≪ 冷却終了 ≫
≪ 右腕の再固定完了 ≫
≪ ケイジ内、すべてドッキング位置 ≫
『了解』
このエヴァンゲリオンのことを初号機と呼ぶのは、抵抗がある。
それは、私の名前だから。あのヒトが付けてくれた、私の名前だったから。
『停止信号プラグ、排出終了』
≪ 了解。エントリープラグ挿入 ≫
≪ 脊髄連動システムを開放。接続準備 ≫
けれど、このエヴァンゲリオンが初号機と名付けられたのも事実。受け入れるしかない。
私は今、綾波レイなのだから。
≪ プラグ固定、終了 ≫
≪ 第一次接続開始 ≫
タブリスの奨めで私はしばらく、手遅れ寸前の宇宙の、サードインパクトを阻止して回った。
その宇宙のリリスの体液から身体を造り上げ、白いエヴァンゲリオンたちを薙ぎ倒した。そうしてその宇宙の初号機からあのヒトを救い出してコアを奪い、その宇宙のリリスを殺した。
その中には本当に手遅れ寸前で、大気圏外から飛来したロンギヌスの槍を寸前で叩き落したことすらあった。その時など、リリスの教えてくれた時間の数え方で11兆5467億3718万6295カウントしか居なかったことになる。
タブリスは3つは宇宙を救えると言っていたけれど、次にあのヒトに会えた時には、その数は3グレートグロスを越えていたのだ。
『エントリープラグ、注水』
そうした宇宙を6グレートグロスと1グロスと6ダースほど救った後で、リリスが送り出してくれたのは私自身、初号機の中だった。
…お疲れさま。と、かけてくれたのがねぎらいの言葉だと知ったのは、かなり後のこと。疲れる。という状態を、まだ知らなかったころ。
≪ 主電源接続 ≫
≪ 全回路、動力伝達。問題なし ≫
『了解』
その宇宙で、碇ユイを捕り込むことなく戦い。次の宇宙では赤いエヴァンゲリオンとして惣流・キョウコ・ツェッペリンを捕り込むことなく戦った。黄色いエヴァンゲリオンになった時は、何故か全面改修が行なわれなくて、青くなり損ねた。その次は黒いエヴァンゲリオンとして戦って、人知れずバルディエルを葬った。銀色のエヴァンゲリオンでS2機関を全開にして戦えた時に、久しぶりという感覚と爽快という気分を憶えた。それらを言語として知ったのは、最近。
白いエヴァンゲリオンで戦った時は、かばったはずの赤いエヴァンゲリオンに後ろから殴りかかられて痛かった。痛覚が何も伝えなくなっても、いつまでも痛かった。
もしかするとあれは、私が初めて感じたココロの痛みだったのかもしれない。
『第二次コンタクトに入ります』
そうして今回、リリスがこの宇宙に送り出してくれたのだ。
…貴方はまだ、ヒトというものを理解できないだろうから。と、この身体を与えてくれた。
手慣らしにはうってつけだから。と放り込まれた綾波レイの身体は重傷を負ったばかりで、なにもかもが痛かった――痛覚というものをよく知らなかった私は、それを五月蝿くて煩わしい雑音としか感じなかった――のだけれど。
『A10神経接続、異常なし』
≪ LCL転化率は正常 ≫
『思考形態は、日本語を基礎原則としてフィックス。初期コンタクト、すべて問題なし』
ヒト同然の脆弱な肉体でどこまでできるか、とても不安だった。その気になればATフィールドを張れるとはいえ、それでできるのは己の身を護ることぐらいだ。
どうすればいいかと請うた私を、自分で考えなければダメ。とリリスは突き放した。
ロンギヌスの槍にさえ気をつければ、サードインパクトは起きないわ。とリリスは言うけれど、もう少し教えてくれてもいいと思う。
このこと知ってる。放任主義。…脆弱な肉体で独りぼっちにされて覚えた、心細いと云う気持ち。
『双方向回線開きます。シンクロ率、58.7%』
『 …零号機のときよりも高い。…やはり、そういうことなの? 』
初号機である私が、初号機とシンクロできないわけがない。ハーモニクスが桁違いの今、却ってシンクロ率は押さえ気味になってしまうが、それは私にはどうでもいいことだ。
コピーであることの餓えを碇ユイという不純物で鎮めているこの初号機を、完全に支配下に置くことはできないだろう。黄色いエヴァンゲリオンほどではないが。
『 ハーモニクス、すべて正常値。暴走、ありません 』
『 いけるわ 』
『発進、準備!』
今の私には、戦うことしかできない。
≪ 発進準備! ≫
≪ 第一ロックボルト外せ! ≫
≪ 解除確認、アンビリカルブリッジ、移動開始 ≫
≪ 第二ロックボルト外せ ≫
