「あれ?」
ゲートの改札機にIDカードを通した碇君が、首をかしげた。
ゲートが開かないらしい。
試しに私もカードを通してみるが、無反応。
「何やってんの、ほら、替わりなさいよ!」
私を押し退けた惣流アスカラングレィがカードを通すが、やはり無反応。
「もぉーっ!壊れてんじゃないの、これぇ!?」
ディスプレイの表示すらない。電力が供給されてないのだろうか?
そう云えば、私がエヴァンゲリオンだった頃に、電源供給なしで戦ったことが何度かあった。もしこれがそうならば、マトリエルが来るのかもしれない。
「…本部へ、急ぎましょう」
「どうしたっていうのよ?」
振り返った惣流アスカラングレィに、改札機のディスプレイを指し示す。
「…ここの電源は正・副・予備の3系統。それが同時に落ちるなんて、ありえない」
「下で何かあったってこと?」
「…そう考えるのが、自然」
ふうん。と唸った惣流アスカラングレィの視線が一瞬床に落ちて、跳ね上がる。
「アンタの言うとおりかもね。で、最短経路、判る?」
「…向こうの第7ルートから下に入れるわ」
じゃあ出発、行くわよシンジ。と、惣流アスカラングレィが歩き出す。その背中は、やはり私を拒んでいるよう。
けれど、ATフィールドを張ったがごとき頑なさでは、ないように感じられる。
いま感じるのは、惣流アスカラングレィの、途惑い。
そう思えるようになったのは、露天風呂から上がった後のこと。
…………
「ナニ? それ…」
惣流アスカラングレィの視線は、私の胴回りに。
宛がわれた浴衣を着る前のことだから、いま私が身に着けている物は一つしかない。
「…コルセット。肋骨が3本、折れてるから」
私が学んだのは、いつ何が起きるか判らないと云うこと。できるだけ着けておけば、もう完治していたかもしれないと云うこと。
「折れてるって…そういえばアンタ、 ……いつから?」
851万7649回前と言いかかって、踏みとどまる。
「…3ヶ月ほど前、零号機の起動実験で」
「3ヶ月前って…じゃあアンタ、そんな状態でずっと戦ってきたって言うの?」
…ええ。と頷く。
「そんな状態で無理してっ!ナンかあったらどうすんのよ!」
自分の身体のことは自分が一番よく解かっているから、そんな無理はしない。成算があるからこそ、葛城一尉の命令にも逆らえる。
そのことを告げようと口を開いたのに、惣流アスカラングレィは頭を抱えて俯いていた。
呟きは口中に消えて、聞こえない。
そのままではこちらの言葉も届きそうになかったから、その傍に寄った。
葛城一尉がしてくれたように背中にまわそうとした手を、弾かれる。
「いくら命令だからって、そんな状態で!」
視線だけで射殺しそうな。と言う表現は知っていた。けれど、目の当たりにしたのは、はじめて。
「アンタ、命令されたら死ぬんでしょ!」
なにか、誤解されてるように感じる。
しかし、それより気になるのが、惣流アスカラングレィは死を恐れているだろうということ。
死を恐れることを知った私だから、そのことに気付けた。
だからこそ、なぜ惣流アスカラングレィがエヴァンゲリオンに乗るのか、解からなくなった。
「…では、なぜ貴女はエヴァに乗るの?」
「っ!」
「…エヴァが使徒に敗れれば、人類が滅ぶ。人類すべてと、自分の命を秤にかけなければならない時が、来ないとは限らないわ」
俯いた惣流アスカラングレィは、唇を噛んで肩を震わせている。
「…あなたはその時、どうするの?」
「そんなコト!アンタに関係ないでしょう!!」
否定しようとした言葉を告げることも許さず、私を突き飛ばすようにして惣流アスカラングレィが脱衣所を飛び出した。
その目尻を縁取っていたのは、涙?
