第63話 目的地─────第一節 急転─────ゆっくりと目の前が広がっていく。どこかも判らない場所。見たことも、感じたこともない場所。そこに立っていた。何故ここにいるのか、どうやってここにきたのか、何のためにここにいるのか、それら全てが曖昧だった。ただそれでも。自身の中にあるどうしようもない虚無感だけは、明確に感じることができた。─────どうしてこうなってしまったのか。視界の隅に映る姿。何をするわけでもなく、何を言うわけでもなく、ただこちらを見つめている。命令を待っているのか、観察しているのか、何かを考えているのか。わからない。「……キャスター、外はどうなっているの?」その問いに彼女は答えず、空間にぽっかり穴だけが開いた。そこから見えるのは外の世界。………唯一の顔がそこにあった。「─────」その光景が、どうしようもなく許せなかった。十一年という歳月。ぎりぎりと体の内側から痛みが湧いてくる。─────どうしてこうなってしまったのか。気付けば、胸の中にあった筈の違和感が消えていた。それが何を意味するのか、桜は理解した。いつ消失したのか、どのように消失したのか、自身では分からない。けれど解放されたということはわかった。巣食っていたものがいなくなったのだから。─────どうしてならこの痛みは何の痛みか。この十一年受け続けた痛みは、それを与えていた者は、いなくなった。なのに痛い。「─────ふ」それが一体何の痛みか、何からくる痛みなのか。こんなにも壊したくて、殺したくて仕方がない。縛る者はいなくなって、自由になったのに。「ふふ─────ふ、あはは………」ああ、分かってしまった。自分が異常なのは外からそのように強制されていたせいだったと思っていた。─────始まりは、そうだったのかもしれない。けれど、今は違う。「違う………違う、違う違う違う違う─────!」それを認識した途端、途方もないほどの怒りが内から湧いてきた。なりたくてなったんじゃない、望んでなったんじゃない。─────どうしてこうなってしまったのか。「─────痛い、痛いです、先輩。痛いんです。だから─────」ああ、訴えよう。この痛みを吐き出そう。誰も彼もが痛みを痛いと思うのであれば。─────この痛みだって訴えていいはずだから。◆まるで天から地を切り裂くが如く打ち下ろされる剣。強烈なんて言葉では足りないほどの速度。すなわちパワー。その着弾点を中心に爆発が発生し、円形の衝撃波を周囲に放つ。だがその程度、直撃こそ避けるべきだが避けてしまえばどうとでもなる。回避し、防ぎ、反撃する。馬鹿正直に真正面から打ち合ってもいいだろうが、生憎魔力は無限ではない。いかに単独行動が可能なアーチャーといえど、活動限界は存在する。対するギルガメッシュは無言だった。撃ち出す攻撃は既に百を超えた。どれもこれも輝かしい本物。そのどれをも複製し、ぶつけてくる敵。そして時折相手が紡ぐ暗示の言葉。攻撃スタイル、得意とする獲物。そのどれもが、三度対峙した者と同じ。そう判断を下したと同時に、理解した。目の前にいるのはサーヴァント、すなわち『英霊』。「く─────」その口元が邪悪に笑う。器が小さすぎる者。そう断じた男、三度対峙したあの男はあろうことか『英霊』になる力を持つ者だった。そうして理解する。この男も、そしてあの男も。それを容認したこの世界も。「色褪せて蔓延する。必要不可欠であったものも、今の世では捨てても余りあるほどに溢れていく」その言葉をアーチャーは聞き逃さない。互いが剣を放ち、防ぐその戦闘中であっても、その声は耳に届く。「価値ある物は埋もれ、沈んでゆく。そうして残るのはガラクタばかりの世界。我が物顔で贋作を振るう貴様─────いや、貴様ら」ギルガメッシュの前にいる者は、ギルガメッシュ自身が容認できない者。それを世界はあろうことか『英霊』として認めてしまっている。「………!」その光景に、アーチャーの足が止まる。今まで展開されていた『王の財宝ゲート・オブ・バビロン』が閉ざされたのだ。「猶予をやろう」その言葉にアーチャーも構えを解く。相手が何を求めるかなど知らないが、これはアーチャーにとってもチャンスである。「この時代の貴様が出来ている行為だけで、この世界が認めるというのであれば、『この世全ての悪』などでは足りん」原初の英雄が、現代最後の英雄に告げる。「故に貴様が全てを救うと妄言を吐く、雑種の成れの果てだというのならば─────次に全力を尽くせ。 さもなければ貴様を殺したその後に………貴様の想像を超える地獄が再現されるだろうよ」アーチャーの鋭い目がギルガメッシュを睨む。その言葉に偽りはない。