「アタイちょっと行って来る」
「駄目だってチルノちゃん。殺されちゃうよ?」
私は今必死になって親友を止めている。私の親友、チルノちゃんは今から吸血鬼の館に乗り込もうとしているのだ。前にもこんな事があった。しかしあの時は吸血鬼が何処に居るのか分からなかった。分からないまま探していたら、何時の間にか吸血鬼は最も強大な力を持った妖怪によって退治されていた。しかし今回は違う。私達の目の前に吸血鬼が現れてしまったのだ。
チルノちゃんは当然これに飛び付いた。彼女は強い。途方も無く。しかしそれは妖精内のカテゴリーに於(おい)てのみの話だ。妖怪全体で見たらそのランクは一気に下降する。彼女は強者で有り、弱者でも有った。その矛盾が彼女の性格を歪めてしまったのだ。妖精内で見れば彼女は神のような存在だ。とても恐ろしく、無慈悲なまでに強い。彼女に敵うどころか、対等に持ち込める妖精すら本当に数える程しか居ないのであろう。だからこそ彼女は疎外された。自分と違い過ぎる存在は時として恐怖感しか相手に与えない。彼女にとって何気ない動作の一つが、相手にとっては致命傷にすらなり得るのだ。彼女は直ぐに孤立した。誰も彼女に近付こうとせず、また近付かれた場合は逃げた。妖精とは自然から生まれた物のせいか、人の心の機微に敏感な事が多い。だからそれがイタズラやイジワルでやっている物では無く、本当に本心からやられている物で有る事にチルノちゃんも多分気付いたのだろう。彼女は妖精の中にコミュニティを築く事を諦めた。
彼女は外の世界に出会いを求めた。しかし妖怪の世界で彼女を待っていたのは好意でも拒絶でもなく、無視だった。妖怪にとって妖精など取るに足らない存在だったのだ。妖怪は実力主義を取る事が多い。彼女はその中でも最下層に位置するくらいの力しか持っていなかったのだ。誰も彼女に見向きもしなかった。チルノちゃんは悩んだ。妖精の中で自分の地位を築く事はほぼ不可能だ。力の差が有り過ぎる。ならば妖怪の中で自分の力を見せ付けるしかない。この事が、彼女が常に力を求めるようになった原点だった。しかし彼女はあくまでも妖精だった。生まれ持った種族の壁は大きく、彼女の努力はほとんど実らなかった。焦りが不安を生み、孤独が彼女を変えた。何時しか彼女には嘘吐きのレッテルが貼られた。何時でも大口を叩き、出来もしない事を言う。そんなレッテルだ。夢の中だけでも良いから、彼女は強者になりたかったのかもしれない。私とチルノちゃんが出会ったのはそんな時だった。
私も妖精から大妖精へと変わり、周りから疎外されつつあった為、チルノちゃんとの出会いは幸運だった。毎日一緒に遊んでいる内に彼女の大口は減って行ったが、それでも力を求める事に関してだけは貪欲だった。彼女の中では力さえあれば、周りはちゃんと自分の事を認めてくれるという、確固とした信念が出来上がっているのだ。だから彼女は何か揉め事があれば直ぐに飛んで行き、そして邪魔者扱いされていた。
そんな中、前回の吸血鬼騒ぎはチルノちゃんにとってまさに天恵だった。毎日必死に探したが、結局は見付からずに終わってしまった。彼女は地団駄を踏んで悔しがっていたが、私としては内心ホッとしていた。彼女では吸血鬼には到底勝てない。幾ら妖精が死なないと言っても、逆に死なないからこそ出来る苦痛というのも有るのだ。そして今日、彼女は吸血鬼の館へと乗り込む事を決めた。彼女はやると言ったらやる女だ。それは長年の付き合いで分かる。だからこそ私も行かなければならない。親友の命を救わなければ。頭を下げろと言われたら地面に頭を擦り付けよう。靴を舐めろと言われれば口に含んで舐め取ろう。チルノちゃんが私を助けてくれたように、今度は私がチルノちゃんを助ける番だ。
