<闘争牙城>にそれが現れたのは春先の、妙に肌寒い日のことだった。
当たり前のように『決闘』を望んだ。
当初、受ける理由を持つ者はなかった。<闘争牙城>に集まるのはほぼすべてが誰かから何かを奪い取ろうという欲深い者たちである。襤褸を纏うそれから得られる富などありそうには思えなかった。
しかし目敏い者が気づいたのだ。襤褸に絡まる、蒼褪めた宝玉二つ。それは格の高いクラウンアームズではないのかと。
クラウンアームズとは<魔人>個人に帰属する、要は専用武装である。他の<魔人>には扱えないし、主が呼べば戻ってくる。再生すらする。しかし賭けることができないわけではないのだ。
賭けに勝てば、そのクラウンアームズに相応しい財宝を<天睨>のイシュが与えてくれる。そして敗者は同じだけの価値を何らかの形で奪い取られる。幾度かの前例ではほぼ命が対価となった。
そして破滅的な賭けの高揚に酔う<魔人>が一人いた。
双方の要求するものは別々ながらも釣り合い、『決闘』は成立した。
勝敗は一瞬で決まった。
襤褸の姿が敵手を斬り殺していた。
『おい、のち……ちょうだ、い……』
ひ、ひ、ひ、と笑ったのは果たして冗談のつもりだったのか。
襤褸が一体何をその『決闘』で得たのか知る者は、当人を除けばおそらくイシュだけだった。
次に、それを暴こうとする者が現れた。クラウンアームズと釣り合うならば素晴らしいに違いないと、欲望に突き動かされて。
前回の『決闘』で得たものを賭けろと持ちかけた彼に、襤褸は告げたのだ。
お命頂戴、と。
それで『決闘』が成立してしまった。クラウンアームズと等価交換が成り立つのは命である。確かに道理だった。
しかも己の手で斬り殺すのだ。もはやそれは、殺すという宣言にしかなっていない。
無茶苦茶だった。通常、『決闘』では殺すまではいかない。死ぬよりはましと途中で敗北を認める。しかし対価が命であるということは白旗は許されず、そもそも二戦目も降伏の暇すら与えられなかった。
やはり斬撃一閃で終わっていた。
以降、挑んだ者はない。命を賭けることを要求されるのも一因ではあるが、何より襤褸は強すぎた。殺された二人も、最高峰ではないにせよ自分の力に確かな自信を持てる階梯にはあったのだ。それを一刀である。
<銃林弾雨>も<夜魔>も無視をした。<王者>はそもそもあらゆる挑戦を一方的に受ける側だ。
襤褸もそれ以上敵を求めはしなかった。何を思って<闘争牙城>に来たのかは誰にも分からなかった。何かが欲しいとは見えない。人を斬りたいだけならば外でいくらでも斬ればいい。
だというのに、ただ<闘争牙城>にいた。
襤褸にはあだ名がついた。<竪琴>剣豪派には極めて優れた剣士を名刀の名で呼ぶ慣習がある。それを真似したのだ。
<妖刀>。
おそらくは創作であろう逸話に基づくならば、触れるもの全てを切り裂く名である。
「<妖刀>! 彼は私の獲物よ!?」
<夜魔>の叫びが三方の山に木霊する。
しかし<妖刀>は振り返ることもなかった。
「そど、ますた……ひひ、まじん、なるま、えから……ぶじゅつか、よぅ……おぉまえのぅ、かなうあい、てかよ……りぃりぃすぅぅぅぅう」
先約は<妖刀>だったはずだが、そのことには触れない。
気遣いなどではない。<夜魔>では勝てるはずがないのだと、獲物を横取りされる心配などないのだと、怒りも嘲りもなくただそう告げているのである。
「にげ、ておけぃ……こぉや、つぅ……おれとぅ、たたかぁうふりして、ひ、ひひ……おまえをこ、ころすぅぞ」
