力が溢れ出す。
内側で力が暴れまわる。
それは昔からのことだった。有り余る力が気持ち悪い。発散させなければ自分は壊れてしまう。
異能の類ではない。成長期に日々強く逞しくなってゆく肉体の、力を持て余していたという話である。
だが気持ちの悪さは本物だ。肉体の成長期は精神の過渡期でもある。
そして、荒々しい気性、不安定な心が求めたのは暴力だった。
とはいっても弱者をいたぶって楽しむような趣味は持ち合わせていなかった。理由には侠気的な要素もあるが、まずなによりそんなものでは力を限界まで使い果たせない。だから『ご同類』を、あるいはそれこそ弱者をいたぶる輩を的にかけていった。
しかし力が暴れる感覚は消えなかった。どれだけ人を殴っても殴られても、不機嫌は収まらなかった。
<魔人>のことを知り、自分もそうなれば何かが変わるかと思ってなってもみたが、気持ちの悪さは増すばかりだった。
破裂してしまいそうだったのだ。
あの日、自分などとは次元の違う強さによって叩きのめされるまでは。
市中聡司にとっての新島猛とは、不満を昇華してくれた恩人であり、更なる強さへ至る手ほどきをしてくれた師であり、いつか越えるべき壁だった。
それを失って平静でいられるわけがないのだ。
昇華したはずの、えも言われぬ不快感が心と身体を満たしている。解放しろと荒れ狂うそれを久々に飼い慣らしながら、周囲が筆頭騎士へ行う状況説明を黙って聞いていた。
「……正直に言えば信じがたい」
さすがに圭も動揺を滲ませていた。当然といえば当然だろう。四辻圭と新島猛は<竪琴>草創期からエリシエルの傍らで共に剣を振るっていた間柄なのだ。
「今朝、聞こえては来てたんだけど……どちらかの策略で撒いた噂かと思ってた。でもそうか、本当に逝ったのか……」
静かに目を閉じる。黙祷なのだろうか、そのまましばし居て、再び開けたときには揺るぎない理知の光があった。
「そして聡司は仇討ちか。そうだろうね、そうでなきゃ聡司じゃない気がする」
「止めるつもりか? それとも行かせてくれるのか」
聡司はフランベルジュを構えた。
今まで大人しくしていたのは、圭が帰って来た以上強行突破は難しく、そして仮に成功したとしてもすぐに捕捉され追いつかれるであろうことが、焼き切れそうな理性の残り滓でも分かっていたからだ。
猪突猛進なエリシエルに代わり、実務的な意味で騎士派をまとめて来たのはこの男だ。指揮を執れば騎士たちの動きが明らかに変わってくるのだ。
そして圭は言った。
「俺は認めてもいいよ。条件さえ満たせたらだけど」
周囲がどよめいた。だが非難の声は起こらない。圭の人望もあるが、皆、本心の隅には仇を討つことへの肯定の思いがある。
しかし聡司は構えた剣を下ろさない。
「それで、条件は?」
「大前提だよ。誰にやられたかは分からないけど、仇をとるなら猛さんより強くないと返り討ち、自己満足の無駄死にだ。さすがにその道への門をくぐることを認めるわけにはいかない。つまり……」
独特の言い回しと同期して、虚空から滲み出すようにクラウンアームズが顕現した。
右手には白い長剣、左手には光そのものを集めたような盾。筆頭騎士が鋭く目を細める。
そうしていると凶貌と相まって、死神めいて空恐ろしい。
「俺より強いと証明できなきゃ駄目だ」
「上等ォ」
にぃぃ、と聡司は笑った。
この条件は読めていた。望むところでもある。
「乗った!」
承諾から間髪入れず、衝動に身を乗せて地を蹴っていた。
奇襲である。『疾風迅雷』まで使っての、反応自体を潰す袈裟の一撃だ。
しかし剣閃は中途に遮られた。光の盾がいとも容易く弾いていた。