本気でギルガメッシュはそれをしようとしている。「仮に全力を出したとして、では貴様はその行為をしないという保証あるのかな、英雄王」「戯けが過ぎるぞ、贋作者。全力を出す前に殺されたいか」アーチャーは知る由もないが、かつてギルガメッシュの前には『敵』として認めた男がいた。名をイスカンダル。征服王と呼ばれた、前回ライダーとして呼び出された英霊。それまで、時の果てまで呼び出されながら茶番劇とも呼べる毎日。その日々を過ごしてきたギルガメッシュにとって、その男との戦いは悦に入れるものだった。その点で言えば、目の前の男も確実にギルガメッシュが『敵』として認めた男に、たった今成り果てた。だがそこにある感情は、かのイスカンダルに対して抱いたものとはまるで違うものだ。どれだけ対峙しようとも悦になど入れない。対峙すればするほど、相手が抵抗すればするほど、苛立ちだけが募っていく。その相手に猶予を与えてまで全力を出せと伝えた真意。「我以外の王など存在せず不要ではあるが、それでも我が認めるだけの兵つわものは少なからずいる。 その参列に貴様のような贋作者がいては不愉快極まりない」届かぬと、何一つ守れぬと言った偽物の未来が『英霊』などと、ギルガメッシュが許さない。その相手が英雄だろうと、反英雄だろうと関係ない。「そら、疾く全力を尽くせ。それとも今までのが全力か? だとすれば最早記憶に留めることすら無意味だ。 貴様を殺した後、我自ら出向いてあの雑種を殺し、忘却の彼方へ葬り去ることとしよう」見下すその眼光は、それだけで人を殺しかねないほどの威圧を放つ。常人が見れば、それだけで失神してしまうだろう。「今思えば、あの雑種に『二度も気まぐれで』エアを抜いた。 ああ、今理解したぞ、アーチャー。我はあの雑種に対してエアを抜いたのでは断じてない。 形はどうであれ貴様を英霊として認めた、偽物に感化されてしまったこの世界に対してエアを抜いたのだ」対してアーチャーは現状に心の中で舌打ちする。目の前の男は明らかに自分を見下している。それは別に問題ではない、むしろそちらの方がやりやすい。「故にこれから行うのは世界の守護だ。我の庭を汚す、我の最も許さない者から世界を救う。 汚す者がいなければ、汚れる道理はない。この世に満ち溢れた有象無象の偽物は聖杯の中身に任せればいい。 だが、我が関せずした間に世界が貴様を、あの雑種を認めたというのであれば、世界の主たる我が世界に示さねばなるまい」アーチャーが舌打ちをする理由。それは相手がいつでも“あの”宝具を抜く、という点に集約される。宝具のぶつけ合いはフェア。むしろ相手が武器を出してくると同時に読み取り、投影することができる点ではこちらに部がある。接近戦などはむしろ望むところ。だが。衛宮士郎が直感で防ごうとしたのと同じように。アーチャーもまた理解できている。─────いかにギルガメッシュに乖離剣を抜かさずに倒すか─────これに尽きた。全く以て読み取れない武器。それは人間の脳では理解できない概念武装。投影など永劫不可能。そしてそんなものを抜かれては最後、固有結界を発動したところで無意味。「私より前に、奴と数度戦闘を行っていたことが仇となったか………」ギルガメッシュは既に二度、衛宮士郎に対して乖離剣エアを抜いている。そしてギルガメッシュの高い観察眼が、アーチャーの正体を見抜いた。そのどれもが本気ではないとはいえ、『抜いている』という事実がある。この戦いであの宝具を抜く、という確証はないが、抜かないという確証もないのが現状。否、恐らくは抜く。相手が英霊エミヤを見ているのではなく、英霊エミヤを認めた世界を見ているというのであれば。世界に対してエアを抜くだろう。奇しくもアーチャーが衛宮士郎に対して行ったことを、ギルガメッシュも行おうとしているのだ。ただ規模が違う。見ているものが違う。アーチャーは自分自身、すなわち衛宮士郎という一個人を見ていた。だがギルガメッシュはその存在そのものを赦しておらず、アーチャーを例え反英霊として伝承した世界であっても赦そうとしていない、その違い。恐ろしく傲慢だ。アーチャーは断ずる。そこにこそ、千載一遇にして最後の隙がある。相手は手に何も持っておらず、そしてあろうことか王の財宝ゲート・オブ・バビロンまで閉じている。アーチャーの位置からギルガメッシュまでの距離は、アーチャー自身が最速で接近しても5秒はかかる。その時間があれば王の財宝ゲート・オブ・バビロンを展開するなど容易だろう。「いいだろう」だがエアを取り出し、構え、放つまでの時間はこの距離にはない。故にくるのは先ほどと同じ攻撃。