第57話 誰が誰を守り守られるのか─────第一節 見えなかった敵─────―Interlude In―半壊どころか八割強破壊されているアインツベルンの城に、綾子は居た。「………車で二時間もかかってない場所だよね、ここ」まるで社会の教科書に出てくるような凝った内装、大部分が壊されているとはいえ、未だにその城という威厳を残す外壁。これが日本の、しかも車で行ける範囲内にあるなどと誰が思うだろうか。今現在綾子がいる部屋はその崩壊したアインツベルン城の中でもその破壊から逃れた一室だ。勿論突然この城が崩れてきたときのことを考え、すぐにでも脱出できる場所でもある。いわばこの城は廃墟と同じだ。つい数日前まで完全な姿を誇り、ここで士郎らが一時を過ごしていたとしても。「見学していいって言われたけど、瓦礫とかあっていけない場所の方が多いからねえ………」あの銀色の少女………イリヤは士郎が発見した女性の介抱を行っている。そこに入り込んで集中を邪魔するわけにもいかないから、こうして一人で部屋にいるということだ。部屋の片隅に置かれたベッドに腰を掛ける。明らかに自分のベッドとは比べ物にならないほどのモノだ。だが今の綾子にはそんなものは関係なく、道中にイリヤに尋ねた内容を改めて思い返すことに思考が回っていた。「………衛宮の、アイツの本来の目的は『幸せになること』─────か」自分よりも明らかに幼い少女が言った言葉。あの言葉の真意は一体何だったのか。それを道中で尋ねて返ってきた答えがそれだった。それを聞いたときは一瞬、『あたりまえだろ』と言いかけそうになった。けれど、今まで彼の行動を見てきた身としてはその言葉が口から出る事は無かった。彼のイメージはつまり、『人助け』という印象の方が強かった。以前士郎と同じクラスである柳洞一成と話す機会があり、その時士郎についての話題になったことがあった。その際彼は『奴はあまりにも他人を優先しすぎている。手伝ってもらっている身で言うのもあれだがあまりに“献身的すぎる”。友人としては少し怖くすら思えるのだ』と言っていた。確かに知る限りの彼は気づいたら常に誰かの手伝いをしていたりしていた。別にそれを悪いことだと否定するつもりはないが、一成の言う通りの感覚もあった。その時はあまり気に止めなかったが。「………幸せになる方法なんて、他に幾らでもあっただろうにさ」聖杯戦争に入る前、そして聖杯戦争に入った後。その時も彼の在り方は変わらなかった。そして彼の異常性が聖杯戦争で明確に判った。少し間違えれば死ぬという時でさえ常に人のことを考えて行動する、それがどれだけ異常かなんて。だがイリヤの話を聞いて、それを『馬鹿だ』と罵ることなんてできなくなった。勿論最初から罵ろうとは思わなかったが。彼のそこに至るまでの経緯は、きわめて普通に生きてきた自分と比べるべくもない。「ねぇ、アヤコ」「? はい、なんですかリズさん」物思いに耽っていたところにリズが声をかけてきた。「イリヤが呼んでる」「あの子が? というか、あの女の人の手当てしてるんじゃ?」「それはもう終わった。から、行っていいよ」リズの言葉に了解し、あの女性が運び込まれた部屋へと向かう。しかし一体何の用事なのか、綾子には見当がつかなかった。手当ての手伝いか、とも思ったがそれも終わってるなら違うだろう。というより手伝えるとは思えない。「おーい、入るよ?」コンコン、とノックをして中へ入る。部屋は先ほどまでいた部屋と何ら変わりなく豪華なものだ。その部屋のベッドには運ばれた女性が腰かけており、向き合う様に椅子に座ったイリヤがいる。「あ、─────」「貴女が美綴綾子さんですね。まずは助けてくださってありがとうございます、と言っておいた方がいいでしょうか」「あ、いえ。私は何もしてませんから。えー、と」「失礼。私の名はバゼット・フラガ・マクレミッツと言います。呼びやすいように呼んでくださって結構です」淡々と話している。ちらりと切断されていた手を見てみると見事にくっついていた。「挨拶はその辺でいいかしら。ねぇ、アヤコ『携帯電話』って持ってる?」「携帯? もってるけど、どうしたの?」「それ、ここからでも繋がる?」「んーと、ちょっと待ってね」ポケットから携帯電話を取りだす。近年スマートフォンが主流になりつつあるが、綾子はまだその波に乗っていない。