「内科の許可は、取れたのね?」
「…はい」
なら、反対する理由はないわね。と、赤木博士が嘆息。
今朝の検診で問題なしと診察されたから、そのまま赤木博士の研究室までやってきた。
「いってらっしゃい、学校」
「…はい。ありがとうございます」
苦笑した赤木博士が、カルテの写しを机の上に。その隣りに、気になる資料を見つける。
「…赤木博士」
私の視線だけで、言いたいことを察したのだろう。赤木博士が肩をすくめた。
「ええ、フォースチルドレンよ。まだ、打診もしてないけれどね」
資料に貼付された写真は、いつも通りのジャージ姿。なのに、普段とは違って無表情に私を見上げてくる。
だから、それが鈴原トウジであると、認識しがたかった。
「クラスメイトだったわね。彼じゃ、不満?」
かぶりを振る。
「…ただ、」
「ただ…?」
足を組み替えた赤木博士が、その膝に組んだ手を落とす。
「…痛い思いを、怖い思いをするのは…、私たちだけで、充分」
そうね。と肯定してくれた赤木博士は、しかし視線を逸らしてしまった。
***
どうせだからと、赤木博士が同乗させてくれたので、第3新東京市立第壱中学校に着いたのはお昼休み直前のこと。
「おおっと!」
階段を上がりきったところで、廊下から走ってきた人影とぶつかりそうになる。重心を崩して軸をずらすけれど、相手は転びかねないほど大げさに避けたから、掠りもしなかった。
「すまんなっ…て、綾波ゃないかい。もう体、えぇんか?」
「…ええ」
ほんのさきほど、鈴原トウジを呼び出す放送を聞いたところ。
「ほうか。そりゃあ重畳やの…っとと、わし呼び出されとんねん。またな」
「…ええ」
たちまち階段を駆け下りて、あっという間にジャージの背中は見えなくなってしまう。
私が黒いエヴァンゲリオンだった頃、鈴原トウジはパイロットだった。
けれど間接制御において、パイロットとエヴァンゲリオンの距離は、果てしなく遠い。あのヒトが直接制御と呼んでいた状態ですら、同じココロを共有するには程遠いのだ。
だから私は、鈴原トウジというヒトを、ほとんど知らなかった。
鈴原トウジが遭遇するであろう苦難を、解かってなかった。
***
振り向いた惣流アスカラングレィが、仁王立ち。
「ワタシが感謝するなんて思ったら、大間違いよ!」
私が教室に入ったとき、無表情に立ち上がった惣流アスカラングレィは、次の瞬間にはまなじりを吊り上げ、こうして屋上まで私を引っ張ってきたのだ。
「あんな真似しでかして、ワタシに恩を売ったつもりじゃないでしょうね!?」
人差し指をワタシの胸元に突きつけ、詰め寄ってくる。
惣流アスカラングレィは、とても怒っている。とても怒っているけれど、それだけではないように思えた。
「…救けたかったから、救けた。それだけ」
「だからって、あんな真似して!ワタシが救かっても、アンタが救からなかったら同じことじゃない!」
むしろあの状況を待っていたとは、さすがに言えない。レリエルなど、簡単に斃せることも。
「…同じではないわ」
かつて弐号機だったこともある私は、惣流キョウコツェッペリンが惣流アスカラングレィに向けた愛情を、ほんの少し、知っている。
仮初めの直接制御の中、私が感じられた惣流キョウコツェッペリンのココロは、それだけだったから。
「…あなたが救かるのだもの」
だから、そのときの気持ちのままに、微笑んだ。
「ワタシがっ!…」
私を突き放した惣流アスカラングレィは顔を伏せ、「ワタシが」と何度も繰り返している。
「ワタシがどんだけ心配したか!アンタには解かんないでしょ!」
自らの胸元を叩いて顔を上げた惣流アスカラングレィの目尻に、涙?
