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No.30361の一覧
[0] 上書きされたエリュシオン【異世界召喚・ロボットもの】[三郎](2012/02/01 18:47)
[1] 1-2[三郎](2011/12/28 18:32)
[2] 1-3[三郎](2012/04/13 07:58)
[3] 1-4[三郎](2012/01/19 01:32)
[4] 1-5[三郎](2012/01/28 20:13)
[5] 2-1[三郎](2012/04/18 19:45)
[6] 2-2[三郎](2012/05/16 20:17)
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[30361] 1-5
Name: 三郎◆bca69383 ID:9cdebc32 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/01/28 20:13


「閣下、お待ちを!」
 秘書官の制止が繰り返される。だが、バルデスは歩みを止めようとしない。
「自分は、誰も通すなと申し付けられているのです」
「仕方があるまい。再三取次ぎを願ったというのに、一向に返事がないのだ。それとも今は接客中かね?」
 秘書が言葉を詰まらせた。総督官のスケジュールはあらかじめ調べてある。今日の午後は空いていたはずだ。
 慌てる秘書官と問答を繰り返す内に総督官の部屋が見えてきた。部屋の顔たる北海で伐られた高級硬木に銀細工が施された扉は、見る者に威圧感を与える拵えになっている。彼には、それがえらく尊大であるように感じられた。
 扉の前に辿りついたバルデスは、一度咳払いをしてから三度強めにノックをする。
「総督官殿」
 返事がない。やや経ってから、「誰だね」と気だるそうな声が返ってきた。
「まったく、誰も取り次ぐなと先刻重々申し付けておいたはずなのだが」
 その答えに、バルデスは思わず眉間に皺を寄せた。

(執務室に誰も取り次ぐな、だと?)
 上に立つ者の職分は、下の意見を聞き届けることだ。上意下達に終始した組織はいずれ内側から崩れていく。聞き役が耳を閉じてしまったら、一体職務の何がまっとうできると言うのだろうか。
「イグレシアスです、総督官殿。陳情したき儀がありました故、どうかお目通り願いたい」
「イグレシアス? ああ、イグレシアス……しばし待っていろ」
 その言葉に従い、扉が開くのを直立して待つ。程なくしてからがちゃりと音がして、
「どうゾ」
 おぼつかない片言で女性の声が返ってきた。
 まず目に飛び込んできたのは、銀髪と紺色の瞳。出迎えてくれた女性は、琥珀色の肌を持つ若い娘であった。一見して、先住の民だと分かる。身に纏う衣を持ち合わせておらず、腰元に申し訳程度に、飾り布がつけられていた。

 バルデスは状況を正確に読み取り、不快げに口を真一文字に結んだ。
 睨む先には、総督官がいる。体毛の目立つ中年の腹が良く見える、はだけた身だしなみから今まで何をしていたのかが不本意ながらも良く分かった。
「何用かね、イグレシアス。私に首飾り《クァバト》を巻く時間すら与えてくれぬ程の用件だそうだが」
「失礼。まさかクァバトを外すような真似をなさっておいでとは、露ほどにも思っておりませんでしたので」
 総督官はバルデスの皮肉に露ほども動じず、大きな欠伸をした。
 柔らかい毛皮で覆われた椅子にどっかと腰を落ち着けて、
「暑い」
 傍仕えをしている褐色の女性に羽扇をあおがせる。
「蛮地の気候は何時になっても肌に合わん。そうは思わんか、イグレシアス?」
「だから、政務を顧みず女性を連れ込んだ、と? 差し出口を叩くようですが、少々自分に甘すぎるのではありませんか、総督官殿」
「まあ、軍規を律すべき軍監殿ならそう言うであろうな。うん、分かっていて質問したのだ。すまぬな」
 言って総督官は薄笑いを浮かべて、腕を組む。

「用件を言え」
「まずは人払いを」
「何、蛮夷《ばんい》に雅語は理解できんさ。飼い猫か何かとでも思っておけばよろしい」
「うら若き女性をかような格好のままにしておくなど、帝国騎士のすることではありません」
「それこそ要らぬ差し出口というものだ。はよ」
 バルデスの苦言に総督官は取り合わない。用件を済ませて、早く睦言を再開したいといった心根が見え見えの態度であった。
 苛立つバルデスであったが、煮え立ちかけた感情を腹の内にぐっと抑える。眼前の俗人とつまらぬ押し問答を繰り返したところで意味がない。そう思ったからだ。

「それでは、此度の遠征について申し上げます」
 言って、バルデスは滔々《とうとう》と語りだした。内容は先日部下たちと交わした話を噛み砕いたものである。北海連邦の新大陸奇襲や、アヴァーン教国の動きなど。
「これ以上の戦線拡大は帝国をかえって疲弊させかねません。遠征中止の旨、何とか本国と掛け合って頂きたい」
 一言一句、説き伏せるように語り続ける。
 しかし、彼の真摯な説得も、眼前の中年の心を動かすには至らなかったようだ。
 頬を掻き、つまらなそうに話を聞いていた総督官が欠伸をかみ殺し、口を開いた。
「遠征の中止、ねえ」
「帝国の存亡にもかかわるのです。総督官殿」
 バルデスが詰め寄る。

「そうは言うがね、我が帝国は他国に比べて機神が少ない。豊富にあるのはがらくた同然の巨人兵くらいのもので、だからこその新大陸遠征ではないか」
 バルデスは辟易した。総督官の言葉は、「機神の略取による軍事力の拡充」という帝国議会で何度も耳にした答弁とまったく同じものであったからだ。
「……確かに新大陸で得られる機神は戦力として貴重です。しかし、戦力を求めて元手を失ってしまったら元も子もないではありませんか」
 しかめ面で、予め用意しておいた言葉を返す。
「別に一山いくらの巨人兵が、いくら潰れようとも構わんと思うが」
「巨人には我が国の騎士が乗っているという事実を忘れないでいただきたい」
 自分の顔が見る間に歪んでいくのが分かった。命を命とも思わぬ不遜な発言に、煮え立たつバルデスの心中を知ってか知らずか、総督官が愉快げに目を細める。