<夜魔>は迷った。これは千載一隅のチャンスなのだ。強さと有能さ、見目。三つともを備えた男など、ここを逃せば次の機会などあるかどうか。
しかし背に腹は替えられなかった。さすがに理解できてしまっていた。<剣王>は手に余る。たとえ一日千秋に待ち望んでいた相手だとしても計算を誤るほど愚かな女ではなかったのだ。
<妖刀>の口にした通り、僅かな隙があれば自分を狙うだろう。幸い、危ういところだったがまだ敗北の判定とはなっていない。ここは一旦退いて、極限まで削ってから再び対峙するしかない。
「<夜魔>!」
「触るな!」
心配そうに駆け寄ってきた少年を突き飛ばし、宿舎の中へ逃げ込んだ。
彼女の陰に消え行く様を視界に映しながらも、猛は動くわけにいかなかった。
黒刃を肩に担ぐのではなく、正眼に構える。
猛は物心ついた頃には既に刃を握っていた。古より続く円鏡流なる流派の継嗣として生まれ、育てられたのだ。
円鏡流は一般社会に対しては無名である。というのも、広く門戸を開く流派ではなく、事実上の一子相伝だったからだ。
特徴としては様々なものを節操なく取り込み続けてきたことがある。火薬が現れたならそれを取り入れた。銃が対人戦闘においても強力な武器となり始めたら、それも取り入れた。かつて糸や紐を使っていた罠、捕縛術は現在金属製のワイヤーによるものとなっている。
円鏡流は長く続いているが、古流という印象を抱く者はあるまい。常に変化を続けながら時代時代の実用に生き続けているのだ。時に卑劣と言われながらも、後ろ暗い人間にとっての福音であり続け、脅威であり続けている。
猛はその後継者であり、人であった頃から表には出せぬ壊し潰しを幾度となく行ってきた。
そうして培われた勘、眼力が<妖刀>を飛び抜けた脅威として認識していた。
直前まで接近に気づけなかった。今こうして対峙していてさえ気配がない。音がない、臭いがない、熱すら感じない。目には映ること、存在はしているのだと感性は告げること、その二つだけが全てだった。まさしく亡霊だ。
そして振るう剣は、円鏡流が近現代への適応の過程で失ってしまった類のものである。玄妙の果てを求め求めて至った、魔性の一閃である。
なるほど、それは人が用いたところで機関銃には勝てまい。一帯を焼き尽くす爆撃には無力であろう。しかし此処で振るうのはただでさえ理不尽を行う<魔人>である。
この男の刃は<呑み込むもの>と方向性を同じくする武力であるのだと、猛の思考は弾き出した。
ゆらりと<妖刀>が上段に構える。
それだけで幻影の刃が、反応も許さぬうちに右肩を斬ったように錯覚した。あるいは頭蓋から股間まで何の抵抗もなく切り裂いたように感じられた。
そうする可能性を<妖刀>が吟味し、猛が感知したのだ。
異能めいた所業であるが、何らおかしなことではない。それほどに研ぎ澄まされ、純化された殺意だった。
このまま付き合うのは下策だと、対峙だけで猛は判断を下した。<剣王>という異名は自ら名づけたものではない。騎士派において正面から切り結ぶだけでも誰も勝てなかったという事実を反映しただけの名だ。欺瞞に便利であるためそのまま放ってあるが、猛の本領は剣も含んだ総合戦闘能力にある。
<妖刀>は間違いなく、『疾風迅雷』と『知朱』を見ている。今更同じ技で不意を突くことはかなうまい。騎士派三方武芸の全てでもって相対する必要がある。
思考に意識を割いていたのは、本当に瞬きの間のことだったろう。それを外部に覚らせぬ技術も習得していた。
だというのに、既に<妖刀>が目の前にいた。
速度によるものではない。手放した刹那を盗られたのだ。
