線にサスケを目指し、私達も一直線で遭遇した我愛羅達から巻物を強奪した。それから他の忍達と遭遇する事無く、僅か九十分余りで中央の塔に到着したのだった。
サスケの犠牲は大前提だったので、黙祷ぐらい捧げてやろう。まあ死んではいないけど。
「無事、辿り着いたぜー!」
「やれやれ、我愛羅達を相手にした時はどうなるかと思ったぞ」
全力疾走し続けたヤクモは疲れなど無いようにガッツポーズをし、常に白眼で遠方を透視していたユウナは息切れしながら目を瞑って安堵する。
「どうにか逃げ切れたみたい。これでアイツと遭わずに――」
「――あら、誰の事かしら?」
背後から聞きたくない声が聞こえる。後、覚悟せざるを得ないほどの禍々しい死の気配が部屋中に充満する。
そうだよね、私の運なんてそんなもんだよね。上手く行き過ぎて内心何処に穴があるか疑っていたところだ。私達は顔を引き攣らせながら一斉に、恐る恐る振り向く。
「巣穴に逃げ込んだぐらいで安心しちゃ駄目でしょ。獲物に過ぎない貴方達は――」
其処には予想通り、顔の表皮が焼け爛れた大蛇丸がおり、異常に長い舌で己が唇を気色悪く舐め回していた――。