「分かっている。ああ、分かっているとも。イグレシアス殿? だからこそ、死地に赴く彼らの労苦に報いるために富が必要なのだ。人の心を動かすには目の前に餌をぶら下げるのが一番だからね」
「だから略奪を黙認している……そう仰るおつもりか。例えば、先日の王国攻めのように」
「いかにも」
 言って、笑いながら「ほら」と続ける。
「考えても見たまえ。褒美をやるより、彼らに好き勝手略奪させる方が我々の懐も痛まんではないか」
 その人を食った態度にバルデスは憤然とした表情で、総督官を睨んだ。
「あのような暴挙を幾度も許していては、それに兵たちの統制も利かなくなる。その最たるものこそがアラニース隊士の独断専行ではありませんか」
「アラニース? ああ、アラニース隊士ね」
 総督官がつまらなそうに呟く。耳をほじくる度に彼の縮れ髪が左右に揺れた。
「略取した機神までも、我欲の赴くままに勝手されてはたまりませぬ。早急な軍規の改善を提案します」
 机に両手を置いて口から唾を飛ばすバルデス。総督官が眉根を寄せて仰け反った。

「そうは言うがな」
「このままでは、先住の民に要らぬ反抗心を植え付けてしまいましょう。しっぺ返しを食らってからでは遅すぎるのです」
「しっぺ返し? 土民からの?」
 総督官が苦笑した。
「土民如きに何ができると言うわけでもなかろう。よしんば駄々をこねたところで、その時は貴殿が頑張れば良い。なあ、“機神殺し”の英雄殿?」
 挑みかかるようなその言葉に、バルデスが奥歯を噛み締める。
 懐かしい二つ名を久しぶりに聞いた。自身の仕える国がまだアルディオス旧国と呼ばれていた頃の二つ名だ。しかし、感慨は沸かない。
「そもそも、だ。何故ペトナ家のアラニース隊士にあのような仕打ちをしたのだね。蛮族の機神二体程度、共闘して仕留めてしまえば良かったのだ」
「お言葉を返しますが、総督官殿。問題はあくまでもアラニース隊士の無断行動にこそありましょう。軍事行動に必要たるは揺るぎのない統率。勝手をされては困るのです」
「揺るぎない統率、ねえ。いかにも貴殿の好みそうな言葉だな」
「はぐらかさないで頂きたい!」
 のらりくらりとした態度に怒りを覚えたバルデスが、机に拳を叩き付けた。
 自身の主張を大方針にねじこむためにも、舞い込んできた奇貨を活かしきる。執務室を戦場に見立てて、闘争心を燃え上がらせるバルデス。渓流にも似た流れが、言葉の矛を交わし合う両者の間で展開された。

「いやあ、しかしだな。そもそも貴殿に統率の何たるかを語る資格があるのかね、イグレシアス」
 だが、総督官の言葉が一方的な流れをせき止めた。
 途端、総督官の目の色が変わる。言うならば、蛇の眼差し。彼の瞳が獲物を捉えた肉食動物のものへと変化していった。
「何を――」
 急な変容に、バルデスがぴくりと眉を持ち上げる。だが、内心の動揺は悟られまいと外面上は平静を装った。

「貴殿への通達が遅れてしまったがね。実は隊士の行動は遠征府の方針に則ったものなのだよ。独断ではないのだ」
 だから罪ではない、と総督官が笑った。
(こいつは何を言っている)
 そのような命令があったことなどバルデスは今の今まで聞いたことがなかった。軍監の役割は、遠征府の作成した軍事方針に適切なアドバイスを施すこと。少なくとも提出された書類の中に、崖上への急襲を仄めかす計画はなかったはずだ。
 苦し紛れの言い訳か? 後付けにしたって乱暴が過ぎる。反論しようとしたバルデスの言葉を、議会答弁を思わせる張られた声が遮った。
「連絡の徹底が及ばなかったことは申し訳なかったと思う。しかし、ここは蛮地でな。何が連絡兵の身に起こったとしても不思議ではない。故に――」
 総督官の表情に人を食った微笑みが広がった。
「むしろ、非は貴殿にこそあるのではないのかね? 弁明しようとした隊士の言葉に耳を傾けず、問答無用で行動不能にしたのであるからして。軍監にあるまじき暴挙だろう」
 なるほど、これが狙いか。頬の皺を深める総督官の態度に、バルデスは内心毒づいた。
 勿体ぶった言葉に続け、眼前の男がこれ見よがしな消沈を見せる。
「兵の規律を質《ただ》すのも結構なのだがね。それで足を引っ張っては元も子もなかろう。まったく、劣勢下の我が軍にあってアラニース隊士の機神は貴重な戦力であったと言うのに……。事実誤認の上に壊して持ち帰る、などと? かくなる上は隊士の代わりとして、貴殿に働いてもらうより他にないと愚考するが」
 表面上は不本意を装いながら、総督官の言葉が紡がれていく。
 恐らく、彼の胸の内はバルデスを奸計に陥れることができた喜びで満たされていることだろう。
 要は目の上の瘤であるお目付け役を排除し、前線に引きずり出して使い潰そうという魂胆なのだ。枷の外れた遠征軍がどうなってしまうのかなど、想像するだけで寒気が走った。
 自分が女帝から命じられた任務は、あくまでも貴族連の監視。老獪な彼らの暗躍を見逃さぬためにも、一歩後ろから曇りなき眼で見定める行為は不可欠と言える。
(安い手だ)
 故に、嫌味交じりの要請をバルデスはやんわりと断った。
 執務室に訪れる沈黙。総督官の淀んだ眼差しが、バルデスの心の内側へと探りを入れてくる。
 ……恐らく計算しているのだろう。どうすれば、自派閥に有利な材料を引き出せるのかを。バルデスとしては、これ以上相手が有利となる材料を与えたくなかった。

