第62話 忘れない─────第一節 誓い─────渇いた音は誰の耳にも聞こえた。新都、センタービル屋上。開発が続く新都の中でも最大級の高さを誇る建物。何をされたかを理解するに数秒、なぜされたかを考察するに数秒。「なんで叩かれたのか、理由が欲しい? 士郎」まるで敵を目の前にしているかのように睨んでくる凛。相当怒っている。ただ直感だけでそう感じ取り、先ほどの事を思い返す。響く爆音。屋上から見えた冬木大橋の異常。強化を施して見てみればセイバーと凛がキャスターと対峙していた。防戦一方に見えたそこから助けるべく、今自分ができることを模索し、実行した。「………悪い。もしかしてさっきのでどこか怪我を負ったのか?」正確にキャスターだけを狙ったはずだったが、如何せんこれほどの遠距離攻撃は『初めて』行う。自分の想定し得なかった攻撃の余波が彼女を襲ったというのであれば、その怒りも理解できる。だが。「─────あんたは」言葉が耳に届くよりも早く、凛の手が動いた。「ちょっと待て!?」「なんでそんな結論になるっ!」流石に二度目の平手打ちは回避した士郎だったが、それが仇となった。右手を振りぬいた、その指の形が誰でも一度はやる銃の形へと変わっていた。「私の説教を避けるなっ!」「説教するなら口を動かしてくれ!」「体罰は必要でしょう!?」「限度っていうものがある!!」後ろへ避けた士郎へ襲い掛かる魔弾。この攻撃は既に体験済み。受ければどうなるかも経験済み。故に受ける訳にはいかなかった。「ま、待て。待ってくれ! 間違っていたなら謝る! だから攻撃………を………」士郎の言葉が聞こえたのか、士郎自身が拍子抜けするほど簡単に攻撃は止んだ。だが言葉が出なくなったのはその所為ではない。攻撃を仕掛けていた本人の様子が普通ではなかった。「なんで、あんたは………」声が聞こえたと同時に魔術が発動された。また攻撃がくるのか!? なんて考えが浮かんだが、それも消えた。凛の指が光っていた。それも黒ではなく、ちゃんとした光。「………一応言っとくけど、攻撃じゃないわよ。単純に視界を確保するために光を発生させてるだけ。懐中電灯とかと同じ」「そ、そうか」視界が確保された。強化しなければ見ることも叶わない闇の中で、光を得た。つまりそれは。「衛宮………その髪」「………髪?」一般人である鐘にも外界の情報が入ってくるということ。言葉につられて髪の毛を触り、軽く髪の毛を引っ張ってみる。手にあった一本の髪の毛は白色だった。「確認したそれがたまたま白髪だった、なんてことは言わないでよね、士郎」ぴたり、と体の動きが止まった。心音が先ほどより少し早くなったのが分かった。「今頃気付いた? 暗闇だから気付かなかった? ………それとも、今さっきの異常を異常として考えてなかった?」士郎は今の今までセンタービルから冬木大橋までという超長距離攻撃を一度もしたことがない。否、そもそも弓というものを投影したこともなかった。だが気付けば自然と弓と攻撃のイメージが出来上がっており、躊躇いも疑問もなく弓を構えた。「そうか………。そういうことか」自分の体の異常には気付いていた。記憶が一部曖昧になっていることも理解していた。だが思考に関しては今まで気付かなかった。それを、遠坂凛は許さない。「そうか、じゃない………。あんたは!」攻撃を避ける為に開いた距離を詰める。今度は動かない。「なんでそんなになるまで戦ってるのよ! なんでそんなになっても私達の心配をしてるのよ!」無音の街に、凛の声が響く。睨むその目はもはや殺気と変わらない。それほどまでに凛は本気で怒っていた。「人を助ける、守る、傷つけさせない。 立派な考えだわ。けどね、じゃあなんで士郎は自分の考えを自分に当てはめようとしないのよ! ライダーと戦ったときもそうだった。 私と合流したときにはすでにボロボロだったくせに、それを『そんなのは後だ』とか言って自分を気にしないで。 終わったら終わったで、一人でギルガメッシュに挑んで!」勝手に動く士郎を罵る。士郎が悪い。士郎が悪い。けれど─────それ以上に、私自身が悪い。助けることができなかった、私自身に腹が立つ。