序
『──俺の変わりにオマエが生きろ──』
まるで最果ての地に辿り着いたかの様な戦場でヤツは言った。
血肉と煤の臭いが混じる煤煙が立ち上る中で、もう後がないだろうと理解させるほどの怪我を負って──それでもなお諦めず、自分の思いを貫き通そうとする最強の敵。
対立する立場であってなお、自分を救おうとした愚か者──
『何故だ! 理解が出来ない。お前は何を求め、オレに何を与えようとしているんだ──』
幾度となく敵としてヤツと交錯し、相見える度に互いの力量を推し量る。それは志が違っていたとしても、共に研鑽する同門の徒の様な認識を少年に与えていた。
嫌いではないが好きでもない。心揺れ動く曖昧なバランスをもって成り立っていたヤツの印象を、少年が理解できない言葉で打ち崩した。完膚無きまで徹底的に──
空が淀み、雲は漆黒を彩る。日の輝きは彼等の元には届かない。
既に倒壊したビルの外壁に身を預けたヤツは、口から鮮血を吐き出す。穿たれた右胸が見ていて痛ましい。それでもなおヤツは息も絶え絶えで告げる。
『なに、ただの自己満足だ。オマエを救いたいと思った。 ……それだけだ』
ああ……そうか。
たった、それだけのこと。
少年は理解した。してしまった。させられてしまった。
ヤツはこういう存在であった。飢餓に苦しむ人々がいれば食料を、貧困に苦しむ存在には財産を、救われぬ人々には己の身をもって助けてしまう。
世界は戦乱の時、一欠片の油断でも持ち出せば命取りであるというのに。
それでもなお──
ヤツは、
〝静謐の蒼〟救済の徒──御堂琢磨は戦場の天才と謡われても、限りない馬鹿であったのだ。
『──お前はオレにどうしてほしい? お前が満足を得て、オレはお前の救済を得る。確かに代償行為としてならばお前に異論はないだろう。』
──だがしかし、と少年はさらに言葉を紡ぐ。
『しかしオレにはただひとつ文句がある。これからお前は死に、オレは生き残る。さて、その先になにがあるというんだ。オレはお前とは真逆の立場だ。
自由の身になったとて、そう簡単にはこの世界の因果からは逃れられない。そんなもの、死んだも同意義じゃないか? ──なあ、タクマ?』
どこか自虐的な言葉を皮肉る少年を眺めて、琢磨はくすりと笑んだ。少年の言葉はさも予測していたと言わんばかりに。
『確かに等価交換的に言えば、確立はしていないだろう。だがな、方法は無いわけじゃあない。一つだけ、あの因果の鎖から脱することを可能にするモノを、俺は知っている』
『なに……?』
言葉は余韻を放ちながら少年の中に浸透する。琢磨の言葉を反芻する様に、何度も口にする。
風が凪ぐ──
呆然とした少年の前髪を揺らす小風は、その場を過ぎ去り彼方向こうに消えていく。ただ二人だけの戦場。少年は破壊を求め、琢磨は救済を与えようとした。その終焉が今の現状──
彼等の周辺はいくつものクレーター痕が存在している。両陣営の軍力は消滅し、崩れ去った兵器のガラクタなどが散乱、数え切れないほどの兵士達が死に絶えている。
コレが大惨事世界大戦の終局図である。
救済の徒──御堂琢磨は自身の内にある天秤に『大多数の生命』と『敵である少年』の存在価値を秤に掛けた。
その苦悩は計り知れない。ただ一人を殺し、世界を救うか。その真逆の事も考えた。しかし残されたものは破壊され尽くした光景と、今にも死に逝く自分と無傷の少年。
ただ決断が遅かったばかりに起きてしまった事態──償う方法がない。贖うことも出来ない。救済の徒は完璧ではなかった、ただ一人の人間であった。
ならばこそ御堂琢磨が出来ることはただ一つ──
『オマエと俺の存在価値を逆転させる。外法とも禁術とも言い切れない、この最悪の方法でな──』
少年の前にかざした手に異端の力が籠もった黒き輝きを放ち始めた。
琢磨は己の決断を意思に宿す。死に体の身でこれ程の高出力を制御することは出来まい。ならばこそ、自分の全存在を賭して──成功させてみせよう、と。
『タクマ……まさか……お前は──ッ!!』
琢磨の意図に気付いた少年は、それを止めようと彼に迫る。
開いた空間を一気に押し詰め、琢磨の側にまで近付いたときには時既に遅かった。