ついでに言うと鐘もまだである。「………繋がるみたいね、かなり不安定みたいだけど。それで、どうしたの?」「………まあ、もうほぼ全壊したような城だし、別にいっか。─────じゃあカネに電話かけれる?」「氷室に電話? そりゃあ電波届いてるなら繋がると思うよ。電話かけるの?」「ええ、ちょっとシロウの耳伝えておきたい事があって。ラインから呼んではいるのだけど距離が遠すぎるのと、シロウ自身がラインに気付いて集中をこっちに割いてくれないと聞き取れないからね」「つまり衛宮に用事ってことね。ちょっとまってね、電話かけるよ」電話帳から名前を選択し、電話をかける。電波表示が一本というのが少し気になるが、一応はかかるはずだ。しばらくしてコール音が聞こえてくる。こうなれば後は相手が出るだけなのだが、二回三回とコール音が続くだけで一向に出る気配がない。「? 何か取り込み中かな、でないな」「………」綾子の反応を見たイリヤの表情が少し険しくなる。ベッドに腰掛けるバゼットの表情も固いように見える。そんな二人に一体どうしたのかと声をかけようとしたところに、ブツ、という音と共に回線が開かれた。ようやく繋がった、と声に出そうとしたら『─────……!』電話の向こうから只ならぬ音が聞こえてきた。―Interlude Out―中空を串刺しにする黒鍵。だがそれらは二人には当たらず壁に突き刺さるだけに終わった。その光景を神父、言峰 綺礼は目の当たりにする。氷室 鐘は礼拝堂へ逃げ込んだ。通常ならばそこで終わっているだろうが、衰えたとはいえ綺礼は『代行者』である。壁の一枚打ち抜けないほど力を抜いて投擲したわけではない。だからこそ足を狙わなかった。礼拝堂へ逃げ込んだところで壁越しに串刺しにできると踏んでいたからだ。しかし黒鍵は壁を貫通することなく、また血飛沫をあげることもなく、壁や天井、地面に突き刺さり崩れ落ちていた。「─────自身を襲う黒鍵だけでなく、女を狙った黒鍵までも撃ち落としたか」綺礼の目の前にいるのは衛宮 士郎。その両手には白と黒の短剣・干将莫邪が握られていた。「言峰、お前………!」目の前の神父を睨む。先ほどの黒鍵投擲は間違いなく早かった。大よそ人間が投擲したとは思えないほどの速度だ。破壊力もやはり人間のそれとは思えない。撃ち落とす度にその衝撃が腕を通り脳にまで伝わってくるほどだ。「この距離で全て防がれるとは思わなかったぞ。守ると豪語しただけはある、ということか」だがそれでもギルガメッシュのそれと比べればどう見えても劣っていた。目が慣れていた、とは言わないだろうが少なくとも戦いの経験が結果として出たのだろう。「言峰、いきなり何を………」「いきなりも何も順当なモノだと考えるが?………ただし、お前がそれを認識しているかというのはまた別問題だがな」目の前に立つ神父を見て、思考を僅かにそちらへと分ける。考えられるのは先ほどの問答か。「─────いいや、もっと前だ。お前としても決して容認できない事実としてある」「もっと前?」綺礼の手に黒鍵が現れる。それを見た士郎が再び構える。距離は先ほどより数メートル離れた程度。十分綺礼の射程圏内ではあるが、意識を集中していれば決して反応できない距離ではない。だが─────「─────ランサーのマスター。それだけ言えば判るだろう、衛宮士郎」その言葉が一瞬を鈍らせた。次の閃光はさらに早く襲いかかってきた。「な─────ぐ!」襲いかかる黒鍵。一瞬の不意をついてきたソレをぎりぎり両手の武器で迎撃する。左手を横へと流し、右手を振り上げる。金属音を響かせ投擲された黒鍵が天井へと突き刺ささる、その僅かな時間の間に。「え─────?」『活歩』によって数メートルの距離を一瞬で詰めてきた綺礼がそこに居た。中国拳法による歩法。そんなものを初めて目の当たりにした士郎がそれに反応できるはずもない。「ご、っ─────!?」強化を施した筈の体が在り得ないほどの激痛を発してくる。一瞬呼吸困難に陥り、視界が僅かに霞み、視線が足元へと落ちる。だがそれだけが不幸中の幸いだった。その尋常ならざる移動によって一歩前に出た右脚を軸にし、勢いをつけた左脚が士郎の顔面へと襲いかかってきていたのだ。「がっ─────ぁ………!」一瞬視界がブレた。咄嗟にガードに入った右腕ごと蹴りが入ってきたのだ。