第8話 違う世界─────第一節 終局─────折れ曲がったポスターはもう使えない。そう判断した士郎は土蔵へ向かって走り出す。そして何の確証もなしに「はぁっ─────!」体ごと捻って背後に一撃を放った。キィン! と金属音が鳴り響いた。「ぬ─────」「まだっ!!」振り向きざまに払った右腕を返して折れ曲がったポスターをランサー目掛けて投げつけた。同時に足を一瞬で強化して背後へと跳び退く。が。「おせぇ」「なっ…………」跳び退いた筈の彼の正面にランサーがいた。にやり、と笑って一言。「─────もう一回飛べ」ドゴッ! と人間の体が出してはいけない音を出して後方へ吹き飛んだ。地面に叩きつけられ、それでも勢いが死なずに地面の上を二回、三回と跳ね跳んで土蔵へ押し込まれた。ガタン!! と並べられた置物たちが衝撃で崩れ落ちてくる。ランサーはゆっくりと土蔵へ向かってきている。それはもう動けないだろうと確信しての余裕。対する士郎は土蔵の天井を朦朧とした意識で眺めていた。(──────────)左腕からはどうしようもなく血が流れている。右腕は完全に痺れていてまだ感覚が戻らない。蹴りを食らった腹は胃が破れたかのように熱く感じている。(─────悪い、氷室。俺………死んだ)そんな弱音吐いて、同時に鼻で笑いとばした。「───間抜け。助けるって言った奴が諦めてどうする。自分の出来ることをやるって決めてるじゃないか………!」同時に体を確認する。───首。繋がってる。大丈夫だ。───左腕。穴が開いている。使いようがない。───右腕。感覚は戻ってないけど魔術が通る。まだ動ける。───右脚。まだついてるし動ける。───左脚。さっき吹っ飛んだせいで痛い。魔力で無理矢理動かせばまだやれる。左腕以外の体に魔力を通して身体を動かす。近くに落ちてあったパイプを強化して武器とした。敷いてあったブルーシートの一部を切り取って血が止まらない左腕に当てて血を止める。流石にこれ以上血を流すわけにはいかない。そして土蔵の奥に身をひそめ、気配遮断の魔術をかけた。「………気配を消した?」入ってきたランサーが呟く。周囲を見渡すが士郎の姿は伺い知れない。「………面白れぇ。正面から勝てないから次は闇討ちか? いいぜ、相手になってやる。来い、坊主………!」闇討ちは本来士郎にとっては使いたくない手。しかし相手が相手である以上、出来ることは全てやる。闇討ちされるとわかっている格上の相手を奇襲するなどもはや正気の沙汰ではないが、このまま正面きって戦ったところで結果は同じ。訪れる静寂。緊張感は高まっていく。ガシャンッ! と何かが割れた。「そこかっ!?」ランサーが音のした方へ振り向いたが、そこには誰もいない。だが………。「………なんてな」そのまま背後へと槍の柄を突きだした。「ぐっ────!」柄の突きを食らって後ろへ倒れこむ。ランサーにとってこの程度の闇討ちは闇討ちとは言えない。「切羽詰まっているっていうことはわかるが、やめとけ坊主。お前はアサシンには向かねぇよ」「…………っ!」激痛に耐えながら即座に首目がけて尖ったパイプを振るうが、ランサーは難なくそれを弾き飛ばした。その衝撃で握っていたパイプは吹き飛ばされ、丸腰になってしまう。もはや魔力で強化した右手の握力すら奪われてしまっていたのだ。「そら、これで終いだ…………!」心臓に向かって槍が突き出される。それを「ああああああっ!」身体を捻って“左腕で”受け止めた。肉を抉る不愉快な音と共に鮮血が土蔵内部に飛び散った。「────てめぇ」動かない、動くことがない左腕を犠牲にする。所謂『肉を切らせて骨を断つ』である。「次ぃ!!」最後の力を振り絞って隠し持ったパイプを握り、ランサーの首めがけて突き出した。ランサーの槍は今現在士郎の左腕に突き刺さっている。ガードはできない。それを見越しての攻撃。しかし。ドゴッ!! と、再び不吉な音が鳴り響いて後方へ飛ばされた。「ごほ─────っ、あ……………!」視界が歪む。呼吸は停止し、握っていたパイプは床へ転げ落ちた。そのまま座り込む。最後の攻撃は簡単に阻止された。すでに身体は満身創痍。「詰めだ。今のは割と驚かされたぜ、坊主」眼前には槍を突きだしたランサーの姿。「─────」もはやこの先は存在しない。槍はぴったりと士郎の胸に向けられている。どうしようもない死が数秒後にやってくる。