「アスカ!? なんて恰好で!ちょっと待ちなさい!」
聞こえてきたのは、赤木博士の声。
「どきなさいよっ!」
「ああ、もう!せめてこれを羽織りなさい」
戸口を出ると、廊下の奥で赤木博士が惣流アスカラングレィにバスタオルを押し付けているところだった。
「余計なお世話よ!」
「いいから羽織りなさい!」
押し付けられたバスタオルを引っ手繰った惣流アスカラングレィが、しかし羽織ることなしに胸元に抱いて、駆け出す。そのまま廊下の奥から階段を駆け登って、消えた。
なにやら嘆息したらしい気配の赤木博士が、こちらを向いてやはり嘆息。眉根を揉みながらこちらに向かってくる。
無言で私を押し戻し、脱衣所の扉を閉めた。
「レイ。いったい何があったの?」
「…エヴァに乗っていれば、死ぬこともあると言いました」
そう。と、またもや嘆息。
「アスカは暫く、1人にしてあげなさい。それと、早く何か着なさい。湯冷めするわよ」
できれば、きちんと惣流アスカラングレィを問い質したかった。なぜエヴァンゲリオンに乗るのかと。
しかし、誰にも会いたくない気分というものを、今の私は知っている。コンビニエンスストアの前で惣流アスカラングレィから拒絶された時に、感じたことがあるから。
「…はい」
だから不本意だけど、そう答えた。
…………
「いつもなら2分で行けるのにな…」
「オトコのクセに、簡単に泣きゴト言うんじゃないわよ」
先頭を突き進む惣流アスカラングレィが、碇君の呟きをたしなめている。振り返りもしないけれど、その口調はあまり厳しくない。
「…静かに」
「なによ!」
反駁しようとした碇君に言ったつもりだった言葉に反応して、惣流アスカラングレィが引き返してくる。
そのまなじりの鋭さに拒絶の色が見えて、少し悲しかった。
口元に人差し指を持ってきて、左耳に手をあてる。
「…ヒトの声よ」
≪ …徒、接近中!使徒、接近中!使… ≫
「「日向さんだ!おぉーい!」」
≪ 使徒、接近中。繰り返す。現在、使徒、接近中! ≫
「「使徒接近!?」」
碇君と惣流アスカラングレィが、顔をつき合わせた。
「…提案。近道しましょう」
****
「あ~、またしてもかっこわるーい!」
先行する弐号機との通信ウィンドウから、聞こえてくる声。近道を提案して以来、惣流アスカラングレィの機嫌は悪いままのようだ。
「…惣流さん。提案」
「今度は何よ」
通信ウインドウの中から、惣流アスカラングレィのやぶにらみ。
「…目標は、ゼロエリア直上にて停止していると日向二尉が言っていたわ」
「そうね。で?」
すこし、視線がゆるくなったような気がする。
「…待ち伏せしている可能性が高い」
高い。どころではなく、間違いなくそうなのだけど。
「そう言われれば、そうかもね」
ふむ。と唸った惣流アスカラングレィが悩んでいたのは、しかし一瞬だった。
「ルートを変えるわ。ファースト、候補は?」
「…50メートル先の隔壁から、3番の射出口に出られるわ」
…ただし。と続けると、惣流アスカラングレィの眉が上がる。
「…途中の隔壁を無理やりこじ開けることになるから、戦闘に携わるのは弐号機だけになる」
言ってる途中で隔壁に辿り着いたらしく、先頭の弐号機が止まった。
「なんでその一機が、弐号機なの?」
通信ウィンドウ越しに、抉るような視線。
「…単純な出力だけなら、初号機のほうが上。だから、隔壁をこじ開けるのは、初号機が適任。出力の劣る零号機には、初号機のサポート、足場確保を行なって貰う」
その気になればS2機関を使える初号機の方が、適任だろう。
けれど、沖縄に行く前に釘を刺した惣流アスカラングレィの表情を、私は忘れない。彼女にとって使徒撃退が重要であろうことを、私でも推測できる。
それに、なぜエヴァンゲリオンに乗るのか、その答えをまだ聞いてない。
だから今回は、惣流アスカラングレィに使徒を撃退して貰おうと提案する。前回と違って、最初からそう意図した上で。
マトリエルは、溶解液以外にこれといった攻撃手段を有していないから、弐号機一体でも充分だろう。
「…総合的に見て、使徒迎撃は弐号機が最適」