大きな大きな館の正面玄関に到着すると、そこにはメイド服を着た妖精達と楽しそうに談笑している女の人の姿が見えた。が、彼女等は直ぐこちらに気が付くと、瞬時に顔を正して油断無くこちらを凝視していた。
「ここに居る吸血鬼に会わせなさい!!」
「失礼ですが、ここをスカーレット家の館と知っての事でしょうか?また本日は御来客の方がお越しになるとは聞いておりません。貴方のお名前を伺っても宜しいですか?」
いきなり大きな声で話し掛けたチルノちゃんとは対極で、あくまでも理知的に、冷静に話を始めた女の人。顔は微笑みを浮かべているが目が全く笑っていない。
「アタイの名前はチルノよ!!あの湖のチルノと言えば、この辺りじゃ有名なんだから!!アタイの目の前に現れるだけじゃ飽き足らず、アタイの住家まで見下ろすなんて良い度胸じゃない!!アタイがじきじきにギッタンギッタンにしてあげるわ!!」
チルノちゃんが大きな声でそう宣言するや否や、正面玄関横にあった建物から突然十人近くのメイド服を着た妖精達が飛び出して来た。
「なる程。つまり貴方がたはお客様では無く、侵入者……という事で宜しいのですね?」
私はこの時点で既に怖くなった。目の前の女性は勿論の事だが、何だこの妖精達の目は。自由が本質の妖精とはかけ離れている程に真剣な目だった。これは唯の妖精ではない。恐らく私と同じ自立した意思を持つ大妖精クラス。それが今ここに十数人も居るのだ。異常だった。これだけ集めた方も集めた方だが、集まった方も集まった方だ。大妖精は普通の妖精とは違い、物やお金で釣られる事はほとんど無い。基本不死で有るので物欲という概念が極限にまで薄れているのだ。つまり彼女達は今ここに物理的なものでは無く、精神的なものによって仕えているという事になる。私でさえ私以外の大妖精なんて数回くらいしか見た事が無いが、それがいきなり十数人も固まって、しかも一箇所に仕えているのだ。私の中でそれは考えられもしない事だった。
「最強のアタイとやろうって言うのね!?いいわ!ちょっと待ってなさい、今アタイの」
カードを、と言おうとしたのだろう。チルノちゃんが自分のポケットに目を落とし、手を入れて弄(まさぐ)り始めた時には、既にチルノちゃんの髪の毛は空を舞っていた。
何がどうなったのか全く分からなかった。確かに私は今チルノちゃんの方に少し目線を動かしていたが、それでも横目では女の人の姿を捉えていた筈だ。が、気付いたら女の人は腰を落とし、半身になりながら拳を前に突き出していた。チルノちゃんの顔の目の前まで。
「ひゃぁ!!」
髪が風で舞った為に気付いたチルノちゃんが、素っ頓狂な声を上げて数歩引き下がる。あれは誰でもビビるだろう。気付いたら目の前に拳が迫っているのだから。それが動いている拳か、止まっている拳か等は関係が無い。
「今のは警告です。直ちにここから立ち去りなさい。次はありません」
女の人はそう言うと姿勢を正し、元の場所までまた下がった。圧倒的な実力差。それが戦うまでもなく分かった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!宣言もしないで攻撃して来るなんてルール違反じゃない!!卑怯よ!!」
「ルール違反……?もしかしてスペルカード戦の事を言っているのか?」
「そ、そう!!それよ!!知ってるんならそれを守って行動してよね!!」
「そうか……もう来てしまうとはな……」
女の人は少し考え、横に居た妖精メイドの耳元で何かを囁くと、その妖精は館へと向かって飛んで行った。
「しばらくここでお待ち頂こう。貴様等は運が良い。本来ならばこれは有り得ん事だぞ」