その直後に襲いかかってきたのは右腕の激痛で、自分のいる位置がおかしいと判ったのは壁に叩きつけられた後だった。蹴り飛ばす際に腰をひねるような横回転を加えたことにより、真横に飛ばされるのではなく引っかけられる様に後方へと吹き飛ばされた。結果今までとの立ち位置とは真逆、綺礼が礼拝堂側に立ち、士郎が内部側にと変わっていた。人間をただ蹴り飛ばすだけでも相当な実力が必要だと言うのに、あろうことかこの人物は『蹴り飛ばす方向』すらもコントロールしていた。「がっ、げ、………!」胸元への正拳も相まって肺の空気が全て失われ、叩きつけられた衝撃で呼吸が止まる。視線は地面。右腕は折れたかのようにマヒしていて動かない。それでも今までの経験が訴えかけていた。『ここで止まったら死ぬ』、と。「─────っっ!!」ロクに呼吸も吸えないまま両足に魔力を通す。右脚に力を込め左へと跳ぶ。ドン! と中庭に一撃が響いた。超重量の鉄球が落ちてきたかのような音だが、落ちてきたのは足だった。震脚による地面の踏みつけ。本来ならば震脚や腰の回転、肩の捻りなど全身を使い、それによって最大級の攻撃力を持つ正拳を放つ。それが中国拳法『八極拳』である。今の踏みつけはその一番初めの動作を単体で出しただけに過ぎない。だが単体で出したからこそ他につなげる必要はなく、故にその単体だけにのみ力を注ぐことができる。その結果が先ほどの音だ。あのまま頭があそこにあった場合間違いなく頭蓋が踏み砕かれていただろう。士郎は改めて今目の前にいる神父の認識を改めた。相手は人間だが人間じゃない、と。今の士郎ならば数メートルの距離を一瞬で詰めることは可能だろう。今の士郎ならば床を砕くこともできるだろう。今の士郎なら石柱を斬ることだってできるだろう。だがそれは「魔力」を使って、「得物」を使ってできることだ。しかし相手にはそれがない。魔術行使をしたような痕跡は一切ないし、何かの得物を使って床を割ったわけでもない。ただの体術だけでそれらをこなしてみせたのだ。「………本当に人間か、おまえ………!」そう呟く一方で、それら一連の動きに見覚えがあるのを思い出した。今の今まで、吹き飛ばされたその瞬間まで思い出せなかったが、これらの攻撃は彼女と非常に良く似ている。否、似ているどころではない。全く同じだ。「神父のクセに、中国拳法なんて………!」止まっていた呼吸が再開する。「そうだな。だが私のコレはただの真似事だ。内に何も宿らぬ物ゆえ、お前一人殺しきれん」確かに士郎は生きている。だがそんな神父の言葉も今の士郎には歯を食い縛ることしかできなかった。魔力行使なしで、加えて真似事でそれほどの速度と威力。至近距離戦闘において圧倒的に不利だ。ならば相手は自分の得意とする至近距離ショートレンジに戦いを持ちこんでくるはず。が、反して神父は近づいて来ようとしない。なぜ近づいてこないのか、という疑問を思い浮かべるその前に。「どうした、衛宮士郎。先ほどの言葉の意味は理解できなかったか? もたもたしているとお前より先に彼女が死ぬことになるぞ●●●●●●●●●●●●●●●●●」その言葉に駆り立てられた。「っ─────言峰!!」激痛を押しつぶし、礼拝堂へ向かうべく敵へ突進する。「いい判断だ。そこからの投影では背後の礼拝堂をも襲うだろう。そうなっては意味がない。守る者が襲う者になるなどあってはならないのだからな。しかし─────」強化した左腕が渾身の一撃を振るう。普通ならば武器を持たない人間は避けるという行動を取るだろう。しかしそれを綺礼は見届けたうえで、移動することなく左手を払うように動かした。触れるのは攻撃してくる士郎の手。攻撃をしかけている筈が、全てがあしらわれている。届くはずの剣技は届く前に腕に遮られ、斬りつける筈の剣は隙間を通る様に伸びた腕によって腕ごと軌道を変えられる。『聴勁』と呼ばれるその体技は、士郎の左手の攻撃を完全に防ぎきっている。十年前にも彼の父、衛宮切嗣に対して同じことをしてみせた。あの時と比べると自身の衰えがあり、あの時ほどの効果は出せないが、それでも士郎程度の速さならばまだ十分に通用する。「こいつ………っ!!」仕掛ける攻撃全てが受け流される事実。その中で目の前に立つ神父の口元が僅かに歪んだ。息を呑み、咄嗟に後ろへと跳び退く。だが。