※注意書き
前回の戦闘シーンに大きな改稿が加えられております。黒角の武装が変更されているので、ご了承ください。
三、
疾風を纏ったカカティキの蹴りが、黒角のみぞおちに吸い込まれていった。
『……野郎ッ』
蹴り飛ばされた一体が排気の轟風を巻き起こしながら、その場にぐらぐらと立ち上がる。
黒角の巨体が鈍く輝いた。転倒の衝撃によって薙ぎ倒された高木が、新たな日照地を生み出したためだ。鬱蒼とした林冠に覆われた薄暗い世界に、強い光が差し込んだ。
視線、視線、視線。間仕切りのような日差しを軸に、計七つに及ぶ無機質な闘志が交錯する。
口火を切った戦場は、まもなく激化することだろう。それが本能で分かっているのか、薙ぎ倒された木々から蜘蛛の子を散らすようにして無数の生物が飛び去っていった。
陽一は眩しげに眼を細めながら、底知れぬ憎悪とどす黒い殺意を放つ黒角たちをねめつける。
巨人と化した陽一の眼が捉える巨体の数は五体。内、蹴り飛ばされた一体が前衛に立ち、中央に指揮官。その背後に大盾を構えた三体がいる。
その全てが肉厚の大鉈《マシェット》を構えており、先ほどまでのような数を頼みにした傲慢さを取り払っていた。
最早、奇襲は通じまい。正攻法で押していく以外に手はないだろう。
「……どうしたもんかな」
独りごちる陽一。その思考に応える声があった。
――エクス・ウォーカー五体を確認。たかが量産型。然程の脅威があるとは思えませんが、一応戦闘機動態勢を取ることを推奨しますわ。
「おわっ」
唐突に頭の中に響いた横やりに、陽一は仰天した。風に揺れる鈴を彷彿させるやけに人間味に溢れた声色だ。
先ほどまでロボットの構築を手伝っていた機械人格――ネメインとは明確に異なる、高飛車な雰囲気さえ漂わせる女性の声であった。
「だ、誰だ。さっきのネメインじゃないよな?」
――あら。先ほど“魂の複製”を行ったことをお忘れかしら? 私、アーティフィカル・パーソナリティのエリーゼと申しますの。気軽にエリーゼとお呼びくださいな。
「はぁ? 複製でって……お前、女だろ? 何で俺の複製人格が女に……って、それ以前にその気取った言葉遣いは何なんだよ」
――あ、気になりますの? ふふん、良いでしょう。良いでしょう! 詳しくきっちり説明いたしますわ。こほん……本来、ヒトの人格は様々な外圧《ストレス》や生体化学物質《ホルモン》の影響を受けています。複製された人格はそれらの外的要因から解放されるため、自然と女性的なものになるのです。まあ、生物の基本構造は全て女性のものですし、この現象は至極当然のものと言えますわね。それに……
耳元どころか、頭の中で口やかましくまくし立てられる陽一。
塞ぐ耳も今はない。何だこの拷問は。
その場にうずくまりたい衝動に駆られつつ、陽一は慌てて彼女のマシンガントークを遮った。
「ああっ、今はそう長々と説明しなくても良い! ええと……それでとにかく、君は一体何ができるんだ」
――あら、残念。私はTestamentの許す限りにおいて、搭乗者の精神を89.8パーセントまで正確に複製しておりますの。よって、搭乗者の能力が及ぶ大体の範囲において、十分なサポートが可能です。具体的には劣悪な環境下における生命行動のサポート、更に単独活動に磨り減りがちな搭乗者の精神を最適な状態に保つために、インタラクティビティのある会話を行うことすら可能ですわ。
「はぁ、双方向性《インタラクティビティ》……」
鼻を高くして語る彼女の様子に、陽一は辟易しながら生返事をする。
なるほど、確かに一般的なAIにこんな個性豊かな会話は行えまい。しかし、唯のサポートシステムにしては正直個性が強すぎやしないだろうか。こう口を挟む隙間もないくらいに畳みかけられると、これはこれである意味一方通行な気がしてくる。
陽一は心の奥底でひとしきり不満点を挙げた後、今すべきことを思い出し、改めてエリーゼに問いかけた。
「エリーゼ、あれは……エクス・ウォーカーとか言ったっけか。君はあいつらを知っているのか?」
――はい。エクス・ウォーカーは人権の発生しない程度に劣化させた人工精神をプリセットした量産型Totemなのですわ。その目的は植民開拓者の生活補助。武装の類は搭載されておりません。よって、こちらを脅かす脅威とは成り得えません。
「脅威がない、だって? なら、あの重武装は何なんだ」
言って、彼らの装備を確認する。
金属製の巨大な方形盾に、三メートルのマシェット。後衛がたった今、金属鎖でできた紐状の装備を取り出した。
――……あら? 情報と違いますわ。何故かしら。
間の抜けた呟きが頭痛を引き起こす。ころころと声の変わる人間味あふれた話し振り。他の奴にも聞かせてやりたいもんだと、皮肉の一つでも言ってやりたかった。
だが、そんな猶予は残されていないようだ。
どうやら後衛の取り出した装備は投石紐《スリング》であったらしい。彼らの手にすっぽりと収まった岩が金属鎖の先端に取り付けられ、人の胴体ほどの大きさを持つ岩の質量が、円運動の軌道に乗った。
運動は徐々に加速していき……次の瞬間、放たれる。
球体が楕円に見えるほどの加速を受けて、岩飛礫の驟雨が横殴りに降りつけてくる。その速度は凄まじく、直撃すればただでは済まないだろう。
『ああっ、くそッ』
苛立たしげに吐き捨てて、陽一は慌てて身構える。
唸りをあげて飛来する弾丸の迫力に、陽一の身体はまるで雷で打たれたかのように硬くなってしまった。
『避けろ、ヤヒロヨウイチッ!』
カカティキの荒げた声が戦慄を打ち破る。
『――ッ、分かった!』
ハッと我に返った陽一は回避行動を取るべく、腰を低く屈め、硬質の脚部に力を込める。
(飛べ、巨大ロボット!)
