――愛とは一体何なのか。
誰かはそれを至高のモノだと言った。世界で一番輝いて、綺麗なものだと。
でも、少年にはそうは思えなかった。いずれ燃え尽きて灰になるモノが尊いとは到底思えなかった。
最期には醜く腐り果てて冷たい棺桶の中に捨てられるモノ。
なればこそ、愛には鮮度、そして制限時間があると少年は自然と悟る。
限り有る少ない数瞬を、全力で愛し抜こう。
誰にも邪魔されないように、誰も抵抗出来ないように、誰も逃げられないように、拘束して縛って、徹底的に愛しよう。
閃光の如く散る感情は美しい。
燃え尽きるまでの数瞬、彼は己の奴隷を愛する。
けれど、彼は最期まで気づかない。彼の愛は一方通行だった――。
No.023『二律背反』
それはトップランカー達が覇を競う最中の事、交換店での出来事だった。
「親父、ランキング一位のプレイヤーの所有枚数は?」
「現在のランキング一位は『ジョン・ドゥ』、所有種類数は97種類だ」
現状確認という名目で惰性で聞いたプレイヤーは一瞬自身の耳を疑った。
何故ならば、今日唐突に最初期から今までトップを独走していたバサラが無名のプレイヤーに追い抜かれ、クリアまで三枚という瀬戸際になれば騒ぐのも無理はないだろう。
「バサラじゃない!? おいおい、誰だよ『ジョン・ドゥ』って! 一体何処から湧いて出てきやがった……!」
その事は瞬く間にプレイヤー達に広がり、複数のプレイヤーが自然に集結するという異常事態となる。
「……一位だったバサラ組のヨーゼフ、ミカ組のミカ、ロブス組の二人がランキング圏外……? この短期間でどれだけ指定カードが変動してやがるんだ!?」
「――その『ジョン・ドゥ』が上位陣からカードを奪い取ったのか?」
ランキング圏内になるという事は指定カードを全て奪われるか、死亡して指定カード全てを失ったか、である。
憶測が憶測を呼び、一体何が真実なのか判別出来ず、多くのプレイヤーは急変した事態に戸惑ったのだった。
「……在り得るかもな。確かその名前には聞き覚えがあるぜ。グリードアイランドの最初期に暴れ回った凶悪なプレイヤーキラーの一人だ。出遭ったプレイヤーを片っ端から殺し回ったそうだ。バッテラ氏に雇われた後発組がグリードアイランドに入れたのもソイツのお陰だろうな」
一人、物知りのプレイヤーが重々しく喋る。
新参者――バッテラ氏が懸賞金を掛けてからのプレイヤーには然程浸透していないが、最初期から生き残ったプレイヤーにとって『ジョン・ドゥ』の名は一種の警告として知れ渡っている。
「どうするんだよ! ソイツにクリアされたら500億が……!」
「最初期のプレイヤーだからバッテラ氏の懸賞を知らんかもしれないな。だが、ソイツは500億という理由が無くとも大量のプレイヤーを殺害した生粋の狂人だ。恐らくは交渉も糞も無いだろうな」
ただでさえ難易度が高いグリードアイランドが更に熾烈なものになったのはそのプレイヤーキラーのせいだろう。
男はタバコに火を付け、吸いながら苦々しく煙を吐いた。
「他に『ジョン・ドゥ』で知っている事は?」
「さぁな。後はソイツが単独のプレイヤーって事か。出遭ったプレイヤーは悉く殺害されている。オレも殺害現場を遠目から見たプレイヤーからの又聞きさ」
外見や能力などの情報があれば幸いだったが、男は首を振ってこれ以上喋る事は無いと否定する。
情報、そう、情報が致命的に足りない。これでは対策も対応策も思い浮かばない。ある一人のプレイヤーはこの店で唯一のNPCに話しかけた。
「店主、『ジョン・ドゥ』が所有している指定カードの番号は?」
店の中の喧騒が一瞬にして静まり、店主から長々と指定カードの番号が告げられていく。
「残りはNo.000、No.092『影武者切符』とNo.098『シルバードッグ』か。No.000は99種類集めた後で入手イベントが発生するという説が有力だから、あと2種類か……」
「誰か『名簿(リスト)』は無いか? 此処最近の呪文カード不足で碌に買えやしねぇ」