「……ふむ」
 総督官の口から、失望交じりのため息が出た。手慰みからか巻子《かんす》装丁の書類を手に取り、もう片方の手で撫でる。
「なるほど。土民どもの武威に臆したと言うことかね」
 お次は挑発か。
 何枚もの舌を使い分ける総督官の舌鋒には恐れ入るものがあったが、たとい歯に衣着せない侮蔑を投げかけられようとも、バルデスは引き下がらなかった。祖国のためならば、どれだけ自らが貶められようとも構わないという覚悟を持っているからだ。
「これが陛下のご下命ならば、喜んで命を捧げましょう」
 逆に言えば、陛下の命なくば軍監の職務を逸脱するつもりはない。バルデスは顔色を変えずに言い放った。
 再び、沈黙。褐色の女性の羽扇をあおぐ音だけが聞こえた。
 はさり、はさり。聴覚が自然と鋭敏になる。

「……口にするのは第一に陛下。流石“がらくた兵団”の頭目だ」
 敵意の視線が向けられる。彼の向ける眼差しは、同胞《はらから》に向けるものだとは到底思えなかった。
(新大陸の富にあてられて、昔の驕りを思い出したか)
 元より扱いやすいとは言い難かった総督官であったが、新大陸に赴任してからこの方、目に見えて敵対的な態度が目立つようになったとように思う。
 ルシオの言っていた莫大な富や、新大陸における支配者という立場が彼の敵愾心を助長させているのであろうか。
 小さく舌打ちする。彼は元々、南方にあった大国の重臣だ。国力でも軍事的でも旧国を圧倒的に上回る絶対的な強者であった。
 二十年前の防衛戦で、バルデスら旧国の面々が敵総大将を討ち取るという劇的な勝利を収めていなければ、彼は今も我が世の春を謳歌していたことだろう。
 それ故、強者と言う玉座から引き摺り下ろされた恨みは深い。先代女帝が崩御して、帝国の基盤が脆弱になった今こそが、彼らにとっては返り咲きの転機なのだ。
 バルデスは確信を得た。目の前のこの男は、帝国に対して……いや、アルディオス旧国に対して翻意を持っている――明確なる悪であると。
(兵団を動員して、誅滅するか……? しかし――)
 敗戦を経験していると言っても、彼らの軍事力は馬鹿にできない。おまけに内部の粛清は、周辺国に向けていたずらに内憂を喧伝するようなものである。包囲網を布く周辺諸国から激しい介入が行われることは、想像するに難くない。内憂と外患を同時に対処できるほどには、旧国の軍事力は十分に育っていなかった。
(そこまで見通しての翻意なのだろうな……。だが、今上陛下に手出しはさせぬ)
 殺気を込めて睨み返す。
 バルデスは死に瀕した先代から遺言を託されていた。――娘と国を守ってくれ、と。
 バルデスと先代女帝は、弱小国家であった旧国を共に支えてきた戦友だ。他ならぬ彼女からの命ならば、たとい天地を根こそぎ反転させるような難事であったとしても命を賭して遂行して見せよう。事実、自分は今までそうしてやってきた。
(帝国の護体が彼女の本意。今はお前も彼女の遺言に含まれている。だが、兵を挙げるようならば――)
 “機神殺し”を侮るなよ。巨人兵で機神を討ち取ると言う戦歴が、運だけでは成し遂げられぬと言うことを思い知らせてやる。
 バルデスは拳を握り固めた。
「此度の進言。何卒ご一考を」
 礼を失せぬ程度に整った言葉遣いで、彼の敵意を跳ね除けた。





 豪奢に飾り立てられた執務室から飾り気のない廊下へと解放された瞬間、自然と大きなため息が漏れ出でた。
「――歪みが大きくなっておる」
 天井を仰ぎ見る。
 本国にいた時には気づかなかった帝国の危うさが、彼の眼に浮かび上がっていた。
 復権を狙い、私欲に走る貴族たちという内憂。新参者を認めない周辺諸国による包囲網。そして、新大陸における先住の民。そのどれも帝国を揺るがす大きな楔に成り得る問題だ。
「このままでは先代との約束を守れぬ……」
 月日を重ね、帝国は以前と比べて驚くほどに脆くなった。
 各国から包囲網を受け、内部で反乱が勃発し、先住の民から反撃を受け……世界地図上からエスバールの名が消滅するという可能性がまったくないと言い切れるだろうか。
 バルデスは、この問いかけに自信を持って答えることができなかった。

「冗談ではない」
 すっと眼を閉じる。自らが駆け抜けてきた旧国の歴史を振り返る。
 至弱であったアルディオス旧国が、至強と畏れられるまで成長できたのは、先代女帝を初めとした国民たちのたゆまぬ努力が背景にある。その中には自分の半生とて含まれているのだ。
 彼の瞼の内側で、深い紫色の髪が白百合の香りを漂わせ、舞い上がった。

 ――ねえ、バル。私と貴方でこの国を立て直しましょうよ。大丈夫、絶対にできるわ。

 今は亡き主の声に耳を澄まし、それと同時に歯噛みした。
 彼女はまさしく英雄であった。そんな彼女の愛した国が惨めな最後を迎える姿など、到底座視できるものではない。

「――彼女の遺産を豚どもに汚されるなど……堪えられるものか」
 口に出してから、舌打ちした。
 今の発言は迂闊そのものだ。総督官の耳に届いていないことを祈りながら後ろを振り返る。
 すると、紺色の透明な瞳が下からこちらを覗き込んでいた。総督官に侍っていた銀髪の女性だ。どうやら扉の前にまで見送りにきてくれたらしい。
 総督官の反応はない。先ほどの発言が彼の耳に届いてなかったことを安堵するバルデスであったが、