「─────それは実力が伴う者のみが選べる選択肢だ」繰り出された砲弾が、跳び退いた筈の士郎の胸元に再び突き刺さった。呼吸が止まり、視界がズれる。外界の映像を認識できなくなり、そのまま後方へと宙を舞い、吹き飛ばされる。受け身を取る事など到底叶わず地面に叩きつけられ、それでも殺しきれない勢いは口を開けて待っていたかのような闇の底へと、士郎を連れ去って行った。─────第二節 礼拝堂─────「衛宮………!?」礼拝堂に逃げ入り、難を逃れた鐘だったが士郎がやってこない事やなぜいきなり戦闘になったかという事に困惑していた。なぜあの神父が突然襲い掛かってきたか、なんて判らない。だが監督役というからにはあの神父も相応の実力者なのだろう。足止めをしているのかされているのかはわからないが、どちらにしたところで自分に出来る事は何もない。そう。こと戦闘において一般人である彼女が出来る事なんて何一つもないのだ。「─────私は」今までに幾度も悩まされてきた事実に今もまた悩まされる。出来る事は安全な場所にまで退避して壁の向こう側で戦っている士郎の負担を軽くすることくらいだろうか。助けを呼ぶにしてもイリヤ達は城に行っており、凛らは行方不明。「………“彼”は?」そういえば今朝から姿を見ていないことを思い出した。アーチャーのサーヴァント。士郎の理想の果て、“エミヤシロウ”。今考え得る限り助けになりそうな人物は彼以外に存在しない。その前日の戦闘で休息しているというのであればまだ遠坂邸にいるのだろうか。或いは士郎と同じように凛の捜索に出ているのだろうか。士郎がこの状況を伝えて呼んで今こちらに向かってきているのだろうか。そもそもこの状況が彼に伝わっているのだろうか。様々な可能性の思考が鐘の中で交錯する。今この状況においてやれる一番の手は一体何か。士郎を助けるというのであればアーチャーを呼ぶのが一番だろう。ただ鐘にはそのアーチャーを呼ぶ手段がない。まさか英霊が携帯電話を持っているわけもないし、彼とはあの衛宮邸での一件以外ほとんどしゃべっていない。「どうすれば─────………ッ!?」浸りかけた時、ドン!という音が鼓膜を激しく揺さぶってきた。「考えている暇はないか………!」向こう側の戦闘は思っていた以上に激しいらしく、礼拝堂にもその音が漏れてきている。壁越しに中庭を見て、止めていた足を再び動かして出口へと向かおうとしたときだった。鐘の足がピタリ、と地面に縫い付けられる様に止まってしまう。ちょうど背後の中庭方面から出口へと顔を振り向けた時だ。この礼拝堂に入ってきたときは誰一人いなかったその出口の前に、“嫌でも見覚えのある人物”が立ちはだかっていた。「よう。いつぞやの夜以来だな、嬢ちゃん」「………!」どっと鐘の背中に冷や汗が流れる。なぜあの男がここにいるのか、どうして今というタイミングなのか。一瞬そんな疑問が思い浮かんだが、“そんな疑問を思い浮かぶということが”彼がここにいる理由だということを逆に示していた。「まさかあの神父がマスター………?」「御名答。あの時よりかは頭は働くようになってるじゃねえか」縫い付けられていた足が地面から離れる。ただしそれは出口方向へではなく後方…つまりは中庭側へ一歩後退するように動かされていたが。「………あまりにもタイミングが良すぎる、と思っただけなのだがな」呟くようにして目の前の敵を見ながら後退する。こうなってしまっては出口への突破は無理だ。かといって背中を見せて中庭へ逃げても逃げ切れない。今までサーヴァント、という存在は嫌というほど見せつけられている。背中を見せて逃げ出した瞬間串刺しにされるだろう。「ああ、確かにタイミングが良すぎるか。………命令されちゃどうしようもないからな。たとえ、それがどんなにいけ好かねえ物でもな」感情を殺したような声が礼拝堂に響く。同時に虚空よりこれもまた見覚えのある紅い槍がランサーの手中に現れた。「嬢ちゃんを殺せ、って言われてるんでね。まあ、俺がここに現れた時点で予想はしてただろうが。………恨むなら恨んでくれて構わねえぞ」カツン、と足音が響き始める。紅い槍を持って、死神が一歩一歩と近づいてくる。一歩一歩と後退するがそれもすぐに止まってしまう。目の前の敵を視界に収めながら、しかし思考は最早別に動いていた。どうする、どうすればいい。「死ぬ訳には………」このままでは確実に殺される。