2-1
――トーラス型の生命居住可能領域《ハビタブルゾーン》……。いわゆるスペース・コロニーかと思われますわ。
エリーゼの漏らしたその言葉を、陽一は素直に受け取ることができなかった。
スペースコロニー……。その単語は冒険小説をこよなく愛する陽一にとって、何度も目にしたことのあるものであったのだ。
曰く、宇宙開拓の拠点として建造される人工の居住環境であるとか。曰く、本星との連絡が途絶えた状態でも、ある程度独立して存続することの可能な一個の大きな生態系であるとか。
それが一体どういう物かどうかは、容易にイメージすることができる。だが、納得はできなかった。
何故なら、その言葉はあくまでも物語の中でのみリアリティを持つものであったから。
現実として頭上にある? 冗談じゃないと、笑い飛ばそうとする。
「ロボットの次はスペースコロニーだって……?」
スペースコロニーは陽一の生きる二十一世紀においてですら、未だ実現のできていない技術概念であった。
陽一の知るところでは、今世紀において宇宙空間で人間が生活できる場所と言ったら、いくつかの民間企業が推進する宇宙ホテルとやらが机上の計画としてあるのみで、現存しているものはISS《国際宇宙ステーション》くらいしかなかったはずだ。そして、それらはいわば宇宙船の延長線上にある代物で、独立した生態系を保持するまでには至っていない。
だと言うのに、エリーゼは頭上の円環を生命居住可能領域だと言ってのけた。
大気の循環機能はどうなっているのだろうか。有機物のリサイクルは? 重力は? そもそも放射線の対策は行っているのか?
数多の疑問に対して、陽一の持つ知識レベルでは満足のいく回答は得られそうにない。
頭上に浮かぶ円環は、陽一の驚きをあざ笑うかのように淡く輝いていた。
『ヨウイチ?』
宙《そら》に釘付けにされる陽一の様子が気になったのだろうか。
こちらを窺うようにカカティキが呼びかけてきた。予想以上の反応に、彼女はいささか戸惑っているようだ。
『君はあれが、月。月だって……言うのか?』
地上の前近代に比べて、天空の未来技術はあまりにも逸脱しすぎている。
彼女らの文化レベルを考えれば、あのオーパーツを作り出せるとは到底思えなかったが、それでも陽一は彼女に問いかけずにはいられなかった。
陽一の質問を受けたカカティキは細い指で頬を触り、小さな頭を傾ける。
『ああ、二つ月。あっちが夫で、あっちが妻。有名な祖神たちなんだ。子供だって知っている』
言って空を指差し、神話の断片を紡いでいく。
頭上に浮かぶ片方が、人工物だとは露ほども考えていないようだ。
『祖神……って、俺や君が操っているようなロボットと同じものってこと?』
『“ろぼっと”? よく分からないが……二つ月もケツァル・テアも同じ祖神だよ』
陽一はカカティキの返答を良く吟味した後、改めてエリーゼへと意識を向けた。
「エリーゼ。あのスペースコロニーを作った奴らは、Totem《お前ら》を作った奴らと同じなのか?」
陽一は考える。もしかすると、この世界にあるオーパーツは太古の昔に滅びた文明の遺産なのではないだろうか、と。
そもそも、カカティキたちの文明レベルでTotemのようなロボットを乗りこなしていることからしてありえないのだ。
技術はその概念を詳らかに理解し、作ることができてこそはじめてこの世に生み出される。だと言うのに、この世界は明らかにTotemやスペースコロニーを生み出す前提条件を満たしているようには見えなかった。
そこで一つの仮説として、高度に発達した古代文明の存在が想定してはどうだろうか。
文明が滅び、技術が失伝しただけならば、カカティキたちがオーパーツに対する知識を持っている必要はない。ただ、そこに遺されたものを利用しているだけなのだから。
太古の遺産を用いて、前近代的な戦争を繰り返す――我ながら陳腐な発想だと思う。
現実世界なら、オカルトの域にまで達した胡散臭い考え方だ。
けれど、現状これ以上に合点のいく考え方は思い浮かばなかった。
陽一の推理を聞いたエリーゼは一瞬「へ?」と呆気にとられたように声をあげた後、当たり前のことを聞くなとばかりに言葉を発した。
――いいえ……。トーラス型スペースコロニーは西暦1975年に米国スタンフォード大学にて考案されたデザインですもの。私たちとは“はじまり”が異なりますわ。そんなこと、搭乗者《マスター》だってご存知のはずでは?