「この位置ならば、聞こえません」
 にわかに信じがたい小声が、バルデスを心底驚かせた。
 言葉を発したのは褐色の女性。先刻耳にしたおぼつかない発音とは異なる、流れるような言葉遣いだ。
「……君は我々の言葉を操ることができるのか」
 それも完璧に、と付け加える。
「もう数年が経ちました」
 バルデスの口から漏れ出でた呻き声に、銀髪の女性は感情の剥落した表情で答える。その心の内は読み取ることができない。果たして、「これだけ時間を与えられれば、異国語だって覚えるだろう。威張るほどのことでもない」と考えているのか、今までに受けた悲惨の仕打ちが彼女から表情を奪っているのか。それとも両方によるものなのか。
 いずれにしても、分かることが一つだけあった。
(やはり先住の民は侮れぬ)
 改めて認識する。自分の胸元にも届かぬ背丈の彼女が、まるで得体の知れない怪物に思えた。

「わしの言葉を総督官に伝えるかね?」
「いいえ」
 彼女は無表情のまま、かぶりを振った。
「そうか」
 バルデスは顎鬚に手を当て、彼女を改めて見つめた――直後、ほとんど全裸であったことを思い出し、慌てて視線を横にそらす。
 このしなやかな曲線美は目の毒だ。バルデスは咳払いをし、執務室の総督官に聞こえるように声を張った。
「あー……君の出迎えは実に素晴らしい! 堂に入ったものであった。恐らく、日頃の心がけが肝要なのであろうが……その努力にわしも報いねばならんだろうな」
 言って、羽織っていた漆黒の外套をその場で脱ぎ、彼女に向かって差し出す。
「これは東部戦線にて戦功を立てた際に先代女帝陛下から恩賜あそばされた品でな。名誉ある品だ。貰ってはくれぬか」
 初めて彼女の瞳に感情が浮かんだ。きょとんと目を見開いて、薄い唇をぽかりと開ける。
「私に、ですか?」
 彼女の問いかけに、バルデスが頷く。
「然様。温暖な新大陸と言えども、その格好では寒かろう。先代陛下の恩賜品ならば、総督官とてみだりに手がつけられぬ。奪われると言うこともなかろうよ」
 女性は外套を胸元に引き寄せ、しばし思案した後、
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げた。
「いや、これも帝国騎士として当然の――」
 バルデスは胸を張って言いかけて、
「……こちらこそ、すまなかった」
 すぐに申し訳なさそうに謝った。
 何に対しての謝罪か。彼女は理解ができなかったようだ。バルデスは苦笑いを浮かべ、改めて踵を返した。

 悠長にしている暇はない。今も十八水里の向こう側で、部下たちが海賊王女と交戦しているはずだ。貴族連との軋轢が日に日に増している今、彼らのような旧国固有の戦力を失うわけにはいかない。即刻合流しなければならないだろう。
 歩むバルデスの耳に、石造りの小窓から、相変わらずの喧騒が聞こえてきた。
 帝国の民が図に乗っている。それは間違いないだろう。有頂天になっているということは、それは斜陽が目前に迫っているということだ。
 遺言のとおりに守り通さねばなるまい。幾たびもの防衛戦争を牽引してきた『機神殺しの英雄』として。

「英雄……英雄、か」
 ふと崖上の大森林で出会った、勇敢なる戦士たちが脳裏をかすめた。
 森の姫君とその従者。彼らの戦ぶりは若々しさを感じさせながらも、未来を感じさせるものであった。
 特に従者の青年には瞠目させられた。その言動から姫を守らんと身体を投げ出す振る舞いまで、すべてが眩しく感じられる。彼の戦いぶりたるや、まるで昔日の自分を見ているようだった。

(あの青年は、ただ守りたいからと言っていた。彼も……恐らくは英雄になろうとしているのだな)
 バルデスが辿ってきた道を、彼もまた歩もうとしている。
 先が楽しみな若者だ。バルデスの口元に自然と笑みがこぼれ出た。
 だが、すぐに表情を険しくし、窓の外へと視線をやる。
「オクタヴィアよ。わしは、今も君にとっての英雄であり続けてるだろうか?」
 ぽつりと小窓から空に呼びかける。その呟きは、潤んだ風に乗って新大陸の空へと舞い上がっていった。






五、

 輪郭の不確かな月が、頭上に二つ浮かんでいた。
 ぼんやりと不定形に輝く夜空に向かって、小屋ほどもあるかがり火が立ち上る。周囲を取り巻く囃しの声を、陽一は組み立てられた高座の上で聞いていた。
「<感嘆詞か>、<動詞>ッ! ヤイロヨイチ!」
 活気付いた手拍子に合わせて、自分の名前が叫ばれた。炎の熱気と人々の熱狂が交じり合い、ねっとりと肌にこびりつく。
(……参ったな)
 気恥ずかしくなって、蒸れる頭をぽりぽりと掻く。あれやこれやの内に被せられた獣の頭部を模した冠が、やけに重たく感じられた。
 困惑する陽一の耳に、なーおと山猫の声が届く。その出所は陽一のすぐ下。自分の窮地を救ってくれた“ちび助”は今、陽一の膝上を寝所に定めて惰眠を貪っているのだ。
(結局、こいつは一体何なんだ?)
 陽一はあぐらの上でごろごろしている小さな重みの正体を掴みかねていた。
 こいつはあの巨大ロボット――Totemが粒子に帰ったその直後、入れ替わるように再び現れた。『リ・インカーネイト』と叫んだ後の変貌と言い、ラダマンティスと関係があるのは間違いない。では、ラダマンティスの何なのか。
 器? それともロボットの媒体? もしかしたら、エリーゼそのものなのかもしれない。陽一が小声で呼びかけてきても、緩んだ声が返ってくるのみで、これといった答えは得られなかった。
 あまりにも無防備なその姿を見て、陽一が腹でも小突いてやろうかと企んでいると、

