≪目標は、大涌谷上空にて滞空。定点回転を続けています≫
エントリープラグのスクリーンから見える姿は、二重螺旋の円環。あのヒト知ってる。アルミサエル、第16使徒。
≪目標のATフィールドは、依然健在≫
『何やってたの?』
『言い訳はしないわ、状況は!?』
赤木博士に応えたのは、葛城三佐。いま、発令所に着いたらしい。【FROM CONTROL】の通信ウィンドウの中に加わる、ジャケットの赤い色。
『膠着状態が続いています』
『パターン青からオレンジへ、周期的に変化しています!』
『どういうこと?』
『MAGIは回答不能を提示しています!』
通信ウィンドウを追加して、発令所の映像を増やす。日向二尉越しに、厳しい顔つきの葛城三佐が見えた。
『答えを導くには、データ不足ですね』
『ただ、あの形が固定形態でない事は確かだわ』
『先に手は出せないにしても……』
葛城三佐が振り仰いだのは、誰も居ない司令塔だろう。初号機も弐号機も凍結させられていて、碇司令の許可がないかぎり動かせない。
『日向君』
手だけを日向二尉に差し出した葛城三佐が再び口を開こうとした矢先に、司令塔奥のドアが開いた。差し出されたインターフォンを取り落とした葛城三佐の口が、大きく開かれたままになる。
『初号機、および弐号機の凍結を現時刻を以って解除、直ちに出撃させろ』
入ってきたのは、碇司令と冬月副司令。碇司令は鬚をすべて剃り、レンズが素通しの眼鏡をかけていた。その頬は削ぎ落としたかのようにこけ落ち、目元には隈が濃い。レンズが素通しだから、充血した眼球結膜までよく見えた。
『どうした。実行しろ』
『しっ失礼しました。初号機、弐号機、発進!』
途端にリニアカタパルトが打ち出される。葛城三佐のあわてた様子が染ったかのように、射出速度が早い。
『出撃よ、アスカ。どうしたの? 弐号機は?』
『だめです。弐号機側からロックされています』
地上到達と同時に開いた通信ウィンドウは、【FROM EVA-02】
『レイ、今回はアンタに譲ったげる』
「…惣流さん?」
『アスカ!あんたそんな勝手が、』
『かまわん。好きにさせろ』
追加で開かれた通信ウィンドウに、碇司令。席についているのに、しかし、指は組んでいない。
『レイ、初号機だけでできるな』
「…はい。問題ありません」
その瞳孔に映って見える私の姿。映像越しなのに、私を、私自身を見てくれているような、そんな気がした。
『すべてを解き放て。初号機のチカラを見せ付けろ』
「…了解」
碇司令が何を行なおうとしているのかは判らないけれど、すべてを解き放ってよいなら願ってもない。
…S2機関、全開
みなぎるエナジーに初号機が吼えた途端、アルミサエルが回転を停止、二重螺旋を縒り合わせた。
その円環を断ち切って、襲い掛かってくる。
『レイ、応戦して!』
アルミサエルを斃すだけなら、アンチATフィールドを張ればいい。ATフィールドを無効化するアルミサエルに対しては、それが一番安全だろう。
けれど、初号機の力を見せ付けるためには、ただ斃すだけでは足らない。
向かってくるアルミサエルの軌道を覆うように沿わせて、アンチATフィールドを展開する。その上下左右を封じた、アンチATフィールドのチューブだ。
『次元測定値が反転、マイナスを示しています!観測不能!数値化できません!!』
『アンチATフィールドか……』
逃げ場をなくしたアルミサエルを誘導して、初号機の周囲をめぐらせる。二重、三重と螺旋を描かせた先を、チューブの後ろ端に接続。無限の回廊は、初号機を飾るように。
『すごい……』
切れ目を入れるような感覚で、アルミサエルを閉じ込めた牢獄にわずかな隙間を作る。
そうして、そのATフィールドを中和。初号機が完全な直接制御下にある今、私と初号機、2人分のココロの壁を操ることが可能だ。
沿わせた右手の掌から、回廊を周回するアルミサエルのココロに触れた。侵蝕されるような隙は、与えないけれど。
「…なぜ、私のカタチを真似るの?」
目前には、オレンジ色の水面に太腿まで水漬かせて、綾波レイの姿。うつむいて、その表情は見えない。
『これは、貴女の形じゃないわ』
右の掌で胸元を押さえたアルミサエルと同じように、私も胸元を押さえた。
「…そうね。でも、これも私のカタチ。私のココロを育んでくれたカタチ」
アルミサエルが、面を上げる。ヒトのカタチを初めて取ったこのヒトは、ココロを表すための努力を知らない。
これがココロを知らぬ頃の自分の姿だったかと思うと、物理的な痛みまで伴って胸が苦しい。
『私と、ひとつにならない?』
「…なぜ?」
伸ばしてきた手が、答えということなのだろう。触れてあげる。
『痛いでしょう? ほら、心が痛いでしょう?』
伝わってくるのは、じわじわと全身に押し寄せるような痛み。例外なく全てを押し包んで、一部の隙もなく責め立ててくる。もしも、身一つで砂漠に放り出されたらそう感じるのではないかと思わせる、苛烈な陽光に肌を炙られるような傷み。
「…痛い?」
それは、私の知らない痛みだったけれど、私がヒトの体を得てから感じるようになった痛みに似ているような気がした。
……思い起こそうと努力する必要はない。常に私を取り囲み、渦巻いているから。
雹混じりの吹雪の中で一糸纏わずに立ち尽くせば、こんな痛みを感じるのだろうか?