「─────ならば英雄王、一つだけ忠告しよう」これを逃せば機はない。時間を稼がれればエアが出てくる。両手に現れる干将莫邪。「俺を殺せても─────奴を殺せる道理はないぞ」同時。地面が爆ぜる。“────I am the bone of my sword”─────体は剣で出来ている継続性など一切考えず、一直線にギルガメッシュへ接敵する。自分の目算で5秒必要だというのならば、この足は3秒で敵の懐へ潜り込もう。“────Steel is my body, and fire is my blood.”─────血潮は鉄で、心は硝子王の財宝ゲート・オブ・バビロンが展開され、無数の宝具群が姿を現す。アーチャーが一歩を踏み出そうとした瞬間に展開されたそれは、一秒後には流星群のようにアーチャーへと殺到する。「幻の世界で見た夢の結末を知るがいい。この我自らが本物の世界の理を示してやろう」“────I have created over a thousand blades.”─────幾たびの戦場を越えて不敗姿が見えると同時に投影、照射。縮まりゆく距離において互いの宝具群は互いを傷つけることが出来ぬまま壊れていく。その中で、アーチャーは確かに見た。英雄王しか持ちえぬ、唯一の剣を。“────Unknown to Death. Nor known to Life.“─────ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない「貴様を殺せて奴を殺せない? 無能もいいところだな、贋作者フェイカー。貴様が未来だというならば、貴様の存在が雑種の終着点だ」残り一秒。乖離剣に手がかけられる。だが間に合う。手にかけたところで解放されなければ同じこと。“────Have withstood pain to create many weapons.”─────彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う「─────!?」がくん、と足が止まる。トップスピードが一瞬でゼロへと落ちる。突き出した筈の腕が止まる。天の鎖エルキドゥ。天の牡牛すら捕える縛鎖。咄嗟に剣群が鎖を両断しようとするが、致命的なタイムロス。そして停止するにはあまりにも致命的な距離だった。「言わなかったか? 我は貴様に対してエアを抜いたのではない、と」アーチャー自身が詰め寄った距離。乖離剣エアがアーチャーの胸元を貫くには十分な距離だった。“────Yet, those hands will never hold anything.”─────故に生涯に意味はなく解放するには時間が足りず、解放するには距離が足りない。だが、そもそも解放するつもりなどないのであれば、そんな時間も距離も必要ない。「─────」体に鈍い衝撃が奔る。捻じれ廻るその感覚は、生前も死後も体感したことなど一切ない。甘んじて受けるべきではない傷。「思い込みが過ぎたな。ならば真実を識れ。貴様に背負える世界などなく、貴様が背負う世界などない。─────偽りの世界ユメに沈め、贋作者フェイカー」乖離剣エアがアーチャーの胸元から離れていく。致命傷。ギルガメッシュから見ても、アーチャー自身から見ても、それは分かる。だが─────それでも間に合う。口元が僅かにあがる。紡ぎ出されるのは、苦渋の言葉ではなく。「────So as I pray, unlimited blade works」自分の心を、形にする言葉だった。燃えさかる火は壁となってアーチャーとギルガメッシュを包み込む。それが一体何であるかを理解した時には、既に世界は一変されていた。無数の剣が乱立した、剣の丘だけが広がっている。だが、忘れてはいないだろうか。今は解放こそされていないとはいえ、ギルガメッシュの手には既にエアが握られている。ならばあとは彼がエアを使うだけで、この世界は崩れ去る。「固有結─────」「はああァァァッ!!」ギルガメッシュの視点がアーチャーから外れ、外の世界に目移りしたその瞬間。唯一防具で守られていない首へ、干将莫邪を一閃する。「っ─────!」息をのむと同時に後ろへ跳ぶ。だが遅い、否速い。アーチャーにとってはギルガメッシュが速すぎた。否、アーチャー自身が遅すぎた。首を絶つ勢いで薙いだ一閃は、ギルガメッシュの喉元を斬るに留まった。胸元の傷が影響していることはもはや疑う余地もない。ギルガメッシュにとって、自身の回避行動が遅すぎた。自身が天の鎖エルキドゥでアーチャーの行動を止めたというのであれば、アーチャーはこの世界を以てしてギルガメッシュを止めてみせた。