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No.29957の一覧
[0] プレシアなのはフェイト(無印再構成・完結)[男爵イモ](2011/09/29 19:12)
[1] 02[男爵イモ](2011/09/29 15:07)
[2] 03[男爵イモ](2011/09/29 15:07)
[3] 04[男爵イモ](2011/09/29 15:08)
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[5] 06[男爵イモ](2011/09/29 15:08)
[6] エピローグ[男爵イモ](2011/09/29 15:09)
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[29957] プレシアなのはフェイト(無印再構成・完結)
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:66348768 次を表示する
Date: 2011/09/29 19:12


 暗い部屋に、四角く切り取られた光の窓がある。
 通信用のモニターだ。
 画面を満たすノイズは、騒乱を暗示しているかのように、ただひたすら白と黒をかき乱している。
 それが鮮明さを取り戻したのは突然のことだった。

「―――ミッドチルダ地上の管理局員の諸君。気に入ってくれたかい?」

 見開かれた黄金の瞳が、画面越しにこちらを見つめている。
 その狂相を、画面を前にした女は冷ややかに眺めた。

「……おや、プレシア、どうして君がそこにいるのかな?」
「それはこちらの台詞よ」
「ふむ。どうやら私は通信先を間違えたようだね」
「首尾は?」

 つまらない冗談に付き合う気はない。無論、男はそれを理解した上でこのような戯れを仕掛けてくるのだが、プレシアと呼ばれた彼女は今まで一度も反応したことがなかった。

「上々さ。私の娘たちは実に良くやってくれたよ」よくぞ訊いてくれたとばかりに白衣を翻し、男は両の腕を軽く開いた。「知っての通り、君の望みの品の輸送も既に始まっている。私はこれからミッドチルダ地上本部へと通信を入れるから、君は頃合を見計らって輸送船を襲撃すればいい。なに、次元世界すべての目が私に向いている最中だ。事は容易に運ぶだろう。
 あるいはアルハザード時代の研究者たちでさえ膝を屈した、時間という絶対者への挑戦。
 あるいはアルハザード時代の支配者たちでさえ欲し止まなかった、死後の世界からの奪還。
 君が見事打ち勝ち、願いを叶えることを、ささやかながら祈っているからこそ、私は君の都合に合わせて計画を大幅に繰り上げたのだよ」
「……そう。ならば通信はこれで終わりね」
「ふふ。つれないことをいうじゃないか。これが最後の会話となるかもしれないというのに」
「他に何か話すことがあるような関係かしら?」
「あるとも」男はゆっくりと頷いた。「前々から言ってはいるが、君も私にとっては娘のようなものなのだから」
「…………」
「そう睨まないでくれたまえ。我々研究者にとって、親とは先人であり、受け継ぐものとは血ではなく成果であるということくらい、君とて理解しているはずだ。故に、私のやり残した研究を引き継ぎ完成させたプレシア・テスタロッサもまた、私の娘のようなものなのだよ。それも、極めて優秀な。ここは、せっかくなので最後に父とでも呼んでもらえれば、喜びもひとしおなのだがね」

 若干毒が含まれてはいても、結局この台詞もまたつまらない戯れであったから、女はいかにも億劫そうにため息をついた。
 その反応を満足げに眺めて、男は笑う。

「君が父と呼んでくれないのならば、代わりに私が君を母と呼ん」
「さようなら。ジェイル・スカリエッティ」

 彼女は一方的に通信を終了した。
 まったく。最後まで変わらず気持ちの悪い男だ。







 空気は凛と澄み渡っている。
 気持ちの良い朝だ。
 そのように感じるのは、空の青さと、何より元旦というキーワードが強く作用したのだろう。実際には、深く吸い込みすぎると胸が痛くなるほどの冷たさしか存在していないというのに、人間とは単純なものである。
 あるいは、自分だけが単純なのかもしれないと思いもしたが、目の前の人の群を見れば、その仮説を棄却する以外の判断はありえなかった。
 神社に集まる人の群は、もはや新年の代名詞といってもいい。
 高町なのはも、ほんの少し前まではその一部だった。しっかりと流れに乗り、賽銭箱に硬貨を放り込んでから大鈴を鳴らし、様々なことを祈った。そして、目を開くと、近くにいたはずの親友二人の不在に気づいたのだった。
 全体のために死を選ぶ一部の細胞のように集団から離脱し、なのはは二人を捜した。
 しかし、この人の多さである。木の葉を隠すならば森の中といわんばかりの状況は、一人で対処するには重すぎた。しかも、携帯電話は今日に限って携帯していない。なんのための携帯電話か、と後悔したものだったが、後悔が役に立った経験など終ぞないし、それは今回も同じだろう。
 結局、三十分ほどで捜索を打ち切り、待ち伏せ作戦へと方針を転換した。
 なのはは神社の隅の人気のない、けれども参拝客の大群を広く眺めることのできる位置に陣取って、そこでようやく一息つくことができた。吐き出した白い息は、思うより鈍く重たかった。すっかり気疲れしてしまっていた。人の波を切り裂いて進むのには、体力以上に精神力が求められたのだ。向けられる迷惑そうな視線は一つでも大きな破壊力を持つというのに、それが四方八方からまるで矢のように飛来すれば、彼女でなくとも消耗は必至である。それが三十分も続けば、よほど面の皮が厚くないかぎり撤退したくもなる。
 休憩がてら観察していた人混みはカラフルだった。振り袖があり、袴があり、黒ずくめがあり、ジャージがあり、巫女服があり、何でもあった。ぼんやりと、目の焦点を合わせずに眺めていたので、それらはモザイク画のようにも見えた。もしかしたら、その中に捜し求める二人がいたかもしれないが、一度休憩状態へと移行した頭は再始動を渋って怠け続けていた。
 視覚と同様に、聴覚も音のモザイクの中をたゆたっていた。履き物の種類と踏まれる地面の状態との組み合わせが音を決め、個々人が自分のリズムでそれを刻む。それら一つ一つの輪郭を滲ませ、境界線を取り払い、全てまぜこぜにした音は、放課後の校舎の如く人を眠りへと誘う引力を持っているらしい。
 不覚にもあくびを抑えきれず、なのはは口元を手で覆い隠した。
 そのときだった。

