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No.30361の一覧
[0] 上書きされたエリュシオン【異世界召喚・ロボットもの】[三郎](2012/02/01 18:47)
[1] 1-2[三郎](2011/12/28 18:32)
[2] 1-3[三郎](2012/04/13 07:58)
[3] 1-4[三郎](2012/01/19 01:32)
[4] 1-5[三郎](2012/01/28 20:13)
[5] 2-1[三郎](2012/04/18 19:45)
[6] 2-2[三郎](2012/05/16 20:17)
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[30361] 1-2
Name: 三郎◆bca69383 ID:2b30bece 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/12/28 18:32
二、
 つんと感じた獣臭に目が覚めて、一番に見えたものは切り出した木材が織りなすストライプであった。
「……っぅ」
 鈍痛を訴える首をゆっくりと回しながら、陽一はぼやけた思考の靄を払っていく。
 身体が重い。気を失っていたせいもあるだろうが、どうやら全身が凝り固まってしまっているせいらしい。
「まあ、毛布すらないようじゃ、なぁ」
 硬い床を見下ろすと、そこには申し訳程度に何かの藁が敷き詰められていた。
 肺に溜まった息を吐き出し、改めて辺りを窺うことにする。先ほど視界に捉えた縦縞模様は、大分隙間が空いていた。
「……家、なわけがないよな」
 眉間の皺を深め、思案する。
 いくら熱帯と言っても、こんな風通しの良すぎる住処はあり得ない。水分を大量に含む森の中というのは、夜間想像以上に冷え込むものだし、何よりもたき火の煙が届かない場所で一夜を過ごすのはあまりにも危険すぎる。猛獣が、と言うわけではない。主に危険なのは伝染病を媒介する吸血昆虫の類である。
 となると……と、陽一は更に思索を深めようとして――決定的なヒントに今更気づく。
 先程から感じていた獣臭の元――それに目をやり、陽一はがくりと肩を落とした。
 獣糞が、隅に転がっていたのだ。
「ああ、檻の中ね」
 考えてみれば、それはあまりにも当然すぎる結論であった。
 気絶する直前、陽一は未知の部族と接触している。森に生きる人々のほとんどが採集狩猟を生業にしているものだから、彼らもその例に漏れなかったということなのだろう。
(となれば、ここは生け捕りにした獲物を保存しておくための獣檻といったところか……?)
 間違っても人を入れるような場所ではない……が、先刻不意の攻撃を受けたことからも、あれらが自分に友好的でないことは明らかである。
 ……と、ここまで来れば、子供でも結論が出せる。
 どうやら自分は拉致されたらしい。陽一は途方に暮れながら檻の天井を見仰いだ。

「ああっ、くそっ……!」
 がしがしと髪を掻き毟り、陽一は苛立ちをあらわにした。
 崩落に巻き込まれた時とはまるで異なる、現実的な死の予感が脳裏を過ぎる。

 ――未踏破地域の調査には常に危険がつきまとう。未開を決して甘く見てはならない。

 ベテランの研究者から、耳にたこができる程に説教を受けた文言を、今更ながらに思い出す。
 未踏の地へ旅立ち、そのまま帰ることのできなかった先達は数多い。それだけ冒険とは非常に危険な行為なのだ。
 そんな当たり前のことを、今の今に至るまで他人事のように感じていた自分がひどく恥ずかしい。
(……まさか自分自身がこういう立場になるなんて)
 沸き上がる後悔に強く歯噛みする。
 大学院を出て、陽一がこの世界に踏み入ってからまだ三年と経っていない。当然、未開の調査も数えるほどにしか経験をしていなかった。
 そのためだろう。未開への冒険などは、あくまでも日常と日常の合間に挟まっているスパイス……または、魂を揺さぶる、体感型スペクタクル程度の認識しか持っていなかったのだ。
 今になって思えば、考えが浅かったと言わざるを得ない。
 一歩間違えば、命を落とす。常に迫られる選択は決死のもの。
 もし、そう言った恐怖を身体に染み込ませていれば、先刻未知の部族と出会った時の対応も大分違ってきたであろうし、それ以前に逃げ隠れることだってできたのかも知れない。
 いや、そもそもの話、遺跡の崩落にだって巻き込まれずに済んだのではないだろうか……。
 次々に浮かび上がる、「あの時、こうしていれば」と言う後悔。
「このまま帰れないのか……?」
 望郷の念が心に渦巻き、陽一はしゅんと項垂れる。

 ――家に帰りたい。

 心の底からそれを願う。
 いくら未開の地が夢と希望に溢れていると言ったって、それはあくまで家に帰ることのできる当てがあってのこと。どんな勇敢な冒険家とて、家や家族を持っている。持っていないのならば、そいつは冒険家ではない。ただの根無し草だ。
 まだ、やらなければならないことは山ほどあった。今回の発掘報告書、学会での発表用原稿の作成。さらには発掘資料のコンディションレポートなど……。ここ数年は顔を見せていない家族にだって何気ない挨拶がしたかったのに。
 考えている内にも、無慈悲に過ぎ去っていく時間の流れ。それが何とも恨めしく感じられ、陽一は悲しげに低く唸った。

 ――ここから出たい。今すぐにでも。

 強烈な欲求が膨らんでいく。衝動のままに手を伸ばし、檻の隙間に顔を押し付ける。
 檻の外に広がる世界は既に黄金色に染まっていた。
 陽一を捕まえた部族の集落だろうか。既に傾いた陽射しを浴びながら、一日の生業を終えた村人たちが家路についている。
「ケ・チナン、アイ、キジャ。ラン、テ・リャー」
 遠方で村の子供たちが歌いながら、家畜を牽いている。
 立場が立場でなかったら、その光景を「のどかである」と評することができたのかもしれない。
 しかし、今の自分は囚われの身。そして彼らは自分を捕らえた敵である。
 彼らは家に帰ることができるのに、自分にはそれが叶わない。陽一はひたすら彼らが憎く思えて仕方がなかった。
「くそっ……」
 じろりと子供たちを睨みつける――が、彼らを視界に納めた瞬間……何かが心に引っかかった。
「……?」
 違和感があった。
 列を成し、明るい足取りで四人の子供たちが歩いている。これは人の住んでいる所ならば都鄙の別なく何処でも見られる、実にありふれた光景と言えよう。だから、違和感の原因ではない。
 その先の……彼らが手に持つロープの先に繋がれている家畜。これが問題だ。
 一見、馬のようにも見える生き物。その鼻先を見て、陽一は言葉を失った。
(二角の馬だって……ッ?)
 静かに頭を垂れながら、とぼとぼ歩く家畜の鼻先と額からは縦列に並ぶ二本の角が突き出ていた。
 驚きのあまり、思考が真っ白になる。
 角は半ばほどで折られているから、元の全貌は分からない。が、基部の太さから考えて、サイのように立派な角が備わっていたであろうことはおぼろげに類推できる。折られた角の基部は加工され、荒縄が巻きつけられるようになっていた。
 サイの角を持つ馬などいるわけがない。
 シカやトナカイ、レイヨウなどの生き物の姿を思い起こしてみるも、それらの角は基本的に目や耳と並行して発達しているものだ。それだけならばまだしも、蹄があるはずの脚に蹄はなく、あるのは鳥類の鉤爪のみ。
 既存の知識と目の前の生物が重ならない。
「あんな動物……見たことも聞いたこともない」
 嫌な予感がした。
 陽一は目を皿のようにして集落内を隈なく見回す。
 別の場所で精悍な体つきの狩人が歩いているのを見つける。彼がぶらさげている獲物は、猪よりも大きい二足の爬虫類であった。
 更に視線を滑らせる。集落の中心には市が開かれていた。その内の一カ所。筵の上に並べられた魚の鰓を見て、陽一は目を疑う。
 縄にくくりつけられていた魚の鰓から、皆一様に金属の刃が飛び出ていた。ナイフを突き刺されているわけではないらしい。カジキマグロの嘴のように、身体の一部が硬く進化しているのだ。
「そんな……って、うわっ」
 だめ押しをするかの如く、不意に迫る飛来物。陽一は慌てて後ろに倒れこむ。
 果たして翅音を立てて飛んできたものは……何と三つ目の巨大コオロギであった。
 檻にぶつかり、再び何処かへ飛び去っていく怪物の後を眼で追いながら、
「これ、は……」
 へたへたと力を失う。
 映画の撮影などと自分をごまかすことはできそうになかった。
(新たな知見どころの話じゃない)
 これは異界。
 夢遊病にかかっているのでなければ、目の前に広がるこの光景は間違いなく陽一の知る世界とは異なる現実なのだ。
 陽一の頭から、帰還の二文字が消え去った。帰り方が分からない。
 恐らく余裕を失っていたせいだろう。
 陽一は檻へと近づく突然の来訪者に気がつくことができなかった。
「――」
 誰かに不機嫌な口調で何かを呼びかけられる。
 ギイと音を立てて、獣檻が開いた。
 姿を現したのは、先刻の少女。彼女は突き刺すような眼差しのまま、肩を怒らせ腕を組んでいた。
「あ……」
 少女と視線が交錯する。
 以前と同様に、冷たい眼差しだ。凍えるような憎しみの感情が瞳の内に渦巻いている。
「<呼びかけ>、<恐らくは名詞>」
 再び、言葉をかけられる。先程よりも苛立ちを込めたその声色から、陽一の無反応に対する不満がありありと見て取れた。
「な、何だよ……」
 後ずさりしながらも、彼女に対して睨み返す。
 何せ相手は自分を拉致した張本人である。
 どうして自分がこんな目に会わなければならないのか。何でこんなに憎まれなきゃならない。一体全体自分が何をしたって言うんだ――陽一の胸の内には、吐露したい感情が山ほどにつまっていた。
 彼女の敵意を浴びながら、陽一はぐっと両拳を強く握り締める。
 わなわなと震える唇。陽一はヒステリックに感情を吐き出す。
「ここは……一体何処なんだよッ!!」
 銀髪の少女に対して陽一がかけた初めての言葉は、故郷の言葉による悲痛な叫びであった。