圭は察知してから反応したのではなく、聡司が踏み出したときには既に対処の準備を終えていたのだ。
「……相変わらずの先読みが鬱陶しいな」
豪快な挙動による風を巻き起こしながら距離をとり、聡司は軽く舌打ちをする。
牽制程度のつもりであったとはいえこうも容易く捌かれるとは思っていなかった。何がまずかったか。自問し、解はすぐに出た。
急ぎすぎた。急加速の下でも体勢を維持するための前傾。その予備動作を聡司は消しきれない。そこから読まれたのだろう。
焦るな。煮えた頭に言い聞かせる。一刻一秒を争っているわけではない。ここで勝利をもぎ取ることが大事なのだと。
四辻圭は掛け値なく強い。
筆頭騎士は、形としては央ノ要の最高峰にあたる。ありとあらゆる局面において、ありとあらゆる相手に対し、得意を潰して苦手を突く。決して思い通りに戦わせてはもらえない。
だが、それを叩き潰してこそ前へと進む証明になろうというものだ。
改めて観察する。
まず右手の長剣。剣身だけで1メートルを超え、柄も鍔も長い。クラウンアームズの材質を問うのも詮無い話であるが、その処女雪の如き純白はどのようにしてもたらされているのか不思議ではある。
『サザンクロス』という名から連想させるとおりに十字の印象が強いそれは、大アルカナの名を負う二十二の規格外を除けば最高位のクラウンアームズである。聡司の『ヴァルカンブレス』ですらその一つ下の位階となる。威力ゆえにか、鍛錬などの際にも味方に振るわれることはほとんどないため、真価は聡司にも不明だ。
そして輝く盾。直径40センチメートルほどで、球体の一部を切り出してきたかのように徹底的に曲面で形作られている。
低位ではないが高位とも言えないという話が嘘だとしか思えないほど、この『サンクチュアリ』は敵の攻撃を巧く捌いてゆく。聖域とはよく言ったものだ。大抵の<魔人>にとって不可侵の絶対防御圏を形成する。
無論、『サンクチュアリ』が本当に不可侵なのではない。四辻圭という男の実力が極めて堅固な防衛領域を作り上げるのだ。まだ何か見えていない理由はあるかもしれないが。
それは裏返せば、こちらの強さでもって侵略可能であることを意味する。かつて、<剣王>が行っていたように。
「だが行くぜ。覚悟はいいな」
今度は靴底で地を確かめながら、圭の周囲を大きく回る。最初はゆっくりと、唐突に速く、そしてまた緩やかに。止まることだけは決してない。
緩急は徐々に拍子をずらしてゆき、かつ幅が極端に大きくなってゆく。しかし<魔人>の所業である。基本的には恐ろしいまでの高速だ。
騎士派三方武芸脚法は『疾風迅雷』しかないわけではない。
二式『大鬼蓮』。瞬間的な、しかし絶対的なまでに強固な足場を形成する。たとえそこが水面であろうとも地上と同じように踏み出すことを可能とする術である。
それを用いて今行うのは、足先だけによる急加速と急減速。水平な地面ではなくやや角度をつけた『大鬼蓮』によって、精妙な動きを補助するのだ。
戦闘状態における<魔人>の知覚力は人を遥かに超えるが、同じく<魔人>であるならばそれを振り切ることも不可能ではない。大道芸と嘲った者はあるが、それで手も足も出ずに切り倒されているのでは負け惜しみにしかならなかった。
拍子を惑わせたまま、聡司は機を窺う。
圭はまったく動いていない。こちらの動きを追ってはいるのだろうが、仕掛けてくるときを静かに待っているようだった。
さすがは、と言うほどではあるまい。四辻圭ならば乗せられるはずもない。
聡司の双眸が不意に細められた。
踏み込んだ。位置は圭の右斜め後ろ、盾からは最も遠い位置。