「――は?」
エリーゼの返答に言葉を失う。
今、彼女は何と言ったのだ。
「アメリカの……? ってことは何か? あれは地球で生み出された技術だって言うのかよ。ありえない。何時実用化されたんだ。仮にアメリカのものだとして、何でこんな異世界に浮かんでいるんだ!」
まさかの答えに食って掛かる。
重ねて言うが、陽一の知る世界ではスペースコロニーは未だ実用化の目処が立っていない。
アメリカが技術を秘匿してきたと言うなら話は別だろうが、自らを生憎宇宙開発先進国と豪語しているような国が、わざわざ手柄を隠したりはしないだろう。
彼女は一体、何処の地球の話をしているというのだ。陽一は咎めるようにいくつも質問を浴びせかけた。
――……? おっしゃる意味が分かりかねます。“地球で生み出された既存の技術が、この世界で活用されていること”の何処に疑問を挟む余地があると言いますの?
エリーゼの声に険が混じる。
「何を……。エリーゼ、お前は何を言ってるんだ」
それに対して陽一は理解されない苛立ちと、漠然とした不安がつのっていく。
エリーゼの言い様。まるでこの異世界が地球であると言っているような……。
「お前の口ぶりじゃ、まるでここが地球みたいじゃないか!」
そんなはずはない。陽一はここ数日の間、確かに地球とは異なる生態系を目の当たりにしてきたのだ。
信じられるわけがない。頑なになった陽一は、彼女の言葉を振り払うようにして叫んだ。
昂ぶる陽一の態度に、びくりと驚くカカティキ。
『陽一っ、どうしたんだ。怖い顔になっている』
『ごめん、カカティキ。今、大事な話をしているんだ』
『話って誰と……ん、いや。分かった。分からないけど。私は黙っておく』
カカティキがこちらをちらちらと見ながらも、言われたとおりにぎゅっと黙る。
彼女を制した陽一の剣幕に、エリーゼが呆れたようにため息を吐いた。
――何が気に入らないのか、サッパリですけれども。視界にマーカーを表示しますので、上をご覧くださいな。
険しい顔で空を見上げると、砂粒をまぶしたような星空のあちらこちらにアルファベットで記された詳細な情報が表示されるようになった。
――まずは月を基点にいたしましょうか。あちらの方には……ケンタウルス座α星、確かにございますわね。次にコールサック、定位置に見えますわ。さらに南十字星……。
エリーゼが視界に映る天体を指摘するたびに、陽一の顔色が青くなっていく。
見覚えのある月。やや傾いた十字架。ひときわ輝く一等星……。
駄目だ。何処からどう見ても、中南米で良く見上げていた星空と気味が悪いくらいに合致している。
エリーゼの言葉を否定する材料を、少しも見つけることができないじゃないか!
気の滅入る天体観測がしばしの間続き、ぐうの音も出なくなった陽一に対して無情な答えが突きつけられる。
――もう、よろしくて? ここは太陽系第三惑星・地球。間違えようがありませんわ。
彼女の断言が、さながら波のように陽一の心に押し寄せてきた。
困惑が絶望に塗りつぶされていく。へたりと力を失い、力ない眼を地面へと向けた。
「そん、な……」
巨大ロボットから見下ろす、すり鉢状に加工された人工塔の天辺。
雲よりも高い古大樹の頂点に、自分は座り込んでいると言うのに。
オーパーツを駆り、オーパーツを上り、オーパーツに見下ろされる……これが、地球で見る光景だって?