そう言うと彼女はそのまま後ろ手で腕を組み、門番の業務へと戻った。意味が分からなかった私とチルノちゃんは顔を見合わせたが、連絡を取ってくれると言うので有ればありがたい。ただチルノちゃんはどうしても上から目線なのが気に入らなかったのか何度か通り抜けようとして、その度に女の人に圧力を掛けられていた。
その後先程の妖精を連れた男の人が現れたが、いつもの通りチルノちゃんがその人に食って掛かったり、私が謝ったり、それを見てチルノちゃんが更に怒ったりとてんてこ舞いだった。しかし男の人はチルノちゃんの態度を見ても怒る事無く、誠実に対応して来た。更に驚いた事に、彼はチルノちゃんからスペルカードを教わる事についてまで了承した。
そして私の驚きはこれだけに留まらなかった。先に行ってしまったチルノちゃんを追いかける為に私と男の人は歩いて中庭を進んでいたが、門だけかと思われていた大妖精は館の内部でもそこら中に居た。館の中で荷物を運んでいる者、庭の草木の世話をしている者、掃き掃除をしている者まで大妖精だった。ここは一体何処だ?幻想卿中の大妖精を集めても、これ程の数にはなるまい。無論館内の全員が大妖精という訳では無かったが、既に普通の妖精よりも圧倒的に数が多く、残りの数少ない妖精達も近い内に大妖精になるであろうと私に直感させた。
これ程の組織を従えていながら、今も私を退屈させないようにと気を使って優しく話し掛けて来てくれている、この男の人の本質が私には見抜けなかった。きっと実力も物凄いに違いない彼からすれば、私やチルノちゃんでさえ路傍の石と変わらない存在の筈だ。なのに何故彼はこんなにも紳士的なのだろう。私がそんな疑問を抱えている中、チルノちゃんの演武が始まった。
そしてそこで初めて彼の本質を見抜く事が出来た。チルノちゃんが一番最初に考え、一番好きなスペルカード、アイシクルフォールEasy。しかしこれには大変重大な欠点が有った。チルノちゃんの前方が完全にガラ空きなのだ。私は何度も彼女に伝えたが、その度に彼女は「アタイは最強だから大丈夫!!」と応じてくれなかった。……きっと彼女も本心では分かっていたに違いない。しかしスペルカードを作るに当たって、自身の全身全霊を篭めて作った第一弾が欠陥品で有った等と彼女は認めたくなかったのだ。そこを認めてしまえば自分を支えていた大事な一本が折れてしまう。故に彼女は愚直なまでにこれを使い続けた。自身の理論は正しかったのだと証明する為に。
当然彼はそれに直ぐに気付いた。妖精の私達でさえ気付くのだ。吸血鬼の彼ならば一瞬で見抜いた事だろう。私は酷く気分が重くなった。きっとまた馬鹿にされるのだ。所詮は妖精だと、取るに足らない存在だったのだと追い出されるのだ。何時もの事だ。そう思う事でこれまでやり過ごして来た。だから私がまた心を閉ざそうとしている時に聞こえて来た言葉に私は耳を疑った。
最強だと、彼はそう言った。始めは私達を馬鹿にしているのだと思った。しかしそうでは無かった。彼の話を聞いて行く内に、私は彼の話に惹き込まれた。敵の動きを誘導する。何故そんな簡単な事に今まで気付かなかったのだろう。いや違う。私が、誰でも無い私が見切っていたのだ。妖精が作る弾幕では高が知れていると。だから弱点が有っても仕方無い事だと思っていたのだ。しかし彼は違った。弱点が有るならそれを活用しようと。次を考えたのだ。今なら分かる。何故この館に大妖精がこんなにも多いのか。彼は妖精を妖精として見ていない。一人の人として見ている。妖精だから弱い、吸血鬼だから強いという常識は捨てているのだ。だからこそ素直に妖精の私達に対して敗北宣言をして来た。対等の地位として接しているからこそ、そこに恥は無い。だってそこに居るのは切磋琢磨して行くべきライバルなのだから。