単純な速度であれば先ほどの奇襲の方が上だろう。しかし今度はいつ仕掛けるかを容易く読ませない。
視界内に標的が広がる中、フランベルジュが音もなく突き出される。狙うは腹部、最もかわし辛い箇所だ。
圭の反応は確かに遅れた。こちらの姿を捉えたときには既に刃は触れんばかりだった。
そのままいけば腹部を貫いたはずだ。しかし波打つ刃は浅く脇腹を裂くに留まった。
「……それは……!」
弧を描き、支えもないままに半身を守護する黄金の盾。昨日エリシエルが行っていた防御法だ。
あれほどの強度はないのだろう。刺突の征くはずだった線を絡めとるようにして強制的に外しただけである。
しかし驚愕の呻きを漏らさせるには十分な光景だった。
一方、くるりと回って向き直った圭もまた、驚きの色とともにあった。それから小さく笑う。
「そうか、一月だもんな」
いつもの、顔に似合わぬやわらかな笑い方だ。
「男子三日会わざれば刮目して見よ。『大鬼蓮』の使い方、見違えた」
「うるさい。お前確か同い年だろうが。上から目線は気に食わん」
ぶっきら棒に聡司は応えた。<魔人>としての戦歴は向こうが倍近いが舐められるのは癪に障る。たとえ本当に圭が高みにあるとしてもだ。
「それよりさっきのはどういうことだ? 盾の異能ってわけじゃないんだろう?」
「もちろん」
圭が一旦、剣と盾を下ろす。
「あれも騎士派三方武芸さ」
「俺は知らんぞ!」
動揺を抑えられなかった。聡司は<剣王>の一番弟子を自認している。騎士派三方武芸について、二番目によく知っているつもりでいたのだ。
そして圭も聡司の思いはよく分かっていた。
「猛さんはすべての騎士派三方武芸のうち、半分も伝えられてない。教わった時期は覚えてるかな?」
「……先代が財団派に行く少し前だ」
「ひとまずの完成を見たの自体がその頃なんだ。一度にはすべて教えられない。まずは脚法や操法を使いこなせないと、難度の跳ね上がる創成法は成功しない。基礎も固まらないうちに応用に囚われたら碌なことにならない。『大鬼蓮』なんかはちょうど、基礎になる要素が大きく含まれてる」
黄金の輝きが今一度、盾を形作る。
「基礎から発展させた創成法の基本、一式『千目』だ。俺のは猛さんの七割程度の強度しかないけど、こう利用してる」
光の盾が『サンクチュアリ』に重なる。眩いばかりの輝きがそこには宿っていた。
それこそが『サンクチュアリ』の防御能力が異常に高い理由なのだと、聡司は得心した。
「それで、どうしてお前は使える?」
「答えは単純だ、騎士派三方武芸の開発は俺も手伝ったからだよ」
その答えを聡司は不思議と穏やかな気持ちで聞いた。
そうなのか、と静かに思ったのだ。
「……なるほどな」
戸惑ったのはむしろ圭の方だった。
「嘘っぽく聞こえてもおかしくないはずなんだけど、信じてくれるのか?」
聡司は今、復讐に逸っている。正常な精神状態ではないはずなのだ。そして新島猛を兄貴分として一番に慕っているという自負がある以上、とっさに否定したくなってしかるべき言葉だったはずだ。
それなのに、にやりとばかりに口の端を吊り上げた笑みに毒はなかった。
「さあな。俺はあんまり頭のいい方じゃないんでね、困ったことにお前が嘘つく理由に思い当たらない。ただ先代のことは信じてるし、お前のことも信頼してる」
無論のこと、聡司にも嫉みが湧かなかったわけではない。しかしそれは、ともに肩を並べて来た仲間への思いを決して上回りはしなかった。
市中聡司は暴走していてさえ、騎士派の一員である己までは失っていなかったのだ。
フランベルジュ『ヴァルカンブレス』を構え直す。