有機体から発せられた意思が無機のシナプスを駆け巡り、機械の巨体に伝えていく。
――ィィィィィィィン。
黒天目の輝きを放つ脚部間接が伸縮する。ふくらはぎにある筋肉だか歯車だか想像もつかない動力源が目まぐるしく働き始めるのを確かに感じる。
ぐっと足底が大地に沈み込んだ。
奇妙な感覚だ。
自分の身体ではないはずなのにまるで自分の身体のように末端の隅々まで感じ取ることができる。陽一はそれに戸惑いながらも、つま先に込める力を更に強めていく。
そして、跳躍。
「――おわっ」
ラダマンティスの巨体は刹那の内に老木を優に飛び越して、樹冠の茂みのはるか上方にまで飛び上がる。
地上から約四十メートル。あまりの高さに目眩がした。
どうやら思うがままに動くと言っても、本来持っていた自身の身体と今の巨体の間には相当なギャップが存在するようだ。
心と身体の違和感に戸惑いを見せる陽一の思考。それが災いしてか、ラダマンティスは体勢を崩し、その四肢は空中に投げ出された形になってしまう。
――ちょっと! すぐさま採粒ノズルを反転して、姿勢制御を行ってくださいましッ。
「ノズルって――」
――背中から出ている美しい六枚羽根のこと。感じるでしょうッ!
言われて背中を意識する陽一。
感じる。背中に手や足の兄弟のような、神経の通った部位が確かにある。
鋭角に突き出る三対のスタビライザー。なるほど、エリーゼはこの突起物のことを言っているのか。陽一は言われたとおりにノズルを反転させ、その先端を地面に向けた。
虹色のプリズムをほのかに帯びた六枚羽根がブウンと細かく振動する。先端には幾つかに部屋わけされた吸気口がついており、まるで掃除機の頭のように周辺の大気を吸い込んでいた。
これを反転させるのか。陽一は今までに経験したこともない作業に少し戸惑ったが、思ったよりも簡単にスイッチの入れ替えをすることができた。
吸気ノズルが一転して排気ノズルに。元から自分のものだったように羽を扱える自分の手際に、陽一は無意識に驚きの声を漏らす。
「動かせる? 俺は鳥じゃあるまいし」
何処か身体がむずがゆい。
意識せずに動かせる箇所が増えると言うことが、こんなにも違和感のあるものだなんて思っても見なかった。
――当たり前の当然のスケですわ。今のあなたは八紘陽一であり、ラダマンティス《わたくし》なんですもの。
そんな困惑などお構いなしに、何処か自慢げに誇るエリーゼの様子に陽一は苦笑いを浮かべて返す。
「良く分からんが、助かる!」
喝采を活力に変えて、排気の出力を強めていく。
スタビライザーの先端から吹き出る風の強さは見る間に強まっていき、ラダマンティスの巨体が地面に着こうとしたその瞬間、不意に重力が逆転した。
全身を押し上げる強い反作用。風の力がラダマンティスの巨体を持ち上げていく。
木々の合間を縫うようにして、虹色の軌跡が宙返りを打つ。
今、俺は空を飛んでいる! 強い高揚感が陽一の心に湧きあがった。
――少しもたつきましたけれど。まぁ、初搭乗ですし、こんなものでしょう。及第点をさしあげてよ?
「そいつはどうも。んで、この後はどうすれば良い」
――どうもこうもありませんわ。空を飛べるということは飛行能力を持たないエクス・ウォーカーに対して圧倒的なアドバンテージを得たことになりますの。有史以来、人類が抱く夢を実現した私たちに最早敗北の二文字は似合いませんわ!
上から目線で歌うように語るエリーゼ。
んなうなぎ上がりのテンションに水をさすようにがくんと身体が揺れだした。
――あ、あら?