中庭に逃げ込こもうにもその前に殺されるのは確実。抵抗なんて論外。なら一か八かで中庭に逃げ込めばまだ可能性はあるだろうか。「怖がらせるのは趣味じゃねえんだ。安心しろ、苦しまないよう一撃で葬ってやる」ランサーの膝が僅かに曲がる。それが一気に跳躍し距離を詰めるものだと認識したと同時。「─────あ」鐘の視界にまたも日常的に考えて奇妙な光景が現れた。槍を構えたランサーの背後。最初は薄らと、しかし次には確実な実体として赤い服の人物がそこにいた。蒼い死神と、赤い服の人物。その二人の間に会話はない。振り上げた白と黒の両手剣を振り下ろし、構えた紅い槍を振り向きざまに突き出した。槍と剣のぶつかり合い。それは先ほどまでの静かな礼拝堂を一瞬で別物にするかのような衝突だった。ただ振り下ろした、ただ突き出しただけの双方の攻撃は、礼拝堂に並べられている長椅子を周囲に吹き飛ばすほどの風圧を生み出していた。その中心に変わらずいるのはサーヴァント、ランサーとアーチャー。双方の攻撃を双方の武器が受け止める。たった一度の攻撃。しかしそれだけで終わる筈もない。「らぁ─────!!」明らかに槍の領域よりも内側に入り込んだアーチャーを紅い槍で押し飛ばす。すぐさま槍を構え直し敵へ刺突する。しかしそれを受けるほどアーチャーも弱くはない。押し飛ばされ、着地したと同時に襲いかかる紅い槍をその目が見切り、防ぎ、反撃する。受け流す様に槍の軌道をずらし、返す腕でランサーへ斬りつける。それを槍を傾けるようにして防ぎ、旋回させた槍が下から振り上げられる。回避するべく後方へ一歩後退したアーチャーに追撃をかけるランサー。しかしそれを干将莫邪で防ぎきるアーチャー。戦場というにはあまりにも狭い教会の礼拝堂内。しかし鐘の目の前で行われている戦闘はそれを感じさせないほど超高速だった。目に見えたのは一番始めのアーチャーの振り下ろす動作のみ。その後の剣戟はもはや視認できない。メガネをかけている鐘の視力が悪い、などの話ではない。一般常人では再現不可能な速度での戦闘。激突しあう二人の余波を見ることしかできない。数度の打ち合いの後二人は大きく距離を取った。とはいえ礼拝堂の中。百メートル、二百メートルといった距離をとることはできない。ランサーは出口付近に、アーチャーは鐘の前に立った。「実体化してからの急襲、しかも背後からか」「卑怯だ、などと言うか? 悪いがプライドなど無い身なのでね。騎士道など私には興味がない」「だろうな。俺が言いてぇのは“それだけの事を仕出かした”くせに俺を仕留めきれなかったってことだ」「よく言う。一般人を二度ならず三度までも殺し損ねた者が言うことではないな、ランサー」構えた槍の穂先を静かにあげる。対してアーチャーは未だに構えを見せていない。それを見てランサーは目を細めるのだが、アーチャーは涼しい顔のまま「人とは、変わるものだな」ポツリ、と呟いた。「え………?」「言いたい事があるが今は叶わない。死にたくなければ隠れていろ」赤い背中が言う。一瞬呆気にとられた鐘だったが、ここは言う通りにしたほうがいいだろう。礼拝堂の中央で戦う二人から離れるように隅へと隠れる。当然鐘を標的としているランサーにもその行為は筒抜けなのだが、アーチャーを放置して鐘を殺せるほど目の前の敵は甘くない。「は─────弓兵が建物内で戦う? 大よそ正気とは思えねぇが?」「敵に情けか、ランサー? 確かにここは建物内で遠距離戦など臨める場所ではない。だが─────」アーチャーの両手に握られていた干将莫邪が消える。その事実にランサーは訝しげな表情を作るが、アーチャーの顔を見てさらに疑問符が増える。アーチャーは武器を消しただけではなく、あろうことかこの数メートルという距離で鷹の目すらも自らの意志で閉じていたのだ。“─────、なんのつもりかは知らねえが─────”ドッ、と礼拝堂の地面が爆発した。ランサーの踏み込みに耐えられなかった床が割れたのだ。だが反してランサーの踏み込みは今までの中で最高のモノだ。数メートルの距離を刹那の時間で踏み込み、刺突する魔槍。この距離で武器を持たず目を閉じるというのはただの自殺行為。ましてや敵は最速のサーヴァント、ランサー。ならばこの距離で負けるはずがないと結論を出した一方で、さらに注意深く、刺突する直前までアーチャーを観察していた。