闘志に、些かの衰えもない。
「お前は俺が思ってるよりも凄いらしい。だが俺は仇討ちに行くためにお前を倒さなきゃならん。なら、やることは変わらん。改めて勝負だ、筆頭騎士四辻圭ッ!」
二度目の『疾風迅雷』とともに踏み切った。
『ヴァルカンブレス』が紅蓮の炎を纏う。
フランベルジュとは刃の描く波状線が炎を想起させることからついた名称である。赤の中では刃そのものまでが揺らめいていた。
一閃。
光の盾がそれを受け止めるも、火炎が鮮烈な顎を開いて圧し掛かる。
エリシエルとの試合では用いることのなかった力だ。近寄るだけで命を削り、触れるものを焼き尽くす。
しかし圭には通じない。金色の薄い膜が十三、半球状にその身を覆えば、余波に過ぎない炎は完全に緩衝されてしまう。
前兆もなく総毛立った。背筋に走った予感に従い、聡司は咄嗟に後ろへと跳躍する。
その勘は正しかった。閃光のように突き出された剣が、先ほどまで聡司のいた空間を貫いていた。
「創成法一式『千目』が派生、『少糸』。面攻撃、多面攻撃に対する防御法だよ。『千目』よりは面積当たりの防御力は下がるけど、ぶちまけられる余波程度なら充分凌げる」
圭がわざわざそう口にした意味を推察するのは容易い。その場で機転をはたらかせて創り上げたものなどではなく、既に体系化されて存在しているのだと告げているのだろう。
そして恐るべきは技の切り替えの早さである。『千目』で刃を受け、受け止めきったならば即座に『少糸』で炎を散らし、刺突はおそらく『流星』が乗っているがための超速度だ。
実のところ、切り替えなくとも複数の騎士派三方武芸の並列使用自体は可能だ。聡司にしても例えば、『疾風迅雷』と『流星』とを同時に用いて攻撃を仕掛けることはできる。最速で間合いを詰めて最速で斬る、あるいは突く。これだけで切り札になり得る、単純にして恐るべき組み合わせだ。
しかしそれは二つを完全に並立させることが出来て初めて真価を発揮する。<剣王>ならば並立を完全にやってのけた。けれども聡司には出来ない。一つ一つの効力が大きく低下してしまう。片方だけを使うのに比べて、必ずしも有用であるとは言えない。
このような理由から並列行使が採られることはほとんどない。切り替えてゆくのが基本だ。創成法について聡司が知らなくともこの基本は同じであろうし、光の膜が発生したときには盾の輝きが薄まり、刺突の際には防護膜が消えていたことには気づいていた。
それぞれが刹那を切り取ったような出来事だというのに、圭はすべてを捉え、行動を組み立て鮮やかに実行したのである。
ああ、だが。
「負けられん……!」
聡司にとっての四辻圭は、筆頭騎士である以上に新島猛と肩を並べて戦っていた男である。その実力に対する羨み、立ち位置への対抗心が思いの八割を占める。
互いに忙しい立場であることもあり、こうやって剣を交えることも稀だったが、今更ながら手が震えてきた。
口の両端が大きく吊り上がる。
怯懦はない。武者震いだ。フランベルジュの柄を強く握ればすべて止まった。
そして一度緩め、肩に担ぐ。
思うのは猛のことだ。先代ならどう料理しただろうか、あの防御をどう破るのか、と。
じり、じり、足裏を摺りながら左斜めに身を進める。
圭の防御の要はやはり盾、クラウンアームズ『サンクチュアリ』だ。光の盾ではこちらの攻撃を緩めることしかできない。
直径40センチメートルほどの『サンクチュアリ』は左の前腕に固定した状態で使用されている。となれば対応範囲も手盾のようにはいかないだろう。例えば右半身、あるいは足元への攻撃は無理をしなければ防げないはずだ。