「……?」
 少女は怪訝な表情でこちらをねめつけた後、すぐに考えることを止めた。無駄なことだと割り切ったのだろう。
 代わりに何かを投げてよこす。慌ててそれを受け止めるべく手を伸ばした。
 硬い陶器のひんやりとした感覚。それは遺跡で見つけた虹色の腕輪であった。
「<疑問>。<恐らくは代名詞><不明、だが動詞の可能性が高い>アマルン・アニル?」
 彼女の口調は刺々しく、有無を言わさぬ迫力があった。
 陽一は圧倒されながらも、先刻虹色の腕輪を見た時の男たちの驚きを思い出す。彼らは明らかにこの宝物を見たことがあるという反応を見せていた。
 ならば、と陽一は考える。
 彼女の言葉はかなりの精度で想像がつく。恐らくは「何故お前がアマルン・アニルを持っている」と問いかけているに違いない。
(そんなこと……説明して何になるって言うんだよ)
「遺跡で見つけたのだ」と包み隠さず伝えることができたところで、彼女が満足するとは思えない。
 どうやら彼女らにとって、この虹色の腕輪は何か特別な意味合いを持っているようだ。
 宝物を手にした人間に対してこの敵意……大方、自分のことを盗人か何かだと思っているのだろうと、陽一は当たりをつけた。
 そんな誤解を解ける程に、陽一は彼らの言語に明るくはない。
 憮然とした態度でだんまりを続けていると、陽一が中々口を開かないことに業を煮やした少女は、更に双眸を険しくして言葉を投げかけてきた。
「<不明>、何故お前が?」
 何故、と問われても語る術がない。本当ならば憎まれ口の一つでも叩いてやりたかったが、陽一は未だ彼女らの言語に明るくはなく、意思疎通ができるレベルには至っていないのだ。
「……あんたたちの言葉が分からないから伝えようがない。むしろ、あんたたちが努力をするのが筋ってもんだろうが。異文化理解って知っているか? こう言うのは双方の歩み寄りが大事なんだ」
 突き刺すように故郷の言葉を呟く。
 少女は陽一の様子を見て、納得のいかない表情を浮かべた。
「<強い口調>。お前が<動詞か>、<恐らくは名詞><動詞か>」
「……だから、伝えようがないって言ってるだろ!」
 癇癪を起こした陽一は、彼女を責めるように詰め寄った。
「だったら、交換条件だ! あんたの気になっているこの腕輪は、遺跡を調査していた時に見つけた。これがあんたたちにとってどういう意味を持つものかなんて、俺は知らない。知ったこっちゃない! 何なら、この場でプレゼントしてやったっていいくらいだ。その代わりな――」
 俺を家に帰してくれ――そう言ってやりたかった。
 藁をも縋る気持ちであったのかもしれない。
 知っているわけがない――と心の片隅で思いつつも、今一つ陽一は諦め切れていなかった。
 目の前の現実は全て性質の悪いジョークであり、今にも彼女が「ドッキリである」と打ち明けてくれるのではないか……そう思っていたのだ。
 だが、案の定と言うべきか、陽一の願いは次の瞬間あっさりと拒絶されることになる。
「――ッ!」
 キッと表情を変えて身構える少女。
 ――刹那、腹部に激痛が走った。
 彼女の鞭のようにしなる足が、陽一の身体にみしりとめりこんだのだ。
「ぐぅっ……」
 衝撃で後方へ吹き飛ばされ、たまらずその場にうずくまる。
「お前は、<強い口調>ッ!」
 彼女はそう吐き捨てると、鳥の尾を思わせる髪をひらりと翻す。がたりと扉が閉まった後に、閂が差し込まれる音が聞こえた。
「畜生……っ」
 陽一は悔しげに涙をこぼす。
 ルイス・キャロルの描いた悪夢のような現実は、どうやら未だ終幕の兆しを見せてくれそうになかった。





 空気がしんと冷え込んできた。
 既に檻の外は夜の暗闇に包まれており、日中やかましく響いていた怪鳥の声もすっかりとなりを潜めている。
 夜空に浮かんだ虹色の月から降り注ぐ、おぼつかない光を受けて、何かの藁でできた簡素な竪穴の住居が集落内に浮かび上がっていた。
 更に蛍のように揺らめくほのかな明かりと焚き火の煙。夕餉の香りが隙間風を通じて伝わってくる。
 陽一の腹が、低く唸った。
「……腹、減ったな」
 空きっ腹を擦りながら、陽一は腕時計に視線を落す。
 愛用のG-SHOCK、GW-9000MUDMAN《マッドマン》モデルはこんな異郷の地においてでも変わらぬ時を刻み続けていた。
 液晶画面に表示されたデジタル情報は、「SUN/P 22:13 43」
 彼女が出て行ってから、優に四時間が経過したことを示している。
「そりゃ腹も減るはずだ」と、陽一は苦笑いを浮かべた。

 下手なことをして気分を害したせいだろうか。彼女が出てからここに訪問するものは居なかった。当然食べ物のような差し入れもある訳がなく、現在陽一は空腹に身を捩じらせる羽目に陥っている。
 もし、あそこで彼女に対してしおらしい態度を取っていたら、今よりはマシな待遇で夜を迎えることができたのかも知れないが、今更悔やんでみたところで仕様がない。
 あの時は、感情の整理がつかなかった。……仕方がなかったのだ。
「まあ、こんな未開の地にジュネーブ条約が活きている訳がないわな」
 冗談でも口にしなければ、やっていけそうになかった。
 陽一は腐れながらも、萎える身体を無理矢理発憤させ、現状の打破を試みる。
「考えようによっちゃ、殺されなかっただけマシ」という結論を至ったのは、つい先ほどである。
 泣き叫んだところで、陽一を取り巻く状況が変化することはない。
 理不尽な憎しみを向けてくる銀髪の少女に対する反感が、離郷の悲しみを幾らか和らげてくれた。
 更に幸か不幸か、現実離れした異界の景色を見てしまったことも功を奏したらしい。
 目に見えるもの全てが映画のセットなどではなく、現実味を帯びたリアリティを放っている。
 陽一は、夜空に浮かぶ月までもが自分の知る青白い球体ではないことに気がついた時、もうここが自分の知る世界であるなどと言い張ることを諦めた。
(どういう原理か、とんと想像がつかないが……どうやら俺は地球じゃないところにいるらしい)
 地表面で繋がっているかも分からない故郷への帰り道を探すことなど、そう簡単にできるわけがない。

