No.017『誤算』
「確かお前がクルタ族の野郎だよな? 能力は使わないのかー?」
気怠げな挙動で背伸びしながら、バサラは最初に問う。
呑気なものだとミカは内心笑う。未だに臨戦体勢に入っていない彼を挑発するべく、ミカは全力の『練』でオーラを練り上げる。
「君如きに必要すら無いさ」
修行の成果、緋の目に頼らずともあのおさげの少女に匹敵するほどのオーラを纏って、ミカは自信満々に断言する。
バサラは一瞬目を細め、腹を抱えて大声で笑った。余りの隙だらけの姿に、逆にミカは踏み込めずに居た。
(何だコイツは? 何故この僕を前にこんな隙を晒せる? こんな圧倒的な実力差を見せつけられて……!)
ミカの疑問が疑心に変わり、怒りに早変わりするのに時間は然程掛からなかった。
「結構な頻度で居るんだよなァ、テメェみたいな勘違い野郎は。自分が物語の主人公だと、途方外れで根拠の無い自信を抱いてる塵屑がよォ」
演技の如く白々しい嘆きの仕草をしながら、ぎょろりとバサラはミカの眼を射抜く。
「――お前さ、もしかしてまだ自分が殺されないとでも思ってんのか? カードを奪う必要が無いって事はなァ、つまり殺したい放題って事だぜ?」
バサラの揺らぎなき水面の如き『纏』が一瞬にして激動たる『練』に変わる。
それはまるでゴンの発展途上の『練』に、成熟した念能力者の『練』を見せつけたゲンスルーの如く、覆せない力量差の対比だった。
「悟れよ、誰も彼もが主役ではなく端役だってさ。お前もオレも、名無しの脇役に過ぎないとな」
今、目の前にしても信じられなかった。
その凄まじいオーラの奔流は、あの少女よりも――緋の目状態の自分さえも圧倒的に超えていた。
「そういう身の程知らずを殺す瞬間、心の奥底から晴れ晴れとした気分になれる。この世界に生まれた事を感謝したくなるほどスカッとする」
まるで理解出来ない狂人の一端を見てしまったかの如く、ミカの全身に寒気が走る。
ミカは即座に『全身飛翔鎧』を展開する。それは戦意からではなく、恐怖からの防衛反応だった。
「ああ、お前は両眼抉って殺すわ。それがクルタ族の普遍的な死に様ってもんだろ?」
聞くに耐えず、ミカは自分から踏み込んだ。
最速で間合いを詰め、ブレイドを振り抜き――逆に、バサラの拳が顔面に突き刺さり、呆気無く返り討ちにされる。
「おー、硬ぇ硬ぇ。殴ったこっちの手が痛むとはな」
「っ!」
遥か後方に吹っ飛ばされながら無事着地し、顔の痛みに怒りを感じながらもミカは行けると確信する。
オーラの差は比べるまでも無いが、『全身飛翔鎧』を纏った今、奴の打撃では此方の防御を崩せない事が証明された。
(あのおさげの少女の時のような無様な二の舞は演じない。オーラが尽きる前に迅速に勝たせて貰うよ――!)
此方の防御に相手の攻撃が通用しない、その事がミカから余裕を呼び覚まし、冷静さを取り戻させる。
恐らく相手は強化系とは遠い系統、具現化系か操作系の能力者だろう。相手の型にさえ嵌らなければ恐るるに足らない。
「仕方ねぇな。元々殴り合いは苦手だしよォ――本来の戦い方に戻るか」
彼が自らの念能力を開帳する瞬間、ミカが身構えて迎撃しようとした刹那――バサラは指揮者の如く大袈裟な身振りで、ばちんと指を鳴らした。
「――ズァガッ!?」
直後に生じたのは頭上からの度外な衝撃、装甲を貫いて皮膚を焼く膨大な熱と全身の痺れ――感電したのかと、数瞬遅れてミカは察知する。
(キルアのようなオーラを電気に変える能力!?)