「おい。どうしたんだ、エリーゼ!」
途端、けたたましい警告音とCAUTIONの文字が視界を埋め尽くした。
上昇していた高度が徐々に下へと落ちていく。
――お、おかしいですわね。エネルギー補給システムが全然機能していませんわ……。ああ、なるほど。外気の供給率が……
「はあッ、補給システムが? 何でだよッ!?」
――はい、ラダマンティスを動かすエネルギーは、背中にある三対のノズルから外気を取り込むことによって得ているんですの。取り込んだ外気は高密度に圧縮されてエネルギー生成に用いられますので……飛行のために外気を吐き出し続けている今は、とにかく息苦しくて仕方がない。そんな状態なのですわ。
「息苦しい……って、何だよ。飛べるんじゃないのかよッ」
――いえ、その……。元々ラダマンティスは飛ぶために設計されておりませんので……。
「それを先に言え!」
どうやらラダマンティスは鳥なんかではなく、鶏だったようだ。
――失敬な。鶏も鳥ですわっ。
「うるせえッ」
口早に返して、気持ちを切り替える陽一。
まずは彼女の言う“息苦しい状態”を何とかしなければならない。
今のラダマンティスは、大気を取り込むべきノズルから逆に圧縮空気を噴出することによって身体を持ち上げている状態だ。ならば、再びノズルを吸気にまわしてやれば状況は改善するだろう。
だが、しかし。陽一ははたと思い止まる。
折角得た高所という強力なアドバンテージをみすみす捨ててしまう手はない。最大限に活用すべきだ。
そこで、陽一は三対あるノズルの内、一対だけを吸気に使うことにした。
ぐっと、落下の速度が落ちていく。
それと同時に大気が機体に取り込まれていき、見る間に活力が戻っていく。
上手くいった。急場ごしらえの発案であったが、的を外してはいなかったようだ。
――なるほど、こう言う使い方もできますのね。
「らしいな。それよりも」
弱まっていく落下速度に安堵の吐息をつきながら、陽一は更に状況の改善を進める。
「エリーゼ、可能ならば今すぐ敵戦力の解析をしてくれ。高所を取っている内に、対策を練っておきたい」
――あ、はい。少々お待ちくださいませ。
エリーゼの応答に合わせて、視界に各種情報《インジケーター》がポップアップする。
ポップアップウインドウには、カラーリングのされていない黒角たち……つまり、エクス・ウォーカーの素体が表示されていた。
――汎用量産《モデュレイト》型Totem、拡歩《エクス・ウォーカー》。機体コンセプトは先ほど申し上げた通り。目の前の五体は、素体に棘付きの肩当てと、カラーリングを施した改修機であるようですわ。特筆すべきは、大盾と大鉈。材質は……軟鉄かしら? あれだけ肉厚ならば十分な強度もあるでしょうし、攻防共に最低限の水準に達していると言えるでしょうね。さらに興味深いのが、金属鎖で作られた投石紐《スリング》でしょうか。原始的な兵装ですけれども、彼らの膂力に遠心力がプラスされた弾速を以ってすれば、いくら岩石であっても我々の機体に十分なダメージを与えることができるはずですわ。
「飛び道具に大盾か。盾に篭られたらなす術がないな……何か対策は?」
――懐に飛び込むことができれば、いかようにでも料理ができるかと。
「何故そう言いきれる?」
――拡歩の人工精神は劣悪ですの。搭乗者の意思を10%も汲み取れればいい方で、基本的には歩くことや何かを手に持つこと……日常生活における、本当に些細なことしか行えませんわ。ですから、近接戦闘に持ち込めば、鈍重な挙動を翻弄しながら各個撃破することも不可能ではありませんわね。
「なるほど……」
陽一は頷くと、ぐるりと視界を巡らし戦場一体を把握する。
背の高い森林地帯。
ラダマンティスの巻き起こす突風で吹き飛んだ枝葉の隙間から、六体のロボット……いや、Totemがまだらに見える。
陽一側の後方にいる機体はカカティキのもの。飾り布の少女は……避難できたのだろうか。付近を見回しても、彼女の姿は確認できない。
黒角たちは、陽一の前方で強固な陣形を組んでいた。
指揮官を中心に、盾を持った機体が三方を守っている。蹴り飛ばされた機体も既に合流しており、マシェットを片手に前方の厚みを増していた。
更に後方には台車が牽かれていた。補給車の役割を担っているのだろうか。武具や岩など、様々なものが積まれている。
構成から考えて、彼らが一つの部隊規模であることはほぼ間違いないだろう。連携に慣れている、いわゆるプロの軍人たちだ。