回避しようとした体は避けきれずに喉から血が噴き出す。無論これだけで死ぬなどあり得るはずもないが、しかしそれはギルガメッシュが激昂するには十分すぎた。「貴様ァァァァアアア………!偽物風情が─────!」だが、一瞬でもアーチャーから目をそらしてしまった。固有結界発動時しかり、そして喉元を斬られた時しかり。今度こそ絶句した。ギルガメッシュが改めてアーチャーをその紅蓮の眸に捉えたその時には。「偽・螺旋剣カラドボルグ」既に攻撃を完了させていた。「ッッ!!!!」咄嗟に顔を左腕で塞ぐ。偽・螺旋剣カラドボルグは顔へと行かず、黄金の鎧を纏うその胸元へと直撃する。「がっ─────!!」ゴッ!!!!!! と。凄まじい衝撃が胸元から伝わる。剣撃を避けるために後方へ退避した足は勢いを殺しきれずに地面から離れ、勢いを抑えることができなくなった体は衝撃のままに後方へと吹き飛ばされた。だが衝撃だけではない。それは大気を根こそぎ捻じ曲げてしまうほどの威力を持つ。当然鎧が防ごうが、被害はその部位だけには留まらない。風が鎌鼬のごとく露出している顔に切り傷を刻んでいく。衝撃を殺すことすら叶わず、反撃をする間もない。だが、この手にはエアがある。ならばこの矢が鎧の胸元を破壊するよりも早くこの固有結界ごと破壊できる。激痛を発する中で右手の剣に魔力を篭めようとした、その時に。「壊れた幻想ブロークン・ファンタズム」固有結界内で爆発が起こる。宝具が内包する魔力を自壊させることで生じる超爆発。本来修復困難である宝具をこのような用途で扱う物はそうはいない。しかし元が魔力により構成し使用しているアーチャーは躊躇いもなくその引き金を引くことができる。そしてこの至近距離。相手が鎧を纏おうがこれで無傷ということはありえない。「─────っはぁ」固有結界が崩壊していく。この世界を維持するにはあまりにもこの胸の傷は致命傷すぎた。そう理解して、しかしなお一度止めた足を最速で向かわせる。胸の傷は致命傷。だというのに固有結界を発動なんてさせればどうなるか。いかに単独行動を得意とするアーチャーといえど、消失以外の道など存在しない。ならば今すぐにでも傷を癒すべく霊体化し、兎に角治癒を優先すべきである。だがもはやそれに意味はない。仮にそうして生き延びたところで自身は戦力にはならない。そして戦力にならなくなった己など、それこそ存在価値などない。この世界での、最初の目的は既に達成されている。後は戦うだけ、戦って勝つことだけが今ここに在る全て。そもそもセイバーと凛をこの男の前から遠ざけた時点で、倒すつもりでいたのだ。仮に明確に彼女達に『時間を稼いで逃走しろ』と言われたところでその決定事項は変わらない。敵は確実に負傷しているはずではあるが、死んではいない。それはサーヴァントとして今だ煙晴れぬ中心地にある魔力を感知できているが故の確信。ダメージの大小は分からないが、ギルガメッシュに次手を打たせる前にこちらが行動を起こす。足は止めない。ギルガメッシュが吹き飛ばされたと同時にそれに追いつこうとして走り出した足は決して止めない。吹き飛ばしたことによって生まれた距離は瞬く間に縮んでいく。「─────それが貴様の世界か。アーチャー」突如として、巻き起こる膨大な魔力の本流。戦闘によって破壊され柳洞寺に突き刺さる一流の剣が、魔力の本流に耐えきれずに宙を舞う。威圧感、存在感。その全てが桁外れ。彼我の戦力差は語るまでも無く、絶望的だった。もはや干将莫邪では届かない。ならば─────煙が無くなり、そこに立っていたのは黄金の王。違う箇所といえば偽・螺旋剣カラドボルグの攻撃と、その後の壊れた幻想ブロークン・ファンタズムによって鎧の大部分が破壊されていること。明らかにダメージを負い、血が流れている姿であるということ。そしてそれほどのダメージを負いながら、握ったエアを手に固定するために鎖をその身にまきつけていたこと。「────I am the bone of my sword」「識れ」アーチャーの最後の暗示。それをもはや無視した形でギルガメッシュはその剣を振りかざす。「そして絶望しろ。─────創生。貴様では持ちえぬ、その意味を」その攻撃はアーチャーに向けたものではなかった。宣告通り、それは世界に向けて放たれた。同時。数ある中で、アーチャーが投影してみせたのは。「約束されたエクス」振り下ろされる極光。世界を割る光の束。限界を超越した聖剣の行使。しかし例えどんな結末が待っていたとしても。「─────勝利の剣カリバー」光ある未来を紡ぎだす。その道、進む者は─────◆柳洞寺へと続く階段までたどり着く。魔術を行使しているからといって疲労が蓄積しないわけではない。