「あんな消え方されて、ワタシがどんだけ悔やんだか!知んないでしょう!」
胸元を鷲掴みにした手が、小刻みに震えてる。
「これでアンタが帰ってこなかったらワタシがどんだけ傷ついたか、考えもしなかったでしょ!」
ついに流れ落ちた涙は屋上に染みを作り、それがそのまま私のココロに沁み込むようだ。
その人の代わりに傷つけば、それもまたその人を傷つけると私は知っていたはずなのに。自分の都合で、私の知る惣流キョウコツェッペリンのココロのままに、惣流アスカラングレィを傷つけてしまった。
「…ごめん 」
言葉とともに、私の目尻からも、涙。
「 …なさい」
「謝んじゃないわよ!謝んなきゃなんないのはワタシでしょ!アリガトウって言わなきゃなんないのはワタシでしょ!」
突き放した距離を詰めて胸倉を掴んだ惣流アスカラングレィが、睨みあげてくる。
「アンタに謝られたら、ワタシが謝れないじゃない!アリガトウって言えないじゃない!」
「…ご」
口にしかけた言葉は、惣流アスカラングレィに胸倉を揺すぶられて声にならない。
「このうえ謝ったりなんかしたら、ワタシ、赦さないから…
一生アンタを赦さないから!
アンタが喋っていいのは感謝を強要する言葉!ワタシの失敗をナジる言葉!それだけよ!!」
今にも崩れ落ちそうなこのヒトに、どうしてそんな言葉をかけられるだろうか。
かぶりを振った私を揺すぶって、「言いなさいよ」と繰り返した惣流アスカラングレィが頽れてゆく。
追いかけるように床に膝を着けて、惣流アスカラングレィを抱きしめた。
むかしむかし、あのヒトがそうしてくれたように優しく、しかし力一杯に抱きしめた。
…
……
お昼休みが終わってしまったらしい。
落ち着いてきた惣流アスカラングレィが、チャイムの音を合図にしたように、私の体をやさしく引き剥がした。
途端に鳴ったのは、私の胃が蠕動した音。葛城三佐に厳命されて三食きちんと摂るようにしてから、この身体はこのように催促するのだ。
アンタねぇ…。と眉尻下げた惣流アスカラングレィの腹腔部からも、同じ音。
「…」
頬を赫らめ腹部を押さえて、しばし私を睨んでいた惣流アスカラングレィは、もう一度音が鳴るや、落ちるように力を抜いた。
「どんなに悩んでも、どんなに怒っても、どんなに落ち込んでても、おナカは減るのよねぇ…」
涙の痕を拭いながら、嘆息。
まるで、陽の光を掬い上げようとでも云うような唐突さで右の掌を高々と差し上げた惣流アスカラングレィが、左手を胸に当てまぶたを閉じる。
「同胞よ、アナタはアナタの卑小なる理性を『精神』と呼ぶが、これは実はアナタの肉体の道具にすぎないものである」
…ってね♪と、舌を出し、左眼だけで私を見た。
「…哲学ね」
「まぁね。ドイツの誇る偉大な思想家のオコトバよ」
そこで鳴ったのは私と惣流アスカラングレィの胃の蠕動音で、ほぼ同時。
やーねぇ、もう。と笑った惣流アスカラングレィに釣られて、私の口元も緩む。
…
嘆息。その吐息が柔らかいと感じるのは、私の錯覚ではないと思う。
スカートの裾を払って座りなおした惣流アスカラングレィが、両手を口の前に持ってきた。
「 シンジ~!おナカ減った~! 」
振り返った先には、階段室と給水塔だけ。
「…」
けれど、ドアがそっと開いた。おずおずと、と表現するらしい。
階段室から出てきた碇君は陽射しに眉をひそめ、私と惣流アスカラングレィが見守る中、途惑いを体現したような足取りで近づいてくる。
あの…。と口を開いた碇君を左手の一振りで黙らせ、そのままその手で傍らの床面を叩く。
「判ってるわよ。あんなトコじゃあ、ロクに聞こえもしなかったでしょ?」
頷いた碇君が、今しがた惣流アスカラングレィが叩いた床面に座り込んだ。
「盗み聴きしようだなんてハレンチなマネは本来厳罰モンだけど、おべんと持って待ってたコトに免じて、特別に赦したげる。ワタシの太平洋みたいに寛大な心に感謝しなさいよ?」
ありがとう…。と、ありがたくなさそうに言う碇君から包みを取り上げ、惣流アスカラングレィが視線だけを碇君に向ける。