「アンタにとって私は仲間じゃないっていうの? 違うっていうなら少しくらい私を頼れ! アンタ一人で傷ついて、それをただ結果として知る身にもなってみてよ! 戦えば確実に壊れていく体で、記憶も曖昧になって! アンタは壊れるのが、死ぬのが怖くないっていうわけ!?」事実、凛の記憶の中にある最後の士郎は、ギルガメッシュの攻撃を受けて命の危機にあった状態。治療をしたとはいえ、もはや危険な域に達していたというのは見て取れたのだ。「私が言っているのは人の為にいい事をしろだとか、人の為になることをしろだとか、そんな一般論じゃない。 そんな偽善とは別のところで、人間は自分を一番にしなくちゃいけない。 アンタには過去がある、自意識がある。 なのになんでアンタはそこまで自分を蔑ろに出来るのよ! 答えなさい、士郎!」愕然とした表情。凛には士郎がそう見えた。「────歪だったっていうことは分かってる」何も知らない人から見れば、凛が一方的に士郎を糾弾しているだけに見えた。だが、士郎にはそうは見えなかった。今なら分かる。こうして本気で怒ってくれている、その意味を。「疑問はあった。 正義の味方─────切嗣じいさんみたいになりたくて、ずっと誰かの為になろうとした。 方法がおかしいって思いながら、それを理解できなかった」瞼を閉じる。暗闇になった中にはたくさんの映像が蘇ってくる。「けど、今は違う」「………違う? 今までのことは間違っていた、っていうこと?」「そうじゃないよ」思えば。彼女もこうして心配してくれている。「今までやってきたことは間違いじゃない。誰かの為になりたいっていう思いが、間違いの筈がないんだからな。─────ただ、その先にあるものを思い出しただけだ」本当の目的、叶えたいもの。「─────その、先にあるものって………」「遠坂嬢」後ろにいた鐘が声をかける。彼女は知っている。その目的を。誰もが望む、純粋な望み。「士郎、その体がどういうことになってるか、あなた自身が一番理解しているはずでしょう?………そのままいけば行き着く先が破滅だっていうことを」鐘の顔を見て、質問を変える。その先にあるものがどういうものか、というのはまだしっかりと理解できていない。けれどそれが少なくとも間違っていない、というのは感じ取れた。だからこそ、尋ねた。「けど、だからって逃げ出さない。今のまま、放り出すつもりはないんだ」「馬鹿な!」今まで静観していたセイバーが突如声をあげた。普段の彼女からは想像し難いほどの声。「先の結果が破滅だと分かっているのならば、それは避けられる! なぜそうしようとしないのです、シロウ!」破滅という結果。襲ってくる後悔。「確かに退けない戦いはある。けれどシロウ、あなたは下がることができる!ここには私がいる、私がいる!」自身の胸に手をあてて力強く主張する。ここにいる誰よりも彼女がよく知っている。聖杯に“やりなおし”を求めるぐらいに破滅を、絶望を知っている。「シロウには、下がっていてほしい。………貴方に、そしてその周りの者達にも、破滅を味あわせたくないのです」視界の情報が処理されるようになったのか、そういってセイバーは視線を逸らした。誰からも言葉が出てこない。後ろにいる鐘からも、隣にいる凛からも言葉が出なかった。それほどまでに、先ほどまでの彼女は必至になっているようにも見えたから。そしてそれほどまでに必死になる、知らない理由を彼女は知っているから。「悪い。それはできない」それでも前に立つ者は戦うと否定する。「………なぜです。私ではシロウの信頼には届かないというのですか」小さく唇を噛む。ここまで言っても、彼の意思は変わらない。「違う、ただ俺は─────戦うって、決めた」それを聞いて。今度こそ、セイバーから言葉が失われた。「確かに逃げれば助かるかもしれない。けど俺は氷室を、みんなを救いたいから参加したんだ。ならそこから逃げることは間違っている」ただの自殺願望故の行動ではなく、同情して貰いたいが為の行動でもない。そこにあるのは芯。「それに二人を信用していないわけじゃないし、仲間だと思っていないわけじゃない。