「ヤイロヨイチ」
 隣から、カカティキの細い手が伸びてきた。手には昨夜口にした芋に似た塊根が握られている。それはほんのりとした熱と食欲を誘う香りを放っており、陽一は思わず唾を飲み込んだ。
(そういや、昨夜から何も食ってなかったな)
 恐らく食べろと言っているのだろう。
 次々に押し寄せてくる急展開から開放され、ようやく人心地のついたところであったし、陽一は彼女からの贈り物をありがたく頂戴することにした。
 湯気の立つ芋もどきを、そっと口に運ぶ。歯にじんわりと熱さが伝わり、予想外の歯ごたえに目を丸くした。
(芋と言うよりも百合根に似ている、かな。これなら多分、ただ茹でるよりも油で炒めた方が味に深みが出るかもしれない)
 いずれにせよ、空腹の自分には十分過ぎるご馳走だ。凝縮されたデンプン質が、瞬く間に陽一の胃袋を満たしてくれた。
「<副詞か>、食べろっ」
 陽一の食べっぷりに気を良くしたカカティキが、口元をほころばせた。
 次々に薦められる芋もどきを咀嚼しながら陽一は改めて考える。この宴は何のためのものなのかを。

 カカティキの集落から、少し離れた場所にある隠れ穴に村の住民たちは避難していた。
 避難場所へと急行した彼女がまず最初にしたことは熱弁。
 朗報だったのだろう。その上擦った語り口を聞く内に、住民たちの顔が徐々に明るくなっていったからまず間違いない。
 生気を取り戻した住民たちを引き連れて、カカティキは意気揚々と焼け落ちた村へ帰還した。そして、すぐさま村民を総動員した盛大な宴が開かれ、今に至ると言うわけだ。

 戦勝の宴ではないと思う。いくら黒角やバックスといった強敵たちを退けたとはいえ、最終的には“大柄”にこっ酷くやられてしまった上に、バックスだって取り逃がしてしまったのだから。
 襲われた村にしたって、見るも無残な有様だ。藁葺きの住居は完全に炭になっており、貯蓄していたであろう食料品の中から黒焦げでないものを探し出す方が難しい。
 備蓄食料に多大な被害がでたことは、宴の席に並べられた食べ物のラインナップを見渡しても良く分かった。申し訳程度に干し魚や果物が大葉の皿に盛られている中で、芋もどきが大半を占めている。
 植物の塊根は穀類に比べると保存のきく食べ物ではないが、それでも加工次第で日々採集できる肉類に比べたらずっと長持ちするから、恐らくはもしもの時を考えて隠れ穴に備蓄していたのだろう。
 食料の枯渇は共同体にとって致命傷になりかねない。そう考えると、非常食の大盤振る舞いなどして良いのだろうかと心配にもなるが、逆に考えればそれだけ大事であるとも言えるのだ。この宴は。
 恐る恐るカカティキを見ると、彼女の眼差しは何かの期待に溢れていた。
 戦勝の宴でない上に、余所者である陽一への歓待ぶり。ここまで来れば、答えはおのずと見えてくると思う。
 要するに、彼らは陽一を新たな戦力として迎え入れようとしているのだ。

(困ったことになった)
 陽一は半ばほどまで齧りとった芋もどきに視線を固定し、内心困り果てていた。
 確かに自分はカカティキのために戦った。日本人染みた博愛精神が、劣勢に立たされた彼女を見捨てるという選択肢を許さなかったためだ。……だが、今後も彼らのために戦い続けるとなると、話は別になる。
 彼らはいわばすれ違うだけの他人でしかない。
 村人たちと侵略者の戦いは、一月やそこらで片がつくような単純なものではないだろう。現実世界でスペイン人がユカタン半島を占領するのに十五年もかかったと言う事実が、陽一に重く圧し掛かる。勝つにせよ、負けるにせよとても長い時間がかかってしまうのは疑いようがないのだ。
 陽一にとって最上の目的はあくまでも『現実世界への帰還』。ならば、彼らの争いごとにあまり深入りするべきではない。
 下手を打てば、泥沼に嵌る。義理と義務に身を駆られて、そのまま故郷に帰ることもできず、骨を埋めることになる……そんな未来は嫌だった。
 あくまでも故郷へは帰りたい。
 目的ははっきりと定まっていた。後は早急に自らの意思を彼らに伝えるだけなのだが……

(事情を説明しようにも言葉が通じないんだよな……)
 彼らの言葉に耳を澄ませ、そして嘆息する。
 今も耳に入ってくる言葉のほとんどは、理解のできない音でしかなかった。一応、初めて彼らと遭遇した時から意識して使用言語の解読につとめているつもりなのだが、未だに解読のできた単語は二十を超えていない。
 そんな体たらくで事情の説明などできるわけがなかった。
 気持ちだけが先行し、身体が焦れる。
 早く何とかしなければ。誤解を解くならば、早い方が良いはずだ。早ければ早いほど、彼らの失望が小さく収まる。彼らの期待が膨らみ過ぎることだけは何としてでも避けねばなるまい。大きな失望は怒りに変わる。怒りは容易く、害意に取って代わられるだろう。
 だからこそ、早く――