しかしそれに反して今まで走っていたという疲労感はなかった。─────走っていた、という感覚も残っていなかった。「………………」一瞬だけ、頬が吊り上った。前を見る二人には気づかれなかったが、顔を見られていたら確実にばれている。「………いつ来ても慣れないわね。この尋常じゃない生臭さ。吐き気がする」霊地であり不可侵である場所が人を拒むのは当然。山の闇は人間にとって脅威であると同時に清浄さを持つ神域の具現でもある。だが、それはこの柳洞寺には当てはまらない。吐き気がする、というのは凛の個人的な解釈だが、士郎とバゼットも良い気分ではない。目の前にあるのは正真正銘の山だが、まるで巨大な臓器を目の前にしているかのような錯覚に陥ってしまう。それほどまでの異常が目の前にある。「行こう。なんだか嫌な予感がする」前の二人を抜いて階段を上った直後だった。まず三人に与えられた情報は光だった。まるで昼だと錯覚するほどの眩い光が向かおうとしていた山頂から降り注いできた。全員がこの暗闇に目が慣れていたところへ突如として襲い掛かる光の暴力はいともたやすく三人の視界を潰し、目蓋を焼く。「な─────」なにが、と士郎が言おうとしたときには、音が既に到着している。ドンッ!!!!!!! という音の暴力が鼓膜を激しく振動させる。まるで爆弾が投下され、至近距離に着弾し爆発したかのような音。咄嗟に耳を防ぎ、強すぎる音の振動で鼓膜が破れるのを食い止める。光と音によって思考能力を奪われる三人。最後に訪れたのは体を吹き飛ばしかねないほどの烈風だった。否、全員伏せる時間も与えられず、士郎に至っては階段を上ろうとした矢先のことだ。当然のように体はバランスを失い、後ろへと薙ぎ倒される。「や─────」やばい、と感じたときにはもう遅い。体は致命的なまでに傾いており、もう自分ではどうしようもできない。後は後ろへ吹き飛ばされるだけ。だが後ろには─────「とお─────!」まずい。まずい、まずいまずいまずいまずい─────!今の士郎の体は危険な状態。うっかり体ならざる部分で衝突したらどうなるか。それを瞬時に理解した士郎から一気に血の気が引く。こんなバカなことで彼女を傷つけてしまう─────!!!「え、しろ─────」「っっああ!!」無我夢中で投影した大剣。それを衝突する直前で凛の前に突き刺した。彼女からすれば一体何が起きたのかが理解できない。それほどの短い時間。だがそのおかげで士郎は凛にぶつかることなく、投影した大剣に体を叩きつけた。「がっ、はっ─────」背中を強打する。体の内部ではそれ以上の激痛が全身を襲う。だが、この人を吹き飛ばしかねないほどの烈風。発生地点に近い部分はそれ以上の爆風であることは間違いない。そしてここは山であり、風は山頂から吹き下りてくる。つまり─────「─────くん!」「え─────」それは士郎に対してバゼットが叫んだものだが、眩い光と暴風特有の風切音、そして士郎自身の意識が全身の激痛によって、目の前から襲い掛かる凶器群に気付くのに遅れた。暴風によって薙ぎ払われた木々が士郎達目がけて飛来する。「ちょっと、士郎─────!」「遠坂はそこにいろ!」右手を突き出す。頭の回転が現状に追いつけていない中で、もはや本能レベルの反射で投影する。「投影、開始トレース・オン………ッ!!」自分の背中にある大剣と同じ剣が士郎の目の前に突き刺さる。飛来する木々や瓦、石。それらを防ぐ盾。「そうだ、バゼ─────!」咄嗟に展開した盾はバゼットのいる場所まではカバーしきれない。ならばこの降り注ぐ凶器は違わず彼女にもとに─────「─────ト?」だが、その言葉も出ることはなかった。凶器と化した飛来物。それを見逃していいものと迎撃すべきものを的確に判別し、硬化のルーンを以てして『殴り防いでいる』。当然無傷ではいられないが、かすり傷で済ませられるのもおかしい。烈風は次第に収まり、光も小さくなっていく。そして闇が再び戻ってきたころには風も止んでいた。「止んだ………わね。ちょっと、士郎! 大丈夫!?」「士郎くん、大丈夫ですか?」「ま………、なんとか」首は下を向いているが、手をひらひらと降り無事であると示す。それを見て一息する凛だったが、バゼットは違うものに目が行ったようだった。「士郎くん、その手はどうしたのです?」「え? 手─────?」バゼットの言葉につられ、見る。「………?」それを、士郎も凛も理解ができなかった。「………?」そこにあるべきはずのモノ。そこに存在しなければならないモノ。「………おい、アーチャー………!」事実を確認し、手を握りしめる。