そのヒトのためについた嘘だから、必要な嘘だから、ココロの軋みは少ない。
…
通信ウィンドウ越しの視線。その鋭さは変わらないけれど、抉るような容赦のなさは影を潜めたように思える。
「そう。なら、アンタの提案に乗るわ」
それで? と、しゃくった顎は、隔壁を指し示したのだろう。
「…弐号機は、初号機に抱きついて機体をホールド、」
なにやら呻いた惣流アスカラングレィが、まぶたを半ば閉じる。半眼と呼ぶのだと知ったとき、ヒトを疑う時の仕種でもあると知った。
「アンタ。ワタシをからかってるんじゃないでしょうね?」
「…なぜ?」
「まあいいわ、続けて」
埃を払うような仕種で掌を振って、惣流アスカラングレィが嘆息。
「…その状態で弐号機は生命維持モードに移行、電力を温存」
頷きを確認した視界の端で、外部電源がゼロに。リリーススイッチを押すと、一拍遅れて弐号機、零号機も増設バッテリを除装した。
「…初号機はそのまま射出口に進入、隔壁をこじ開けながら登攀。零号機には都度、足場になってもらうわ」
零号機との通信ウィンドウの中で、碇君が頷いている。
「OK、それで行きましょ。…それじゃあ」
ゲーヘン!と言うなり、弐号機が隔壁を蹴り破ってしまった。
***
膝を抱えて横目に見るのは、寝転ぶ惣流アスカラングレィ。その向こう側に、同じような姿勢で碇君が寝転がっている。
マトリエルを斃したあと、エヴァンゲリオンを降りて、ブロック交点の貯水池のほとりで迎えを待つことになった。
「そこで跳躍して使徒の胴体の上に飛び乗り、ライフルを一斉射」
そうして聞かされている使徒殲滅のいきさつは、初号機を半ば直接制御している私には見えていたこと。
けれど、黙って聞く。
「見事、使徒殲滅ってワケ」
淡々と話す惣流アスカラングレィは、嬉しいのか悲しいのか、それとも怒っているのか、判然としない。
これがヒト、ヒトのココロというものだろうか?
その複雑さに途惑ううちに、独り言めいた報告は終わってしまっていた。
「…」
沈黙ではなく、無言。微妙な違いを、なぜ私は解かったのだろう?それが、終わりでなくて予兆であることを。
「ファースト、アンタ。ワタシが何故エヴァに乗るのかって、訊いたわよね?」
ええ。と、頷く。
膝に頭を預けてそちらに顔を向けると、空を見上げていたはずの碇君がこちらを向いていた。薄暗くてよく判らないけれど、視線を感じる。
「少し前のワタシなら、自分の才能を世の中に示すためって、そう答えたでしょうね」
今は…。と嘆息混じりに続けた惣流アスカラングレィの笑顔を、なんと表現していいか知らない。表情は確かに笑っているのに、とても喜んでいるようには見えなかった。
「ちょっと、解かんなくなっちゃった」
答えてあげらんなくて、悪いわね。と身動ぎした惣流アスカラングレィは、とても小さく見えて、なにも解からないというのに悲しくもなれない。
プラグスーツのこすれる音は、碇君から。見れば、空を見上げていた。
「電気… 人工の光が無いと、星がこんなにきれいだなんて、皮肉なもんだね」
碇君の言葉に、見上げる夜空。月も出てないから、空の光は、すべて星。
光害という言葉を目にしたことがある。ヒトの身になってこうやって夜空を見上げるまで、実感したことはなかったが。
「でも、明かりが無いと人が住んでる感じがしないわ」
最初に灯ったのは、高層ビルの室内燈。続いて民家の明かりに、街燈。航空障害燈が最後に。
「ほら、こっちのほうが落ち着くもの」
声にまで安堵を滲ませたのか、惣流アスカラングレィの声音が少し、穏やか。
「…ヒトは闇を恐れ、火を使い、闇を削って生きてきたわ」
今なら、その恐れを理解できるような気がする。X線はおろか赤外線も見えない、この視界なら。
「哲学ね」
感じた視線は、きっとあの湯煙の中で受け取ったものと同じ。
「だから人間って、特別な生き物なのかなぁ。だから使徒は、攻めてくるのかなぁ?」
「アンタばかぁ? そんなの解かるわけないじゃん」
言ってることほどきつくはない口調で、惣流アスカラングレィが嘆息した。
つづく