─────けど、だからって誰かに任せていいっていうものでもないんだ」大切なものを守るために傷つく覚悟を決めて、目の前の少年はそれを成そうとしている。「今までいろんなことがあった。一言では言い表せないくらいに多くのことが、辛いこと苦しいことも含めて。けど、ここで逃げればそれら全部が嘘になる。誓いも思い出も約束も、全部」一つの意思を貫き通そうとしている。それを理解したとき、分かった。何を言っても折れることはない、と。「どうあっても破滅なんてしないし、してたまるか。生きて約束を果たす。そうして向かい合った時、今の自分を誇れるように。そして─────」決して向こう見ずなどではなかった。やるべき行動の先にある終わりを見据えている。そしてそれは決して破滅という絶望ではない。自身の理想にたどり着くという終わりを見据えている。「─────みんなと幸せに笑いあえるように─────」士郎とて破滅という未来を全く考えていないわけではない。今の言葉から理解できる。それでも戦うのは──────────戦うと決めたその誓いは、王の誓い。例え全てを失い、理解されなかったとしてもそれでも自身の中に定めた王の誓い。その時、王は一体何を捨て、何を選び、何を貫こうとしたのか。そしてそれは折れる様なものだったのか。「ほんと………バカね、士郎」はぁー、と大きなため息一つ。士郎の方へ歩いていき、そして横を通り過ぎた。「ええ、ほんと大馬鹿者。私から見れば士郎は甘い。士郎が言ったことは超がつくほどの甘いのよ」「む………」風の音以外を聞きとらなかった耳が、異音を聞きとった。爆発音だった。士郎、凛、セイバー、そして鐘の耳にすら届いた爆発音の先は柳洞寺。戦闘によって木々に火が燃え移っていた。「けど」それを見たうえで、凛は振り返り、士郎の顔を見る。肩どころか、首、そして頬にまで到達しつつあるその異常。「けど、私はそんな大馬鹿者と手を組んだ。そしてアイツはそんな大馬鹿者の為に戦ってる。なら、私だってその大馬鹿者の為に戦ってやろうじゃない」柳洞寺では今アーチャーが戦っている。決して士郎の為だけではないだろう。アーチャー本人に尋ねれば絶対にそれは凛の思いすごしだ、なんて言ってくるに違いない。「─────私がなんとかしてあげるわよ。士郎、アンタがどうなるかっていうのはもう言わない。けど、私は信頼しているんだから。ちゃんと期待に応えてよね」暗に、絶対に死ぬなと、絶対に成し遂げろと、そう伝えた。どんなに体が壊れようとも、衛宮士郎という在り方は変わらなかった。ならばもう外野がどうこう言えることは何一つない。今の遠坂凛ができることは、一歩踏み違えば、一歩行き過ぎれば破滅する少年を、踏み誤らせないよう、ただ助けることだけだ。「それで? セイバーは、どうする?」少し意地悪く士郎の後ろにいるセイバーに尋ねる。それに少し困ったような表情を見せるが、それで答えが変わるはずもない。「シロウの誓いは決して折れるようなものではなかった。………ただ、それだけです」自身に誓いをたて、その達成に全てをかける。目の前にいる少年は今それを全力で成そうとしている。対象の大小こそあれど、かつての自分もそうではなかったのか。「ですが、それにはきっと多くの困難が待ち受けていることでしょう」自分の場合は、その果てが滅びだった。士郎を殺そうとしたアーチャーは、士郎の果てだった。だが、『今』の士郎の果てはセイバーにも、アーチャーにも誰にも分からない。アーチャーが言った『間違った願い』。それがなんであるか─────。「シロウのその誓いは決して折らせない。ならば、私はシロウを守る剣となる。─────先ほどの無礼は許してほしい、シロウ」その先に答えが必ずあると、そう思えたから。ならばもう言うことは何もない。彼が信じた道を、私が信じなくてどうする。やるべきことはただ一つ。降りかかる災厄を、この剣で切り捨てるだけだ。「─────さあ、行きましょう。ここにいても仕方がない。セイバー、悪いけど先に私を下に連れてってくれない? 往復させることになるんだけど、その後でもう一回ここにきて士郎と氷室さんを連れて降りてきて」「承知しました。ではシロウ、少しだけ待っていてください。