〈―――助けて〉

 マーブル模様のカンバスの上に新たに黒く鋭いラインを描くような、そんな鮮明さで以て語りかけてくる声を、なのはは確かに聞いた。
 音の洪水の中にあって、それだけがきちんと形を保っていたというのなら、それは音ではないのだろう。
 事実、なのはには覚えがあった。
 あのとき以来、一度も聞こえてこなかったからすっかり忘れてしまっていたが、こうして聞けば、それが同じものだとすぐさま理解できる。
 他の誰にも聞こえない、幻聴として片付けられた声。
 なのは自身、あれはなにかの間違いだったと納得し、過去の出来事になり果てた経験。
 それが、今になってどうして再び……。

〈―――誰か〉

 脳裏に響くその声は、なのはの困惑など知らずに呼びかけを続ける。
 これが助けを求めるものでなければ、気分を悪くしながらもただひたすら無視すればよかった。だというのに、聞こえてくる声は、まさに絶体絶命の危機に瀕したかのように切羽詰まっている。

「ああ、もう……っ」一度頭を振ってから、なのはは走り出した。けれどもどこへ向かえば声の主の元へとたどり着くかわからず、歩調は自然と緩む。

 心だけが焦りに加速する悪循環。それを断ち切ったのは、立ち止まった背中を押すように、二度、三度と続けて助けを求める同じ声。
 何か予感のようなものがあって、なのはは細い脇道へと足を踏み入れた。
 その瞬間、強烈な既視感に襲われた。
 否、それは断じて既視感などではない。
 なのはは確かにこの場所を見たことがあった。
 ここは、昨晩の夢と同じ場所だ。
 初夢が正夢になったのは初めてだったが、それがどうして今回なのか。なのはの中の冷静な部分が愚痴った。そして、その他の大部分は、予感に導かれるままに地を蹴り、駆ける。視線を左右させ、声の主を探しながら。
 元来運動が苦手なこともあり、すぐに息が上がってしまう。けれども足を止めず、前へ前へと進む。

「あ……!」

 見つけた。
 道の真ん中。
 うずくまる小さい何か。
 駆け寄って、傷ついた体を抱き上げる。
 冷えた手の平に、体温が伝わってくる。
 あたたかい。
 フェレットだろうか。
 首輪なのか、赤い宝石を首からぶら下げている。
 この怪我は自分の手には負えない。
 そもそも傷の程度がわからない。
 動物病院に行かなければ。
 いや、それではダメだ。
 元旦の昼前から開いているわけがない。
 どうしよう。
 思考が交錯に交錯を重ね、なにを考えるべきかもわからず混乱していると、抱えた小さな命が身じろぎするのを腕に感じた。
 それがどうしてか、なのは心から混乱を打ち払い、冷静な思考を呼び込んだ。
 まずは急いで家に帰り、すずかとアリサに連絡を取ろう。友人たちは自宅でたくさんの動物を飼っている。簡単な治療ならば、その用意があるはずだ。はぐれてしまい、自分の所在を伝える必要もあったのだからちょうどいい。いまやこの場での合流に拘るべきではない。
 なのはは元来た道を戻る。抱き上げたフェレットに振動が伝わらないよう、慎重かつ速やかな足運びを心がけて。
 小道から境内を抜け、足下に気をつけながら石の階段を下った際、周囲からおびただしいまでの視線が集まったが、今度は気になどしていられない。風を切る矢のように家を目指す。

「なのはちゃん!」

 偶然は、幸運となってなのはの背を押した。

「すずかちゃん!」なのはは自分を呼んだ声の方、左斜め後ろに振り返った。「よかった……」すずかに近づく。「ごめんね、はぐれちゃって。携帯電話、家に忘れて来て」
「ううん、それより」すずかがフェレットを見る。「この子、怪我して……」
「うん、すずかちゃんとアリサちゃんを捜してるときに見つけて……、道に倒れて……」

