俺には目は無い。

視覚は最初に奪われた。
始めは世界の輪郭が融解し、
色が褪せ
最後には意味を持たない乱雑な物になった。
まるで壊れたテレビ。
機能が光と闇しか解せないまででも。
最後の深淵の闇になるまで、
必死に世界を覗き込んでいた。

俺に耳が無い。

平衡感覚を上下左右無い宇宙空間で保持する
その仕組みを嬉々と分解して調べられた。
右。
左。
声。声。声。
もう自分で叫んでいるのかも、
聞こえない。

俺に鼻が無い。

消毒液。鉄くさい血。呼吸器から送り込まれる意識を奪う睡眠薬。
意識が在る時間が匂いに塗りつぶされて行く。
空間認識との関係が無い感覚。
それは稼動しているだけ邪魔なのだろう。
在る日を境に。
嗅覚が除去された。

俺に舌が無い。

嗅覚と同じ頃に舌が何時の間にか消えていた。
唾液。
保存液。
胃液。
人間の食事から実験体の栄養補給になってから消化器官が使われていない。
それでも味覚は貪欲に己の存在を主張した。
口の中身を噛み切れば血液の塩味を感じる。
嗅覚が無くなってから磨耗する味覚にすがった。
そして。
血が。塩が。痛みになった。

俺には体が無い。
「熱い」が見える。
「痛い」が聞こえる。
「冷い」が嗅げる。
「動く」が味わえる。
触覚が目、耳、鼻と舌を在ると俺に教えていたがそれも疲弊する。
視覚と共に右手が、聴覚と共に腰から下が。
まるで砂のように崩れ落ちていった。
悪寒と激痛。吐き気と鈍痛。
それすらも残らない。
最後には体が解けて無くなった。

消え去った肉体の代わりができてもそれは代わらない。
景色が在ると教えてもらう。光、色、形、全てを説明してくれる。
音が在ると信じる。音程、大きさ。それを細かく伝えてくれる。
匂いが在ると言われる。言われても思い出せない。
味が在るのだと熱心に説得させられる。頑張って理解をする。
そして俺の心臓が時を刻んでいる。もう、実感が無い。

ラピス、ラピス、ラピス。

妖精は俺に世界を一字一句伝えてくれる。それを頼って意思が肉体を動かす。ラピスは嘘をつかない。そう言うのだからそうなのだろう。嘘を付くのはこの人形の体。外から覗いて操るテンカワ・アキトによく似た人形。踊れ、踊り狂え。浮世の道化として。理解はできても感じられない虚像の世界で。

それでも見える。
こっちを見ているあいつの目を。

それでも聞こえる。
俺を王子様と言うあいつの寝息が。

それでも香りは離れない。
花の名を持つあいつの残り香。

それでも味わえる。
そっと舐めるあいつの唇の甘さ。

それでも触れられる。
痛いほど暖かい体を抱きしめる。

ユリカ。

ユリカ。

ユリカ。

もう感じられるのはお前しかいない。
「ラピス。いくぞ。」

「うん。」

■投稿者の薀蓄■
酷い自己満足とオナニーくさい文章を読んでいただいてありがとうございます。SS投稿は。。初めてって事にしてください。恥ずかしいので。

TVシリーズの魅力が理解できず、劇場版まで見ても今ひとつしっくりこなかった機動戦艦ナデシコ。その面白さとか感動を教えて、説明してもらっても自身では感じられない。おかげで何度が見直して、自分なりの読み解きをしてみる。それでも友達ほど好きじゃないんだよね。それでも元のシリーズよりもSS作家さんの作品が素直に伝わったり。

ひねりも何も無いけれど、アキトのユリカに執着する理由を考えてみました。「もう死んでいる」って言葉も。Isolation Tank　での経験と　Brain in a vat　議論を元にしてますよ。人間は感覚無くては平常を保てないのでアキトは素晴らしく壊れても不思議じゃない。絶叫するアキトの顔が髑髏になる１カットがナデシコで始めて震える程怖かったシーンでした。考えるだけでも泣きたくなるほど怖い。もうアキトはユリカを取り返しても感じることはできなんだな、と。

投稿者の薀蓄までも読んでいただいて光栄です。改めてありがとうございました。

ホーキング博士。６４歳おめでと。