「今の話……ホント?」
気付かなかった。何時から彼女はこの話を聞いていたのだろう。喜怒哀楽を常に表現している彼女の姿はそこに無く、私は初めて彼女の素顔を見た。
「ん?あぁ聞いていたのか。嘘も何も事実だろう?全く、してやられたよ。一吸血鬼として賛辞を贈らせてくれ。君達は最強だ」
「アタイ……最強なの?」
「俺もその言葉に騙されたよ。てっきり君が実力最強なのかと思った。上手く騙したね。支援最強さん!」
彼はそう言うと辺りを見渡し、弾幕練習を始めている人達の方へと移動してしまったが、私とチルノちゃんはそこを動く事が出来なかった。
「大ちゃん……アタイ、最強になったみたい」
彼女は冷静を装っているみたいだが、その声は少し震えていた。
「うん、チルノちゃんは昔から最強だもんね。当然だよ」
私の声も少し震えているだろう。
「少しだけ……大ちゃんの胸を借りても良い?」
「良いよ。少しだけじゃなくて、今まで生きて来た分だけずっと良いよ」
チルノちゃんを胸に抱きながら私は彼の背中をずっと見ていた。あれが吸血鬼。自分の想像とは全然違ったが、なる程とも思った。カリスマの具現。この館に居る大妖精もほとんど彼が育てた結果だろう。私が数十年掛けても出来なかった事を、彼は僅か数十分にも満たない間にやって見せた。チルノちゃんは今日から初めて生きて行けるのかもしれない。そこに悔しさが無いと言えば嘘になるが、それでも私の心には彼に対する感謝だけが残った。
その後今度は紅魔館の人達の練習タイムになったが、彼の一言で自主練習タイムとなった。私は最初その意味が分からなかったが、彼は驚いた事に私に師事を求めて来た。彼の言い分では「自分は魔力関係が苦手なので弾の連続発射の方法を教えて欲しい」そうだ。とても信じられない。が、周りの人達が数人ニヤニヤしているのを見て直ぐに分かった。これは私に気を使っているのだ。事実練習中にチルノちゃんはアッチコッチに呼ばれていたが、私が呼ばれた事は一度として無かった。それはそうだろう。スペルカードの練習に、カードを持っていない私など何の役にも立たないのだ。彼はそこまで読んでいたのか。しかも自身を蔑んでまで、私の事を思って行動してくれたのだ。彼は私が妖精だから気付か無いと思ったのかもしれないが、幾ら私でもそれくらいは分かる。しかも嘘がバレないようにと彼は本当に弾が撃てないかのように芝居までしてくれた。チルノちゃんなら騙されたかもしれないな……と私は思いつつ、彼の中に王としての器を見た気がした。
練習が終わり、皆で食べたケーキは絶品だった。チルノちゃんは「また来る!!」と大はしゃぎだ。彼も何時でも来て良いと言ってくれた。日も落ちかけた夕闇の中、私とチルノちゃんが空を飛び湖へと帰って行く。
「アタイったら最強ね!!」
チルノちゃんはこの時初めて胸を張ってこの台詞を発する事が出来た。
ネタバレ
Q:美鈴が取り次いだ訳
A:お兄ちゃん的には昨日の事自体が無かった事にされていると思って居ますが、皆的には最後の「失敗失敗♪」の部分だけが無い事になっています。だからスペルカードは蹴っている物だとしていますが、多分本心では受けたいのだろうと思っているので、それを確認する為に殺して良いですか?と連絡を取った。殺せ→泣かして返す。殺すな→やっぱり平和路線で行くんだ。と確認するため。一緒に紅茶を飲んでいたレミリア、フランもこれに気付いて居ます。ちなみに普段は確認を取らない事を突っ込まれたら、引越し初日だったので、という言い訳をしようと思っていました。