 説明はまともな形をしていなかったが、流石は親友、即座に事情を察して、素早く携帯電話を取り出した。

「ありがとう」なのはは礼を言う。

 すずかは小さく首を振って答える。数秒後、受話器に向かって話し始めた。

 なのははその内容に耳を傾けつつ、荒れた呼吸を整えていた。胸が激しく上下し、服の下にはわずかに汗をかいている。頬も少し熱い。

「あ……」動きを感じて胸元を見ると、フェレットが目を開いていた。

 グリーンの宝石みたいな瞳が、じっとこちらを見つめる。

「大丈夫だよ。もうすぐ手当てしてもらえるからね」なのはは話しかける。

 フェレットは小さく首を傾げ、しばらくなのはと視線を交わした後、再びうずくまり目を閉じた。



 今日の出来事を家族に告げ、フェレットを飼ってもいいか恐る恐る尋ねると、両親はあっさり許可を出した。予想通りの展開だったが、だからこそ心の広さにつけ込んだようにも思えて、なのはは申し訳なかった。
 現在、フェレットはすずかに預かってもらっている。しかし、それは治療後の経過を見るためであり、いつまでもというわけにはいかなかった。猫の楽園である月村家では、フェレットが生きていくことはできないのである。バニングス家も同様で、こちらは犬の楽園となっている。
 別の飼い主を探すという選択肢は却下した。天秤の両端に様々な要素を乗せた末の決定であったが、決定的だったのは、やはり例の幻聴である。
 助けを求める声に従った結果、傷つき倒れるフェレットに行き着いた。
 本当に偶然だろうか。
 あれだけはっきりと聞こえた声だ、とても幻聴とは思えない。思えないが、このまま何も起きず時が過ぎれば記憶は風化し、かつてと同じく幻の声を聞いたと納得できよう。
 しかし、なのはには予感があった。
 彼女は肩まで湯船に浸かり、湯煙に包まれながら目を瞑る。すると、叫びだしたくなる衝動にも似た、なにか事を成さねばならないという強い欲求じみた情動が心の裡に渦巻いているのを、確かに感じ取ることができるのである。人によっては、迫り来るなにかを感じ取ったが故の焦りとも思うかもしれない。実際、なのはの予感の正体は、迫り来る大事を前にしたかの如き心の昂ぶりから逆算して導き出された、なにかが起こるに違いない、という思い込みだった。
 けれども、論理的に正しくない推測が、時に他の何よりも正確に未来を言い当てるということがある。
 正になのはの予感こそが、それだった。
 心地良い熱に包まれリラックスした身体とは対照的な、いまにも破裂せんばかりに膨らんだ精神は、その声を聞いたとき、驚きよりも待ち侘びたという感情を強く感じた。

〈聞こえますか? 僕の声が、聞こえますか?〉

 覚えがある。まだ半日も経っていない。
 慣れない内は違和感ばかりが付きまとう、頭の中に直接響く声だった。けれども些細なことを気にしていられないほど、語りかけてくるその声は焦燥に満ちている。だからなのははきちんと聞きとろうと目をつむり、集中する。もはや鋭利な刃物にも喩えられそうな集中力を以て、その声を逃がすまいと追いかける。

〈聞いてください。僕の声が聞こえるあなた。僕に少しだけ、力を貸してください。お願い、僕の所へ……!〉

 声はいよいよ必死さを増し、なのはは湯船の中で勢いよく立ちあがった。声は昼間のと同じもので間違いない。間違いないということは、自分は恐らくフェレットに助けを求められているということで、それはすなわちどういうことなの? よくわからないが、とにかく一刻の猶予もなさそうだということだけはわかっていた。これが自分の妄想であれば、もうそれでいい。危機に陥っている人などいなかったということなのだから。けれどもそうでなかった場合、今このときも助けを待つ誰かがいるということだ。なに、喋るフェレットなどという不思議な生き物も、高町家の人間と比べれば大したものではない。
 そんな風にどこかずれた感覚で自分を励まして、なのはは浴室を飛び出した。途端、襲いかかる冷たい空気に身を震わせながら、手早く体を髪を拭き、パジャマではなく外行きの服を身につける。それから駆け足で自室に戻り、コートを羽織って玄関へ。

「どうした、なのは?」

 靴を履いていると、背後から声。首だけで振り返り、なのはは答えた。

「お兄ちゃん! ちょっといまから出かけてきます!」気が急いていたせいで、自分でも驚くほど返事の声は大きくなった。

 訝しげな表情をした兄の「気をつけろよ」という言葉を背後に、なのはは駆け出した。
 風は肌に突き刺さるほど冷たいが、走ることで体温と息が上がり、汗が一筋額を流れる。吐き出した白い息は、月明かりに照らされながら空気に溶けていく。
 暗いアスファルトの上をひたすら駆け、駆け抜け、駆け尽くし、それでも月村邸にはほど遠い。ほど遠いが、しかし、到着地点はそこだった。なのはの五感、あるいは第六感がそう告げている。
 人気のないその交差点は、どこにでもある夜の静けさに包まれていた。それがどうしてだろう、やけに不吉なものに感じられて、なのはは知らず喉を鳴らす。
 しかし、すぐに覚悟を決めた。
 立ち尽くすだけならポストでもできる。何のためにここまで来たのか。
 自分に言い聞かせ、なのはは一歩、踏み出した。
 最初の一歩を、
 自分の意志で、踏み出した。
 途端、すぅ、と水が砂に吸い込まれるように、わずかな夜の音も引いていった。
 残るのは、完全な無音。そして、自身の呼吸音。
 それまで無意識に肌で感じていた音さえも失われ、なのはは、体の輪郭がなくなり空気の中に拡散し消えていくような錯覚を得た。あるいは、圧しかかる静寂の重圧に押しつぶされて、体どんどん小さくなっていき、最後には消え失せてしまうような錯覚を得た。
 精神と肉体が乖離するような眩暈を取り除いたのは、目の前で弾けた轟音だった。
 視界の端を小さな何かが横切る。恐らくフェレット。考えるのとほぼ同時、なのはは動物的な反射でそれを目で追う。予想通りのものを視界にとらえ、安心し、そしてフェレットを追うように飛び出してきた巨大な何かが、一瞬の安堵をたやすく粉砕した。ついでに樹木の幹をも粉砕したその黒く巨大な何かは、倒れてきた木の下敷きになり、もがいて暴れている。
 これだけでも常識を疑う光景だというのに、なのはの元に跳躍してきた小動物がこちらを見上げて言う。

「来て、くれたんですか……!?」

 フェレットがなにやら人間の言葉を口にしたから、なのはは目を丸くして驚いた。驚かざるをえなかった。
 ここに来るまで、自分を呼ぶ声はこのフェレットのものなのだと漠然ながら理解していたにもかかわらず、実際こうして目の前で、肉声で言葉を話されると、やはり、違う。

「私を呼んだのは、あなたなの?」
「いまは事情を話している時間がありません」フェレットは早口で言う。「ですが、後で必ず説明します。僕にあなたの力を貸してください!」
「それはもちろんそのつもりで来たんだけど、でも、力って」
「魔法の力です、あなたには資質がある!」
「ま、魔法……?」

