士郎は走った。
ただひたすらに、足の限界がきても。
走る理由があった。
士郎は自分の命が惜しい。心底に惜しい。
よく自殺しようとする犯人に、探偵が命を粗末にするな云々という説教をするシーンが多々あるが、士郎はそういう説教とは無縁だった。
誇り高き死よりも惨めな生を。
罪を償う自刎よりも監獄の生を選ぶ。
と、ここまで気取った文面でお送りしたが、つまり士郎はロリブルマが恐いから逃走中である。
「や、山手線だ! ロリブルマも山手線の駅までは追ってこないだおr、たぶん!」
原作Fate/stay nightでも昼間には戦っちゃ駄目というようなことを言っていた気がする。
今は普通に夜中だが、魔術師なら人目のある所で戦うのは避けるはずだ。というか避けてくれないと困る。
『お兄ちゃん、まだその……駆除、終わらないの? 眠くなってきちゃった』
携帯からロリブルマの退屈そうな声が聞こえてくる。
「あ、ああ……今現在、特大のGを相手にしていて……」
『そうなんだ、頑張って』
「にしても意外だなー、ロリブ……イリヤスフィールはGのことを知ってたのかー?」
『イリヤでいいよ。――――――――うん、実は冬木市にあるアインツベルンの城、十年間放置されてたんだけどね。そのせいか台所に大量の……』
「ご愁傷様」
師団規模のGが一斉に高速匍匐前進で進行してくる光景を想像した士郎は身震いした。
それにしてもスピーカーホンとは苦し紛れの戦術だったが、上手くいっている。
扉で遮られて声が上手く届かないというのもあるだろうが、アインツベルンの領地とやらで年がら年中ヒッキーしてたのなら、電子機器については疎いのかもしれない。
今のところ、イリヤは士郎がまだあの部屋にいると思ってくれていた。
(はぁはぁ……あと少し!)
山手線日暮里駅が見えてきた。
そして駅に近付くに従って一通りも多くなってくる。
夜でも駅前というのは帰宅してくるサラリーマンなどが結構いるものだ。
新橋なんて言うまでもない。
駅構内へと突撃すると、定期としても使用しているsuicaで改札を抜ける。
目指す先は『空の境界』の舞台。
途中までは定期の範囲内なので多少お得。
階段を駆け下りる。
上野・東京方面行の電車がもう来ていた。
士郎は三段抜かしで、そのまま山手線に飛び乗った。
『駆け込み乗車はご遠慮ください』
お馴染みのアナウンスがしたが、緊急時なので目を瞑って貰おう。
音がして、扉が閉まる。
山手線の電車はゆっかりと動いていった。
『…………お兄ちゃん、凄い音したけど、どうしたの?』
「!!!???」
(不味い。走ったせいでケータイがっ!)
士郎は別に頭が悪い訳ではない。
ただ一つの事に集中すると他が疎かになるという欠点があった。
直ぐにでもこの街から飛び出す事に意識が向きすぎて、電話越しのイリヤについて失念してしまっていたのだ。
あれだけ走って、おまけにアナウンスもして、それに駅構内特有のガヤガヤとした雰囲気。
イリヤが不振に思うのも仕方のないことだろう。
「いや、この音は……その」
携帯の向こうからガタっという音がする。
それからギギッという物音。
知っている。
これはまるで、アパートの扉を開ける時に鳴る、
『…………………お兄ちゃん、私に嘘を吐いたんだ』
「ひっ!」
ガタガタと震える。
他の乗車客から見れば不審に思うだろうが、そんな目が気にならない程士郎はビビっていた。
『私を騙して、お母様も裏切った切嗣と同じ』
「いいいい、いやいやいやいや、違う! これには山よりも深い事情が」
それを言うなら海よりも深い、である。
士郎は恐怖で頭がパニックになっていた。
『ふーん、他の害虫は始末する予定だけど、もし大人しくするなら士郎だけは見逃してあげようと思っていたけど、そういう態度に出るなら仕方ないわ』
(ど、どうする!? ああああああ! なんで俺がこんな目にっ! 俺が一体全体なにをしたっていうんだ! そりゃ夏休みの宿題を丸写ししたり、修学旅行に禁止されてるPSP持ってったりDSを持って来たりもしたが、基本的には普通の学生じゃないかっ! なんで聖杯戦争なんてデンジャラスな……じゃない! うぉおおおおおおお! やべぇ! 考えが纏まらない! どうしよう、イリヤを誤魔化す方法!)
士郎はあくまでヘタレの小市民。
どこかの新世界の神様みたいに女を口説き落とすテクも、どこかの諸葛先生みたく他人を論破する知恵などない。
よって頭を抱えながら、グラグラしていた。
椅子に座る70歳くらいのお婆さんが変な目で士郎を見たが、奇行は止まらない。
「違うんだよ、イリヤ! そ、その……切嗣と俺とは養子で」
『知ってる』
「さいですか。いや、そうじゃなくて……魔術のまの字も教わってたりなどしない人間でして、聖杯戦争なんてものは」
『魔術を知らない人間が聖杯戦争を知ってるなんて不思議ね』
「あ、それは……聖杯戦争については教わったというかー、なんといいますか……。そ、そう! 聖杯戦争だ、聖杯戦争についてだけは教わったんだよ! あと魔術も、存在だけね? ほ、ほんとそれだけで、魔術には一切関係ない一般人なので」
『私がそれを信じると思うの? 一度私に嘘を吐いたシロウの言う事なんて』
「こればっかりは事実だし」
『それにね。関係ないんだよお兄ちゃん。シロウが本当に魔術を知っていなかったとしても、切嗣を私から奪ったのはシロウなんだよ。それに令呪が宿ったならサーヴァントを呼ばないといけないの』
今更ながら選択ミスに後悔する。
あそこはただ逃げるのではなく、少しでも謝るなり土下座するなりしておけばよかった。
そうすれば、ここまでの事態は防げたかもしれないというのに。
だがしょうがない事でもある。
忘れてはならないが士郎はヘタレ小市民。
こんな異常事態を経験した事がある訳でもないし、特別度胸があるのでもない。
常に最善の選択肢なんてとれないし、目の前に恐怖があれば正常な思考が出来なくなるのは当たり前だ。
例え戦場に残るのが得策だとしても、ヘタレの士郎は戦場から一刻も早く逃げるという選択肢を選んでしまう。
『じゃあね、シロウ。今度会う時はちゃんとサーヴァントを呼んでおいてね』
「だから俺には召喚ができ」
『次 は 殺 す か ら』
ツーツー、と鳴る。
電話が切れたのだ。
もはや一刻の猶予もない。
早く伽藍の堂へ行って令呪を……いや、新たな問題が浮上した。
このままだと例え令呪を破棄してもイリヤは命を狙い続けるだろう。
どこか遠くへ、イリヤの手の届かない場所まで逃げるしかない。
そう……たとえば、海外とか。