(……やっぱり、頼みの綱はTotemか)
 陽一はポケットの内に忍ばせた腕輪に視線を落とした。
 意思疎通のためにも、護身のためにも、この腕輪に秘められた力は有用と言えるだろう。唯一の懸念は、使用の可能なタイミングであった。
 あの戦いの後、腕輪は何故か色が抜け落ちてしまっていた。村民を迎えに行く道中、陽一はカカティキの目を盗んで何度か合言葉を投げかけてみたのだが、一向に反応が返ってこなかった。
(大分損傷していたから、その関係かな。もう二度と使えないなんてことなけりゃ良いけど)
 眩いばかりの虹色と輝く幾何学模様が失われ、ただのアクセサリーと化した円環を不安げに見つめていると、

「……あなた、ヤイロヨイチ」
 ようやく意味の読み取れるようになった言葉が投げかけられた。
 見知った声だ。陽一が面を上げると、色彩豊かな飾り布を頭に巻いた少女が果物を盛り付けにやってきていた。
(確かクビャリャリカと言ったっけ)
 クビャリャリカは胸元に手を当てて、一度だけ深呼吸する。
「誰、あなた。ヤイロヨイチ」
 続いて自分を指差して、
「誰、<恐らくは代名詞。自分を意味している?>。クビャリャリカ・ケ・トーラ・アムタ」
 心持ち不安げな表情で、言葉を紡いでいった。

「クビャリャリカ?」
「カカティキ。<不明>、<恐らくは動詞>ヤイロヨイチ」
 首を傾げるカカティキに、クビャリャリカが何かを説明している。すぐに「ああ」と納得したカカティキが、陽一の表情を窺ってきた。
「クビャリャリカ……君は」
 自分と意思疎通を図ろうとしているのか。そう目で訴えかけると、クビャリャリカはこくりと頷いた。
「キ・コサ。キ・アズ」
 芋もどきを指差しては言葉を発し、果物を指差しては再び言葉を発する。
 彼女が自分たちの言葉を、陽一に分かるよう懇切丁寧に説明しようとしていることが良く分かった。
「ありがとう。理解できる、と思う」
 陽一は頭を下げる。
 恐らく、「これは芋もどき。これは果物(いや、アズの実か?)」と言っているのだろうと思われる。単純な言葉からの説明は、陽一に理解してもらうための心配りなのだろう。
 言葉の通じない空間に長時間置かれた陽一にとって、彼女の優しさと明晰さは非常にありがたいものであった。

「アリ、ガトウ? アリガトウ」
 クビャリャリカの笑顔が月明かりよりも眩しくなった。
「カカティキっ、ヤイロヨイチ、<不明>!」
 二人で手をとり、大はしゃぎする彼女たちを見て、陽一の胸にちくりとした罪悪感が突き刺さる。
 彼女らは、自分とこれから付き合っていくために意思疎通を図ろうとしている。だが、自分は彼女らと別れるために言語を習得しようとしているのだ。
 事実を知ったら、悲しむだろうか。怒るだろうか。陽一の心に、陰鬱なものが立ち込める。
 対照的な表情を浮かべる両者。
 どう反応したものか決めかねていると、しゃがれた声が三人の注意をひきつけた。

「カカティキ。クビャリャリカ」
 現れたのは老婆であった。彼女が身につける鳥の羽を繋ぎ合わせた頭飾りや上等な衣服を見るに、村の中でも特別な立場に就く者であろうということは一見して読み取れる。
「ワルピリ・ケ・アムタ」
 二人が居住まいを正す。
(アムタ……?)
 クビャリャリカの自己紹介の時にも入っていた言葉だ。家族なのだろうか。もしくは役職か何かか。
 注意深く彼女を観察してみると、クビャリャリカとの共通点を見出すことができた。一つは腰に取り付けた草で編まれたポシェット。そして、もう一つは理知的な雰囲気だ。
 深く刻み込まれた無数の皺は老衰よりも、深い知性を感じさせる。
(前近代の村落共同体に見られる巫女、いや女系社会ならば長老。語り部の可能性もあるな)
 外見からそう察する。いずれにせよ、村の上役が姿を見せたということは何か重大な用事があるのだろう。
 陽一の推理に答えを示すかのように、老婆が声高らかに歌い始めた。

「テア・ヨイチ・アマルタ、<不明>、<不明>、<不明>……」
 恐らく……それは『神話』であった。老婆は語り部であったようだ。村人たちは、しんと静まりかえって耳を澄ましている。炎に焼かれてぱちりと弾ける焚き木と老婆の歌声が、夜の静寂に浮かび上がる。何処か懐かしい感じがする。陽一は静かに語り部の言葉に耳を澄ました。
「ヨイチ……」
 ふと、カカティキの声が聞こえた。
 自分のことを呼ばれたのだと横に目を滑らせると、彼女は陽一のことを見ていなかった。両拳には力が込められ、可憐であった表情は真剣そのものだ。サファイアを思わせる紺色の瞳が放つ輝きに、陽一はどきりとさせられる。
 彼女は老婆が歌い終わるまで、静かに身を乗り出していた。
 語り部の神話が終わった直後、カカティキは拍子を叩いて歓喜を表した。
「ヨイチ!」
 今度は自分に向かって呼びかけられた。彼女の喜びように、陽一は身をのけぞらせる。
「な、何だっ――」
 慌てる陽一の声は、広場を包んだ歓喜の声によってかき消された。見れば、村人たちが一斉に跪いている。彼らの頭は陽一に向けられており、涙を流している者さえも少なくない。
「ヨイチ、アマルタ<動詞>……」
 クビャリャリカが何処か合点がいったという風に口元に指を当てている。
「これは……」
 陽一は驚きを呟く一方で、何処か腑に落ちる思いがした。神話の仔細は良く理解できなかったが、分かることが一つだけあったからだ。
 文字の発達していない文化圏に生きる人々にとって、神話とは繰り返される現実である。少なくとも陽一が今まで出会ってきた未開の住人たちは、自分たちに何か吉凶の兆しがあった際に、何か既存の神話になぞらえて物事を説明する傾向があった。
 陽一のことを示さない神話上の「ヨイチ」と自分……どうやら自分は相当厄介な誤解を受けているらしい。陽一の表情が自然と引きつっていった。