 もしかしてお風呂で寝ながら夢を見ているのではないだろうか。
 突然飛び出したリリカルな単語のせいで、不覚にも現実を疑ったなのはの心を支えるように、フェレットが言葉を続けた。

「いえ、いまはそれより先に―――」
「そう……」なのはは、はっとする。「逃げないと!」

 彼女はフェレットを抱え上げると踵を返し、脱兎の如くその場から逃げ出したした。
 これだけの異常事態に晒されて、感覚が麻痺したのだろうか。足に震えはなく、自分で思ったよりも体は軽い。
 心はフラットだし、頭は冷静だ。その証拠に、逃げる自分とは別に、事態を冷静に眺める傍観者の自分がいる。だから腕の中で事情の説明を始めたフェレットの言葉を、ずいぶん冷静に聞くことができていた。
 魔法。
 その資質がなのはにはあるらしい。
 そしていま、その力を求められている。
 自分にしかできないことだ。
 他の誰でもない、高町なのはにだけできること。

「―――わかった。私はどうすればいいの?」
「これを」フェレットが口にくわえ差し出したのは、赤い宝石。「それを手に、目を閉じて、心を澄ませて。それから僕のいう通り、言葉を繰り返して」

 返事は頷きで返す。
 なのはは目をつむった。赤い宝石を握った手を、さらに強く、握る。

「我、使命を受けし者なり」
「契約のもと、その力を解き放て」
「風は空に、星は天に」
「そして、不屈の心は―――」

「この胸に!」

 恥ずかしいなあ、と冷静な部分で思いつつも、自分の意思で力を貸すと決めたから拒否できなかったキーワード。
 しかし、どんな魔法なのか、口にしている内に心は沸き立つ。

「この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」

 ついには心が言葉に追いついて、追い抜いて、自然と最後の言葉が生まれ出でた。
 そうして、なのははインテリジェントデバイス、レイジングハートを手に戦うことになった。
 胸の鼓動はまるで戦場に響く鼓舞太鼓。
 ならば昂揚した心は戦場に生きる戦士のそれか。
 襲いかかる敵の攻撃は、心に願うだけですべて防ぎきっていた。その力強さを目にしたフェレットが、驚嘆とも感嘆ともとれる声を上げるが、このとき、受けた衝撃と轟音とで、なのはの意識は舞い上がっていたので、向けられた言葉を聞いている余裕はなかった。聞き流したフェレットの言葉には、魔法関係者の先達としての助言も含まれていたが、当然、これは頭の片隅にも残らない。残らないから己の思うまま、望むまま、杖を振るう。
 槍のように突き付ける杖先。
 射出される桜色の魔弾。
 光の尾を引き空間を疾駆する魔力の弾丸は、まるで降り注ぐ雨の如く次々と敵に突き刺さり、あっという間に沈黙させた。
 結果を見たフェレットも沈黙した。

「あれ……? もうおしまい?」きょとん、と。何の手ごたえも感じなかったといわんばかりの表情で、なのはは首をかしげる。

 思えば、あまりにも早い才能の発露だった。
 こうしてジュエルシードを封印したなのはは、近づいてくるサイレンの音からそそくさと逃げ出し、暗い公園の冷たいベンチに腰を下ろした。そこでようやく夢から覚めたように力が抜けて、軟体動物もかくやと背もたれに体重を預ける。圧倒的な火力で敵を制圧したとはいえ、いままで戦いとは無縁な暮らしをしてきたのだから仕方がないことではあった。

「はう……」

 なにやら情けないため息が出る。それを慰めるように手の甲をフェレットが舐め、なのははくすぐったさに身を震わせた。
 それから二人は自己紹介をし合って――フェレットはユーノ・スクライアという名前だった――なのはは詳しい話を聞くことになる。
 ジュエルシードという危険な道具が散らばってしまったこと。
 ユーノはそれを回収するためにこの世界へと来たこと。
 この第97管理外世界と呼ばれるもの以外に、世界はいくつも存在すること。
 そして、しばらくして魔力が戻れば、ユーノは再び一人でジュエルシードの回収を行うつもりであること。
 すべて聞き終えたなのはは、当然のようにこういった。

「私にも、お手伝いさせて」

 それは、この地でユーノが頼ることのできる人はいないという事情に思うところがあるからだったし、なにより目の前で困っている人を放っておけはしないからだった。
 決して敵をコテンパンに叩きのめすことに快感を覚えたからではないったら、ない。








 ジュエルシードを輸送していた船を、事故に見せかけて撃墜した。これは、直接奪取することで記録が残り、万が一にでも管理局が即座に対応してくる危険性を考慮してのことだった。まき散らされたものを一つ一つ集めるのは手間だが、管理局は陸も海も大混乱のただ中である。彼らが輸送船の事故が事件であると知るころには、回収は終わっている。それどころか、自分は既にこの次元を去っている可能性が高い。
 そのような目論みの下、彼女は娘を現地へと送り、回収に当たらせることにしていた。

「母さん」

 つい先ほど声をかけた娘が、扉を開き部屋に入ってくる。彼女それを手招きして、自分のそばに呼び寄せた。

「フェイト」その名を口にするたびに、彼女の中には形容しがたい感情が生まれるが、呼ばれる娘はといえば、ただ名を呼ばれただけで嬉しそうな顔をする。

 幼い娘の金色の髪を指で梳きながら、彼女はいった。

「母さんの大切なものが、なくなってしまったの。ねえ、フェイト。それを探してきてくれないかしら」

 子犬にするように頬を撫でると、娘は気持ちよさそうに紅色の目を細め、そして頷いた。
 それ以外の返事などしたことのない娘である。もちろん、そのように育ててきた結果だ。
 善も悪も彼女が教えた。魔法の使い方から、戦い方さえも。
 そこに山猫を素体とした使い魔が介在する余地はなかった。そもそも今は亡きリニスの存在を娘は知らない。その代りというわけではないが、狼を素体とした使い魔、アルフをそばに置いている。