「もしかすると、お前が七人目だったのかもな。ま、だとしてもこれで終わりなんだが」ランサーの手が動く。それは今まで見たのと比べるとスローモーションの様に見えた。走る銀光。自身の心臓に突き刺さる。一秒後には血が出る。そんな自分が見える。不意に。彼女の顔が思い浮かんだ。泣かしたまま無理矢理家を追い出した。追い出した。ひどい仕打ちだ。彼女も言っていた。『手伝ってもらったのに追い返すような形で立ち去らせてしまったのだ。謝罪するのは当然だろう』と。肩の傷を手当してもらったのに、追い返すような形で立ち去らせてしまった。───なら謝罪しないと。───そうだ、認める訳にはいかない。殺した後に目の前の男は彼女を殺しに行くだろう。───そんなのを許す訳にはいかない。自分の死は全くの無意味となる。───無意味に死ぬわけにはいかない。生きて義務を果たさなければならないのに、死んでは義務が果たせない。それでも槍は心臓を貫く。頭にくる。そんな簡単に人が死ぬ。そんな簡単に殺される。あまりにもふざけすぎて頭にくる。だから「ふざけるな、俺は─────」黙ってなんかいられなかった。「氷室を守るんだよ!」ランサーの槍が心臓を貫こうと動いた士郎が迎え討とうとしたその時、ランサーの後ろにあった魔方陣が士郎の左手の甲が突然光りだした。─────第二節 セイバー─────ランサーの槍が士郎の心臓を貫こうとする。一体この光景は何度目か。1度目は、ランサーが一般人だと思い込み完全に力を抜いていたとき。2度目は、校舎の屋上で鐘の行動に一瞬呆気にとられたとき。そして3度目。この国には「3度目の正直」という言葉がある。この言葉通りにいけば今回のランサーの攻撃は成功する。だがそんな言葉もむなしく、彼の一撃は横から割って入ってきた人物によって弾かれた。金髪の、青っぽい鎧を着た女性、いや少女というべきか。その少女がランサーの槍を弾いていたのだ。「───!!」ランサーは一気に距離をとり、そのまま壁をすり抜け外へとでていった。一方の士郎は一体何が起きたのか理解できなかった。金髪の少女が後ろを振り返り言葉を発する。「サーヴァント、セイバー。召喚に従い参上した」まだ理解ができない。金髪の少女、セイバーは続ける。「問おう。貴方が私のマスターか」凛とした声で訪ねてきた。「え………マス……ター?」朦朧としていた意識はランサーに怒鳴りつけた時点で半覚醒していたが、これで完全に覚醒した。理解ができないが、理解できた。それは彼女が外に出て行った男と同じ存在だという事。同時に感覚が失ったはずの左手から痛みが感じられた。思わず左手の甲を押さえつけた。それが合図だったのだろうか。少女は静かに言った。「これより我が剣はあなたと共にある。あなたの運命は私と共にある。───ここに契約は完了した」「な────契約って………何の──っづ!?」驚きのあまり忘れていたが体はとても叫べるような身体ではない。「マスター………!? かなりの怪我を………!」土蔵は暗い。月の光がわずかに差し込んで中を照らしているが見づらかったのは確かである。だから彼女はマスターの傷が想像以上にひどいことに気付くのが遅れた。「マスター、とにかく自己治癒の魔術を使ってください!その傷では………」「は………。いや、悪い。自己治癒なんて魔術は、俺は使えない………んだ」「………! では、とにかく安静に!」しかし安静にしているだけでは意味がない。傷を塞ぎ、出血を止めなければいけない。一番ひどいのが左腕。大きな穴が二つもあいている。もはや左腕は絶望的だろう。「何か傷を塞ぐ………包帯などはどこにありますか?」「救急箱は、居間に………。────って、その前に………!」激痛に顔を歪めながらセイバーに訪ねる。これだけは聞いておかなければ安心などできたものではないからだ。「あのさっきの奴、どこ行った?」「さっきの奴…………ランサーのことですね。彼は私の攻撃を受けて外にでてそのまま離脱しました。彼はもう“この周囲にはいません”」「──────────は?」その言葉を聞いて自身の痛みが吹っ飛ぶ。彼女の言う言葉の意味を、士郎は一瞬理解できなかった。「マスター?」「いないって………? じゃああいつ………」簡単な話。もともとランサーは鐘を殺すためにここまで追ってきた。この場にいないということはつまり「氷室が………殺される………!」