≪ 第一拘束具除去。同じく、第二拘束具を除去 ≫
悲しいけれど、それしかしてあげられることがないなら、それを為すだけだ。
≪ 1番から15番までの安全装置を解除 ≫
≪ 解除確認。現在、初号機の状況はフリー ≫
≪ 内部電源、充電完了 ≫
≪ 外部電源送索、異常なし ≫
『了解、エヴァ初号機、射出口へ』
いつか、ヒトのココロというものを理解して、あのヒトを笑顔にしてあげたいと思う。
『進路クリアー、オールグリーン!』
『発進準備完了!』
『了解』
どうか、それまで、待っていて。
『発進!』
***
『いいわね、レイ?』
射出時の慣性が負傷個所を苛んだけれど、報告しない。
「…はい」
報告しても、意味がない。
『最終安全装置解除、エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ』
拘束を解かれたので、初号機が求めるままに前傾姿勢をとらせた。骨格強度や筋力の比率がヒトとは異なるから、この方が安定する。
『レイ、今は歩くことだけ、考えなさい』
「…了解」
言われるままに、歩くことだけを考える。感情を交えず、ただ何かを行なうのは、楽。…楽しくもないけれど。
『歩いた』
発令所のざわめきが聞こえる。
『バカっ!レイ、止まりなさい!』
3歩目を踏み込んだところで、制止の声。歩みを止めると、手を伸ばせば届く距離に使徒の姿。このヒト知ってる。サキエル、第3使徒。
「…」
反転ATフィールドを使って話しかけるべきか、悩む。
けれど、今までそうやって話し合うことのできた使徒は1人だけだった。コピーに過ぎないエヴァンゲリオンの言葉に耳を傾けてくれるのは、いつもタブリスだけ。
話し合えれば、穏便に退去してもらえたかもしれないのに。見やったサキエルは、無雑作にまばたきを繰り返すばかり。
うなじの毛が沸き立つような感覚を、私は知らない。
だから、葛城一尉の命令に従ってプログレッシブナイフを抜いた。
途端に感じたのは、初号機の怯え。手にした物の危険さに、気付いたのだろう。
「…そう。怖いのね」
使徒は、体組織を構成する分子の結合力を強化することによって、その体躯を維持している。平常時には、コアで発生したエナジーのほとんどを、それに注ぎ込んで。
高周波によって分子間結合力を断ち切るプログレッシブナイフは、使徒を解体するのに最適な道具だった。
自らを害しえる存在への根源的な恐怖は、生と死が必ずしも等価といえないエヴァンゲリオンにとっては当然の感情だ。あのヒトですら、そこまでは気付いてなかったようだけれど。
「…怖くて、悲しいけれど。私が解かってあげる」
サキエルは、まだATフィールドで相手を拒むことを知らない。
いや、自分を害しえる他者という存在をこそ、知らないのだろう。コアにプログレッシブナイフを突き立てられて初めて、ATフィールドを張ろうとする。
だが、こうまで密着した状態で今さら相手を拒むことは難しい。部屋に招き入れておいて居留守を使おうとするようなもの、だから。
上手く初号機を突き放すことができなくて、サキエルが暴れた。
光の槍を打ち込む余裕すら無くして、その細い腕を叩きつけてくる。2度3度と続けられる殴打を、肩のウェポンラックでいなした。
「…」
その両眼が熱量を蓄えつつあることを、初号機が感じとった。苦し紛れに光撃を放つつもりらしい。
ニードルショットがあれば撃ち込んだところだけれど、無いものねだりをしても始まらない。
刺したまま抉り回したプログレッシブナイフを逆袈裟に斬り上げて、その顔面を断ち割った。勢いに負けてのけぞったサキエルが、倒れる寸前で踏みとどまる。
…
身体を弓なりにして耐えることしばし、まるで、その反動とでも云わんばかりに飛び掛ってきた。
『自爆する気!?』
けれど、初号機は腕を振り上げた体勢のままだ。そのままプログレッシブナイフを逆手に持ち替え、襲いかかってくるサキエルを迎え討つ。
その顔にプログレッシブナイフを突き立てると、初号機からのフィードバックがギプスの中で右尺骨を軋ませた。これでまた、癒合するまで時間がかかるだろう。
そのまま地面に縫い付けるつもりで叩き伏せる。プログレッシブナイフを捨てて飛び退いた瞬間、サキエルがはじけた。
初めて使いこなせたATフィールドが爆炎を形作るもので、それが最後だなんて。
…その状況が無情と呼ばれることを、それを悲しく感じることを同情と呼ぶことを、このときの私は、まだ知らない。
つづく