すぐに戻ります」士郎の横を通り過ぎ、凛と共にセンタービルから下へと降りようとする。その背中に。「ああ、ありがとう二人とも」今言える、最大の言葉を二人にかけた。視線は戻ってこなかったが、それでも凛の右腕が上がったから、言葉はちゃんと届いていたのだろう。「衛宮」「氷室、もう体は平気か?」「ああ、さっきに比べればかなり良くなった」よかった、と笑いかけて深山町へと視線をやる。小高い山の上。赤く燃えた柳洞寺。そこで行われている死闘。「私では遠坂嬢やセイバーさんみたいに力になることはできない。けれど─────忘れないでほしい。私や美綴嬢もいるということを」崩れた教会で言われた言葉。それは絶対に忘れない。「ああ、どこまで行ったとしても忘れない、必ず戻ってくる。俺の居場所は『ここ』だから」それだけは─────絶対に忘れない。─────第二節 大きな光と小さな影─────「今の爆発はなんだったわけ………?」綾子が車の中から確認するが、事実を確認することはできない。当然それは車の屋根にいるバゼットも同じである。「セラ、止まって」イリヤの言葉により、車が停止する。場所は街の中心地である交差点。「あれ………燃えてないか? あそこ」周囲が暗闇だからこそ余計に分かりやすかった。柳洞寺の方角から見える赤い光。それが炎であるというのは見て取れた。「ここで待つわ。セラ、ヘッドライトは消さないようにね」「畏まりました」「ここで待つって、ここに集まるの?」「本当は違ったんだけどね、予定変更。向こうに流れていく魔力も安定し始めたし、どうやら間に合ったみたいね」「安定し始めた………?」イリヤの言っていることをいまいちよく理解できていないが、安定して間に合ったというからには安全な状況なのだろうか。もういい加減慣れたと思っていたが、慣れただけではそう簡単に理解できないらしい。と、車の屋根に乗っていた二人が降りてきた。後部座席の窓を叩き、イリヤに窓を開けさせる。「一つ、訊ねます」そう前置きした上で、バゼットはイリヤに「今の爆発が何かというのは、貴女ならば分かるのではないですか? 私は戦闘における情報をほぼ持っていない。 あれほどの魔力、あれほどの爆発。できるとすればこの街を操っているキャスターだと推測するのですが」自分の考えを示した。魔術を知り、魔術を行使する者として、先ほどの爆発………もとい戦闘は知っておく必要がある。その者が自分の敵になる可能性があるというのであれば、なおさらだ。「正解よ。ただし、半分だけね」「半分? では残り半分は違うと?」「ええ、残り半分は貴女を助けたシロウが起こした爆発よ」「………それは本当ですか?」バゼットの目が細くなる。今先ほどまでの爆発はどれもこれも強力な攻撃によるものだ、というくらいは彼女でも分かる。分かるからこそ、それがサーヴァントのものだと思い込んでいた。「ちょっと待って。衛宮が起こした爆発だって分かるの? というより衛宮があんな爆発を起こしたの? 車の中からじゃ見えなかったのに。そういう魔術でも使ったの?」「アインツベルンの森ならともかく、そんな街中のいたるところに『目』なんてつけてないわ。言ったでしょ、アヤコ。流れてた魔力量が安定し始めたって」「? たしかに言ったけど」「言い換えれば、普通にしている分には不必要なほどの魔力がシロウの方に流れていっていたということ。なら、自然と答えはでるでしょう?」魔力。魔術を使うのに必要な力。普通にしている分には不必要なほどに流れていった。「つまり普通じゃないことがあった。─────で、今この状況で普通じゃないことなんて一つだけってことね」「イリヤスフィール、貴女は半分がキャスターだと言った。そして今、魔力は安定して流れていっている。つまり衛宮士郎くんはキャスターに勝った、ということでしょうか」「知らないけれど、そうなんじゃないかしら。戦闘が終わってなければ今も爆発や魔力の流れは収まってはいないだろうし」士郎が勝った。それを聞いたとき、ほっと安堵した自分がいることに綾子は気付いた。「アヤコ、車から降りておきましょう」「え? わかったけど、また何で」「車は移動手段であって、身を守るものではないからよ」先に外に出たイリヤの後に続き、綾子も外へと出る。