今や貴重となった呪文カードを誰が使うのか、暫し無駄な時間が経過した後、彼等の中から使用する者が選定される。
「『名簿』使用、92!」
「『名簿』使用、98!」
互いの本にプレイヤーの視線が釘付けとなる。
「所有しているプレイヤーは3組、7枚――既にカード化限界だな」
「こっちも3組、8枚――こっちもだ」
残りのカードは既に出揃っており、カード化限界に達している。
額面上で見るならば、これ以上手に入らない。少数がほっとする一面、何人かのプレイヤーは所有しているプレイヤーから奪われる可能性を危険視した。
「いや、何方も一組だ。以前調べていたのを思い出した。持っているプレイヤーはコージ・ユエ・アリス――ランキング三位のコージ組が2種類とも独占している」
貴重な、且つ最悪の情報が流される。
今の段階、ランキングで上位のプレイヤーで被害に遭っていないのは彼等の組だけ。次の標的が彼等になる事は火を見るより明らかだった。
「おいおい、どうすんだよ! 奪われたら即クリアされるじゃねぇか!」
「人海戦術で呪文攻撃を仕掛けるってのはどうだ!?」
「呪文カードが品切れ中のこの状況下、どうやって掻き集めるんだよ?」
所詮は他人にクリアされたくないという足の引っ張り合いから出来た烏合の衆であり、意見が纏まる気配は無かった。
「なら無理矢理奪うのはどうだ!?」
「馬鹿かテメェ、プレイヤーキラーを常習的にするような殺人狂相手に勝てるのか? 出遭った事無いから言えるんだと思うが、今のトップランカーはいずれも化物揃いだぞ」
彼等の実力からでは何を言っても卓上の理論に過ぎないが、最後の結論だけは間違って無いと、とあるプレイヤーは自身の無精髭を爪先で摘まんで一本ずつ抜き取りながら豪快に笑った。
「――へぇ、もう99種類集まるのか。ブック、最後のページに『交信』を貼り付けてぇーと――ジョン・ドゥ、ジョン・ドゥ、お、あったあった。一応出遭っていたか」
そのプレイヤー名はギバラ、古臭い外套の下に極限まで鍛え抜いた鋼鉄の肉体を有する、古参のプレイヤーから『ジョン・ドゥ』と双璧を成すほど危険だと恐れられた最強のプレイヤーキラーである。
(――コイツ、とんでもない変態だけど強ぇぞ!?)
あれもないボンテージ姿で拘束され、身動きを封じられて地に転がったユエとアリスに、コージは驚愕を隠せずにいた。
(ガルルの話じゃ操作系と断定していたが――いや、そういえばマイもボンテージ姿だった気がする。操作系の能力者ならオーラを放出系の技能は80%で得意分野、逆に具現化系は60%で不得意の筈だが――操作、放出、具現化の三つの系統を使いこなすほどの高レベルな実力者か、だが!)
こういう技能は滅茶苦茶苦手なんだが、原作で格好良かったので練習しておいて良かったとコージは内心笑う。
「ぐぬぬ、外れない……!」
「ええ、私の愛の結晶ですから、そう簡単には外れませんよ」
「うわっ、気持ち悪っ!」
ルルスティには見えない角度で、ユエとアリスにオーラを変化させた文字で簡易な作戦を伝え――二人はこくりと、小さく頷いた。
「どうしました? 二人を無力化されて怖気付きましたか? 私としては時間が過ぎれば過ぎるほど援軍の可能性が高まりますから別に問題無いですが?」
油断していない状態の強者ほど手強いものは無いが、強者というものは絶対油断するものだ。
「テメェのその面が気に食わねぇから、全力でぶん殴る!」
「おやおや、僻んでも自身の顔は矯正出来ませんよ? ああ、グリードアイランドには『マッド博士の整形マシーン』を取りに来たのですか?」
「ほざいてろッ!」
コージは『堅』の状態で仕掛ける。あんな無粋な拘束具で二人を辱めたこの変態野郎には、顔を二発以上ぶち込まないと気が済まなかった。
ひたすら顔面狙いの拳を繰り出し、ルルスティは悠々と躱す。オーラの総量は遙かに上、オマケに体術や身体能力まで負けている始末、この差を何で埋めるか――。
(当然、小手先の小細工に決まってんだろ!)