知らずに漏れたその声は怒りが籠っていた。─────手の甲にあるべき令呪が、消えていた。─────第二節 終地へ─────その光を見逃した人物など一人もいなかった。山頂で起きた大爆発。今までのどれよりも強力な魔力がぶつかりあったそれは、現時点で一番離れているセイバーでも容易に確認できた。「あれは………」士郎たちは既に見えなくなっているが、この距離と時間から鑑みてまだ到着はしていないはず。となればあれはアーチャーとギルガメッシュの衝突のもの。そしてあの爆発。「宝具の打ち合いとなった? となればギルガメッシュは“あの”宝具。ではアーチャーは………?」アーチャーの能力は聞き及んでいる。宝具の投影。それがアーチャーの能力。「まさかアーチャー………!」数瞬見えた黄金の光。確証もなく確信もない。だが担い手だからこそ分かるものがある。あの光は間違いなく─────「今の爆発、これまでの比ではなかったがイリヤ嬢、衛宮達は大丈夫なのだろうか?」一般人である鐘と綾子にも先ほどの爆発は見て取れた。というより周囲が暗い中、あれほどの光を発せられては気付かない方が難しい。「あれ、どうしたの?」綾子が声をかけた。だが、その言葉にも鐘の言葉にも反応せずただイリヤは黙り込んでいた。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。正規の聖杯として機能する、白き聖杯。全てが正しく機能していれば、その中身にはサーヴァントの魂がくべられる。「おおよそ、考えてたシナリオでもかなり悪い部類ね」そう一言吐き捨てて、セイバーへと視線を向ける。「イリヤスフィール、何かわかったことが?」「アーチャーが倒された」簡潔に内容を伝える。もうこうなっては一刻の猶予もないのだ。自分達が勝つためにはキャスター一派とギルガメッシュを倒さなければいけない。そして、覚悟を決めなければいけない。「セイバー、アヤコとカネを連れてシロウ達を追って。相手がどういう状態に陥っているか分からない以上、セイバーも行った方がいい」アーチャーが倒されたという言葉を聞き、大小の反応を見せた三人。それらを振り切るようにイリヤはセイバーへ指示を出す。「………ええ、そうですね。しかしイリヤスフィール、貴女は来ないのですか?」「私達は私達でやるべきことがあるから一緒には行けない。後から行くわ」「行けないとは………イリヤ嬢とて狙われる対象なのだろう? ならば一緒に行動した方がいいのではないだろうか?」鐘の言葉は至極当然だ。セイバーが士郎達に同伴しなかったのはキャスターがこちらを狙ってくる可能性があるからという理由だった。ならばここでイリヤ達が別行動をするというのは上手い手ではないと考える。「大丈夫よ、リズがいるもの。確かに戦うとなれば勝てないかもしれないけど、こと逃げるだけなら何とかなる。それよりも貴女達は自分達の心配をしなさい」「それは………」「私は狙われる確率が一番高いところに二人を行かせようとしている。むしろ私を恨んでもいいくらいの不条理なの。私の心配なんていらないわ」「恨む、なんてことするつもりはないけどさ、本当にそれでいいの?」頭を掻きながらイリヤに訊ねる綾子。イリヤが言ったことは確かにそうなのかもしれない。だが仮にイリヤが狙われ何かしらの被害を被ったとき、それは彼女だけの問題では済まない。無論それは自分達にも影響するが、自分よりもはるかに影響を受ける人物を、綾子は知っている。何よりも、綾子はその姿をこの目で見ている。「大丈夫。イリヤは、守る」イリヤの隣でハルバートを持っているリズが答えた。彼女の強さは十分承知。魔術の知識もなければ戦争の知識もない綾子は、それ以上何も言うことはなかった。そもそも自分の立場上、強く言うこともできないのだ。「それと、もう一つ伝えておかなきゃいけないことがある。それをシロウ達にも伝えてほしいの」「伝えておくこと? それってあのお城で言ったこととはまた別の話?」「ええ」全ての元凶であり、そして全ての希望である場所。かつて遠坂・マキリ・アインツベルンが手を結び、白き少女が大聖杯となった地。「大聖杯。この聖杯戦争の始まりの地であり、そして此度の聖杯戦争の終焉地。きっとそこに─────いいえ、必ず。サクラがいる」◆正確に言えば、大爆発の後も両名は存命していた。片方は鎧が破壊され額より血が流れてこそいるが、平然と立っており。もう片方は胸元に穴が開いており、両膝をついて荒々しく息をしていた。双方の魔力の残量を見ても、身体の状態を見ても勝敗は明らか。「未だに生きているとはな。生き汚さだけは一流か。