「……陣が厚いな」
正面から突撃をかけるのは得策でない。樹木に限定された空間で、敵の投石をもろに受けてしまう恐れがあるだろうし、辿りついたところで大盾がある。下手な接触は消耗戦のもとであろう。
走って部隊の背後に回り込めれば隙をつくことも可能かもしれないが、やはり密度の高いシダ植物と巨大な樹木がそれをさせてくれそうにない。
木々を薙ぎ倒しながら……ということも考えたが、すぐにそれは撤回した。薙ぎ倒す時点でどうしても手間がかかってしまうであろうし、森の民であるカカティキがどんな感情を抱くかわかったものではなかったからだ。
そうなると、残された手立てはただ一つ。
「空からの強襲か」
――最適解ですわね。こちらの戦力はラダマンティスと、フレースヴェルグ。同時に空中から攻撃を仕掛ければ、確実に接近することができるでしょう。
「フレースヴェルグ? ケツァル・テアじゃないのか」
――搭乗者がどう呼んでいるかは存じませんけれども、あの機体はフレースヴェルグ。アスリート型Totem、“スピードスター”のフレースヴェルグと名づけられた名機ですわ。卓越した飛行性能に陸上性能、こと運動性能に関してあの機体の右に出るTotemはいませんわよ。
「へえ」
彼女から得た情報を加味して、更に考えを進めていく。
熱帯雨林は植生の関係上、中層の空間に大きな隙間が存在する。障害物の少ない空中ならば、地上を駆けるよりもずっと敵に近づきやすいだろう。そのまま彼らの背後に着地してしまえば、盾と陣形による防備すら無効化してしまうことができる。
この作戦は有効だ。飛行能力を持つカカティキと、滞空能力を持つラダマンティスなら十分考慮に値する策であろうと思われる。
しかし、投石の一点にのみ懸念が残る。
距離を取って滑空している間ならば、敵の攻撃を避けることはそう難しくない。林立する高木を盾に立ち回ればいいだけなのだから。
だが問題は肉薄する瞬間だ。至近距離での投石を陽一は上手く回避できる自信がなかった。直撃してバランスを崩してしまえば、目も当てられない。
この最大の危機が訪れる瞬間をどう切り抜けるか……思考する陽一にエリーゼがポツリと答えを提示する。
――それなら、一度限りですけれども投石を無効化することも可能ですわ。
「何だって?」
――障壁《バリア》を作り出せば、多少の攻撃は跳ね除けることができますの。消費エネルギーが激しいので、そう長く展開することはできませんけれども。
「バリア……? 良く分からないが、本当の話なんだな?」
――ええ、この魂に誓っても。
「そっか……。ならば――」
――はい。フレースヴェルグに向けた指向性通信を開始しますわ。
助かると内心付け加え、陽一はカカティキに呼びかけた。
『カカティキ、上から同時に仕掛けるぞ!』
『……ッ? だが、不用意に近づくなど――』
『勝算はある。俺を信じろ!』
『……くっ、分かった。我が槍を預けるぞ、救世主!』
覚悟を決めたカカティキが宙高く飛び上がる。機械翼で風を掴み、高速で敵を目指すカカティキと、自由落下の方向をノズル噴射で調整して滑空するラダマンティス。
陽一の狙いは指揮官機。陣形のぎりぎり背後にあたる部分をめくるように攻撃を仕掛ける心算である。
加速する両機。それを撃ち落とさんと、指揮官機が黒角たちに指示を飛ばした。
『気でも違えたか。格好の的だッ』
『投石部隊、奴らを撃ち落せ!』
投石が開始される。
まず狙われたのは、カカティキよりも前面に進み出ていたラダマンティス。見る間に広がっていく岩飛礫から目をそらさずに、陽一はエリーゼに呼びかけた。
「エリーゼ!」
――はい。右手を前にかざしてくださいな!
「こうかッ」
突き出す右腕から、背中のスタビライザーと同種のノズルが展開する。
周囲に漂う目映いばかりの虹色。全身に流れる力が掌の更に先に収束していき、大きな魔法陣を創出した。
――いきますわよ。フィールド・オブ・イージス!
エリーゼの叫びが脳を叩く。
魔法陣が投石を受け止めた。巨大な質量に抱き留められたかのように急制動がかかる大岩。
「これは――」
――絶対の障壁《フィールド・オブ・イージス》。私たちオリジネイトTotemが持つ特殊能力ですわ。仕組みとしては、空間を歪めただけの至極簡単なものなのですけれども……それよりも、次のフェーズが来ますわよッ。このまま障壁ごと押し潰してしまいなさいな!