足先のオーラを瞬間噴出させ、急激な加速を拳に乗せる。
コージの最大速度を完全に見切り、余裕をこいて紙一重で避けていたルルスティの顔面に今度こそコージの拳がめり込んだ。
「――!?」
更にもう一発、顔面を殴り飛ばし、両手の掌底をルルスティに腹部に叩き込む。強烈な衝撃を受け、「がはっ!」とくの字に折れながらルルスティは後方に飛ばされる。
(手応えあり! てか、チャーンス!)
先程躱された経験から、コージは致死級の威力を捨て、一切溜めずに圧縮せず、速射性を重視した巨大な念弾を撃ち出す。
人間大を飲み込むまで肥大化したオーラの塊はルルスティを遙か彼方へ連れ去る。
(よーし、やっと、やっとやっと! 本来の形とはかなり違うけど直撃したぁっ! 一撃必殺なのに、本当にグリードアイランドに来てから避けられ過ぎだったなぁ……)
何とも言えぬ高揚感と達成感に満ち溢れるが、あの程度の念弾では仕留められまい。
森を破壊しながら形成した一筋の道を直進しながら、コージはルルスティを捜すが、すぐに見つかる。
「……やって、くれましたね……!」
黒衣が破れて肌が露出し、血を流すほどの負傷が目立つルルスティは、先程より更に殺意を漲らせて、余裕もへったくれも無くなったのか、憤怒の形相を浮かべていた。
何度も咳き込んでいる様子から、かなりのダメージが入ったと推測出来る。
(やっぱりだ。あの具現化能力、多用出来る能力じゃない! 纏うオーラがさっきより少ないぜ)
(――痛ッ、肋骨が何本かイッたか?)
一方、ルルスティは絶対に当たりたくない一撃に当たるという自分自身の失態に、内心悪態を吐いていた。
(クソッ、あの霊丸、レイザーの時と比べて威力が格段に落ちているとは言え、此処までのダメージになるとは……!)
今の時点で、全体のオーラの八割を使い切り、残り二割のオーラで騙し騙し運用しているのがルルスティの切迫した現状だった。
彼の目算ではコージが霊丸を撃てるのは精々四発が限度、戦闘中のオーラ消費も考えるならば三発でガス欠になるだろう。
(……オーラ切れと時間稼ぎを狙った矢先に、これか。まずい、限界は此方の方が速いか……!)
積極的に攻勢に出なかったのは手を出さずとも勝利を手にする事が出来るという打算的な思惑があり、無理に危険を犯す必要な無いと考えたからだ。
結果、その安定志向とも呼べる惰弱な発想が彼を窮地に追い込む。
一つ危険な賭けに出るか、救援が来ると信じて待つか――強者というプライドを捨てて逃走するか。
最後の安全策を選択するには自身の誇りが許せず、絶対に選べない。拘束した奴隷を二人手放して、格下相手に逃走するなど、断じて在り得ない選択肢だ。
一か八か――自ら仕掛けて活路を開こうと決断を下す直後、対峙するコージは自身に指先を向けた。
直後、ルルスティは殺人的なまでの緊張感と共に身構える。あれは何度も見慣れた霊丸の構えだった。
(っ!? この状況でそれを? 今の状態で避けられないと過信したのかっ! それならむしろ好都合! 奴はあの一発でオーラを使い果たす! 避ければ私の勝ちだ!)