 ――どう足掻いても、すぐに帰ることは難しそうだ……。

 諦めが早々にできたことによって、陽一の思考は「まず、第一に生き延びること」へと比較的容易にシフトすることができた。
 孫子曰く、拙速は巧遅に勝る。まずは脱出方法を模索すべく、陽一は扉周りを調べることにした。
 扉も獣檻と同じ木製で、閂もまた同様であった。
(直接手で……は外せないか、当然だな)
 暗くて良くは見えなかったが、閂はオーソドックスな横に差すタイプのものであった。横から手を伸ばしてもぎりぎり届かず、陽一は口惜しげに舌打ちする。
 ならば、扉の下にある隙間から閂に触れることはできないものかと試してみる。
(んっと……おっ、いけた)
 手が届いた。だが、かなり無理な体勢で手を伸ばしているため、閂をスライドさせられるほどの力を込めることができそうにない。
(ベルトか何かを縛り付けて……いや、長さが足りないな。もっと長いロープが必要だ)
 そこまで考え、はたと思いつく。

(縄を作れば、いけるな)
 陽一は敷き詰められた藁を手繰り寄せ、一本の縄を作ることにした。
 一心不乱に手足を動かす。
 藁の数本を足で固定し、必死に撚り合わせてロープにしていく。学生時代にフィールドワークで学んだ技術がこんな所で役に立つとは、正直夢にも思わなかった。
「……日本の農家のおっちゃんと民俗学の教授に感謝だな、っと」
 程なくして一メートルほどの縄が出来上がった。陽一はそれをまじまじと見つめ、たまらず苦笑いする。
「前言撤回。申し訳ないや。お前は何を学んできたのかと怒られそうだ」
 綯われた縄は、形も強度もお粗末と言って良い出来栄えであった。
 だが、それでも手持ちの札が増えることは陽一の生存率を高めることにつながるだろう。
 使い道は色々ある。檻の外に付けられた閂を外すためにも使えるし、人一人ならば拘束することもできる。また、あまり想像したくはないのだが、部族の人間と争うことになった場合、投石紐や唐棹《フレイル》として用いることだってできるだろう。だが……
「……争う、か」
 反芻するように言葉を繰り返すと、先ほど自分を蹴り飛ばした銀髪の少女の姿が脳裏に浮かび上がった。
 自分の現状を鑑みれば、彼女は明らかに自分の敵。
 なれば、時と場合によっては血で血を洗う戦いになったっておかしくはない。おかしくはないのだが……。
 陽一は、ここに至っても彼女たちと戦うという覚悟を決められずにいた。
 今までの人生、争いとは無縁の場所で生活していたせいもあるのかも知れない。
 理不尽に対する負けん気こそ沸き上がってくるものの、たとえ相手が敵対的な人物であったとしても、それらに殴りかかる自分の姿を想像しただけで、陽一は全身の震えが止まらないのであった。
 殴打されて血を流す彼女の姿が頭の中にちらついて、陽一は青ざめた表情で頭をぶるぶると横に振った。
 嫌な考えは、さっさと払い飛ばすに限る。

「……やめた。こういうのはいざとなってから考えよう」
 結果として、採った選択は平和主義。至極日本人らしい意気地のなさだと陽一は笑みをこぼした。
「たはは……」
「なーお」
 檻の中で弾む自分の笑い声。それに小さな鳴き声が追随した。
「……ちょっと待て?」
 陽一はびくりとして、檻の中を見回す。
 今、自分以外に何かの声が確かに聞こえた。
「何も、いない……?」
 そんな訳がない、ともう一度見回す。陽一の耳に届いた声は決して幻聴ではないはずだ。
 檻の隅にはいない。外側にいるわけでもない。ぐるりと内部を見た後で、手元に視線を戻してぎょっとする。
「なーお」
 陽一が胡坐をかいているすぐ横で、小さな山猫が丸くなっていた。


「な……な、何だッ?」
 なーお、と再び山猫が鳴いた。
 図体は猪の子供くらいであろうか。野生の獣にしては不思議なくらい毛並みが整っており、虹色のたてがみが神秘的な威厳を醸し出している。
 山猫が丸い目を開く。ぱちりと開いたその瞳は、まるで曇り一つない鏡を思わせた。
「山猫……の子供か?」
 山猫は陽一のことをじろじろと見て、すぐに興味を失ったのか、そっと目を閉じる。ふわあ、と欠伸をして背を向ける山猫の様子からは、敵意が微塵も感じられない。
 ……どうやら命の危機がやってきたわけではないらしい。
 陽一はほっと安堵の息を吐き、
「ほら、こんな檻の中にいるなよ。食っちまうぞ」
 山猫を足で外へと追い出そうとする。
 だが、山猫が外へと逃げていく様子はない。足でぐいっと押しても、ごろんと寝返りを打つだけだ。
「……妙に腹の立つ態度だな」
 山猫は腹をこちらに見せて、すっかりリラックスしているようであった。足で何度突付いてみても、欠伸するばかりで反応がない。
「出て行くつもりはないってか……」
 陽一はため息をついた。自分の傍で異界の生物がごろごろしているというのは、何とも落ち着かない心地がしたが、それにかかずらってばかりもいられない。
 何せ、自分の処遇は未だ定まっていないのだ。明日をも知れぬ身の上な以上、夜明けが来るまでに脱出の算段を立てる必要がある。
 そのためにも手札はきちんと確保しておくに越したことはない。陽一は再び胡坐を組んで、縄の補強作業に務めることにした。
 ……手足を動かし、懸命に縄を綯っていく。その間にも視界にちらつくのは、ごろごろ寝返りを打つ山猫の姿であった。
 なーお、と繰り返し山猫の鳴き声。
「……お前、いい加減にしろよ」
 我慢できなくなった陽一が山猫の体をひょいと摘みあげ、恨みがましげに睨みつける。山猫はきょとんとした表情で目を開き、再び大きく欠伸をした。
 なしのつぶてにも限度がある。
 陽一は一瞬頬を引きつらせたが、
「……止めた。相手しても腹が減るだけだ」
 すぐさま力なく肩を落とした。腹の虫が、よそ事に気を回すなと警鐘を鳴らしていたのだ。
 地面に下ろされた山猫の子供は、少し陽一の姿を見上げてきょとんとした。
 鏡の瞳が、まるでこちらの心を写し取ろうとしているかのように、きらりと輝く。
「ふー」
 山猫は小さく鳴いて、ぱっと外へ飛び出した。
「俺をからかうのに飽きたのか……?」
 首を傾げてみても、事の真相は分からない。
 それでも邪魔物がいなくなったことは確かだ。陽一は胸を撫で下ろし、作業に戻ろうとする。だが、その矢先――
「むー」
 再び山猫の声が近づいてきたため、勘弁してくれとばかりにうんざりとした表情を浮かべた。
 陽一もこれには流石に耐えかねて、叱りつけようとする。が、
「あのな、お前……って、それは……?」
 檻の中へと戻ってきた山猫が口に咥えた物を見て、驚いた。
「お前、それ。食べ物か?」
 ことりと山猫が地面に落とした物は、先刻集落内で見かけた魚を燻製にしたものであった。
 山猫の子供はそれを陽一の目の前に置くと、再び外へと駆け出していく。
「あ、おいっ。待てって!」
 慌てて発した制止も聞かずに、山猫は夜の闇に溶けていった。
 陽一はその場に残された燻製を見て、
「これは俺に食えっていうことか……?」
 頭を悩ませたが、燻製から漂う匂いを鼻に感じた瞬間、もう何も考えられなくなる。
 燻製特有の煙臭さの中にほのかに混じる、焼けた魚肉の香ばしさが腹の虫を盛大に煽る。
 ごくりと唾を飲み込んだ。どうやら、滲み寄る空腹感には耐えられそうにないらしい。
「……頂きます」
 手を合わせて、陽一は呟く。
 山猫の贈り物に齧り付いてみると、魚の旨味と塩味が口の中に広がった。