「どうせ、ワタシがファーストを虐めてるとでも思ったんでしょ!」
「そんなつもりは…」
はんっ!どーだか。と碇君から顔をそむけた惣流アスカラングレィは、しかし、さほど不機嫌であるようには見えない。
そのことは碇君も感じとったのだろう。苦笑がなんだか柔らかかった。
***
私がいつ退院してくるか判らなかったから、碇君は私の分の弁当を作ってきてなかったそうだ。
罰の一部として碇君から弁当を丸ごと巻き上げようとする惣流アスカラングレィをなんとか説得し、碇君と弁当を半分ずつに分けることになった。そもそもこの肉体は、それほど量を食べられない。
「…ありがとう。惣流さん」
借りていた赤い箸を、惣流アスカラングレィに返す。碇君との箸の貸し借りが発生することを嫌った惣流アスカラングレィが、「先に食べなさい」と貸してくれたのだ。
感謝の言葉に応えはないけれど、それはただ、口にしないだけのような、そんな気がする。
「…ごちそうさま、碇君。ありがとう、美味しかった」
弁当箱の蓋を、碇君に返す。
「あっうん。どういたしまして」
こちらを見ていた視線を剥がすように下ろして、惣流アスカラングレィが弁当箱を開けている。
それで。と、卵焼きを摘み上げ、ひとかじり。
「いったい、初号機とアンタに何があったの? ミサトもリツコも、加持さんすら話してくんないし。コイツは知りもしない」
「箸で人を指すの、やめなよ」
それはつまり、緘口令が敷かれているということだろう。
「…誰も貴女に話さないということは、そのことについて緘口令が敷かれているということ。話せば、処罰されるかもしれない」
話してくんないってワケね。と呑み下したのは、卵焼きだけではいように思えるから、かぶりを振った。
「…惣流さんは色々と話してくれたわ。たくさん応えてくれた。だから、今度は私の番」
話すことが事実でないことが心苦しいけれど、それは、今の私なら耐えられる。
見やった惣流アスカラングレィは完全に手を止めて、私が話し出すのを持っていた。
「…使徒の影の中で、初号機が暴走したわ」
暴走? と、声を揃えた碇君と惣流アスカラングレィに、頷き返す。
「…舐め回すような視線に怒って、私の制御を離れて暴れた。手が付けられなかったわ」
「怒ったって…それじゃまるで…」
「…そう、エヴァにはココロがある」
「あの人形に?」
その言葉が突き刺さったのかと思って、胸元を押さえた。エヴァンゲリオンだった私に、その言葉は、あまりにも痛い。
「なんで兵器に心なんかあんのよ、」
押さえた胸元を、絞るように握りしめる。
捕鯨用の銛は、火薬を爆発させてスパイクを展開するのだそうだ。いまなら、今わの際の鯨と友達になれそうな気がする。傷を舐めあうことしか、出来ないだろうけれど。
「邪魔なだけじゃない」
ヒトに作られ、ヒトに弄ばれる。限りなくヒトに近いのに、ヒトとしては扱われぬ定め。
ヒトのカタチをして、ヒトにあらざるモノ。人造人間エヴァンゲリオン。模造使徒…、エヴァンゲリオン。
私は幸いなのだろう。その哀しみを、涙で表すことができるのだから。見えざる血を、そうして薄められるのだから。
「…惣流さん、お願い」
なによ…。と、少し身を引いた動作すら、今は哀しい。
「…あのコたちを、その言葉で呼ばないで」
「その言葉って、人ぎょ…」
その言葉を想像するだけで、胸の傷からココロがこぼれる。この私から、感情が逃げ出そうとする。ロンギヌスの槍を突き立てられたリリスのように、とめどなく。
そうしないと、哀しみのままに破滅を願ってしまう。私か、世界の。だから、私が毀れてしまう。私のココロが、私を毀す。
これもまた、言葉の力なのだろう。湛える受け皿を持たない私の、ココロを際限なく引き出そうとする。
…いや、違う。
その言葉を口にしたのが見知らぬヒトならば、エヴァンゲリオンを知らぬヒトならば、耐えられたと思う。
惣流アスカラングレィだったから、エヴァンゲリオンに近しいヒトだから。だから私のココロの壁をいとも容易く貫いてくる。
