ドルファン歴D29/03/08
ドルファン首都城塞の南端。シーエアー地区の片隅にある共同墓地の銘も無き墓石の前で一人の男性が佇んでいた。
風貌はこの国ではあまり見られない黒目黒髪の東洋系。外国人排斥法が叫ばれつつある昨今では尚更である。歳の頃は二十歳前後であろうか。見る人によってはミドルティーンの少年にも見えるだろう。特筆すべきは腰に下げられた剣と、肌の露出するべき場所を覆い隠すかのように巻かれた真新しい包帯である。この姿を見ただけで男が外国人の傭兵であり、ごく最近に激戦をくぐり抜けたことが容易に窺い知れた。
男性は墓前に一輪の花を添えると、祖国の風習に則り静かに手を合わせた。
この墓に眠る人物を思えば、自分などが参るべきではないことは重々承知の上ではあったが、これから起こることを思えば、そうせずにはいられなかったのだ。
しばらく黙祷を捧げていると、背後に微かな足音と人の気配。
男は待ち人が現れたことを知る。
振り返るとそこには、血で染め上げられたかのような紅い甲冑をその身に纏った少女が、男を睨むように見つめていた。
何をしているのか? とは問うてはこない。少女はただ名乗るだけである。自分はヴァルファバラハリアン八騎将が一人『隠密のサリシュアン』である、と。そしてヴァルファの……父の無念を晴らす為に目の前の男をただ討つのだと告げた。
思えば初めてこの少女と出会った時から、男はこうなることを薄々感じていたのかもしれない。ただ、二人で過ごした日々が……積み重ねた年月が二人の関係を変えてしまった。男はそれが悲しかった。何も知らずに今この時を迎えられたのならどれほど楽だったことか。
そんな思いが顔に出ていたのだろうか? 眼前の少女の瞳が不意に悲哀に揺れた。
そして責めるような口調で男に問いかける。何故、傭兵なんかしているのか、と。民間人であれば自分が剣を向けることはなかったのだと。
それは前提からして既に間違えている矛盾だらけの言葉だった。
男が傭兵をしていたからこそ、このドルファンという名の箱庭で出会い、そしてお互いがお互いに興味を持ったのだから。
少女のその言葉を聞いて、男は微かに笑った。その言葉、その想いだけで充分だった。迷いは消え去り、あとは己の為すべきことを為すだけである。この国の傭兵として……そして『あの人』の騎士として……。
ーーだからサリシュアンよ、お前はこの場で俺が葬ろう。
男が腰から剣を抜くと、それに応える形でサリシュアンを名乗る少女も剣を抜く。
そしてお互いの白刃が交差した時ーー
ーーどこか遠くで鎮魂の鐘が鳴り響いた。
~プロローグ~
ドルファン歴D26/04/01
入国管理官ミュー・カーチスは朝から不機嫌の色を隠せずにいた。
その理由は、今日の午後より受け入れを開始した外国人傭兵にあるのだが、その準備に追われていた午前中はまだマシだったといえる。いざ傭兵達の入国手続きを進めるに至って、ミューは自分が傭兵に抱いていた偏見が、決して間違いではなかったことを散々に思い知らされるハメになったのだ。一言でいえば『ゴロツキども』である。
口説かれる程度ならばまだマシであったが、何かにつけてこちらの身体を隙あらば撫でまわそうとする輩には本当に辟易とさせられた。
それもこれもいきなりドルファンに戦争をしかけてきたプロキアに原因があるのだから、そちらにこそ文句を言うべきなのだろうが、なにもプロキア一国を相手にするだけならば、騎士団の弱体化が囁かれているとはいえ、かつては陸戦の雄とまで謳われたドルファンである。充分に対応できたであろう。
状況が変化したのは先月末の二十八日。以前から噂されていた全欧最強の傭兵騎士団ヴァルファヴァラハリアンが、プロキアに雇われる形で参戦することがドルファンの国境都市ダナンの占領をもって明らかにされたからである。