しかしだからと言って安易にそこを狙うことは躊躇われた。圭自身がそのことに気づいていないなどということはありえない。自ら罠に飛び込むことになる可能性が高い。
ならばどうするか。
浮かぼうとした迷いは捨てた。
飛び込むことにした。
前傾姿勢からの『疾風迅雷』で仕掛けるところまでは同じ、ただし圭の目前で身を落としてスライディングに切り替えたのだ。
圭がどう動くか、引き延ばされた時間の中で聡司は観察する。どう対応されたとしても、最悪でも足を絡めて転がしてしまえばいい。長く重い武器を持った敵の前で転倒状態になることがどれほど危険なのかは路上の喧嘩で嫌というほど知っていた。
果たして圭は軽く後ろへ跳んだ。予見していたかのように自然な動きだった。
先ほどのように直感が危機を喚いた。
周囲が金色に染まる。身を起こす暇などなかった。
地面から吹き出すようにして現れた幾十もの黄金の杭が聡司の両脚を貫いていた。
頭の中が真っ赤に焼ける。
「…………っ!?」
漏れかけた苦鳴を喉の奥に堪え、ずたずたになった両脚を復元しつつ体勢を整える。
圭は剣と盾を構えたまま静かに告げた。
「騎士派三方武芸射法三式『逆氷柱』……足から地面に力を叩き込んで、杭を遠隔形成する技だ。発生しているのは本当に一瞬だから速過ぎる相手にはタイミングが合わないことがあるし、白兵戦の真っ最中には使うだけの時間が取れないことが多いんだけど……足狙いへのカウンターにはちょうどいい」
「……待て」
違和感があった。
『疾風迅雷』にせよ『大鬼蓮』にせよ『流星』にせよ、遠隔攻撃などに用いる潜在出力を肉体的な戦闘能力の補助とする技である。あくまでも肉体が主であり、特に流星などは高い白兵戦能力がなければ指の掛けどころすら分からない。
しかしだ。
「……今の『逆氷柱』、それどころか『千目』もよく考えれば砲撃方の技にしか見えんが」
「『逆氷柱』はそう言ってもいいかもね。元々遠隔攻撃を得意とする<魔人>が近づかれたとき身を守るために作られた技だし、必要な要素も砲撃方なら満たしやすい。けど『千目』はそうじゃないな。あれはエリスのやつとはちょっと違って……自分自身の防御能力の高さを盾という概念として発生させてるとでも言うのかな、だからある程度の接近戦能力がないと出すことすらできない。潜在出力も利いてはくるんだけどね」
圭はそこで少し笑った。
「俺の『千目』は猛さんの七割って言ったろ? それが証拠だ」
「……なるほど」
事実を口にしていることが前提にはなるが、少なくともそこだけは納得できた。
新島猛の潜在出力は並の騎士派<魔人>と大差なかった。一方で圭は砲撃方筆頭である徹に迫る出力を有している。それだけの差があっても圭が猛の七割にしかならないということは『千目』が肉体的戦闘能力に大きく依存することの証左である。
だが、全体的な違和感は拭えない。
その理由は圭の口から語られた。
「騎士派三方武芸は白兵方のためのものだったはず……そんなところかな?」
聡司は行動に肯定を出さなかったものの、まさにそれこそが惑いの主体に違いなかった。
とはいえ少し考えるだけで答えは出せるのだ。今はその答えを他者の口から聞いて確信したかった。
そして圭は口にした。
「騎士派三方武芸は本来騎士派すべてのために作られた。だから白疾砲三方なんだ。ただ、猛さんが遠隔攻撃を苦手としていたことと白兵方筆頭だったことから、まずは白兵方に伝えられて、移籍のせいでそれ以上広げられなかった」
どよめきが広がった。周囲で推移を見守っていた騎士たちが互いに顔を見合わせる。
圭も、聡司にというよりは皆に向かって更に続けた。