自らほのかな輝きを放つ刀、クラウンアームズであろうそれが唐竹に走る。
早すぎる。
動き始めるのが早すぎる。頭部にまで到達するのが早すぎる。あまりにも当然のものとして為され過ぎている。
それは気の遠くなるほどの工夫と繰り返しの果て、行くつくところにまで至った剣だった。
ただの唐竹割りが、かわすことを許さない。
しかし猛は<剣王>だった。許されぬはずの回避を不完全ながらも行ってのけたのだ。
身を左へ寄せるとともに、<妖刀>の刃へ斜めに沿わせるように生み出されたのは金色の盾。騎士派三方武芸創成法一式『千目』である。
元々はエリシエルの創成した光の盾を参考に作り上げた、創成法の基本にして最も安定する形。創成法自体が高難度であるため聡司にすら教えられなかったものだ。
出力の差なのか強度は本家に劣るが、代わりに猛にはエリシエルを大きく上回る技の冴えがある。刃へ斜めに押し当てることで受け流すのだ。
だというのに刃は容易く光を切り裂いた。通じなかったわけではない。ほんの少しだけ遅らせることができた。その時間が猛を無事に逃してくれた。
だが危機は終わらない。一歩と手首の返しひとつで<妖刀>は薙ぎを放ってきた。
猛の体勢は崩れたままだ。このままでは腹を抉られる。
ただの強敵であったなら、その程度は許容しただろう。<魔人>は人とは異なる。猛であれば致命的とはならない。その隙にこちらの攻撃を叩き込んで痛み分けにする手もある。
しかし先ほどの<妖刀>の斬撃、まるで世界を裂いたようにすら錯覚したあれで斬られたならば果たしてどうなるだろうか。
人であった頃に染みこんだ動きが自動的に猛を動かした。
刃で受けるのは間に合わない。柄で受ける。右手を外し、替わりに剣の腹に添えた。同時に、敵刃から遠ざかるように跳ぶ。
<妖刀>の斬撃はやはり早すぎる。足を浮かした時点で既に到達していた。
それでも猛の意図は遂げられた。クラウンアームズ『スルトクラヴィキュラ』は柄でも斬撃を受け止めてみせた。その勢いに乗り、猛は大きく距離をとる。
<妖刀>もするすると奇術じみた不可解さで即座に迫るが、欲しかった時間は充分に得られた。
猛の周囲に輝く三本の剣が生み出され、次いで背中から異様に細長い光腕が四本突き出した。三本は光剣を握り、最後の一本は本来の右手と合わせて黒刃を両手持ちとする。そして空いた左手には光糸が煌く。
剣を生み出す二式『一目』
腕を生み出す三式『宛月』
糸を生み出す五式『知朱』
これら創成法三種を複合した『阿修羅』
円鏡流は時代を常に取り入れてきた。だから猛は<魔人>であることも取り入れた。筆頭騎士四辻圭の協力によって作り上げた騎士派三方武芸こそは猛の新たな力であり、『阿修羅』は奥の手の一つだ。
無論、腕の数を増やしたからといって強くなるわけではない。思い通りに動かせなければ邪魔になるのが関の山、荷物が増えたに等しい。
ならば修練すればいいのだ。本来の腕と同様、あるいはそれ以上にまで扱えるように。武の家に生まれた猛にとって自明の理だった。
追いつかれる前に『疾風迅雷』によって強引に切り返す。
追っているつもりであるはずの<妖刀>の間を外せはしまいかと思ったのだが、通じなかったようだ。振るわれる剣閃に惑いなど欠片もなかった。
目にも映らぬ一閃に対し、黒刃一つと光刃三つ。四剣の軌道をちぐはぐにして迎え撃つ。
<妖刀>の刃は猛に届かない。替わりに光剣光腕二組が虚空に溶けた。
そして失われたものはまた創ればいい。再び四剣でもって、今度は猛が攻勢に出る。