─────ああいや、我の気を逆なでするのもまた一流か………この贋作者フェイカーがッッ!!!!」背後より古今東西あらゆる宝具が顔を表す。放っておいてももはや消えるだけのアーチャーですら、今のギルガメッシュは許せない。己の自慢の鎧を壊し、あろうことか傷を負わせるまでに至った者。セイバーならばその技量と威力に或いは感嘆したかもしれない。だがこの男は違う。死ねと言えば相手はすぐに死ななければ許さない。そこに相手を称賛する意識は微塵もない。「待て、ギルガメッシュ」目に見える物、その全てを殺さねば気が済まぬという殺気。その殺気を纏うギルガメッシュにあろうことか静止を促す声があった。今のギルガメッシュならばそのような声すら聞く耳持たず、今すぐにでも宝具を投擲しただろう。だがそれでも投擲しなかったのは、その声に聞き覚えがあったからだ。「何用だ、言峰」「何用、とは随分な言いぐさだな、ギルガメッシュ。─────あれほどの爆発を見て、気にならない者など一人としていまいだろうに」苛立ちを隠そうともしていないギルガメッシュに、まるで普段通りに話しかける綺礼。だがそれすらも今のギルガメッシュには苛立ちを募らせるものでしかない。「黙れ言峰。今の我は貴様ですら殺すぞ、死にたくなければ失せろ」「─────怖いな。私もまだ死にたくはないのでね、お前の言う通り下がらせて貰おう」踵を返し去っていく背中。だが、ふと思い出したように立ち止まった。「ああ、そうだ。言い忘れていた、ギルガメッシュ」その言葉は何でもない事のように、ただ自然に発せられた。まるで友人に伝え忘れていたときのように、ごく自然な言葉。ギロリ、とその言葉に反応して綺礼の背中を睨めつける。同時に複数ある宝具のうちの一つが確実に綺礼へ向けられた。これ以上何かを言うのであればまずは貴様から殺す、そう殺気で伝える。「令呪を以て命ず。─────ギルガメッシュ、行動を止めろ」途端、王の財宝ゲート・オブ・バビロンを含む自身の行動全てが封殺された。体は尋常ならざるほどの重みを受け、足は一歩も動かない。「言、峰………キ、サ、マ………!」「悪いな、今ここでアーチャーに死なれては困るのだ。─────だがギルガメッシュ、お前もまた死んでもらっては困る。故に止まってもらうことにした」─────投影、開始トレース・オンその言葉を二人は聞き逃さない。中空に浮かぶ一本の剣がギルガメッシュに向いている。「ほう? ここに来てその傷を以てしてなお殺そうとするか。ギルガメッシュが止まったのを好機と見たか、それとも─────」アーチャーは知っている。この男が『どの陣営に属しているのか』ということを。そして今先ほどの言葉。これを理解できないほど、彼は愚かではない。だが。「ッ!」ギィン!!! と。横から現れた敵によって吹き飛ばされた。「─────おいおい、この程度しかできねぇならとっとと逃げろよ、馬鹿が」「ランサー………!」「ま、逃げたところでその体じゃ推察通り逃げられる訳もねえんだがな」その通りである。アーチャーの推測が正しいならば、この状態で逃げ切るなど100%不可能だ。寧ろ逃げる自分を率先して襲ってくるだろう。「正解だな、アーチャー。お前の読みは正しい。そしてギルガメッシュを倒そうと躍起になっていたことも、実に正しい選択だ。倒してしまえば、元来行くべき場所へ行くのだからな」鬼の形相ともいうべき目で綺礼を睨む。だが当人はそんなことなど知ったことではない。無論それはもう一つの視線も同じだ。「誰にも我に指図などさせぬ………! 貴様ら全員我が葬り去ってやる………!」令呪で確かに動けなくなった筈のギルガメッシュ。だがそれに反抗するが如く右手がゆっくりと動き始める。乖離剣エア。鎖によって右手にまきつけられたそれを今一度解放しようとする。「やはり恐ろしいな。クラスとしては三騎士だが令呪の縛りに抗い、ましてや私に反旗を翻そうとできるのはお前だけだろう。─────しかし」今度こそ綺礼は二人に背を向け去っていく。ランサーも用がなくなったかのように消えてしまう。「─────刻限だ。私が手を下す理由などないし、必要もない。さらばだ」綺礼の姿が見えなくなったと同時。乖離剣が解放されるよりも早く、残された動けぬ二人の背後から黒い津波が押し寄せ─────◆そこにあるはずの令呪が─────ない。「………一歩遅かった、ということでしょうか」バゼットがそう言葉を出すが、二人はそれすらできない。アーチャーが負けた?「アイツ………一人で!」歯を食いしばる。敵討ち、なんてことをするつもりはない。だが勝手に消えてしまったら、何も言うことができない。「………待って。それは本当に、アイツに敗北したの?」ギルガメッシュ。