激痛なんてものに構っている暇などない。即座に立ちあがってランサーを追うべく闇雲に家の外へ走り出した。「マスター!?」その姿を見て慌てて追いかけてくるセイバー。「マスター!その怪我でどこへ行こうというのですか!まず止血をして………」「悪い。心配してくれるのはありがたいけど、そんなことはどうでもいいんだ」「どうでもいいとは………!自身の身体以上に何があるというのですか!?」「氷室が殺されるんだよ!」後ろに振り返ってセイバーの顔を睨む。「俺はあいつを守らなくちゃいけない!守って謝って安心させなくちゃいけない、けど今はそのどれもできてない!放っておいたらアイツに殺される、それだけは何が何でも避けなくちゃいけない!」真剣にセイバーの顔を見る士郎とその真剣さを正面から受け止めるセイバー。少しの沈黙のあと、士郎は再び前を向き「………悪い。お前に怒っても仕方がないよな。全部俺が弱い所為なんだから。────助けてくれたことには感謝する、ありがとう」そう言って再び走り出そうとする。だがそれをセイバーが腕を掴んで止めた。「何を────」「追うのはいいです。ですが、追ってマスターランサーに勝てるのですか?」「────っ」返答に窮する。今のさっきまで成すすべなく殺されかけた士郎がランサーに勝てる道理などどこにもない。「それに今から走って追うにしても間に合うのですか?」「くっ────」セイバーのいう事がイチイチ正論であるがために余計に血が上ってきてしまう。「───だからって………何もしないなんてできるか!」そう言って掴まれた手を振り払おうとする、が…………振り払えない。彼女の力が強いのか、はたまた振り払えないほどに弱りきってしまったのか。「今のマスターでは一人で追っても何もできずに殺されるだけです。そもそもサーヴァント相手に対等に戦おうという考えが間違っています」「サー………ヴァント………?」またしても知らない単語。日本語に直訳すると召使という意味だが残念ながらそんな趣向は持ち合わせていない。「サーヴァントを倒すためには同じ存在をぶつける必要がある。───言った筈です、私が貴方の剣となると」セイバーはそう言って掴んでいた手を自身の肩に回して「え………っと、ちょ………」「跳びます。舌を噛まぬように」一瞬で庭から姿を消した。自分の眼下に普段歩いている道が流れている。風をきる音が耳につき、空気が体にぶつかる。空中にいながらその速度は自転車に乗っているよりも速く感じる。それほどの速度。「───!!??」「今ランサーを追っています。まだ私の感知できる距離にはいるので追えます」屋根から屋根へ、屋根から電信柱へ、電信柱から屋根へ。新感覚のシェットコースターかと思うようなスリリング。そんな状況に目を白黒させながら、振り落されないようにセイバーの肩をしっかり持っている。「………わ、わかった。すごいことはわかった。………けど、追いつくのか?」「わかりません。距離にして約70メートル。全力でいけば………っ!」「どうした………!?」「………ランサーの速度が上がりました。追われていることに気付いたようですね。このままでは追いつくのが困難になります」「なっ………」追いつけない。それはつまり彼女が殺されることを意味する。そして同時に理解する。自身が荷物にしかなっていないということ。「セイバー………だっけ」「? はい、そうですが」「────俺を置いて行け」「なっ───、それはできません。マスターを守護するのがサーヴァントの役目。マスターを置いていくなど………」「けど、それじゃ追いつけない」その声は低く響く。自分の非力さを呪う声。「頼む………。俺じゃ氷室を守れない。氷室を助けてくれ………!」歯を食い縛り、顔を俯かせる。結局この数年間で得た魔術では一人として救うことができなかった。悔しさがこみあげてくる。「─────」対するセイバーはそんな主を見る。悔しさが滲み出てきているのは手に取るようにわかった。自身に対する怒りが満ち溢れているのがわかった。「…………わかりました」着地した屋根から道へ下りて士郎を降ろす。「マスターの命とあらば従います。必ずその『ヒムロ』という人をランサーから守ってみせます。────ただし、マスター。敵は一人ではありません。十分に気を付けてください」「………ああ。