いつでも飛び退けられる姿勢で、全神経を彼に集中させながら、ルルスティはにやりと嘲笑った。
圧倒的に有利な状況下が逆にこの悪手を打たせた。やはりまだまだ発展途上の能力者、精神的にも未熟だ。この局面で判断を誤るとは――。
(しかし、あの威力は侮れませんね。何が何でも回避させて貰いますよ――)
原作のゴンのジャジャン拳を間近に見た者の気分を、ルルスティは身を持って共感する。今この瞬間に撃ち抜かれる危険性があるのだから、喰らう直前の気分もである。
全オーラを指先に集中させ、ひたすら圧縮して撃ち放つ。
『幽遊白書』世代の人間だからこそ、単なる念弾に此処まで執着し、こんな馬鹿げた必殺の領域まで磨き上げたのだろう。
――彼への、惜しみ無い賞賛が自然と胸から湧き出てきた。あの漫画で心踊らされたのは、自分も同じだったからだ。
(惜しいですね、こんな形で出遭わなければ良い酒が飲めそうでしたが)
在り得ない幻想が胸に過ぎり、笑って切り捨てる。
元の世界で出会ったなら、存分に語り合えただろう。存分に罵り合えただろう。
だが、この世界で敵として出遭ったからには決着は生と死でしかない。
彼等を踏み台に、自分達は更なる高みに上がる。それが強者の特権であり、弱者は踏み躙られるのみ。
「アンタの敗因を、教えてやろうか」
「?」
突拍子も無い台詞にルルスティは不審に思う。
言葉で油断を誘って撃つつもりだろう? 即死するような脅威を目の前に突き付けられて、他に何に気を取られると言うのか。
――ざくりと、何かが貫かれる音をルルスティは他人事のように聞き届けた。
「一人で戦わず、最初から仲間に頼るべきだったんだ」
自身の胸には鋭利な刃物が突出しており、ルルスティは背後を振り向く。
其処には自身の拘束を解いたユエが鎌を突き立てており――彼女の両手の酷い青痰を見て、もう一つの弱点を突かれたかと素直に納得した。
(幾ら具現化系を鍛えようとも、私自身の系統は操作系――『絶対遵守の首輪』を掛けた状態なら話は別ですが、距離を開けば『盲愛の拘束具』の強度が低下する。元々、外部からの衝撃で破壊する事は、簡単な部類ですしね……)
血反吐をまき散らしながら、これは死んだなとルルスティは自覚する。
女はこれだから怖い。常に突き刺されて奉仕する分際で、一瞬でも隙を見せれば即座に此方の心臓を突き刺してくる。
だから抵抗出来ないように拘束して、壊した。手に入れたかった。何よりも欲しかった――。
――死に間際、ルルスティはやっと自分の欲求の根源を悟る。
何て事も無い、詰まらない結論。自身の能力が無意識の内に此処まで歪んだ原因。
完全に操作状態の対象に自由意志を残したのも一重に――こんな自分を愛して欲しかったらしい。
余りにも馬鹿げている。こんな方法では永遠に手に入らないのに。
自分は今まで気づかず、擦れ違って勘違いして満足した振りして、永遠に満たされず、最期の最期に気付いてしまった――。
「……くく、未練、ですね――」
死に体のルルスティのオーラが禍々しく変質し、ユエとコージは咄嗟に退く。
――随分前に考察した事がある。自分が死ねば、発動中の念はどう変質するのか?
その時の結論は呆気無く消える、というものだった。『絶対遵守の首輪』の命令権は自分であり、主人が死ねば奴隷の意味も無くなる。
故に死者の念として残らないだろう。そのままならば――。
「バサラとヨーゼフを、お願いしますね」
我ながら自分勝手過ぎるなとルルスティは口元に血を流しながら自嘲する。
ただでは死なない。虎が死して毛皮を遺すように、世界で二人だけの親友に自身の力の一端を遺す――。
「ルル――!?」
意識が途絶える間際、親友の声が聞こえたような気がして、彼は少年のように邪念無く笑って逝った――。