顕現した異端の力は加速度的に輝きを強め、その力を膨らましていく。耳鳴りに似た音を発生させるそれは、少年と琢磨の存在をシンクロさせようとしていることに、この時の少年には分からなかった。
『やめろ! そんなことをすればお前は……くそ、俺が赦さないぞ、こんな結末はッ』
『──生きろ、そしてオマエはシアワセになれ──それが俺のただひとつ、望むことだ……』
輝きは増し、周辺の景色が歪んでいく。
巨大に膨れあがった異端の力は、その力を振るおうと琢磨の手の中で暴れる。ギチリ、ギチリ、と常人では制御する以前にその存在を消滅させてしまうであろう肥大した力は、一気にその限界にまで迫っていった。
『くそ、糞ッ! 絶対にブチ破ってやる────ッがああああああああああ!』
少年は持てる力の全てをもって、それに抗おうとしたが巨大な力の奔流にその身を吹き飛ばされて大地に叩きつけられた。
意識を失うことなく身を起こして琢磨のほうを見てみれば──
──ただ微笑みを浮かべ光の輝きに呑まれていく仇敵の姿
──薄く唇を浮かべ、何かを伝える救済の徒のコトバ
『セ・イ・コ・ウ──ダ』
そして異端の力は風船の様に弾けて世界を白一色に染めて行く。
鋭い耳鳴りの音に発狂せんばかりの苦痛が少年の身を襲う。
最後の意地を心の奥底から叩きだして、少年は咆吼した──
『タ、──タクマぁああああぁあああ!』
そして追憶は幕引きに向かう。
ただ一つ、少年が生き残ることを残して────
●
二○十九年、大惨事世界大戦が勃発した。
理由は今もなお不明──国連の掲げる和平意思に世界中が背き、歴史上最大の大軍となった。
二十余年にも長きに渡り、世界中は揃って兵器制作技術を高めることとなるが、二○二五年に米国能力開発院のラプラス中等博士よる異端能力顕在化の論文が公表されると共に、その災禍は加速度的に肥大化したことは現代の常識としては当たり前であろう。
戦争が終結し、和平調停条約の制定された現在、二度とこの様な大軍を起こしてはならないという名目の下、異端能力の制御、教授を主とした学園『国連総合院』ヴァルハラ学院を、大戦終結国である日本・新東京の地に設立した。
ヴァルハラ学院に入学し、早一週間。
一年生には初めてとなる『現代能力史』の授業が始まっている。教室の中には出身国が日本ではない外来人の姿もあるのだが、ここヴァルハラ学院においては日常的な光景である。
日本ハイスクールの様な教室の中、木造机に置いた教材と講師が書き込んでいく黒板の知識に、生徒達は揃って勉学に励んでいた。中には頭を抱えて唸っている生徒も多数いるのだが。
時は二〇五五年、大戦の終わった現代世界はとても平和である。
「皆さんも十分理解しているとは思いますが、異端能力はランク別にされており、『SS+』~『D-』まで決まっています。この学院を卒業するころの皆さんはランク『B』にまで達している方もいるでしょう」
黒板にチョークを打ち鳴らしながら書き込む、一年A組担当教諭リードマンは語る。
「能力にはそれぞれ系統があり、『肉体強化』から『現象作用』まであります。定番である『強靱』や『発火』もそのひとつです。さて、それでは私の授業が終わった後に、能力検定が待っていますので遅刻には注意してくださいね」
生徒に分かりやすい話し方をしながら接するリードマンは、入学から一週間経った現在、多くの信頼を集めていた。講師にしては年若いながらもモデル並のスタイルを誇る彼女である為か、主に男子生徒から信頼以外の熱い眼差しを受けていることはどうだろうか。
しかし、教室の右奥。窓側の席についた少年は呆けた様子で聞き流している。よくよく見れば、頬杖を突きながら窓から覗く青い空の景色を眺めていた。
「…………」
少年が外を眺めている間に授業は進行していく。小気味好い音が教室中に響くが少年にとっては聞き流す為のBGMにしか過ぎないらしい。いつしか授業終了の鐘が鳴り出す頃、少年の意識は戻っていた。
「はい、今日はここまでですね。昼休み終了の鐘が鳴ったら体育館に集合してください。皆さんいいですね?」
『はーい、せんせー』
生徒が揃って教室の一声となる。その様子にリードマンは満足したのか、可愛らしい笑顔を浮かべる。
「ふふ、皆さん良い子ばかりですね♪ でも……もしも遅刻した場合は……わかっていますね?」
『……はーい、せんせー……』