セラもヘッドライトをつけっぱなしにしたまま外へと出た。相変わらずの周囲の見通しの悪さ。今なお燃え続けている柳洞寺の方角と、この車の明かり以外に光が全く見つからない。「では、キャスターは敗北した、ということでよろしいのですか? 私はどうもそのようには思えないのですが」「それは正解ね。半分じゃなくて、きっと全部正解。確証はないけれど、確信ならあるわ」「………やはりそうですか。神代の魔術師というのであれば恐らくは、とは思っていたのですが」「ちょ、ちょっと待ってくれない? 衛宮の奴が勝ったんだろ、じゃあ相手はいなくなったんじゃないのか?」イリヤの顔を見る綾子だが、対するイリヤはただ冷静に、事実だけを口にした。「アヤコ。キャスターっていうクラスはね、魔術師なの。魔術師は自分の城、工房とも呼べるものを構築し、そこに籠る。 籠った上で何をするかはそれぞれだけど、少なくともキャスターという特性上、そしてキャスターが今持っている力と優位性を考えれば、シロウが倒したのは偽物で本物は─────」「本拠地にいる、ということですね」「そういうことになるわね」魔術師である二人は最初から分かっていた、と言わんばかり。そんな様子を見て、思わず手を顔にあててしまう。「気にすることはないわ、アヤコ。分からないのも無理ないんだから」「いや、けどね………。そりゃあ今のは楽観視しすぎたかなあ、なんて思ったけど、こう─────自分一人だけ何もわかってなかったっていうのは地味に応えるんだよね」「いた!イリヤ、綾子!」背後より声が聞こえてきた。綾子にとってその声は聞き違うことのない声だ。「遠坂!」「綾子、無事!?」闇の向こう側から見えたのは遠坂凛だった。肩で息をしているところを見ると全力疾走してきたのだろう。「アヤコ、イリヤスフィール。無事ですか」民家の屋根や電柱の上を駆けてきたセイバーが綾子の前に降りた。その背中には背負われている鐘の姿もあった。「美綴嬢、よく無事で」「そういうアンタも。携帯に繋がらないからどうしたのかって思ってたぞ」そう鐘に言い、周囲を軽く見渡す。もう一人、顔を見たい人物が見当たらない。「氷室、遠坂。衛宮は?」「アイツならもう来るわ」そういって今さきほどまで走ってきた道を振り返ると、確かに足音が聞こえてくる。そして。「はぁ─────はぁ。くそ、早いな。最後まで追い付けなかった」その外見に驚いた。「何言ってんのよ、私は下に降りて先にこっちに向かってた。あれだけのディスアドバンテージあったくせにここまで追い上げてくるなんて。 それにセイバーの速度と同等に走れるようになれると思ってるわけ?」「………思ってないけどさ」だがそれ以上に、その外見に何も言わない凛やセイバー、そして鐘に驚いた。無視しているわけでも見えていないわけでもないだろう。しかしそれでも何も言わない。それが何を意味するか。「衛宮」声をかけた。互いの顔を見る。今自分の顔がどんな表情をしているのか分からない。「悪い。心配かけた」分からないがこんな言葉をかけてくるあたり、ああやっぱり難しい顔してたんだろうな、なんて考えが浮かんだ。「ああ、そうだね。なんでそうなってるのか気になるし、説明してほしいけど─────」けど、やはり。「ただいま、衛宮。お互い、生きてて何よりだ」薄らと笑う。その言葉に表情に、一瞬士郎が固まった。考えていた言葉のどれにも当てはまらなかったのか、空白の時間が生じた。「む、なんだ衛宮。その意外だっていう顔は」「あ、ああ。いや、想像してたのとちょっと違っててさ」轟!!!と。その後続くであっただろう言葉がかき消された。一際大きな爆発音が響き、柳洞寺の炎が一瞬大きく膨れ上がった。柳洞寺の戦闘が激しくなっている。「………」全員の視線が柳洞寺へと向けられた。これからあそこに行く。この街の住人を操っている奴がいる本拠地へ。それは戦場で戦うことのない、鐘や綾子にでも分かっている。「イリヤスフィール、その者は何者です?」今すぐにでも戦場に行くべきではあるが、それにあたり確認しておきたい事項がある。