「ありがとう。私の愛しいフェイト。そのようなことはないとは思うけれど、危なくなったらすぐに母さんを呼びなさい。きっと助けてあげるから」
「はい。母さん」

 教育の成果か、それとも生物としての機能なのか、母親に向けられる瞳には一片の疑いすらも存在しない。それは、今日まで母以外の人間と一切接してこなかったということを差し引いても、純真に過ぎる色をしていた。
 母と自分と狼。たったそれだけで、少女の世界は完結している。
 自分が何のために生み出されたのかも知らず。
 なるほど。確かに使い勝手のいい道具ではある。
 自嘲するように薄く笑いながら、彼女は娘を優しく撫で続けた。







 夜の学校に、静寂が訪れた。つい先ほどまで、魔法戦による大音量が充ち満ちていたので、その差もあって、静けさが耳にうるさいほどだ。

「リリカルマジカル、ジュエルシード・シリアルⅩⅩ、……封印!」

 ノリノリでレイジングハートをバトンのように回転させて、六つ目のジュエルシードを獲得するなのは。その手際は、今日までに神社やプールで行った魔法少女活動のおかげで、ずいぶん滑らかなものだった。とはいっても、彼女は接敵と同時に、流星群を思わせる弾丸の嵐を叩きつけ、一瞬で撃沈させてきただけなのだが、それにしてもユーノではかなうべくもない天才を秘めていることは明らかだ。
 昨日今日魔法に触れた人間とはとても思えない。リンカーコアが提供する潤沢な魔力量もそうだし、それを扱う術も、まるで生まれたばかりの仔馬が己の足で立ち上がりすぐに走り出すように、恐ろしいまでの速度で馴染みつつある。
 もし、生まれた時から魔法技術に囲まれて、この歳まで専門的な教育を受けていたならば。
 歴史に"もし"はないとよく知るスクライアの人間であっても、そんな仮定を思わず抱いてしまうほど、ユーノから見たなのはの資質は飛び抜けたものだったのだ。
 サンプルが少ないので断言するのは危険だが、この第97管理外世界は、まるですべての人間から魔法資質をかき集め、それを一部の人間に付与したかのような世界だとユーノは思う。
 両極端な、ゼロかイチか。そして、技術とは普遍的なものであるべきだから、数の多いゼロ側の人間にとって都合のいい科学技術を核にして、この星の人間社会は育ってきた。はたしてこの世界の魔法技術は時間とともに風化したのか、それとも元々存在しなかったのか。
 ジュエルシードを回収するために来たというのに、ユーノの中では好奇心がむくむくと成長していた。それを義務感と責任感とで押さえつけ、なのはに声をかける。

「お疲れさま。なのは」

 なのはは見た目、本当にお疲れ様だった。
 地上に降り立ち、バリアジャケットを解き、ふらつく足で、だらりと垂らした腕に引きずられてそのまま地面に倒れこんでしまいそうな不安定さを器用に保ち続けている。
 これではどちらが手伝いで、どちらがジュエルシードを回収しなければならない者であるかわからない。
 男らしく生きてきたとはとてもじゃないがいえない人生だったけれど、これは正直、あまりにも不甲斐ないのではなかろうか。でもそれをいったら、いまのペット扱いもどうかと思うし、なにより高町家でペット扱いされることをそれほど嫌がっていない自分が、男として以前に人として終っているようにも思えて、なにかこれ以上考えてはいけないような気がしたユーノは、心の声に従い、現在の境遇について考えるのをあっさりやめた。

「それじゃー、帰ろっかぁ、ユーノくんー」
「うん。……大丈夫? なのは」
「だぁいじょーぶだぉー」

 のびた麺類みたいにこしのない返事をして、なのははクラゲのようにふわふわと歩き出した。レイジングハートを待機状態に戻さず、文字通り杖のように使っている姿は、見ているだけで涙を誘う。
 見るに見かねたユーノは、魔力節約のためにフェレットに変身しているというのに、なのはに魔法をかけて体を軽くし、こうしてまたペット扱いが終わる期限が遠くなったのだった。



 その翌々日の日曜日。

「この、この。フェレットのくせに二足歩行なんかしちゃってー」
「あうあうあー」
「この、この。フェレットのくせに人間の言葉なんか喋っちゃってー」
「うあうあうー」
「この、この。フェレットのくせに私より頭がいいなんてー」
「あうあうあー」

 つんつん。つんつん。つんつん。
 なのはの人差し指でつつかれて、ユーノは目を回していた。
 原因は、休み明けに提出しなければならない宿題に取り組むなのはの隣で、ユーノが家庭教師のようにあれこれ口を出したことだった。理系科目に自信がるという彼女だったが、それを上回る学力を通りすがりのフェレットに見せつけられたことで、プライドがいたく傷ついたらしい。
「そうは言うけど、魔導師は多かれ少なかれみんな数学に強いから」ユーノは言い訳する。「魔法を重視する文明に生まれ育った僕ができるのも……、無理はない……かなぁ?」
 言い終わる前に、彼の柔らかい脇腹に人差し指を突き付けるなのは。すらすらと理知的な口調で問題の解法を並び立てたときとはうって変わって、腰が引けるユーノ。
 それで満足したのか、なのはは頬杖をついて指先でペンを回した。
 ユーノはほっとして、言い訳の続きを口にする。