いつ、肌を切り刻まれるのではないかと怯えて、身を縮こまらせる。なのに、忍び寄る冷気に失われていく感覚が怖くて、痛みすら乞い求めて手を差し伸べてしまう。上げた慟哭すら掻き消す風鳴りは静寂も同然で、掻き抱いた腕まで虚しく冷えていく。
「…いえ、違うわ…サビシイ…そう、寂しいのね…」
『サビシイ? 解からないわ』
あんな笑い方、惣流アスカラングレィにして見せたら、罵られるぐらいでは済まないだろうと思う。想像しかかって、怖くなったので止める。
けれど、ほんの一時ココロのブリザードは晴れて、
「…独りが嫌なんでしょ? 私たちはたくさんいるのに、一人でいるのが嫌なんでしょ? それを、寂しい、と言うの」
『それは貴女の心よ。悲しみに満ち充ちている。貴女自身の心よ』
雲の切れ間に見えた陽光が、わずかとは云えこのココロを暖めてくれる。
「…そうね、確かに寂しいわ。でも、あなたが感じ始めている絶望的な孤独とは違う」
触れた指先を、握りしめられた。プラグスーツ越しでなければ、爪を立てられていたかもしれない。
「…だから、私と一つになりたかったんでしょう? あなたの孤独を、解かってあげられる私と。あなたより孤独だった、私と」
その手を、握り返してあげる。指と指を絡ませるようにして、力いっぱい。
あのヒトは、使徒のことも案じていた。タブリスの護った世界のことを慶んでいた。
それを知っていたから、エヴァンゲリオンであった時に反転ATフィールドで意思の疎通を図ろうともした。
タブリス以外は応えてくれなかったから諦めていたけれど、今こうしてアルミサエルが求めてくれたことを考えれば、私はもっと努力すべきだったのかもしれない。
……そのことへの後悔が雹を増やし育てるけれど、その痛みもまた、私だけのもの。
「…この身体はダメ、借り物だもの。だから、もう一人の私と、一つになりなさい」
初めて見せたアルミサエルの笑顔。ぎこちない、と表現するのだろう。返す笑顔は、私が刻んできたヒトのココロのすべてを篭めて。
意識を戻すと、アルミサエルの光り輝く紐のような姿が動きを止めていた。手放した速度と引き換えたかのように、まばゆい。
アンチATフィールドの籠を取り払うと、たちまち螺旋を描いて駆け上っていって、初号機の頭上で円環の姿を取り戻した。
使徒は、カラダとココロが不可分だ。だから、ココロが変わればカタチも変わる。はるかに直径を狭めたアルミサエルの、ココロの変化とはいかばかりだろうか。
そのココロをお互いに少しずつ埋めあって、初号機とアルミサエルの歓喜の声が共鳴している。湧き上がってくるエナジーは相乗効果で増幅されて、とても抑え切れない。
2対4翅の光の翼に変えて解き放ってやると、第3新東京市を抱え込めるほどに拡がった。なお発散しきれないエナジーを、翼の全面から光子に変換して放出。
『使徒ごとS2機関を取り込んだというの? エヴァ初号機が…』
さあ、これがすべてを解き放った初号機の姿。誰に見せ付けようというのか知らないけれど、見せてあげる。
≪ パターン青、…消滅しています ≫
そうだろう。アルミサエルは初号機と一つとなって、使徒であることを辞めたのだ。対等な他者と手を取り合って生きていく道を選んだのだ。
『うそ…』
誰がそう呟いたのか、判らなかった。もしかしたら、一人だけではなかったのかもしれない。
「…任務完了。帰投します」
***
エントリープラグを降りると、アンビリカルブリッジに惣流アスカラングレィが立っていた。私を、待っていたのだろうか?