袈裟、逆袈裟、左右の切上げ。操法一式『流星』を併用して途中から剣速を跳ね上げた刺突。苛烈な攻撃を<妖刀>はいなしてゆく。とは言っても無傷ではない。枯れ木のような肉体を幾度か抉っている。余裕があるのか否かは、その死体めいた風貌からは判らない。
<妖刀>も防戦一方ではない。刃を閃かせれば光剣光腕が一組は確実に消える。かすめる程度であれば猛の身体にも触れている。
多様な攻撃法を有する猛は、特に間合いの掌握に長ける。にもかかわらず、純粋な見切りによる間の奪い合いは二分八分で<妖刀>に獲られていた。
村正の伝承に曰く、流れに突き立てられたその刃へと木の葉が吸い寄せられては二つにされていったという。逸話どおり、こちらから刃に近づきに行っている気すらした。未だまともに受けていないのは、四剣による掌握領域の厚みが城壁となっているからに他ならない。
そして息もつかせぬ攻防の中、猛は異常に気づかざるをえなかった。左耳を飾るクラウンアームズ『ユミルネイル』の発生させる緩衝領域がはたらいていないのではないかと疑いたくなるほどに、刃が軽々と通ってくる。そしてかすり傷を負うたびに腕一本を切り落とされたかのような冷たさが全身に満ちてゆくのだ。やはり先ほどの腹への薙ぎ、むざむざ受けていたならそれで勝負はついていたかもしれない。
それでも有利は猛にあった。
日本刀は攻撃を正面から受けるようにはできていない。横から力を加えて逸らすならともかく、受け止めなどしたら曲がってしまう可能性がある。だから日本で発達した剣術も避けること、流すことを基本としている。
しかし円鏡流はそうではない。古来よりの刀法を扱うと同時に頑丈で無骨な剣によって受け止めるすべも身に着けているのだ。
クラウンアームズは極めて強固であるが、防具型のものならば部分的に貫けないわけでもない。しかし武器型のものは違う。<魔人>の力で破壊されるなどありえないと言われている。
<妖刀>の斬撃は脅威であるものの、『スルトクラヴィキュラ』ならば何の問題もなく受け止めてくれていた。受けるのは避けるよりも易い。攻撃ならば光剣でもできる。彼我の負う傷に差があるのはそのおかげだ。
と、不意に<妖刀>が後ろへ下がった。
本意か、虚構か、迷う暇はなかった。猛は遠隔攻撃をほとんど行えない。一定以上の距離を与えたくはなかった。糸を繰る。
<妖刀>はかわさなかった。糸はそのまま絡みつき、何の動きもないのに断ち切られていた。
そして止まった。彼我の距離は、歩行でおよそ十五歩。
「いま、だいぃいたら、ずとも……わが、み、やいばには、ひひ……いたりぃたりぃ……」
ひ、ひ、ひ、と枯れ木が笑った。
「そど、そぉど……ますた……おま、えは……おれのぅの、のぞ、みを……かなえ、かなえ、てぇくれるのか……」
聞き取りづらいが何を言ったのかは分かる。
己の望みを叶えてくれるのかと、こちらに問うたというよりは自問が近いだろうか。
だから尋ねた。
「お前の望みは何だ?」
「おぉれは……」
死体のような風貌の中で唯一爛々と輝く目玉がぎょろりと、こぼれ落ちんばかりに剥かれた。
「……おれはただ一筋の斬撃になりたい」
今までが嘘であったかの如き滑らかな口調で、願いは口にされた。
「刹那の斬撃となり、消え果てたい」
それは狂気なのだろうか。
猛にも分からぬ願いではなかった。絶対の一撃は武を志す者の理想である。そして磨けば磨くほどに、そんなものはないのだと、状況ごとに適した技があるだけなのだと、思い知ることになる。
叶うことなき夢なのだ。
「なるほどな」