自分の取った行動が悪手だというのは理解している筈だ。それを理解したうえでそれでもなお決行するからには何かしらの“タネ”があると考えるのは判る話だ。“────投影、開始トレース・オン”消え入るような言葉を認識できた。しかし恐らくはそれがいけなかったのだろう。その直後に中空に現れた無数の剣群に気を取られてしまった。否、仕方がない事実ではある。突如自分の真上に無数の剣が真下を向いて現れるという光景を見て、刹那的な反応すらなくすことなどできないのだから。そこから出来事は最早両者とも息つく暇すらない。閃光にしかみえない槍を紙一重で躱したアーチャーは、刺突によって生まれる僅かな隙に瞬間的に投影してみせた宝具群を即座に打ちおろす。攻撃させることによって生まれた僅かな隙を突く。わざわざ向こうから先に攻撃“させてまで”作り出した隙を逃す手などない。必殺を以ってして全神経を攻撃に集中させる。だがこのランサーもまた甘くはない。その光景を見たという理由で攻撃の手が一瞬緩んだというのであれば、すなわち退避への移行時間は短くなる。攻撃に使用した勢いを殺すべく足を逆側へ踏み込む力に変え、蹴り出す事によって逆ベクトルへと変換。脚をバネの様に使用し、一気にアーチャーとの距離を取る。標的を失った宝具群が礼拝堂の床に突き刺さっていく。距離を取ったランサー。一方で今の一撃で仕留められなかった事実に舌打ちしたアーチャーは、追撃をかけるべく投影宝具を射出する。普通に考えれば相手の『距離を取る』という行為は悪手だ。数にして十六。対してその全てがランサーに向けて放たれたわけではない。ランサーが回避するであろう範囲にも攻撃を放つことによって退路を防いでいた。「舐めんじゃねえ!!」しかしそれはこのランサーには当てはまらない。礼拝堂に金属音が鳴り響く。彼の持つスキル“矢よけの加護”によって、迫りくる剣群を槍で叩き落とし防ぎきったのだ。当然退路封じの為に放った攻撃はあたることなく空振りに終わり、ランサー自身を狙った剣群も叩き落とされた。これで振り出し。接近戦に関してはアーチャーよりもランサーが上。このまま中距離戦による宝具群の投擲を続ければいかに“矢よけの加護”を持つランサーと言えど同時に捌ける限度はくるだろうが、そも、それをさせ続けてくれるほどお人好しではない。一気に槍の攻撃範囲に持ち込むべく加速する。同じ手は二度通用しない。穂先を上げ、音速にも匹敵する必殺の槍を刺突しようとして─────「なっ………!」アーチャーの右手に現れた大剣に目を奪われた。マスターの命令によって一度は全ての敵と戦っているランサーは、その武器に見覚えがあった。「─────だが、私が接近戦を不得意としている訳では断じてない」それはかつて狂戦士バーサーカーが手にしていたあの大剣である。「────────是、射殺ス百頭ナインライブズブレイドワークス」直後、礼拝堂に激流が生まれ、音速で刺突された魔槍を、神速を以ってして凌駕した。─────第三節 助けられた者は助ける者へと─────―Interlude In―「氷室? どうしたの、何があった!?」その只ならぬ音に驚いた綾子。『もしもし、美綴嬢………!』「氷室、アンタ今どこにいるの? さっきの崩れるような音はなに?」『今、教会─────に──────────』ブチッ、と勢いよく電話の通話が終了する。全くもって要領を得なかったが、明らかに何かがあったことは理解できた。「アヤコ? どうしたの?」「わ、わかんない。けど氷室達に何かあったみたい。教会がどうとか言ってた」「………教会ですか」会話を聞いていたバゼットが低い声で呟く。それに疑問を覚えつつも、どうすべきか目の前にいる少女の返答を待つ。「………どう足掻いても今の状態の貴女じゃ無理よ。せめて体のリハビリをしないと前回の二の舞でしょう。それは貴女も判ってる筈よね?」「ええ、了承しています。今の体では走り続けるのも困難ですから」「え………っと?」「何でもないわ、アヤコ。シロウ達が普通じゃない状況っていうのは判ったわ。けど、ここからじゃ駆けつけるのに時間がかかりすぎるし、第一私達が駆け付けたところでできることはない。………それは判っているでしょう?」イリヤの言葉を聞いて内心舌打ちしてしまう。