いや、違う。キルアの『落雷(ナルカミ)』のような変化系の雷ならば、術者と直接繋がっていなければ大した威力は出ない。
変化系能力者ならば放出系の習得度は60%、オーラを自身から放す技術は苦手の部類に入る。
「暑そうだなァ、冷やしてやるよ」
バサラは余裕たっぷりと笑いながら、再び指をぱちんと鳴らす。
痺れて動きが鈍る身体をおして、ミカが再び来るであろう電撃に身構え――眼を見開く。
頭上に突如現れたのは超巨大な氷塊が三つ、避ける間も無く落下して墜落し、氷塊と比べて豆粒のような彼は真正面から被弾する。
大質量による超越的な暴力は彼の装甲を突き破り、夥しいダメージをミカに与えた。
「ぐ、馬鹿、な……!?」
揺らぐ足を何とか踏ん張り、何とか立ちながらミカは驚愕する。
装甲はまだ顕在だが、処々罅割れ、流れ落ちる赤い流血が目立つ。
(何だ、何だこの巫山戯た能力は!? いや、待て。明らかに変だッ! まさか幻術か催眠術か!? 既に奴の術中に嵌っているというのかっ!?)
指を鳴らす仕草そのものが能力発動のキーであり、NARUTOの忍の幻術が如く効果を相手に与える操作系の念能力――指を鳴らすという単純な一動作が能力の発動条件?
若干引っ掛かりを覚えるが、実際に怪我や負傷をしていないのならば――かくん、とミカの膝が自然と崩れ落ちる。
彼は「え?」と呟く。自分の周囲に出来た自分の血による血溜まりが、喩えようも無いほど気持ち悪かった。
「――具現化系ってよォ、どうやって系統別の修行したら良いんだァ? 未だに其処ん処が不可解なんだよなァ」
耳を小指でほじり、バサラはふぅと吐息で耳垢を飛ばす。
「原作で出ていたのは強化系と変化系と放出系のみでよォ、まぁ操作系のは大体想像出来る。念を籠めた物体を操作して訓練すれば大丈夫だと思うがよォ、具現化系の場合はどうなるんだ?」
目の前の敵に何を呑気にお喋りしているんだとミカが疑問に思うと同時に、これと同じような場面が脳裏に過る。
そう、これはあのおさげの少女の時と同じ――この光景に名付けて額縁に飾るならば『揺るがぬ勝者の余裕』になるだろう。
「クラピカの鎖は非常に良い例だったが、あれだと修行の完成=『発』の完成になっちまう。ソイツは具現化系の系統別の修行とはちょっと違うだろォ?」
奇妙なほどフレンドリーに話しかけて、バサラは同意を求める。
一瞬にして腸が煮えくり返るような怒りを胸に、再度立ち上がって切り伏せようとするが、どういう訳か、足が言う事を効かない。
早く立ち上がれよと苛立ちを籠めて自らの足を直視し――右足が在らぬ方向に曲がって千切れかけている事に漸く気づいたのだった。
「だからよォ、オレは無差別にイメージする修行を二十年間続けたんだ。ビスケ先生の言う通り、自分の系統を中心に理想的な山型になるようになァ」
その話の最後に「先生って言っても直接師事された訳じゃねぇがなァ、所謂『心の師』って奴さ」と付け出し、バサラは笑う。
もうとっくの昔に勝負が付いたと、そんな事にも気づいていなかったのかと小馬鹿にするように――。
「……嘘、だな。在り得ないっ! どうせこれは幻術か何かなんだろう!? 種は割れてるんだ、いい加減解け!」
「――、っ、あははははははははははっ! おいおいおいおい、現実を認められないからって余りにも無様で滑稽過ぎるぞ! オレを笑い殺す気かよ! ああ、超腹痛ぇ! 一発も当たってねぇけど今までの攻撃で一番効いたぜオイ!」
大爆笑し、バサラは息苦しそうに呼吸しながら指を鳴らす。
蹲るミカの下から突如水の噴射が巻き起こり、既に身動き出来ない彼を上空に放り投げた後、地面に墜落させる。
全身に突き抜ける激痛に悶え、地に這い蹲るミカに「お眠な頭は冷えたかァ?」と皮肉気に笑う。
「オレが辿り着いた具現化系の境地は現実を浸食する空想。これを『発』として名付けるなら――ああ、駄目だな。今日も思い浮かばねぇや」
明確な名称を付けて固定化せず、未だに完成しない『発』未満の具現化系能力。
方向性と固定概念が無いが故にイメージした空想を一瞬にして現実に具現化してしまえる、具現化系能力の究極形が此処にあった。
「まぁそんな事はどうでも良いんだが――」
格好が付かないなぁと本人はそう思いつつ、まだ完全に具現化した鎧を解いてないミカを見て、口元を歪ませて笑う。
「……っ!」
――さながらそれは、釘に刺された昆虫の手足を千切ろうとするような。
やられる対象から見れば、それはそれは、恐ろしいほど壊れ狂った表情だった。
先手必勝、獣が如く獰猛な速度で飛び掛かったのはガルルだった。
両手の五指からオーラの爪を長々と伸ばし、霞むような速度で切り付ける。
彼の念能力『万能毒の爪(ポイズンシザー)』はオーラを鋭い爪状に変化させ、そのオーラの爪に各種多様の毒を付属させたものである。
「うおぉっと!」
(良し――顔に傷を付けれた!)