 腹の膨れた陽一は、数時間ほど仮眠を取ることにした。
 敷き詰められた藁の一部を身体にかけて、ごろりと地面に寝転がる。
 横を見ると、相も変わらず傍で山猫が丸くなっていたが、陽一はそれには構わずにそっと目を閉じた。
 この虹色の山猫が、自分の飢えを救ってくれたことには間違いない。
 あの後、山猫は何度も檻と外を往復し、魚の他にも果物や焼いた芋に似た食べ物などを幾つか運んできてくれた。何を意図してそんな親切をかけてくれたのかは全く理解ができなかったが、結果として計り知れない恩恵が得られたことは確かな事実として残っている。
 陽一は感謝するように、山猫の整った毛皮をそっと撫でる。ぐう、といびきで返事をする山猫。陽一はくすりと笑って、寝返りを打った。

 現状を改めて分析する。
 空腹が満たされたことで、とりあえずの窮地は脱することができたと言えるだろう。
 更に刃の突き出た魚を手に入れることができたのは良かった。剣状に進化した鰓の硬度は素晴らしく、恐らく武器として使っても申し分のない性能を発揮するはずだ。
 後はロープを使って閂を外し、集落の外へと逃げ出せば良い。昼間に見た崖の下辺りまで逃げてしまえば、彼らも追ってくることはないだろう。
(……いや、それよりも俺が倒れていた場所に一度戻ってみるというのも手かな)
 あの大木の足下は、陽一にとっては見知らぬ世界の入り口だ。云わば境目と言って良い。出口が何処なのか分からない以上、あの場所をもっと詳しく調べる必要があるだろう。
(例えば、あのうろだ。引っかかっていた石片とか、気になることはいくつかあった)
 不思議の国に迷い込んだ少女だって、現実と幻想の境目は兎穴にあった。ならば、樹洞に境界があったところで何の不思議もないはずだ。
(……我ながら夢見心地のおかしなことを考えていると自覚するよ)
 はあ、と長いため息をつく。
 先日までの自分ならば、あなぐらに出口があるかも知れないなどという発想、およそ思っても見なかったに違いあるまい。
 A地点からB地点に行くために向かう道筋は、常識的に考えればX軸にあるもので、Y軸にあるわけがないからだ。
 しかし、ここが陽一の常識からかけ離れた場所だというのならば、話は別になる。
 新天地を求めてベーリング地峡を渡ったネイティブアメリカンの思考ではなく、アームストロング号の乗組員たちに思考の波長を合わせていく。
 X軸ではなくY軸……いや、陽一は今までの常識を全てかなぐり捨てたっていいとすら思い始めていた。
「いずれにせよ、夜が明けたらここを逃げ出そう。そして……いつか、元の世界に帰ろう」
 固い意志を言葉に紡ぎ、陽一は微睡みの世界へと旅だった。
 できることならば、今までのことは全て夢であって欲しいと願いながら――。
 明くる朝。けたたましく鳴り響く警鐘に起こされた陽一が目にしたものは、案の定居眠り用のデスクではなかった。
 だが、それと同時に一日の始まりに目覚める集落でもなく、
「な、何が起こったって言うんだよ……」
 目の前にあるものは、紅蓮の炎に巻かれた集落。
 怨嗟と叫喚に満ちた戦場であった。





 茅葺の家から轟々と火が立ち上り、男たちの勇ましい怒声と、女子供の泣き声が痛いほどに耳朶を叩く。
 たった数時間の間に変わり果ててしまった村の姿を目の当たりにし、陽一は檻の中で呆然と立ち尽くした。

 ――これはただ事ではない。

 部族間抗争か、それに準じたトラブルが勃発したであろうことは疑いようがないだろう。となれば、
「まずい、早くここから逃げないと……」
 敗色が漂う集落の様子を見るに、これ以上ここに留まるのはかなり拙いだろう。
 捕虜の捕虜の扱いがどうなるかなど、考えるまでもなく明らかであった。
 陽一は尻に火がついたように檻の扉に取り付くと、昨晩作った縄を閂に取り付けた。
 滑車の原理を利用して、少しずつ閂を外していく。
 元より人間を捕らえて置く為のものではないのだろう。閂は思ったよりも簡単に外れてくれた。
 ごとりと閂が地面に落ちて、勢い良く扉が開く。陽一は、そのまま外へ飛び出そうとして――慌てて中へ振り返る。
「お前も逃げるか、ちび猫」
 恩人をこの場に置いていくのも何だか気が引ける気がしたのだ。
 未だ丸くなっていた山猫の子供に声をかけると、山猫は体を二、三度振るって起き上がり、
「なーお」
 ぴょこんと陽一の肩へと飛び乗った。
「ものぐさな奴だな」
 軽く小突いて、全速力で森へと走り出す。
 幸い、獣檻は村はずれの森のすぐ傍に置かれていた。
 程なくして陽一と山猫は、シダ状の植物の茂みに身を滑り込ませることに成功する。
 緑の強い臭気を鼻に感じる。陽一は先日の大木へと向かおうとする段になって、大事なことに気がついた。
 大木の場所が分からなかったのだ。
 一瞬、心を支配する困惑。だが、すぐに背中に感じた熱気によって冷静さを取り戻す。
「とにかくここを離れる。まずはそれからだ」
 集落から逃げ出したらしい小型の家畜に混ざって、陽一は身を屈めて茂みの中を潜って行く。
 やがて叫喚が遠ざかっていくのと入れ替わりに、異質な言語が耳を通り過ぎていった。
(集落の奴らが使っていたものと違う……?)
 慌てて、耳と神経を研ぎ澄ませる。
 話し声は陽一達の大分先から発せられていた。

「<不明><不明><不明>、<不明><不明><不明>」

 すぐに陽一は彼らの言葉の解読を諦めた。集落の人間が使っていたものと比べて、構成文法が複雑すぎるのだ。その上、単語ごとに活用形があるのか、似通った単語から意味を類推することすら困難ときている。
 どうやら、この言葉の使用者たちはかなり進んだ文化を持っているようだ。恐らくは陽一の世界における一般的な中世社会を凌駕したレベル……いや、下手をすると近世にすら届くかも知れない。
(ならば、事情を話せば保護してくれるのでは……?)
 甘い考えが一瞬過ぎったが、すぐにその考えは捨て去った。
 先刻崖の上から見た光景が陽一の脳裏にフラッシュバックしたためだ。
 首や手足に枷を付けて、乱暴に褐色肌の人々を連れ歩くチュニック姿の人々。
 上等な衣服に階級の別。このような諸特徴を有する彼らならば、高度な言語体系を自在に操っていたとしても別段おかしくはない。
 だが、もし傍で会話している連中が彼らと同じ文化圏に属している場合、果たして自分に対して友好的な態度を取ってくれるものであろうか。
 陽一は、彼らと手放しで仲良くなれるとはどうしても思えなかった。
(判断を間違えたら、取り返しがつかないな……)
 気持ちを引き締め、状況を整理することにする。
 まず、陽一を捕らえた集落の人々が戦っている相手は、洗練された言語を持つ上位文明の民であったと仮定する。
 先日目の当たりにした光景がその延長線上にあるならば、“チュニック姿”と“褐色肌”の戦力差は歴然としていると考えられるだろう。
 弱者が強者に噛みつくことは原則的に自衛以外あり得ない。故に彼らの関係に、侵略者と被侵略者の関係をあてはめることは、あながち間違いでないように思われる。
 その上で付け加えるとすれば、“チュニック姿”は“褐色肌”を襲い、奴隷の獲得も行っている節がある……。
 ここまで考えて、陽一の脳裏に閃くものがあった。