頼む………!」「では………すぐに戻ります」ダンッ! とアスファルトを蹴りランサーを追うべく飛躍する。あっという間に姿が見えなくなり、士郎は一人夜の町に取り残された。ガン! とすぐ傍にあったブロック塀を思い切り殴りつけた。その腕は僅かではあるが、確実に震えている。「…………何が守る、だ。………最後は人頼みか………!」力を得てなお理想の欠片すら触れる事ができなかった男の声が闇に溶けていった。─────第三節 狂い廻る歯車─────ランサーはセイバーが出てきた直後、咄嗟に土蔵から飛び出した。体勢を立て直し、土蔵を睨みつける。「まさか………本当に七人目になっちまうとはな」自身の幸運とも不幸とも呼べる運命に感謝しながら出てくるのを待つ。だが………『何をしている、ランサー』その声がはっきりと聞こえてきた。「何って………お前さんの言う通りこれから敵サーヴァントと一戦やらかすんだが?」『その前にやることがあるだろう』聞いたランサーはあからさまに舌打ちをした。『目撃者は速やかに排除しろ、これは最優先事項だ。セイバーはその後で構わん』「チッ────わかったよ!」反転して逃げて行った少女を殺すために庭を後にする。ただし速度は控えめであるが。「どうした………坊主。あそこまで張ったんだから当然追ってくるよな? じゃねぇと………本当に殺しちまうぞ」衛宮邸から少し離れた民家の屋根の上でルーンを行使して逃亡している鐘の位置を把握した。そうして再び跳んだそのとき………追ってきたな。これなら問題はねぇな」そうしてランサーは速度をあげる。早く追って来いと言わんばかりに。◇彼の家から全力で走ってきた所為で安定していた心拍数は再び上昇している。「はぁ───はぁ───はぁ───」走れなくなって足を止めて肩で息をする。周囲はすでに暗い。街灯が道を照らし、この道にいるのは私一人だけ。「衛宮…………」そう言って振り返るが当然彼の家が見えるわけはない。私を助けるために彼は左腕を失った。私を助けるために彼はあの男と対峙した。私を助けるために大声で叫んで逃がした。「私は…………何をしているのだろう」例えばこれが性質の悪い夢で、目を覚ませばそこには変わらぬ日常があって。変わらぬように行動して学校にいけばそこに彼がいる。そんな考えが浮かぶ。もし夢ならこんな夢から早く覚めてほしい。だってそうだろう。殺されそうになって助けてくれた人が魔法使いでその人が私を逃がすために戦っている。「─────どこの小説だ…………この状況は」そしてさらにその小説のメインステージに立っているのが私ときている。それだけで夢ではないか? と思うのは当然だ。しかしそれ以上に嫌なのが「衛宮が………死んでしまう………」そんなのが現実だなんて認めたくないに決まっている。だからこれは性質の悪い夢であってほしいと願う。だが、そんな願いに溺れれるほど私は浮遊者ではない。これは現実で、殺されかかって、彼が殺されそうになっている。気がつけば大橋まで来ていた。この橋を渡りきれば新都へと出る。時間が時間なだけに新都へ行っても人は少ないだろう。「どうして………こんなことに………」震えて呟く声は闇に消える。その問いに答えてくれる人は誰もいない。私は結局助けてもらっただけ。手には傷がある。その傷は手当されている。その傷が否応なしにあれは現実だということを教えてくる。その傷が否応なしに彼と一緒にいたということを示している。その傷が否応なしに彼の傷を思い出させた。穴のあいた左腕。本来見えるはずのない肉、骨。そして赤い血。「う………ぶ────」咄嗟に手を当てて吐き出しそうになったモノを抑え込む。今まであの男の前に居て、生きた心地がしなかった。何度も感じた死の感覚。実際は死んでいないが一体何度死にかけたのだろうか。「────っはぁ、───はぁ………」無理矢理抑え込む。今まで自分は客観的な物見が出来て、努めて冷静でいれて、何があってもそれなりの冷静さを保てると思っていた。だがそんなものはただの空想論。実際に所謂『殺意』と呼ばれるものを全身に受け、見たことのない殺し合いを間近で見て、見たこともないような重症を負った人間を至近距離で見た。そこに日常で培った自分が思っていた『自分』などただの空想論でしかないと分かった。自分は少しだけ良家の家に生まれて、至って普通に生きてきた人間。