第三者の視点から見れば、生徒達が何故震えているか理解出来るものだが、あえて誰も理由は口にしなかった。
昼休み──
獅子道勇也は第三校舎近くの庭園で一人、食事を取っていた。
学年毎に校舎が違うヴァルハラ学院は一年が第一、二年が第二、三年が第三、と校舎別に分けられている。主な理由と言えば学年別に行われる異端能力授業の危険度が違う為に教師が付いているとはいえ、それなりの敷居をもって授業を行うことが義務付けられている。
「はあ……めんどくさー」
教室で景色を眺めていたときは暇を持て余していたが、面倒が訪れるのも嫌なのである。
今年で十五になったからと、身請けしてくれている義母にこの学院を紹介されたのである。乗り気ではなかったが義母にいらぬ心配を掛けたくなかった為、仕方無しに入学したのである。
「義母さんもひどいよなあ……ただ高校授業を受けるだけなら普通科もあるのに……なんで異端能力があるからってこんなんなんだ。ああ、めんどくさー。今頃達夫さんとラブラブってるだろうし……はぁ」
思い浮かべると義母と義父の愛情劇が簡単に浮かぶ辺り、慣れ親しんだ光景なのであろう。
悩みが尽きない年頃。同年代の子供と比べてみれば勇也はいくらか大人びている。学院の指定制服を身につけ、前髪は少々隠れる程度に伸び、度の深い眼鏡を掛けている。
教室の中では空気の様な存在に徹している為か、愚痴を溢すときは一杯吐き出してしまう。
「まあいいか。弁当食べてさっさと体育館に行くか」
昼食に持参した弁当は購買部で販売されているものではなく、自炊したものであろうと思わせるものだ。白米にいくつかの冷凍食品、いくつかの調理品。栄養的にも時間的にも無駄がないものだ。
庭園には時折柔らかな風が過ぎていって、庭園の色鮮やかな草花の香りを届けてくれる。まだ春盛りだ。桜は満開を過ぎて散り時期ではあるが、モンシロチョウが何匹かパタパタと花の蜜を吸いにやって来る。
とても平和な時間に至福を感じる勇也であったが、昼休みを終えるチャイムが鳴ってしまった。流石にのんびりしすぎていたと、自己嫌悪に陥る。
「ちょっとマズったかなー。とりあえず急ぐか……」
慌てながら弁当を仕舞い勇也は庭園を後にした。
「……はにゃ?」
起床したばかりと言わんばかりに寝ぼけた視線を投げかけていた存在に気付かずに。
人生慌てると損をする。誰が言い始めたかは知らないが、勇也はこの言葉に大きく賛同する。
平常心を失うと注意力は失うし、もしそれが戦場ならば命を失うことに関わるから。
何とも学生らしからぬ思考を浮かべながらも勇也は体育館に辿り着いた。
「ヤバ……ッ! もう点呼始めてるじゃん……」
急がず慌てず。確とした理由があればこの学院では遅刻などは免除される事が多い。
この学院の入り組んだ構造のことを理由に免除を試みれば、なんとかいけるだろう。勇也はのんびりとした歩みで体育館の中に入っていった。
勇也の姿は先程とは違っている。一度学院寮に戻り、ジャージに着替えているからだ。
体育館の中に足を踏み入れれば、そこには大勢の生徒で賑わっていた。初めて能力検定を受ける者が殆どであり、勇也の様に事前に受けていることは珍しい部類に入る。この学院の入学条件には異端能力の適性試験があり、それに陽性と判断された人間だけだというものがあるのは、閑話休題。
「佐藤ー。佐原ー。獅子道ー……獅子道!」
「あ、ハーイ。ここにいまーす」
緩慢な動作で検定担当の教諭の前に歩み寄る勇也。教諭は少々苛立たし気な雰囲気ではあったが、遅刻した理由を説明すると息を吐き、勇也に座るよう促した。
女子と男子が名前順で二列になって座っていた。既に座っている男子生徒に一言謝ってスペースを開けて貰い、勇也はようやく安定地に落ち着いた。
周りを見渡せば多種様々な面持ちをした生徒達で溢れていた。興奮した面持ちでいる者もいれば何処か沈痛した面持ちでいる者、残る者は少ないが平常としている者である。
「よし、皆集まったな。初めて顔を合わせる者も居ると思うが、俺はこの検定を受け持つ事となった田原という。担当教科は実践戦闘である為、その科目を受ける者は今後とも宜しく頼む」
田原は軽い挨拶を済ますと能力検定の概要を説明し始めた。
簡潔に纏めると以下の通りである。