「……分からない。分かりたくない」
自分の故郷は一体どうなってしまったのだろうか? 自分と同じ時を生きる皆は一体何処へ行ってしまったのだろうか? 分からない。何もかもが受け入れがたかった。
陽一は頭を抱え、俯いた。
『ヨウイチ……?』
――メンタルに異常が見られますわ。このままでは体調に影響する恐れもあります。……安定剤を投与いたしましょうか?
ベクトルの異なる二種類の気遣いも、今は耳障りでしかなかった。
カカティキが不安げにこちらを見ている。異世界人が、こちらを。
彼女は地球人ではない。複製人格とか言うエリーゼだって、言わずもがなだ。
自分は異世界にいる。ここは陽一の知る地球なんかじゃない。絶対に……!
そう無理矢理思い込もうとした、刹那のことであった。
急に前方が明るくなる。
何事かと見上げると、先ほどスペースコロニーまで伸びていった光の柱が一層の輝きを放っている。
光の粒子は荒れ狂う竜巻を思わせる。こころなしか、自分の髪が浮き上がったような錯覚さえ覚えた。
この勢いは、まるで滝が逆流しているような……。
陽一は目の前に手のひらをかざし、眩しげに宙の円環と古大樹の天辺を結ぶ線を見る。
――これは……通信?
エリーゼが呟くと同時に、線の周辺が虹色に輝き始めた。
輝きは幾重もの円を為しており、その一つ一つがラダマンティスの創り出す魔方陣に良く似ている。
陣の縁に浮かび上がった文字はアルファベットか。
平面を横から見ている上に、一文字一文字がちかちかと消えたりついたりしているお陰で、その意味するところが読み取れない。
やがて、魔方陣がその数を増やしていくにつれて、独特の音階が陽一の耳朶を叩くようになった。
無機質なト短調。変に整っているのに何処か聞くものを不安にするその旋律は――
「……あれ?」
何故か、強烈な既視感が陽一の脳を灼いた。
瞬時にして頭が真っ白になり、広野にごちゃごちゃになったジグソーパズルが組み立てられるようにして、記憶の奥底へとシナプスの道が延びていく。
知っている。陽一はこの音階を以前耳にしたことがあった。
でも、何で? 自分はこれを何時、何処で聞いた?
陽一の自問に答えるようにして、網膜に過去の映像が投射される。
同時に意識が暗くなっていき、エリーゼとカカティキが呼びかける声がどんどん遠くなっていった。
◇
ライトの光が紙の束を照らし出した。
……頬に浮き上がった大きな汗を、指で払い取る。
濡れた指を擦ると、インクの汚れが薄く広がった。
「やべ」
気づかぬ間にボールペンのインクが移っていたようだ。報告書を汚してしまっては後が面倒なため、シャツの裾で汚れを落とす。
熱帯の蒸し暑さが作業用テントの内に閉じ込められている。備え付けの扇風機は回っていない。電力が限られているためだ。
「先日、二十七日。地球と月のラグランジュ・ポイント1にて新たなトーラス型国際宇宙ステーションの建設が始まりました。宇宙ステーションは、“天の羽衣《ライメント》”と名づけられ、各界よりISS《国際宇宙ステーション》に代わる新たな宇宙開発拠点としての役割を期待されています。ライメントに備えられた擬似重力発生機構は、小規模な生命環境の再現に適しており、SSPS《宇宙太陽光発電》と組み合わせることで文化的な居住環境の維持が可能となるでしょう。国際宇宙開拓局は、このことを受けて『スペースコロニーに繋がる本格的な宇宙移民の幕開けである』とのコメントを残しており、また――完成予定は二十年後の二〇五二年。このプロジェクトには合衆国政府が八〇〇億ドル、日本国政府が――」
机の上に置かれたラジオが昨今のニュースをもたらしてくれる。ノイズはまったくと言って良い程聞こえない。この国のラジオ放送は、つい先年にすべてがデジタル音声方法に切り替わった。
「あ、これはアタリだな」
青年はボールペンをくるりと回し、発掘資料のずらりと並んだリストの一マスに丸を付けた。