ゾルディック家のように、幼い頃から毒物を服用して耐性を付けた彼ならばこその念能力であり(というよりもろゾルディック家の物真似であるが)、その毒の効果は相手がゾルディック家で無ければ掠っただけで勝利を齎せる代物である。
あのおさげの少女相手に、能力を見せずに温存した理由は此処にある。勝利するには最後の一刺しで十分なのだから――。
――ただし、今回の相手はどうやら例外の部類だった。
神字が刻まれた包帯まで念の爪で切り裂かれ、ヨーゼフの素顔がひらりと開帳される。
その顔は酷く焼き爛れ、頬と鼻の骨さえ抉られて平坦にされた、眼球だけが酷く露出した見るに耐えない醜いものだった。
「――っ、化物……!?」
「人の素顔を見て化物呼ばわりとか傷付くねぇ。んー、この感触は毒か。運が悪いなぁ、相手がオレじゃなければ十分通用しただろうに」
かたかたと異形が笑い、ガルルは知らずに足を一歩退いた。
「これは自分自身でやったもんだ。皮膚焼いて骨砕いてまた焼き切って、ああ、超痛かったなぁ」
理解出来ない何かが笑い、直後、悪寒が突き抜け――ガルルの直感は瞬時撤退の命令を下して大きく飛び退いた。
異形の男、ヨーゼフの腕は確かに人間の手だった。
だが、上に掲げる過程で筋肉が肥大化し、最終的には大木の如き筋繊維の塊と化して、異形の手となりて振り下ろされた。
(な……!?)
不謹慎にも懐かしい光景だと思ってしまったのは一種の現実逃避ゆえか。
何物も圧潰する暴力の塊と化した腕は地を木っ端微塵に粉砕し、土埃を宙に巻き上げ――馬鹿げた大きさの破壊跡はクレーターの如くだった。
「――『千変万化(メタモルフォーゼ)』って言うんだ。ファンシーな名前とは裏腹に正義の味方側ではなく、明らかに怪人側だがねぇ。我ながらグロいし」
異形の顔を瞬時に「ロブス」のものに変化させ、馬鹿にしたように憎たらしげに笑う。
どうやらその顔は指定カードの一つ『マッド博士の整形マシーン』によって変えたものではなく、自前の能力だったらしいと冷や汗を流しながらガルルは分析する。
(……っ、まさかあの少女を超える念能力者が居たとは――最悪の場合、他の二人も同格の能力者か……!)
歯軋りしながら、相手の実力を完全に読み間違え、最悪の判断ミスをしたとガルルは後悔した。
(……まずいな。ほぼ詰んでいるか)
唯一の頼みの綱である毒も効いている様子は無い。
ガルルの能力は右手の爪と左手の爪で一種類ずつ毒の種類を別々に設定出来る。
右手の爪に籠めた毒は麻痺毒、左手の爪に籠めた毒は即死級の毒――何方も即効性であり、効果が見て取れない以上、全部の毒が通用しないと判断せざるを得ない。
「別に絶対必要だった訳じゃないが、千変万化の肉体に原型なんてものは必要無いしな。今じゃ、元々どういう顔だったのかも思い出せねぇ」
限界までテンパるガルルの様子を知ってか知らずか、ヨーゼフを自分語りに浸る。
彼からしてみれば、目の前の相手は全てにおいて取るに足らない。
身体能力も、オーラの総量も、その念能力も、精神性も、その身に抱いた覚悟も、全てにおいて自分に劣る。
「――何かを捨てなければ得られない境地がある。生まれて十四年程度のよちよち歩きの糞餓鬼が、オレ達が先行した十年の差をどうやって埋めるのかなァ!」