「なのはは才能があるから、きっとすぐに僕なんか追い越すよ。マルチタスクもちゃんと使えてるし」
「マルチタスク?」
「……あれ? 話してなかったっけ?」

 いや、でも射撃とシールドを同時に使ってたよね、とユーノは首――首? 胴体?――をひねる。
 敵の攻撃を豆鉄砲にしてしまう装甲と、敵の防御を紙のように引き裂く射撃との両輪が、今日までの短い期間で確立しつつあるなのはの戦闘スタイルの基礎だった。どちらも高い魔力値に頼り切りではあるが、魔力値が魔導師の戦闘力の大部分を規定するということを示すよい例でもある。

「えっと、マルチタスクっていうのは、要するに頭の中で計算しながら作文しながら腹筋しながら時間を数えながら明日の予定を立てながら歌いながら読書しながら腹筋するようなものなんだけど」
「そんなの無理だよ……」なのははスルーした。
「日常生活の中でも、無意識に使っている力だからね」温情に甘えて、ユーノもなかったことにした。「どちらかといえば、それを意図的に使う技術ってことになるのかな。慣れてくると、意識して無意識に使う、なんていう言葉じゃ表現しにくい状態になるんだけど、まあ、手続き記憶、つまり歩いたり泳いだりするのに近いものだと思うから、一度できるようになると忘れないし、できると便利だよ」

 しかもそれは魔導師の必須技能だというから、なのははどうにか習得しようと脳に火を入れた。そして、あっという間にオーバーヒートを起こし、煙を上げながら机に突っ伏す。
 同じことを幾度か繰り返すうちに半日が過ぎたが、課題は終わらず、マルチタスクは習得できずと散々な結果に終わったのでした、まる。



「なのに実戦になると当たり前のように使ってるんだから、なのはは本当に凄いよ……」
「なにか言ったー?」

 唸る風音と魔力弾の発射音にまぎれて、ユーノの呟きはなのはに届かなかった。
 彼はなんでもないよと首を振り、しかし、考え直す。

〈マルチタスク、ちゃんと使えてるよ。なのはは〉ユーノは念話で言い直した。
〈え?〉なのはは言葉の意味を理解するのに少し時間がかかったようだ。〈あ、ほんとだ……って、うわぁっ!?〉

 レイジングハートの紅玉から放たれ続けていた射撃が止む。すると、それを機と見た敵が攻撃に転じた。伸びてくる木の枝を、なのははひたすらシールドで耐える。同時に砲撃を放とうとするが、きつく締められた蛇口のように、杖からは欠片の魔力も発射されずにいた。
 ある動作を引き金に、次の動作を記憶から引き出すというのは、人間誰しもが自然と行うことだ。それをいくつも連続させることで、スムーズな一連の動作を組み上げている場合、シークエンスに割り込みをかけられると、頭が真っ白になり手が止まってしまう。その場合、最初の動作からやり直しになるわけだが、上手くいかないことも少なくない。先の失敗のせいで必要以上に自分の動きを意識し、注意がそちらに向き続けることは、無意識の動作に常に意識で割り込みをかけることと意味を同じくするからだ。
 いまのなのはの状態がまさにそれだと見当をつけると同時、ユーノは盾となるべく上空へと身を躍らせた。
 なのはの集中をかき乱したのは自分なのだから、その穴を埋めなくてはならない。
 自分には砲撃などできないが、しかし壁になることぐらいはできて、いまのなのはに足りないのはそのどちらかであるから、ユーノは迷わずなのはの前に飛び出し、鮮やかな緑色に輝く円形の防壁を構築した。
 瞬間、凄まじい衝撃が、受け止めた防壁ごと小さな体に響く。

 ―――なのははこんなものを平気な顔で受け止めていたのか!

 ユーノの驚愕は、向けられる攻撃と受け止めるシールドとの強打で生まれる衝撃に等しかった。

「ユーノくん!」思わず、といった風に叫ぶなのは。
〈大丈夫。防御は僕が担当するから、なのはは攻撃を……!〉
〈―――わかった!〉なのはは力強く頷く。

 ユーノは背後に割いていた注意を前方のみに傾ける。
 役割は決まった。
 ならばあとはお互いを信じるだけだ。
 ここまで頼れる姿を見せていない、それどころか頼ってばかりの自分だけど、だからこそ、ここで弱った体に鞭打って、なのはが攻撃に専念できるようにしなければ。ユーノは強く思った。

『Shooting Mode. Set up.』

 背後から聞こえてきたのは、すっかりなのはの手に馴染んだレイジングハートの声。
 いつ何どきも冷静さと熱い心を忘れないミッドチルダ魂の粋が、主人が固定砲台として完成したことを告げる。
 そして放たれるは、

「ディバイン―――バスタァァアアア!!」

 桜色の極光。
 青い空を分割する巨大な一文字。
 ユーノの頭頂部ぎりぎりを通過した大砲は、彼の誇るアホ毛二本を暴風の理不尽さで奇麗サッパリ消し飛ばし、直後、敵の核たるジュエルシードを一撃の下に黙らせた。

「やった……!」なのははガッツポーズ。
「毛が……、毛が……ッ」ユーノは慌てた。
「それじゃあ封印してくるよ」ジュエルシードの暴走は止まり、ユーノの悲鳴を華麗にスルーしたなのははレイジングハートを変形させた。