しかしいきなり他国に攻め込んだ天罰でも下ったのだろうか。同日、プロキア国内でヘルシオ公による反乱が勃発。フィンセン公率いるプロキア軍は、ドルファン領からの撤退を余儀なくされた。その翌々日には反乱軍の勝利により、前代未聞の戦争中の政権交代劇と相成った訳だが、ヴァルファヴァラハリアンはこのお家騒動には関知せず、ダナンにて沈黙を保ったままであり、今後の動向が気にかかるところではある。
いずれにせよ傭兵徴募はそれ以前から行われていたので、王室会議に先見の明があったのだろうが、その皺寄せが今ミューを襲うというのであれば、愚痴の一つもこぼしたところで文句を言われる筋合いはない。
とは言え乗船名簿によれば、今回入国する傭兵は残すところあと一名である。その傭兵の入国手続きさえ済んで仕事を終えれば、あとは同僚でも誘って気晴らしに飲みにでもいけば、このクサクサした気持ちも少しは晴れるだろう。尤も「ミューは絡むからイヤ」と言って断る友人も少なくないのだが……。
気持ちを切り替えデッキを見渡すと、その男は程なくして見つかった。見つかったのだが……外套のフードを目深に被った男の表情までは窺い知ることは出来ないが、彼は虚空に向かって何事かをブツブツと呟いているのだ。
(……不気味! あまりにも不気味!)
正直に言ってあまりお近づきにはなりたくない手合いである。しかしそうも言っていられない。明るいアフター5の為に、ミューは意を決して声をかけた。
「あ、あのー、恐れ入ります。出入国管理局のものですが……」
「わあっ!」
恐る恐るといった様子で横合いから声をかけたミューに対し、男性は奇声をを上げつつ飛び跳ねるように向き直った。なにもそこまで驚かなくてもよさそうなものだが、独り言の最中に声をかけられた人間というのはこういうものなのかもしれない。
「こちらの書類に必要事項の記入をお願いします」
ミューはなるべく当たり障りのない対応をして、この場を立ち去ろうと考えていた。
「ああ、はいはい」
そう応えつつ、男は書類を受け取り目深に被っていたフードを肌蹴てみせる。
すると現れたのは黒目黒髪の優男だった。
「……東洋の方、ですか?」
「はい。やっぱり珍しいですか? この国では」
「ええ、まあ……そうですね」
ほんの少しだけこの男に興味を惹かれたミューは、手持無沙汰だったことも手伝い、改めて観察してみた。身長は180センチ程度だろうか。傭兵をしているだけあって均整の取れた肉付きをしている。東洋人は小柄なイメージがあったのだが、この男はそれに当てはまらない。顔つきは良くも悪くも突出して目立つところはなかったが、それだけに整っているともいえた。ただ、傭兵特有のぎらついた雰囲気は全く見受けられない。そして瞠目に値するのがその黒髪である。特に手入れをした様子もなく伸びるがままなのだろうが、長い船旅をしてきたであろうに日に煤けた様子もなければ、張りも艶も失われてはいない。まさにカラスの濡れ羽色と呼ぶに相応しく、そよ風を受けてたなびくその様は、女のミューをして嫉妬心を喚起するほどの艶やかさである。
微笑みすら浮かべてペンを走らせる彼の立ち居振る舞いは、とても傭兵には見えなかった。
「あのー、書きましたけど……」
どうやら思考に没頭しすぎたらしい。あわてて書類を受け取り、紙面に目を通す。がーー
「失礼ですがこちらのお名前の欄、これはなんとお読みすれば良いのでしょう?」
そこには見たこともない角ばった文字でこう記されていた。
Name 新藤 新。
Age 20
Bloodtype O
Birthday 12/30
「ああっ、いっけね。また漢字で書いちゃいましたよ。しかも姓と名前がこれだと逆ですね」
慌てた様子で書き直された紙面に再び目を落とすと、思いのほか達筆なトルク語でこう書かれていた。