セイバーと凛にとっては全く見知らぬ女性がセラの隣に立っている。だが、士郎と鐘には見覚えがある顔だ。「アンタは………」「バゼット・フラガ・マクレミッツ。ランサーのマスターだった者、と言えばよろしいでしょうか。初めまして、セイバー。そして─────衛宮士郎くん」「ランサーのマスター………?」その言葉に反応したのは鐘と士郎。ランサーのマスターはあの神父ではなかったのか。「待ってほしい。一人のサーヴァントに対して複数人のマスターがいるのだろうか?」「いいえ、違うわ、氷室さん。つまり─────」「端的に言うと、奪われたということになります」凛の言葉を上書きするように本当に短く、ただ事実だけを伝えた。その裏にあるであろう様々な感情は一切伝わってこない。代わりに。「衛宮士郎くん、君には感謝します。貴方が見つけてくれなければ、私は死んでいたかもしれない」「え? あ、いや。ただの偶然というか、思いがけないことだったというか」「それでも助けてくれた。その事実は素直にお礼を言わせてほしい」士郎の前に出て手を差し出してきた。頭の中に疑問符が浮かんだが、それが握手だということに気付いた。「………奇怪な体をしていますね、貴方は」「え?」目を潜めたバゼットが呟いたが、あまりにも小さな声で士郎には届かない。「いいえ、なんでもありません。─────それで、これからどうするのです。目的地はもう分かっている筈です。 ですが、私はともかく貴方達にとっては些か動きづらいと思うのですが」そう、バゼットが何より懸念している事項がそれだ。相手は神代の魔術師。普通の魔術師がやればそれだけで魔法使いになれるであろう大技を容易く行ってくる。「それは私も考えてた。けど、問題ない。………あそこでアーチャーが戦ってる。アーチャーが戻れば攻撃も防御も問題はなくなる」「そうね、戦力を分断するにしても片方が弱いとキャスターに必ず付け込まれる。セイバーかアーチャー、どっちかを再起不能にするだけで私達は身動きしにくくなる」まさか戦えない綾子や鐘まで一緒に敵の本拠地に連れていく訳にはいかない。かといって置いていけばどうなるか、今までのことを考えると安易な行動はできない。攻める側に戦力を傾ければ、待機側の戦力が薄くなる。待機側の戦力を増やせば、攻めきれなくなる恐れがある。均等にしたところであの圧倒的な魔力量と魔術にはかなわない。「行くわよ、セイバー。アーチャーを助けてあの金ピカを倒す」「ええ、承知しています。まだ戦火が広がっているところを見れば彼が奮闘しているのが分かる。行きましょう、リン」二人して柳洞寺に向かおうとする。その背中に「─────ダメだ、行っちゃいけない」士郎がストップをかけた。「なによ、士郎。アーチャーがいないとキャスターの搦め手含めた攻撃に対処できないのは分かるでしょう?」「ああ、それは分かる。分かるけど………えっと、セイバー、はあそこにいっちゃだめだ」「なぜです、シロウ。ギルガメッシュは強敵だ。しかし私とアーチャーの二人ならば倒せる。それとも私が行っても勝てないというのですか?」「違う、俺が言いたいのは『そうする事こそが敵の思惑通り』ってことだ。きっとあの戦いを見てる。隙あらば、って。 そこにセイバーが行ったらそれこそ敵にとって“うまい餌場”になっちまう。だから行かせるわけにはいかない」「シロウに賛成。そもそもセイバーが行っちゃったらこっちの守りはどうするのよ。─────リン、あなた少し攻撃的すぎないかしら?」「─────っ」イリヤの言葉に舌打ちし、唇を噛む。「─────遠坂」「………なによ」「遠坂、どうしたんだよ。これくらいなら遠坂だって考えられただろ? そりゃあギルガメッシュは強いし、セイバーがいけば確実に戦力アップにはなるだろうけどさ」「………そうね、そこのところは抜けてたわ。ごめんなさい」その反応にも、士郎にはおかしいように感じ取れた。何かが違う。最初センタービルの屋上で再開したときは微塵も感じなかったけれど、ここにきて何か微妙に違う。「では、どうするのです。アーチャーがいなければ身動きが取れないというのであれば、アーチャーへ援護は必要だ。しかしセイバーが行かないとなると─────」「俺がいく。