 通算六つ目のジュエルシードを封印する呪文を口ずさむ。

「リリカルマジカル、ジュエルシード・シリアルⅩ、封い―――」
『Master!』「なのは!」


『Photon Lancer』


 ディバインバスターが描いたばかりの直線を、なのはたちの後方に延長したその場所から、輝く黄金の一条。
 全く対応できないタイミングで、それは襲いかかった。
 直撃。
 炸裂。
 魔力は花火のように弾けて、たまやー、などと叫ぶ余裕もなく、一人と一匹は真っ逆さまに落下を開始する。
 かろうじて意識が残ったユーノが、なのはの襟元を口にくわえ、落下速度を緩和せんと尽力する。しかし、体重の差なのか魔力の残量のせいなのか、ちっとも減速しない。それどころかどんどん加速して、数秒後には二人揃って地面に激突、ぺしゃんこに潰れて二次元の住人になる運命。ああ、短くもないけど長くもなかった人生よさらば。せっかくかわいい女の子と知り合いになったのに、それで運を使い切ったのかもしれない。まだまだやりたいこともあるのになあ。
 死を覚悟しながらも諦めきれず、ついに宙で必死の平泳ぎを始めたユーノに声をかけたのは、レイジングハートの人工知能だった。
 紅玉が点滅する。
 自分を使えと点滅する。
 レイジングハートは、元々ユーノの持ち物だった。ユーノ自身、忘れかけていたことだ。それは、ユーノがデバイスに頼る魔導師ではなかったから。そしてなにより、レイジングハートとなのはの相性が抜群だったから。

「ありがとう。レイジグハート」

 このデバイスの助けがあれば、どうにか無事に着地できるかもしれない。
 風の中、ユーノは短い腕を白い杖へと伸ばし、

「なのは……!?」

 しかし杖を掴んだのはユーノではなかった。

「ごめん。気絶しちゃってたみたい」なのはがにっこり笑う。頭と足がそれぞれ天地を逆に向いているというのに。
「いや、いやいやいや、なんでそんなに落ち着いてるの?」

 まだあわてるような時間じゃない、とでも言い出しかねないなのはの落ち着き具合に、逆にユーノが慌てるという本末転倒。

「ユーノくん。状況は?」

 状況がわかっていないだけだった。
 というか、彼女も冷静に混乱しているらしい。どう考えても、普通はそんなことを尋ねる前に自分が落下しているのに気づく。
 ユーノは努めて従容を装い、告げた。

「とりあえず、誰かに撃墜されて落下中だよ。僕の力じゃ、なのはの体は重すぎ―――」
「…………」
「なのはの体を持ち上げられなかった」
「そう……」杖の柄を強く握って、なのはは飛行の魔法を発動。桜色の羽が生まれる。分厚い空気のクッションに受け止められたかのように空中で一跳ねすれば、きちんと頭が上を向き、それで体勢は元通り。

 ユーノも自分一人の軽く小さい体くらいならば支えられる。なのはに遅れず落下を止めて、空を向く。その前にちらりと下方に目をやれば、地面までの距離はマンション二階分ほどしか残っていなかった。

「あ……、あれかな」空を駆る黒い人型をなのはが指差す。

 ユーノはそれを見て、厳しい目つき。

「魔導師、かな。デバイスにバリアジャケット。それにさっきの攻撃。僕らと同じ、ミッドチルダ式の魔導師」
「それがどうして私たちを?」
「わからない。でも」
「ジュエルシード?」なのはが尋ねる。
 ユーノは頷いた。「横取りするつもりだと思う。墜としたあとは、こちらを見向きもしなかったし。ロストロギアの密猟かもしれない」

 その場合、どうしてジュエルシードがこんな管理外世界にあることを知っているのか、という疑問に行き着くのだけれど、そこまでは口にしない。

「……ちょっと話してくる」
「え?」

 聞き返すユーノに視線は向けず、なのはは空を見上げたまま言う。「どうしてこんなことするのか、お話を聞かせてもらってくるよ」
 怒ってる?
 どうしてだろう、ユーノにはそのように聞こえた。空を見るなのはの目が厳しいせいか。たしかに、いきなり撃墜されて喜ぶ人間はいないだろうが、しかし、ユーノの中で焦点を結んだ高町なのは像は、いま目の前にいる彼女本人とは若干の食い違いがある。
 なのははユーノを置き去りにして、ものすごい速度で一直線に飛んで行く。
 そして、再び金色の魔力に狙い撃たれ、生まれた爆煙の中からなのはが降ってきた。







 ユーノを置き去りに飛翔するうちに、空の青を背景にした黒い衣がより鮮明に見えるようになってきた。けれどもそれを着る少女こそが、なのはの目を奪ってやまなかった。
 金色の髪と黒いマントを風になびかせて、華奢な腕で黒い杖を構えるその姿。幼くして既に変化を失った、彫像のイメージ。見た目には健康的な白い肌が、しかし、触れれば大理石の冷たさをもたらす想像しか許さない。周囲に比較できる物体が存在しないがゆえの距離感の曖昧さも手伝って、どれほど近づいても手の届かない、完成という概念を連想させる。
 恐ろしいのは、少女が少女であることだ。
 一日単位で、それどころかこの瞬間も刻一刻と変化し続ける代謝の激しい年代にありながら、それを完成形として見てしまえる在り方が、なによりも恐ろしい。
 ジュエルシードに向けられていた視線が、接近に気付いたのだろう、こちらへと向けられた。
 離れていてもわかる血のように赤い瞳に、なのは息をのんで停止した。
 きれい。
 でも、つくりものみたい。
 無表情な瞳に続き、黒い杖の先端が無造作にこちらを向く。それを見て、なのはは問いをぶつける前にレイジングハートを構えた。危機に遭遇したとき、腕を盾にし目を瞑る動作に近い、それはごく自然な動きだった。けれども、それを合戦を開始する合意と捉えたのか、少女は自身の周囲に金色のスフィア複数個を出現させた。そして、なのはが防壁を構築するのと同時に、金色の閃光が鏑矢となって、短い戦いの始まりを告げた。
 放たれる金色と受け止める桜色。
 今日まで体験したことがない、体の芯にまで伝わる強烈な猛打がなのはを襲った。
 着弾により発生した煙に包まれる。このままでは危険だと判断するより先に、視界が覆われたことに対する動物的な恐怖に背を押され、地を蹴り跳ねるように咄嗟に上方へと、