「分かった!」
障壁越しに肉薄する大地、そして指揮官機。
陽一は障壁に両脚をつけて、そのまま指揮官機の頭目掛けて力いっぱい踏み込んだ。
ぎちりと軋む音がして、一段大地に向かって身体が沈む。
『あがぁぁああああッ!?』
絶叫が森林に木霊した。
激昂する指揮官機が陽一の足首目掛けてマシェットを振る。陽一は再度跳躍してそれを避けると、ノズル排気量を微調整して別の一体に回し蹴りを見舞う。
投石を行った機体は上手く次の動作に移行できておらず、前衛は更に向こう側である。
まさに千載一遇、必殺のタイミングと言っても差し支えないこの状況。
硬い手ごたえを脚部に感じた。
『俺の、目が、目がァッッ!』
機械の身体に痛みがあるのか、悶え苦しむ眼下の一体。
黒塗りの肥満体が癇癪を起こし、単眼レンズが無機質な音を立てて底光りした。
『殺す……。この野郎、殺してやるからなッ! 死ね、早く今すぐ殺されて死ねッッ!! 蛮族風情がァァァァッッ!!』
『殺されてたまるかよ、この一つ目野郎!』
『んだと、コラァァッ!!』
敵の発した憎悪の篭った叫びに、陽一は喧嘩腰で立ち向かう。
ノズル排気量を最大にして軟着陸した陽一に、黒角の凶刃が襲い掛かる。
それを陽一は黒角の懐に入り込むことで回避して見せた。マシェットを持つ腕を掴み取り、がっぷり組み合い、力比べに移行する。
ラダマンティスの握力に黒角の外殻が悲鳴をあげ、大きく軋む。互いの排気風が、周辺の若木を横倒しにする。
早鐘のように脈打つ心臓。陽一は心を奮い立たせんと、あらん限りの力を込めて叫んだ。
『何が蛮族だ。古代ギリシャ人《ヘレネス》気取りにお高く留まりやがって……! 知ってるか? 故人曰く、そういうのを身内贔屓って言うんだよ!!』
『――ッ? 何を意味の分からんことをッッ!』
『俺だってそう思うさッ!』
そう短く叫んだ後、陽一は敵の剛力を受け流すようにして敵の腕を横に振り払った。
バランスを崩して急制動をかける黒角の上体。ラダマンティスの腕が空いた。
(しめた!)
この機を逃す手はない。
陽一は空いた利き腕をぎゅっと握り固め、フック気味に黒角の横っ面を殴り飛ばした。
大きくひしゃげる黒角の顔面。不規則に点滅する一つ目に向かって、更に駄目押しとばかりにもう一発見舞う。
『アァァァッッ!? 痛ェ、痛ェェョォォォォッッ!!』
『くそ、頑丈な――ッ!』
大分ダメージを与えているはずなのに、目の前の黒角は未だ健在であった。生存本能の赴くままに豪腕を振り回し、ラダマンティスをこれ以上近づけまいと、必死に足掻く。
舌打ちを重ねる陽一。とどめの一撃を見舞うべく腕を振りかぶった瞬間、突如エリーゼの制止がかかった。
――新手の接近を確認。一時、後方に非難してくださいまし。
「うおっ」
慌てて上体を反らしたところに、別の一体が割り込んでくる。豪腕の一撃が目の前を通り過ぎていき――
「なっ、さらに一体だって!?」
すぐ横に両手でマシェットを振りかぶった黒角がいた。体勢を崩したところにこれは避けきれそうにない。
『何をしているッ!』
直撃を迎えるその寸前に、砲撃でも受けたかのような破砕音が通り過ぎていった。
カカティキからの援護投擲だ。至速に達した銀槍の通り過ぎた後には何も残されておらず、胴体から上を失った黒角がよろよろと崩れ落ちていった。
『すまない、カカティキ!』
礼を言おうと視線を向けると、彼女は七体を相手に奮迅の働きを見せていた。
「七体、だって……?」
黒角の数が増えていた。
どういうことだ。陽一を囲む黒角の数は、手負いも含めて後五体。計十二体の黒角がこの戦場に現存している。
(村を襲っていた部隊が合流したのか?)
湧きあがる疑問。そして不安。激変を繰り返す戦場に、更なる不確定要素が入り混じる。
『ほぅ、これは驚きました。いくら村を焼いても姿を見せなかった原住民の娘が、まさかこんなところに居ようとは』
妙に上擦った男の声が陽一の耳を汚した。その声色からは緊張感など欠片も感じられず、まるで戦をピクニックと勘違いしているような場違い感すら覚える。
地響きが鳴る度に、周囲の温度が高まっていく錯覚を覚える。いや、錯覚ではないのかも知れない。現に今、森の奥で空気が揺らめいた。