手元には実測図を広げ、足元に積まれたテン箱(樹脂製の箱のこと)と交互に見比べてはチェックしていく。
「おーい、ヨウイチ。主任が呼んでいるぜ――って、何してんのオマエ?」
「一括《イッカツ》の見直し。まとめるべきでない資料が混じっているかも知れないだろ?」
「はぁ、熱心だな」
同僚の間延びした呼び声に青年は振り返らずに答えると、妙に呆れたため息が帰ってきた。
「今のニュース、新しくできる宇宙ステーションの話?」
「みたいだけど、気になるのか? うちらは“地面”専門だろうに」
青年は振り返って同僚を見る。北米から派遣された同僚は、ひょろひょろの両手を目いっぱいに広げて笑っていた。
「気にならないわけがないだろう。宇宙開拓なんて未開の最たるものじゃないか。まだ見ぬ新天地、そして出会い。宇宙人もいるかも知れないぜ。ほら、オマエの国の……何だっけ。ウラシマ?」
「かぐや姫だろ。竹取物語の」
「そう! それだ。今はとて“天のはごろもきるをりぞ”……って奴。オー、ウラシマ! タケトリ!」
口の端を持ち上げた彼の表情を見て、確信する。どうやら試されたらしい。青年は「何だ、知ってたんじゃないか」と内心毒づいた。
同僚は青年の寄せた眉根に素知らぬ顔をして、指を立てて高説を垂れ始める。
「土器屋は古きを尊び、文献畑が意味を問う。それらの根底に流れているのはフロンティア・スピリッツだろう? 宇宙《そら》でスピーチしてる連中と俺たち。なんら変わらないじゃないか」
「良く分からないよ」
「“良く分からないほどに近しい”ってことさ。伝説とSFは」
「そんなもんかね」
気のない返事も功を奏さない。彼は思ったよりも鈍感であるようだった。
何だか延々と続きそうな気配だ。辟易した青年は彼の言葉を遮って、本題を切り出すことにする。
「それで主任、呼んでたんじゃないのか?」
自らの役割を思い出した同僚は、目を丸くして「アッ」と短く言葉を発した。
「いけね、遺跡内に新しい通路が見つかったんだってよ。どうにも手付かずの遺構らしい。ヨウイチにも見てもらえって」
聞き捨てならないその言葉に青年は顔色を変えて立ち上がる。ガタリと安物のパイプ椅子が、大きく横に吹き飛んだ。
「バカ、それを早く言え!」
言って、猛然と駆け出す青年。
同僚がぎょっとした表情を浮かべて、たじろいだ。それも無理からぬことだろう。何故なら青年は今、弾丸の勢いで入り口目掛けて突撃をかけているのだから。
「うおっ」
慌てて同僚が身体を室内に滑り込ませたため、衝突の大事は未然に防ぐことができた。ぽかんとしていた同僚であったが、
「あ、こら。電力は有限なんだから出る時消していけって!」
すぐに煌々と明るいままの室内に気づき、立腹した。
「悪い。首都に帰ったら何か奢る!」
青年は頭を下げ、そのまま遺跡へと急行する。折角上司が大発見の手柄を、自分の為に取っておいてくれているのだ。一分一秒でも時間を無駄にはしたくなかった。
「尚、合衆国大統領は次のように祝辞を述べています。『今日という日を祝いましょう。閉塞にあえぐ人類は、ついに新天地を手にすることができるのです。人類の新時代《Dawning Era》――。私たちの先祖が成しえなかった偉業を、地上に降りることのない生活を、私たちは勝ち取ることができたのです』――」
きりの良い性格をしている同僚は、どうやら最後までニュースを聞いてからスイッチを切ることに決めたらしい。つけっぱなしのラジオから、相変わらず続いていた宇宙のニュースが、しばらく背中に聞こえていた。
新時代。
脳裏で無意識に単語を並べてみるも、いまいちしっくりくるものがない。
どうやら、青年の興味関心は専ら旧きにあるようだ。
合衆国大統領の謳う文言よりも、ひとかけらの土器片の方がよほど心が湧き踊る。
(開拓者たち《アストロノーツ》には悪いけれど、やはり俺は地面《こちら》の方が興味をそそられるよ)
通路の先には何があるのだろうか。