強さは間違いなく本物。そこに疑う余地はない。それと対峙し、戦闘していたアーチャーの令呪が消えた。そこから導き出せる答えは一つだけだ。「いいえ、ここにはギルガメッシュよりも厄介な敵がいる。力もあってそのくせ狡猾な奴」「………キャスターがやった、っていうのか?」「『ただの』キャスターなら問題じゃない。けど、今のキャスターは違う。その後ろにいるものが一体何なのか、忘れたわけ?」かつて凛も介入されたことがある。その時犠牲になったのはほかならぬキャスターだった。「そして頂上から下りてくるこの感覚。─────士郎、アンタなら分かるでしょ、この戦いの結末」そこまで言われて、ようやく気が付く。「………桜」まぎれもなく、それは崩壊した城で、そして衛宮邸で感じたことのあるものだった。つまりそれは。「士郎、一つだけ聞くわ」その声は冷たい。さっきまでの凛とはまるで別人だ。「士郎が言ったこと、覚えてる? そして、私が言ったことも覚えてる?」「………ああ、覚えてる。遠坂は桜を殺す、俺は桜を助ける」「そ、覚えてるならそれでいい。なら、士郎。その考え、今も変わらない?」今目の前にいる彼女にはヘタな言葉は使えない。貸し借りの話を出しても無駄だ。士郎には士郎の背負っているものがあるのと同じように、凛にもまた背負うものがある。今ここで、この状況でこの場面で、それを聞いてくるのだ。「変わらない」だからこそ、正面から対立する。互いの瞳が互いの顔を映し出す。そうして先に視線を切ったのは凛だった。「このやり取りだって前にしたし、これ以上する必要もないか」「そうだな」やることは変わらない。目的も変わらない。ならば後は進むだけだ。「ではどうしますか。当初の目的は失われた。早急に何かしらの対応をすべきだと思いますが」「どちらにしろ、セイバー達と合流しないことにはどうにもいかないわね。私達の陣営にはもうセイバーしかいないんだから」「じゃあ来た道を戻るか?」「それこそ手間でしょう。セイバー達をこっちに呼んだ方が早いわよ」「いえ、それには及びません、リン」ガチャン、とすぐそばで音がした。既にそこにセイバーが到着していた。「セイバー………早いわね。それに氷室さんと綾子も」「あたしらはただ運ばれてただけだからね。何もしちゃいないよ」つい先ほど別れた顔と再会する。だがそこにいない人物がいる。「あれ? セイバー、イリヤ達は?」「別でやることがあるから先に行ってくれ、だそうだ衛宮」鐘がセイバーの代わりに答えるが、その内容に疑問を持つ。「別にやることって………、こんな時に何をやるんだ? それに別行動して平気なのか、氷室?」「それは私も思ったのだが、こっちは大丈夫だと断られてはどうしようもない。何をやるかについてははぐらかされてばかりで聞けなかった」「兎に角、今現時点での戦力は集まったわけですね。凛さん、どうしますか」「どうするも、相手の居場所が分からないと攻めようがないわね。かといって待ってられるだけの猶予はないから、こっちからアクションを起こしたいんだけど」「それについてだけど、遠坂」綾子が手をあげる。周囲が自分の言葉を聞くように視線を集め、イリヤから教えてもらったことを正確に伝える。「この参道から外れた山の中に『大聖杯』って呼ばれる場所に続く入口があるって。ある程度の場所は教えてもらったから行きながら案内はできるよ」「『大聖杯』………って」「そこに桜の奴もいる、って………あの子言ってた」桜がいる。ならば間違いなくそこが目的地である。「………そうか、わかった。美綴、ありがとう」「あたしは言われたことを伝えただけだ。衛宮には敵わないよ」薄らと笑ってみせた。「じゃあ綾子、一緒に深部までついてこい、なんて言わないけど入口までは案内お願いね」「ああ、任された。じゃ、いこうか」目的地が決定し、階段を上ろうと上を見る。途中までのぼり、そこから道を外れそこから獣道すらない道を通る必要がある。いつの間にか月が出ていた。鐘がマンションから出た頃に比べれば月と星の光で随分と見通せる状態だ。それでも十分な暗さであることには疑う余地もないが。「待ってください。─────あそこに、誰かいます」一番先に上を見ていたバゼットが、全員に静止を呼びかける。全員の目が長い長い階段へと向けられ、その先に。「あれは─────」カツカツ、と小さな足音を立てながら階段をゆっくりと降りてくる。そうして見えたその姿には見覚えがあった。この時にこの場で立っているのが何も知らない一般人であるはずがない。にもかかわらず、一般人である鐘と綾子でも知っていた人物。「葛木………先生」朽ち果てた殺人鬼が、幽鬼の如くそこに立ち塞がった。