そもそも、アイツのマスターは俺なんだ。なら、俺が行くのがスジだろ」「なっ─────アンタね、人に言うだけ言っておいて………」士郎の言葉に即座に反応した凛。だが、その次の言葉は出てこない。かわりに大きな、そりゃあもう士郎が申し訳なく感じてしまうほど大きなため息が。「………その、遠坂。すまん、何か苦労かけてるか?」「ええ、思いっきり。これほどってくらいに」その後ろで他の4名も心の中で凛に同意していたのだが、士郎はそれを知らない。「セイバーはここに残ってキャスターから皆を守って。柳洞寺へは私とコイツで行く。 あと─────悪いけれど、貴方にも来てもらうわよ。士郎に助けられたっていうのなら、等価交換してほしいわね」「お、おい」「随分と─────いいでしょう。ただし、私にも目的がある。義理は返しますが、その為には死ねませんし、死にたくもありませんので」「そう? その言葉は何よりも信用できるわね。それじゃ、よろしくね」バゼットに手が差し伸べられた。それに思考が一瞬停止する。「あら、士郎とは握手したのに私とはできない? 仮にも貴方を頼るんだから、これくらいはしておこうと思ったのだけれど」「………」改めて、目の前の少女を見る。遠坂凛。遠坂という名は覚えがある。こと聖杯戦争に参加するにあたり、避けては通れない名前。「ええ、そうですね。よろしく」奇妙な心地だった。封印指定の執行者、という立場である彼女は敵に恐怖され、味方ですら畏怖する者がいた。だが、目の前の少女にそれがない。寧ろ、全面的に信用しているようにすら見える。「一つ、聞きます。私を本当に信用しているのですか?」「ええ、もちろん」即答だった。あまりに即答すぎて、質問したバゼットの次の言葉が出てこない。「これから向かう敵は戦えば最後、どっちかが倒れるまでの戦い。途中離脱させてくれるほどお人好しなヤツはどこにもいない。 けど、貴女には目的がある。その為には死ねない。─────なら、その目的を果たすためにも死ぬ気で勝たないといけないでしょう?」凛の言葉を聞いて、なるほど、と理解した。だが同時にその通りだ、とも思ってしまった。が。「それに貴女はここに来た。マスターでもなくなったのに、それでも私の友人を、綾子らを守りながらここにいる。 なら、私としても相応の信頼をしないと不公平。だから─────」信用する、と。そう口にした。「………なるほど、負けました」その意味を知る者はいない。目の前にいる少女は少なくとも、全面的に信頼しているということがわかった。「少しの間になるとは思いますが、共闘させていただきます。よろしく、遠坂凛さん」握手を解き、目的地へ向く。互いの信頼は確かめた。少なくとも背中を気にして戦う必要はない。「行きましょう、事態がこれ以上深刻化する前に」「士郎、アンタもくるんでしょう? なら早く来なさい。─────けど、間違っても私との約束、破らないでよね」「ああ、行く」走り出す。向かうは柳洞寺。あそこで戦っているアーチャーの救援。そして来るであろうキャスターの攻撃。「衛宮」走り出そうとしたその背中に声がかけられた。綾子だった。「………なんだ?」「さっきのアンタの意外顔だけど、あたしだって言いたいこととか山ほどあるんだぞ? けど、それは三人に言われたんだろ? だから、あたしは聞かない。 聞かないから─────あたしとも約束しろ。衛宮は死なない、絶対生きて帰ってこい。そして弓道部に戻ってこい!」 言葉を、想像した。彼女が言った、言葉の中身を。「─────ああ、必ず」誓いを胸に、約束を力に。確実に足を前へと進めていく─────だが。「美綴嬢? どうしたのだ?」闇に消えた後ろ姿を見ている。「いや………」不安が募る。「分かってる」不安が押し潰してくる。「大丈夫だって、分かってるけど」方法は知ってる。教えてもらった、やれることは全てやりつくすつもりだ。それでも。「………美綴嬢?」小さく、小さく、小さく、小さく。鐘にもセイバーにもイリヤにも、誰にも聞こえないくらいに。「………アイツ、あたしの名前、呼んでくれなかったな」─────その先にあるのは、救いか、崩壊か。