王の墓? 隠し財宝? それとも、滅びた歴史の断片か。
青年はまだ見ぬ謎に胸を高鳴らせ、息を切らせて駆けていく。
靴裏に感じる緑の感触が、脆く崩れやすい土のそれへと取って代わられた。
テントを飛び出し、スポットライトで光源を確保された遺跡の坑道へ潜り込む。
(早く、早く、早く、早く――)
弾んだ心が焦れてたまらない。
坑道の突き当たり、崩れた土壁の向こう側。ぼんやりと光を放つ小部屋の中で主任たちが真面目くさった顔をしている。
その表情は喜ぶと言うより、困惑そのものだ。
青年は彼らの反応を見て、口元の笑みを深くした。
世紀の大発見。そんな字面が頭に浮かんだ。
「ああ、ヨウイチ君……。実は少々困ったことになってね」
小部屋に踏み込んだ青年に対し、主任が縋るような視線を向けてくる。
年齢を重ねて落ち窪んだ視線は移ろい、室内を促す。青年は彼に従い、“それら”を視界に納めた。
小部屋はまるで、研究所の情報を管理するサーバー室を思わせる作りをしていた。
空間の中心には、滑らかに加工された硬石の方形棺が置かれており、根元から、無数のチューブが伸びている。
祭祀目的に作られた石製模造品か……と一瞬訝しんだが、青年はその考えをすぐに驚きと共に取り下げた。
材質不明のチューブを伝い、棺に向かって注ぎ込まれる光の奔流――。
チューブは何らかの機能を持って“生きていた”のだ。
「何だ、これ……」
青年たち発掘者を取り巻く壁面が奔流に呼応し、ほのかに輝く。
壁に描かれた線刻画は、いかなるストーリーを表したものなのか。虹色の光沢を持つ記号を追いながら、青年は主任たちの困惑を正しく理解した。
遺跡内にあるすべてが、どう見ても古代人の遺産には見えなかったのだ。
「性質の悪い悪戯……いや、盗掘を受けた跡……?」
事態を飲み込めずに可能性を呟いた青年の言葉を、中年の主任が否定する。
「いや、そもそも隠し通路の発見自体が事故のようなものだったんだ。この場所が廃棄されてから今に至るまで、外界に触れたことなどなかったはずだよ」
「そんなまさか!」
「部屋の保存具合だって不自然なほど清潔に保たれている。それも、ひどく均質的に。こんなことはこまめに清掃を行う何者かがいないとできない芸当だろう。私だって“まさか”と叫びたい気分だね」
主任は肩をすくめてため息をつくと、居住まいを正してじっと青年を見た。
「ヨウイチ君。我々は理解の及ぶ範囲でこの小部屋を調査せねばならない。正直、畑が違うと思うのだけれどね……。まずは我々の職分に則った、“これがここに在る意味”を追求していこうじゃないか」
主任の言葉に青年は言葉を飲み込み、頷いた。
思考の放棄は研究者の禁忌だ。この場所が良く分からないオーパーツにしても、手の込んだ悪戯であるにしても、それを定義付けるための情報収集を怠ってはならない。
青年は早速主任たちに混じって小部屋の調査を行うことにした。
割り当てられた仕事は、まだ誰も手をつけていない箇所の調査。棺の確認であった。
青年は苦笑する。
最も怪しいと思われる箇所に誰も手をつけなかった理由は明確極まりない。つまるところ、何とか責任を逃れたいのだ。誰も彼もが。
この非現実的な光景を半ば信じ込んでしまっており、学会に報告して袋叩きにあうことをひどく恐れている。
「残念ながら、取るに足らない悪戯でした」と水に流せぬ万が一を怖がっているのだ。
さりとて、分からなければ怠慢と罵られる。
象牙の塔は一寸先が闇に包まれた魔窟であり、異端を嫌うカテドラルでもある。彼らの気持ちは分からないでもなかった。
だが、青年は彼らに同調することができない。
何故なら、彼は遺跡の第一発見者であるからだ。
最終的な責任を担っている以上、見て見ぬ振りを決め込むことなどできそうにはなかった。
「金属……ではないみたいだけれど、石でもないか?」
布手袋越しに感じられるひんやりとした硬さを読み取りながら、青年は棺を精査していく。