ゲームや小説で自身のオプションを空想化したって、それが現実に引っ付いてくるはずなんてない。今日はいろんなことがあった。働かない脳が一つずつ思い出していく。グラウンドの件から始まり、今まで感じたことのない恐怖を感じ、初めて男性の背中に抱き着き、あまりの出来事に腰を抜かし、気がついたら抱かれて町を歩いていて、彼と少しだけ温かい一時を過ごして、そして、…………逃げ帰ってきた。彼は助けてくれた。「────────────あ」そこで己の失態に気付く。おそらくは生きてきた中での最大の失点。それに気づいた瞬間に、もう何も言えなくなった。今の今まで、一度も言わなければいけないことを言っていなかった。それでおしまい。冷静な自分は木端微塵に砕けきった。だってそうだろう?助けてもらったっていうのに────今の今までお礼すら言う事を忘れていたのだから。冷静でいれたのならばそんなことは気が付いて真っ先にお礼を言ったはずだ。それを言えてない。何が冷静か。感謝の言葉すら言えていない。そして。目の前に現れた男を見て、もう何もかもがどうでもよくなった。「よう、嬢ちゃん。ずいぶんと逃げてきたな」「─────」言葉なんてもう必要ない。「逃げられないってのは、誰よりも判ってたんだろ? なに、やられる側ってのは得てしてそういうもんだ。恥じ入る事じゃない」目の前の男の言葉なんて、もう耳には入らない。ここにあの男がいるということは。私を逃がすために対峙した彼は────「………もう、いないんだな………」立つ事すらもやめて膝をついて地面に座り込む。その姿を見てあの男はどう映ったのだろうか。いや………どうでもいいか。もう私は死ぬのだし、もし死後の世界っていうものがあるのなら彼に是が非でも会いに行って謝罪し続けるだけだ。「運が悪かったな、嬢ちゃん。ま、見たからには死んでくれや」男が槍を持ち上げて構えた。数秒後には感覚を失って地面に倒れこむ。涙腺が熱を帯びている。目の前がぐじゃぐじゃになっていく。だがそうだと言うのに恐怖は感じなかった。この感覚に覚えがある。 (───いつだっけ)足元から壊れていくような感覚。 (───どんな時だっけ)ふと脳裏を掠める記憶があった。赤い世界。「なんで───」あの火災が過ったのだろう。何かがあった。何かを知っていた。「───ああ、そうか」こんな時に思い出すなんて。(───あの時誰かを失ったんだ)疑問が少しだけ解消されて私は目を瞑った。考えることもこれで終わり。氷室 鐘という人物はここで終わる。あとは永久に消えない罪とその罰を受けるだけ。だけど。私の耳には確かに聞こえた。『死なせません。伏せなさい、ヒムロ』その言葉を理解するよりも早く私は地面に倒れこんだ。ギィン!! と甲高い音が夜の大橋に響く。「ぐっ────!」男の声が聞こえた。そしてその後に、すぐ近くに着地するような音。ゆっくりと目をあける。映るのは足。ただし、その足は普通の靴じゃない。銀色のブーツ、いや鎧?ゆっくりと視線を上げる。次に見えてきたのは青いスカートと銀色の鎧。「─────」その姿を見て唖然とする。私の目の前に立ち、青い男と対峙していたのは女性だった。いや、見た目の年齢と言い身長と言い、私よりも幼いように見える。「立てますか、ヒムロ?」視線は目の前の男に向けながら訊いてきた。なぜ私の名を知っているのだろうか。「え………? あ、何とか………」目に溜まった涙をぬぐいながら立ち上がる。こうも場が混乱してしまってはもう理解することすらどうでもよくなってくる。見えるのは少女の背中。やはり私よりも身長が少しだけ低い。「ヒムロ、ここから少し離れていてください。危険ですので」私よりも小さな少女が何かを構える素振りをする。手には何も持っていない。何のつもりなのだろうか。「待………待て。貴女は一体………? それにどうする気だ?────まさかあの男と戦うのか?」「はい、そのまさかです。貴女をランサーから守る様にマスターに命令されていますので」相変わらず少女は此方へ振り向かないまま答える。「守る…………? マスター………?」全く理解できない。情報が少なすぎる。いきなり現れて私を助けろと命令した誰かに従って戦う?「ようやく来たかい、セイバー」「ランサー………一般人を手にかけるなどと、貴様は英雄としての誇りを持たないのか」「まさか!俺だって誇りはある。