 ――彼らの在り様は、まるで自分の専攻している分野そのものと言える。
 そう……彼らの関係は、まさにスペイン帝国とメソアメリカ文明の関係と酷く良く似ていたのだ。

「くそっ……!」
 陽一はたまらず憎々しげに毒づいた。
 最悪の状況だ。
 新大陸とアフリカ大陸で勃発した侵略者と先住民族の対立は、世界史上に名を残す最大規模の争乱と言えよう。そんな中に、自分が巻き込まれては命がいくらあっても足りるものではない。
 とにかく、この鉄火場を離れなければならない。一刻も早く。
 どんなものでも犠牲にして、この身一つは守りきる……そう心に決めようとした矢先のことであった。
 がさり。
 陽一の目と鼻の先で、複数人の気配を感じた。慌てて陽一はその場に伏せて、息を潜める。
 茂みの下から恐る恐る見上げてみると、二人の兵士らしき男が上機嫌に歩いている姿が見えた。
 甲冑は着ていない。チュニック姿の所から察するに、前線に出る手合いの兵士たちではないのかも知れない。
(いや、スペイン帝国と酷似しているのならば、既に甲冑を着込んで戦う時代は過ぎ去っているはずだ。あながちにそうとは言いきれない)
 あくまでも慎重に分析を行う。
 彼らは腰に小剣を佩いていた。それが唯一の武装であるようだ。銃の類は見つけることができなかった。
(……おかしい)
 疑問が湧き上がる。
 使用言語から、彼らが“褐色肌”よりも進んだ技術や知識を持っていることは疑いようがないだろう。だが、それにしては無防備が過ぎる。
 体つきもどちらかと言えば貧相で、“褐色肌”の連中とは比べることもおこがましい。
 こんな体たらくで、どうやって“褐色肌”を征服することができるというのか。
 陽一が答えを見出せずに悩んでいると、更にもう一人の兵士が合流してくる。
「へへっ」
 髭を豊かに蓄えた新手の兵士が、下卑た笑い声をあげた。
 陽一は彼が担いでいるものを見て、目を見開く。
(……女、だ)
 彼は集落から浚ってきたらしい年頃の女性を肩に担いでいた。
 頭に飾り布を巻いた理知的な雰囲気を漂わせる女性。彼女は涙ながらに、男の腕の中で暴れていた。
 陽一は彼らが何をやろうとしているのか、即座に理解する。
 恐らく彼らは戦場を他人に任せ、自分たちは楽しもうと言う腹積もりなのだ。
(ど、どうする……ッ)
 陽一の心中に迷いが生まれた。
 “褐色肌”は自分を拉致した憎い敵だ。それに、チュニック姿の男たちはこの世界の強者。おまけに複数人と来ている。
 常識で考えれば、迷うことなどありはしない。選択肢は『逃走』の一択である。
 だが、陽一はその選択肢をどうしても選べそうになかった。
 平和ボケした国で生まれ育った八紘陽一という人間は、今まで見たことも無かった悪意を前にして、目を背けることができなかったのだ。
 そこには英雄願望も若干混ざっていたのかもしれない。
 体感型スペクタクルの主人公として、思い描く理想像は冒険映画や小説の主人公。
 陽一の脳裏に浮かんだ複数の選択肢の内で、『女性を助ける』という選択肢が一際光を放った。
 我ながら愚かだとは思ったが、それ以外に自分の良心を納得できる道は……恐らく無い。

(ええい、ままよっ……)
 縮み上がりそうになる身体を叱咤して、ポケットから縄を取り出す。縄の先には石が取り付けられていた。
 簡易型の唐棹。
 上手く隙をついて背後を襲うことができれば、大の男ですら昏倒させることは容易いはずだ。
 まさか、“褐色肌”と戦うために備えた装備は、期せずして彼らを守るために使うことになるとは……。陽一は目まぐるしく移り変わる状況に眩暈を起こしそうになった。
 固唾を呑んで、その時を待つ。

(くそ、情けねえっ……)
 唐棹を握る手の震えが止まらない。心臓は陣太鼓のように大きな音を響かせている。
 心を無理に昂ぶらせたというのに、手も心臓は相も変わらず臆病者のそれであった。
 事を起こすまでには鎮めねばなるまい。ズボン越しに足を抓り、震えよ止まれと念じ続ける。
 女性がその場に突き飛ばされた。直後、男たちが猛々しい声をあげて、女性を取り囲むように群がり始める。
 餌を前にした獣は、周囲に対して大きな隙を作ってしまうものだ。
 そう――狙うならば、ここしかない!

(行け、あの娘を助けるんだ!)
 心を奮い起こし、肉体のエンジンに火を点そうとする。だが、エンジンは中々掛かってくれない。
 募る焦燥感。
 今だ。今なら助けることができるんだ、と内心叫ぶ。
 女性の悲痛な叫びが耳朶を叩いた。もう猶予はない――陽一の覚悟が土壇場にまで追い込まれたその時、ようやく震えが止まってくれた。

「良しッ」
 陽一はぎりっと下唇を噛み、勢い良く男たちの背中目掛けて飛び掛った。
「――ッ!」
 両腕をいっぱいに使って、唐棹を振りかぶる。遠心力を得た打撃部が、男の後頭部に吸い込まれていく。頭蓋がみしりと音を立てて、衝撃が男の脳髄に広がっていくのを確かに感じた。
「ウガァッ!」
 仲間の一人が呆気なく崩れ落ちていくのを目の当たりにした男たちは、不意の襲撃者に激昂する。白い肌を赤黒い怒りで染め上げて、手を伸ばす先は腰の小剣。
 あれに手をかけさせたら全てが決まってしまう。
(抜かせたら終りだ……ッ)
 全身を駆け巡る死の恐怖に耐えながら、陽一は決死の覚悟でもう一人へと飛び掛った。
 動く相手に打撃部を当てられるほど、陽一は武器の扱いに習熟しているわけではない。だから、陽一は折角の発明品を頓着せずに手放すことにした。
 そのまま身体を一人にぶつけ、取っ組み合いながら剣魚の鰓を取り出す。
「ギャアッ」
 金属質の先端が、男の胸板を突き破って潜り込んで行く。
 男の悲鳴が森の中に響き渡った。暴れる身体を押さえ込むように、陽一は全力で刃を抉り込む。
 男がぱくぱくと陸に揚げられた魚のように口を開く。命の灯火が徐々に小さくなっていく。反面、陽一の掌には不快な感触がしつこくこびりついた。

 ――人を殺した。

 一瞬、思考が全て吹き飛ぶ――が、悲しむことを状況が許してくれそうにない。
 肩に感じる焼け付くような痛み。陽一の肩に、最後に残った髭男の小剣が深々と突き刺さっていた。
「~~ッッ!」
 今まで感じたことのないような激痛に、陽一は悲鳴をあげることすらできずに悶絶する。
「<怒号>ッ! <殺意><殺意><殺意><殺意><殺意><殺意>ッッ」
 血を滴らせながら、引き抜かれた切っ先が陽一の喉元に突きつけられる。

 ――やられる。

 絶望が全身を支配した。
「ハッハァ!!」
 顔に鈍い痛みが響き、一瞬思考が弾け飛ぶ。髭の男に顔を蹴りつけられたのだ。
 男は残虐な笑い声を発しながら、陽一の身体を散々に蹴り続ける。
 既に小剣は引いていた。「楽には殺さない」と言った狂気がありありと読み取れるようだ。
 何度も身体をいたぶられ、陽一はたまらず両目を固く閉じた。
 生と死の瀬戸際に立ちながら、目を閉じて成り行きを待つなんて芸当は、生をつかみ取る努力を放棄しているに等しい行いだ。
 愚行も愚行。その最たる禁忌。
 だが、理屈では分かっているのに、陽一はそれ以外の道を選ぶことができなかった。
(素人に無理が聞くわけ……ないじゃないかッ!!)
 死を抗おうとするかのように、陽一は精一杯叫んだ。

「……《殺意》」
 やがていたぶるのに飽きたのか、男の暴力がぴたりと止んだ。
 代わりに発せられた、死の宣告と思しき殺意の言葉。目を開くと、再びこちらに向けられた小剣の切っ先が目の前にあった。
 手詰まり。どうあがこうとも、殺される以外の未来が見えない。
 ああ、駄目だ。陽一は全てを諦め、目を閉じる。