「棺内はもぬけの空か。いや――」
太古の遺体はなかったが、代わりに青年にも理解のできるものが棺内には納められていた。虹色に輝く腕輪だ。
青年は腕輪を手に取り、首を傾げる。
「副葬品。やっぱり盗掘を受けてるとしか思えないな。装飾具の主がいないのだし」
真相の解決に多少なりとも近づけたという心地から、ふっと小さく息を吐いた――瞬間、
「な、何だッ」
主任たちの狼狽した大声が聞こえ、がくんと大地が大きく揺れた。
「倒壊だ!」
調査員たちが競って小部屋から逃げ出そうと、出口に殺到する。青年は棺内に身を乗り出していたこともあってか、脱出者の波に乗り遅れた。
轟音が耳朶を叩き、人の頭ほどもある落石が降り注ぐ。青年は夢中になって、チューブの一束を頭上に掲げてこれを乗り切ろうとする。
「主任、どうすれば!」
出遅れたことを大声で知らせるが、満足のいく答えは返ってこない。
迂闊に動くことができない状況下に置かされた青年は、幾重にも亀裂の入った小部屋の中で信じがたいものを見、そして“聞いた”。
……それは秩序の保たれた音階であった。無機質なト短調がやかましいまでに室内を木霊する。印象としては、そう。まるで壊れかけのパソコンが鳴らす起動音のようだ。
起動音に伴って、壁面の光も活性化する。あちらが光れば、こちらが光る。
交互にぎらぎらと七色の光線に目を細めながら、青年は渇いた喉を震わせた。
線刻がもたらす光の残像が、青年にも読み取れる文字列をなしていたためだ。
「かなり変形しているけれど、アルファベット……? 常にいまし、昔いまし……アルファにオメガ……最初、最後? 何だ……何だよ、これ!!」
絶叫は起動音にかき消される。
青年の意識は激流と化した光に飲み込まれ、霧散していった。
◇
恐怖に駆られた自らの叫び声で、陽一は目覚めた。
荒い息を吐きながら、辺りの様子を不安げに窺う。
目を穿つような光の奔流は……もう感じられない。不気味な起動音を奏でるオーパーツ群も……周囲には見当たらない。
あるのは焼け焦げた木材と、周囲を覆う一段高くなった地面のみ。いや、周りが高くなっているのではなく、陽一の周囲が低く掘り下げられているようだ。円形に掘り下げられた穴の奥にはかまどが置かれており、ここが元々は竪穴住居であったことを教えてくれた。
天井には幅広の鋸葉が申し訳程度に被せられていた。
柔らかな朝の光が零れ落ちているが、湿った冷気が毛皮を払いのけた身体には少し温もりが足りない。
ここはカカティキの集落の一角で……どうやら危険はないようであった。
「夢だったのか」
恐怖の対象が近くにないことに、ひとまず気持ちを落ち着かせ、
「……夢?」
ぽかりと穴の開いていた胸の奥に、何かがすとんと落ちていく。
異世界に落ちる前の鮮明な映像。現実離れした体験。
あれは決して夢なんかじゃない。幻覚でもない、現実だったのだ。
「……何でこんな大事なこと忘れていたんだ。忘れようと思ったって、忘れられるわけないはずなのに」
かすれた声で、独り呟く。
まるで、“自分の脳みそから削り取られたか”のように、記憶がぽっかりと抜け落ちていたことに名状しがたい薄気味悪さを覚えた。
がりがりと頭を掻きむしり、考えを巡らせる。
整理のついていない脳を活性化すべく、何度も深呼吸を行った。
「ライメント。トーラス型……ってエリーゼの話に出てきたもの同じ、か? でもライメントの完成予定は数十年後で……。第一、建造が開始されたのは宇宙ステーションじゃないか。くそっ、宇宙工学は専門じゃないんだぞ」
毒づきながらも、更に思索を深めていく。
ラジオで建造着手の報がもたらされた宇宙ステーションは、古大樹の天辺にて見たスペースコロニーと、不思議な符合を見せていた。
だが、そのものではない。昨夜見たものはコロニーで、ステーションとはまるで異なる。両者の間には一朝一夕では解決できない技術格差が存在するのだ。
ならば、両者は別物なのだろうか?