武を求める者には、二つの傾向がある。何らかの目的のために強く在る必要がある者と、強くなること自体が目的である者だ。完全に分けられるものではなく、前者にある程度の後者が含まれる形が多い。
円鏡流も猛自身も前者に偏重している。倶に立つ相棒であるからには愛着はあっても、あくまで武は生業であり、手段なのである。
しかし<妖刀>は徹底した後者だ。<横笛>についたこと自体が、自らを高めるにはその方がいいと判断したからだろう。
「自分を極点に押し上げるための敵が欲しいのか」
ただの技比べはおろか、殺すつもりの真剣勝負もきっと温いのだ。絶望的な敵とやり合い、全てを捨ててただ一つを掴み取りたいのだ。ならば<竪琴>に敵対するのは正しい選択だと言うほかない。
この戦いを回避するのは不可能だ。叶うにせよ叶わぬにせよ<妖刀>は自分を斬るだけである。斬れなかったならばそれで終わり、叶ったならばそれも終わり、斬れた上で叶わなかったならば次へ行くだけなのである。
「いいだろう。俺も一切の出し惜しみはなしだ」
猛もここで<夜魔>を始末しなければならない。立ち塞がるならば、どれほどの強敵であろうとも排除するしかない。
不思議と高揚している自分に気づいた。武がただの破壊の手段であったとしても、強さへの純粋な渇望は猛にも残っていた。
全力を出した<妖刀>の力、その種類を予想することは容易い。たった一つの望みをあれほど渇望するのだ。まず間違いなく万物を斬る。
『阿修羅』では勝てない。何もかもをまとめて切り捨てられて、終わりだ。
光腕、光剣、光糸が消え、『スルトクラヴィキュラ』が赤熱した。
「逃げろ。死ぬぞ」
朗々と響く言葉は、呆然と成り行きを眺めていた少年たちへ向けたものだ。
「<剣王>と<妖刀>の全力だ。巻き添えになりたいか。<夜魔>も無駄死にをよしとはしないだろう」
蜘蛛の子を散らすように少年たちが、建物に、山に消えてゆく。
残るは猛と<妖刀>、ただ二人。
<妖刀>は上段、切っ先をやや右に傾けて在った。
対して猛は『スルトクラヴィキュラ』を一旦アスファルトに突き立て、すぐに右の脇構えへと移行した。
「“予言された破滅が来る”」
引き抜く動きを追って、穴から紅蓮が姿を見せた。
それは刃のみならず猛にまで纏わりつく。
「“逃れえぬ終わりが来る”」
紅蓮が縦横無尽に走る。
くたびれ果てた樹が舐められ、瞬時に炭と化した。
「“冬が終わる”」
次々と火柱が上がる。
それは生きているかのように弧を描き、また地に潜り込んでは顔を出す。
「“世界とともに終わる”」
炙られた窓ガラスが溶けた。
見ていたのであろう少年が悲鳴を上げて逃げ惑う。
「“巨人は炎の国より来たりてすべてを灰燼と化す”」
さながら灼熱地獄だ。
否、これはひとつの神話の終わりである。
「“いと黒きもの、此処に在り”」
伝承は、北欧へ。
「<黒王>」
猛がその場で刃を振るうとともに、一帯すべてが燃え上がった。
スルトとは、北欧神話において炎の巨人たちの住むムスペルヘイムの門を守る巨人だ。
炎を纏い、神々の黄昏の最後まで生き延びてすべてを灰と沈める。世界樹すらも焼け落ちて、そこで世界は一度終わりを迎えるのだ。
炎とは破壊の最たる具現である。
ゆえに、これは単純に破壊と終焉をもたらす。何もかもを焼き尽くし、死を無とする。
逃亡は無意味だ。世界全てが焼け落ちた因果を逆回しに、炎の届く範囲が一時的に切り離された閉鎖領域となり、閉じ込める。
<妖刀>が松明のように燃え上がった。
端山武神流と名乗る流派がある。