 ――来るべき終焉は……やって来なかった。

 ちくりとした痛みが首を掠める。寸での所で、敵の切っ先が横にずれたのだ。
 見ると髭男は体勢を崩していた。それを為したのは山猫の子供。あの“ちび”が、髭のわき腹に体当たりを仕掛けてくれたのだ。
 虹色のたてがみを逆立てて、そのまま“ちび”は髭男を威嚇する。
「フーッ」
 突如訪れる千載一遇の好機。だが、今の陽一にはそれを活かすことができそうにない。
 一度絶望を覚えた身体が、再起動を果たすまでには今しばらくの時間が必要であった。
「<困惑>ッ!?」
 一方の髭男は、形勢の不利を感じたらしい。
 一瞬の沈黙。
 すぐに男は絶命した一人の亡骸と、生死が分からぬ仲間に視線を送り、背中を見せて駆けだした。
 一目散にその場から逃げていく男の姿を目で追いながら、
「凌いだ……」
 陽一は当面の危機が過ぎ去ったことを理解した。
「は、ははっ……」
 ずきずきと痛む肩を押さえながら、擦れ声で言葉を漏らす。
 大金星であった。
 武装した男三人を相手に奇跡的にも生き延びることができた上、囚われの女性を助けることに成功したのだ。もし、これが元の世界での出来事であったのならば、間違いなくニュースペーパーの一面に載る大活躍である。
 今、陽一は英雄の仲間入りを果たしたのだ。

「だ、大丈夫か?」
 へなへなと情けない姿を見せながら、陽一は飾り布の女性に顔を向けた。
 彼女は驚いて目を白黒させていた。
 年の頃は十五、六と言った所であろうか。ゆったりとした植物繊維の布地で身体を巻いた、銀髪の少女にも劣らぬ整った顔立ちの少女であった。明確に違う点がを挙げるとするなら、それは物腰だろうか。
 体つきもかなり華奢で、狩猟採集に従事しているようには見えない。可憐な雰囲気が、何処か故郷の撫子を思わせる。
 まるで利発を絵に描いたような美少女であった。
「<疑念>、貴方は?」
 幼さの残るハイトーンで問いかけられる。
 陽一は疲れたように笑って、
「八紘陽一。獣檻の住人だよ」
 と、故郷の言葉で軽口を飛ばした。
「ヤイロヨイチ……?」
 ほのかに赤く染まった唇に、細指を寄せて少女が思案する。そして、すぐに合点が言ったのか、
「貴方は……」
 と何かを語りかけようとして、愛嬌のある表情を凍りつかせた。
「……?」
 恐怖に怯える彼女の視線を追うようにして、後ろを振り返る。
「あ……」
 そして自分も言葉を失う。
 重い地響きが大地を揺らし、木々が恐怖にざわめいた。
 常緑樹の太枝を折り倒し、ぬっと巨大な腕が姿を現す。

 ――熊ではない。熊があのような甲冑を身に纏っているわけがない。
 だが、人でもない。陽一は六メートルを優に超える背丈の人間を寡聞にして知らなかった。
 視界いっぱいに広がったのは、木々をなぎ倒す巨人の姿。
 それは額に突き出た黒い角で周りの枝を払いのけ、無機質の一つ目をぎろりとこちらに向けてきた。
「――っ」
 絶壁で見た光景を再び思い出した。そして、確信する。
 この世界における銃火器の役割を担う兵器――それが目の前に立つ巨人なのだと。
 金属なのか、陶器なのかも判別のつかない鎧に身を包んだ巨人の戦士は、大人を楽に握りつぶせそうな掌を開き、陽一目掛けて手を伸ばしてくる。
(逃げなきゃ)
 巨人の動きは鈍重であった。
 しかし、それでも陽一は恐怖に体が竦んでしまい、その場から動くことができない。
(……動け、動いてくれッ!)
 必死に頭が命令を送るが、全身がまるで金縛りにあったように動いてくれない。先ほどのような山猫の助けは、もう期待できない。奇跡を起こすには敵があまりにも巨大すぎるのだ。
 陽一は、ただ黒角の動作を見守るしかなかった。
 涙にぼやける視界の中で、黒い手が見る間に大きくなっていく。後数十センチで、敵の手が自分の足元にまで届く。

 ――駄目だ、やっぱり身体が動きそうにない。

 そして、黒角の手が陽一の身体に届いてしまう。後は力を込めるだけで、自分は容易く握りつぶされてしまうことだろう。
 周囲が黒一色に狭まっていく……その時であった。

 カァンッ。

 陽一の絶望を切り裂くが如く、一筋の閃光が木々の天幕を突き破った。
 閃光が、甲高い音を立てて黒角の手に激突する。
 黒角の動きを若干鈍らせながら、くるくると弾かれて宙を舞う光の正体は剣魚の鰓で作られた手槍であった。
「えっ……?」
 突然のことに何が何だか分からなくなる陽一。
 困惑に揺れる視界の中で、はしばみ色の羽根と銀髪が踊る。
 回転する手槍を掴んだ細い腕は、褐色肌に艶を帯びた綺麗な腕であった。
「<疑問>、クビャリャリカッ」
「カカティキッ!」
 琴の様に凛と張った声が陽一の鼓膜に届けられ、次いで飾り布の女性が希望にあふれる歓声をあげた。
(カカティキ……)
 その単語は聞き覚えがあった。
 “褐色肌”の男たちが、崇敬を交えて口にした言葉。彼女を迎える際に発した単語であった。
 ごしごしと瞼を擦って、鮮明になった眼で改めて現実を確認する。
(そうか、彼女はカカティキと言うのか)
 腰が引けたように距離を取った黒角の前に勇ましく立ちふさがる戦姫。
 しなやかな脚で大地を踏み、鳥の尾のような銀髪を弾ませて、カカティキが黒角の喉もと目掛けて手槍の切っ先を向けている。
「<呼びかけ>、お前」
 背を向けたまま、こちらに言葉を投げかけてくる。
 意味は分からない。……だが、先日向けられた敵意をまるで感じさせない、慈悲の篭った声色であった。
「お前は<不明>……、クビャリャリカ」 
「え、何を――って!」
 カカティキは言葉すくなにそう告げると、黒角に向かって一気呵成に駆け出した。
「無茶だ! 相手はあんなにでかいんだぞッ!」
 必死に制止の声を飛ばすも、勢いのついた彼女の速度は増すばかりだ。
 黒角が、轟と腕を振りまわす。
 べきべきと周囲の木々を物ともしない大質量。
 勢いを伴う致死の重撃。直撃すれば、交通事故じゃ済まないほどの衝撃を受けることだろう。
 ……間違っても、彼女のような少女が受けて良いような代物ではない。

 ――当たる!

 陽一は内心悲鳴を上げた……が、陽一の心配とは裏腹に、カカティキは黒角の攻撃をまるで柳のような所作で回避して見せる。
 ふわりとその場を飛び上がり、中空で一回転する銀髪の少女。
「ケツァル・テア!」
 そのまま、勇ましく叫ぶ。
 聞く者の闘志を呼び覚ます、カカティキの勇ましい声色が森に轟いた直後、彼女の背中に二メートルはあろうかと言う翼が生えた……かのように見えた。
 その実態は、木々を薙ぎ倒しながら高速で飛来した一匹の大鷲。
 大鷲はカカティキを持ち上げ、はしばみ色の両翼を精一杯に怒らせていた。
 カカティキが手槍を投げ捨て、右腕を前方に突き出す。
 途端に、腕に巻かれたアクセサリーが虹色の目映い光を放ち始める。
「あれは……」
 見間違えるわけがあるはずもない。あれは、陽一が遺跡で発掘したものと同じ“虹色の腕輪”――彼女らがアマルン・アニルと呼ぶ宝具であった。
「――リ・インカーネイト!」
 透き通る声に従い、彼女の前に幾何学的な魔方陣が展開する。淡い虹色の文字が虚空に出現し、反転しては消えていく。
 陣の中へと突入するカカティキと大鷲を呆然と見つめながら、陽一はこの非現実染みた光景の中にたった一つだけ、自分の学んできた知識の延長線上にあるものを見つけてしまい、愕然とする。

 ――Annihilation transduction.