「騎士派は得手不得手程度はあっても突出した圧倒的な要素をほとんど持たない。よくそう言われるけど、騎士派三方武芸は三つの素養すべてを必要とする。どれが欠けても成り立たない。騎士派だからこそ全員が使いうる技術だ。猛さんは俺たちにこれを遺してくれた」
どよめきが大きくなる。
<王者>に散々苦渋を舐めさせられたことで失われた士気、<剣王>死亡の報によって蔓延した絶望感、そこに一筋の光が灯される。
「俯くな、泣き言を吐くな。<剣王>に恥じることない騎士であれ!」
圭は凶貌とうらはらに温和な少年である。しかし今放った激は確かに騎士派を背負う力と重さを有していた。たったこれだけの言葉で皆の顔に精気が満ちてゆくのだ。
聡司もまた、胸打たれるものはあった。
四辻圭は強い男だ。理屈も何も捨て去って、真っ白な心が素直にそう思う。
自分にはまだ何かが足りない。胸の内の不快を消し去るには、あとひとつ何かが見出せていない。
だから剣を構える。
「勝負はまだ終わってないぜ」
「もちろんだ」
圭は驚きもしなかった。
驚かなかったことに聡司も驚かなかった。圭は決して、技術で喋らない。人を操りたいとは思っていない。そのことを知っているからだ。むしろここで剣を引いたら先ほどのように拍子抜けした顔を見せたことだろう。
全力で踏み出した。
三度目の『疾風迅雷』だ。
叩きつける。
相も変わらず圭は的確に剣閃と火炎を防いでゆくが、気にすることなく嵐の如く攻め立てる。
考えない。衝動と肉体に任せる。
『サンクチュアリ』を用いた打撃によって弾き飛ばされ、しかし土煙を立てて両足と左手で支え、また即座に飛び出す。
身体の奥で拍動がある。全身を仄かな輝きが覆う。聡司の戦格の片割れである<バーサーカー>の持つ異能が発現しているのだ。
肉体の強度を下げ、その分の力を破壊に上乗せする。攻めて、攻めて、攻めて、攻めて攻めて攻めて攻めて攻め切る。
思い出していた。取り戻していた。自分はただのチンピラだったではないか。訳も分からず溢れる力を振り回すだけの存在だったではないか。
かつて、この暴力を新島猛の武力が下した。だが自分の原点はやはり今もここにある。
読まれることなど気にしない。読みごと叩き潰さんとする。
そして騎士派として過ごした時間も聡司を裏切らない。
圭が後ろへと地を蹴るとともにその足元から飛び出した『逆氷柱』、今度は感知してから剣でもって粉砕していた。
二度目だから、というだけではない。先ほどのように発動と貫通が同時になってしまうような体勢でもない限り、身体に任せてさえ対処できない攻撃ではない。そう言えるだけの力が今の自分には培われていた。
感覚が研ぎ澄まされている。この世にあるものは自分と世界の二つだけであるかのように感じられた。
懐かしい。
鼻の奥で血と闘争の臭いがする。善も悪もない、理想も理屈もない、純化された何かが胸にあった。
剣が届かない。足りないものは何か。速度だ。もっと突進の速さが欲しい。ならば『疾風迅雷』だ。
ぶれる。巧く踏み込み切れない。もっと足元が確かであって欲しい。ならば『大鬼蓮』だ。
こちらの剣先よりも向こうの盾の移動が早い。読まれている。しかし拍子を外し切ってやれば掻い潜って届かせることは可能なはずだ。ならば『流星』。
ああ、と聡司は悟った。
便利だからやるのだ。騎士派三方武芸は自分自身のための補助に過ぎない。<魔人>でなければ出来ないというだけの、あくまでもちょっとした技術に過ぎない。
一つ一つに拘らない。ちょうどいい技を使えるからそれを利用して戦いを作る、その程度でいい。圭と自分との差がそこにあるのだ。