…………が、例えいけ好かなくともマスターの命令とあっちゃぁ否応が無しに従わざるを得んだろう。無抵抗の女を殺すのは趣味じゃないしな」そう言って前の男が紅い槍を構え直す。「だが、だ。一般人に見られるのも不都合なのはまた道理。セイバー、お前は今言ったな? 『マスターの命で守るために来た』と。なら、俺を倒すか退かせなきゃその命令は守れねぇぜ?」「───そうか。それが目的か、ランサー」「へっ、そういうことだ。マスターの命令に従いつつ、てめぇと存分にやり合うために利用させてもらった。ま、もっとも間に合わなかったとしてもお前さんとはやり合う予定ではあったが───」男の体が沈む。対して目の前の少女の体も沈む。「こっちの方が互いに退くことができねぇから好都合だろ!!」ドン!! と言う音がしたと思ったらすでに目の前で打ち合いが開始されていた。─────第四節 セイバーVSランサー─────「な────」鐘は我が目を疑った。目の前で繰り広げられている光景。ギィン!という甲高い音を上げて繰り広げられる剣劇。月明かりの中で、闇の中で火花を散らす鋼と鋼。「ハァァァァァッ!」「ウォォォァァッ!」数回打ち合った後に互いが跳び引く。と思った矢先に突進し、槍を突きを放つ。「くっ!」ガキィン!!紅い槍が見えない何かに防がれ、横に薙ぎ払う形で槍が振るわれる。少女はそれに押され体勢を崩した。払った槍をそのまま一回転、再び槍の先端を向け突き刺そうとするが、少女は男の上を越えるように跳び背後に着地して回避して攻撃を仕掛けている。ガキィン! と、見えない何かを紅い槍が防ぐ。一旦距離を離したかと思えば、即座に接近し打ち付ける。槍の攻撃を見えない何かで往なし、即座に反撃する。「チッ!」強力な打ち付け。その攻撃を槍で受け止めるが、一瞬硬直してしまう。そこに「ハアァァァァァッ!!」大きく振りかぶった少女の攻撃が繰り出される。その体型には似合わない、かなり重い攻撃。「うぐっ!」それをランサーは何とか受け止める。その光景を見て信じることができなかった。セイバーと呼ばれた少女は確実に圧倒的な力を持った敵を圧倒していたのだ。戦いを見ていた鐘は彼女の持つ見えない何かを考えていた。校庭ではあまりの出来事に驚いて戦闘など何も見えなかったが、少し落ち着いているというのとこれが数度目ということもあり、何となくではあるがこの戦闘を目で追えていた。無論、一般人が反応できるような速度ではないのだが。………構え、戦い方、セイバー………それらを考えた結果(見えない剣………?)そう結果を出した直後、ランサーが距離をとった。忌々しげに舌打ちをし、セイバーの持つ不可視の武器を睨みつける。「やりづれぇ、武器の間合いがわからん………!」そんな言葉を無視し、セイバーはランサーを斬り伏せる。一撃、二撃、三撃。その一撃一撃が重いのだから、ランサーとて気は抜けない。加えて恐らくは剣であろう武器の間合いが判らないのだから、攻めにくいのは当たり前だった。「テメェ………!」その勢いで反撃もままならずに後方へ押し出される。セイバーの間合いが分からない以上無闇に攻め込むことは迂闊すぎた。後退するランサーに休息の刹那すら与えないほどの剣劇が繰り出される。「チ────」よほど戦いづらいのだろう。守りに入った相手は、斬り伏せるのではなく叩き伏せられるのみ。セイバーはより深く踏み込み、叩き下ろすように渾身の一撃を放った。「調子にのるな、たわけ───!」ランサーは消えるようにその場から後退して、セイバーの攻撃が空を斬った。「ハッ!」一瞬で数メートル跳び退いたランサーが巻き戻しのように爆ぜた。対するセイバーは地面に剣を打ち付けたまま。その隙は致命的だった。一秒と待たず舞い戻ってくる紅い槍と────だが、“それ以上に早い速度で”コマのように体を回転させる少女。「ッ!」故にその攻防は一秒以内。失態に気づいたランサーと、それを両断しようとするセイバーの一撃。ガッキィン!! と、ひときわ大きな音を出し、ランサーが弾き飛ばされた。「────」弾き飛ばした方のセイバーも不満だというのが伺えた。ランサーを一刀両断の名のもとに倒そうとしていた必殺を防がれたのだ。例え己の窮地を凌いだとしても、その攻撃に価値はなかった。大きく距離が離れて互いが睨み合う。先ほどのように即座に戦闘が開始されるわけではなかった。