 それはB.C. 1700年頃に地中海で発達したはずの音素文字――アルファベットであった。
「対消滅……を変換する、だって? 何なんだ、一体……!」
 魔方陣の中へと消え去ったカカティキは、見る間に姿を変えていく。
 鈍重な熊を思わせる黒角とは対照的な、スマートで鋭角的なフォルム。
 鞭のような何節にも分かれた尻尾を揺らし、はしばみ色の金属翼を優美に広げたその姿は、まるで神話の巨人を髣髴させる。
「人型の巨大……ロボット」
 陽一は呆気に取られて、目の前の巨人を見上げるしかなかった。
 鷲頭の巨人が嘴を開く。
『……さあ、槍を取れ。白き者』
 カカティキの言葉が紡がれた。故郷の言葉で一言一句、全てが理解できる構文で。
 彼女は虚空に魔法陣を創出し、中から銀色の手槍を引き抜いた。
 くるくるくると、手槍を回し、
『村を侵された我が怒り、その身を以て受けてみよ!』
 戦いの開始を宣言する。
 巨人と巨人、両者の身体が轟音をあげてぶつかり合った。





 殺意と殺意。闘志と闘志がせめぎ合う。

 ――ギィン!

 至速で放ったカカティキの突き上げを、黒角が辛うじて受け流す。金属と金属が擦り合う時に鳴る、甲高い音が陽一の鼓膜を立て続けに叩いた。
 彼らが動くたびに大地が揺れる――が、それだけではない。彼らの周囲では暴風が荒れ狂っていた。

 ――ゴォォォォォォ。

 風の出所は二体の巨人。彼らの“呼吸”が、周囲に人工的な台風を巻き起こしているのだ。
 背中に突き出る吸気ノズルから、二体は猛烈な勢いで大気を吸っている。
 陽一はその場にしゃがみこみ、必死に強風をやり過ごす。
「何なんだ……何なんだよッッ!」
 身体の下に山猫の“ちび”を庇いながら、陽一は叫んだ。風の向こうで、巨人たちの戦いは新たな展開を迎えていた。
 新手の出現である。
 台車を牽いた、黒角の部隊が二体の戦いに乱入してきたのだ。
『無礼姫を殺せ!』
 大号令と共に現れた黒角は、六体。
 一体がカカティキに突撃する。既に一体と鍔迫り合いをしていた彼女に、それを防ぐ手立てはない。体当たりをまともに受け、カカティキは後ろへと吹き飛ばされた。
 その隙に彼らはカカティキを包囲していく。
 幅広の体躯を半分以上覆い隠す方形盾を前面に押し出して、三メートル近い巨大な鉈《マシェット》を防備の合間から覗かせる。一つ目を怪しく光らせながら構築された円陣は、まるで堅牢なる軍事要塞――黒色の長城を思わせた。
 四面から歌が聞こえてきそうなほどの形勢だ。それでもカカティキの勇猛さに綻びは見られなかった。

『それで私を捕らえたつもりかッッ』
 嘲笑を残して、カカティキは上空高く飛び上がった。
 跳躍した高さは四十メートル以上。生半可な亜高木を飛び抜き、林冠を形成する超高木層の天蓋にまで到達し、彼女は地上を這う敵に向けて手槍を持つ腕を突き出す。
 目映い光が腕の前面に生成され、構築されたものは魔法陣。
 陣から数多の手槍が生み出され、彼女の手元にふわりと浮かんだ。

『喰らえッ!!』
 裂ぱくの気合の後、召喚した手槍をカカティキは立て続けに連投した。
 巨槍の豪雨が黒角を襲う。
 対する敵は急な攻撃に対応することができず、大盾を頭上にかざすこともできずにいた。
 だが、それも無理からぬことであった。何せ、カカティキが上空に飛び上がってから手槍による強襲を行うまで、五秒もかかっていなかったのだ。
 流麗な動作は豊富な戦闘経験の証でもある。
 彼女のコンビネーションに対応できた黒角は半数にも満たず、硬質の甲冑を貫かれ、カカティキに最も近づいていた二体の黒角ががたりと活動を停止した。

『蛮族が舐めた真似を!』
 指揮官らしい一体が吼える。後方に控えた三体が巨大なマシェットを振り回し、カカティキ目掛けて投擲した。
 旋風を巻き起こしながら、彼女に迫り来る肉厚の刃。

『ただの刃が飛ぶ鳥を落せるとでも思っているのかッ!!』
 叫ぶカカティキの背中にある、金属翼が大きく展開した。
 一回り大きくなった身体が、窮屈なはずの林列を駆け抜けていく。冷えた空気が翼に切り裂かれていくのが確かに見える。
 眼にも止まらぬ速度で動いては、大木の枝を利用して急旋回をかける。
 でたらめだ。
 あんな挙動をされては当たるものも当たらない。事実、黒角たちの攻撃はあっさりと空を切って大高木の幹を傷つけるだけに終った。

『ええい、不甲斐ない! ……ならばッ』
 焦りを見せた指揮官の単眼がちらちらと点滅した。
 直後、戦姫に向けられていた憎悪と殺気が、あらぬ方向へぶつけられる。その目標は……生身の陽一達であった。
『奴らを狙え!』
「――ッ!?」
 一斉に押し寄せてくる黒角の重圧。
 予備のマシェットを腰のフォルダーから抜き放ち、彼らは力いっぱいそれを陽一達目掛けて振り下ろす。
 硬質な音が陽一達の頭上で響き、ずんと大地が轟いた。
 ……陽一達に傷はない。二人が刃に押し潰されるよりも早く、地上目指して急降下をかけたカカティキが両者の間に割って入ったのだ。

『――ぐっ……卑怯者どもめ』
『馬鹿が、貴様がここまでやってきた時点で狙いは娘だって丸分かりなんだよ! このままなぶり殺しにしてやるッ!!』
 黒角たちに膂力で押さえつけられ、カカティキは思うように身動きが取れていない。
 その外見から察するに、黒角の方がカカティキの巨人よりも膂力に優れていることは明らかである。機動力を存分に発揮できる環境ならばまだしも、このように囲まれてしまえば、彼女に為す術はないだろう。
「カカティキ――ッ!」
 何とかしなければ。陽一は慌てて彼女に駆け寄ろうと立ち上がるも、すぐに暴風に煽られて尻餅をついてしまう。
「クソッ、こんな状況じゃ……!」
 悪態づいても状況は何も変わらない。
 近づこうにも彼らの起こす風がそれを阻み、よしんば近づけたとしても彼らの質量と装甲に対抗する手段を陽一は持ち合わせていない。
 八方塞がり。自分たち生身と巨人たちの間には、埋めようのない大きな差が存在するのだ。

『……隠れ場に急げ、クビャリャリカ。女子供は既に導いた。後はお前だけなんだッ』
「カカティキッ」
 カカティキと飾り布の娘が悲痛なやり取りを交わす。
 この場において、陽一と娘はカカティキにとって邪魔者にしかなっていない。常識で考えれば、即刻この場から離れるのが筋というものなのだろう。
 だが、残されたカカティキはどうなるのか。
 一度捕らえられてしまった以上、彼女の素早さはもう活かせない。陰惨ななぶり殺しは目前に見えていた。

(何か……何かないのか。俺が彼女のためにできること――)
 彼女は、飾り布の少女と……恐らくは自分のためにも戦っている。命を懸けてくれているのだ。そんな彼女が敵に蹂躙されていく様を、果たして陽一はただ指を咥えて見ているだけで居られるのか。
 肩の傷が酷く疼いた。蹴られた身体が悲鳴をあげる。これ以上は動けないと、しきりに危険信号を出している。
 しかし、インディアナ・ジョーンズならば、鞭を片手に立ち上がるだろう。
 マクガイバーなら豊富な知識を武器にして、悪党相手に立ち回るであろう。
 陽一の憧れる冒険小説の主人公は、映画の主役たちは少女の危機にどう動いたのか。その答えは考えるまでもなく、正義の方向へと向かっている。
 荒事については、ずぶの素人であるはずの陽一にだって一端の矜持は備わっているのだ。
 様々な物語に出てくる主人公たちのようには行かないことも重々承知。それでも……
「ここで立たなきゃ、男じゃないだろ……ッッ!!」
 陽一は歯を食いしばって、暴風の中を立ち上がった。
 燃える魂に呼応するように、陽一のポケットから虹色の光が零れ出す。

