世界には二種類の人間がいる。
いまだ強く記憶に残っている現実世界を目指して、ただひたすらクリアのためにその身を捧げ抗い続ける者。
そして全てを諦めてこの仮想現実を惰性のように生きる者。ちなみに自分は後者だ。
世界がこのように再構築されてしまった時はまだ前者の方が圧倒的に多かった。
自分で選んだゲーム世界とはいえこれまで生きてきた人生を捨てるという選択肢はあまりにも受け入れがたかった。
当然だろう。誰がこんな死と隣り合わせの世界で生きていきたいと思うものか。
まずはじめに生産職を選んだ人間が諦めた。
このゲームではキャラクターメイキング時に幾つか選択しなければならない項目がある。
身長や体格、髪の色から始まる外見特徴は元より種族やジョブ、クラス、ステータスポイント割り振りなど。
その中にあるジョブが曲者だった。
この世界――このゲームでは一度選択したジョブを変更するのに特殊な転職アイテムとそこそこの金が必要だった。
ちなみにその転職アイテムはダンジョン中層にいる特定のmobを狩っていると稀に落とすように設定されている、らしい。
聞いた話だ。供給と需要に合わせて価値が跳ね上がったそれらは今となっては目も飛び出すような金額で売り買いされている、らしい。
どちらも噂話で聞いた程度だからよくわからない。
真実、俺がこの世界に来てからそれを一度もお目にかかったことがないからそれは本当のことなんだろう。
要するにその転職アイテムを手に入れるには多大な労力が必要だった。
この時点で商人系や職人系を選んだ者の多くは諦めた。
他のプレイヤーとはスタート地点が違うのだ。
基本的にそれらの職業はステータスも低く設定されていて討伐クエストやmob狩りには向いていない。
ダンジョンに潜るために一番必要なレベル上げがそもそも困難。なんともバランスが悪い話だ。
おまけに転職するとレベルも1から再度スタートらしいのでもうご愁傷様としか言い様がない。
次に前衛職。とりわけナイトを選んだ人間の数が減っていった。
考えてみて欲しい。それらはパーティでモンスターと戦う際に後衛の壁になるのが仕事だ。
逆に言えば戦闘に負けるとしたらまずそこから崩れるのだ。前衛が崩れると大抵パーティは全滅の憂き目に遭うのだがそれでも危険度がまるで違う。
そういった訳で前衛職の人間が風に散らされる枯れ葉のようにいなくなっていった。
そもそもノーミスで完全クリアという前提が馬鹿げた話なのだ。
その中でも特に固有スキルでモンスターの視線――ヘイトを集めるのが仕事のナイトの損耗率は思わず目を伏せたくなるようなものだった。
はじめはたくさん居た筈のプレイヤー数が歯抜けになっていくにつれてそれらの職業は見なくなった。
いまになっては希少動物といって間違いない。もしかしたらクローズドβであったと噂されているユニークジョブよりもレアなのかもしれない。
そして一番誤算だったのはそこまで命を張れる人間が少なかったことだろう。
たかがMMORPGといえど自分の命がかかっているとなればまるで別物になることをわかっていなかった。
きっと誰もがそうだった。平和な現代日本にいれば命を賭けて戦うなんて事態に陥ることはそうはない筈だ。
だがこの仮想現実では別だった。
例えば視界が極端に狭くなっていくダンジョンの暗闇の中。背後から一撃を入れられるだけでHPゲージは真っ赤に明滅するのだ。
肉体が傷つけられたことを示す鈍い痛み。苦痛は耐え難い。
だけどそれ以上に耐え難いのは一瞬で赤く染まった視界の恐怖だった。
一瞬一挙動が1ミスが死と直結している。その恐怖は体験するまでわからない。
恐怖に囚われた思考をトレースして体は勝手にガクガクと震え出して心臓が馬鹿みたいに跳ね上がる。
しまいには自身の呼吸さえ整えることすら困難になる。この世界も、この肉体も現実のものではないというのに。
そうして出来上がったモンスター恐怖症の人間達はどれくらいいるだろうか。
たぶん全体の3割か4割くらいか。
現在もゲームクリアを目指して戦っている人は少数ながらいる。
だけど俺にはもう無理だとつくづく思った。