彼女のいう事は実に的を射ており、事実綾子が駆け付けたところでできることはない。戦場の事実を知りながら何もできないという事実を突き付けられ、それに苛まれたことなどもう何回目だろうか。「そう、何もできない。こと戦争に関して言えばアヤコやカネができることなんて全くないわ。………ねぇ? じゃあアヤコはこのままでいいと思ってる?」「………それ、どういう意味?」「アヤコを此処に連れてきた意味。それはあるモノを運んでほしいから、なんだけど。正直に言っちゃうと“ソレ”でもただの応急処置にすぎない」「………?」まだ疑問符が抜けない綾子を見て薄らと笑うイリヤ。そして次にでた言葉は今までの綾子の悩みを、そしてもし仮にここに鐘が居たとするならば、彼女の悩みも解消するような言葉だった。「今まで貴女達二人はシロウに助けて貰ってばかりだった。だから─────次は二人がシロウを助ける番なのよ。その方法も手段も、何もかも教えてあげる」―Interlude Out―礼拝堂の隅、この教会の建物を支える柱の裏に、鐘は蹲っていた。隠れたのを合図にしたかのように礼拝堂で始まった戦闘。その光景を見る事は叶わないが、聞こえてくる音だけでその激しさは十二分に把握できた。そんな中ポケットに入れてあった携帯の着信音がなる。あまりに戦闘音が大きいため着信してから気付くのに時間がかかってしまった。「これは………美綴嬢か」隠れているとはいえここも安全地帯ではない。体をさらに小さくして戦闘の様子を窺いながら電話に出る。その直後だった。ドン!! と鐘が隠れていたすぐ傍に武器が突き刺さった。ランサーが宝具群を槍で弾き飛ばした流れ弾だった。今の音だけで5年近く寿命は縮んだんじゃないだろうか、などと思いながら改めて電話に出る。『氷室? どうしたの、何があった!?』どうやら先ほどの音は聞こえていたらしく、綾子の慌てたような声が先に聞こえてきた。「もしもし、美綴嬢………!」『氷室、アンタ今どこにいるの? さっきの崩れるような音はなに?』状況の説明を求めてくる綾子。長話はしてられないが、伝えておく必要もある。「今、教会にいてそこの─────ッ!!?」だが実際にはその状況を説明する暇すらなかった。嵐のような暴風と地震のような地響き、そして爆弾が爆発したような轟音が裏に隠れていた鐘に襲いかかってきた。その衝撃にたまらず頭を抱えて蹲ってしまう。建物全体が揺れ、床がミシミシと悲鳴をあげている。数秒後揺れと音、風が止んでいることに気付きゆっくりと顔を上げる。手に握っていた携帯は先ほどの衝撃でどこかにいってしまっていた。ゆっくりと戦場地帯となっている礼拝堂を覗き込む。そこで目にした光景はここに訪れたときとはまるで別の場所と変貌していた。並べられていた長椅子は今や9割がその原型を留めておらず、残る1割でも半分は戦闘の余波によって元の位置に存在していない。壁には戦闘によって生まれた穴が開いており、外は僅かに赤色の空を残すほどの暗さになっていた。その戦場の中心地に赤い人物は立っていた。ランサーはどこにもいない。先ほどまでの戦闘音も聞こえないことから、ついさっきの人一倍大きな衝撃が戦闘の終了の合図だったのだろう。そしてアーチャー………エミヤシロウが立っているという事はつまり。「勝った………のか?」崩壊したアインツベルン城ほどではないが、歩きにくくなった足場に注意を払いながら戦場に佇むアーチャーへと近づいていく。「その………エミヤ………?」問いかけるように声を発すると、アーチャーは鐘の方へと向き歩いて近づいてきた。「想像以上に荒れてしまったが、その様子だと無事なようだな。あと、私を呼ぶときは『アーチャー』で構わない。同じ呼び名が二人もいては呼びにくいだろう」「え? あ、ああ。─────じゃあ、アーチャー………さん。ランサーはどうなったのだろうか? 貴方が倒したのだろうか」アーチャーを見上げる鐘。身長差も相まって思わずさんづけしてしまった。鐘の問いに僅かに視線を逸らす。「倒した、一応はな。………が、“倒してはいない”だろうな。ここからいなくなった、と言うのが正しいか。そちらの方がまだ的確だ」「………つまり、逃げられた?」「いいや、『倒した』さ。ただ戦ったモノが“別物の本物”だったということだな」「別物の本物………?」アーチャーの言葉に疑問を抱く鐘だったが、ここに士郎がまだいないことに気付き慌てた様子でアーチャーに話しかけた。