なによ、アレ。と肩越しに親指で指差すのは、初号機の頭上でゆっくりと回転しているアルミサエルだろう。光の翼は、回収ラインに乗る前に解消している。
「…使徒、だったもの」
「だったもの……ねぇ」
振り仰いだ惣流アスカラングレィが、嘆息している。
「これでイーブンになると踏んで譲ったってのに、よりによって使徒を手懐けてくるなんてねぇ」
「…イーブン?」
ん? ああ。と振り返った惣流アスカラングレィが、虫でも掃うように掌を振った。
「ちょっとね。気にしないでちょうだい」
そういう本人はアルミサエルが気になるのか、再び振り仰いでいる。見やれば、誰も惣流アスカラングレィと同じ心持ちなのだろう。ケィジ中の人々が皆、アルミサエルを見ていた。
***
『碇、これは何の真似だ』
惣流アスカラングレィに連れて行かれるまま発令所に入った途端、聞こえてきたのは男のヒトの声だった。メインスクリーンには、目元のバイザーが特徴的な年老いた男のヒトの姿。このヒト知ってる。キール議長、ゼーレの領袖。
「宣戦布告ですよ。キール議長」
『なんだと』
司令塔には碇司令のほかに、冬月副司令と加持一尉の姿があった。
「我々ネルフは、ゼーレに反旗を翻し、人類補完計画を阻止する。ということです」
『冬月先生、ご自身が何を言っているのか、理解しておるのかね』
「原罪に塗れようとも、人が生きていく世界をこそ望む。それだけです」
発令所には葛城三佐のほかに、青葉二尉、日向二尉。そして碇君。赤木博士と伊吹二尉の姿はない。
『世界を敵に回して、勝てると本気で考えて居るのか?』
「キール議長の仰る世界とやらは、狭くなってるかも知れませんよ」
バイザーに遮られて判らないけれど、キール議長の視線が加持一尉に向けられたように感じた。
『ここにきて、ようやく鳴るか……』
「人は新たな世界へと進むべきなのです。そのための、エヴァシリーズです」
メガネを押しなおした碇司令の眼差しが、刺すよう。
『これ以上は無駄のようだ。もう会うこともあるまい』
「ええ。そう願いますよ」
碇司令の言葉を最後まで聞かず、通信が途絶えた。スノーノイズを映すのみとなったメインスクリーンが、閉じるように信号なしと表示を変える。
「全員、そのままで聞きたまえ」
冬月副司令の言葉が染み渡るのを待っていたように、碇司令が一歩、進み出た。
「突然のことで驚いた者も居るだろう。まずは、それを詫びる」
足音を殺して、ゆっくりと惣流アスカラングレィが歩き出す。おそらく葛城三佐めがけて。
「今の遣り取りで気付いた者も居るだろうが、ネルフは、ただ使徒殲滅だけを目的に設立された機関ではない」
…人類、補完計画。その呟きが聞き取れたわけじゃない。でも、葛城三佐の唇が、そう読めた。
「今の地球は狭すぎる。内紛や使徒戦で資源を消耗し尽くした。このままでは、人類が今の人口と文化水準を保っていられるのは後50年とする試算もある」
「そのために、環境に左右され資源を消費せねば生きてゆけない人類という命の容を捨て、無限のエネルギー源を内包した新たな姿に進化する計画が提唱された」
冬月副司令の言葉を継いだ碇司令が、一旦、口をつぐむ。
「それが、人類補完計画……、」
葛城三佐の袖を捕まえて、惣流アスカラングレィが小声で何ごとか捲くし立てている。そちらへ歩いていくと、かろうじて「アタシもはっきりとしたことは知らないのよ」と応えているのが聞こえた。
「つまりは、人類を使徒にする。そう云うことだ」
誰も声ひとつ上げないのに、あきらかに何かが、空気そのものが変質したような感触を覚えた。
「もちろん、人類が使徒に敗れては元も子もない。使徒殲滅に専念してもらうために、実行部隊である諸君達にはこの事実を伏せてきた。
申し訳ない」
見下ろしてくる冬月副司令の視線は、あきらかに葛城三佐に向けられていただろう。
「我々ネルフ上層部も、当初は人類補完計画を遂行するつもりであった。だが……、」
口元を隠すように咳払いした碇司令の、戻した視線が、さきほどより遠い。
「一部の者は知っているだろうが、実験によって初号機に取り込まれていた碇ユイ博士が、ほぼ10年ぶりに帰還した。
ある意味で補完計画の雛形ともなった彼女の証言から、計画の意義そのものが疑わしいことが判明したのだ」
「人類を使徒化しても、それはただ新たな使徒が生まれるというだけで、人類の後継者ですらない公算が高くなった。という訳だ」
声を上げかけた葛城三佐を手振りで押し止め、冬月副司令がそう付け加える。
「人類補完計画は、人類の利益に反する」
発令所をゆっくりと見渡した碇司令が、最後に見たのは、碇君?