「……っ!?」

 逃れるより早く、一瞬後の撃墜が進路を塞いでいた。
 まさか、―――こんなに速いなんて。
 煙幕から逃れる早く、ほんの数秒前までお互いの声も聞き取るのが難しいであろう距離が開いていたはずなのに、煙を引き裂いて上空から現れた黄金の少女。大上段に振りかぶられた黒い鈍器が、突進の勢いを乗せて、わずかの容赦もなく振り下ろされる。
 そんな危機的状況にあってなのはが注視したのは、けれどもこれから自分を打ち砕く凶器ではなく、少女の色のない瞳だった。

『Protection』

 なのはは他人事のようにレイジングハートの声を聞きながら、奥の見えない洞窟みたいな瞳を印象に刻み込む作業に熱中していた。
 落下を開始し、再び開く少女との距離を埋めようと、手を伸ばす。それは、何か手放してはいけないものを手繰り寄せようとする、必死の抵抗だった。外から見れば、あるいは溺死を目前に助けを求める手にも見えたかもしれない。
 黒衣の少女は、そんなことに興味はないと言わんばかりに視線を切って、本来の目的であろうジュエルシードに向きなおった。
 その横顔を視界に残したまま、なのはの意識は空に溶けていった。



「ん―――、あ……、ゆめ?」

 見慣れた天井と、肌になじんだ柔らかい布団。嗅ぎなれた香りは自然と心身を心地よい弛緩に導く。
 なのはが目を覚ました場所は、夕日で橙色に染まった自室のベッドの上だった。
 なんで? どうして?
 自分がなぜここにいるのか。今はいつなのか。よくわからない。
 けれども今まで自分が見ていたものが、ただの夢ではないことは、自分が一番よく知っている。
 忘れるはずがない。
 顔に吹き付ける風の感覚。
 耳をつんざき頭蓋を震わす魔法の爆音。
 そしてこちらを見下ろすあの子の、無感動な瞳。
 あれは、そう、本当に何の興味もないモノを見る目だった。通学路が工事中で、仕方がないから道を代えようと思う程度の、苛立ちも怒りもない、たまたま障害に遭遇した人が迂回経路を思案する表情。こちらに興味がないからこそ、こちらからもあの少女が美術作品めいて見えたのかもしれない。
 ともかく、理由は定かではないが、あの少女の顔がなのはの目にはとても気になるものとして映ったのだ。結局、その原因を探るよりも先に、あっけなく返り討ちにされてしまったのだけれど。
 そこから先の記憶は、目覚めるまで、すなわち今このときまでのものが一切ない。
 ならばこうして自分が無事でいるのは、

「……そっか。ユーノくんが助けてくれたんだ」

 首だけ動かし、ゆるりと周囲を見渡せば、小さな寝床に丸まったフェレットの姿があった。
 窓から射した夕日に照らされて、心地よさそうにすやすやと眠っている。その様子をしばらく何も考えずにぼんやりと眺めてから、なのはは上半身を持ち上げた。
 その音を敏感に聞き取って、ユーノが目を覚ます。

「よかった。目が覚めたんだね、なのは」
「ごめんね、ユーノくん。起しちゃったね」
「うん。いや、気にしないで。本当はずっと看ているつもりだったんだけど、僕もいつの間にか寝てしまったみたいだから」

 寝起きの人間みたいに目元を前足でこすりながらユーノが続ける。

「それより、どこか痛いところはない? 一応、目に見えるケガは治療したけど、体の内側のことまでは、さすがに見ただけじゃ細かいところまではわからなかったから。……心配だったんだ」
「大丈夫、だと思うけど……」

 腕を回し、首を回し、体をひねり、確認する。どこか異常はないか。動かないところや動かすと痛むところがないか、恐る恐る試してみる。
 それほど大事ではないはずなのに、奇妙な静寂。パジャマの薄い生地が擦れて立つ音だけが、やけに耳に残る。
 なぜかこちらから目をそらしたユーノを気にしつつ、なのはは言う。

「……うん。平気みたい」

 その言葉で、空気が融けた。
 ふたりで安堵。示し合わせたように、ほぅ、とため息をついて、それから顔を見合せ、何やらおかしくなったので、こみ上げてきた衝動に身を任せてくすくす笑い合う。
 ひとしきり笑ってから、なのはは尋ねた。

「ところで、ユーノくん」
「あの女の子のことだね?」

 打てば響くような反応は、最初からこの質問を予期していたからなのだろう。

「そう、あの子……」
「詳しくはわからないけど、使う魔法から見て、僕やなのはと同じミッドチルダ式の魔導師だってことは間違いないと思う。それも、魔法を用いての戦闘に関する訓練をきちんと受けた」ユーノの口調は厳しい。「射撃もできるし近接戦闘もこなすオールラウンダーみたいだったけど、あの移動速度は、たぶん近接戦闘の方が得意なんじゃないかな」

 なのはが目を伏せ考え込むと、ユーノは苦笑をこぼした。

「でも、なのはが聞きたいのはこんなことじゃないよね?」
「また……、会えるかな?」
「なのはがこれからもジュエルシード集めを続けるなら、きっと、近いうちに」

 その言葉の手触りに、違和感があった。
 なにか、嫌な感触。
 聞くべきではない、と心が警鐘を鳴らす。

「ユーノくん?」なのはは尋ねた。
「……僕が言うのは酷く筋違いだということはわかっているけど、やっぱり言っておくべきだと思う。いや、僕が言わなければならない。これは僕の責任だ」

 一拍の間を置いて。

「なのは。君はここで降りるべきだ」

 ユーノはそう言った。


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