巨木が次々に倒れていく。何者かが行く手を遮る障害物を押しのけながらこちらへ向かっているのだ。子供が小さな草花を踏み潰すような無邪気さの中に、何処かぽっと出の万能感を匂わせて、“それ”は一直線にこちらへと向かってくる。
陽一たちと“それ”を隔てる最後の巨木が暴力に屈して横たわった。天蓋を失った空から日光が降り注ぎ、“それ”は、新たな巨人はのっぺりとした体躯を輝かせた。
ヒヒ、と巨人の主が嘲笑う。それはよこしまであるのに何処か薄っぺらく感じられる、聞く者に不快感を催す声色であった。
◇
『アラニース様ッ』
黒角たちの振る舞いから、敗色の不安が解けていく。アラニースと呼ばれた新手は、周囲の期待が一身に集まっていることを確認し、満足げに膨れ腹を揺らした。
アラニースの駆る機体は醜悪な存在感を発していた。
喩えるならば、“成金趣味の蛙顔”。
全長は十八メートルはあるだろうか。黒角どころか、ラダマンティスやフレースヴェルグよりも一回りは大きく見える。のっぺりとした外装に瓢箪のような体つきは、何処か肥えた中年男性を思わせる。
堅固な装甲版の隙間からのぞく、三日月に潰れた嫌らしい眼は爛々と怪しい光を放っており、取り付けられた透明な頬袋の内では、燃えさかる火炎がぐるぐると渦巻いていた。
『探しましたよ、原住民』
楽しげな声をアラニースが投げかける。機体の首を傾げさせ、こちらをじろじろと見下ろすその態度からは、敬意の欠片も感じられない。まるで虫けらでも見るかのような眼差しに、陽一は酷く苛立った。
アラニースは唸る陽一に視線を滑らすと、
『んんん? 見慣れぬ巨人兵が混じっていますな……』
ぽっと疑問を口にして、すぐにつまらぬ思考と取り下げる。
『まあ、やることに変わりはありませんか。ガハルド様への献上品が増えた――ただ、それだけのこと』
含み笑いをする蛙頭のやけに膨らんだ指先が、ピンと立つ。アラニースはそれをまるで楽団の識者の如く操り、尊大な態度で歌った。
『喜びなさい、原住民。ペトナ家の長子、アラニースの手柄になれるのですから。歓喜のままに消し炭になれ』
黒角たちが再び勢いを取り戻し、人海戦術で押し寄せてきた。
「くそ、黒角に“でかぶつ”までおかわりかよッ」
腰溜めに放たれたマシェットの一撃を、陽一は身体を倒して寸でで避ける。イィィィンと駆動音を高鳴らせ、腕の力だけで飛び上がった。
――廃棄物焼却用Totem、バックス。強固な外装と三千度を超える高温の火炎放射を得意とする重量級の機体ですわね。正直、エクス・ウォーカーなどとは比べ物にならないくらいに手強いですわよ。
姿勢調整を行う陽一に、エリーゼのアドバイスが届けられる。
『ヤヒロヨウイチ、仕掛けるぞ――ッ』
カカティキが言葉だけを場に残して、一陣の風と化した。まずは頭を潰すことが先決と判断したのだろう。黒角の一体を踏み台にして向かう先は、蛙頭の巨人――バックス。
陽一も慌てて彼女を追随する。ノズル排気による急降下をバネに変え、姿勢を低く大地を駆ける。
上下に別たれた閃光が、バックスの膨れ上がった図体に叩き込まれた。
『ヒヒ……今、何をしたのですかぁッ!』
最大速度から飛び上がった彼女渾身の投擲は、バックスの外装にあえなく弾かれた。
尋常でない防御力だ。攻撃を受けたはずの箇所に、傷一つ見られない。カカティキは舌打ちをして、翼を展開。即座に距離を大きく取った。
問題なのは陽一だ。渾身の力を込めて放った殴打がまるで相手に堪えていない。それどころか、体重をかけすぎたために続く動作が遅れてしまった。
バックスの細長い指がラダマンティスの腕部を掴む。
『つ、かまえたぁ!』
『うおッ』
そのまま持ち上げられて、醜悪な蛙顔の目前にまで寄せられた。三日月の細目が赤く染まり、頬袋の火炎旋風がはちきれんばかりに密度を増す。
(やばい――ッ)
絶体絶命の窮地を再びカカティキの手槍が救う。銀光がバックスの横っ面を思い切り叩き倒し、直後、バックスの口から圧倒的な熱量が舌の様に伸びていった。灼熱の舌が大地を焦がす。木々は一瞬にして炭化させ、戦傷で満足に動けない黒角をも巻き込んでいく。
「こいつ、味方まで――!」
赤く融解し、飴のようになった黒角を目の当たりにして、肝を冷やす陽一。
――FoE《フィールドオブイージス》を展開してくださいませ!