「そ、そうだ。まだ衛宮が帰ってきていない! アーチャーさん、助けにいかないと………!」その慌てた様子を見て、アーチャーも慌てるように………とはならず、「その必要はないな」と冷静に断った。その回答に呆気にとられてしまう。士郎に助けが必要ない、とはどういうことか。「別に奴を見捨てると言っている訳ではない。相手がサーヴァント、というのなら話は別だが相手はランサーのマスターなのだろう。ならば私が行く必要はない。もし仮にそれで敗れるのなら奴は所詮その程度だったということだ」「な………。けど、衛宮は─────」「あの男はもはや違う。だがな、それでも奴の、“衛宮”である士郎の根本は変わらない。今の奴は“二つの根本”を両立させようとしているだけだ。“衛宮”を捨てた訳ではない。─────否、捨てれるはずがない」鐘を見ていなかったアーチャーの瞳が、見上げる鐘の顔を視界にとらえる。「君という過去を、己と言う過去を拾い上げた奴がどうして“衛宮”を捨てることができる。“衛宮”になる前の士郎が奴だというならば“衛宮”になった後の士郎もまた奴だ。 故に“エミヤ”しか持たない私とはもはや別物だ。この先何を選択するかなど私では判らない。─────だが、それでも一つだけ言えることがある」「言えること………?」アーチャーが鐘に背中を向ける。その咆哮は中庭ではなく、外の方向だ。「それは奴が私がかつて抱いていた理想よりも更に高い理想を目指しているということだ。……凛やセイバーでも奴を助けることはできるだろう。 しかしそれだけだ。前しか見ない奴を振り向かせることはできない。後ろを振り向かない奴が、私を超える理想の成就など叶うはずもない。 ましてやその理想が過去にも関係しているのであれば、余計に後ろを振り向かせる人物が必要だ。無論、いい意味でな。そうなった時、振り向かせるためには後ろにいる人物でなければならない」「後ろに………」「そうだ。恥じるな、胸を張れ。君が“そこ”にいて、奴を、衛宮士郎を引っ張り続ける限り、迷う事も惑う事もなく戻ってこれる。 ならば敵に己に、敗北することなどこれまで以上に在り得るはずもない。イメージするのは常に“最強の自分”なのだからな」アーチャーの言葉が胸に刺さる。それは嫌な意味ではない。それは今までどうしようもないと諦めていた部分を掬い上げるかのように─────「理想に進ませるのは凛やセイバーがいる。そうではなく、綻びのある理想を補強してくれる存在。それが君だ。君がいるだけで、過程も結果も大きく異なる。─────それで全てが変わるというのならば」振り返り、再び鐘の顔を見る。振り返ったアーチャーの顔は小さく、小さくではあるが薄らと笑っていて「私を頼む。知っての通り危なっかしいヤツだからな。─────君が、救ってやってくれ」まるで他人事のように、赤い騎士は言った。かつての自分を恨み、排斥することだけを目的として参加した聖杯戦争。そこで見たかつての自分とは違う道を辿る自分。けれど本質は変わっていなくて、それに絶望し改めて殺そうとしたこともあった。だが敗北し、そして“見た”からこそ、予感は確信へと変わった。ならばその言葉には遠い希望が乗っている。自分のような、“エミヤ”という英雄は生まれない、という希望。伝えたい事は伝えた。そう言うかのように鐘の返答を待たずして彼は虚空に消えていった。「─────」先ほどの言葉通り、士郎を助けに行くつもりはないようだ。だがそれは見捨てるのではなく、『必ず戻ってくる』ということを疑っていないからこその、衛宮士郎は必ず“ここ”に『戻ってこなければいけない』からこその行為だった。「………ああ、なるほど」『だから─────二人はシロウが帰ってくることを信じていればいいのよ。だって、そうすることに意味はあるんだから』アーチャーの言葉を聞いてかつてイリヤに言われた事を思い出した。あの時の言葉は、或いはこの事を示していたのだろうか。「ああ、行こう。私も君も………死ぬワケにはいかないのだから」中庭で別れた士郎を捜しに教会の奥へと向かう。一部瓦礫となってしまった礼拝堂の中。確かに戦闘においては邪魔者だろう。だが、それでも“必要とされている”。その事実を明確に理解できて顔に出そうになった笑みを必死に隠しながら。