そしてその差は今、埋まる。
脇構えに飛び込み、斜め上方へと伸び上がる動きとともに『疾風迅雷』、切り替え、斬撃に『流星』。
二連の加速は確かに意表を突いた。それでなお圭は受けてのけた。斬撃の威を盾で防ぎ、その勢いとともに後方へと跳躍したのだ。
置き土産は、聡司の足元から伸び上がる光の杭。
しかし得意とする三種について聡司は確かに圭の域にまで辿り着いていた。一瞬しか存在していない杭の側面に『大鬼蓮』を形成、足場として圭を追った。
大気が唸る。聡司は笑っていた。
今度は剣戟の交わる響き三つ。飛び離れて10メートルの距離を向かい合う。
仕掛ければ仕掛けるほどに、今まで自分が四辻圭という男をどれほど過小評価していたのか思い知ってゆく。
もしも圭がただ勝とうとしていたならばもう勝負はついていただろう。筆頭騎士は央ノ要の頂点、この接近戦闘能力と同レベルの遠隔戦闘能力も有する。遠間から削り、飛び込んだところを打ち落とす、そういった手段も取れるのだ。
だから超えるためにはまだ足りない。更に純化し、高みへと上らなければならない。新島猛のように。
そう思った瞬間、透き通っていた心に色がついた。
赤。鮮やかに色合いを移り変わらせながら揺らめく赤。それは炎。手の内の『ヴァルカンブレス』と似て非なる。
足先から頭頂まで、塗り替えられるような、焼き尽くされるような熱が走った。
力が湧いてくる。言葉が湧き上がって来る。
聡司は刃を逆手に持ち替え、地に突き立てた。
「“予言された破滅が来る”」
これを抜き放てば何が起こるのか、既に分かっていた。
そして理解したのは圭も同じだった。
「退避しろ!!」
大音声。訓練や荒事で肝の据わっているはずの騎士派の面々が身体をびくつかせるほどのものだ。
「命令だ、全力で館に逃げ込め! 閉鎖領域が形成された時点で逃げられなくなるぞ!」
この少年が『命令』と口にするのを、ほとんどの者が初めて耳にした。そのことがどれほどの異常事態、緊急事態であるのかを覚らせるのに充分だった。
しかし、と言いかけた者もあったが、いつの間に来ていたのか徹が捕まえて引きずってゆく。
残るは圭と聡司の二人だけだ。
「……聡司、その技は……」
声をかけるも聡司は応えない。極度の集中状態にあるのだろう。双眸は目の前の圭すら見ることなく透き通っている。
圭が動けば聡司も動くだろう。
そして発動するのは<黒王>。新島猛の凌駕解放だ。
その者にとっての強さの形であるそれが、二人の別々の<魔人>の間で同一になることが本当にありえるのかどうかは分からない。
しかし先ほどの言葉と動き、何より聡司自身から発せられる灼熱を思わせる気配が楽観視を許さない。
圭は<黒王>のことをよく知っている。ここでもし発動させたならば、殺すしかなくなることも理解している。
<黒王>は三段階よりなる。半径30メートルほどを閉鎖領域とし、火炎が暴れまわる第一段階。炎を剣に収束させ、敵一人を滅ぼす第二段階、そして閉鎖領域を解いて広範囲を焼き尽くす第三段階。いずれも強力には違いないが、最も問題となるのは第三段階だ。
かつて絶海の孤島に、選民思想に囚われた<魔人>が集ったことがある。そこを拠点として一度軍団を作り上げ、それから日本全土に対して侵攻を開始、夜を我が物としようとしたのだ。
しかしそれは<竪琴>の策だった。危険分子を一箇所に固めてしまうため、そうなるように誘導した。密かに六派すべてが協力し、最終的には鳥船派の本拠<天鳥船>を回航して一人の<魔人>を降下させ殲滅した。