それほど両者に負担がかかっていたという事になる。再び距離が離れたところでセイバーが口を開く。「─────どうした、ランサー。止まっていては槍兵の名が泣こう。………そちらが来ないなら、私が行くが」「────は、わざわざ此方に来るか。それは構わんが────死ぬぞ?」セイバーとランサーが再び構えを見せた。だが、今までランサーが見せてきた構えとは違う構え。(なんだ…………?────何か嫌な予感がする)それが所謂「宝具」の発動の前兆だということは一般人である鐘はわからない。ランサーが姿勢を低くし、同時に殺気が放たれる。「────っ!!」その殺気を感じた鐘は後ずさってしまう。その感覚はかつてのグラウンドで感じたものと同じだ。「宝具…………!」対峙しているセイバーはより精神を研ぎ澄ませた。相手の異常が一体何をする前兆か、などランサーの気迫を見れば容易に見て取れる。「その心臓!貰い受ける!!」ランサーが跳ぶ。紅い槍はさっきよりも増して紅く光っている。そこより繰り出される超高速の突き。士郎に繰り出した攻撃とは比較にもならないほどの速度。だが、セイバーはそれを回避。反転し攻撃を仕掛けようとするが………「刺し穿つゲイ………」「!」セイバーが攻撃を避けようと動く。対してランサーの槍はセイバーを捉えていない。「死棘の槍ボルク!!」だが。あたるはずのない角度で突き出されたはずの槍が、鎧を貫いた。―Interlude In―士郎は一人夜の町を歩いていた。左腕はだらしなくぶらさがり、指先から血が滴り落ちている。向かうは大橋。別にセイバーからいる場所を尋ねたわけではない。単純にセイバーが跳んで行った方向と、彼女の家の方向を考えれば大橋は必ず通るからだ。「はぁ───、は────ぁ、─────ぁ」腹部の激痛に左腕からの激痛。左脚に右脚に右腕。全ての体が休め、治療しろ、動くなと警鐘を鳴らし続けている。顔はすでに蒼白となっており、冷や汗が止まらない。だが歩みを止めるわけにはいかない。「ぐ…………!」脇腹を右手で抱えて歩き続ける。だが────「う………」ドサッ と、道端に倒れこむ。痛覚を騙し続けるのもすでに限界を超えている。加えて血を流しすぎている。出血死に至る量にはまだ届いていないが、それでもこの状態が続けばいずれ死ぬ。「でも………まだ死ぬわけにはいかない………!」ブロック塀に寄り添いながら立ち上がり再び歩く。そうしてセイバーと別れてから数十メートル離れた地点で再び倒れた。「う…………ごけ………!この、………ポンコツ………?!」だが動かない。それどころかどんどん力が抜けていく。───ふざけるなそう心の中で叫ぶが、もう微塵も動けなくなった。意識が遠のいていく。ふざけるな、と口に出すが声がでない。(………セイバー、氷室………)意識は夜の闇へと溶けていった。―Interlude Out―「っ!!」その光景を見た鐘は絶句する。一体何が起こったかわからなかったが、確実にあの槍がセイバーの鎧を貫いたことはわかった。だが、彼女は跳び退くように着地して倒れはしなかった。必殺の一撃をぎりぎりで回避していたのだ。「はっ────、く………!」しかし見てみれば鎧の一部は砕かれ、傷を負ってしまっていた。血が流れている。今までかすり傷さえ負わなかった少女が、その胸を貫かれて夥しいまでの血を流している。「呪詛………いや、今のは因果の逆転か…………!」そう言っている間にもセイバーの傷口が修復されていく。あれだけ流れていた血はもう流れていない。その光景を見る鐘はもはや蚊帳の外の状態だ。「躱したな、セイバー………。我が必殺の『刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルク』を………!」「───っ!? 『刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルク』!では、御身はアイルランドの光の御子か!」対するランサーは忌々しげに舌うちをした。「………ドジったぜ。コイツを出すからには必殺でなけりゃヤバイってのに。まったく、有名すぎるのも考え物だな」そう言って槍を構え直すランサー。対するセイバーも再び構える。「さて、正体を知られた以上はやり合うぜ? その後ろの嬢ちゃんも“マスターの命令で”殺さなくちゃいけねぇからな」「私も退くつもりは…………っ!?」