 宴も終わり、村人たちが寝静まった頃。
 毛皮に包まり、浅いまどろみに身を委ねる陽一の耳朶を少女の囁きがくすぐった。
「ヨイチ」
 カカティキだ。薄目を開けると、月は東に落ちていた。火は既に絶えており、お祭り騒ぎの中心部は黒い煙を昇らせるだけである。
 彼女の顔はすぐ傍にあった。琥珀色の肌に虹色が混じっている。その光源は下にあった。
(……アマルン・アニル?)
 彼女の腕に収まった円環が、虹色の光を取り戻している。どうやら不思議な力を持つこの腕輪は時間で修復がなされるものであるようだった。
 眠たげな視線を落とし、呆ける陽一の脳を甘い温もりが刺激する。彼女の吐息が陽一の頬を撫で、肌をかすかに湿らせた。
 ここに至って彼我の距離を完全に察した陽一は、
「って、近いってッ」
 たまらなくなり、慌てて飛び起きた。突然の挙動にびくりと身体を震わせるカカティキ。のけぞったと言うのに、彼女の顔が目と鼻の先にある。
(ど、どれだけ密着していたんだ)
 激しい動悸に胸を押さえる陽一に、カカティキが右手を伸ばしてきた。
「ヨイチ、<動詞>、アマルン・アニル?」
「ん、ああ。持ってるけど……」
 ポケットの中で輝く腕輪を彼女に示すと、彼女は満足げに頷いて陽一の腕を引っ張った。
「<動詞>」
「あ、ちょっとッ」
 足をもつれさせながら、高座を降りる。手を引く彼女は、何処か嬉しそうだ。
 二人は村はずれから飛び出して、更に森の入り口にまで差し掛かった。
「<不明>」
 彼女が森の奥を指差す。「行こう」と言っているのだろうか。
 彼女の言葉を拒絶すると言う選択肢が陽一にはない。依然彼女の細腕は陽一の手を取っているし、何よりもこのまま手を離してしまうことがとても勿体のないことのように思われたからだ。
 原始の緑を二人の持つ腕輪から発せられた虹色が照らしていく。歩みを進めるたびに樹林の影法師が軍隊のように行進した。
 陽一は内心気が気でなかった。非常時ならばまだしも、このように異性と手を繋いだ経験がないからだ。
 手を離すのはもったいない。だが、たまらなく気恥ずかしい。
 自身の中でせめぎ合う感情のぶつかりあいに難儀していると、先導するカカティキの足が止まった。
「ここは……」
 陽一が声を上げる。目の前には、巨大な古木がそびえたっていた。
 間違いない。ここは陽一が初めてこの異世界に降り立った場所だ。だが、何故彼女はここに自分を連れてきたのか?
 陽一が彼女の意図を図りかねていると、

「ツァル・テア」
 上を仰いだカカティキの声に従い、何処からかはしばみ色の大鷲が飛来してきた。
「ヤイロヨイチ、<動詞か>、プム・テア」
 彼女が陽一に問いかけてくる。ツァル・テアがあの大鷲だとするならば、プム・テアは……あのちび猫だろうか。
「ちび助」
 恐る恐る呼びかけると、大鷲と同様に眠たげな眼の子山猫が飛び出してきた。
「何時からついてきていたんだ」
 ちび助は欠伸をするばかりで返事をしない。その無警戒な姿を見てカカティキは頷き、口を開いた。

「<動詞か>、テア。リ・インカーネイト」
 一瞬にして古木周辺が光に包まれる。魔方陣が消え去る頃には、先刻陽一を救ってくれたはしばみ色の巨人――鷲頭のフレースヴェルグが姿を現していた。
『ヤヒロヨウイチも。祖神を呼び出して』
 彼女に促され、陽一も慌てて腕輪を取り出す。
「リ・インカーネイト」
 目が眩み、思考にノイズが走る。初回よりもスムーズに、陽一の身体はラダマンティスと同期した。

 ――もうっ、何ですの? まだ十分な休眠が取れてませんのに。そんなティータイムよりも気軽なノリで私を呼び出されても困りますわ。
「カカティキが呼べって言うんだよ。仕方ないだろう?」
 エリーゼの文句に陽一は辟易して答える。駄目だ。どうにも脳に姦しい言葉が直接流れ込んでくるという不思議現象に、未だ慣れることができない。
 陽一は頭を抱えながら、カカティキのフレースヴェルグと見合わせた。
 考えようによっては、これは思いも寄らぬ幸運に舞い込んできたと言える。Totemを通して意思疎通のできる今ならば、彼女の抱いている誤解を解くことも可能だろう。
『カカティキ、君に話があるんだ』
 話を切り出す陽一であったが、カカティキからの返答はそっけないものであった。
『駄目。もう時間がない。急ごう』
 言うが早いか、彼女は巨木を見上げて機械翼を展開する。
『ついてきて、ヤヒロヨウイチ』
『えっ、ちょっとッ――』
 引きとめようとした陽一の手が空を泳いだ。返事も聞かずに、カカティキは樹冠に向かって飛び上がる。枝のしなる音がして、あっという間にカカティキの姿は鬱蒼とした枝葉の向こう側へと消えてしまった。