特殊な力場で精製した結界の中で試験は行われる。
観測者たる教諭が数人結界を取り囲み、測定を始める。
能力を発現出来る者は検定中顕現させたままでいると、測定がスムーズに行われるという事。
最後の項目に関しては対応出来る人間が少ないとは思われるが、数人この学年で記録されている。ちなみに勇也もその一人であるが、能力は試験の時に開放するつもりはない。
空気の様に、出来るだけ静かに三年間の学院生活を過ごしたい為である。青春など知ったことか。自分はのんびりと引籠りデイズを過ごせればそれでいいのである。
「それでは始めよう。最初は──」
名前順で一番最初の者を舞台に上げ、田原は測定器を装着させた。リングタイプの腕に装着するタイプであり、簡単な装飾が施されていた。
(……ふむ、取りあえずは一般生徒の実力とやらを確認するかー)
勇也はそう思考すると、舞台の上で男子生徒が佇んでいるのを眺める。彼の周辺には六つの玉が置かれておりその形は六芒星(ヘキサゴン)を描いていた。
いよいよ始まるのかと他の生徒達も一様に揃って舞台を眺めている。
「なあなあ、検定ってどんなんだ?」
「さぁね、見たことないし……ていうかぁ能力を発現出来る人間なんてアタシ見たことないし」
「そんなもんかあ」
「でも能力があればいい所に就職出来るのはマジなんだよな」
そわそわと小声で話し合う生徒達の言葉を盗み聞く勇也。
(そりゃ能力者は半ば国連中に隔離されているようなものだし、見た事がある人間が少ないのは本当だけど……いい所なんてのは就職出来ないぞ君ら……)
『──黙れぇ──────ッ』
生徒達の話し合いに見かねた田原が唐突に一喝をかました。ビリビリと体育館中を響き渡る大声は凄まじいことこの上ない。見れば何人かの生徒が戦いて倒れていた。どうやら田原の能力は声帯強化による音声攻撃のようだ。
これに驚いた生徒達はシンと黙り込んだ。静かに検定の準備が進行していく。
(田原センセは実際に戦ったら強そうだ。クーーッ! 楽しめそうな事になってきたなぁ!)
平和な学院生活を送りたいと思っている勇也ではあるが、元々バトルマニア染みた性格でもある。能力での戦闘は出来ないが、肉体での徒手空拳での試合くらいならば容認してくれるだろうか。田原の隆々とした肉体を見ているとどうしても戦いたくなってしまう。一人やきもきしていると検定開始のブザーが鳴った。どうやらこれから始まるらしい。
検定官の教諭達が男子生徒を取り囲むと結界が展開された。淡い白色の輝きが煌々と立ち上り、初めてその事象を眺めた生徒達を圧巻させた。
「すげえ、すげえよ、なんだよあれー!」
「あれが……異端能力?」
反応は人によって多種様々であったが、一様に揃って言えるのは好奇の目で見ているということだ。結界の事を異端能力と勘違いした者もいるらしいが、結界は特殊なエネルギー波を展開したものだけである。
「これより検定試験を始める!」
「はい!」
異端能力の発現には、能力者の精神力とその存在の在り方で左右される。
人間とは不思議な生命であり、一人一人の在り方が似ていても根本が違う者だ。例え一卵性で生まれた双子であっても生活圏の差異や、その個性は僅かなズレが生じる。その差が能力の違いを真意にする。
よって性格や人柄なども判断基準となるのだが、能力自体は発現させてみないと分からないパンドラの箱に酷似している。
男子生徒はこれまでの一週間で行われた授業により理解した知識で、能力を発現させようと奮闘する。
内面世界を思い描き、開放する。
言葉にすれば簡単ではあるのだが、問題が多い。自己認識とはそれまで生きてきた自分としての性である。僅か十余年しか生きていない少年が悟るには些か早すぎた。
「……くぅッ!」
悔しそうに拳を握りしめる男子生徒はどうやら能力発現には至らなかったようだ。
他の生徒達に動揺が奔る。自分達は出来るのだろうかという一抹の不安。初っ端より失敗が訪れたせいである。
(まあ……こんなもんか)
続々と検定に向かう生徒達を尻目に勇也は落胆した気持ちで渦巻いていた。同じ年頃の少年少女がこの程度で落ち着いているという現実に、多少残念だったのだ。
しかし勇也は知らない。
彼の事を猛禽の如き視線で眺めている者がいるとは露知らず。