その<魔人>が新島猛だ。倒すべき敵以外に誰も存在しないならば、彼ほど向いた者はなかったのである。
猛自身の申告によれば<黒王>の三段階目の効果範囲は半径5キロメートル、高さ1000メートルの円柱状。その中を術者だけには被害を及ぼさない火炎が瞬時に満たすのだ。最速の<魔人>であろうとも逃れられはしない。
無論のこと個々に対する威力は一段階目にも劣るものの、そもそも強力な敵はそれまでの段階で屠っておくのが前提だ。そして九割以上の<魔人>はこの第三段階に耐えられない。
猛は<黒王>を各段階で止めることができた。最後まで行使したのは後にも先にもあの一度だけである。
聡司の力量は猛に及ばない。<黒王>も猛のものほどではないだろう。それでも炎は最終的にこの<空中庭園>を覆い尽くすであろうし、騎士たちとて生き残れるのは三分の一もいないだろう。
そんなことをさせるわけにはいかない。使うというならば、第三段階に至る前に強制的に止める必要がある。
聡司は動かない。
何かを思案しているわけではない。無我にも近い静謐の中、己を問うているのだ。何を望み、強さとは何かを見出そうとしているのだ。
思考はときに事実を曇らせる。だから一時的に捨てられるものを全て捨て去り、素直に感じ取っているのである。
極点である凌駕解放への至り方は千差万別だ。徹のようにいつの間にかできるようになっていた者もあれば、願いを潰された慟哭によって目覚める者もいる。
聡司は奇しくも圭に似ていた。だから圭は待っている。
犠牲者は最小限しか出さない。筆頭騎士の名と責において、最悪でも一人だけに止める。
鼓動だけが響く。
まだ、動かない。
偽りの太陽がじりじりと移動してゆく。
そして、前触れもなく聡司の指が動いた。
人差し指から順に、柄を離してゆく。開いた手から『ヴァルカンブレス』が倒れ、消えた。
「…………俺は先代じゃない」
ぼさぼさの前髪の奥に視線を隠し、ぼそりと言う。
「<黒王>は俺を先代の出来損ないにするだけだ。それにあんなのここで使ったらただのアホだろ」
そこで大きく溜息、前髪をかき上げると自棄のように口元を笑みの形に歪ませた。
「お前の勝ちだよ、圭」
口調は晴れ晴れとしている。
怒りは決して消えたわけではないのだろうが、胸の奥に収めたのか。
「俺は見てただけで何もしてない気がするけど?」
「その気になればお前は俺を殺せただろう。実力的にも、精神的にも。だから見ていた」
「……とるべき責任はとるさ」
圭もクラウンアームズを消す。
聡司の言うとおりだった。もし<黒王>を発動させるなら、一段階目と二段階目の境で命を奪うつもりでいた。どこに隙があるのかは知っているし、本来の遣い手ではない聡司にならば対処させなどしない。
誰も傷つけたくはないという思いが本物であっても、四辻圭は為すべきことをやれない男ではないのだ。
「なあ聡司」
「んだよ」
「これからエリスにも報告するんだけど、色々見えてきたことがある」
にやりとすれば、優しい男がなんとも凶悪な笑顔になる。
「巻き返すよ」
「筆頭騎士のお手並み拝見だ」
二人並んで歩き出した。
異変は起こらないまま片付いたのだと察したのか、言われたとおりに避難していた騎士たちが幾人か様子を確認しに出て来始めていた。遠くで幾つもの声が交わされる。
圭の帰還によって騎士派は久々に本来の力を発揮できるようになった。慌しく人が動き、一つの大きな流れになってゆく。
少しだけ、聡司の歩みが遅れた。
蒼を見上げ、震える声で呟く。
「……先代とまたこんな風にやり合いたかったなあ……」
偽りだというのにどこまでも高い高い、果てのない空だった。