「アラタ・シンドウさん、ですね。ところで先ほどの文字には何か意味が?」
「ええ、祖国の文字なんですけどね。新しいと書いてアラタと読みます」
「成程、良いお名前ですね」
「ありがとうございます」
そんなやり取りをしている最中、ミューはふと気が付いた。第一印象で不気味とすら感じた男と気安く語り合っている自分に、である。その心境の変化は自分でも驚きを隠せないが、この変化を齎したこの男に俄然興味が湧いてきた。
「あなたは何故この国へ? やはり仕官が目的かしら」
不躾な質問ではあったが、アラタは嫌な顔は見せず、しかしどこか照れくさそうに答えてくれた。
「それもあるんですけどね、それってつまりこの国の市民権が貰えるってことですよね?」
「まあ、そうね」
「えっと……だからです」
つまり騎士になるのはおまけだ、と。この男は言っているのだ。なんとも慎ましい理由である。
「……プッ、アハハ。アハハハハ……小っさ、目的小っさい」
「……ささやか、と言って下さいよ……」
金の為でも名誉の為でもなく、たかだか市民権の為に命を賭けるとは何とも割に合わない気がしたが、それはミューには帰る場所があるからそう思えるのだろう。傭兵なんて一生続けられるものではない。もしも彼に祖国に帰れない理由があるならば、成程、それは命を賭けてでも手に入れるべきものかもしれない。
「ふぅ、笑ったりしてごめんなさい。とりあえず書類の写しは軍事務局へ回しておきます」
「どーも」
そう言って不貞腐れたアラタの様相は、実年齢よりもずっと子供っぽく見えた。
「なにはともあれ、ようこそドルファンへ。貴方に御武運がありますようお祈り申し上げますわ」
今日、入国した傭兵にこの言葉を送ったのは初めてである。なんとなく彼ーーこのアラタ・シンドウという男にはこの言葉をおくってもいい……気紛れではあるがそんな気がしたのだ。
すると先ほどまでの不貞腐れた態度はやはりポーズだったようで、右手を差し出しながら笑顔でこう応えた。
「ありがとうございます」
その手をしっかりと握り返し、その背中を見送ったミューであったがタラップを降りるアラタに再び声をかけたのもまた気紛れである。
「ねえっ。街の中でバッタリ会うことがあったらさ、飲みにでも誘ってよね」
「俺が生きてたら、ね」
ミューの呼びかけに、アラタは振り返らずに右手を挙げて縁起でもない答えを返すが、それもまた現実である。傭兵の……兵隊の命など儚いものなのだから。しかし、だ。なんとなくではあるのだが、彼はどんな戦場に出ても生きて還ってくるような気がした。根拠は? と問われれば「女の勘」としか言いようがないのだが、この勘は外れないはずだ。ならばこの約束は絶対のものだ。なので一言付け加えることも忘れない。
「そっちの奢りだからね~」
ミューの言葉にアラタは歩を止め、振り返りながらこう言った。
「了解。その時はお手柔らかに」
結局この日一日ミューは、外国人の傭兵に振り回されることとなったのだが、最後を気持ちよく終われたことを素直に嬉しく思う。その要因を作ってくれた遠ざかる背中にもう一度だけそっと声をかけた。
「ガンバレ」
これで今日のミューの仕事は終わり、あとはアフター5を楽しむだけである。
しかし彼ーーアラタ・シンドウの物語は終わらない。
見れば彼はガラの悪いチンピラ風の男三人に囲まれている女学生の方へとその足を向けていた。
後に入国管理官ミュー・カーチスは語る。
最後の聖騎士と呼ばれた男の初仕事は、ささやかな人助けであったーーと。
あとがき
いまさらみつめてナイトとか……どうよ? 旬の題材をネタにしたSSなんて俺には書けません。
とりあえずこれだけは言わせて下さい。
「おまえのを搾らせろ」
意味はわかる人だけわかればいいです。