「よってネルフは、人類補完計画の発動を阻止する」
「これまでの経緯、これからの指針については、各級職種別に配布を予定しているが、質問や異論があれば、今聞こう。なにかあるかね?」
冬月副司令は、碇司令とは逆から発令所を見渡しだした。その視線が、前腕だけを挙げた葛城三佐で止まる。
「なぜ、今。このタイミングなのですか?」
葛城三佐の質問を受け渡すように向けられた視線に応えて、碇司令が頷いた。
「人類を使徒化する参考例として、いわば対照実験的に、使徒を人類化する研究がなされている。
その成果があがったらしいことが、確認された」
「つまり、次は人の形をした使徒が、意図的に送り込まれてくる。ということだね」
委員会が直で送ってくる使徒、確かに下手に受け入れるわけにはいかないわね。と顔を伏せた葛城三佐は、どんな考えに沈んでいったのだろう。
再び発令所を見渡した碇司令が、視線を冬月副司令に預ける。
「では、このまま第一種警戒態勢を維持したまえ」
了解。と上がった声はまばらだったけれど、碇司令は何も言わずに椅子へ腰かけた。
それにしても、赤木博士はどこに居るのだろう。という疑問は、尋ねるまでもなかった。伊吹二尉を従えて、発令所に現れたから。
「MAGIコピーからのデータ引出しが、完了しました」
「うむ、首尾はどうかね?」
はい。と頷いた赤木博士が、コンソールに歩み寄る。2度3度と指を走らせると、メインスクリーンにこの惑星を平面的に図示したものが表示された。ナイフで気紛れに、その表皮を削ぎ取ったかのような図法の上で、7ヶ所の光点が視線を惹く。
「S2機関搭載型はすでに、8体まで完成しているようです」
それぞれの光点に引込み線が描かれ、リストアップされたEVA-05からEVA-12が割り振られた。一ヶ所だけ、EVA-05とEVA-06の2体。
「仕掛かり中が4体」
赤い文字で表示されたEVA-13以降が、さらに割り振られる。
「こちらは建造スケジュールに2箇所ほど仕掛けを施しておきました。些細なトラブルですが、クリティカルパスを崩しますから5週間ほどの遅延が期待できます」
追加で表示された日時が、完成予定日なのだろう。
「うむ。ご苦労だった」
司令塔からかけられた言葉に、赤木博士が振り向いた。
視線が絡む。などという表現は知らなかったけれど、あとで思えば、これがそうだったのだろう。赤木博士が見て欲しかった相手が碇司令であったと、いま解かった。
自ら視線を断ち切って、「いえ……」と呟いた赤木博士が、コンソールに向き直る。
「完成しているほうの8体。どうにかできない?」
顔を伏せたまま首をひねって、葛城三佐の視線が斬り上がった。
「MAGIコピーの制御下にあった2体には、神経接続プロセスの循環参照パラメータに細工を施したわ」
「無限ループに陥って、起動できなくなるはずです」
伊吹二尉の操作で、EVA-06とEVA-11の表示が、黄色に変更される。
「他の機体もMAGIコピーに接触し次第、同様の細工が施される手筈だけど……」
「確実とは云えないのね?」
頷いた赤木博士が、キーボードを叩こうとして。
「その点については心配していない」
司令塔から落ちてきた言葉に、指を止めた。
「ここには初号機と弐号機がある。これまで使徒を撃退してきた実績を持つ2体だ」
「それに、相手はダミープラグだろうね。
熟練パイロットの敵じゃないと思うが、参号機のときの経験から、どう思うかね?」
司令塔から乗り出すように見下ろしてきた冬月副司令は、口の端が少し上がって、なんだか微笑んでいるようにも見える。
思考を目線の揺らぎに乗せた惣流アスカラングレィが、一度視線をくれた。
「油断は禁物ですが、大丈夫だと思います」
「うむ。期待しとるよ」
姿勢を戻した冬月副司令の向こうで、碇司令が顎をさすっている。その指が組み合わされ、碇司令がよくそうしているポーズに戻った。
「問題は、実働部隊による此処の直接占拠がありうることだ。葛城三佐」
はっ!と、葛城三佐が踵を合わせている。
「この件は一任する。対策を講じたまえ」
「了解しました」
敬礼した葛城三佐に頷いて見せ、視線を赤木博士に。
「赤木博士、MAGIコピーは監視中だな?」
「はい」
見上げた視線にはもう、先ほどのような気配がない。
「ならば、第二種警戒態勢に移行する」
了解。と、今度は、発令所の全員が応えた。
つづく