切羽詰ったエリーゼの叫びに活路を見出す。陽一は掴まれた腕に力を収束させ、バックスの指をこじ開けるように障壁を構築した。万力の如く締め付ける握力も、空間の歪みには抗えない。解放された腕を慌てて引っ込めながら、陽一は全力で後方へ飛び退った。
「くそッ、あんなインチキロボ。どうやって戦えば良いんだよッ!」
――いえ、手はありますわ。少々時間をくださいませ。
「え、おい。そりゃ一体――」
エリーゼの言葉に疑問を挟む暇もなく、全身から力が抜けていった。どうやら供給されるはずのエネルギーを“何か”に注ぎこんでいるらしい。
「おい、エリーゼ。おいッてば! くそ、急に黙りこくりやがって……!」
彼女の行おうとしている“何か”を陽一は知る由もない。だが、それに頼らざるを得ないことも確かである。陽一は、今自分がすべきことを自問し、即座に答えを出した。
『カカティキ! 奴の装甲を貫けるかッ』
『空から全速力を込めれば、あるいは……』
『良し、“今”はそれで行こう! 俺が奴の動きを食い止めるから、後は頼んだぞッ』
言うが早いか、周辺の黒角を受け流しつつ、陽一は再びバックスへ突撃をかける。
黒角たちの連携が悪くなった。恐らくはバックスの炎を恐れているのだ。
おあつらえ向きだ、と自分の足を叱咤する。陽一は漆黒の体躯に散らばる虹色の光をさらに強めて、宙を飛んだ。
『ゼアッ』
中空で駒のように身体を回す。排気出力を回転に乗せ、破壊の力を脚部に込める。放たれた回し蹴りは蛙頭を狙い違わず撃ち抜いて、その巨体を大きく揺らした。
『ハン、無駄な足掻きを!』
ダメージ自体は全くない。よろめいた上体をゆっくり起こし、バックスは再び火炎舌を伸ばしてきた。
陽一はこれを急降下で辛うじてかわし、脇の下をすり抜けて敵の背後に回りこむ。二度のやり取りで気づいたことは、敏捷性の違い。このでかぶつは、黒角以上に鈍重なのだ。
『ちょこまかとぉっ』
長い両腕が陽一を捕らえんと上下左右に踊る。しかし、一端逃げに徹した陽一の身体にはかすりもしなかった。生身ならば、こうはいかなかっただろう。ラダマンティスの化した陽一の敏捷性は、生身だった頃とは比べ物にならないくらいに上昇していた。
まだか。陽一は上方をちらりと見上げる。カカティキの姿はない。超高木層のさらに上、小高い丘すら飛び越えそうな高度にまで飛び上がったのだ。そこから放たれる急降下の一撃は、紛うことなく一撃必殺の威力を秘めていることだろう。
後少しだけ持たせて見せる。陽一の覚悟を嘲笑うように、バックスは気色の悪い声をあげた。
『ヒヒ、そんなの。こうすれば全てがおじゃんでしょうにッ』
バックスの腹が尋常でない大きさにまで膨れ上がった。死の予感が陽一の脳裏を駆け抜ける。慌ててその場を飛び退いた瞬間、戦場を紅蓮の業火が覆った。
『ヒヒヒ、僕の炎で皆燃やしてやる! ヒヒ、ヒヒヒッ!!』
バックスが辺り構わず炎の舌を伸ばして回る。炭化した森のあちらこちらで熱された空気が破裂して、巻き添えを受けた黒角たちが逃げ惑った。
『……無茶苦茶だ』
森の中にぽっかりとできた焼け跡の中心で、蛙頭が狂喜している。
まるで降って湧いた力に溺れているようだ――底冷えのする恐怖に身を震わせて、陽一は仲間ごと森を燃やす蛙頭を空中から見下ろした。
刹那。
呆然とする陽一の視界を、雷が通り過ぎていった。
カカティキだ。空高くから動体視力では追い切れないほどのスピードでもって、彼女は蛙頭の頂点目掛けて急降下をかけたのだ。
あまりの速度に空間が根こそぎ切り裂かれ、真空となった軌跡に滝のような空気が吸い込まれていった。
雷撃が落ちた。彼女の手槍は灼熱の空間に耐える屈強な外装を打ち破り、バックスの頭部を串刺しにする。
『え、へ――?』
信じられないといった具合に、疑問がバックスの壊れた口からついて出た。
そして、絶叫。
『アァァァアアアアアアアアアアアッッ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いッッ!!!!』
痛みに身体をのた打ち回らせるバックス。苦し紛れのその挙動が、あまりにも迅速であったこと。一撃で仕留めきれなかったことが、カカティキの判断を鈍らせた。
『しまっ――!』
頭部に取り付いたカカティキの足をバックスが捉えた。そのまま力任せに振り回し、彼女の全身を大地に思い切り叩きつける。受身も取れない状態での衝撃が彼女の体躯に伝わっていく。
『ガ、ハッ――』
カカティキの細身が一段深く沈みこんだ。その上に激怒したバックスの巨大な足が迫る。
『畜生、畜生、畜生ッ!!!』
涙声で何度もカカティキを超重量で踏みつける。
地響きのたびに苦悶の声があがった。何度も、何度も。バックスは狂ったように足を動かす。カカティキのうめき声が回数を重ねるごとに弱まっていった。
『カカティキ!』
陽一が慌てて救援に駆けつけようとするも、我を忘れて暴れるバックスの腕に阻まれる。
体当たりも、殴打も、どんな攻撃も通じない。
焦りを募らせ、陽一は叫んだ。
『まだか、エリーゼェェェッ!!!』
――充填率3%、5%……15%、20%、25%……! お待たせしましたわ。“ラック”を活用してくださいましッ!
待ちわびた応えがやってきた。
「Luck《幸運》? どうすれば良い!」
――Rack《収納棚》ですわ! ジェネレータ生成エネルギーの一部を物質生成に用いて、プリセットにあるアーティファクトを顕現しますの。貴方の“武器”を、今生み出しますわ。先ほどと同様、掌をかざしてくださいな!