なにより、弐号機がそう言われたらどう感じるか、よく解かるから、ココロの壁が弱くなってしまう。
「…人造人間、エヴァンゲリオン
ヒトなの。ヒトに作られたけれど、話すこともできないけれど、ヒトなの」
碇君はヒト。惣流アスカラングレィもヒト。目に映る姿は誰もヒトなのに、それを映した網膜の持ち主は、おのれをヒトであると確信できない。
そこに絶望的に深い亀裂が走っているような気がして、顔を伏せた。
「まったく…」
寄り添うような位置から聞こえてきた言葉は、溜息混じり。
もう言わないから。と約束してくれた惣流アスカラングレィに笑顔を向けることができたのは、心臓の拍動にして1392回ののちだった。
****
メインスクリーンに重ね合わされた通信ウィンドウの中にそれぞれ、碇君と惣流アスカラングレィの姿がある。どちらも押し黙って、その目の焦点が遠い。
きっと、考え事をしているのだろうと思う。
それは、あのあとで碇ユイが還ってきたことを告げてから。エヴァンゲリオンに封じられているモノのことを仄めかしてから。鈴原トウジがフォースチルドレンに選ばれたことを伝えてから。ずっと。
碇ユイが還ってきたことを知れば、碇君は喜ぶと思っていた。
惣流キョウコツェッペリンの行方を聞けば、還ってくる可能性があることに思い至れば、惣流アスカラングレィは喜ぶと思っていた。
だから、碇ユイを帰還せしめてから、打ち明けたのに…。
碇君も惣流アスカラングレィも、少しも喜んでいなかった。
≪ 目標接近! ≫
≪ 全機、地上戦用意! ≫
夕陽を背負うようにして歩いてくる、特徴的なシルエット。
『えっ? まさか、使徒…? これが使徒ですか?』
このヒト知ってる。バルディエル、第13使徒。エヴァンゲリオン参号機の身体を、奪ったヒト。
≪ そうだ。目標だよ ≫
司令塔から応えたのは、冬月副司令。私はそれを、発令所から見上げている。
出撃できないから。委員会の勅命で、初号機が凍結されているから。
『目標って、これは、…エヴァじゃないか』
『そんな、使徒に乗っ取られるなんて…』
ここでこうして、見ていることしかできない。
『それじゃあまさか、トウジが乗ってるんじゃ?』
『そうね、その可能性はじゅ…』
【FROM EVA-02】の通信ウィンドウは途端にスノーノイズになって、
『アスカ?』
『きゃあぁぁあぁぁぁっ!』
…途絶えた。
『アスカっ!?』
≪ エヴァ弐号機、完全に沈黙! ≫
≪ パイロットは脱出、回収班向かいます ≫
≪ 目標移動、零号機へ ≫
葛城三佐も赤木博士も居ない発令所は、却っていつもより慌しいような、そんな気がする。
≪ シンジ君、近接戦闘は避け、射撃兵器で仕留めたまえ ≫
副司令の指示。
『でも…』
≪ シンジ君、友達を傷つけたくない君の気持ちは解かるつもりだ。
だが、そのままそれを此処に迎え入れるわけには行かない。
ここは心を鬼にして、使徒殲滅に専念してほしい ≫
『そんな…』
「…碇君っ!」
私の警告は、碇君に届かなかっただろう。
『ぅわあああああ!』
吹き上がるように飛び跳ねたバルディエルが、零号機にのしかかった。
≪ 零号機、左腕に使徒侵入!神経節が侵されて行きます! ≫
≪ なんだと!!
…
いかん!神経接続解除、左腕部切断。急げ! ≫
≪ はい!…神経接続、…解除 ≫
伊吹二尉がキーボードに指を走らせている。その間にもバルディエルの侵蝕は進んでいき…
≪ 左腕部、パージ… …そんな!間に合わない! ≫
スノーノイズを映す間もなく【FROM EVA-00】の通信ウィンドウがブラックアウト。
「左肩部緊急切除コード、認識しません!」
発令所メインスクリーンが映し出す赤い闇の中で、2体のエヴァンゲリオンが、そのシルエットが、雄叫びをあげた。
≪ 活動停止信号を発信。エントリープラグを強制射出だ! ≫
≪ ダメです、停止信号およびプラグ排出コード、認識しません。零号機、…使徒に侵蝕されました ≫
なぜバルディエルは弐号機を無視して、零号機だけを侵蝕したのだろう?
