――カチャリッ…
だから、何度も言ってるでしょ。
この世界はね、ちんけな英雄に救われたのよ。這い蹲って、泣き喚いて、散々悪足掻きした……餓鬼臭い英雄。
それが、可笑しいのよ。
―――それは とてもちいさな とてもおおきな――
周りの連中は何時の間にか巻き込まれていて、気が付くと、その気になってた。
ま、私も、その一人なんだけど。
――とても、たいせつな――
――ふふっ、まったく……青臭いったらなかったわ。
……幾ら話しても無駄の様ね、アンタ達みたいな俗物には。
夢を見た。平和の意味も知らず、無邪気に暮らす人々の夢を。
夢を見た。命を危険に晒しながら、守るべきモノの為に生きる人々の夢を。
夢と現実の境界は、目覚めた時に見えたモノを、どう感じるかだけだ。それを区別出来るのは、神様だけなんだろう。
だけど、俺には、何かが出来たんじゃないか……と思う。俺には、その力が有ったんじゃないか……と思う。
この世界に、俺が来た意味は、そこに有ったんじゃないかと思う。
これが避けられぬ運命だったのなら、この世界で、俺という存在は何だったのか。
哀しい別れも、人類の運命も、そして……自分の運命も、俺には……変えられたんじゃないかと思う。
守るべきモノを、本当に守りたいという強い意志が、最初から有ったなら。俺にも、誰にも出来ない事が、出来たのかもしれない。
そう思う。だから、だから……せめて、これから。生きて、生き延びて、全てを守ろうと思う。
誰もが諦めた、この地を……守り抜きたい、そう思う。残された人々を、残された思い出を、そして……愛する人を。
命を懸けて守る、俺は、何かが出来る筈だ、その力が有る筈だ。
人類は負けない、絶対に負けない…………俺が在るから。
俺が…………在るから。
目覚めは、そう変わった物じゃなかった。そこには見慣れている筈の天井が有って、空を飛ぶ飛行機が轟かせるジェット噴射の音が聞こえて。
けれど、物足りなかった。何かが、何か大切な、忘れてはいけない物が、すっぽりと頭の中から抜け落ちてしまったような、その不足感。それが、白銀 武の思考を妨げていた。
身体を起こし、掛かっていた布団が擦り落ちる。足を床に突いて、暫くは、考えるようにベッドの端で腰を掛けていた。しかし、その何かが分かった時、武の頭に、耐え難い程の鈍痛が襲い掛かってきた。
鈍い、頭を切り開かれ、頭蓋に穴を穿たれ、脳味噌を直接に握り潰されるような圧迫感。重度の熱に魘され、自分という存在が希薄になっているような、そんな空虚。誰もが見たくない、悪夢に与えられる恐怖。その何れもが各々に耐え難い物だが、それ以上に、今、起きている事の方が武には耐え難かった。
見た事も無い、筈の光景。廃墟と化した街、ゲームで見るようなロボットに押し潰された幼馴染の家、その中身は軍事基地の柊学園、目を覆いたくなる程に醜悪な化物、脳だけの“鏡 純夏”。
一瞬、思考も息も、まるで自分が生きるのを止めてしまったかのような錯覚に陥った。直ぐに呼吸を再開し、止めてしまった思考を武は巡らせる。
既に、その身を苛んでいた鈍痛は失せていた。
(待てッ、ちょっと待てよ!何で……何で俺は、あの脳味噌が誰のなのか――純夏だと思った!?)
分かる筈が、無い。そう断じようとして、また頭に鈍痛が走る。知らない筈の光景、知らない筈の言葉、知らない筈の……思いが流れ込んでくる。ミキサーに放り込まれた液体のように、武の中で掻き混ぜられる。
第四計画、通称・ALTERNATIVE4。生体反応ゼロ、生物学的根拠ゼロ、00ユニット。
(知らない、俺は……こんなの知らねぇッ!!)
――否定するな
そんなの、嘘だ。そう否定しようとして、否定する声を否定された。聞き覚えが有るなんてものじゃない、自分自身の声が頭の中に、まるで別の自分でも存在するかの如くに響いた。
目を見開き、痛みと拒絶感で俯かせていた顔を上げ、部屋の中を武は見回した。だが、そこには誰も居ない、居る筈がない。そこは自宅の二階に設けられた武の部屋であり、昨夜に誰か、友人を連れ入れた覚えなど無いのだから。
恐怖に身を引き、背中を壁に押し付ける。生唾を飲み込む音が、普段では考えられない程に大きく感じた。
――否定しちゃ、いけないんだ
収まりつつあった鈍痛が、ここにきて一際に強くなって武を苛んだ。
胃液が食道を駆け上がって焼き、口の中を酸味で見たし、それらを手で押し留める事も出来ないままに武は吐き出した。服が汚れ、ベッドが汚れるが、それでも構わずに吐き出し続ける。止まらない、止められない。
フラッシュバックと共に、ミキサーに放り込まれたモノの意味が分かってしまう。それと共に、自分の中で、その液体が一つのモノとなっていくのが、はっきりと分かった。
――否定なんてさせねぇ。他の誰に笑われようと、俺にだけは否定させねぇッ
すとんっ、と落ちるように納得してしまった。ミキサーに放り込まれたのは、忘れていた何か――自分自身の記憶。なら、これは夢などではない、嘘などではない。否定して、無かった事にして良いような、そんな軽いモノなどではない。これは、絶対に“在った出来事”なのだ。
服が臭い、ベッドが臭い、自分の吐瀉物に塗れているが、そんな事も気になんてならなかった。ただ、ただ、願いに願い、望み続けた元の世界。そこに戻って来れたのだと、武は思った。
(あの世界で死ぬ覚悟は有った、それでも……やっぱり俺は、この世界が大好きだッ……!)
人ではなくなった幼馴染が、人として生きている。自分を進ませる為に死んで逝った仲間が、自分の意志で引き金を引いて殺した少女が、まだ教えを乞いたい思っていた先達が生きている。皆が笑って、怒り、泣いている世界が、どうしようもなく好きだ。
立て続けに起こる事で心が疲弊していた武は、吐瀉物で汚れている事も気にせず、そのまま再びベッドに横となり、小さく寝息を立てて眠り始めた。人は、それを二度寝という。
しかし、この場合は、それも致し方ないだろう。
この作品は、変態さんと、征史さんの作品を参考として書かれていく筈です。
おかしな点、不可解な点がありましたら、ご指摘をお願いします。