答えようとしたセイバーが一転して顔が青くなった。レイラインから伝わってくる異常。それは。「あ? どうした、セイバー。…………まさかとは思うがあの坊主、治癒魔術も使わずに死んだんじゃねぇだろうな?」「……………」ランサーの問いかけには答えない。だが、明らかにセイバーが焦燥しているのはランサーにもわかったしセイバーの後ろにいる鐘もわかった。「ちっ、まさか治癒ができない野郎だったとはな。────ならしかたねぇ。てめぇが消える前にさっさと…………!?」ランサーが言葉を続けようとした直後に、ランサーの槍が空を斬る様に振るわれた。ガキィイン!! と言う音とともにランサーの背後に“何か”が弾き飛ばされた。「チッ、アーチャーか!センタービルから狙撃してやがるな………!」忌々しげにランサーが言う。対するセイバーもそれを聞いて余計に焦燥に駆られていた。この大橋で隠れれる場所はない。加えてマスターである士郎からの魔力供給が完全に停止した。それだけ今の彼の中に魔力がないということでもあり、それだけ危険な状態まで陥ってしまっていたということでもある。「…………く、ここは引かせていただきます、ランサー。このような場所では一方的に狙撃されるだけだ」「ああ、同感だな。戦いに横槍入れられたんじゃあ萎える。俺はこの場は引き上げてもいいんだが────」そう言って槍を構える。その構えを見たセイバーが咄嗟に反応し────「生憎とその嬢ちゃんは殺す必要があるんでね!!」轟!! とセイバーの横を通り抜けんとするランサー。だがそれを食い止める為にランサーの目の前に立ちランサーを食い止める。「へっ!そんな嬢ちゃんなぞ見捨ててマスターのもとへ走らなくていいのか、セイバー!?」「そうしたいのはやまやまだが、それをしてしまえばマスターとの誓いを破ることになる。約束を反故にするつもりはないし、彼女を見殺しにするつもりもないっ!」ガキィン! とランサーを吹き飛ばす。そして同時に後方へ跳び退き鐘を抱える。「え!?あの────」「ここから一刻も早く離脱してマスターのもとへ向かいます!捕まっていてください!」そう言った直後に彼女の直感が告げた。「─────っ!!!!」抱えた鐘を放り投げて振り向きざまに不可視の剣を振る。ガキィン! という音と共に紅い槍が防がせる。「よく防いだ、セイバー!」「今、貴様と戦っている暇などない!!」セイバーとランサーが鍔迫り合いをしているその場所に。『────偽・螺旋剣カラドボルグ』「「!!」」両者は一瞬でその場から跳び退く。同時に『壊れた幻想ブロークン・ファンタズム』大気を揺るがす閃光に、視界を奪われ、その爆音で音が掻き消された。「チィッ!」「くっ!!」「きゃぁあ!?」三者三様の反応を見せてその場から急速に離脱した。―Interlude In―大橋で起きた爆発は大橋を落とすほどのものではなかった。否。彼が本気になったのならば大橋は落ちていただろうが、さすがにそれは躊躇われた。事後処理がとんでもなくめんどくさくなるだろうから。だがそれでもセンタービル屋上から見えた爆発は大きく、そのマスターである凛は少し不安になった。「ねぇ、アーチャー? 大橋は落とさないようにお願いしたけど?」「………大丈夫だ、凛。落ちないように力は抑えておいた」そう返答するアーチャーではあるが、様子がおかしい。否。ランサーと二度目に対峙する前から様子がおかしかった。凛はそのことについて先ほど訪ねたが帰ってきた返答は「問題ない」ということだった。「そう………ならいいけど。───で、ランサーとセイバーはどうなった?…………あとその“マスター”も」「さすがに三騎士と呼ばれるサーヴァントだけはある。両者とも大橋から離脱したよ。セイバーは深山町に戻ったがランサーはこちらの新都方面に向かって逃げてきた。無いとは思うが念のために場所を移すぞ」「わかったわ。………とりあえず、ランサーを追いましょう。学校の件といいマスターの顔を拝まないと割に合わないわ」「了解した、凛」二人はビルの屋上から飛び降りてランサーを探すべく、新都の町へ消えて行った。「それにしても………まさか“氷室さんが”セイバーのマスターだった、なんてね」アーチャーはその言葉を聞いて考えに耽るしかなかった。―Interlude Out―