「良し来たッ!」
巨体を見上げつつ、陽一は強敵を撃ち滅ぼすことのできる武器を願って右手を掲げた。
再び生み出された幾何学模様の魔法陣が、目の前で虹色の光を帯びて回転する。陣の中心には剣の柄が浮かんでいる。あれが柄だとするならば、陣はさながら刃の鞘か。
少女を悪漢から救うにはこれ以上ない適物だ。陽一は気炎をあげてそれを勢い良く抜き放った。
果たして手に収まった得物は一本の短剣。
刀身を虹色に染め上げた力の刃であった。
――エリーゼの儀礼短剣《バターカット・オブ・シャンゼリゼ》。今のエネルギーで出せるものはこれくらいですが……“あの程度”の外装を斬り裂くには十分すぎる性能でしてよ!
「それなら上出来だ!」
陽一が吼える。
絶体絶命の危機を迎えた少女を救うべく、短剣を逆手に持ち、長く伸びたバックスの機械腕を力いっぱい斬り上げた。
ヒィィィィィィィンッ!
刃の触れた部分が不可解な音と共に消失していく。さしたる抵抗も感じない内に、バックスの腕が宙を舞った。
『ヒャアアゥッッ!?』
切り飛ばされた腕が地響きを立てて地面に沈み込む。隻腕と化した本体から声にならない悲鳴が漏れた。
『良しッ』
痛みに我を失い放心するバックス。陽一は彼の短くなった腕を掴んで、勢い良く天辺まで駆け上った。
ちろちろと点滅する三日月の瞳。既に頬袋の火力はない。
これが止めだ! 陽一は全力で短剣を喉元から胸に目掛けて突き下ろした。
『や、やめッ――』
絶命の最後の一瞬までも足掻き続けるバックス。外装が音を立てて消失し、内部がするりと裂けていく。
バックスの身体が痙攣し、その場に崩れ落ちた。
やったか――陽一が安堵の吐息をつこうとしたその刹那、
『アアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッッ』
精一杯の命を振り絞ったバックスが、陽一の身体を突き飛ばした。
『くっ、どんだけ頑丈なんだよ。お前ッ』
這いつくばって逃げようとするバックスに追撃をかけようとする陽一。
再び肉薄する両者。そして――
イィィィィィィィン……。
刃の弾ける音がして、排気の突風とは違う凍えるようなつむじ風が陽一の身体を通り過ぎていった。
――え、そんな……何ですの、このエネルギー量は……ッ? 危険ですわ、搭乗者《マスター》! 直ちにこの場からの即時離脱を提案します。早くッ!!
口早に告げられたエリーゼの警告が、一体何を意味しているのか。陽一がそれを理解するまでには若干の時間を要した。
考えるよりも早く体が後退を選択していたのは、全く奇跡だとしか思えない。
短剣を受ける長大な斧槍《ハルバード》の柄。
それを持つ手は漆黒の騎士手甲に覆われており、揺ぎない力強さを感じさせられる。風にたなびく外套の裏地は血錆色に染まっており、まるで彼の潜り抜けた戦歴を物語っているようであった。
フルフェイスの水鉢形兜《バシネット》からは、黒角たちと同じく一本の角が突き出ている。しかし、彼らと似通っているのは角だけだ。その体躯は樽型の黒角たちよりも一回りは大きく、そして全体的にしなやかな印象を受ける。
まるで西洋の騎士――。そう、喩えるならば陽一の斬撃を受け止めた新手は、黒角とは似ても似つかない漆黒の重装騎士であった。
面当ての隙間から覗く怪しい瞳の輝きを見た瞬間、陽一は今、自分がどれだけ危険な状況に置かれたのかを実感する。
間違いない、こいつは敵の大将だ。今まで戦ってきた奴らとは、何もかもが段違いな――
何者も寄せ付けない高貴さと、見る者を圧倒する迫力を兼ね備えた一軍の大将。そんな絵物語の主役みたいな相手が目の前にいて、自分たちと敵対している。
“これ”との戦闘はなんとしてでも避けなくてはならない――。陽一の生存本能が、痛いほどに撤退を要求していた。
『“大柄”……ッッ』
地面に倒れるカカティキが苦悶の声を発した。
彼女は今、漆黒の騎士を“大柄”と呼んだ。何かしらの因縁があるのであろうか。敵と相対する際の断固たる殺意の中に、焦りのようなものが垣間見える。
“大柄”は斧槍を静かに振り回した。ゆったりとした動きの中に秘められた確かな威圧感を受けて、陽一の心が恐怖に震える。
武人の演武が彼の闘気を加速度的に高めていく。発せられた重圧がぴりぴりと周囲をおののかせ……やがて、ぴたりと収まった。
スッと得物を地面に下ろし、
『ここは矛を収めて頂きたい。森の民よ』
先ほどまでの敵とは明らかに違う、深い理性を感じさせる声色で意外な言葉が放たれた。