「いや」
首を横に振って、その考えを否定する。
形には何かしらの意味があるはずだ。
不意に陽一は、腕に巻かれたGW-9000MUDMAN《マッドマン》モデルに視線を落とした。表示されていた文字列は「TU/A 06:05 12」。
異世界へ共に渡って来た針のない相棒は、時を刻むという目的に忠実であった。
「そうだ。時計だって時を刻むって意味の範疇で進化を続けてきたんだ。形状が似ているなら、まず疑えよ。研究者だろう、俺は」
エリーゼがあのスペースコロニーを「トーラス型」と断言した以上、同型であるライメントとの間には何らかの関わりがあると考えた方が良い。
「例えば、用途を同じくしたことによる類似化。あるいは……同じ進化の線上にある?」
発した言葉の意味を遅れて理解し、陽一はびくりと身体を震わせた。
「まさか――」
慌てて浮かんだ可能性を再び考え直し、推理に穴がないか、しらみつぶしにしていく。
陽一は必死であった。何故なら、すべてが納得ができてしまったのだから。
ライメントとコロニーがいかなる関係にあるのか。何故、陽一の知る地球とエリーゼの断言する地球が全く異なっていたのか。
「二つの建造物が似た形をしているのは……」
何てことはない。その答えは、同じ系譜に連なるものであったから。
言うなれば、コロニーはライメントの発展形。
両者の間に存在していたブランクは、年月と言う名の蓄積だ。
「この世界が俺の知っている世界じゃないってのは……」
そもそも、立脚点が間違っていた。
違う世界に迷い込んだのではない。“世界自体が変質してしまった”のだ。
恐らくは途方もない年月の積み重ねによって……。
二つの疑問を解き明かす、共通した鍵は、“時間の経過”。
『もう、よろしくて? ここは太陽系第三惑星・地球。間違えようがありませんわ』
エリーゼの言葉を思い出し、
「ああっ!」
再び床に寝転がり、顔を手で覆った。
腹立たしいが認めるしかない。
ここは……非現実的な異世界なんかじゃなく、自身の生きた現実世界に連なる場所なのだと。
陽一は弾き出された推測を噛み砕くようにして、言った。
「よりによって、“ウラシマ”なのかよ……!」
覆い隠した瞳が潤む。故郷への帰還が、絶望的になったように思えたから。
相棒のアラーム音が六時三十分になったことを告げた。
こいつにとっては、遺跡で起きた出来事も二日前の出来事に過ぎないのだろう。
ここは……あの時から二日後の地球なんかじゃなく、“遠い未来の地球”だと言うのに!
「くそっ、そんなのってありかよッ!」
やけくそになって地面に拳を叩きつける。
皮膚が破け、拳の側面に血が滲んだが、陽一にそれを嘆くゆとりなどありはしない。
陽一は時間が不可逆的なものであることを、大学の教養課程で学んでいた。
不可逆であるということは、元の世界へ戻れぬと言うことと同義である。
「もう……帰れないってなのことかよ……」
歯を食いしばり、絶望的な事実を認識する。
異世界へ迷い込むのとは訳が違う――たった一人が、遥か未来に置き去りにされたと言う事実を。
アラーム音は相も変わらず、嘘の時間をがなりたてていた。
――嘘つきめ。
陽一は無性に憎らしくなって、相棒の電源をオフにした。
PS、
遅れて申し訳ありません。
虫っ娘でも言い訳しましたが、年度末やら怪我やらが重なってしまいました。
次回はあんま時間かけないようにします。ごめんなさい。
そう言えば、HP作りました。「俺得ボーイミーツガール」って名前です。見かけたらよろしくしてやってください。