「おい、エリーゼ。どうすりゃ良いんだ」
 ――ふぅ……。永久飛行はできませんが、中空で推進力を得ることは可能ですわ。古木を土台にしていけば、ラダマンティスでも天辺まで上ることも可能かと。
 陽一の問いかけにエリーゼが答える。寝ぼけた声色であったが、返ってくるアドバイスは実に的確なものであった。
 陽一は「なるほど」と頷き、三対のスタビライザーを長く展開する。圧縮空気をスタビライザーに取り付けられたノズルから噴出し、その勢いを借りて飛び上がる。勢いが弱まった頃合を見て、姿勢と跳躍軌道を修正し、古木の枝を伝っていく。
「丈夫だな、この木」
 ――木造建築が質量辺りどれだけの重量を支えているかを考えてみてくださいまし。そんなこと不思議でも何でもありませんわ。
 陽一の呟きに答えるエリーゼの機嫌はあまり宜しくない。寝起きを無理矢理起こされたのだから当然であろう。
 やがて、カカティキと陽一は超高木層を抜け出て、森林の天井裏にまで到達した。
 そして息を呑む。
 古木がさらに遥か高くまで伸びていたからだ。

「こんな高い木があるのか……」
 ――ないと思いますわ。横に広がるならばまだしも、必要以上高くなるよう進化する必要なんてありませんもの。
 普段の調子を取り戻したエリーゼが、ラダマンティスの眼を通じて各種センサーを走らせた。視界に巨木の組成などの各種情報が浮き上がる。
 ――視覚情報から得られるレベルでは、特に異常は見られませんが……あ、ちょっと待ってくださいまし!
 視界の片隅に、樹皮の拡大図が提示された。年を重ねて皮の剥がれ落ちた部分が、鈍《にび》色に輝いている。
 陽一は目を見開いた。
 あれは――間違いなく金属の外壁だ。
「もしかして、これ……人工物なのか?」
 陽一の疑問に答えるかのように、上に登るほど金属と樹皮の比率は逆転していく。やがて樹皮がすべて剥がれ落ち、その内側から輝く鉄塔が現れる。
 まるで竹取物語に見える光る竹だ。まっすぐに伸びた鉄塔は雲の向こう側まで貫いていた。
 眼下に雲海が広がるようになった頃、ようやく二人は頂点にたどり着く。
 鉄塔の頂点はすり鉢上にへこんでいた。段々に中心部へと緩やかな斜面を描くそれは、さながら古代ローマの劇場を髣髴させる。
 中心部には、更に上へと伸びる一本の細いアンテナが立っていた。

『胸を開いて、ヤヒロヨウイチ。ヒトの身体で見た方が絶対に良いから』
 頂上の縁に腰をかけたカカティキが、陽一に声をかける。
 フレースヴェルグの胸部が開き、チューブを身体に取り付けたままのカカティキが姿を見せた。
『カカティキ、一体何があるって言うんだ』
 促されるままに陽一も隣に座り、エリーゼに指示して胸部ハッチを展開する。
『覚悟の槍は外さないようにして。これがないと息苦しくなるし、凍えてしまうから』
 彼女の言葉に生身で頷き、陽一はコックピットの縁に座った。
『ここはね。父上から教わった秘密の場所なんだ』
 言って、彼女は懐かしそうに夜空を見上げる。
 夜空にはぼやけた二つ月以外に何もない。星すらも見ることができなかった。
 静かな時が流れる。相当な高所にあるはずなのに、『覚悟の槍』とやらのお陰か、身体は少しひんやりとする程度に収まっていた。
『来たっ』
 カカティキが身を乗り出した。
 彼女に釣られ、陽一も上を見上げて……仰天する。

 夜空が割れた。
 上空に突如として黒い亀裂が出現し、周囲の空気を吸い込んでいく。亀裂は徐々に面積を増していき、黒く塗りつぶされた空間の向こう側に、まばらに輝く砂浜が広がって見えた。
「あれは――」
 言葉を失い、ただ困惑する。
 陽一は亀裂の向こう側の景色を良く知っていた。だが、“あんな景色”がこんな異世界で見られるはずがないのだ。
(何でだよ)
 自問自答する。

『皆知らないんだ。二つ月って本当はこんな形をしているんだって』
 陽一の視界に銀色に輝く丸い天体が映る。
 ごつごつとしたクレーターの陰影は、遠目で見れば女性の顔に見えるかもしれない。故郷ではあの陰影を兎の餅つきと表現していた。
 ところどころに人工的な建造物が見えるが、あれは間違いなく――
『月』
『……ヨウイチは物分りが良いな。信じてもらえないかもって思ってた』
 疑うわけがない。天空に浮かぶあの天体は、間違いなく陽一の知る月であったから。
 しかし、何故? 何故故郷と同じ月が異世界に昇っているのだ。
 陽一の困惑などお構いなしに亀裂は更に広がっていく。中心部のアンテナから一筋の光が天高くへと伸びていった。カカティキが光を追うようにして視線を動かし、何処か自慢げに口を開く。

『もう一つはもっと驚くよ。何たってアマルン・アニルみたいに穴が開いているんだもの』
 恐る恐る陽一も彼女と同じ方向へ視線を動かす。
 月よりも近い軌道上、色鮮やかなドーナツ型の人工物が浮かんでいた。
 外壁はアクリルのような透明な壁で覆われている。だが、その内側には生命を感じさせる青色も、雲の織り成す白色も、土壌の茶色までもが見て取れる。
 カラフルな命模様の円環は、宇宙空間内で緩やかに回転していた。
 遠心力は重力を生み出すと言う。重力が何故必要なのか。それは生命体が活動するためだ。
 陽一はエリーゼに問いかけた。
 答えは自分でも分かっていたが、確認せずにはいられなかったのだ。

「エリーゼ、教えてくれ。あれは一体何だって言うんだ……?」
 彼女は躊躇いながらも、静かに答えた。
 ――あれは恐らく、トーラス型の生命居住可能領域《ハビタブルゾーン》。いわゆるスペース・コロニーかと思われますわ。



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