≪ なんてことだ… ≫
肩を並べて歩いてくるエヴァンゲリオンの、その足音だけが、発令所を満たす。
「…副司令。初号機の出撃命令を」
≪ レイ。しかし、初号機は… ≫
いや、そんな状況ではないな。と軽くかぶりを振って、副司令がインターフォンを取った。
≪ 501病室だ ≫
≪ 了解 ≫
応えた青葉二尉が、タッチパネルに指を滑らせること、2回。
…
……
≪ 碇っ!通話ぐらい出んか! ≫
インターフォンを叩きつけた副司令は、≪初号機の出撃準備を始めておきたまえ≫と言い残して扉の向こうへと消えていった。
***
アンチATフィールドを使えば、一瞬で斃せるだろう。
しかしそれでは、碇君や鈴原トウジまで生命のスープに還元してしまう。せめて、相手の動きを止めてからでなくては。
「ファースト!うし…」
惣流アスカラングレィの警告が終わる前に、吹き飛ばされた。参号機に気を取られている隙に、零号機が背後に回り込んだらしい。
巻き添えを嫌って避けた参号機が、踏み込んだ足を残したのは、ワザとだろう。引っ掛けられた初号機が倒れるところを、なんとか受身を取らせて転がる。
ユニゾンのように同じ旋律を2体で行なっていただけのイスラフェルと違って、バルディエルに乗っ取られた零号機と参号機は、別々の行動をとりながら目的は一つだ。
このこと知ってる。ポリフォニー。あのヒトが、イスラフェルと戦った時に見せたハーモニー。
零号機のエントリープラグを抜こうとすると参号機が殴りかかってきて、参号機の動きを止めると零号機が跳び蹴りを繰り出してくる。
それがバルディエルに根差すのか、碇君と鈴原トウジに根差すのか判らないけれど、敵に回すのは厄介だった。
使えなくて残した碇ユイのココロの断片だけで間接制御しているこの状況では、特に。
「こンのバカシンジ、ちったあ手加減できるよう努力してんでしょうね!?」
あとで、じゅ~倍っにして返してやるんだから!と唸る惣流アスカラングレィに、初号機からのフィードバックは無いはずなのだけれど。
「…惣流さん」
「解かってるわよ。ホントにシンジに仕返ししたりしないから、アンタは…って!」
立ち上がった初号機を十字砲火にさらそうと、零号機と参号機が駆け込んできた。
ファースト!と言い終わる頃には、初号機は宙に浮いている。
そうして零号機のスライディングをすかし、参号機の跳び蹴りを受け止め、踝を極めながらたたきつけようとしたところで、
「バカっ!」
跳ね起きた零号機のショルダーチャージを喰らった。
初号機の平衡感覚に身を任せて着地。零号機と参号機はとっくに体勢を立て直していて、肩を並べつつ殴りかかってくる。
「ファース…」
反射的に張りかかったATフィールドをキャンセルして、迫るこぶしを掌で受け止めた。その勢いに乗るようにして、大きく後退。
参号機も零号機も、全力で攻撃してくる。あの勢いでATフィールドを殴りつけていたら、骨折程度では済まなかっただろう。バルディエルもエヴァンゲリオンも、それは苦にはならないけれど、フィードバックを受けるパイロットはそうはいかない。
「アンタ!この期に及んで、まだ手加減してるわね!」
左腕で私の頭部を抱え込み、抉るようにこぶしを押し付けてくる。
「…痛い」
そうでしょうとも!と腕を組んだ惣流アスカラングレィは、しかし参号機から目を離さない。
私も、視界の隅に残した零号機に注意を戻す。
離れてそれぞれ歩き出した参号機と零号機が、初号機を挟み撃ちにしようとしていた。
「シンジたちを傷つけたくないって気持ちは解かるけどね。アレが、手加減してなんとかなる相手?」
…でも。と言いかかった口を、惣流アスカラングレィがつねる。
「口応えすんじゃないわよ。アレを斃さない限り、シンジは救けらんないのよ? 割り切んなさい」
痛い。
回収班と共に帰還した惣流アスカラングレィを、こうしてエントリープラグに誘ったことを、少し後悔していた。
「解かったら返事!」
でも、碇君や鈴原トウジと戦わねばならぬことに感じていた不安は、今はない。
「…ふぁい」
完全に初号機を挟み込んだ参号機と零号機が、時計回りに様子を窺っている。
「ファー…」
スト。と言い切った後に続いた指示を、実行している時間がない。跳ねるように駆け込んできた参号機は、すでに攻撃圏内。
電源ケーブルをパージ。
踏み込んで、参号機が水平に伸ばした右腕の下を掻い潜る。そのまま右腕を捕り、右足を払って倒すと、参号機が走ってきた勢いを借りて諸共に転がっていく。
巻き込まれるのを嫌った零号機が跳び越えるのを確認。回転の勢いをそのまま使って飛び跳ね、距離を置いた。
「同士討ちさせるチャンスだったじゃない!なぜワタシの指示、無視したの!」
手近のビルから電源ソケットを取り出し、接続する。
今の初号機に外部電源は不要だけれど、凍結されていた事情を考えると、その能力をひけらかさない方がいいように思えた。
「…無視したわけではないわ。間に合わなかっただけ」
「そんな…って、ファ…」
電源ビルの陰から飛び上がった零号機が、一回転して跳び蹴りの体勢。これ見よがしに近づいて来ていた参号機は囮…ではなくて駆け込んできている。2対1のこの状況下で、身を隠す障害物に事欠かない第3新東京市では、不利この上ない。
「ああもう!じれったい!」
とっさに倒れこみ、その勢いで後転。
腕の力で跳ね上がって着地した時、目の前に黒いシルエット!