剣の心得などまったくない男が妄想に冒されて信じ込んだ我流である。
その教えは滑稽だ。
構える。全力で斬る。相手は反応もできずに死ぬ。
ありとあらゆる技がそんな調子で、理も何もあったものではない。
だが男は剣を振り続けた。嘲られても打ち倒されても、一切揺らがない。
振り続けるうちに力が抜けてゆく。なかったはずの理がわずかに生じた。
その息子も同じだった。ひたすらに剣を振り続けた。そしてまた理が宿った。
そして更にその息子。彼には尋常ならざる剣才があった。やはり夢物語ではあっても、もはや妄想とは呼べなかった。
妄想なくして、求める心は父も祖父も超えていた。
「ひひ、ひひひひ……」
炎の中で<妖刀>が笑う。
焼かれながら、笑うのだ。
上段の構えに一分の乱れもない。
「ま、だか……? けぇむた、いぞ」
問いの意味は猛には分かる。赤刃を右肩に担げば、周辺を焼き尽くしていた炎が一瞬にしてそこに収束し、刃が再び火炎を吹き上げる黒へと戻る。
今までの火炎は第一段階に過ぎない。対単体における<黒王>の本領は極限まで高めた灼熱にある。終焉の炎がいかなる刃をも凌駕する。
予備動作はない。『疾風迅雷』による一歩目からの最高速、『流星』による剣速上昇。それをこの閉鎖領域で。
真なる<黒王>の一閃が放たれた。
まったく同時に<妖刀>も動いていた。ただ全力で、望みのまま、感性のままに斬る。
交錯。
閃き。
一拍の沈黙。
<妖刀>が先に倍する炎に包まれた。
紅蓮の中から、唸るような言葉が脳髄まで響いた。
「……みぃかん、ふつぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅしッ! 端山武神流『剣気金剛法・斬泰山』ッ!!」
勝利宣言である。
万象を焼き尽くすはずの炎が真っ二つに割れた。不死を殺し、死を無となすはずの紅蓮が吹き散らされる。
すべてを焼却する火炎と万物を切り裂く斬撃。絶対と絶対、矛盾する二つは故事の結末の指摘に従えば決着がつく。
すなわち、純粋に力の強い方が勝つのだ。
「……これは参ったな」
猛が溜息をついた。
視線の先で『スルトクラヴィキュラ』が砕けていた。先ほどの斬撃の前に、<魔人>には壊せぬはずの武器型さえも崩壊したのだ。
宿舎が燃えている。山でも、木々が紅蓮を星空へと捧げ始めた。一時の閉鎖領域が解け、延焼が始まった。
深夜とはいえ街はまだ眠り切ってはいない。遠くからでも炎は見える。
ここではかつて山火事が起こっている。名所を奪われた近隣の住民たちにとっては忌まわしい記憶だろう。おそらくすぐに通報され、消防車が来る。野次馬はもっと早いか。遅くとも朝までにはテレビ局や新聞社も顔を見せるはずだ。
まさかそのときインタビューに応えるわけにもゆくまい。<帝国>は何の準備をする暇もなく、この拠点を捨てなければならない。その後どう動くかを誘導することまではできないが、あとは控えている仲間たちがうまくやってくれるだろう。
心残りなど幾らでもある。しかし最低限の仕事は適った。短いながらも剣に生きた人生、剣で終わるのは当然のことだと受け入れる。
猛は右肩から左腰までを断たれ、その事実を胸に絶命した。
死した<魔人>の肉体は塵も残らない。分かたれた二つは煌く光となって立ち上り、虚空に消えた。
左右の炎に照らされ、残ったのは枯れ木にも似た、死体の如き姿ひとつ。
「くだ、くので、はない……斬らねば」
財団派最強を屠り、それでも<妖刀>は消えた光を追うように夜空を仰いで嘆息した。
「わが、ねが、い……いまだ、なら、ず……」