「これは……」
 ポケットの中で、虹色の腕輪――アマルン・アニルが目映い光を放っていた。
 陽一は先刻の記憶を紐解いて、彼女を習って言葉を紡ぐ。
「ケツァル……テア」
 反応がない。陽一の言葉では、アマルン・アニルは起動しないのだろうか――いや、
「リ・インカーネイト!」
 陽一の世界に伝わる言葉は、彼女の紡いだ後者の方だ。
 輪廻転生。
 機械の身体を身に纏うのに、まさにうってつけの単語と言える。陽一が口にした言葉は力となって、腕輪を媒介に魔方陣を構築した。

 ――ウォォォォーン。

 足元の“ちび”が虹色のたてがみを輝かせ、百獣の声色で遠吠えをあげた。
「“ちび”……お前ッ?」
 そのまま、陽一の背中を押し、二人は魔方陣の中に突入する。
 全身が溶け出す奇妙な感触。
 聴覚ではない、脳に直接響くような思念が陽一の魂に伝わってくる。


 ――こんにちわ、当ポータブルアーカイブズを統括するアーティフィカル・パーソナリティ、ネメインです。

(ネメイン《命名者》だって……? それにアーカイブズって……)

 ――これより、Total Ex-habitat Activity Mobile……略してTotemの顕現ウィザードを開始します。ウィザードを開始する際に、貴方には108項目のTestamentを受諾する義務が生じます。準備が宜しければ、是と答えてください。
 何処か機械的思念から、津波のような情報が強制的に送られてくる。
 陽一はそれらを全て払いのけて、思念に向けて一喝した。事は一刻を争うのだ。
(……早くしてくれ、彼女が危ないんだ!)

 ――それでは、胎内の顕現を開始します。暫くお待ちください。

 途端に目の前が0と1で埋め尽くされる。いや、正確には0と1が並んでいるわけではない。0は常に高速で回転しており、その裏側に1が見える。常に0と1が同地点に現れた状態だ。
 0と1が複合した数字が見る間に、景色に移り変わっていく。陽一の周囲に生まれたのは、無機物で構築された一つの小部屋――いわゆるコックピットであった。

 ――試験型Totem、ラダマンティスの顕現に成功しました。Hello World!

 目の前にラダマンティスと呼ばれた巨人らしきものの図面が浮かび上がった。ホログラム……だろうか。触ってみても、陽一の手が通り過ぎるだけであった。
 映像に映されたラダマンティスは、カカティキの巨人に似た鋭角的なフォルムをしていた。相違点を挙げるとすれば、山猫の頭を持っていること……そして、背中から三対のスタビライザーが飛び出ていることであろうか。
 いずれにせよ、巨人であることに変わりはない。
 やれる……彼女のことを助けることができる!
 陽一は鼻息を荒くして、巨人を彼女の許へと急行させようとして――すぐには動かせないことに気がついた。
 目の前には操縦桿どころか、コンソールパネルすらない。殺風景な空洞が広がっているだけだ。
 操作方法が、分からなかった。
「おい、ネメイン。これ、どうやって動かすんだよ!」
 陽一が語気を強くして、ネメインを呼び出す。

 ――Totemの起動にはアーティフィカル・パーソナリティの作成。“魂の複製”が必要です。貴方は固有の人権を有していますので、これを拒否することができます。魂の複製を行いますか?

「魂の……ああ、もうどうでもいい! とにかく早くやってくれッ」

 ――受諾。それでは“魂の複製”を開始します。暫くお待ちください。

 思念が途切れた瞬間、身体のあちらこちらに奇妙な光を当てられる。身体の隅々まで解析され尽くすかのような気持ち悪さを覚えながらも、陽一はそれにただ耐える。

 ――“魂の複製”に成功しました。引き続き、“魂の同期”を行います。

 解析は数分ほどで終了した。人工思念は複製の終了を知らせると、すぐに次の作業を提示する。
「同、期……?」
 疑問に思う暇すらなく、小部屋の内壁から数本のチューブが飛び出てくる。
「これは、まさか……」
 先端はまるで槍のように尖っていた。同期、見るのも物騒な形状のチューブ。ここから、予想されうる展開は一つ。
「ぐっ……」
 予感的中。チューブは勢い良く陽一の身体を貫き、小部屋と陽一の肉体を連結させた。
 途端にブラックアウトする意識。
 じりりと、二、三度ノイズがちらついて、すぐに目の前に魔方陣が見えた。

 ――Totem起動における全工程を、無事に終了いたしました。

 頭の中で言葉が響く。
『これで、俺はこいつを動かせるのか……?』
 いつも聞こえる肉声とは違う、金属質な声が聞こえてきた。びくりとして、自分の身体を見回す。
 漆黒の甲冑を身に纏った細身の身体。そのあちらこちらから突き出る、虹色のスタビライザー。
 虚空にふわふわと浮かぶ自分の身体は、先ほどホログラムで見た図面そのものの姿かたちをしていた。
『いける、思ったとおりに身体が動く!』
 宙を泳ぐ様に魔方陣の外へと急ぐ。
 魔法陣は思ったよりも狭く、上手く身体が外に出て行かない。
『このッ……』
 渾身の力を込めて魔方陣を引き千切る。霧散した光の中、巨大ロボットと化した陽一の身体が、カカティキたちの前に転がり落ちた。
 驚愕する黒角たち。
 先ほど飾り布の少女を助けた時と同じシチュエーションだ。
 違いがあるとすれば腹に据えた覚悟。もう戸惑いなどありはしなかった。
 陽一は漆黒の足を大地に下ろし、そのまま一気に――力強く蹴り込む。
 ぐんと感じる加速。陽一は迅雷と化した巨体をそのまま黒角にぶつけ、力いっぱい殴りつけた。
『でぇぇぇぇいッッ!』
 拳に感じる堅い感触。だが、痛みはない。
(これなら、やれる。彼女を……助けることができる!)
『な、何だ貴様は……ッ? 蛮族に二体目の巨人兵があるなんて聞いていないぞッッ』
 うろたえる黒角の一体を蹴り飛ばし、陽一はカカティキを庇うべく、黒角たちの前に立ちふさがった。
『お前、は……』
 カカティキの声が背中越しに届いた。彼女も急な助勢に大分混乱しているようだ。何度も言葉に詰まる様が妙に可愛らしく感じられる。
 暫く経って彼女はおずおずと口を開いた。

『質問に答えろ。お前は、私の“救世主”か?』
 救世主。
 彼女の投げかけた言葉は笑ってしまうくらいに少女的で、思わず赤面してしまいそうなくらいに芝居がかったものであった。
 自分が彼女の救世主なのか、と。そんな今時、ファンタジー小説でもお目にかかれないような古臭い台詞を彼女は臆面もなく口に出したのだ。
 そうだ、と答えられるほどに陽一は気障な性格をしてはいない。
 だから、陽一は笑ってそれに答えた。
『分からない。でも……少なくとも、あいつらの味方じゃない』
『そうか……』
 カカティキは一度だけ嘆息すると、すぐに倒れた身体を起き上がらせた。
『ならば、共に戦おう。どうだ、乗るか? このカカティキ・チナンの提案に』
 彼女が横に並び立つ。はしばみ色の金属翼をぴんと張った巨人の姿は、千人の兵士よりも頼もしいと思わせる威厳を備えていた。
 陽一はこくりと頷き、彼女に答える。
『当たり前だろ。俺は……八紘陽一は、あんたを助けるためにこんな巨大ロボットまで呼び出してみせたんだからな!』
『……ッ! やはり、お前は……』
 その言葉に一瞬たじろぐカカティキであったが、
『……いや、全ては敵を打ち倒してからだ。行くぞ、ヤヒロヨウイチッ、我らの戦さ振りを奴らに見せてやろうッ!』
 言うが早いか、二体の巨人は宙を舞った。
 狙う獲物は黒角たち。
 陽一の駆るTotem――ラダマンティスという名の巨大ロボットの参戦により、戦いの趨勢は一気にカカティキ側へと傾いた。




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