「レイ!しゃがんで!」
膝を崩すようにダッキング。着地の勢いをそのまま逃がすように。
「足払い!」
体勢と距離に少し無理があるけれど、前掃腿。脚全体で引っ掛けるようにして、半回転。
「前転!」
参号機が転倒したかどうか、確認せず転がる。背後の地響きは零号機の攻撃の結果らしい。
「レイ、カンガルーキック」
カンガルーキックがどういうものか知らなかったけれど、この流れから背後を蹴るなら、うつぶせたまま腕をバネにしてと云うことだろう。
「よし!」
手応えあり。
「追い討ち、踏みつけて!」
蹴り上げた体勢のまま、腕の屈伸で跳ね起きる。眼下には、仰向けに倒れている零号機。その下に、巻き添えを喰らったらしい参号機が、うつ伏せに押しつぶされていた。
すかさず歩み寄って、零号機の右手、参号機の左腕を踏みつける。…碇君、鈴原トウジ、ごめんなさい。
「プラグ、引っこ抜くわよ!」
しゃがみこむと、零号機が左手で掴みかかってきた。首をかしげて躱すと、右腕を巻きつけるようにして確保。そのまま引いて、零号機の身体を引き起こした。
右手で肩口を押さえながら、左手をエントリープラグに伸ばす。途端にその手首を掴んだのは、関節を無視して伸ばされた、参号機の右手だった。
示し合わせたように伸びた零号機の左手が、背後から回り込むようにして喉を鷲掴みにする。
「レイ!」
「…問題 ない… わ」
筋力を骨格に乗せて、重力を味方につけて、左手を押しだした。
どれほど出力があろうとも、支点も力点もない状態で振るえる力には限りがある。
人体と同じ構造をしていながら、それを無視した時点で、参号機が初号機の出力に敵うはずはないのだ。
零号機も、片手の握力だけで初号機の喉を潰せるわけがない。
止めようとする参号機の右手を押し切って、零号機の延髄を覆うバルディエルを引き剥がす。飛び出したエントリープラグを、すかさず引き抜いた。
「まっかせなさ~い♪」
待ち構えていたらしい惣流アスカラングレィが、バーチャルコンソールを叩いている。
接触通信からコマンドを送り込もうというのだろう。たちまちエントリープラグの射出用ロケットモーターが点火。角度を調整して放すやいなや、芦ノ湖の方へと飛んでいった。
次は参号機だけれど、こちらはうつ伏せになっているから難しくはない。
無駄な抵抗を続ける参号機の右手を力づくでねじ伏せ、エントリープラグを引き抜いた。
こちらも、たちまちのうちに飛び去る。
安堵に溜息をつくと、吸ったLCLが重かった。
胸の奥は冷えきって凍傷になりそうなのに、脳髄は熱傷しそうに熱い。
そう、今なら解かる。これは怒り。大切なヒトを踏みにじられたことに対する、私のココロ。
あの時このことに気付いていたら、私はきっと即座に鈴原トウジを殴っていただろう。彼の事情など、お構いなしに。
そうならなくて良かったという思いを、あっという間に呑みこんで、自然とまぶたに力が篭る。
「さあ、レイ。じゅ~倍にして、返すわよ」
「…ええ」
バルディエル。貴方のこと、赦さないから。
つづく